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No.11047の一覧
[0] 【ネタ】しにたがりなるいずさん 第一部完+番外編 (ゼロ魔)[あぶく](2011/05/23 00:59)
[1] しにたがりなるいずさん 2[あぶく](2010/04/25 20:18)
[2] しにたがりなるいずさん 3[あぶく](2010/04/25 20:18)
[3] しにたがりなるいずさん 4[あぶく](2010/04/25 20:19)
[4] しにたがりなるいずさん 5 前[あぶく](2009/11/15 22:25)
[5] しにたがりなるいずさん 5 後[あぶく](2010/04/25 20:20)
[6] しにたがりなるいずさん 6 前[あぶく](2010/04/25 20:20)
[7] しにたがりなるいずさん 6 中[あぶく](2010/08/29 14:57)
[8] しにたがりなるいずさん 6 後[あぶく](2010/09/12 16:59)
[9] しにたがりなるいずさん 7の1[あぶく](2011/01/30 18:19)
[10] しにたがりなるいずさん 7の2[あぶく](2011/01/30 18:19)
[11] しにたがりなるいずさん 7の3[あぶく](2011/03/07 23:53)
[12] しにたがりなるいずさん 7の4[あぶく](2011/05/01 22:04)
[13] しにたがりなるいずさん 番外編[あぶく](2011/05/23 01:01)
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[11047] しにたがりなるいずさん 番外編
Name: あぶく◆0150983c ID:adac3412 前を表示する
Date: 2011/05/23 01:01


 月のきれいな晩だった。






*** しにたがりなるいずさん 番外編 ***






 大陸屈指の景勝地にして偉大なる精霊の住み処、『誓約』のラグドリアン湖は、双月の加護の下、侵しがたい静寂に満ちていた。
 湖畔では、慈悲深き女王陛下の誕生日を祝し、各国の賓客を集めての大園遊会が催されている。けれど、国の威信をかけた連夜の馬鹿騒ぎも、この偉大な存在を揺るがすことはできないらしい。
 そよ風にさざ波立つ水面を、蒼の月が竜鱗の如く輝かせる。水際に連なる奇岩の一群を、紅の月が赤銅色に照らしだす。
 その岩場の陰にある浅瀬で、私はひとり、素足を遊ばせていた。
 姫様の暇つぶし相手にと招かれたものの、当の幼なじみはお呼ばればかりで私は置いてけぼり。かといって、ひとり気ままに過ごすには、あそこには“親切な”人達が多すぎて。妙ににこやかに話しかけてくる年上の貴族達を避けているうちに、いつのまにかこんなところにたどり着いていた。
 でも、どうせならもっと早くにこうしていればよかった、とも思う。こっそり持ち出した外国産の珍しいぶどうジュースを飲み、ぱしゃぱしゃと水際を蹴っていると、気分もすこしずつ上向いていく。

――そうだわ。せっかく誰もいないんだから、魔法の練習でもしましょう。

 いい思いつきだ。なにせ屋敷を出てから一度も詠唱をしていない。普段なら半日は練習にかけているのに。……きっと調子が悪いのもそのせいね。
 私はジュースを岩場に置くと、いそいそと杖を取り出した。ついで、静寂の邪魔をしないようにと小さな声でルーンを唱える。

「……デ……ル……ス……」

 その間も、足首に触れる水のやわらかな誘いが心地よい。無粋な爆発が水面を揺るがせば、より大きく打ち寄せて肌にまとわりつく。不思議な布に触れられるような、独特のくすぐったさに、私は知らず知らず笑っていた。
 もしもこのまま歩を進め、全身をこの冷たく優しい衣に包まれたなら、どんなに気持ちいいだろう?
 幾たびも波を招きながら、うっとりと思う。

