はるかなる神話の時代、精霊は人々を祝福し、その証として精霊石を光翼人に授けた。
精霊石の光は世界中を照らし、人々は豊かに暮らしたという。
だが人々の繁栄が頂点を迎えたとき、平和な時代は突如として、その幕を閉じることとなった。
精霊石は7つに砕け、精霊と光翼人は去っていった……。
――そんな世界だったな。
プロローグ
ガコン、ガコンという独特の駆動音を響かせ、広大な夜の空を鋼の柩が漂う。
エンジュール文明崩壊以降、人間にとって未知なる領域となった天空を旅する力。
それを再び手にした人間の集団――ガーライル軍。
その頂点に立つ男、バール将軍。
「ぶるるるるるああああ!!!」
世界を二つに別つ“世界の果て”を越えてその力を巡らせることを可能とする軍隊の最高指導者。
落成したばかりの飛行戦艦のブリッジの中央に玉座のように設けられた座席にて苦悶の表情を浮かべるバール将軍。
「血迷いおったか、ミューレン!!」
その身を鋼鉄の刃に貫かれてなお、憤怒に狂った炯々と燃える眼光に衰えは感じられない。
「血迷っているのは貴様の方だ!」
かつてのエンジュール人たちと同じ過ちを犯そうとしている男だ。
バールが保有していた精霊石は、俺の自我が目覚めるころにはすでにガイア化を始めていた。
光翼人の力を借りれば、まだバールのガイア化を防ぐことも可能だった。
だが、強大な軍事力を持つガーライル軍の頂点に立つこの男の欲望は、たった一人で精霊石のガイア化を促すほどだ。
ガイアと同化することがなくとも、いつかは世界を破滅へと追いやるだろう。
バールの息子だと言っても、俺がガーライル軍を掌握するには、こいつの存在が邪魔になり、精霊石のガイア化の度合いを考えれば時間的な猶予もない。
物語が始まるより前――つまり、今をおいて“ミューレン の力”でバールを倒すチャンスはない。
バールの腹部を貫いているサーベルを捻り、臓物をズタズタにするがそれでも絶命する様子はない。
ガイア化を始めたばかりの状態でもこれなのだ。
やはり、今のうちに決着をつけておかなくてはならない。
「ワシの覇道を邪魔するというのならば、息子といえど容赦はせんぞ!!」
「それはこちらのセリフだ!!」
肉体の変質まで至っていないバールは、その強靭な肉体を持って俺の命を奪おうとその手を伸ばす。
バールの臓物を破壊するサーベルは抜くことはできない。
空いた手でもう一本のサーベルを抜き、バールの片腕を斬り飛ばす。
「愚か者めぇ! 貴様から我が血肉としてくれるわッ!!」
攻撃に使った俺の右腕と左腕。バールに腕一本分の猶予が与えられた刹那、
「――赤い精霊たちよ」
「ぬッ!?」
何処からともなく響いた小さな囁き、されど大きな意味を持つ言の葉。
俺とバールの周囲を赤い光の粒子が満たしていく。
「馬鹿ナ、こノ力は!?」
胴体を貫かれても、腕を切り落とされてもびくともしなかったバールにようやく絶望の色が交る。
「――その怒れる火炎の力を以て、悪を塵に還せ」
静かに、されど確かな意志のもとに紡がれた呼びかけ。
赤い精霊の光が、周囲を満すと同時に訪れる静寂。そして――
「潰えろ、元凶――」
「おのれぇ、ミューーレン!!!!」
世界を終わりへと導く存在は、かつての神話と同じように――いや、物語となることすらなく舞台から下ろされた。
その後、ガーライル軍は二つの勢力に分裂することになる。
一方は、バール将軍の支配のもと地位と富を得てきたガーライル軍上層部を中心とした一派。
一方は、バール将軍の息子でありながらクーデターを引き起こし、ガーライル軍を崩壊させた張本人であるミューレンを中心とした一派。
かつてはひとつの軍隊として共にあったふたつの勢力は、各地で衝突を繰り返しながら散り散りになっていった。
バールを倒したことで世界が滅びに瀕することはなくなったが、世界の危機が完全に回避されたわけではない。
一度ガイア化を引き起こした精霊石は、そう簡単には元には戻らない。
それに、バールを倒す時期が早かったためにガーライル軍が保有している精霊石は本来の量に達していなった。
バールが精霊石を使って世界をどうしようとしていたかを知っているのは、ガーライル軍の中でもほんの一握りだった。
そして、ガーライル軍上層部を中心とした一派は、バールの野望を引き継ぎ、私利私欲のために精霊石を求めるだろう。
悪いことに奴らは、ガーライル軍が保有していた精霊石の半分を持っている。
そして、軍時代の資金や施設も豊富だ。
ミューレンを中心とした勢力は、若者たちが多く、軍隊としての規模を拡大するには、経験豊かな指揮官が圧倒的に少ない。
