えっちらおっちら歩いて歩いて、たまにフィーノに「ほうき使わずに自分の足で歩けよ!」と八つ当たりしてみたり、フィーノに「もう疲れたのかよ、おばさん」と言われてぶち切れかけ妹に抑えられたりと、実にほほえましい道のりが、ようやく一段落。
つまり、目的地ノアニールに着いたのである。
ごく小規模の、本当に小さな村。それはいい。
だが、今にも走り出しそうな子供とか、水を運んでいるポーズのまま動かない男の人とか、まきを切るために斧を振り上げたまま静止している人とか、本当に何これ? 見た瞬間、開いた口がふさがらなかった。
今にも動き出しそうなほど生き生きしているのに、触るとなんだか冷たい。生命活動が停止しているっぽいように思えるが、時間が止められているということで、体の代謝なども一切がストップしているのだろう。そりゃ冷たいわ。
妹も、止まっている人をまじまじと見て、顔の前で手を振ったり、パンと両手を叩いて音をたてたりしているが、無反応。やがて、諦めて戻って来た。
フィーノは不機嫌に鼻を鳴らし、
「いつ見てもムカツク光景だぜ」
と、ムチャクチャ不機嫌だった。
この村が近づいてくるに従って、その不機嫌指数は上昇して言ったのだが、今はマックスのようだ。そもそも、何で不機嫌なんだろうと思う。いったい、この光景の何に対して「ムカツク」のか。エルフがやったことだからハーフエルフとしては複雑とか、そういうのとはなんだか違う気がするし。
フィーノの不機嫌に関してはどうしようもないし、そもそも個人的なことに首突っ込むのもどうかと思うので、何も言わずに村を見て回る。
なんだか不気味だ。時間をコマで区切ってその一つを切り取れば、こんな風になるんだろうか。ここにいると、今までいた世界から切り離されて、時間においてけぼりにされたような気分になる。
エルフすげえな、と思うと同時に、恐ろしくもなる。王女をたぶらかされたそうだが、その報復がこれとは。いっそ、村焼き払うとか、皆殺しとかのほうがましだと思えてくる。
「特に変わりはないみたいだな。終わりだ、終わり! とっとと帰るぞ」
不機嫌さを隠そうともしていないフィーノは、さっさとここから出ていきたいらしく、村から出ようと歩き出した。
妹が、「待ってよ!」と慌てて止める。アタシも止めようとしたのだが、妹に先を越されてしまったので、黙っていることにした。
「ロクに休んでないのに、そのまま帰るのは危険だよ。いやでも、今日はここに泊まらないと」
妹もちゃんとフィーノの異常は気付いているようである。まあ、あれだけあからさまだったら、誰だって気付くだろうが。
「うるせえな! もうここに用事はねえだろ!」
フィーノとしては、一秒でもここにいたくないらしい。妹の手を払いのけ、村から出ようとしている。
陛下、何でこいつにこの任務与えたんですか? このイヤがりよう、ただ事じゃないんですけど。
このままだと本当に村から出ていってしまいそうなので、アタシも止めに入ろうかと思った時、
「もう帰られるのですか?」
動くのはアタシ達くらいだったはずの村に、アタシ達以外の声が静かに響いた。
「誰だ!」
フィーノがいつでも術を撃てるように構えると、
「ご安心を、敵ではありません」
手を広げ、敵意がないことをアピールしつつ、一人の男が近づいてきた。
教会で神父さんが着ている服によく似ているが、それとはまた簿妙に違う。ゆったりとしたローブ、手に持った簡素だがいいものだと分かる杖。優男風で、大した力なんてなさそうだが、その代わり魔力はそこそこ感じられる。
実は、こいつが近づいてきているのは気付いていたのだが、敵意はなさそうだったので、放っておいたのだ。フィーノも、相手が本当に危険かどうかくらい、普段なら分かりそうなもんだが、頭に血が上っている今では、それも分からないらしい。
「ど、どちら様ですか?」
妹に尋ねられると、優男は「失礼しました」と優雅に一礼した。
「名乗りもあげない無作法、まことに申し訳ありません。
私、ダーマより教皇の命により派遣されました、クレシェッド・ボルネンと申します」
ああ、あの服、ダーマの神官とかが着る服なのかな?
「で? そのダーマの人が、ここに何の用?」
敵意はなさそうだが、だからと言って完全に信用するのもまだ早い。そもそも、何でここにダーマの人間がいる?