――そう、つま先から頭のてっぺんまで、水の腕に優しく抱きしめられながら、静かに沈んでいくの。深く、深く。そして……、

 背中から吹く夜風がワンピースの薄い裾をはためかせ、そっと私を促した。身のうちでふくらんだ想いに引かれるまま、一歩。舞台に踊り出るプリマのように、二歩、三歩。裸の足を踏み出す。そして、あと一歩。水の色が変わる――月明かりも照らしえない深みに至る――そのときだった。

「そこでなにをしている」

 低い声に、ぎょっと身をすくませた瞬間、私は無様にその一歩を踏み抜いていた。
 ざぶん!と落ちて、つま先から頭のてっぺんまで一気に冷たい水に包まれる。思っていたよりずっと激しい水の愛撫に、背筋が震える。
 気がつけば、喉の奥底まで一息に水が入りこんでいた。ごぼっと音を立てて、空気が吐き出される。ごぼ・ごぼ・ごぼ、とあふれる、泡・泡・泡。水面に向かうそれを、ぽかんと口をあけたまま見送る、その私の顔を、白い布が覆った。スカートの裾だった。落水の勢いが強すぎて、めくれあがってしまったらしい。私は(後になって思えばなんとも馬鹿げた羞じらいにかられて)それを押さえこもうと手を動かした。けれど、裾はその努力をあざわらうようにさらに広がる。
 わたわたしていると、のびてきた手に襟首を掴まれた。

「……どんくさい娘だ」

 的確な表現とともに、強い力で引き上げられる。勢いでキュと襟が絞まるものの、一瞬でそれはほどけてしまい、放り出された先は、ごつごつと素っ気ない岩場の上。手足をつく。
 生きている……。
と、落胆するひまもなく盛大にむせる。肺の底まで這入り込んでいた水が、無理やりに出て行こうとしていた。意思の力で引き留めようにも、胸が鼻が喉が熱くて痛くて苦しい……。

 ……うぅ。

 ようやく治まったころには疲れはて、弱々しくうなるしかできなかった。みっともなくも岩場に這いつくばったまま、溺死はなるだけ避けよう、と心に決める。だって――たしかにその瞬間は心躍ったし面白かったけど――窒息ってけっこう苦しいんだもん。

――苦しいのは嫌だわ。

 そんな意気地なしを、そのひとはじっと観察していた。
 そういえば、そもそもなんで、こんなお節介を受けないといけないのかしら? 不満と疑問を抱えながら、手元にかかる蒼い影をたどる。そして私は、はっと息を呑んだ。そこに立っていたのは――、



 びっくりするほどかっこいい紳士だった。



――うわぁ……。

 思わず感嘆しながら、まじまじとそのひとを見つめる。
 こちらが岩場にへたり込んでいるせいもあって、その背はずいぶんと高く感じられた。年は、お父様よりもいくぶん若いくらいかしら……?
 にもかかわらず、その立ち姿には、公爵である父に勝るとも劣らない威厳があった。私が一目で気に入った男性的で整ったお顔も、高貴なご身分の方らしい無表情のまま、その裡の思考や感情を示すものは一切ない。
 ひるがえって私の方はといえば、さぞかし間の抜けた顔をしていることだろう。どうしてかわからないけど、一目見たきり、まったく目が離せなくなっていた。不躾と知りながら、ついまじまじと見つめてしまう。それほどに、心惹かれている。魅入られている。……ほんと、どうしてなのかしら?
 私は再び、はっと気がついた。

――そっか! 私ってメンクイなのね。

 思いがけない発見だった。いえ、実を言えば13年ばかし生きていて薄々気づいてもいたけれど――こうもはっきりと自覚したのははじめてだわ。あんがい、自分のことってわからないものねぇ……。

 なんて、のんきにバカなことを考えている私を、そのひとは変わらず、昂然と見下ろしていた。その背から照らす蒼の月が奇妙に眩しい。

――こんな狙いハズレの『釣果』に、なにを考えていらっしゃるのかしら……?