ガーライル軍時代に実力至上をとっていたことの影響も色濃く残っており、十代の部隊長というのも少なくない。
それでも、“ミューレン”のカリスマによってどうにかまとまりを保っているが、これから先、どうなっていくのか。
今の“ミューレン”が、“俺”ということもまた先行きを不安にさせる要素でもある。
現在では、誰も“俺”がミューレンではないということに気付いていない。
というよりも、ほとんどの者が、知っている“ミューレン”はすでに俺だったわけなのだからそれも当然か。
この数十年。それなりに早熟で、それなりに自身の資質を把握し、それなりにバールの期待に応える“ミューレン”を演じてきた。
“俺”の違和感に気づいたのは、“ミューレンの母親”だけだった。実の父であるバールは、気にすることすらなかったが。
“ミューレンの母親”が死んでからは、“俺”の記憶にある“ミューレン”をできる限り、真似てバールを討つ機会を狙った。
バールの打倒。
楽ではなかったが、思っていたほど苦戦することなく無事完了した。
本来ならば、これで万事解決。
あとは悠々自適に“ミューレン”のキャラを使って、ハーレムでムハムハな余生を過ごそうかと思っていた。
だからこそ耐えることのできた十数年のシリアス。
「まったく……。物語は、エンディングの後も続く、ということか」
バールを倒すために利用していた光翼人の少女に命じて、ガイア化を始めていた精霊石は再び砕いた。
その欠片をすべて確保できなかったことは、俺の失態だ。
第二、第三のバールが現れるような事態にならないようにガイア化の恐れがある精霊石は、完全に破壊してしまった方がいい。
ここで厄介なのが、欠片がそろわなくとも精霊石はガイア化を始めるということ。
やはり、精霊たちに認められた“勇者”と“光翼人”の力を借りるしかないということなのだろう。
「……ーレン様! ミューレン様!」
懐には、砕いた精霊石の欠片。腰には、バールを貫いた鋼鉄の刃。
“世界を守る”ために“世界を救える勇者”を探す。
これも一種の皮肉というのだろうか?
「……ミューレン様?」
その“勇者”に会いに行くため、ガーライル軍が崩壊した後も付いて来てくれた部下たちを置いてきた。
利用しようと思って利用した者たちだが、彼らの信頼を裏切るのは心苦しい。
しかし、“俺”は“ミューレン”じゃない。
彼らを導く資質を持ち合わせていない以上、歴史を外れた今はできるだけ離れた方が良いと判断した。
もちろん、自分の身の安全のためだ。他意はない。
「何度も言わせるな」
それなりに人望のある者たちに他の者たちのことを任せるという書置きを残し、自分なりにこっそり出てきたつもりだったが、やはり“ミューレン”と違って“俺”は無様だった。
「“ミューレン様”は止めろと言っているだろう? ――リーン」
「私にとってミューレン様は、ミューレン様です。軍が無くなっても、私がミューレン様の部下であることに変わりはありません」
この8歳も年下の少女を振り切ることができないのだから。
「それにミューレン様には必要なはずです。私の……光翼人の力が――」
無理やり付いてきた積極的な部分は、やはりもう一人の光翼人と姉妹なのだと感じさせるところではあるが、ついてきたことの言い訳を言う際に哀しげな表情をするのはやめてもらいたい。
俺は光翼人であり、本来の歴史でも重要な役割を担うはずだった存在だからこそ、この少女に“ミューレン”として接した。
本来の歴史ほどではないが、リーンは“ミューレン”を信頼している……と思う。
もしかしたら“俺”の邪な部分を感じ取って、“俺”が精霊石を悪用しようと考えていると思って見張っているのかもしれない。
やめよう。“行動には、責任を持つべきである”――だからな。
自分を光翼人と呼ぶ際に見せる哀しげな表情から何かを我慢するような表情に変わったリーンが俺を見上げている。
俺は、こういうとき決して彼女を安心させるような行動はとらない。
この少女は、俺が当初求めていた役割を十分に果たしてくれた。
利用されていると薄々感じていたはずなのに、辛いことにも耐えて軍人として俺の助けとなってくれた。
だから、もう十分なのだ。
そう思っていても振り払うことをしない俺は……。
これからの旅は、“勇者”を育てるための旅。
“海”を越えさせ、“世界の果て”を越えさせ、さまざまな場所を巡り、アレントへと導く。
俺の導きなど必要としないかもしれないが、導かせてもらう。
それが単なる自己満足に過ぎないとしても、“俺”の行動に対する責任だけは果たす。
ただそれだけで良いんだ。