朝起きたら、とくに目は腫れていなかった。
いつもの通りふらふらと顔を洗って、やっと目を完全に覚ます。
「おはよう、シグルド」
『おはようマスター。相変わらず、朝に弱くて何よりだ』
皮肉を言ってくるが、おそらく昨日のことを引きずっている様子がないことに安心したと言っているのだろう。
昨日は醜態さらしたからな。今日はしゃきっとするさ!
妹はまだ寝ている。起こすには、まだ時間が早い。
外に行って走りこみをしたいが、状況的に諦めることにする。
部屋は広いので、妹の睡眠所邪魔をしないように、物に当たらないように注意しつつ、素振り。
さて、ジョバンニの依頼のことは、昨日一応決定した。不安だけど。
妹の意思を尊重しつつも、アタシはしっかりと相手を、そして状況を見極めていかないといけないだろう。そういうのは、妹は苦手そうだ。
妹は、それこそ日々大変な訓練を受けつつも、実に大切に育てられて来たんだろうな、と思う。周りが、妹に世間一般的に言われる『悪』とは触れさせなかったんだろう。それこそ、蝶よ花よと育てられた、箱入りお嬢様状態?
昨日みたいな失態はせん。アタシがしっかりせねば!
そして妹も、この旅を通じて、そういうものとイヤでも関わっていくんだろう。その時、それを否定し、拒否し、逃げるようではいけない。人間イヤでも生きてたらそういうものと関わるんだから、耐性をつけておかないと。
考えると、ジョバンニの相手は、アリアハンを出たばかりの妹には、最初の関門としては高すぎたかもしれない。
人生、山あり谷あり。階段みたいに均等に段々になって、段階を踏んでいくというのはあり得ない。それこそ、子供のころにある程度、そういうものに対して慣れておくのが人間社会ってもんだけど、妹はそれをさせてもらえなかった状態。
今回のことが、吉と出るか凶と出るか。
ええい、うだうだ考えてても仕方がない! やるって決めたんだから、覚悟を決めろ、アタシ!
『余計なことを考えて剣を振るな! 乱れているぞ!』
「はい!」
今は剣をひたすら振ることだ。
「姉さん、おはよう」
「おはよー」
素振りをしていたら時間がたっていたらしく、妹が起きてきた。
妹は朝には強いんだろう、顔も洗っていないのに顔がしっかりしている。
「姉さん、朝から精が出るね」
アタシが朝早くから素振りをしていることに感心しているらしく、妹は尊敬の眼差しを向けてきた。
その視線の中に、明らかな心配の色が見えたが、そのことには気づかないふりをしつつ、いつも通りに。
「身体を動かすことはいいことさ。使わないと、シグルド拗ねるし」
「誰が拗ねるか!」とご立腹のようだが、無視。
妹は、「あ、そうだった」と言って、
「シグルドさん、おはようございます」
わざわざシグルドにもあいさつした。いやあ、意志疎通ができない相手にも、ちゃんと挨拶するのはえらいね。意思疎通できないというか、シグルドの声はアタシにしか聞こえないってだけだけど。
『ああ、おはよう、リデア殿』
「おはようだってさ」
こんなやり取りをしつつ、支度をして部屋を出る。
いざ朝食。腹が減っては戦は出来ぬ。しかもせっかくの高級ホテルの朝食、堪能せねば。
どうせ、支払いは他人だし。
朝食が終わり、ホテルのロビーで待つ。
いやあ、美味かった。本当に美味い食事だった。
「姉さん、よっぽど朝食がおいしかったんだね」
食後の幸福な余韻に浸っているのが顔に出ていたか、妹は可笑しそうに笑う。そこにはもう心配そうな雰囲気はない。
「食事は生きていく上での、大切な行為だからね。美味しく頂かないと」
『単に食い意地が張ってるだけではないか?』
ちょっと顔が引きつった。他の誰にも聞こえない声で、シグルドだけに言う。
「後でちょっと話がある」
返事はなかった。というか、答えは沈黙だった、と言うべきか。なんだか「う……!」と、怯えたようなうめきが聞こえた気がしたが、気のせいだろう。
そして、妹に「世の中にはいろんな人がいて」と、世の厳しさなんかをレクチャーしていると、
「アデル様とリデア様ですね」
見知らぬおっちゃんが、声をかけてきた。尋ねるような口調だが、声のトーンは断定形。「違います」とは言わせない雰囲気を漂わせていた。
かなりほっそりした人だ。それなりに立派なひげの、結構いい身なりをした人。しかし、なんだかひ弱そうな感じ。
相手が無言で答えを要求してくるが、アタシはそれを無視してにっこり笑い、
「失礼ですが、どちらさまでしょう?」
逆に、こちらから尋ねた。だって名乗りもせずにいきなり話しかけて来るし、しかも人の名前勝手に呼んでるし。答える必要なしと判断。これくらいなら問題あるまい。
「失礼いたしました」
おっちゃんはすぐに頭を深く下げた。機械的で、感情が一切わからない。
「私はニッコロと申します。ジョバンニ・パッツィ様から、お二方の案内と、サポートを命じられました」
にこりともせず、淡々と話すニッコロ。こんな子娘二人の相手を任された心境はどうなんだろうと思うが、そんなもの一切分からない。だが、ジョバンニにとっては「出来る部下」なんだろう。アタシ達にこうしてつけて来るということは、そういうことだ。
「そうですか、ジョバンニ様の。
自己紹介の必要はなさそうですが、一応名乗らせてもらいます。私めがアデル、横にいるのがリデアです」
向こうの無表情に対して、こちらは笑顔で応戦する。経験からして、向こうのほうが上手だと思うが、負けてたまるか。
なんだか妹が怯えているが、なんでだろう?
