爺ちゃんに助けられてから一カ月。
「お早うさん。今日も早起きじゃなあ」
「おはよう爺ちゃん」
二人暮らしにも、あっさり慣れました。
助けられ、ルーラで飛んだ先は、塔だった。
アリアハン、ナジミの塔。
このナジミの塔、もともとはアリアハン王家が所有していた。王族の避難場所、別荘地など、一般人が足を踏み入れられるような場所ではなかったのだ。
だが、いつの間にかモンスターの巣窟になってしまい、王家はナジミの塔を放棄した。
だが十年ほど前、アタシが生まれる二年前、この塔に住み始めた人物がいると、当時は噂になったそうな。
放棄していてももとは王家のもの、ほいほいと一般人に明け渡せるものではない。しかしどう交渉したのか、その人物は塔の所有権を譲渡され、
一人で暮らしている。
言わなくても分かるだろうが、その人物こそこの爺ちゃん、バシェッドである。
塔の中はモンスターの巣窟のはずなのだが、んなもん一匹もいない。
荒れた様子もなく、清潔に保たれていた。
始めてここに来た時は、まるで神社や寺に入った時のような、神聖で清しい空気に圧倒された。
この爺ちゃん、会った時のことから分かるように、かなりの魔法の使い手らしく、塔の中にいたモンスターは、一人で一掃したとのこと。
その後、モンスターよけの呪文トヘロスの応用版を塔全体にかけ、さらにそれが永続するように色々と仕掛けをしたらしい。
どんだけすごいんだ、この爺ちゃんは。
魔法の永続の仕掛けに関しては、爺ちゃん曰く、「魔法の研究は日々おこなわれており、これはその成果の一つにすぎない」らしい。
魔法使いはただ呪文を使う者から、呪文を使うことよりも学問として魔法の体系や理論や歴史、運用方法などを研究するものまで、幅広くいるらしい。
もちろん、両方を実践している人もいるとか。
爺ちゃんは、両方を実践しているタイプらしく、この塔は様々な仕掛けでいっぱいだった。
たとえば水道。この国の首都ですら井戸だったのに、ここではどの階でも、蛇口をひねれば、水が出てくる。この塔はアリアハン大陸の内海に建っており、
それを利用して海から直接水を汲んでいるらしい。もちろん、ちゃんと飲めるようにして。
どんな技術力だ。むしろ科学か。
こんな言葉がある。「優れた科学は、魔法と同じである」。
だがこの塔における魔法技術から見るに、「優れた魔法技術は、科学と同じである」だ。
この爺ちゃん、間違いなく天才だ。
ま、別に何でもいいんだけどさ。この爺ちゃん、悪人じゃないみたいだし。
この魔法技術を他の所に提供する気がないのはどうかと思うが。
爺ちゃん曰く、「あまりにも進み過ぎた技術は、毒にしかならない。ものには順序がある。まだ時期じゃない」らしいので、特に何も言う気はない。
それはともかく、朝ごはんである。
今日の朝ごはんは昨日作ったポトフのスープの残りに米をぶっこんで煮込んだ、ポトフリゾットである。
これは前世でたまにしていた料理である。料理というにはお粗末か。
好きなんです、リゾット。
「今日の朝ごはんも美味しそうじゃなあ」
「これは美味しいよー。さっさと食べよう」
基本的に三食アタシが作っている。爺ちゃんも料理はできるが、世話になるのだからと、いくつかの家事はアタシがやることにした。
料理に関しては、アタシの方が腕は上だし。鈍ってなくてよかった。
向かい合ってテーブルに座る。目の前にはリゾットと、飲み物はコーヒーで。
朝はコーヒーだ。前世からコーヒー党だったんだ。せっかく料理に関しては全権が握れるようになったんだから、これは譲れん。
「いただきます」
手を合わせ、二人同時に「いただきます」。
ここでは祈りなんじゃないかと思われるかもしれないが、爺ちゃんは、祈らない人なのだ。
初めは疑問に思ったのでちょっと聞いてみたのだが、
