目が覚めました。
「……お~……」
朝には弱いです。意識がぼんやりしてます。
むくりと体を起こす。ベッドから降りて、窓をあける。さわやかな太陽の光が降り注ぐ。
が、依然として意識は半分眠ったまま。
ここまでの行動は、ほとんど無意識のものである。
『おはようマスター。しかし、君、朝には弱かったのかね』
「ん~」
誰かが話しかけてくる。誰だっけ?
『顔を洗って来たまえ。見ていて情けなくなるほどにだらしないぞ。
ああ、あと髪もちゃんと整えてくるのだぞ』
「は~い。お母さん」
『誰がお母さんか! 寝ぼけていないで、さっさと目を覚まして来い!』
「は~い」
よく分からないが、とにかく井戸まで行ってきます。
階段を降りる。まだ誰も起きてきていないらしく、静かだ。
そのまま家を出て、共同井戸に向かう。桶とタオルを持って。
ここの井戸は、昔懐かし汲み取り式の井戸。水を汲むのは子供のアタシには一苦労だ。
水を桶にためる。そして顔を洗う。
バシャバシャ。バシャバシャ。
水はキンと冷えていて、意識がようやく覚醒してきた。
ああ、今日も朝には弱かった。これは前世からである。
せっかく生まれ変わったんだから、これは治ってほしかった。神様のケチ。
て言うか、アタシ、起きた時なんかとんでもないことした気がするんだが。
記憶があいまいで、何したか覚えていない。
タオルで顔を拭きつつ懸命に思いだそうとするも、どうしてもだめだった。
まあいいか。後でシグルドに聞こう。
朝が弱い割に、起きるのが早いのは理由がある。
視線が痛いのだ。井戸は共同だから、多くの人が使う。当然、アタシは多くの人の目に触れることになるのだ。
おまけに、悪ガキが井戸水を頭からぶっかけてきて、全身ずぶぬれになり、帰ったらマリアさんに文句を言われたこともある。
なら、誰よりも早く起きて、一人で使えばいいのだ。意識せずとも、体は自然と起きてくれるようになった。
おかげで、今はのんびりと朝を過ごすことができる。
さて、部屋に戻るか。
おそらく、アタシは来た時はフラフラしていて、帰りは見違えるほどしっかり歩いているものと思われる。
家に入る。まだ誰も起きていない。桶を所定の位置に戻し、タオルを使い終わった奴を入れるところに放り込む。
風呂場の脱衣所にある鏡で、髪を整える。バッチリ。
あとは朝ごはんの時まで、適当に時間を潰すだけである。
「ただいま~」
部屋に入る。すると、
『お帰りマスター。目は覚めたかね?』
ちゃんと返事が返ってきた。うむ、返事があるのはやっぱりいいことだ。
「ん。目は覚めた。
ねえシグルド。アタシ、起きた時なんか変なことしなかった?」
『……いや、何もしていない』
微妙な間が怪しい。しかし、なんとなく追及しない方がいいような気がして、それ以上は聞かなかった。
「さて、朝ごはんまではそれなりに時間があるし、体を動かそうかと思うんだけど」
『うむ。健康的でいいな。朝の走り込みでもすればいいのではないか? かなり早いようだし、それなりに走り込めると思うが』
「よし、決定。行くかシグルド」
『了解マスター』
その前に運動用の服に着替える。そしてシグルドをひもで背に固定する。腰にさしていると、走っている時には邪魔だ。
家を出る。軽く体をほぐす。いきなり走ったら、かえって体に悪い。適度に体を温める。
『マスター。一気に全速力だ。そしてそのスピードをキープして走り続けたまえ』
「ヘビーだなおい。分かった。それも修業だな」
言われたとおり、一気にトップスピードを出す。そしてそのまま走り続ける。
なるべく広くて走りやすいところを走る。町から出るギリギリ位のところがベストだろう。そこに向かう。
走っていて気がついたが、今までになく速い。そして体力も今まで以上にある気がする。
エクスフィア効果か。
だが、さすがに全力を出し続けていればあっという間に疲れが来る。
スピードが落ちそうになるが、
『踏ん張りどころだマスター。スピードを落とすな。
走る、というのはなかなかに効果的な修業だぞ。
全力で走り続けることによって体力がつくだけでなく、足腰も鍛えられる。
常人ならば心臓に負担がかかってしまい逆効果だが、君はエクスフィアをつけている。心臓などのことは気にしなくていい。
走れ。体は鍛えれば鍛えるだけ応えてくれる』
その言葉に、気力を振り絞る。
強くなってやる。折角機会が与えられたのだ。それをふいにしてたまるか。
結局、アタシはスピードを一度も緩めなかった。
人間、気力を振り絞れば何とかなるものである。
エクスフィアの補助が大きいと思うけどさ。
家に帰る。徐々にスピードを落とす。トップスピードからいきなり急停止するのは体に良くないだろうという判断からである。
エクスフィアつけてるから関係ないかもしれないが、そこら辺はきっちりしておいて方がいいと思う。