 そんなことを思いやって、ようやく我に返る。
 かえりみれば、私はびしょ濡れだった。頭から全身ぐっしょりと濡れて、薄地の布は透けて肌にピタリとはりついている。おかげで、私の幼稚な体つきが丸わかりだ。

――……どうしよう、はしたないわ。

 居たたまれなくなった私は、そそくさと逃げ出そうとした。
 ところが、呆気なく捕まってしまう。再び襟首を捕まれて、軽々と持ち上げられる。じたばたと足を動かそうにも、濡れた裾がまとわりついて自由にならない。まるきり、釣り上げられた魚だった。
 けれど、そんな醜態は気にも留まらないようで、そのひとはしげしげと私の顔を眺めた。蒼い瞳――まるで真昼でも暗い、湖の深いところみたいな。
 いままで出会ったどんなひとよりも印象的なその眼差しに、私は思わず動きを止めた。

「それで、お前はこんなところで、なにをしていたのかね?」

 改めて問う声は優しげだ。吊り下げられたまま、私はおずおずと答える。

「まほうのれんしゅうを、しておりました」
「水の中でか?」
「……音がひびきませんから」

 答えながら、そっと上目遣いに伺う。
 間近に向き合えばなおのこと、その畏き身分は明らかだった。瞳と同じ色をした髪と髭も、どこかで見たことがある。きっとこの園遊会のどこかの会場で。

――でも、あんまり気にしなくていいみたい……。

 少なくともこのひとは、私に社交界的な礼儀作法など求めはしないだろう。それはその、印象的に非人間的な眼差しを見れば、すぐにわかった。

 やっぱり、釣り上げられた魚、その程度。

 で、その『魚』のなにがこの高貴な方の興味を引いたのか。いつのまにか私は「まほうのれんしゅう」の実演をすることになっていた。
 逆らえず、浅瀬に戻って杖を構える(あの騒動のあいだも、まだ手に握ったままだった)。一方、そのひとは頭上の岩場に無造作に腰掛け、ご観覧。
 視線がものすごく気になったものの、ひとまず私は杖に意識を集中し――なるだけ遠くめがけて――ルーンを唱えた。唱えたのは『錬金』。いつも通り、どん!と空気が爆ぜる。飛沫が顔にかかって、冷たい。
 そして……それだけだ。見せ物にしてはあまりに呆気なく、つまらない。無言の間に、もういいのかと思って杖を仕舞いかけたとき、そのひとは言った。

「――発声はいいが、タイミングが悪いな。練り込んだ力を切り換えるタイミングがすこし早い」

 突然の魔法指南。でも、指摘はもっともだった。私は言外に促されるまま、改めて杖を構えなおした。慎重に力を練る。
 それから、幾たびか実践と指南が繰り返された。発音の間違い、ささやかなクセ、ルーンの解釈、そういった諸々について、そのひとは明確な指摘と的確な指導を与え、そして、

「ああ、それでいい」

 しまいに、バリトンの張りのある声が告げた。

「詠唱も力の込め方も杖の振り方もタイミングも、なにひとつ問題はない。なにもかも、完璧だ」

 謳うようなその声と同時に、あたりには爆発で舞い上がった水しぶきが、ザアアア、と盛大な音を響かせている。いつも通りの爆発。にわかの雨を頭からかぶりながら、私は小さい頃の水遊びを思い出していた。……ちょっと楽しい。
 笑っていたら、見咎められた。

「なにを笑う?」

 なにを? 一瞬、真剣に悩んでしまった。楽しかったからか、嬉しかったからか。

――強いて言うなら、その両方かしら……?