「神には祈らんことにしておるのじゃ」
と、さみしそうに笑って言った。
それならと、この「いただきます」を提案してみた。
「命をいただきます」だ。全ての者には生命が宿り、あたし達はそれをいただいている。
そう言うと、爺ちゃんは嬉しそうにそうしようと言った。
なぜ爺ちゃんが神に祈らないのか、などという質問はしない。人間、言いたくないことなど山ほどある。
爺ちゃんも、アタシのことは特に何も聞いてこない。
十年前からこの国にいるなら、アタシのことは知っているにもかかわらず、だ。
「うむ、美味いのお」
「昨日の残りに米ぶち込んだだけだけどね」
「いやいや、わしではこう上手くいかんわい。わしには料理の才能はないんじゃの」
しゃべりながら食べるのは行儀が悪いと思われうかもしれないが、ここではそれが当たり前だ。
こんな風にたわいもないおしゃべりを、食事の席でするなんてこと、一カ月前までは考えられなかった。なので、羽目を外すのも仕方ないと思う。
『まったく、せめて食べ終わるまで我慢しろというのだ』
うるさいオカンがいるが。
シグルドは基本的にいつでも持っているか、近くに置いてある。すぐに修業できるようにとか、アドバイスを受けられるようにとか、理由は色々あるが、
結局のところ、なるべく一緒にいたいんだろう。
本人には言ってやらん。
「食べ終わってしばらくしたら、今日も勉強じゃぞ」
「はーい」
爺ちゃんはさすがに研究者なだけあって、知識も豊富だ。
父の訃報が届いたのが七歳の誕生日。それから爺ちゃんに助けられるまでの約一年六カ月、純粋な勉強はしてこなかった。身にならない修業ばっかで。
勉強は嫌いではない。前世では大学院入る予定だったし。
知識が増えるのは嬉しい。研究者って憧れる。平和な世の中になったら、学者になろうかな。
爺ちゃんにしてみれば、アタシがろくに勉強してこなかったのは、驚きだったらしい。
年齢的に始めてもいい頃だったらしいが、周りがその必要性を無視していていたからな。仕方がない。
で、「わしがしっかり教えてやるわい!」と張り切った爺ちゃんは、すっかり先生である。
とっとと食べ終わるが、爺ちゃんが食べ終わるのを待つ。人が食べているのに片付けるのは、失礼である。
シグルドからはしきりに、「早食いをやめろ」と言われているが、癖はそう簡単には治らない。
『困ったものだ。どうやって治したものか』
そんなことまで心配すんな、オカン。
爺ちゃんも食べ終わり、食器を洗う。これもアタシの仕事だ。
いや、爺ちゃん、なんか不器用で、よく皿を割りそうになるのだ。実際、一度皿を割っている。
危ないので、食器洗いは任せてくれと頼み込んだ。
他にも色々と問題はある。よく一人暮らしできたもんである。
片付けも終わり、勉強の時間まで本でも読むことにする。
爺ちゃんがくれた、魔法の本である。指南書ではなく、その効果や呪文体系、応用活用方法など、魔法に関する研究の成果の数々が載っている。
こういうのは知っておいて損はない。旅をしている時に、敵が魔法を使ってくる時もあるだろうし、自分が使えなくても、妹が使う時などに、
この知識は役に立つだろう。
「アデルや。時間じゃぞ」
「ほいほい」
読書タイム終了。しおりをはさんで、本を閉じる。
「さて、今日はエルフについてじゃ」
紙とペンを用意し、耳を傾ける。
「エルフは天界とつながりを持つ種族でな、人間では使えん天術なる魔法のようなものが使える」
え? エルフって天術使えるの? アタシはシグルドを介して使えるけど、エルフは自力で? 天界とつながりがあるなら、不思議じゃないか。
きっとエルフは、特別な種族なんだろう。
「エルフは寿命が人間よりもはるかに長い。千年以上は生きるとされておる」
