試練が終わった次の日、やけに慌ただしかった。
神殿の一室で朝ごはんの用意してたら、何やら外で騒ぎ声が。
なんだろうと思っていたら、リフィルさんが飛び込んできた。
「遭難者よ! 何日も食べ物を口にしていないらしくて、ひどく衰弱しているわ!」
それを聞いて、アタシは料理の手を止めて飛び出した。リフィルさんがアタシを呼びに来たということは、ランシールにいる人だけではどうしようもなく、大変危険な状態だろうから。
ここにある診療所で回復魔法を受けているらしいが、食べ物を食べていないで衰弱しているような人物に、普通の回復魔法は効果はない。
だが、アタシは回復術の、魔力を生命力に変換するというのをいじくって、そういう場合でも栄養失調なんかも補えるようにした、普通とは違う回復術の研究もしてたりする。
なんでかっていうと、必要だったから。一人旅していた時、食料がなくなってどうしようもなくなって、回復術でもどうしようもなくて困ったことがよくあった。そこで、魔力を生命力に変換して傷を癒したり、体力を回復したりする回復術に目をつけて、大気にあるマナを回復魔法のプロセスで取り込み、栄養を補うという、ある意味かなり強引な術を編み出したのである。
あまり使うのはお勧めしない。基本的にあくまでも緊急用でしかなく、普段なら普通に食事した方がよっぽど効率がいいのだ。一人旅の時、どうしようもないときは使いはしたが、それで腹は膨れないし、むしろ胃の中は空なのに栄養を無理やり摂取するもんだから、かえって辛い思いをするのである。
そんな術を使えるんだよーと、以前リフィルさんに話したことがある。
その人物は一人乗り用の小舟に乗って意識のないまま海岸に流れ着き、漁師さんが発見したそうだ。食べ物が入っていたらしい袋は空っぽ、いくら呼んでも反応もなく、やばいと思って大慌てで診療所に運び込んだそうだ。
かろうじて水は摂取させたが、意識は戻らない。このままでは死んでしまうと判断し、ランシールでは一番の回復術の使い手であるリフィルさんに声がかかり、そしてアタシの話した術のことを思い出したリフィルさんがアタシを呼んだ、ということである。
失礼します! と言うや、リフィルさんは返事も待たずにドアを開け中に入った。アタシも続くと、診療所の一室でベッドに横になっている男と、医者らしき初老の男性、助手らしい女性がいた。奥さんかもしれない。
ベッドに横になっている男は、見たところ悪くはないが特にハンサムというわけでもない顔、ディクルほどではないが結構な体格で、筋肉もよく鍛えられ引き締まっている。
そんな観察をしつつも、アタシは術を唱えた。
淡い青色の光がふわふわと男に落ち、接触すると水滴のように弾けて消える。
医者はこの弱々しい見た目に若干不安そうにこちらを見てきた。こんなんで効果があるのか? と、その眼があからさまに語っている。
アタシは気にせず術を発動し続ける。弱々しい見た目と効果に反して、結構魔力を喰うのである。ひたすらに非効率な術なのだが、これしか今この男を救う術はないのである。
「姉さん!」
しばらく術をかけていたら、妹たちが慌てた様子でやってきた。
まず呼ばなくてはいけなかったのはアタシなので、リフィルさんもアタシだけに声をかけた。そして、その時アタシは一人だけだったので、他の誰かに情報が伝わらなかったのである。後から知らせを受けてやってきたようだ。
どうやら、妹たちを呼んだのはロイド、ジーニアス、コレットらしく、全員が不安そうにベッドを囲んだ。
「なあ、大丈夫、なのか?」
ロイドが不安げに聞いてくるが、こっちは答える余裕がない。それが分かったのか、ロイドはそれ以上聞いてこなかった。
ジーニアスはリフィルさんを見上げ、リフィルさんは安心させるように微笑み、こちらを見てきた。ジーニアスもこちらを見てくる。
コレットは祈っているようだ。「クルシス様」と呟き、両手を握りしめている。
妹も心配そうに男を見、「頑張ってください」と声をかけている。
ディクルもフィーノも黙ってただ見ているが、クレシェッドはマーテルに祈りを捧げているようだ。
そのままどれくらい時間がたったのか、男の顔色が良くなり、死んでしまいそうだった見た目が落ち着いてきた。
これでまあ、大丈夫だろうと思い、術の発動を止める。まあ、限界だったというのもあるのだが。
医者が男を診て、ほっと息をついた。
「これなら大丈夫でしょう」
それと同時に、皆が安心したように笑みを浮かべ、よかったよかったと言い合っていた。さすがに騒ぎはしなかったが。
「すげー術だな!」
目をキラキラさせてロイドがこちらを見てくる。そして、横にいたコレットに「な?」と声をかけ、コレットも「うん! 凄いね!」と尊敬の眼差しでこちらを見てきた。
ディクルは「頑張ったな」と頭をなでてくるが、心底疲れていたアタシはそれを止めさせる気力もないのでさせたいようにさせておく。
が、妹が「やったね姉さん!」と抱きついてきて、ディクルの手が頭から離れた。なんか妙に勢いがついていたような? それだけ感動した、ということ?