 いまだにおさまらない波に足をとられながら、思う。
 今まで、ここまで導いてくれた人はいなかった。教師達はたいてい、途中でいなくなってしまった。最後のひとりもそう。はじめは本当に熱心に教えてくれたけど、私が今と同じくらいきちんと詠唱できたとき、無言で去ってしまった。直すべき箇所も直すための方法も教えてくれず。両親には、私の無能は永遠の宿痾だと告げて。
 だから、最後までつきあってくれて、本当に助かったし嬉しかった。ただの一度も成功したことがない私にも、これが『完璧』なんだってわかったから。
 『完璧な詠唱』、その結果が相変わらぬ『失敗ばくはつ』であっても。……それは、まあ、どうでもいいっていうか。
 いまさら、そんなことに期待も絶望もしない。

 私は水面をぼんやりと眺めた。遠くに二つの月が映っていた。

――今度はあれをねらってみようかな?

 不意に寒気が走って、くちん、と小さなくしゃみが出る。ずぶ濡れのまま夜気にさらされたせいだろう。肩を震わせていると――なぜか体が勝手に移動して、いつのまにか岩場に戻っていた。(……魔法?)ぽかんとしているうちに、上着が差し出される。

「あ、あの――?」
「着なさい、風除けくらいにはなろう」

 こんな立派な御召し物を汚すわけにはいかない、と思ったけれど、断ることもできない。ぶかぶかの夜会服は、肩に羽織ると、お父様のみたいな上品なコロンと高級な葉巻の匂いがした。
 汚さないよう精一杯気を遣いながら、促されるまま、そろそろと向かいに腰を下ろす。

「飲むといい」

 差し出されたグラスは黄金色の液体で満たされていた。

「私、おさけはあまり――」

 食前酒くらいしか飲めないと断ると、彼は不思議そうに、例のジュースの入っていたボトルを示した。……『練習』していたときに見つけたらしい。ちょっと恥ずかしく思いながら、答える。

「それはぶどうジュースですわ。甘くて、ふわっとしてて、とってもおいしいんです」
「……ふむ」

 彼はすこし面白がるような顔をすると、唐突にゲルマニアの話を始めた。
 なんでも、ゲルマニアの北の方ではあまりの寒さに、枝に生った葡萄の実がそのまま凍ってしまうことがあるそうだ。そしてその凍った実からワインを作ると、独特の甘みを持った逸品になる。その飲み口はすっきりとしているが、酒精が多分に含まれており、気づかぬうちに酔いが回るので、ゲルマニアの貴族などはよく女を口説くのに使うらしい――。
 などと語る、端正な声質に私が聞き惚れていると、そのひとは小さく嗤った。

「まあいい。実は連れに置いていかれてな、少々時間を持て余している」
「はい」
「ここで出遭ったのも奇縁だ。すこし付き合いなさい」

 そうと言われて、否やはない。再度渡されたグラスを受けとり、私は彼と向き合った。けれど、

「……なにをいたしましょうか?」

 親子ほどに年の離れた相手の暇つぶしになりそうなことなんて、思いつかなかった。それで素直に尋ねれば、相手は意外なモノを求めてきた。私の話が聞きたい、と。

「私の……?」
「ああ。おしゃべりは嫌いかね?」

 からかうように尋ねる声はとても優しく、甘やかだった。

――……まるで、このお酒みたい……。

 私は熱くなる顔を隠すように、そそくさと杯を傾けた。
 いただいたお酒は、先程のジュースよりもずっと甘くて濃かった。腐りかけた果実のような、濃厚な蜜の味がする。一口飲むたびに頬は赤くなって、濡れた体もぬくもって――……おいしい。
 調子に乗ってさらに杯を重ねれば、月が煌々と輝き、腰かけた岩場もふわふわと湖上に浮かぶ――なんだか全てが楽しくなった私は、目の前の方にふふふと笑いかけながら、おしゃべりを始めた。
 この園遊会のこと。忙しいおともだち。宴席で見かけた大人達のいろいろ。参加したかった珍しい催しもののあれこれ。
 ……やくたいのない話だ。なのになぜか、そのひとは熱心につきあってくれた。こんな風に男のひとに話を聞いてもらったことのない私は妙に嬉しくなって、どんどん饒舌になった。同時に、話の内容もどんどんとりとめがなくなる。
 ここに来るまでに通った土地のこと。道々に見た風物。農民達の不思議なふるまい。郷里の人々。お屋敷の作りと、自慢の美しい庭。使用人達の勤勉さと堅苦しさ。それから、一緒に住まう家族のこと。
 領民に愛される父。使用人達が崇拝する母。学院で首席になった優秀な長姉。その彼女が、この園遊会のためにドレスをこしらえたときの、ちょっとした笑い話。
 それから、それから――だいすきなちいねえさまのこと。