それから、爺ちゃんの講義は続いた。
エルフはノアニール地方にある水鏡ユミルの森の奥、ヘイムダールとよばれる里で暮らしている。
うわあ。テイルズ来た。ファンタジアとシンフォニアだ。
ドラクエ世界なのに、エルフはテイルズなんだ。天術使えるわけだわ。
ファンタジアおよびシンフォニアでは、魔術はエルフの血を引く者しか使えない設定だった。例外もあるにはあったが。
ファンタジアおよびシンフォニアの魔術が、ここでは天術になるわけだ。
まあここでは、人間は魔法を使えるわけだが。そこが違う点だな。
またエルフは基本的に人間とは接点を持たずに暮らしている。水鏡ユミルの森には常に見張りがおり、人間を入らせないようにしている。
しかし、中には人間社会で暮らしているエルフもいる。
また、エルフはとても美しい。耳は尖っていてやや長い。それが外見的特徴。
その他人間とエルフの歴史などを聞いた。
「ねえ爺ちゃん。エルフと人間のハーフっていないの?」
これは気になるところだ。ファンタジアおよびシンフォニアでは、ハーフエルフと呼ばれていた。
彼らはシンフォニアでは酷い差別を受け、ファンタジアではエルフの里に入れば殺されることになっていた。非常に危うい立場に置かれていたのが、
ハーフエルフである。
爺ちゃんは視線を落とした。その顔は、明らかに悲しそうだ。
「ハーフエルフのことじゃな」
ここでもそう呼ばれるのか。しかし、爺ちゃんにとって、ハーフエルフは何か悲しい思い出が付随する存在のようだ。
「彼らは立場が弱い。基本的に数が少ないが、それだけが理由ではないんじゃ。長い歴史の中で、それは確固たるものとなってしまった」
ハーフエルフ差別まであるのか。しかも、それは相当根深いらしい。
「アデルや。もし彼らにあっても、そのような態度はとらんでくれ。彼らはただ、生きておるだけなのじゃから」
爺ちゃんは、ハーフエルフに対する偏見はないようだ。むしろ、彼らをしっかりと受け入れている。
「分かった」
アタシはしっかりと頷いた。
それを見て、爺ちゃんは安心したようだ。
「今日はこれまでじゃな」
「わかった。じゃ、修行してくる」
シグルドを持って部屋を出る。
その時ちらっと爺ちゃんの顔を見たが、その顔は苦悩に満ちていた。
爺ちゃんの過去には、ハーフエルフの存在が大きな比重を占めているのだろう。
余計な詮索はしない。
いつか話してくれるかもしれないし、ずっと話さないかもしれない。どっちでもいい。決めるのは爺ちゃんだ。
修業は、まず軽いストレッチから。徐々に体をほぐして温めていき、万全の状態で修業に入る。
塔の屋上から地下まで、全力で降りて登ってを繰り返す。それを一時間。
終わったら、剣術の修業。夜の復習だ。この一カ月で、それなりに動けるようになった。
はっきり言って、まだまだだが。
これは昼近くまで続ける。
夜の修業は、シグルドの立ち回りを見て、その後アタシとシグルドが実戦形式で戦りあうのが基本スタイルだ。
シグルドは、立ち回りの相手を毎回変える。人間だったり、モンスターだったり、大勢だったり、一人だったり。接近戦を挑んでくる相手もいれば、
遠距離からの奴もいるし、臨機応変に使い分けてくる奴もいる。
それらの戦闘は、全て魂に刻み込まれているが、肉体の方はそうそううまく動いてくれない。
少しでも成長しているのが、救いか。
さて、昼ご飯の用意をせねば。今日は何を作ろうか。
オムライスにしようかな。トマトソースで米を炒め、かけるソースは……、ホワイトソースでいいか。スープはコンソメで。サラダもつけよう。
そうと決まれば、さっそく料理開始。
「いい匂いじゃあ。何かの?」
「オムライス。もうちょっとでできるから、待ってて」