フィーノがなんか「シスコン……」とか呟いて、クレシェッドはなんか生暖かい視線をディクルに向けている。
リフィルさんが「あなたも大変ね」とディクルに声をかけ、ディクルはなんか疲れた笑いを発していた。横でジーニアスが「あー」とか何とか言って、首を振ってロイド達のところへ行った。
なんとなくこの空間が混乱しているような気がするが、騒がしくしているわけじゃないので医者は何も言わない。奥さんが微笑ましそうにこちらを見てきていたが。
そんな時、ベッドの男が呻いた。それに反応し、みなが男に注目する。
みんなに見守られる中、男はゆっくりと目を開けた。が、そのままの体勢で動かないし、声も出さない。ぼんやりと天井を見ている、と言うか、まだ完全に意識が覚醒していないのだろう。
妹が心配そうにベッドのすぐ横に移動し、「大丈夫ですか?」と声をかけ、男を見下ろす。
その声に反応したのか、男はぼーっとした顔のまま、妹の方に視線を向けた。
が、まだ覚醒しきっていないらしく、ぼんやりと妹を見たままだ。
もう一度、妹が「大丈夫ですか?」と声をかけるや、いきなり男は今までぼんやりしていたのがウソのように起き上がり、妹の両手をがしっと握り、
「毎日、俺のパンツを洗ってくれ!」
「死ねこの変態があああああああ!」
「ぐっはあ!?」
アタシの怒りのパンチを食らって若干体勢が崩れるも、ベッドから吹っ飛ぶということはなかった。
ちくしょう! パンチ力が足りなかったか? いや、この男が恐ろしく頑丈なのか!
「い、いきなり何する!? この暴力女!」
「それはこっちのセリフじゃああああああ!」
もう一度、今度は息の根を止めようと放った必殺パンチは、ディクルに羽交い絞めにされることで止められてしまった。
「落ち着けアデル! この人今まで意識不明の重体だったから! せっかく助けたのに台無しにするつもりか?」
「こんな変態だと知ってたら助けなかったわあああああ!」
「あの、つかぬ事をお伺いしますが……」
アタシとディクルの攻防を余所に、クレシェッドは変態に声をかけていた。声が若干引きつっていたのは気のせいではあるまい。
ジーニアスが「関わらない方がいいと思うけど」などと言っているし、フィーノも「俺知らね」とばかりにあからさまにそっぽを向いている。
教育上悪いと思ったのか、リフィルさんはロイド、コレット、ジーニアスに「帰りなさい」と声をかけている。ジーニアスはそれを聞いて帰ろうとロイド達を促すが、ロイドが興味津々という目で変態を見ていて、帰る気配がない。
コレットはいきなりショッキングなことを言われ、放心状態にある妹に「しっかり!」と声をかけている。
そんな中、クレシェッドは言葉を続けた。
「先ほどの言葉は、どういう意味で……?」
「さっきの言葉?」
何のこと? と言う顔で聞き返す変態に、クレシェッドはますます顔をひきつらせ、真っ赤になりながらも言った。
「ぱ、パンツを、その……」
それで合点がいったのか、変態は「ああ!」と手を叩いた。
なんでもいいが元気だなこいつ。今まで死にそうな顔してたのに。医者が横で、「安静にしていなさい」と言い、こちらに騒ぐなよと言う目を向けてくるが、言葉にはしない。
奥さんは「スープの用意してくるわね」と笑顔で言ってその場からさっさと退散した。奥さん、結構いい性格していらっしゃる。
そんな中、アタシはディクルに「離せ!」と言って暴れ、ディクルは「落ち着け!」と言って拘束を緩めない。
周りの様子など気にしていないのか、変態はクレシェッドの問いに胸を張って答えた。
「パンツとは、毎日身に着けるもの。それを毎日洗ってほしいということは、すなわち一緒に生活していこうということ。
つまり、プロポーズ!」
「そんなプロポーズあってたまるかあああああ!」
「うっせえ女だなあ? そこの彼女見習えよ。ほら、こんな状況でも静かにしていて、非常に慎ましいじゃないか」
