イシスに到着したポルトガ軍、約八千人。それを率いる将軍、五人。その将軍のトップ、つまりイシス遠征軍のトップは『突撃兵』ディムロス・ティンバー。
が、アタシにとってはディムロスよりも重要な人物がいた。
「ディトスさん! お久しぶりです!」
そう、ポルトガ軍の将軍の一人が、あのディトスさんだったのである! 嬉しさのあまり、走って抱きついてしまった。
ディトスさんは最初「なんだ?」って顔をしていたが、アタシだと分かると手を広げてしっかりと抱きとめてくれた。
うーむ。なんか、父親に甘えているような気分だ。オルテガさんも、昔は抱きついたら「仕方がないなあ」って顔で、でもしっかりと抱きあげてくれて、肩車してくれた。オルテガさんは大柄な人だったから、肩車してもらった時の視線の高さよ。
当時のアタシでは見えない高さ、大人になっていた前世でも見れなかった高さ。これが父の、アタシのお父さんの見ている世界であり、それを一緒に見れているという事実が無性にうれしかった。
あの頃はよかったなあ。ちゃんと家族が家族できてた。普通の一般家庭と同じく、親に甘えて、叱られて、遊んで。
いつの間にか、それらはすべて歪んでしまった。温かな家族なんてはるかかなた。手の届かない場所に行ってしまった。
父を「お父さん」と呼べず、母を「お母さん」と呼べず。きちんとした愛情もなくなり、温かいはずの場所が地獄に変わって。
だからなのか、ディトスさんといると、つい「お父さん」と呼んでしまいたくなるのだ。今はないものがそこにあるみたいで。
と言うか、呼んでしまった事がある。「お父さん」と。だってさあ、本当に、お父さんみたいなんだもん、この人。オルテガさんに似てる、とかじゃない。「お父さん」なんだ。
意味分からないかもしれないけどさ、本当に、この人「お父さん」なんだよぉ。
言ってしまった時は「しまった!」って思った。全力で謝り倒したのだが、ディトスさんは「君みたいなこのお父さんなら、大歓迎だ」なんて言ってくれてさ。
泣きそうになりましたよ。泣く一歩手前だった。
だって、二度と手に入らないんだろうなってものがさ、あっさりとすぐそこに現れたんだから。泣くなと言う方が無理だと思う。
ディクルなんかは優しく頭をなでてくれながら、
「なら俺はお兄ちゃんかー。アデルみたいな妹なら、大歓迎だ」
とか言ってくれてさ。
エミリオもそこにいたのだが、何も言わなかった。ただ、そっぽを向きながら手を握ってくれてた。
ちなみに、その時はルーティはいなかった。だが、いたらきっと、手を握ってくれたり、何かしてくれたんだと思うんだ。
ディクルにもエミリオにも、アタシの事情は話していない。それでも、彼らなりに事情を察して、それぞれの思う事をしてくれて。
あの時は嬉しかったなあ。持つべきは良き友だ。
その後しばらくして、ディトスさんに、
「うちの子にならないか?」
と言われた事がある。冗談でなく、本気でハインスト家の一員にならないか? と提案してきたのだ。
最終的には、アタシは断った。いい話だとは思ったけどね。妹の事を考えると、なんとなく。
それでも、ディトスさんは本当のお父さんみたいに接してくれた。
「お父さんと、呼んでくれていいんだよ」
なんかこの言葉を聞くと、むしろ呼んでくれと言われているような気がしていたのだが、ディクルいわく、
「本当に呼んでほしいんだよ。呼んでやってくれないか? この家にいる時だけでいいからさ」
との事だったので、ハインスト家の中では「お父さん」と呼んでいたりする。
なので、父親に甘えているような気分になるのは、むしろ当然なのだ。だって、そういう付き合いしてきてたんだし。
いやー。しかし久しぶりだねこの感じ。それは、向こうも同じだったようで、
「こうして抱きつかれるのは久しぶりだな。元気だったか? アデルちゃん」
よしよしと頭をなでながら、懐かしそうに言った。
「元気ですよ。今まで連絡しなくてすいませんでした」
「いや、いいよ。最近、色々大変な事件が起きているし。何かわけがあったんだろう?
