「姉さん、命って何? どうして殺すの? 殺しちゃいけないの?」
何という哲学的な問い。妹よ、それは偉大な学者たちが常に考え続け、それでもなお完全な答えがない問いだよ。
カザーブの村に着いた。だいたい昼をちょっとすぎたくらい。本当に小さな村で、フィレンツェと比べて同じロマリアとは思えない。いや、都市と地方の差って、かなり激しくて当たり前なんだけども。あのフィレンツェの雅な街並みを見てると、そこから離れるに従ってアリアハンの田舎と変わらないようになっていくのを見るのは、ある種の感動をもたらした。
基本的に、田舎ってどこも変わらないよね。
「おれ、チェーザレに報告書書いてくるから」
フィーノはそう言うや、ほうきに乗って飛んでいてしまった。おそらく、この村の村長さんのところに行ったんだろう。この国は、その村や町に定期的に城の人間がやってきて定期報告を受ける。その定期報告の際に、自分の書いた報告書を渡してもらうらしい。今までの村でもそうしていた。
そんなシステムあるなら、わざわざ行く必要がないように思われるが、素人の報告と、訓練されたプロが見るのとではまた違う。城からきちんとした調査隊が派遣されるのは基本的に年に一回か、それ以下。それでは心もとないから、村や町の責任者から報告を受けて、その報告から怪しいと思われた場合、ちゃんとした調査団が送られる。それでもプロが実際にきちんと見たほうが、報告を受けてから動く以上に分かるんだろう。
しかし、村に着いたばかりで行かなくてもいいような気がするが、気を使ったんだろう。
妹は、相変わらず戦闘に参加しない。ロマリア襲撃のショックは、今でも続いていた。このまま放っておいても改善される可能性はないだろう。時間が何とかしてくれる類のものじゃないだろうし、ちゃんと話を聞かないと。
この二カ月の間、何とか話をしようと試みたが、妹のほうがそれを避けていたのである。無理にやって傷を広げたら本末転倒と、今まで様子を見ていたのだが、いい加減ちゃんと話をしろ、ということらしい。
あんなガキンチョにあんな気の使われ方をするとは、アタシもまだまだだなあ。
「さて、ちょっと散歩でもしよっか」
村に着いてまず初めにすることが散歩って、と自分でも思うが、「話をしよう」というサインである。妹はそれにためらいながらも頷いた。
さて、適当に話をしながら歩きつつ、人が来そうにないところっと。
あ、墓場発見。話し合いの場としては最悪だが、人が滅多に来そうにないところで、民家も近くにない。いいかも。
「さて、ちょっときゅうけーい」
それなりに大きい木の幹に背を預け、座る。そして、すぐ横の地面を軽く叩いた。
妹は、「ここに座れ」と言ったのが分かったらしく、おとなしくその場に座る。墓場を気にして、ちらちらそっちを見てるけど。
「さて、こんなところで回りくどいことはしません。ストレートに行きます」
じっと、妹の目を見る。妹は目を泳がせ、最終的にそらしてしまった。アタシが何を言いたいのか、ちゃんと分かっているんだろう。今の妹にこうして直球でぶつかるのがいいのか悪いのか、アタシには判断できない。だが、だからと言っていつまでも腫れものを扱うみたいに接していくわけにはいかない。なので、迷いなんてすっ飛ばし、いきます。
「なんで戦わないの?」
「なんで戦えるの?」
あり? 質問に質問で返されたよ。しかも、目をそらしながらも返事代わりの質問は即座だったよ。
なんで戦えるのか? これは、どういう心理から出た言葉だ? 何故戦わないかに対して、何故戦えるのか、だ。判断材料が少ないなあ。
考え込んで何も言わずにいたら、妹が今までそらしていた目をこちらに向け、怒りを感じさせる口調で言った。
「なんで戦えるの? 姉さん言ったよね? モンスターも人も、命っていう意味じゃ同じだって。なのになんで戦えるの、殺せるの?
私は怖い! 人殺しが怖くて何もできなかったけど、敵だからって殺していく人たちも、それを平然と殺せる姉さんも、みんな怖い!」
今まで、アタシは妹にこんな風に感情をぶつけられたことがない。なので、口がはさめず、妹を凝視した。
そんなアタシに何を思ったか、妹はますます怒気を強める。
「確かに、モンスターも人も生きてる。みんな同じだ。でも私は、訓練でたくさんモンスターを殺してきた。モンスターは人間を襲うけど、それでも生きてるんだって、姉さんは言った」
感情が高ぶりずぎたのか、涙があふれて流れそうになっている。それでも妹は、言葉を緩めない。
「モンスターは殺せたけど、人は殺せない。そんな自分はなんてひどい人間なんだろうって、そう思うと、何かを殺すなんてできない! 殺すのは怖いよ! 命を消すのはイヤだよ!