家に到着。
入ると、マリアさんが台所で朝食の準備をしていた。
アタシはシグルドを自分の部屋に置いて、台所のテーブルに着く。
妹が起きて来た。声を出さず、マリアさんに気付かれないようにそっと手を振る。向こうも、それに応えて手を振る。
この些細なやり取りが、心の洗濯なのだよ。
やがてテリーさんもやってきて、朝食も運ばれてきた。
今日の朝食メニュー、パン、サラダ、ベーコンエッグ。ジャムはイチゴだ。
いつものお祈りを済ませ、素早く食べ始める。
ベーコンエッグは、半熟仕上げ。先に白身の部分だけ食べ、残った黄身の部分を一気にパクリ。トロ~ッとした触感が口の中に広がり、ベリーグッド。
ほい完食。ごちそうさま。
食器をさっさと運び、部屋に戻る。
『また早かったなマスター。胃に悪いから早食いはよくないと……』
「うるさいよ。さっさと出るからね」
『こら! 最後まで聞かんか!』
いやじゃあ。付き合ってられるかっつうの。面倒臭い。
シグルドを引っ掴んでさっさと家を後にする。
まずは、魔法塾に向かう。もう行かないことを言うためだ。
魔法塾の女教師は、もう来ない旨を伝えると、「そう」とだけ言って、今まで以上の蔑む視線を向けて来た。
その反応は予想済みである。気にもならない。
「今までありがとうございました」
心にもない言葉を言い、頭を下げる。女教師は、何も言わず塾の中に戻っていった。
さて、これでいいだろう。お城の方は、妹に伝言を頼んでいるので行く必要はない。
本格的に修業に取り掛かれるが、
『食べてまだ間がない。しばらく休みたまえ』
と言われたので、いつもの湖に行って、座り込んでぼ~っと空を見上げていた。
『もういいだろう。始めよう、マスター』
「おっしゃ!」
勢いよく立ちあがる。
『さて、まずは復習だ。夜のように、刀を振るってみたまえ』
「あいよ」
刀を抜く。そしてふっと息を吐く。それでもう、精神状態は夜の時と同じになった。
研ぎ澄ます。集中する。
敵を想定する。もちろん、昨日のシグルドだ。
斬りかかろうとして、
「……あれ?」
体が、夜のように動いてくれなかった。
「ちょっ、これどういうことさ!」
『当然だ』
こっちは焦りまくっているのに、シグルドは平然と言ってのけた。
『夜の時は、あくまでも魂の時のもの。一切の枷がない状態だった。
だが、今は肉体という枷がある。魂のみの時のようにうまく動けるものか』
「昨日のは一切無駄ってか!」
『そんなわけあるまい。魂には、夜の剣技が刻み込まれている。体が追いついてこないだけだ。
君は今でこそエクスフィアの補助があるが、もともと体を動かすのには適していなかった。下地が一切ないのだ、急に体が動いてくれるものか』
がーん。ショックだ。確かに、運動オンチで、才能ゼロだけどさ。夜にあれだけ動けて、目が覚めたらできませんって。
やばい。本気でへこむ。
『なに、そう気にすることはない。誰だって初めはできんものだ。
今はエクスフィアの補助がある。運動能力自体は向上しているのだ。あとは、体を魂に追いつかせればいい』
はあ。シグルドはあっさり言うが、そう簡単なことではないだろう。
だが、こんなところでとどまっていられるか。
「やってやらあああああ!」
アタシは、夢中で体を動かし続けた。
お天道様が真上に来た。お昼です。
あれから一切の休みなく動き続けたのだが、昨日の動きには程遠く。ちっとも近づいている気がしない。
ちょっとむなしくなった。
今のアタシでは、スライムの一匹も倒せないに違いない。
イメージは明確にできるし、精神状態だって万全なのに、体はちっとも言うことを聞かない。
さすがに、自信をなくす。夜のことで自信ができていただけに、余計に。
『そう気を落とすなマスター。千里の道も一歩からだ。そう簡単に成長できるほど、人間とは理想的なものではない。
ようは、毎日の積み重ねだ』
溜息を吐きまくるアタシに、シグルドは妙に優しげな口調でそう言った。
やっぱり、エクスフィアで強化しても、もともとのスペックに影響されるんだろうな。
くそう、これほど自分の体を恨めしく思ったことはないぜ。
「まあいいや。お昼食べに帰ろう」
口調に覇気がないのは、勘弁してほしい。
とぼとぼと家にたどり着いた。玄関を開けようとして、
「……ん?」
話し声が聞こえた。
マリアさんと、テリーさんだ。
二人が話しているからなんだというのか。普通のことじゃないかと思うが、今は妙に気になった。
家の外から、声の聞こえる方に行く。台所の窓から、二人の声がはっきりと聞こえた。
「やはり出来損ないじゃ。今までここに置いてやった恩をあだで返しおって」
「まったくですわ。残りカスとはいえ、勇者としての修業を怠らなかったからこそ置いてあげていたのに」
はい? この二人、何だか不穏な話ししてないか?