「ちいねえさまは、お体がとてもよわいんです。だから、領地のそとにでることもできないし、まほうだって使ってはいけないの。でもね、ちいねえさまはいつも笑っているの。すごいでしょう?」

 ふふふ、とどこかでだれかが笑っている。無邪気ににこにこと笑いながら、お話しをしている。私はそれをどこか遠いところで聞いている。

「お美しくって、おやさしくって、いきものの世話がとてもおじょうずで――森のどうぶつもけがをしたら、ちいねえさまのところにやってくるの。そして、ちいねえさまは、そういうこたちをみんな治しちゃうのよ。ね、すごいでしょう? すごいでしょう?」

 我が事のように勢い込んで自慢しながら、その実、なにを話しているのか、だれに向かって話しているのか、わからなくなって、私は空を見上げた。ああ、そうか。きっとあの蒼い月に向かって話しているんだわ――。
 だから、それに向かって笑いかけた。

「私ね――」

 か細い声が夜に飲み込まれていく。

「あのひとのようになりたかったの」






 水を打ったような静寂に、私は我に返った。

――……あれ? えーっと……なにを話していたんだっけ?

 首を傾げたものの、継ぐ言葉も出てこない。だから代わりに視線を巡らせて、ぼんやりと対岸を見つめた。
 この湖は国境なので、あの辺りはもうよその国になる。なんて土地かは知らないけれど、きっとこちらと同じように、あそこにもたくさんの人が住んでいるだろう。けど、今は灯火のかけらも見えない。虚ろな穴のようなぽっかりとした闇が広がるばかりで。

 双月を抱いた水面だけが、奇妙なほど明るかった。

 もっとよく見ようと立ち上がると、肩から上着がずり落ちた。重石のとれた体がふらふらと前に進み、岩場の先から湖を覗く。そのまま頭から、くるり、とさかさまに落ちる。暗い水の奈落へ。どほん!!と沈み――始めるよりも早く、またも襟首を掴まれて引き上げられた。

――……レビテーション? それともフライかしら?

 なんとなくどちらも違う気がしながら、私は顔をあげた。前髪からしとどに滴る水越しに、再びあの眼差しを見る。

「不満そうだな。そんなに死にたかったか?」
「!」

 直截で不躾な言葉に、全身からさっと血の気が下がった。

「ち、ちちちちがうわっ!」

 あわてて叫べば、上擦る声。ずぶ濡れの曇った視界の中で、男が嗤う気配がする。なにが違う?と。そんな相手の態度に、私はますます必死になった。

「ちがうったら、ちがうの! そんなんじゃないのっ……そんなんじゃ……そんなこといっちゃだめなんだからっ」

 ぶんぶんと大きく首を振り――そのせいでくらくらしながら――訴える。

「だめなの。だって、そんなこといったら、ちいねえさまが……ちいねえさまは、いつもごびょうきで苦しんでいらっしゃるの……でも、笑っていらっしゃるの……だから……だから……そんなこと、いっちゃだめなんだから……っ」

 かすれた声で、あえぐ。

「……そんなこといったら……きらわれちゃう……」

 がくがくと膝が震え、吐き気がこみ上げる。全身が震えていた。なのに、金縛りにあったみたいに動けない。寒い。濡れた体に張りつく服が気持ち悪い。でも、どうしたらいいのか、なにをしたらいいのか――なんでこんなに怯えているのか――なにもわからないまま、ただ無様に震えている。