料理の匂いに連れられて、爺ちゃんが台所に入ってきた。期待を隠そうともせず、アタシが作っている様子を見る。
「よし、完成」
ホワイトソースオムライスに、コンソメスープ。サラダにはシーザードレッシングをかけてある。
爺ちゃんに手伝ってもらいながら料理をテーブルまで運び、
「いただきます」
さっそく一口。
うむ、我ながら、なかなか。
「うむうむ、美味い!」
照れるぜ。
食べ終わった後、爺ちゃんはルーラで出かけて行った。買い物である。
定期的に、爺ちゃんは買い物に出かけるが、アタシはついて行ったことがない。
買い物をしているのが国外ならいいのだが、国内の場合、面倒だからである。
言えば国外に行ってくれるだろう。もともと違う国の人らしいし。
だが、そんなことで面倒をかけるのもどうかと思うし、別に出かけたいとも思っていない。
荷物持つくらいはすればいいのかもしれないが、「子供がそんなに気を使うもんじゃないぞい」と言われたので、言葉に甘えることにする。
しかし、爺ちゃん、金はどうしているのだろうか? 働いている様子もないし、貯えがかなりあるとみた。
実は金持ちか、爺ちゃん。
アタシは、天術の修業である。
なかなかこっちも上達しない。やり方が悪いのだろうか?
シグルドは術を使うよりも刀を振るう人らしく、天術に関する効果的なアドバイスは無理だった。
仕方がないので、ひたすら術を使っている。
塔の屋上で、術を使いまくる。しかし、ちっとも成長している感じがしない。
どれくらいそうしていたか。爺ちゃんが帰ってきた。
アタシが術の練習をしているのを見て、固まっている。
「爺ちゃん?」
「アデル、お主、ハーフエルフか?」
震える声で、爺ちゃんはアタシを凝視しながら言った。
ああ、天術使えるのはエルフの血を引く者だけだっけ。だから勘違いするのも無理はない。
しかし、パッと見ただけで、天術って分かるもんなのか? この国で暮らしてて、天術なんて聞いたこともなかったけど。
アタシが知らないだけで実はメジャーなのか、爺ちゃんが博識なのか。
後者な気がする。
「違うよ。アタシが天術使えるのは、これのおかげ」
そしてシグルドについて説明した。
そうほいほい他人に話してもいいのかと思われるかもしれないが、この爺ちゃんなら大丈夫だろう。
案外、ソーディアンについて知ってるかもしれないし。
「なんと! あの伝説の聖剣か!」
やっぱり知ってた。
『ソーディアンは一般人が知りうることではないぞ? 天術についてもそうだが、よく見ただけでそうだと分かったものだ。
この老人、よほど古の知識に精通していると見える』
感心したように、シグルドが言う。
やっぱ天術とか、メジャーじゃないんだな。まさに知る人ぞ知るって感じか。
「アデルや、そんな方法では天術は身につかんぞ」
やっぱりか。他に思い浮かばなかったから、とにかく使いまくってたんだけど。
「でも、どうすればいいのか分からないし」
「ならわしが修業をつけてやろう」
「へ?」
予想外。しかし、
「天術って人間は使えないんでしょ?」
そこが問題だ。使えないものを教えられるのか。
「術形式は違うがの、どちらも世界に満ちるマナを使うのは一緒じゃよ。
根本は同じなんじゃ。そもそも、天術を使えん人間が、自分達でも使える力を求めて生み出されたのが魔法じゃ。
天術と魔法は、切っても切れぬものなんじゃよ」
なるほど。なら、魔法の達人である爺ちゃんに教わるのは、確かにいいだろう。
「じゃ、頼もうかな」
「よし、なら明日からにしようかの。今日はもう術は使えんじゃろ」
うん。使いまくって疲れた。
こうしてアタシは、天術の師も得た。
だが、アタシはまだ知らなかった。
爺ちゃんが、実はすごいスパルタであるということを。
師事したのを、ちょっと後悔するはめになることを。