「説明してくれる?」
爺ちゃんが過去のダーマ教皇、まさかそれほどの大物だとは思わなかった。
だがそんな人物が、何故遠く離れたアリアハンで、隠者のような生活をしていたのか。アリアハンのナジミの塔に住めていたのは、元ダーマ教皇だったからであろうが、それにしても解せない。
一体過去に何があった?
「お話いたします。あなたには知る権利がありますし、それに、私はあなたに知ってもらいたい」
「お願い」
クレシェッドは悲しそうに絵を見ると、意を決してという表情で話し始めた。
「ボルネン家は、過去に何人もの高位の聖職者を生みだした一族です。教皇の位についた者も少なくない。
あの方、バシェッドは、そのあふれんばかりの才能で一気に高位の聖職者になり、若いながら枢機卿の座を得ました。
そしてその時、エルフの女性と結婚なさったのです」
フィーノが驚愕の声を上げた。アタシだって驚いた。
エルフと結婚する。それは、生まれて来る子供が必ずハーフエルフになるということ。ボルネン家はかなり高位の家柄、そんな事は許されないだろう。
そもそも、人間でなく、エルフと結婚するというのは、家柄から考えてまずない。おそらく、名家のお嬢様と政略結婚でもするのが普通ではなからろうか。エルフは基本的に人間社会の中ではあまり暮らしておらず、後ろ盾などない状態だ。そんな人と結婚するとは。
「そのエルフの女性の名はリファナ。そして、二人の間に生まれた子供の名は、ルシェッド」
「ダーマ教皇まで上り詰めた奴が、ハーフエルフの父親だと?
んなバカなことがあるか! 不可能だろ!」
「ええ、普通は」
自らがハーフエルフであるがゆえに、フィーノの心境は複雑そうだ。
自分がハーフエルフで迫害されて、両親もハーフエルフの親だからと差別されて。そうして生きてきたフィーノにとって、この話は信じられないことなのだろう。
アタシだって信じられない。だが、
「爺ちゃんは、迫害の声を全部自分の実力を示すことで押しのけてきたんだね」
「そうです。あの方はまさに鬼才でした。陥れようとしてきた輩は多かったようですが、それらをすべてかわし、ついにはダーマ教皇にまでなられたのです」
それがいかに難しいことか。アタシには想像することしかできないが、かなり困難な道のりだっただろう。あるいは、暗殺の危機などもあったかもしれない。
だが爺ちゃんは、それをすべて乗り切った。自分だけでなく、家族も守りながら。
ハーフエルフの父親というレッテルをはられながら、しかしそれを上回る実力を示して上り詰めた。
普通の人間にできることじゃない。
「そしてダーマ教皇在任中に、一人のハーフエルフの孤児を引き取り、養子となさいました」
「イカレてるんじゃねえのか? そいつは!」
鬼のような形相で、でも泣きそうな目で、フィーノは叫ぶ。そんなフィーノを、妹は優しく抱きしめていた。
クレシェッドも複雑そうな顔をしている。クレシェッドにとって、爺ちゃんは身内だ。偉大な地位につきつつも、一方で迫害されるハーフエルの父親になったり、養子にしたり。
世話になったとはいえ、あくまでもほとんどつながりのない他人であるアタシでも複雑な心境になるのだ、クレシェッドの心境はいかばかりか。
「そして、息子のルシェッドが聖職に着いてすぐ、教皇の座を降りられ、教会からも身を引かれ、完全に隠居なされました」
フィーノが絶句する。何か言おうとしているようだが、言葉にならないようだった。
ハーフエルフが聖職に就けたのは父親の存在があったからだろうが、後ろ盾となってくれるはずの父親は隠居してしまった。そのルシェッドとやらの立場はかなり危ういものだっただろう。
だが、爺ちゃんがそのままで、しかも口を出したりしたら、もともと迫害されているハーフエルフ、心象がどんどん悪くなるだろう。おそらく、だから爺ちゃんは隠居したのだ。自身の実力で息子が居場所を作れるように。自分の存在が余計に息子の立場を危うくすると考えたからこそ、そして息子を信じたからこそ、自ら身を引いた。
「ルシェッドもまた、天才でした。魔法と天術の両方を操り、勉学においてもその才能をいかんなく発揮し、周りにその実力を示していったのです」
爺ちゃんが歩んだよりも、さらに険しい道。ハーフエルフであるというハンデを抱えて、それでも歩きつつける。生半可な精神力ではない。
しかも、元ダーマ教皇である父の援助は期待できないのだ。いや、してはならないのだ。そうでなければ、ルシェッドは決して進むことができなかっただろうから。
「そして枢機卿となり、ついにはダーマ教皇の地位も確実かと言われるほどになったのです」
うそ……。ありえない、勝手に口が動いた。
大陸中に広がるマーテル教の威光がいかばかりか、想像もできぬほどのものであろう。その頂点に、ハーフエルフが立つ。それはまるで、おとぎ話のようだった。
フィーノはもはや茫然としてしまっている。現実とは思えない、もはや何の冗談かというような話だ。ハーフエルフであるフィーノにとっては、あまりにも衝撃的な話だったに違いない。