 ……それでも、もしも。もしも、だれかが手をのばして、この濡れそぼった体を抱きしめてくれたなら。或いは、この凍りついた頬をひとつ叩いてくれたなら。そうすれば、私もこんな風に震えるだけじゃなくて、もっと別のことを思い出していたかもしれない。別の……たとえば、そう、泣き方とか……。

 けれど、そのひとは何もしなかった。きっと、だからこそ、何もしなかった。
 ただ、おとなげなく笑った。

「小さいな」

 呵々と笑う。

「小さい、小さい。なんとちっぽけな悩みだ。卑しくみっともない性根だ。くだらん」

 朗々たる声で容赦なく切り捨て、それから言った。

「だが、わかるぞ」

 蒼く濁った瞳が私を覗き込む。

「ああ、そうだ。いるな。どうしようもなく、いるな。ただそこにいるだけで、どうしようもなくこの身を苛むものが。なにをされたわけでもなく、なにができるわけでもない。ただ見るたびに、聞くたびに、胸が張り裂けそうに痛んで。たしかに愛おしいのに、そばにいるだけで息もままならぬ。苦しくて、気が狂いそうなほど苦しくて、あまりの苦しさに、もう愛しているのか憎んでいるのかさえわからない」

「そういうモノがいるんだよな」

 笑う。笑いかける。その笑みの前には月さえ霞むようで――私は声を発することもできなかった。

「……ふむ」

 やがてそんな私を見限ると、彼は視線を転じた。遠く彼岸を見つめる。先程の私のように、何もないそこを見つめながら独りごちる。

「そうだな……確かにそういう道もあった。お前のようにすることもできた」

 その横顔を、見入る私の背を、沈黙する湖面を風が渡っていく。

「愚かな話だ」






「なあ、『死にたがり』の娘よ」

 しばらくして掛けられた声は、びっくりするほど優しかった。

「そう思い悩むな。いつか必ずお前の願いは叶うだろう。お前が死ににいくことを皆が認め、お前の死を誰もが望む、そんな瞬間は必ずやって来る」

 確信に満ちた口ぶりで、ひそやかに笑い、言い放つ。

「そのための舞台を、俺が作りあげてやろう」

 きょとんとしていると、優しく目を細めて、私の頭に手をのばした。

「だから、それまで良い子で待っていなさい」

 まるで幼い子にするようなそのしぐさに、頬が熱くなる。思わずへたり込んで、その手から逃れていた。ごつごつとした岩場に手がついて、ちょうど最初に出遭ったときの構図になる。
 その姿勢のまま混乱する頭を抱えていると、彼が言った。

「……美しいな」
「?」

 聞き間違いかと思って顔を上げれば、そのひとは私のブロンドを示した。

「濡れた髪に紅の月が映えて、まるで、血を被ったようだ」
「え――」

 その瞬間、ぐにゃりと世界が歪んだ。ア、と身構える間もなく、硬い岩場も、まばゆい月明りも、奈落のような水面も、なにもかもが渦巻き、私を飲み込んだ。
 ふだんの貧血を、ずっと酷くしたようだった。熱と悪寒に震える頼りない体に、喉をせばめる吐き気と、意識を失う直前のとろけるような陶酔が一緒くたにこみ上げる。なすすべもなく、翻弄される。けれど、そこには恐怖と嫌悪よりも、不思議な安堵があった。
 混濁した意識が、私にあることをささやく。まるで啓示を受けるように、私はそれを思い出す。

