第二十二話 「オハラの悪魔達」
戦場に舞い降りた風は全ての者を釘付けにしていた。
兵士たちの雄叫び。
鳴り響く剣劇。
打ち出される銃火。
混戦を極める戦闘の渦巻く幾多もの感情。
まるで時が止まったかのように、その全ての喧騒が消え失せた。
ただ、さざ波の音が大きく響いていた。
「よかった……間に合ったんだな」
今にも泣きだしそうな声でクレスは言った。
<時幻虚己(クロノ・クロック)>による無茶を重ねた代償か、視界が点滅するように瞬いていた。
霞む視界は夢のように儚くて、消え入りそうなほど不確かだ。
アテにならない視界を補うように、クレスはただ腕に抱いた温もりを確かめた。
「ええ、ありがとう。
助けてくれて。……信じてたわ」
まるで子供をあやすようにロビンはクレスの背に腕を回す。
鼓動の音が重なるように鳴り響き、目の前の存在が夢でないこと告げる。
不安定な視界に頼らずとも、一つの現実として手の届くここにあることが分かった。
そのことにたまらなく安堵した。
「クレス―――ッ! おまえ、コノヤローが!」
「バカが、心配させやがって!」
「何てスーパーな野郎だよ!! エル・クレス!」
「もう、無事なら早く来なさいよねっ!」
静寂を破ったのは、歓声だった。
驚愕に固まる海兵たちを薙ぎ払い、仲間たちが駆け寄って来る。
クレスはロビンを抱きしめていた腕をほどくと、無事な様子の仲間たちへと向き合った。
「……海軍の通信はおれにも聞こえてた。
安心したぞ、お前らも全員無事だったんだな」
「言われるまでもねェよ。
てめェこそ、よく生きてやがったな。死んだかと思ったぜ」
「うるせェよ」
ゾロの憎まれ口にクレスは小さく笑う。
皆命を賭して戦い、敵に打ち勝った。
一人ではロビンを助けることは不可能だっただろう。
こいつらのおかげだ。言葉にはしなかったが、素直に感謝した。
「こう言っちゃなんだけど、サンジ君がいなくてよかったわね、クレス」
「それもそうだな。サンジの奴……ごほん!
サンジ君が今の君たちを見たら間違いなく蹴りかかってきてるぞ」
にやにやとナミが笑い、ウソップが思い出したように“そげキング”としての仮面をかぶりなおす。
今もなお死闘の最中だと言うのに、まるでそんな様子など一切感じさせない。
この一味にいる限り、緊張感と言うものとは無縁なのかもしれない。
「クレス――――ッ!!」
仲間たちに囲まれるクレスの元に、太陽のようなルフィの声が届いた。
ルフィはルッチとにらみ合いながらも、嬉しそうに叫んだ。
「よくやったァッ! 皆で帰るぞッ!!」
「当然だ、ルフィ」
力強くクレスは答えた。
如何なる荒波も困難も、笑顔と共に乗り越える。
この船長の下についてよかった。
クレスは心からそう思った。
「まさか、立ち上がるとはね。
予想だにもしなかった。素直に驚嘆したよ、クレス君」
眩しいものを見たように目を細めて、リベルが言う。
その声色は思いのほか楽しげだった。
「当然だ。立つに決まってんだろ。
如何なる手を使ってでもな。それが出来なきゃ、男じゃねェ」
クレスは一度敗北したリベルに対し、臆す事無く向き合った。
倒れ伏したクレスを突き動かしたもの、それは決して折れぬ不屈の心だった。
クレスのみが持ち得た異常性を突き詰めた<時幻虚己(クロノ・クロック)>。
時を自在に欺く諸刃の極技。その一端。
意志あるとこに命は灯り、力ある限り戦い続ける。
欺くは、己。
倒れ、敗北するというその瞬間。
刻まれるべき時は歪み、朽ちることを否定する。
身体は朽ちども、心は死せず。
守る人がいる限り。戦う意味がある限り。
痛みも、疲れも、絶望も。尽くを凌駕する。
不屈の心が折れるその瞬間まで、クレスの意志が途絶えることはない。
「成程、想いが肉体を凌駕したか。
どうやら君の言葉に嘘はなかったようだね、ロビン君」
「ええ、だって、……私が選んだ人だから」
ロビンはクレスの腕を握り、誇らしげに肯定する。
その言葉にクレスが恥ずかしげにそっぽを向き、リベルは堰を切ったように笑い出した。
「は、ははっ、はっはっはっはっはっはっはッ!!
