死に物狂いで全力疾走してます。
『マスター! また増えたぞ!』
「アタシなんかほっとけよおおおおおお!」
首都アリアハンから出ざるを得なくなり、とりあえず隣町まで行くことにした。
このアリアハン大陸には大小様々な町や村がある。有名なのが、多くの宮廷魔道師を輩出している、レーベの村である。
まあ、レーベの村まで行こうと思えば、徒歩で一カ月はかかる。そんなところまで行こうとは思わない。
しかし、一番近い街でも、徒歩で半日はかかってしまう。まして十にもならない子供の足だ。どれだけかかることやら。
隣町に行くこと自体にも問題はある。アタシのことを知っている人間は、首都に近ければ近いほど多い。
そう言う意味では、最も離れたところにあるレーベの村に行くのが一番かもしれないが、そんな遠くまで行っていられない。
第一、今のアタシは文なしだ。持っているのは、ソーディアン・シグルドのみ。
そんな状況で、選べる道などあろうはずもない。隣町に行って、何とか生きつながなくてはならない。
そう思って草原を歩いていたら、モンスターに出くわしてしまった。
当たり前だよねえ。こういう世界なんだから。
町を出た時は、そのことをすっかり失念していた。
戦うなどという選択肢はない。かと言って引き返すという選択肢もない。
結果、隣町まで全力疾走するはめになった。
が、考えて見てほしい。成人が歩いて半日かかる道のりを、ちっちゃい子供が、走っているとはいえそうさっさとたどり着けるか。
答え、無理。
いったいどれほど走ったか。朝の走り込みなど問題にならないほどの全力疾走。
おまけに、立ち止まったり、転んだりすれば、即死が待っている非常にデンジャラスな状況。いや、転ぶまで行かなくても、
バランスを崩す程度のことでも命取りである。
後ろを確認する余裕はない。アタシが見れなくとも、シグルドが見てくれるので、状況は分かる。
事態は、時がたつとともに悪化していく。
モンスターが増えていくのだ。
無力で捕食しやすいということで、次から次に目をつけられているようだ。子ども一人であるということも、モンスター的にポイントが高いに違いない。
助けてくれる存在などいない。自力で何とかするしかない。
体力が隣町までもってくれれば、何とかなると思うのだが。
少なくとも、この直接的な生命の危機からは脱することが出来るのだから。
せめて、天術をもっと素早く使えれば。
今現在、発動に要する時間はかなり長い。しかも、集中するためには立ち止まらなければならない。走ったまま天術を発動させるスキルは、
今はないのだ。
シグルドは、それなりに訓練すれば、動き回りながら瞬時に発動できるようになるだろうと言っていたが、それはあくまでも先の話。
打つ手なし。大ピンチ。
戦うと誓ったのだから、こんなところで死んでいられないのだ。
命を削ってでも走り続けてやる!
そう考えて、ひたすら走り続ける。走って走って走って。
頭が真っ白で、足が痛くて、心臓が破けそうで。
ふと、もう楽になりたいという弱音が頭をかすめる。
それを必死に打ち消して、ただひたすらに足を動かす。
エクスフィアで強化してなければ、今頃きっと死んでいた。
偉大なり、天界の石。
機械のように、何も考えずに走っていると、草原に何かが見えた。
町ではない。
人だった。一人の人間が、ぽつんと、何もせずにただ立っているのだ。
「あぶない! 逃げろおおおおお!」
思わず叫んでいた。叫んだと言っても、疲れて声はからからで、相手に聞こえたかどうかは定かではないが。
だが、その人物は逃げなかった。逃げるどかろか、そこにじっと立っている。
この状況見て、何考えてんだ!
しかもよく見ると、いい歳した爺ちゃんだった。頭はつるつるで、白いたっぷりとした髭。背格好はしゃんとしていて年を感じさせないが、
いかんせんシワだらけだ。
「おい! 爺さん、死ぬぞ!」
やはりかすれてちゃんとした声にならないが、それでも思わず叫んでしまう。
が、それでも逃げない。もうそこまで迫っている。
もう駄目だ!
「お嬢ちゃん、よく走ったの」
こちらが絶望感に包まれている中、いたくのんびりとした声が聞こえて来た。
爺ちゃんの横を通り過ぎると同時だったので、思わず立ち止って、凝視してしまった。
この状況で、何を言ってるんだこの爺ちゃんは?
て、しまった! 立ち止まってしまった!
もう駄目だ! アタシも駄目だ!
この絶望的な状況の中爺ちゃんは、まるで親しい友人にあいさつするような口調で、
「イオ」
魔法を唱えた。
……え?