「妹はお前の常識はずれの言葉に思考が飛んでるんじゃああああ!」
変態は「妹?」と首をかしげ、何度か妹とアタシを見比べた。
悪かったなこの野郎。アタシは妹ほど可愛くねえよ! 分かっちゃいるが、あからさまな真似されたらおもくそ腹立つ。
殺意を込めた視線をぎろりと向けると、変態はキッとこちらを見据え、
「お義姉さん! 妹さんを俺にください!」
「誰がお前のお義姉さんじゃああああああ!」
「こいつをあおるような発言するなああああああ!」
ますます暴れるアタシを押さえつけているディクルが、切羽詰まった声で懇願するように言い放った。こいつには珍しいことである。
クレシェッドはもう相手をするのも嫌なのか、同じくそっぽを向いているフィーノに疲れたように話しかけていた。フィーノがいたわるようにポンと叩く。
リフィルさんは、ロイド、コレットを引きずって診療所から出ていこうとしていた。ロイドがまだ見たいとごねているようだが、リフィルさんに頭を殴られ、ジーニアスに諭され、引きずられていった。
コレットは妹を心配そうに見ていたが、医者が自分が見てるから、神子様は帰ってください、とか言って帰らせた。「神子様には毒です」、とか言っていたが、全くその通りだと思う。
そんなことがありつつも、アタシは変態に殺意を込めた視線を向ける。
「お前の汚らしい下着なんぞを、きれいな妹の手で洗わせてたまるかああああああ!」
「つまり、下着は自分で洗えば結婚オッケー!」
「許すかああああああ!」
「おのれ、人の恋路を邪魔するとは! は? これが小姑? 結婚における最大の難関! ならば俺はこれを乗り越えてみせる!」
「今すぐ人生終わらせてやるうううううう!」
「誰か何とかしろおおおおおおお!」
ディクルの悲痛な声が響くも、アタシは変態を殺さんとディクルの拘束を振り払うため暴れているし、クレシェッドもフィーノも現実逃避してるし、妹は医者に呼びかけられても放心状態のまま。奥さんは未だ引っ込んだまま。
結局、変態の体力が続かなかったため、しばらくして意識を失い、それをチャンスとばかりに医者が「今日は帰ってくれ」と言ってアタシ達はとりあえず帰ることになった。
ちなみに、医者にあの変態はああ見えてまだ不安があるからまた明日あの術をかけたほしいと言われたのだが、無論アタシは全力で断った。
なんであんな奴助けんといかんのだ! 死んだ方が世のためだろうが!
意識のない変態に切りかかろうとするアタシをディクルが引きずり、遠くに意識を飛ばしたまま帰ってこない妹をクレシェッドが帰るように促し、フィーノが「疲れた」と呟く。
そんな状態ではまともに飯も作れんので、リフィルさんの家にお邪魔してジーニアスに夕飯をごちそうしてもらったのだが、アタシの怒りは収まらない。
そんなアタシを見て、リフィルさんとジーニアスはさわらぬ神に祟りなしということか、何も聞いてこなかった。
むちゃくちゃ頑張って助けた男があれかよ!
その怒りは、夜のシグルドとの特訓にぶつけられた。シグルドが「落ち着け!」だの「冷静になってくれ!」だの、しまいには「助けてくれ!」と泣き言を言いだしたが、アタシの知ったこっちゃないのである。
その怒りは、結局おさまらなかった。
変態殺す。
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作者が書きたくてうずうずしていたのは、次のうちどれでしょう?
A・「毎日、俺のパンツを洗ってくれ!」
B・「パンツとは、毎日身に着けるもの。それを毎日洗ってほしいということは、すなわち一緒に生活していこうということ。
つまり、プロポーズ!」
C・「お義姉さん! 妹さんを俺にください!」
D・「つまり、下着は自分で洗えば結婚オッケー!」
……ファイナルアンサー?