いやしかし、元気そうで本当に良かった。ちょっと心配だったんだ」
一年と半年以上、音信不通でしたからね。そりゃ不安になるわ。
悪いことしたなあ。反省。
「何がちょっとだよ。事あるごとに「アデルちゃんは無事か?」なんて言ってたくせにさ」
これまた懐かしい声に、アタシはディトスさんから体を離して声のした方を見た。
「久しぶり。元気そうで何よりだ」
「ディクル!」
さわやかな笑顔で歩いてくるちょっと大柄な剣士は、そのままポンとアタシの頭に手を乗せた。そのままわしゃわしゃとなでる。
「ディクル、お前と言う奴は……」
ディトスさんは、何故か恨めしそうに実の息子を睨みつけた。
ディクルはそれを楽しそうに見ると、
「お父さんはシンパイショーってな。嫉妬するなよ、醜いぞ」
火花を散らす騎士親子。父親の方が劣勢か。悔しそうに息子を睨みつけ、息子の方はなんか勝者の余裕のようなものが感じられる。
あなた達、何してるんですか?
「はーい! 久しぶりね」
そんな空気をものともせず、ルーティが嬉しそうに言って来た。
ディクルはルーティを見て、嬉しそうに顔を輝かせた。
「ルーティ! こんなとこで会うなんて思わなかったよ」
「あたしはあんたが来るんじゃないかって思ってたわよ? エリート騎士さん。
ディトスさんも、お久しぶりです」
ルーティに挨拶されるや、ディトスさんは今までの不機嫌はどこに行ったと思うような笑顔になった。
「元気そうで何よりだ、ルーティちゃん。相変わらず、やんちゃしてるみたいだな」
「やんちゃなくらいが、女はいいのよ。
それより、あんた達! 紹介するから、こっち来なさい!」
ルーティの呼びかけに、今まで離れた所にいた妹達が慌ててやって来た。
やべ。ディトスさんに会えた喜びで、妹達の事が飛んでた。
まず、ディトスさんやディクルに妹達を紹介する。
ディトスさんは妹を知っていたらしく、一瞬目つきが変わった。それだけだったけど。特に何も言うことはなかった。
ディクルはフィーノが気に入ったのか、頭をポンポンして、嫌がられている。慣れろフィーノ。あれがあいつの性分だ。そう言ったら、かなりイヤそうな顔をされた。
「噂に名高いポルトガ軍の将軍殿や、騎士殿にお会いできて光栄です」
クレシェッドはそう言って優雅に頭を下げる。
ディトスさんも、「ダーマの神官殿にそう言っていただけるとは、光栄です」などと返していた。この辺り、大人のやり取りだな。
マリーさんはディクルの剣を見て、目を輝かせていた。人の背丈ほどもある、重量級の巨剣。パワーファイターのマリーさんにしてみれば、見逃せないのかもしれない。
「あ、あの」
遠慮がちに、妹がディクルに話しかける。ディクルはフィーノに嫌がられているのに頭を撫でようとしているのをやめて、妹に向き直った。
「なんだい?」
「あの、姉さんとは、どういう関係ですか?」
「ん~? そうだなあ。俺としては、兄貴分と思ってる。アデルは可愛い妹だな」
その言葉に、なんだか妹がほっとしたような気がしたんだが、何故? 妹よ、今の会話のどこにほっとする要素があるのだね?
「親父にとっては、娘みたいなもんかな。アデルも親父の事、父親みたいに思ってるみたいだし」
それを聞くと、妹が今度は複雑な表情になった。「父親みたいに……?」なんて、暗いトーンでつぶやいている。
アタシがディトスさんを父親みたいに慕ってるのに、何か思う事があるのか妹よ? いい人だぞ、この人。
「では、私は行かねばならんので、ここで失礼する。ディクル、お前はアデルちゃん達と行動を共にしろ。追って指示を出す」
「了解」
ディトスさんの指示に、ディクルは神妙な顔で答えた。親子であっても、将軍と部下ということだろう。
なんだが名残惜しそうなディトスさんは、それでも将軍としての仕事に行かねばならないので、部下の人を連れていってしまった。
「さて、ゆっくり落ちつける所に行こうか」
「なら、僕達がイシスの方々から提供していただいた部屋があります。そこに行きましょう」
クレシェッドの提案に、ディクルは「決まりだな!」と言い、その場所を詳しく聞くと、
「じゃ、俺達はそこにいるから、何か連絡事項があったらそこに」
「了解しました」
多分ディクルの部下なんだろう人にそう言うや、その人もビシッと答えた。
「偉くなったもんだねー」
アタシの言葉に、ディクルはポリポリと頭をかきつつ、
「まあ、な。小さな部隊、任されてるんだ」
嬉しそうに言った。
ディクルって、今二十二歳だよね? 騎士になって六年ってとこだったか。この昇進スピードが速いのかそうでないのか、アタシには判断がつかないが、ともあれ出世はいいことだ。
「おめでとー」
「さんきゅー」
こんな感じでディクルとじゃれ合っていると、
「仲がいいね、二人とも」
なんだか、妹が不機嫌ですよ?