「どんな出来損ないでも、勇者の子供。いつか、もしかしたら、と思っていましたけれど、もう駄目ですわね。魔法も剣ももうやらないなんて。
義父様、だから言ったではありませんか。あれは出来損ない、勇者の力を受け取り損ねた残りカスだと」
「そうじゃな。わしがいかんかった。あれほどやってだめだったのじゃ、あれには何もない。
初めから、リデア一人に集中してやるべきだったのじゃ」
話が見えてきた。ようするに、アタシはついに追い出されるのだ。
ばかばかしい。あんな目をしていたくせに、冷たい言葉を叩きつけてきたくせに、勇者としての力に、まだ期待していたのだ。
それは分かっていた。だれしもがアタシを見捨てておきながら、勇者の子供であるという一点で、まだ期待していたことは。
だが、それも今日で終わりだ。魔法も剣も、アタシは捨てた。シグルドがいるからそれは正確ではないが、はたから見ればそう見える。
戦うことを拒否した時点で、アタシの末路は決まっていた。戦う意思を捨てたなら、勇者の子供であるという、最後の価値すらも消えるのだ。
『なんという……! 己の子を……!』
「いいよ、最初からわかってたことだし」
シグルドは怒ってくれた。昨日会ったばかりの他人が、ここまで自分のために心を砕いてくれているというのは、涙が出るほどうれしかった。
アタシは、静かにその場を離れた。
『マスター!? 何をしている!』
「消える。追い出されることは確定してるし、何言われるかも分かってる。
きっと、この町から出て行けとか、妹に会うなとか、そんなところ。
あの人達から言われるのは不愉快だから、自分から消える」
『何をばかな! それに、妹君に何も言わずに出ていくつもりか! 悲しむぞ!』
「だろうね。あの子は優しいからさ。でもね、きっと会えないよ。周りが会わせないから。
そんなことになれば、余計にあの子は傷つくからさ。
このまま黙って消えるのが、誰にとってもいいんだよ」
『そんなことがあってたまるか! ならせめて、今までの恨みの一つでも叩きつけろ! 泣き寝入りだぞ、それでは!』
「かもね。でもさ、なんか疲れたし。この町から離れて暮らすのも、ありだと思うんだ」
『……妹君と共に、戦うのではなかったのか?』
「戦うさ。場所が変わるだけ。妹に会えなくなるだけ。
妹は、絶対に旅に出るから。その時、アタシは妹と一緒に行くから。
どんな状況だろうと、諦めないよ、それだけは。だから、アタシは強くなる」
そう、この国にいるなら、どこにいようとも同じ。ここに一人妹を残していくのはさみしいけど、辛いけど。アタシなんか、もしかしたら、
忘れられるかもしれないけど。
会いに行くから。旅立ちの時は、一緒に行くから。
「シグルド、アタシは、絶対強くなる。
だから、付き合ってよ、最後まで」
シグルドは、しばらく黙っていたが、
『やれやれ、世話の焼けるマスターだ』
いつもの口調で、そう言った。
待っててね、その時が来たら、迎えに行くから。一緒に行くから。
長い間一人にさせるけど、あんた一人に全部背負わせることになるけど、恨んでいいから。
だから、今は、バイバイ。