姉さん、どうして殺せるの? 人はなんで、何かを殺せるの?」
言い終わると、今までの怒気がウソのように消えうせた。妹は地面にへたり込み、涙をぼろぼろと流す。
しばらくそっとしておいたフィレンツェから今まで、妹は一度も泣かなかった。泣きたくても泣けなかったのか、泣きたくなかったのか。だが、涙には浄化作用がある。一度大泣きすれば、自分の中にあるもやもやがはっきりするかもしれない。
そして、ひとり言のように、ぽつりとこぼした。
「姉さん、命って何? どうして殺すの? 殺しちゃいけないの?」
それに対する答えを、アタシは持っていない。自分に対する答えは持っている。アタシはそんな高潔な人間じゃない。割り切って、殺すモノは殺すし、戦う時だと判断すれば情けは掛けない。
妹は、割り切れていない。モンスターを殺すのなんて、妹にとって今まで当たり前だった。だってそういう風に育てられたのだろうし。そこにアタシの「モンスターもヒトも同じ『命』」発言があった。そもそも、あの時は自分と同じヒトを相手にしなくてはいけない場面で、でも妹にとってヒトは守るべきもので、そこで矛盾が生じた。
あの時、妹の中で、今まで持っていた価値観、倫理観にひびが入った。そして、最終的に、あの戦いの中で壊れてしまったのだろうか。壊れるまでいかなくでも、それらを信じられずにどうしていいかわからない状態、といったところか?
「アタシは、自分のために戦う」
妹に対する答えとしては不適切だろうが、アタシ自身の考えを言わないと、妹は納得できないし、今言った問いの答え素自分で出すことはできず、その問いに潰される。
「アタシが戦うのは、結局のところ何もかもが自分のためだ。リデアのためになりたいと思ったのも自分の心を守るため、フィレンツェで戦ったのは死なないため。死んだら、リデアのために戦えなくなる、自分が守れなくなる」
涙を流しながらも、妹はアタシの顔をじっと見て、静かに耳を傾ける。アタシは、ウソ偽りのない本心を語る。
「リデアのために強くなった。一緒に戦うために強くなった。リデアが大好きだから。でも、それは結局自分がそうしたいからっていう自分の意思。そして、そのためなら、アタシは人殺しだってするし、見知らずの人間も見捨てる。
殺した命を振り返ったりしない。アタシは、アタシのために突き進む」
「それが、姉さんの意思?」
「そ。軽蔑した?」
顔がぐしゃぐしゃの妹に、アタシは軽い口調かつ、笑顔で言った。妹は、激しく首を横に振り、乱暴に涙をぬぐった。
「姉さんは、覚悟してる。命を消す覚悟も、見捨てて進む覚悟も持ってる」
そう言って、妹はうつむいて「ごめんなさい」と、弱弱しい声で謝った。
「私は、まだその覚悟はできない。まだ、戦えない」
そんなこと、アタシにとってはなんてことない。この子は大事な妹だ。戦えるとか、戦えないとか、そんなことで評価したりなんかしない。そこんとこ、分かってほしいなあ。今までいた環境のせいかね?
妹の頭をぐりぐりとなでる。
「無理して戦おうとしないこと。戦うのが無理ならそれでよし。そんなもん、アタシが全部引き受ける」
そう、妹の力になるため、今まで頑張って来たのだ。爺ちゃんのスパルタ魔法特訓とか、自分の才能のなさ加減に落ち込みながらの刀の修業とか。
あ、思い出したら目頭が熱くなってきた。ここで泣くな自分。今までのことが全部台無しだぞ自分!
「さっきの問いの答えは、自分自身で見つけなさい。自分だけの答えを。誰かから聞いた答えで分かった気になっていいことじゃない」
命は命。それだけで価値があるもの。本来、何者にも侵す権利のないもの。絶対的な価値をもつもの。しかし、世界はそれぞれが命を奪いあって初めて成り立つようになっている。食物連鎖とか、いい例だよね。
妹は、不安そうにしながらも、しっかり頷いた。
ま、どうしても無理ってんなら、何としてでもエスケープするけどね。勇者だからって、何が何でもやらなくちゃいけないとか、理不尽だと思うし。世界の危機なんだから、世界中の人間が何とかすればいいんだい。妹は今まで頑張ったので、ドロップアウトしても文句言われる筋合いないよね。
「うおおおん! いい話だなあ!」
いきなり聞こえてきた第三者の声に、アタシはとっさにシグルドを抜いた。
バカな。足音どころか、気配すら一切しなかった! 今も、気配が感じられない。何者?