ニッコロの話によると、ルーラで一気にシャンパーニュの塔へ連れて行ってくれるらしい。テクテク歩いていこうものなら、二か月以上、下手をすると三カ月はかかるとか。
そんなん冗談じゃない。が、ルーラでどこに連れていかれるのかというのは、かなり不安。シャンパーニュの塔に行くふりをして、違うところだったりして。
「失礼ですが、シャンパーニュの塔には行かれたことがあるのですか?」
ルーラは使用者の経験によって決まる。行ったことがないところは、いくら知識で知っていても行けない。なので、「本当にそこに行くのか?」と聞いたのだが、
「無論でございます。私は過去二度の派遣に従軍しておりましたゆえ」
アタシの言いたいことが分かったのか分かっていないのか、相変わらずの無表情で、淡々と答える。
「間違って違うところに行ってしまうということは?」
「そのようなことは女神に誓って、ございません。確実に、あなた方をシャンパーニュの塔へお連れいたします」
むっつり、にこにこ。無表情対、笑顔。勝負はつかない。
妹よ、何でアタシを見て泣きそうになっているのかね?
結局、一時間にも及ぶ静かな戦いは、引き分けに終わった。
アタシは向こうからこれといった事を引き出せなかったし、向こうもアタシをちゃんと信じさせられていない。とは言え、結局行くのだから、一応は向こうの勝ちか。なんか悔しいが。
話が終わったと見るや、妹は勢いよく水を飲んでいるが、のど乾いたの? 話してる間でも、気にせず水飲めばいいのに。
『妹君が、若干哀れだな……』
なにが?
「では、まいります」
ホテルから出て、通行人の邪魔にならないところに行く。
ニッコロはアタシ達に確認をとり、アタシ達二人が頷いたのを見てルーラを唱えた。
まるでジェットコースターのような浮遊感。そして、最初の下り坂のような圧迫感を感じながら、飛び続ける。
やがて、ふわりと地面に降り立つと、そこは巨大な塔の前だった。
「ここが賊のアジト、シャンパーニュの塔です」
正直、いきなり目の前に飛ばされるとは思わなかった。ある程度の距離をとり、隠れながら近付くと思うのだが、いいのかこれ?
見張りなどはいない。ここに来たことはばれていないっぽい。表面的には。
「私はここで待機しております。どうか、お願いいたします」
あんた、アタシ達のサポートじゃないんかい。アタシ達だけで行けってか。
文句を言ってもいいのだが、動じやしないだろうし、それこそ体力の無駄。溜息をついて、顔を両手で勢いよく叩き、気合を入れた。
「行くぞ!」
ここまで来たら進むのみ。鬼でも蛇でも出てこいやあ!
「あ、姉さん待って」
ずんずん進むアタシに、妹は小走りで追い付いてきた。
『気合を入れるのは結構だが、空回りせんようにな』
分かってるっつの。いちいちうるさいよ。
塔の中へ突入。と言っても、勢いよく塔の入り口に突っ込んだりはしない。なるべく音をたてないように、慎重に扉を開け、全身のセンサーを全開にし、ちょっとずつ進む。
妹もアタシにならい、同じようにしてついてくるが、気配を殺し切れていない。そういう訓練はしてこなかったのだろうか。
迷わないようにマッピングしながら進む。一階部分はすべて回ったが、何もなかった。
ちょっと拍子抜け。
「姉さん。何で誰もいないの?」
「人の出入りがないってことはないんだけどなあ。なんでだろ?」
明らかに、ごくごく最近人の手が入った跡がある。無人の場所独特のにおいが一切ない。通路にちゃんと明かりついてるし。
なんとなく、上の方から人の気配がする。気配の薄さから、それなりに気配を殺しているのか、いる場所が高いので気配が伝わってこないだけか。
「上だな。人がいる」
アタシは目で妹に上に行くかを聞くと、妹は頷いた。
『虎穴に入らずんば、か? もしくは、毒を食らわばか』
さてね。どっちでもいいんじゃない?