なんだか拗ねたような感じでディクルを見ているが、ディクルはその視線を受けて困った顔。
アタシも困る。視線を動かしてみると、おかしそうにケラケラ笑っているフィーノと、微笑ましそうにしているクレシェッド、意地の悪い笑みを浮かべているルーティと、朗らかにニコニコ笑っているマリーさん。
何事?
「リデアもお子ちゃまねー」
ニヨニヨと笑いながら言うルーティの言葉に、フィーノがぶはっと噴き出した。
「姉さん、早くいこ!」
妹はそう言うや、アタシの手を握って速足で歩きだした。
「ちょいちょい、みんなを置いて行ってるって」
「いいから!」
何がだい? 妹よ。
後ろを見ると、ディクルが「参ったなあ」なんて顔で頭をかいている。
ルーティはい変わらず意地悪く笑っているし、フィーノは腹を抱えて笑っている。クレシェッドは苦笑しながらディクルに話しかけてるし、マリーさんはニコニコしてる。
なんぞ? この状況。
「リデア、ディクルが気に入らないの?」
「そうじゃないよ」
むっつりと返事が返ってきた。気に入らないんじゃないなら、いったい何かね?
「姉さん」
今さっきのむっつりが消えた声で、妹は言った。
「ディトスさんの事、お父さんみたいに思ってるの?」
今までの不機嫌そうな顔から一転、不安そうな、泣きそうな顔。ディトスさんをお父さんの様に思うことに、妹的に何か問題があるのか?
「思ってるよ。なんて言うか、理想的な「お父さん」なんだよね」
それを聞くと、妹はますます顔をゆがめた。
「お父さんの事、嫌い?」
ああ、そういうことか。オルテガさんの事よりも、ディトスさんの方がいいのか、オルテガさんが嫌いになったのか、だから他の人をお父さんの様に思うのか。今でもオルテガさんを慕っている妹からすれば、アタシが他人を父を慕っているのが複雑なんだろう。
「オルテガさんの事、好きかって聞かれても、実際、よく分からない」
アタシの答えは、妹にとってはショックだったようだ。顔が強張った。
「昔、肩車してくれてさ。その時の温かい思い出とか、ちゃんとあるよ。オルテガさんの温もりとか、ちゃんと覚えてる。
でもさ、なんか、なんて言うか……。上手く言えない。たぶん、アタシもはっきりと分かってないんだと思う」
妹はアタシの目をじっと見つめて来る。アタシも、目をそらさず話す。
「ディトスさんは、好きだ。オルテガさんは、よく分からない。自分でもつかめてないけど、オルテガさんを素直に「お父さん」って呼べないあたり、色々自分の中でぐるぐるしてるんだと思う」
「好きか嫌いかも分からない?」
「分からない。はっきり「好き」とも「嫌い」とも言えない。
でも、「お父さん」とは、呼べないんだ」
アタシの言葉に、妹は「そっか」とだけ言って、前を向いた。
しばらく無言。
「なら、ディクルさんは?」
さっきの複雑な表情から一転、妹は若干怖い顔で詰め寄ってきた。
「ディクル? 自称兄貴分。実際、アタシもそう思ってるとこあるし。面倒見いいしさ。
子供扱いして頭やたらとなでてくるのはイヤだけど、もう慣れたし。
歳はちょっと離れてるけど、いい友達」
「本当に? 友達? それだけ?」
怖い。妹よ、マジ怖い。殺気すら漂っているんじゃないかと思うほどだぞ。
「他に何が?」
そう言うや、今までの怖い顔はどこへやら、かなり上機嫌になる妹。
妹よ、アタシはあんたが分からない。
「友達、友達。うん、それだけなら、いいんだ~」
だから、何がだよ。聞いてみても、「いいの、いいの。気にしないで」とだけ。
気になるから。かなり気になるから。
何かと難しいお年頃?
思春期の女の子って、分からないよね。なんて、自分の事を棚にあげてみる。
ま、アタシは事情が色々特殊だからな~。
シグルドが、何気にため息ついていたのが気になるが。何だよ、何か言いたいのかシグルド。
妹は鼻歌でも歌い出しそうだし、相棒は何やら呆れてる様子だし。
アタシがいったい何をした?