刹那、追いかけてきていたモンスター全てが、爆発に巻き込まれた。
ざっと見たところ二十はいたと思うのだが、それらすべてが、吹っ飛んでしまったのだ。
あまりの威力に砂埃が舞い、モンスターの様子は見えない。
まだ生き残りがいるかもしれないというのに、爺ちゃんはいたって平然としていた。
視界が晴れると、モンスターはすべて絶命していた。爆発の威力が高かったのだろう、体がバラバラになっている奴もいる。
驚くべきことに、この爺ちゃんはそれほどの威力を、下級の魔法でやってのけてしまったのだ。
魔法塾の教師が同じイオを使っているのを見たことがあるが、明らかに段違いの威力だ。
しかも先程の様子からして、全然本気じゃない。
この爺ちゃん、唯者じゃない。
何物かは知らないが、自分なんぞ、この爺ちゃんがその気になればすぐあの世行きだ。
思わず、一歩後ずさった。
だが、爺ちゃんはこちらの警戒に気付いているのかいないのか、
「危ない所じゃったのお、お嬢ちゃん。無事で何より」
などと、にこやかに話しかけて来た。
はきはきとした、しっかりした発音だった。
「……ありがとうございました」
警戒しつつも、お礼は言う。この人がモンスターを蹴散らしてくれなかったら、今頃死んでいたかもしれない。
だが、それほどの力を持っている相手に気を許すことはできない。
この爺ちゃん、アタシがだれかは知らないのだろうが、知ったとたんに態度を豹変させるかもしれない。
先程の魔法を、意味無く浴びせられるようなことに、なるかもしれないのだ。
しかし、明らかに心からの礼じゃないにもかかわらず、爺ちゃんは気にした様子もなく、
「しかし危ないのお、こんなところをあんたみたいなちっこい嬢ちゃんが一人で。親御さんは? まさか、こんなところに一人で放り出したりはせんじゃろう? はぐれたのかの?」
などと、のんびりした口調で話しかけてくる。
思わず脱力しそうになるが、ぐっとこらえる。ここで緊張を解いたら、疲労がピークに達している今、地面に根を張って動けなくなる。
逃げる準備はしておかなければならない。
……この爺ちゃん相手に、逃げられる気はしないが。
「もしかして、何か言えない事情でもあるのかの?」
こちらが何も言わないからか、爺ちゃんは自分なりに事情を考えたようだ。
確かに言えない。勇者の子供の片割れで、家を追い出されることが確定したから、自分から町を出ましたなんて。
「名前は言えるかの?」
非常に困る質問だ。アタシの名前は有名だ。見た目の年齢とあわせて考えれば、アタシが何者かは一発で分かる。
しかし、
「アデル」
アタシは名乗った。ごまかしても、どうせばれるのだ。なら、今名乗っても変わりはない。
声がかすれていたため、向こうがアタシの名前を正確に認識できたかどうかは不明だが。
「そうか。アデルちゃんか。いい名じゃの」
しかし、しっかり聞きとれていたらしく、嬉しそうに笑みを浮かべた。
シワだらけの外見とは裏腹に、耳はかなりいいらしい。
それにしても、アタシの名前を聞いてもそんな反応とは。この爺ちゃん、アタシのこと知らないのか? 外国の人?
『マスター』
アタシが状況を把握しようと頭を回転させていると、シグルドから声がかかった。
『このご老人は大丈夫だ。マスターに危害を加える人種ではない。
緊張を解け。どの道ここから隣町とやらまで自力で行くのは不可能だ。保護してもらった方がいい』
何を根拠にそう言うのかは知らないが、こちとらそう簡単に他人を信じられる身の上ではない。
知らないふりをしているだけで、何を考えてるか分かったもんじゃないのだ。
ソーディアンの声は、アタシにしか聞こえない。だから、この爺ちゃんに怪しまれないために返事はできないが、緊張を解かないアタシを見て、
シグルドはため息をついた。
『そう疑うものではない。私には分かる。この人物は大丈夫だ。
マスター。私は、人を見る目はあるつもりだ。私を信じてくれ』
目の前の人物は信じられなくても、自分を信じろとシグルドは言う。
まあ、シグルドは信じていいと思う。だが、それとこれとは話が別だ。
「アデルちゃん。もしかして、行くところがないのかの?」
『頷けマスター。私を信じろ!』
シグルドの声に後押しされるように、知らず、アタシは首を縦に振っていた。
「そうか。なら、このジジイのところに来んか? わしは一人暮らしじゃし、ちょっと寂しいと思っておったのじゃよ。アデルちゃんのような可愛い子なら、
大歓迎じゃ」
『これは何という幸運! マスター、このご老人についていけ!』
シグルドはこの爺ちゃんと暮らすことを推奨しているようだが、アタシとしては何か裏がありそうで、そう簡単には頷けない話だ。
しかし、
「よろしくお願いします」
なぜか、アタシはそう言って頭を下げた。
「よしとくれ、そんな他人行儀なことは。これから一緒に暮らすんじゃぞ? なら、家族じゃないかの」
そう言って爺ちゃんは、右手を差し出してきた。
「ほら、つかまるんじゃ。いっぱい走って、立ってるのもやっとじゃろ?」
爺ちゃんの顔には、何の悪意もない。ただただ、人の良さそうな笑顔。
その笑顔に惹かれるように、アタシは自然とその手をぎゅっと握った。
その手は、シワだらけで、細くて、しかしこの上ない存在感があった。
……前にこうやって誰かと手をつないだのは、ずいぶん前のような気がする。
人の手の温かさが、妙に懐かしい。
「さて、ルーラで一気に帰るからの。手を離してはならんぞ。落っこちてしまうからの」
そう言って、爺ちゃんはお茶目にウインクした。
なかなか茶目っ気のある爺ちゃんだ。
「おお、いかん! 大事なことを忘れておった」
爺ちゃんは、ニコニコしながら、
「わしの名前はバシェッドじゃ。ま、好きに呼んでくれてかまわんよ」
頭をなでてきた。
頭をなでられるというのも、久しぶりな気がする。
そもそも、こうして他人と、向こうから一方的とはいえ、フレンドリーに会話するということ自体が、久しぶりだ。妹とシグルドは除外する。この二人は特別だ。
だからこそ、アタシは頷いたのかもしれない。
この人となら、一緒に暮らしてもいいと思ったのかもしれない。
「さ、帰ろうかの。ルーラ!」
びゅんっ、と一気に浮遊感。
こうして、アタシとバシェッド爺ちゃんとの生活は始まった。