階段を上がり、一回ずつマッピングして、上の階へを繰り返す。いい加減飽きてきたが、気配は確実に近くなっている。
そして、何もないまま、最後の部屋までやって来た。最上階らしく、もう階段はない。そして気配のするところをわざとよけて最上階を回り、最後に残った場所がここ。
描いた塔の図からして、この部屋の広さはかなりのものだと思われる。それこそ、剣を振り回しても支障がない、大立ち回りできる広さだ。
気配は二つ。たった二つ。
ジョバンニの話の嘘は証明されたわけだ。明らかに「待ち構えてます」と言わんばかり。他の賊はいないし、「二回派遣して失敗した」というのは、この状況からしてあり得ない。
しかし、これ、狙いはアタシ達二人? アタシは、アタシ達二人を利用しようとしているのかと思ったけど、これは状況的に、アタシ達をはめようとしているようにしか思えないんだけど。
アタシ達にこんなことして、向こうに何か得があるのだろうか?
ま、いいや。気配からして、向こうは臨戦態勢。アタシ達と戦おうとしている。
ふふん。向こうがそのつもりなら、やってやろうじゃないか。ストレス溜まって胃が痛みそうだったんだ。大暴れして発散させてもらおう。
アタシは向こう側に聞こえないように、妹と話す。向こうに気付いているか、向こう側の戦力をどう考えるか。
アタシの見立てでは、おそらく向こうには魔法使い、それもかなり高レベルの奴がいる。さすがに爺ちゃんクラスの使い手ではないが、油断できないと思う。もう一人からも、なんとなく魔法の気配がするが、大したことはない。たぶん、こいつは戦士タイプだろう。
妹は二人いることは分かったようだが、それ以上のことは分からなかったっぽい。
妹にアタシの考えを話し、魔法使いはアタシが、戦士は妹が担当することになった。
そして、
「突入!」
ドアをけり開け、
「ベキラマ!」
妹が先制攻撃を仕掛けた。
だが、妹のベキラマは向こうの魔法使いが放った魔法でかき消された。何の魔法を使ったかは分からなかったが。
その時、いきなりの攻撃で驚いたのか、「うお!」と野太い驚きの声が聞こえてきたが、こっちは戦士の声だろう。術を使ってる奴がこんなことになるはずがない。
上等。こんなことになるのは、初めから分かった上でのこと。ようは相手の目くらまし。
それぞれの気配に従い、アタシは魔法使いに、妹は戦士に突撃する。
ベギラマと相手の魔法が相互干渉を起こし、部屋が霧で覆われ視界が悪い。だが、アタシには相手の居場所がちゃんと分かっている。
その時、
「ストーム!」
その言葉が放たれるや、強風が吹き荒れ、部屋の霧を一気に吹き飛ばしてしまった。
さらに予期せぬ術だったため、対応できずにたたらを踏み、後退する。爺ちゃんの修業を受けたアタシが、どんな術か感知するより早く術を使うとは! やはりただ者じゃない!
視界が一気に開け、見えた二人の人物は、実にデコボコだった。
一人は十歳くらいの少年。自分で適当に切ったのらしい赤毛で、生意気そうな眼をしている。で、驚くべきことに、何とほうきにまたがって浮いている。
何これ魔女の宅急便?
もう一人、全身タイツ筋肉以上にムキムキの、ごつい大男。ぼさぼさの黒髪に無精ひげのオヤジだ。片手持ちの戦斧を右手に持ち、こちらを睨んでいる。
いや、生意気そうだけど年端もいかぬ少年と、むさ苦しいオヤジってどんな組み合わせ?
「ストーム? そんな魔法聞いたことない!」
妹が、多分少年が使った術に驚いている。
妹が知らないのも無理はない。今のは魔法じゃなく、天術だ。エルフの血を引く者にしか使えない術。
実はメディチ家の支援により様々な学問が隆盛を極めるロマリアや、五年ほど前新たに即位したダーマ教皇の後押しにより、天術の存在自体は広く知れ渡るようになっていた。だが、アリアハンは以前説明したことに起因して、天術の存在は知られていない。よって、アリアハンしか知らない妹にしてみれば、天術など未知の力だろう。
実際のところ、天術が広く知れ渡っているといっても、そういうものがあるんだということが認知されただけで、その内容に関しては、専門家しか知らないのだが。
「あんた、ハーフエルフだね?」
見たところ、この少年はエルフではない。耳がとがっていないのだ。だが天術を使える以上、エルフの血を引いている。なら、ハーフエルフだろう。
アタシの答えに少年は「へえ?」と、おもしろいものを見つけたような、それでいて生意気な笑顔を浮かべた。
「今のだけでそこまで分かるなんてな、それなりに物知ってんだな、貧相な体形の姉ちゃん」
お前、今、余計なこと、言ったよな?