アタシの疑問に、クレシェッドはにこりと微笑むと、一つの筒を取り出した。その筒は厳重に封印されていた。その封印にはダーマの紋章が描かれており、勝手に中身を見ていいものではない、要人に渡すためのものだとわかる。
「これをエルフの女王陛下へ渡すためです」
こいつ……。
「そ、なら、さっさと行けば?」
「そうは言われましても、私は何分非力な一神官でして、ロクに攻撃呪文も使えず、使えるのはせいぜいちょっとした回復呪文と風の呪文を中級まで。それではユミルの森までは、とてもたどりつけません」
笑顔。あくまでも笑顔。うわ、腹立つ。
こいつ、最初から、アタシ達に自分をユミルの森まで護衛させる気満々だ。いや、おそらくそれを決めたのはこいつじゃない。ダーマの上層部であり、ここにアタシ達が行くことを知らせた人物。
ロマリア国王、チェーザレ・ボルジア。
へ、い、かあああああ! アタシらに何させようとしてるんですか? ノアニールまで行って帰ってくるお使いじゃ、あんた何か不満か!
陛下め、最初からアタシらにユミルの森まで行かせる気だったな! ユミルの森に入れないフィーノをなんでつけたのか、そこらへんかなり謎なのだが。
フィーノ、もしかして……。いや、まだ推測の域を出ないし。だが、陛下がハーフエルフが入れないってことを忘れるような凡ミスするわけがないし。
ま、クレシェッドがここにいるのは陛下の差し金と思って間違いないのは確実。ダーマ教皇と陛下って、同じピサ大学で学び、主席を争ったライバル同士で、良き友人だったって聞くし。なので、こいつ個人には責任はないのだ。だってこいつは、ただの下っ端。上司からやれと言われたことをするしかないのだから。
フィーノがアタシと同じ決論にたどり着いたらしく、忌々しげに「チェーザレの野郎!」と吐き捨てている。その顔が、今までにない憤怒に彩られているが、なんか、アタシの中でこいつに関して一つの仮説が浮かんでいる今、そういう感情の一つ一つが自分の仮説の証明になっていってしまっているような気がする。
そんなフィーノを見て、妹がどうすればいいのかわからないらしく、オロオロとしている。あの様子じゃあ、妹は陛下の差し金とか、そのあたり気付いてないなあ。
アタシはため息をついた。疲れたのだ、精神的に。
陛下め、結局自分のしたいようにするんじゃないか。まあ、ならそれはそれで、仕方がないと諦めるしかない。
「お互い腹割って話そうよ。建て前とか、そういうの抜きにしてさ。
あんたは、ロマリア国王の要請によってダーマからここに来た。アタシらをユミルの森に連れていくために」
妹が「え?」と声を上げる。アタシとクレシェッドを交互に見て、明らかに混乱した様子だ。
クレシェッドは、ふふっ、とちょっとキザに笑うと、
「腹の探り合いなどは苦手です。私としても、ストレートに行く方が好ましい。
はい、その通りです。ロマリア国王陛下から、ダーマに要請が来ました。
ですが、ダーマとしては、神に近いとされるエルフの方々に、人間と軋轢を生んでほしくないという思いがあり、このノアニールの解決を望んでいるのも事実です」
ツッコミを入れたくなることを、すらすらと答えた。
つまり何かい。アタシらにノアニールを何とかしろと、そう言ってるんかい。ロマリアが長年やってきて不可能だったことを、ぽっと出のアタシらに何とかしろと?
何考えてんだ! 陛下も、ダーマも!
