ロマリアの首都、フィレンツェ。
明らかに前世のイタリアを彷彿とさせる名である。ロマリアは『ローマ』、『イタリア』だし。安直ながらフィレンツェといえば、ルネッサンスであろうか。地図の位置的にも、ロマリアはまさにイタリアである。
アリアハンからルーラでここまで運んでもらい、運んでくれた人に礼を言って別れた。
そして最初にしたことは、お昼を食べるためのレストラン探しである。お昼まだだったし、お腹すいたし。
旅立ちの景気づけとして、豪勢に行きたいところだが、個人的に肩がこる店は勘弁願いたい。おいしくて、見た目もそれなりなら文句言わないということで、適当にウロウロと歩き回った。
が、フィレンツェの中心部だったらしく、どこもかしこも豪華で敷居の高そうな所ばかりだった。建物はいかにも金かけてますといわんばかりのものばかりだし、さすが「フィレンツェ」だけあって、そこかしこに匠の技が光る。
妹はアリアハンを出たのは生まれて初めてだ。アリアハンとは明らかに違う街並みに目を白黒させ、随所にある知性と人並み外れた感性のあふれた意匠を見て歓声を上げた。
最初に訪れた国が、このように芸術が盛んだったことは、妹にとっては非常に良かったと思う。問題は、他の国もこうなんだと思ってしまうことか。
シグルドはシグルドで、「ほう! あの細工は見事だな」とか、「マスター! あの天使像がある建物に行ってくれ! もっとよく見たい!」などと言っていた。
シグルドにとっても、ここは興味深いところのようだ。
このロマリア、前世でのルネサンスと同様、メディチ家によって学問と芸術が盛んに後押しされているのである。
この世界にもメディチ家があるのを知った時は驚いた。しかも、この世界では伯爵の位をもらいうけており、ロマリア王家とも親交があるとか。前世世界では伯爵位をもらいうけるのを辞退していたらしいので、何とも面白い。
着ている服もアリアハンとは異なっており、妹が危うく「あの服、変」と言うのを口を手でふさいで防いだ。「地方によって衣装とかは異なるものなんだよ」、と妹に教え、「変だと思っても、口に出してはいけない」と強く言い聞かせた。
服が変などと、失礼なことを言うような子だったか? 初めての異国で、舞い上がって他に意識が回らないんだろう。言い聞かせてる時も、どことなく上の空で、視線は明らかにアタシじゃなく、街を向いていた。
『無駄ではないか? マスター』
うん。そんな気がする。
アリアハンの服がダサいとか、建物の細工が凝っていないとかではない。洗練されているかいないかや、芸術に対する意識の違いだろう。
アリアハンは位置関係からして、他の文化が入ってきにくい。昔は世界の覇権を握ったらしいが、あくまで昔。現在のアリアハンは、わりと田舎である。ロマリアとは友好国であるが、その文化までもが入ってきてくれるわけではない。ロマリアで活躍している学者や芸術家は、メディチ家の庇護のもとだからこそそれぞれの分野を極めることができるのだから、そこから離れたいとは思わないだろう。よって、進んでアリアハンに行こうとする文化人はいないのだ。で、アリアハンにはロマリアの洗練された文化が入ってこないわけである。
妹が何かを見てははしゃぎ、それを私が抑えるを繰り返しながら偶然発見した乗合馬車に乗り込み、街の中心部から離れることにした。
アタシ達以外の乗客は、いかにも職人というおっちゃんと、その奥さんらしい人。それ以外にはおらず、結構空間が空いている。
妹は馬車から身を乗り出して外の景色に見入っている。落ちるんじゃないかと思うほど身を乗り出すので、必死で中に引っ張っていた。「行儀が悪いから!」と言っても、「うん」と心ここにあらずな返事しか返ってこない。最終的には、落ちないように支えることに専念した。
シグルドは「ご苦労なことだな、マスター」と、かなりからかいの色を含んだ声で言ってきた。こいつ海水につけてやろうかと思いつつ、それは表に出さない。
職人のご夫婦に何度も頭を下げたが、
「あなた達、フィレンツェは初めてかしら?」
と、気を悪くした様子もなく、フィレンツェについて色々教えてくれた。
その時、職人のおっちゃんが、
「モンスター闘技場は行ったか?」
と、奥さんの話をさえぎって、いきなり切り出した。行ってないと言うと、モンスター闘技場について熱く語り出した。
いかにモンスター同士の戦いが白熱するかとか、歴史が古いとか。
「だってのに、「あんなもの、今のフィレンツェには合わない。壊してしまえ」なんて言いやがる輩もいやがる。
ふざけんな! 庶民の楽しみを奪うんじゃねえ!」
モンスター闘技場は、昔は上流階級のたしなむものだった。古代ローマのコロッセオで、人々が戦いに熱狂したようなものだろうか。
今では庶民の娯楽になっているようである。場所も、王城がある中央からは離れた場所にあるし。
だが、上流階級の者が全てモンスター闘技場にそっぽを向いているわけでもないらしい。実際、モンスター闘技場を運営しているのは国だし、お忍びで来る貴族も多いとか。
おっちゃんの話によると、王様もお忍びでたまに来ているらしいが、ホントかそれ?