――ああ、そうだわ。ここは……。

「……どうして……」
「うん?」

 かすれた声が、無意識に尋ねていた。

「……どうして……やさしくしてくださるの……?」

 そのひとが、笑いながら答える。

「なに、たいしたことではないさ」






 蒼の月を従えて、蒼髪の美丈夫が笑う。『誓約』の湖のほとりで。









「俺には弟がいた。それだけのことだ」









*** しにたがりなるいずさん 番外編 ***









 鐘が鳴っている。
 大きな鐘が打ち鳴らされている。
 だれかがお弔いの鐘を打ち鳴らしている。
 それを私は棺の中で聞いている。


 鐘楼の直下に寝かされて。


――……ちょっと、しんかんさま……。

 なによこの位置は、と思わず棺の中で眉間に皺をよせる。ありえない。巨大な金属製の鐘のゴォオンゴォォンという音が、棺を越えて私の腐りかけた小さな頭まで揺らしている。というか、これはもう頭の中で鳴っていると言っても過言ではないわ……。とってもうるさい。ほんとうにうるさい。あまりにうるさくて、三回続けて言いたいくらい。

――うるさいうるさいうるさーいっ!!

 せっかく死んでいるのにこの仕打ちはないんじゃない、と私がうなったとき、

「あら」

 涼やかな少女の声がした。

「やっと目が覚めたのね、ルイズ。もう、おねぼうさんなんだから、」
「…………」
「ふふふ、起きていないフリをしたってダメよ。ちゃんとわかってるんだから!」

 爽やかな声のだめ出しが、鈍い頭に突き刺さる。目を覚ますならオーク鬼の唸り声の方がよかった、と思いながら、私は鬱々と瞼を押し開いた。
 とたんに、眩いほどの室内の灯りが脳髄を刺し、悲鳴をあげる。あわててもう一度、目を瞑った。……まるで吸血鬼ね。(――あの亜人達はちょっと眩しい光があれば死ねるって本当かしら。うらやましい――)
 今度はさらに慎重に、ゆっくりと薄目を開ける。

「おはよう、ルイズ。もう晩だけど」
「…………………………………………アン」

 朝日のように明るく笑う友の姿に、私はすぐさま枕に顔を押し当てる。
 すると、ひんやりとした手が額に触れた。

「ルイズ?……だいじょうぶ? やっぱりお医者様を呼びましょうか?」

 心配そうな声にいつものように首を振りかけたら、また鐘の音が頭いっぱいに響いた。今度ははっきりとした苦痛とともに。

「ルイズ――」
「だ、だいじょう……ぶ……」

 苦痛を堪えながら発した声は、声というより、その絞りかすみたいだった。

「でも――」
「……おねがい……それより……おみず……」
「わかったわ!」

 明るい声がグサリと脳天に突き刺さった。ひゃう、と思わず息を呑む。

――わ、わざとなの……?

 再び薄目を開けて伺えば、幼なじみはいそいそと杖を振って、空中から水を精製するところだった。コップいっぱいになみなみと、あふれるばかりの真水が差し出される。
 さあ、どうぞ……って。
 苦労して、こぼさないように口をつける。すこし頭を起こしただけで酷い痛みに襲われ、また悲鳴をあげた。金槌で頭を、脳漿が飛び出る勢いで殴られたみたい――しかも忌々しいことに実際に出ることはない――唸りながら枕に顔を埋めると、アンが笑いながらコップを取り上げる。

「ほかにはなにかいる? 子守唄でも歌いましょうか?」
「……アン」
「なあに? 遠慮しないでなんでも言って」

 その口調に、私は疑いを確信に変えた。

「……どうして……そんなに……たのしそうなの……?」

 友は悪びれもせずに、笑った。

「だって、ルイズがこんなに参っているとこ、初めて見たんだもの」
「……」
「二日酔いって大変なのねえ……」

 しみじみと呟きながら、私が寝るベッドのふちに腰掛ける。というか、そもそも彼女のものなのだけど。両親に見つからないように、匿ってもらっているのだ。
 ふとあることに気づいて、私はゆるゆると彼女の方へ首を巡らせた。