よかろう。よいとも、そうでなくてはね。
だが、――――この場より逃れられるかは別の話だ。青くも猛き海賊達よッ!!」
まるで戦場全体を薙ぎ払うかのように、リベルは両腕を広げ正義の二文字刻まれたコートをはためかせた。
それに呼応してリベルを中心として尋常ではないほどの重圧が駆け抜け、押し潰す。
張り詰めるような静寂に覆われた戦場。
その中でリベルが喝破する。
「勇壮なる海兵達よッ! 立てッ!!
己が正義を胸に抱き、敵を打ち払いて、我らの勝旗を掲げるのだッ!!」
静寂の後にあったのは、耳を覆うほどの感情の爆発。
――――ウォオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!
リベルの言葉に海兵達は喚声を上げた。
クレスの登場により硬直してた戦場は、武帝の一声により再び動き出す。
依然として勢威を失わぬ海軍の精鋭達。
背後に控えた5人の中将達が指揮する黒鋼の戦艦。
そして、生ける伝説の一人、<武帝>アウグスト・リベル。
状況は依然として絶望的だった。
だが、海賊達は誰一人としてそうは思っていなかった。
「ロビン、やれるか?」
クレスは傍らのロビンに問う。
「ええ、当然。クレスは?」
「問題ない。
だが、まさかリベルのおっさんを相手にすることになるとはな」
「心配?」
「いや、お前のことを信じてる」
「あら、いつもなら私に下がってろっていうのに」
「まぁ……そう言って、カッコつけたいのも山々なんだが。
おれ一人じゃ、どう足掻いたところで勝てる気がしないからな。
その、なんだ。カッコ悪くて申し訳ないんだが、……助けてくれ」
「ふふっ。ええ、喜んで。
……安心したわ。もし一人で戦うって言ったら怒っていたもの」
「それはよかった。お前を怒らせると怖いからな」
「あら、酷い言い草ね」
「悪かったって」
クレスは指先に力を込めた。
瞳が鬼火ように燃え、自身たちを取り囲む敵を視界に収める。
その隣でロビンが腕を交差させ、いつでも能力を発現させられるように身構えた。
仲間たちもまたそれぞれの武器を構え、戦闘準備を整える。
「クレス、……私はあなたに守られてばかりいるのが悲しかった。
私の為に、あなただけが傷ついて、苦しむことが、どうしようもなく嫌だった」
「……そっか。おれはお前が苦しむくらいなら、自分が苦しむ方がいいと思ってる。
今もなおな。きっとこの気持ちは変わらない。そして変えるつもりもない」
「そうね、分かってる。それがクレスだもの。
だから、私が変わるわ。強くなって貴方を守ってあげる」
「じゃあ、おれはお前に守られないように強くならねェとな」
「意地悪ね」
「アホ、当然だ。男としてそれだけは譲れねェだろ」
クレス達を取り囲む海兵達はジリジリと前進し、少しずつ距離を詰めにかかってきた。
始めの乱戦で海賊たちの強さを思い知ったのだろう。
戦に猛る肉体を制御し統制を取る姿は、流石の一言に尽きる。
いや、それ以上にリベルと言う絶対的な将の影響が大きいのだろう。
この場に揃った海兵たちは皆、強者ぞろいだ。
いくら海兵と言え、力を持ち、己が強者だと自覚すればどうしても自己が出てしまう。
それらを遍く律しさせ、個々に全の一であることを自覚させる。
それでいて、その個性を殺すことなく十全の力を発揮させる。
もしこれが乱戦でなければ状況は更に厳しかったであろう。
リベル自身の強さに埋もれがちだが、リベルの強さは個人技だけではない。
自らが将となり指揮した戦いにおいても無双を誇っていた。
「……どう考えても勝機なんて無い筈なんだがな」
クレスは自嘲気味に呟くと、周囲へと視線を移す。
どっしりと刀を構え、鋭い眼光で敵を射抜くゾロ。
<完全版・天候棒(パーフェクト・クリマ・タクト)>を帯電させたナミ。
巨大パチンコ<カブト>を引き絞ったウソップ。
左腕のギミックを海兵たちに向けたフランキー。
離れた場所では、最後の力を振り絞りながらルフィがルッチと睨み合っている。