だが、そして彼はダーマ教皇になりました、めでたしめでたし、で終わるほど、世の中甘くない。現に、ハーフエルフのダーマ教皇など聞いたことがない。それが実現していれば、ハーフエルフ差別はもっと変わってるだろうし、人々の話題に上がるはずなのだ。
つまり、ルシェッドは結局教皇になれなかったのだ。
教皇に選ばれるには、枢機卿の3分の2以上の票が必要とされる。教皇の地位が確実だったということは、その時は3分の2以上の票が確実だったのだろうが、コンクラーヴェという教皇選定の儀式が実施された際、票をそこまで得ることができなかった、あるいは一票も得られなかったということか。
それでも、ハーフエルフでありながら教皇に次ぐ地位である枢機卿にまで上り詰めたのはすごいとしか言いようがない。
そう言えば、先程謁見したレオ十世のフィーノを見る目に、差別的なものは含まれていなかった。陛下から話が行っているのなら、フィーノがハーフエルフであることも知っていそうなものだが。それとも陛下は、フィーノがハーフエルフであることを隠してレオ十世に話したのか。だが、いざ天術を使えば、ハーフエルフであることは一発で分かるだろうが。
やはり、レオ十世はフィーノがハーフエルフであることを知っていた可能性は高い。
ここダーマは、おそらくハーフエルフの父でありながら教皇になった人物と、ハーフエルフでありながら枢機卿にまでなった人物によって、少しずつ意識改革がおこなわれていったのかもしれない。
レオナルドさんは学生がハーフエルフに対して友好的になったみたいなことを言っていたが、おそらくこういう事情があったからではないだろうか。爺ちゃんとレオナルドさん、ハーフエルフに対する考えについては、互いに影響されていたりするのかもしれない。
ダーマでは、ハーフエルフはかなり認知されるに至っていると考えていいだろう。
「ルシェッドさんは、教皇になったんですか?」
世情にはやや疎い妹が尋ねると、クレシェッドは沈痛な面持ちで首を横に振った。それに「そんな……」と言葉を詰まらせる妹。
フィーノは、「当然だよな……」と険しい表情でこぼした。フィーノだって分かっていたはずだ。ハーフエルフの教皇など存在しないのだから。
「コンクラーヴェで選ばれなかったってこと?」
アタシの問いに、クレシェッドは拳を見ていていたくなるほどに握りしめ、「違います……!」と、血を吐くように言い放った。
「それならどんなに良かったでしょう。しかし、現実はもっと過酷でした」
クレシェッドは言葉を詰まらせ、それでも、口を何とか開いた。
「ルシェッドは殺されたのです! コンクラーヴェの場で、ハーフエルフである彼が教皇になることを疎ましく思った輩によって!」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃がはしった。
ルシェッドは選ばれたのだろう。だが、それを良く思わない奴がいた。ハーフエルフなんぞを教皇にしてたまるかと思った奴が、凶行に走ったということか。
フィーノはうつむいて、「ハーフエルフなんざ、そんなもんだよな」と自嘲的な言葉を吐いている。妹は「そんなことないよ! そんなこと、ないよ!」とフィーノの手をぎゅっと握りながら、何度も繰り返した。
偉大なハーフエルフと言っていい。ハンデを背負って、ぶっちぎりのマイナスからのスタートで、ダーマ教皇まであと一歩のところまで行った。ハーフエルフでありながら、教皇にふさわしいと、枢機卿の3分の2以上を納得させたのだ。
彼がハーフエルフ差別に対して与えた影響はきっと大きい。もちろん、いい意味で。
「ルシェッドだけでなく、リファナ様や養子にしていたハーフエルフにまで魔の手が及び、ダーマは大混乱に陥りました。
リファナ様達の遺体は発見されず、ルシェッドの遺体は他の枢機卿たちが止める間もなく灰にされ、捨てられたそうです。
そして、バシェッド様は最愛の家族を失った悲しみから行方をくらまし、そして現在に至ります」
フィーノは泣きそうな顔をしている。涙を懸命にこらえ、それでも震える体が悲しみを物語っていた。
ハーフエルフだから。ただそれだけの理由。教皇に選ばれるほど人に認められても、やはりそれを快く思わない者がいる。だって、ハーフエルフだから。
「アデルさん、あなたを見て、幼いころに遊び、勉強を教えてくださったバシェッド様を思い出しました。さすがあの方に教わっただけのことはある」
絶望した爺ちゃんはマーテル教の威光が届かぬ所へ行き、死人同然に暮らしていたんだろう。だが、アタシの知ってる爺ちゃんは、たまに暗い過去を臭わせることがあっても、それでもお茶目で家事下手でスパルタな、生き生きした人だった。
アタシの存在は、爺ちゃんにとってどうだったのか。爺ちゃんの手紙には、幸せだったと書かれていた。アタシは、爺ちゃんを幸せにできていたのか。ちゃんと、恩を返せていたのか。
そうだったら嬉しい。アタシも、爺ちゃんに助けられて、幸せに生きてこれたから。