「アン……もしかして……おこってるの……?」

 迷惑かけちゃったものね……と反省していると、アンは視線を泳がせた。

「そ、それは――」
「どうしたの……?」
「だって、ルイズったらひどいわ。ひとりで湖に行っちゃうなんて! 私も行きたかったのに――」

――……そっちか。

 なんでも、私は昨晩(もう、おとといかしら?)ひとりで湖に遊びに行ったあげく、ちょっとお酒を過ごして帰ってきた……らしい。というか、本当は覚えていないんだけど。
 ちょっと熱も出たらしく、一日寝込んで、気づいたらこんな状態だったのだ。

――覚えてないことを責められてもね……。

 むしろ、どうしてこんな目に遭わないといけないのか。私だってだれかに八つ当たりしたい気分だわ。でも……たしかに姫様の暇つぶし相手はまともにできていないし……。

「……行ってきたら、いい……」
「え?」
「……どうせ、ここにいるから、私が、身代わりに……」

 身代わりに寝ているからこっそり抜け出せばいい、という意図は、なんとか伝わったらしい。ぱっと明るく笑う彼女に、私は再びゆるゆると頭を枕に戻した。そこへ――、

「ありがとう、ルイズ!」

――ヒィッ!

 感謝の叫びとともに、抱きつくアン。……い、いっそ、絞め殺してくれないかしら……。
 二日酔いの頭を盛大に揺らしてくださりやがったおともだちはそのまま、いつのまにか育った胸を私に押し当てながら、くすくすと笑ってささやく。

「ねえ、ルイズ。あなた、まだお酒くさいわ」

――う、うるさいってば……。

 眉間に皺を寄せると、ようやく離れてくれた。ていうか香水、あんなに使ったのに……。いったいどんだけ飲んだのよ、と私は私をお酒漬けにしたおとといの私を罵る。
 一方、その間に、いそいそと身支度を始める幼なじみ。バタバタとクローゼットを開け閉めする音が、追い打ちのように響いた。ああ……もう……。

――……わたし、どうしてこんな目にあってるのかしら?

 訝しむけれど、役立たずの頭痛に邪魔されて、なにも思い出せなかった。というより、なにか思い出そうとするたびに、甘い濃い香りが思考を霞ませて……。

――……まあ、いっか。

 きっとたいしたことじゃないわ、と早々に諦めて、毛布をたぐり寄せた。亀が甲羅にひっこむようにその下におさまる。アンが、メイドの目を誤魔化すために髪を染めて――、とか言っているけれど、無視する。

「じゃあ、ちょっと行ってきますわ」
「ええ。いってらっしゃい」

 言ってから、ちょっと考えて付け加える。

「――よい夜を。きっといいことがあるわ」

 見えないところで、彼女がにっこりと笑った気配がした。



「ありがとう。じゃあ、ルイズも――」








 どうか、よいゆめを。








< 了 >









 あなたににたひと――someone like you



















以下、あとがきを少々








以上、この番外編含めて『しにたがりなるいずさん』第一部は完結です。
皆様、ご愛読ありがとうございました。
死にたがりルイズのひとつの幸せな結末のかたち、いかがでしたでしょうか?

ずいぶんと時間がかかりましたが、これで作者的には一区切り……のつもりです。
ちなみに第一部完!と銘打つと、どうしても某バスケ漫画が思い出されたりするのですが、
一応、第二部のプロットも書きたい気持ちもまだありますので、いつか戻ってきたいと思っています。
しかしその前に……ずーっと放置していた『夏休みの宿題』的なやつがあるので、そろそろそっちを進めようかと……正直ちゃんと書けるのかどうか、自分でもわからないのですが……。

このところ、書けば書くほどにSSの書き方からわからなくなってきているので、
もし物語の感想だけでなく、文章や構成上、気になった箇所がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。

何卒よろしくお願いいたします。



ではでは




(230523)


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