この場にはいないが、サンジもチョッパーもそれぞれの戦いに身を置いているのだろう。
それを思うと、胸の内が熱くなり更なる力が生まれてきた。
「まったく、なんでなんだろうな」
戦場に緊張は最高潮に達しようとしている。
海兵たちの包囲は狭まり、あと一歩でも踏み入れれば海賊たちの領域に入る。
張り詰めた糸のような緊張。
この糸が途切れた瞬間こそが雌雄を決する時だ。
「負ける気がしねェ」
「私もよ、クレス」
すぐ傍でロビンが微笑んだ。
その瞬間、海兵たちが一斉に海賊たちの領域へと足を踏み入れた。
張り詰めた糸は途切れた。
怒号を上げながら海兵たちは武器を振り上げ、続く一歩を踏み出し、駆ける。
対し、海賊たちも地面を蹴った。
今、雌雄を決する最後の戦いが始まったのだ。
「行くぞ、てめェ等ッ! ここが正念場だ! 気合入れろッ!!」
「恐れるな! 相手は少数、落ち着いてかかれッ!!」
ゾロと海兵の怒声が重なる。
海賊たちは不屈の意志で立ち向かい、海兵たちは数の優位による制圧を仕掛ける。。
激突の瞬間より、海兵たちの方が圧倒的に優位にあった。
数は減れども、海兵たちは未だ大群。
個々を孤立させ、確実に個人を撃破する。
そうすれば勝利は確実だ。
しかし、海賊たちは迫りくる海兵たちをものともせずに戦っていた。
「おのれ、海賊風情がッ!」
「怯むな! 依然として我らが優位!!」
海兵たちを切り伏せるゾロ。
天候を自在に操り翻弄するナミ。
的確な援護射撃で敵を打つ、ウソップ。
全身に仕込んだ兵器で敵を薙ぎ払うフランキー。
その動きは疲れがある筈なのに、先ほどよりも鋭い。
ここを孤立させようとする海兵たちの試みは届かない。
バラバラに戦っているように見える海賊達は、一番深いところで強く繋がっている。
その絆は決して断ち切れるものではなかった。
そして、特にその中でも海兵達の目を釘付けにしたのは、クレスとロビンの二人だった。
「なんだ、この二人ッ!?」
「バカな……強い、強すぎる!」
「誰でもいい、あの二人を止めろォッ!!」
魔風が駆け抜け、妖花が舞い踊る。
圧倒的な速さと強さでクレスは止まる事無く駆け抜け、海兵たちを打倒する。
その疾走を阻む者はいない。
なぜならば、クレスの進行を阻もうとした海兵達の悉くがロビンの能力により阻害または排除されているからだ。
ならばその原因を取り除こうと、隙を狙った海兵がロビンを襲うも、いつの間にかクレスが現れその背を守り、怯んだ所を咲き誇った腕により関節を砕かれる。
誰も触れることができない。
驚異的なコンビネーション。
いや、コンビネーションと言う言葉で表していいのか。
二人はまるで一つの生き物のように、蠢き、守り合い、敵を討った。
余りにも強い。
強すぎた。
「懲りない人たちね」
「全くだ。全員吹き飛ばしてやろうか?」
互いに背中を預け、クレスとロビンは笑う。
周りを囲む屈強な敵兵達を全く意に反した様子もない二人の姿に、海兵達は戦慄を隠せないでいた。
――――オハラより悪魔の血を引く二人の鬼子が逃げ出した。
その二人は人々を惑わせ、破滅を呼び寄せるのだと言う。
所詮は噂と、自身の掲げる正義の強大さを信じて疑わなかった海兵たちは思い知る。
悪魔の血脈を受け継いだ魔性の女、ニコ・ロビン。
それを守護する気狂いの番犬、エル・クレス。
「オハラの、……悪魔達ッ!!」
呆然と一人の海兵が呟く。
次の瞬間、その海兵は全身に咲き誇った魔性の腕に拘束され、鬼火を灯した番犬に吹き飛ばされた。
「……やはり、私が出るしかないようだね。
二人揃ったところで、更に手が付けられなくなっているようだ」
海賊と海兵の乱戦を後方より静観していたリベルが動く。
状況はあり得ないことに海賊たちが優勢だった。
海賊達個々の戦闘力もそうだが、何よりもクレスとロビンの力が凄まじい。
200名からなった海軍屈指の精鋭達がいいように弄ばれていた。
「実に面白い。