「ね、ねえ、さん」
妹が、アタシの背後を見て青ざめながら指さした。それに従い、後ろを振り向くと、
「素晴らしい! 素晴らしいじゃあないか! 美しい愛情! 泣ける!」
向こう側が透けて見える、ガタイのいいおっさんがいた。
「だれ? あんた」
泣き続けているおっさんに、アタシは呆れつつも尋ねた。いつまで泣いてんだ、このおっさんは。しかも盗み聞き、いい趣味してるじゃんか。
「おれか? おれは武道家のガイル。熊を素手で倒したっていう伝説が残ってるんだけど、知らない?」
「知らない」
なれなれしいな、このおっさん。シグルド抜いたのはいいけど、所在ないよ。これ、どうしろっていうのさ。
この手の奴は苦手なんだけど、おっさん、もといガイルは、アタシがあからさまにイヤそうにしているにもかかわらず、ニコニコと話しかけて来る。
「知らないのかあ。まあ、あれ実は鉄の爪つけてたから、素手じゃないんだよね~」
適当に「ああ、そう」と相槌を打つ。あんたの伝説の真実とかどうでもいいっつうの。
空気読めよ。シリアスな会話してるとこに割り込んできやがって。今までの会話の余韻ゼロだよ。
「帰れ」
「それはないよ~。せっかくなんだから、もっと話そうよ」
「なれなれしいわ! 鬱陶しい、か、え、れ!」
「いやいや姉さん! 帰れとかいう問題じゃないよ! その人明らかに幽霊だよ!」
正気になってよ! と、がくがく揺さぶられる。ちょ、妹よ、あんたしっかり鍛えられてて力それなりにあるっていう自覚ないのか? 苦しい……。
「まあまあ、それ以上やったら、その人死んじゃうよ」
ガイルが話しかけるや、妹は悲鳴をあげてアタシの後ろに隠れた。
「あれ? 嫌われちゃったなあ」
ポリポリと頭をかいて、困った風に笑うガイル。どうしよっか? とか言いながらこっちを見るな。知らんわ。
「あんた女の子から好かれる外見じゃないし。鬱陶しいし」
「ひどいなあ」
「だから! 外見とかじゃないってば! 何で姉さん普通に会話してるの?」
妹の声は絶叫だった。後ろから耳元に向かってなもんだから、耳がキーンと痛い。
「まあ、透けてるなあ、とは思ったけど」
「それだけ?」
「昼間でも幽霊出るんだなあとか」
「そんな程度の認識?」
「ここ墓場の近くだからあり得なくもないよね」
「軽すぎるよ!」
妹はアタシの回答がことごとく気にらないらしく、それでも律義にツッコンでくる。ふっ、妹よ、なかなかいいツッコミを持っているじゃないか。
「ちょっとちょっと。おれ置いて二人だけの世界に入らないでよ。寂しいじゃないか」
「知るか」
何でアタシがお前の存在に対していちいち対処せねばならん。面倒。
「だいたい、勝手に人の重要なプライベートの会話聞いといて、なんの謝罪もなしか」
「あ、そうだった。申し訳ありませんでした」
ちゃんと頭を深々と下げて謝罪するあたり、さほど無神経でもないらしい。
「まったく。幽霊ならさ、おれ何も聞いてません知りませんを貫けばいいものを。何で出て来たのさ」
「いや、感動して、いてもたってもいられなくなって、つい」
つい、でアタシ達のあの空間は壊されたのかよ。ふざけんなよ、こら。
「斬れたら斬ってる」
「うおおお! 待って、ストップ! シャレにならない! その刀仕舞って! それ、天界からの特別性でしょ? それで斬られたら、おれ消滅する!」
あ、この世界のソーディアンって、幽霊も斬れるのか。そりゃあいい。アタシはシグルドの切っ先をガイルに向けた。面白いくらい狼狽している。
「ごめんなさい! もうしません! だからそれ向けないで! 斬らないで!」
こんな感じで、ガイルをからかっていると、
「もうイヤ! お化けいやー!」
妹が、民家のある方へ猛ダッシュ。あの走り方は、かなり必死だ。
「何でこんなの怖いの?」
「さあ?」
ガイルと顔を向き合わせて首をかしげていると、
『マスター。自分がかなり変わった人種だということを、理解しておいた方が……』
何でか、愛刀に変人扱いされた。なんでさ。
その後、ガイルと別れ、フィーノがいるであろう村長さんの家に向かった。別れる際に、
「よかったら夜にまたおいでよ。友達紹介するからさ」
と言われたが、「いらん」と切って捨ててきた。その際のガイルの落ち込みようはすさまじかった。「せっかく生きた人間の友達ができっと思ったのに」とか言ってたが、アタシはあんたの友達になった覚えはない。
だいたい、旅してて疲れてるんだから、夜に出ていくなんてことするか。夜はぐっすりお休みタイムだ。ついでに、貴重な修行時間でもある。
そして、村長さんの家に行ったのだが、
「何があったんだよ? あいつ、部屋の端っこに行って震えてんだけど」
フィーノが苦虫をかみつぶしたような顔で指さした先にいた妹は、顔を真っ青にして、膝を抱えていた。
ええ? あんなんなるもんなの?
そこで、フィーノに事の顛末を話したのだが、
「お前、変ってるって、言われねえか?」
こいつにまで変人扱いされる羽目になった。なんでだよ。
世の理不尽さを感じた、ある日の一コマ。青空が、目に痛かった。