しかし、クレシェッドの心中は複雑だろう。爺ちゃんはダーマを捨てたのだ。ダーマにいた人たちとのつながりも捨てた。クレシェッドは可愛がられていたようだから、爺ちゃんがいなくなって当時かなりショックを受けただろう。彼も、捨てられた一人なのだから。
アタシをうらやましく思っているかもしれないし、もしかしたら、疎ましく思っているかもしれない。あるいは、憎んでいるかも。
人の心は複雑だ。表面的に、クレシェッドは親しげに接してきていたが、実際はどうなのか。
アタシは、クレシェッドをじっと見た。
「私はね、アデルさん。感謝しているのですよ」
何の話かと思ったが、声は出さない。アタシは黙って聞くことにした。
「あの方を、ポルトガで見かけたという話を聞きました。情報はロマリアからですが、その時のバシェッド様は少女を連れて、非常に楽しそうにしていたと。
家族を奪われ、故郷を捨てるにいたったにもかかわらず、あの方は幸せだった。あなたのおかげだと思います。
ありがとうございます」
何と返していのか。謝るのは確実に違うし、ありがとうと返すのも違う。
いや、クレシェッドは返事など期待していない。言いたかったから言った。アタシの返事など、むしろ不要だろう。
アタシは、黙ったままうなずいた。
「何でそんなバカやらかしたんだよ、そのバシェッドってやつは! 分かり切ってたことじゃねえか!」
あふれる涙をぬぐうこともせず、フィーノは感情のままに言い放った。抱きしめていた妹を振り払い、クレシェッドに詰め寄る。
「ハーフエルフはハーフエルフだ! どうしようもねえんだよ! それなのに!」
違う。フィーノは感情があふれて、暴走してしまっているが、分かっているはずだ。クレシェッドにこんなこと言ったってしょうがないことくらい。
そもそも、誰が悪いとかいう話でも、きっとない。もちろん、ハーフエルフだからとルシェッドを殺した輩は許せない。だが、ハーフエルフに対する認識は、そういうものなのだ。それが仕方がないなんて言わない。仕方がなくなんてない。
でも、爺ちゃんもルシェッドも、それに真っ向から対峙したのだ。逃げることもなく、まっすぐに生きてきた。
爺ちゃんも、リファナさんも、ルシェッドも、養子になったらしいハーフエルフの人も、誰も悪くない。結婚も、子供を作るのも、きっとちゃんと考えてのことだろう。軽はずみなことをする人じゃないことは知っている。それだけリファナさんを愛していたし、リファナさんも爺ちゃんを愛していた。その間に生まれたルシェッドだって、生きていて色んなことがあったはず。
フィーノはエルフの女王の孫。エルフにおける高貴な血をひく者。だが、ハーフエルフというだけで受け入れられることはなかった。受け入れてくれていた人はちゃんといたが、それでも大多数の人が受け入れようとしなかった。
何の後ろ盾もなく、それでも教皇になる一歩手前までいって殺されたルシェッドと、女王が手を尽くしていたのにもかかわらず、受け入れられなかったフィーノ。
両者はちょっと似ているようで違う。それでも、フィーノにこの話はショックが強すぎた。
振り払われて茫然としている妹の肩を軽く叩く。驚いた顔でこちらを凝視してくる妹に、アタシは軽くウィンクした。
そして、後ろから思いっきりフィーノに抱きつき、乱暴に頭をなでてやる。
「何しやがる! やめろ!」
「いやだね」
フィーノは必死にもがくが、あいにくそう簡単に解放してやるつもりはない。鍛えてるんだ、甘く見るなよ?
「アタシがこうしたいんですー。あんたは大人しくなでられてりゃいいの」
くそったれ、と悪態はつくものの、フィーノは暴れることをやめた。
意識的にか無意識にか、体重をアタシにかけて来る。甘えているようだ。素直ではないが、甘えられるのはいいことだ。アタシは盛大に「いい子いい子」してやった。
爺ちゃんの衝撃的な過去。最期まで、語ることのなかった過去。
だが、思う。知れてよかったと。爺ちゃんとて、アタシが旅に出ようとしていることは知っていたのだから、いつかアタシが知ることになるということくらい分かっていたはず。
自分の口から語るには辛すぎて、それでも最後までちゃんと生きてくれていた。それでいいと思う。
やがて泣きやんだフィーノはアタシを睨みつけてきたが、それが照れ隠しであることくらい分かる。素直じゃないガキンチョめ。
それからしばらくして、アタシ達は大聖堂を後にした。
クレシェッドはまた明日来るらしい。これからの旅をどうするかとか、話し合うことはいくらでもある。
だが、今日くらいはそんなことは考えなくていいじゃないか。
泣いたことで疲れてしまったのか、フィーノは早くに寝てしまった。
「フィーノ君、いい夢見れてるといいね」
「そうだね」
現実は過酷で、でも救いがないわけじゃない。それでも、夢の中でいい思いをするのはいいことだろう。
この日の夜は雲ひとつない満天の星空。腹が立つほどに美しい、幾千幾万もの輝きがちりばめられていた。