ならば試すしかあるまい。
あの子らは我が武技に比肩しうるのかを」
圧倒的な重圧を持って、リベルが一歩を踏み出す。
その瞬間、誰もがその存在を刻みつけられた。
割れる人波。開く道。
入り乱れる乱戦の最中を気に止めることもなく、リベルは悠然と歩を進めた。
「ロビン、行くぞ」
「ええ、分かってる」
悠然と歩を進めるリベルの姿をクレスとロビンは感じ取る。
生ける伝説。
無双の海兵。
<武帝>アウグスト・リベル。
余りに強大すぎる力でクレスを打ちのめした男。
クレスだけならば命を賭しても決して届かない。
だが、二人なら必ず届く。
「<時幻虚己(クロノ・クロック)>」
クレスの瞳が紅く瞬き、その光が収縮していく。
時は幾重にも歪み刻まれ、圧縮される。
緩慢すぎる時の中で、クレスはロビンに呟いた。
「任せた」
クレスの肉体が僅かに沈む。
細胞の一つ一つが熱を持ち炸薬のように爆発した。
直後、クレスの体は余りの速度に掻き消えた。
「来るか、クレス君」
爆発的な速度を叩き出したクレスに対しリベルが構えを取る。
再度対峙する二人。
だが、その結果は火を見るより明らかだ。
例え、命を賭そうともクレスではリベルには敵わない。
それほどまでに両者の実力は隔絶されていた。
しかし、クレスはそんなこと百も承知だ。
「うおおおおおおおおおッ!!」
両者の間合いは一秒も待たずにゼロとなった。
突き出されるクレスの拳。狙いは胸元。
絶望的だが、それでも勝機はゼロではない。
六王銃を受けたこの部位ならば、突き崩す可能性がある。
しかし、それがどれだけ厳しい道のりか知らぬクレスではない。
だが、今ならば必ず届く。
その核心をもって、拳に力を込めた。
迫りくるクレスに対し、悠然と、刹那の時の中でリベルがクレスに合わせるように神速の拳を突き出す。
その一撃は全てを飲み込む豪風。
後から突き出されたはずの拳は、世界の理すら平伏させ、クレスへと迫った。
打ち合えば、自身は敗北する。
分かりきったことだ。
刹那にも満たないその瞬間、クレスが笑みを作った。
「ぬッ!?」
その瞬間リベルは目を見開いた。
異変は同時に起こっていた。
一つはクレスの姿。
何の異変もなかった。
リベルは既にクレスの動きの全てを見切っていた。
“武”の頂点に立つリベルに同じ技は通じない。
リベルに一撃を与えた<時幻虚己(クロノ・クロック)>をもってしても、一度見た以上は、十分に対応できる。
故に、如何に時を欺こうとも、クレスの動きをリベルが見逃すことはない。
だが、クレスの動きはリベルの予想をまたも上回った。
美しい花弁が舞い踊る。
直進していたクレスは急激な方向転換によって、幻影のように霞み消えた。
その姿は瞬く間にリベルの側面にあった。
心臓を直接狙えるその位置は、クレスにとってはこの上ない好機だった。
「おおおおおおおおおおおおおッ!!」
クレスから雄叫びが迸る。
まるでそうなることを分かっていたかのように、渾身の拳を突き立てる。
だが、恐るべきことにこれでもなおリベルには対応が可能だった。
リベルの間合いはある意味、聖域だ。
何人も侵すことを敵わず、手を出すことすら拒まれる。
しかし、リベルは動くことが出来なかった。
不動の大樹のようなリベルの肉体。
その全身を無数の腕が拘束していたのだ。
「……ッ!!」
直後、突き刺さるクレスの拳。
心臓めがけて放たれた渾身の拳は見事リベルに突き立てられた。
リベルの肉体が衝撃によって浮き上がり、地面を削りながら後退する。
そして僅かに顔を歪める。
美しい花弁が辺りに舞っていた。
「……よもや、再び傷を負うとはね」
称えるようにリベルは言葉を成す。
その眼前には不敵に笑うクレスとロビンの姿があった。
「……ロビン君の能力で方向を変えたか」
「さっきまでと同じだと思うなよ、リベル。
おれはロビンがいるだけで軽く百倍は強くなる」
挑発とも取れるクレスの言葉。
だが、そこに偽りは一つもなかった。