そしてやっぱりつまりは、そういうことか。フィーノがこのお使いにつけられたのは、そういう理由なのか。
「冗談じゃねえ! おれはハーフエルフだ! ユミルの森に入れるわけねえだろうが!」
「でしたら、森の外でお待ちいただければ。入りさえしなければ、問題はありませんから」
烈火のごとき怒りを見せるフィーノに、クレシェッドはしれっと言ってのける。なら帰れ、と言わず、あくまでユミルの森までこいと言っている。陛下がフィーノをつけたことといい、クレシェッドの態度といい、アタシの推測を裏付けるものばかり。
今回のカギは、勇者ではない。フィーノだ。
「姉さん。どうして、ハーフエルフは入れないの? それに、ユミルの森って何?」
空気を壊さないように、静かにアタシのところまで来て、小さい声で聞く妹。妹よ、やっぱり知らなかったか。
後で説明するからと言って、アタシはクレシェッドとフィーノに意識を向ける。妹もそれに異論はないらしく、二人を見た。
それにしても、妹は基本的に戦闘訓練ばっかで、一般教養的なことあんまり教わってないっぽいなあ。そこらへん、教えていかないといけないなあ。
二人の睨み合い、と言っても、フィーノが一方的に睨みつけて、クレシェッドがそれを受け流しているから、睨み合いとは言えないかもしれないが、とりあえずそれは続き、先に折れたのは、フィーノだった。
「これを仕組んだのはチェーザレだろ? なら、行くしかねえじゃねえか」
陛下には逆らえないということなのか、それとも個人的な事情から陛下には逆らいたくないのか、今までの反発からは信じられないほどあっさりと、フィーノは降参した。
「ご理解いただけて何よりです」と、クレシェッドは笑顔のまま言った。この笑顔の仮面、なかなか強固である。正直気に入らない。
「あなた方もよろしいですか?」
「アタシは異論はないよ。って言うか、オーケーの返事しか受け入れないように、色々と裏があるんでしょ? なら、余計な労力は払いたくないね」
妹も、「私も、いいです」と控えめに言うが、心配そうな眼をフィーノに向けていた。フィーノの事情を察してなのか、単に心配なだけか。どちらにせよ、私は何も言わない。フィーノに余計な気も使わない。そんなこと、あいつは望んでいないだろうし、神経を逆なでするだけだろうし。
結局、アタシ達はユミルの森に行くことになってしまった。陛下がこれを解決させるように仕組んだのなら、ちゃんと解決できると思うけどさ。勝算のないことは基本的にしないだろうし。ギャンブルは負けてたけど。
あ、もしかして、今まで国を挙げて解決できなかったことを、『勇者』に解決させることで、勇者への人々の信頼を高めようって腹か? 天魔戦争に勝つ布石を、陛下は確実に積んでいくつもりなんだろうか。解決したのが『勇者』なら、国のメンツもさほどつぶれないだろうし、陛下としてはマイナス要素はないというわけか。
「今日はここに泊まらせていただきましょう。出発は明日ということで」
クレシェッドはそう言うや、適当な民家に入って行った。いいんか神官、勝手に人の家使って。この村、場所が場所なだけに宿屋がないので、民家に泊まるしかないんだけどさ。自分もそうしようと思ってたし、今からする気満々だから強くは言えないが、神官がそれをするのはどうだろうと思うんだ。
「えっと、いいのかな? 勝手に使って」
「断りいれる相手が動かないんじゃ、勝手に使うしかないでしょ」
「『勇者』のやることじゃねえな」
フィーノはとりあえず今は吹っ切ったのか、いつもの調子に戻っている。いや、目を見ると、なんか、覚悟を決めたって感じに見えるけど。
「『勇者』とか関係ないし。アタシらは、やりたいようにやるだけさ」
「そうかよ」
「だからさ、あんたもやりたいようにやんな。過去に決着つけられる、絶好の機会だと思って」
アタシの言葉に、フィーノは目を見開いて、驚愕の表情で凝視してきた。そんなフィーノを、アタシは力任せにぐりぐりとなでる。
ほんの三カ月やそこらの付き合いでしかないし、ムカツクことを言ってくるクソガキではあるが、アタシはこいつが嫌いではない。わずか十歳でロマリア国王直属秘密部隊の隊長格の一人で、陛下の信頼も厚く、それ故にいつでも気を張っていたであろうこいつが年相応になれる場所って、少ないと思うんだ。アタシをからかっている時のこいつの顔は、まさしく「いたずら小僧」で、子供だった。
そして、こいつ自身には何の責任もない過去に、陛下は決着をつけて来いといったのだ。だから、こいつを送り出し、ダーマに根回しさえした。陛下も、こいつのことは可愛がってるんだろうな。それを普段表に出しているかどうかは知らないけど。
「アタシらがついてるさ。仲間だろ?」
フィーノは手荒に頭をなでていたアタシの手を払うと、「バカじゃねえの!」と言い捨てて、クレシェッドが入ったのとは違う家に入って行った。
あ~あ、素直じゃないねえ。顔真っ赤にして、少しは可愛いとこあんじゃん?