自分の体形が貧相なことくらい自覚してるし、特になんとも思っていないが、明らかにバカにされたらいくらなんでも腹が立つ。
少年……あんなやつ、ガキでいい。ガキはほうきで天井近くまで上がると、「貧乳、貧乳」と意地の悪い顔で楽しそうに連呼している。
あのガキ、殺す!
『マスター! 落ちつけマスター! 子供の言ってることだ!』
やかましい。子供だからって、何でも許されると思うなよ!
「フレイムドライブ!」
三つの火球が、ガキめがけて飛んでいくが、ガキはほうきを巧みに動かし、ひょいひょいよける。ふん。かかったな!
「フォトンブレイズ!」
三つの火球が一気にはじけ、火を撒き散らす。ガキは「あちっ! あちちっ!」と空中で右往左往。ははは、いい気味だ。
「ね、姉さん……。ちょっと可哀想だよ」
妹がガキが子供ゆえか、同情したらしく引きつった声で言ってくるが、甘い!
「何を言うか! ああいう生意気なガキンチョには、あれくらいきついお灸をすえてやるのが世のため人のため自分のため!」
「自分のためかよ」
はっきりと自分の主張をしたところ、敵のはずのオヤジからツッコミが入った。
あ、シグルドの奴ため息なんてつきやがった。なんだよ、その疲れ切った雰囲気。
オヤジは「あー……」と何やら言いにくそうにしていたが、斧を一振り、今の雰囲気を変えたいらしく、無理やり叫んだ。
「へっ! さっきのベギラマ、なかなかだったぜ。さすがは勇者様だな」
まてや。
「お前、何でそのこと知ってるのかな?」
こっちは名乗ってなんかいない。いきなり攻撃を仕掛けたのだから、当然なのだが。
向こうがこちらを知る機会なんかなかった。だが、こいつは明らかにアタシ達を、少なくとも『勇者リデア』を知っている。
オヤジの失態に気付いたのか、ガキが、「このバカ!」とストーンブラストをぶつけている。オヤジは分からないのか、降ってくる石を防ぎながら「何怒ってんだよ!」と文句を言っていた。
「んなことも分からねえのか! この筋肉バカ!」
「んな! てめえ、この素晴らしき肉体美をバカにすんじゃねえぞ!」
双方ともに怒りが頂点に達したらしく、低レベルな言い合いを始めてしまった。
アタシ達そっちのけで。
「おーい」とちょっと呼び掛けてみても無視されるか、「黙ってろ!」と怒鳴られ、また元の言い合いに戻る。
あー、アタシら、何しにここに来たんだっけ?
「姉さん、どうしよう?」
「帰ろう」
即答した。待つ義理も義務もない。色々気になることはあるが、ニッコロあたりにでも聞けばいい。最悪ここに引っ張ってくれば、さすがに口を割るだろう。
だが、こいつらがあまりに低レベルすぎて、正直そこまでする気力もない。
『マスター。本当に帰るのか? いいのかそれで?』
いいの。だってなんか色々面倒くさい。
ニッコロ口割るかなあ? この惨状言えばさすがに話すよなあ。話してほしいなあ、またここまで来るのイヤだし。
ジョバンニの奴、人選間違えたんじゃないの? 何狙ってたのか知らないけどさ、もうちょっと何とかならなかったんだろうか。
曲者のくせに、変なとこ抜けてるな、あいつ。
妹の手を引いて、出口へ向かう。デコボココンビは相変わらず口げんか……のレベルじゃないな。ガキが低級とはいえ、天術でオヤジを小突きまくってる。
ま、あんなのは放っておけばいい。
妹は手を引かれているためか、ついては来るものの、後ろを見て、アタシを見て、オロオロしている。ホントに帰っていいのだろうか? と思いつつも、向こうはこっちに気付かない。そのジレンマか。呼びかけても怒鳴られるし。
その時、外にいたはずのニッコロが、血相を変えて飛び込んできた。
「大変ですぞカンダタ殿! フィーノ殿! フィレンツェが襲撃されている!」
それは、アリアハンの再来だった。