今の一撃の身においても、クレスとロビンの驚異的な動きを見せた。
目視することすら不可能なほどに加速したクレス。
それをロビンは、絶妙なタイミングで方向転換させ、リベルの死角へと移動させた。
恐らくロビンにクレスの姿は見えていなかっただろう。
しかし、自らの感じたまま、クレスが望むタイミングでクレスが望む場所に導いた。
導かれたクレスは何一つ疑うことなく、分かっていたかのように、渾身の拳を突出し、リベルに一撃を加えた。
見事なまでの信頼関係。
何処までも強固に結びついた二人を阻むものなどこの世には存在しない。
その力は己が“武技”にも匹敵しうる。
リベルはそこまで悟り、それでも快活に笑った。
「それもまたよい。
だが私に勝てるとは奢らぬことだ」
「じゃあ、見せてやるよ。おれ達の“強さ”を」
瞬間、世界を置き去りにするようにクレスとリベルは動き出した。
打ち合わされる拳。切り裂く襲脚。舞い散る花弁。
霞むほど速く。
瞬くほど苛烈。
そして、震えるほど勇壮。
「ハァアアアアアッ――――!!」
「オォオオオオオッ――――!!」
拳と拳がぶつかり合う。
力と意志が炸裂する。その度、無数の花弁が舞った。
満身創痍の筈のクレスはロビンのサポートを受けて、幾度もリベルに襲い掛かった。
その全てをリベルは捌ききり、クレスを打倒すために拳を振るった。
リベルにとってもはやクレスは勝利したも同然の相手だ。
体、技、策。
その悉くをリベルは掌握し、下した。
しかし、何処までもクレスは食い下がってくる。
目に見えぬ翼によって、頂に立つリベルの元まで駆けあがるように。
「「嵐脚」」
弾かれるように離れ、同時に真空の斬撃を見舞う。
師と弟子。
かつて磨き磨かれた関係の二人は、まったく同じ動きを取った。
「「断雷十字ッ!!」」
静寂を駆け抜ける神速の十字刃。
対極より放たれた二人の斬撃は、中心に置いて響きあう。
だが、均衡は一瞬。
純粋な技ではクレスは敵わず、リベルの前に敗北する。
迫りくる斬撃を掻い潜り接近しようとするも、僅かにだが、リベルの嵐脚が早い。
体制を崩せば避けられないことはないが、そうすれば肉薄してきたリベルに倒される。
絶体絶命だ。この状態で勝利など夢のまた夢。
だが、クレスにとってそれは些細なことでしかなかった。
「六輪咲き(セイスフルール)」
クレスの背中から、まるで翼のように腕が咲き誇った。
咲き誇った腕はクレスの意志をくみ取るかのように、避難させ、同時に体制を整えた。
絶体絶命から一転、万全の状態でリベルと対峙したクレスは渾身の力で拳を振るった。
狙いはまたも左胸。
ただ一点に落ちた雨水が積り重なり石を穿つように、ただ一念を込め攻撃を放つ。
だがそんなもの、リベルから見ればこの上ない愚行だ。
武の頂点に立つリベルに、同じ箇所を何度も攻撃する。
これがどれだけ不可能に近いものか。
「ッ!!」
しかし、クレスの攻撃はリベルに届いた。
絡み付く薔薇のように、一瞬であるがロビンの腕はリベルの動きを封じることができる。
その一瞬の隙をクレスが生かした。
「なんと……眩しいことか」
戦いの最中、リベルは相対すクレスとロビンの姿に見とれていた。
単独では決して自らに勝利し得ない二人。
その二人が協力することで、自らに匹敵しうる力を得ているのだ。
海は何処までも広い。
在る者は一撃のもとに天をも切り裂き、在る者は一撃において大地を震わす。
純粋な“力”や“能力”ならば、リベルよりも優れている者は数多くいる。
そんな強者が跋扈する“偉大なる航路”でリベルが無双の誉を受けたのは、一瞬を制する力が突出していたからだった。
間合いを制し。心を制し。先の先を取る。
この“武人”としての強さがリベルを無双足らしめる最大の要因だった。
「人は、想いとは、斯くも強くなれるのか」
クレスではリベルに対し一瞬を制し得ない。
ロビンでは一瞬を奪えても、後に繋げることができない。