「姉さん、フィーノ君のこと、からかっちゃだめだよ」
「いや、楽しくて。それに」
一人じゃないって、ちゃんと分かってもらわないとねえ。
そしてフィーノが入った家にアタシらも入り、そこで一泊することにした。
普通に生活していたであろう人たちが、家の中にいて動き出しそうな感じで止まっているところに入るのは、ちょっと度胸がいるが。
台所なんかはちゃんと使えるので、久しぶりにちゃんとしたものを作ることにした。
リゾット。野営してた時にも作っていたが、台所で作るようにはいかない。やっぱ台所っていいわあ。他にも、オリジナルドレッシングチーズ風味をかけたサラダ。玉ねぎの甘味を活かしたソースをかけたお肉とか。
「先に食べといて」と妹とフィーノに言うと、アタシは家を出た。作った一人分の夕食を持って。
クレシェッドにも作ってあげたのだ。自分で作っているかもしれないが、そこはまあ、気は心、というやつで。一応これから道中を共にするわけだから、関係が悪化するよりは良好なほうがいいし。それに、久しぶりに気合入れて料理できたし。
そして、クレシェッドが入って行った民家のまえで、クレシェッドを呼ぶ。クレシェッドは、すぐに出てきた。
「何かご用ですか?」
「夕食。あんたの分も作ったから、良かったら食べてよ」
そう言って差し出したご飯を見て、クレシェッドは驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になり、「ありがとうございます」と受け取った。ふむ、今の笑顔は仮面の笑顔でなく、こいつ本来の笑顔だった。ちゃんとそういう風に笑えんじゃん。
「まさか、夕食を作っていただけるなんて」
「思ってなかった? 自分であんな風にしといて、印象最悪だろうなあって、ちょっと沈んでたとか?」
黙り込んだ。苦笑して、頷く。図星かい。
こいつは基本的にお人よしなんだろう。昼間のあれは、仕方なくとか、そんなとこか。
「今のあんたの方が好印象。明日からそのままのあんたでね」
クレシェッドは、一瞬目を泳がせたが、やがて観念したようで、静かに、しかしはっきりと「はい」と返事した。よろしい。
「じゃあ、また明日ね」
「あの、聞きたいことがあるんですが」
戻ろうとしたら、緊張した声で呼びとめられた。振り返ると、クレシェッドは目をさまよわせ、口を真一文字に結び、アタシをじっと見た。
「なに?」
何も言わないので、仕方なく促してやると、ようやっと口を開き、
「あなたが、アリアハンを出てから、世話をしていたという人物の、名は?」
何を聞くんだ、こいつ? おそらく、そのあたりのことも陛下から情報が行ってるんだろうが、どうしてこいつかそれを気にする?
「バシェッド」
とりあえず答えてやると、クレシェッドは何かを言いかけて口を閉じ、しばらく黙ったままでいたが、やがて小さな声で尋ねてきた。
「今、その方は……?」
それは、アタシも口にしたくない。だが、こいつの様子を見るとただ事じゃなく、ごまかすのはいけないような気がしたから、はっきり言った。
「死んだよ。アタシが旅立つ一年前に」
その瞬間、クレシェッドはうつむいた。どんな顔をしているかは分からないが、雰囲気からして、悲しんでいるように見える。
これ以上ここにいても何もできないだろうし、一人にしてほしそうにしていたので、アタシは何も言わずにその場を去った。
帰ると、妹もフィーノも何も食べていなかった。
あれ? 食べといてって言ったのに。
妹は笑顔でお帰りと言ってくれたし、フィーノはアタシが座るまで待ってから食べ始めた。このガキンチョめ、本当に素直じゃないな。
フィーノは食べ終わるとすぐに席を立ったが、かすかに耳に「うまかったよ」と聞こえた。今までも「うまかった」とは言っていたが、今の言葉は同じでも重みが違う。
うむ。フィーノの奴、こちらに歩み寄ろうとしてる感じだ。
妹が、「よかったね」と言って、上機嫌でリゾットを口にはこぶ。この三人の中で、一番食べるのが遅いのは妹だ。シグルドいわく、『マスターとフィーノ殿の食べるスピードが速すぎるだけだ』とのことだが。
「みんな仲がいい方がいいもんね! クレシェッドさんも!」
アタシは「そうだね」と返す。
フィーノは素直じゃないし可愛げもあまりないが、それでも可愛いクソガキだし、クレシェッドはああ見えてお人よしっぽくて、結構繊細な感じだ。
さて、この即席パーティー、どう転ぶかな?
ちょっと、明日からが楽しみだと思った。