しかし、この二人が完全に組み合わされればどうだ。
ロビンはリベルの一瞬を奪い、クレスはリベルの一瞬を制す。
そこに一部の隙も綻びもない。
互いに互いを感じ取り、相手の望む行動を行う。
目ではない。
耳でない。
肌でない。
想い合う“心”でそう感じ取る。
同調(シンクロ)。
完全なる一致。
今、クレスとロビンは二人で一つの存在として完成している。
それほどまでに、心が強く響きあっている。
「ならば……ッ!!」
再び迫りくるクレスを前に、リベルは尋常ではない力強さで地面を踏み込んだ。
その瞬間、リベルを中心として波紋のように衝撃が広がり吹き上がる。
己を中心として描かれる“武”と言う真理。
絶大なる武を中心に巡る、世界の理。
六王銃“曼荼羅”。
絶対なる武の真理は、曼荼羅に乗る全てを破壊した。
「見事、私を超えて見せよッ! オハラの子よッ!!」
半壊した橋上でリベルは喝破する。
その峻烈な視線の先に、クレスとロビンの姿があった。
満身創痍ながら立つ姿を見れば、リベルの攻撃より辛うじて逃れたのだろう。
「行くぞ。これが最後だ」
クレスとロビンの姿を満足げに一瞥し、リベルは腰だめに拳を構えた。
六王銃“覇撃”。
クレスを敗北を刻んだ、絶対なる覇者の一撃だ。
「勝つぞ、ロビン」
「ええ、クレス」
その拳を前にしても、クレスとロビンは怯むことはなかった。
静かなる闘志を燃やし、一致した想いでリベルと相対す。
「六式奥義」
浅い息を吐きながら、クレスが両腕を持ち上げる。
鋭い意志と共に、体の中心で巨大な銃口として腕を構えた。
「百花繚乱」
同時にロビンが腕を交差させ、能力を発動させる。
直後、クレスの背後より無数の腕が咲き誇った。
「ずっと気になっていたことがあるんだが、教えてくれるか?」
クレスは必殺の一撃を放とうとする師に問いかけた。
それは幼少よりクレスが疑問に思い続けていたことだった。
「アンタ、なんでいつまでも“少将”でいるんだ?」
若き時よりその将来を嘱望され、“大将”どころか“元帥”候補とまで称された男。
その男がなぜ、少将と言う位置に長年甘んじているのか。
クレスは何故か、その理由が知りたかった。
「単純な話だよ。
それが私にとって何よりも大切だったからだ。
地位でも名誉でもない。仲間でも友でもない。
私にとっては、“少将”と呼ばれる。それだけが、何よりも重要なのだ」
リベルは僅かに口元を緩ませると、懐かしむように笑った。
その表情にクレスとロビンが見たことのないものだった。
「それは……」
「これ以上聞きたければ、私に勝利して見せなさい」
手厳しいな、とクレスは苦笑した。
「それでは終わらせようか。
私と君たちとの闘争を。覚悟はいいかね?」
「おれ達は勝つ」
「そして、明日を生き続ける」
「ならば、良し」
まるで日常の一部のように、三人は会話を終えた。
不夜島の陽光が瞬き、三人を照らす。
周囲の喧騒が他人事のように響いていた。
リベルが宣言したように、この一瞬で全てが終わる。
背景は色を失い、音がか細く消えていく。
何もかもが消失したような白けた世界で、クレスとロビンはただ互いの心を感じていた。
「――――――――」
不意にリベルが動いた。
いや、正確には動いていたというのが正しいのだろう。
世界をも平伏させるリベルの絶技は、世界の理すら凌駕する。
刹那をも刻まず、絶対なる帝王の拳は振るわれた。
「六王銃“覇撃”」
それは武を極めた覇者の拳。
絶対なる帝拳。
衝撃が瞬く間にクレスを襲い覆い尽くした。
「六王銃“楯為(たてなし)”」
クレスの両腕より衝撃が放たれる。
放たれた衝撃は、両拳を中心として、クレスの前面を覆った。
その類稀なる戦術眼でクレスはリベルの一撃を見抜いていた。
その比類なき一撃は余りに速く、驚嘆するほど豪壮。
故に、如何なる防御も回避も不可能となる。
ならば、その一撃を防ぐには同等の技をもって拮抗する他はない。
六式奥義≪六王銃≫。その真髄とは“衝撃の発揮”。
ならば、全てを薙ぎ払う一撃は、全てを阻む楯となりうる。
攻撃とは最大の防御。
クレスとリベル、両者の一撃は拮抗し膠着を生んだ。
「ぐッ……ッあっ……ッ!!」
しかし、リベルの強さは計り知れるものではない。
如何なる対抗策をも易々と打ち砕く。
クレスが繰り出した衝撃の楯も、リベルの一撃に触れ徐々に霞んでいく。
暴虐にさらされ、傾く体。
剥がれ落ちる楯。
すぐそこにある敗北。
「クレスッ!」
しかし、クレスは一人ではない。
直後、クレスの背後に咲いた無数の腕が、翼のようにクレスの体を包み込んだ。
衝撃に触れ、散っていく腕。
無数の花びらが辺りを覆い、衝撃によって舞い踊る。
「おおおおおァああああああああああああああああああああああああッ!!」
クレスの口より、雄叫びが迸る。
大地を踏みしめ、姿勢を前へ。
幾度も限界を超え、更なる強さを手に掴む。
やがてクレスを守護した翼は消え失せた。
留められた衝撃が再びクレスを襲う。
迫りくる衝撃に、クレスは再び両拳を打ち立てた。
炸裂する細胞。
全身より衝撃は駆け抜け、突き立てられた腕より解き放たれる。
「ああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」
再度、衝撃がぶつかり合う。
打ち出された両者の一撃は歪となって絡み合い、やがて硝子のように砕け散った。
直後、クレスは強く大地を蹴り飛ばした。
「百花繚乱(シエンフルール)」
駆けだしたクレスの背中にロビンの腕が咲き誇こる。
同調した意志で、ロビンは驚異的なまでにクレスを加速させた。
「六王銃――――――――ッ!!」
クレスの肉体が躍る。
舞い踊る無数の花弁を纏い、立ち塞がる師の元へと肉薄する。
引き絞られた拳は、固い土を押しのけ高みを目指す花のように、深く深く突き出された。
「なんと……見事な」
リベルは自身に肉薄するクレスとその背後にいるロビンの姿を目に捉え、呟いた。
あのころからは考えもつかないほどに成長したその姿。
勝機など微塵にもなかったはず。
如何なる時も、逆境であり、向かい風だった。
しかし、硬く結ばれた意志の光を二人が絶やすことはなかった。
「成程、―――海賊か」
その光を導に、自由な海を渡り旅する。
例え、闇が彼らを覆おうと光が太陽を呼び寄せ、希望に向かう。
もはや、彼らを脅かすものなど何もない。
「全く、真に自由な者共よ」
クレスとリベルは刹那の内に交差した。
咄嗟に繰り出されたリベルの一撃はクレスに触れることはなかった。
対し、己が持つ全ての力を込めて突き出されたクレスの拳はリベルの胸を穿ち、衝撃の種を植え付ける。
種は固い土壌で育ち、芽吹き、蕾となった。
「――― 咲華(さきばな )―――」
そして、衝撃が―――花開く。
自身を駆け巡った一撃にリベルはゆっくりと目を閉じた。
世界を圧するほどのは重圧は消えていた。
「さっきの続き、教えてくれるか?」
拳を振りぬいたクレスが背中越しにリベルに問う。
リベルは、苦笑し振り返る事無く答えた。
「なに、単純な話だよ。
その昔、もう五十年も前のことだ。
一人の女を愛した。意地の悪い女でね、私を“少将”の位でしか呼んでくれなかった」
「海賊か?」
「ああ、だが私は彼女ほど気高い女を知らない。
馬鹿げた話だが、恋い焦がれ、その気持ちが五十年たっても変わらぬのだよ」
「なんとなく、分かる気がする」
「……そうか。
君は君の信じる道を往き、信じる者を守りなさい。
今、心に灯った心を絶やさぬことだ。
そうしてロビン君と二人、彼らと共に歩んでいきなさい。
―――それが、師として君に伝える最後の言葉だ」
「ああ、分かった」
背中越しのクレスに見せることなく、リベルは笑みを作った。
晴れ晴れとした、清々しい笑みだった。
「天晴なり、オハラの海賊達よ」
呟き、無双を誇った武帝は膝を付き、倒れこんだ。
されども、彼の背中に刻まれた“正義”文字は力強く揺らめいていた。