『眉唾ではないのか?』
シグルドの意見に一票。
そんなことを話していると、すっかり町の中心部は遠くなっていた。町並みはあの豪華絢爛なものでなく、わりと落ち着いたものになっている。決して簡素なつくりはしていない。さすがは大国ロマリアの首都、中央でなくても、それなりのレベルを保持しているようだ。
妹もようやく落ち着いたか、おとなしく座った。今になって、自分がいかにハイテンションになっていたかが理解できたらしく、顔を若干染めてうつむいている。それでも、目の輝きは依然失われておらず、今だにちょっとした興奮状態か。
奥さんにいい宿と飯屋を教えてもらい、礼を言って降りた。ご夫婦はまだ乗り続けるらしく、奥さんが「また会いましょうね」と言って微笑み、おっちゃんが「モンスター闘技場には行けよ!」と念押しして、馬車は去って行った。
教えてもらった飯屋に行くと、わりとこじんまりした店構えで、色使いは暖かな、感じのいい店だった。
中が若干ぼやけて見えるガラスのはめられたドアを開けると、涼やかな鈴の音がした。同時に、「いらっしゃいませ」と、これまた感じのいい店員さんが迎えてくれた。
すると、妹はアタシの後ろに隠れてしまった。そう言えばさっきも、あのご夫婦とは目を合わせようとしなかったなと思い出す。初めての異国で、今まで限られた空間にいたものだから、急に広まった世界に戸惑っている部分もあるのかもしれない。
そんな妹の態度など気にした風もなく、「お二人様ですね? こちらにどうぞ」と気持ちよく席に案内してくれた。
アタシ達の他には客はいない。窓際の席に座ると、そこから王城が見えた。ここからでも王城の荘厳さは伝わってくる。この店での一等席のようだ。
店員さんがメニューを置きつつ、「お客さん、フィレンツェは初めてですか?」と尋ねてきた。
さっき、職人の奥さんにも聞かれたんだけど、アタシら、そんなに『おのぼりさん』なんだろうか?
「はい、今日初めて来ました」
内心の不満などおくびにも出さず、アタシはにこやかにこたえる。田舎者なのは事実だが、バカにされたくはない。
だが、妹はそんなアタシの心の内など知りようもなく、興奮状態で、
「わ、私、初めてアリアハンから出たんです!」
と、『おのぼりさん』丸出しで言った。頬は上気し、目はキラキラと輝いている。
「この街に着いた時はびっくりしました。まるで別世界!」
妹よ、気づいているか? その言葉、アリアハンをまるっきり『田舎』扱いしてるってことに。
店員さんはバカにする様子もなく、むしろほほえましく思っているようで、
「ありがとうございます。どんなところが一番気に入られましたか?」
と、まるでちっちゃい子に「何が一番好き?」と聞く感じで尋ねる。
「え、えっと、名前は分からないけど、女神さまが光の精霊アスカに守られている像が、すごく素敵でした! 通りの中央にあって、周りの建物はその像を引き立てるみたいにそれぞれ女神さまが彫られていたり、描かれたりしていました」
そう、あれを見た時は正直心臓を持っていかれるかと思った。それほどの感動だったのだ。
アスカの翼にくるまれた女神は、自らを守るアスカを愛おしそうに撫でつつも、慈愛を感じさせる目で人々を見下ろしている。周りの建物の作品は、それぞれ別の人物の作品だろうが、あの像には及ばない。引き立て役でしかないのだ。
「まあ、お目が高い! あの像はこのフィレンツェで知らぬ者なしと謳われたアンジェロ・ダ・カノッサの作品ですよ。
アンジェロは国王陛下の肖像画も手掛けた、一流の芸術家です」
店員さんは、犬だったらしっぽを盛大に振っているだろう様子の妹を見て、さらに笑みを深くした。
「あの像に名はないんですよ。あえて名付けなかったとか。名をつけることで見る者に先入観を与えないためらしいですよ」
なるほど。アンジェロ氏がどのような意図を込めて作ったのかは分からないが、見る者は勝手にそれを想像する。名前があるとどうしてもその名前に引きずられがちだが、それは製作者の伝えたいこと、感じていたことだ。伝えたいなら、名をつけるほうがいいと思うのだが、あえてそれをせずに、見る者に任せる。見る者が見る者なりの解釈をすることで、初めてあの像は完成するのだ。
そう、見る者の数だけ、あの像の完成形がある。それもまた、あの像の魅力の一つだろう。
ちなみに、アスカはファンタジアおよびシンフォニアに出て来る、あの光の精霊アスカと考えていいようだ。女神像もなあ。
『あの像は、私も感銘を受けた。まさに鬼才だぞ。素晴らしい芸術家がいるのだな、ここには』
シグルドはかなりご満悦だ。かなりこの街が気に入ったらしい。
妹もまた、今の説明に感動したのか、「また今度見に行こう!」と幼児のようなはしゃぎっぷりだ。
「まあまあ、とにかく、何か食べようよ」
止まらない妹をなんとかなだめつつ、豚肉のトロトロシチュー仕立てをメインに、Aランチを頼んだ。
ここはAランチとBランチがあり、Aランチは前菜、スープ、サラダ、メインディッシュ、そしてデザートと食後のドリンク。ドリンクはお好みらしい。ので、コーヒーを頼んだ。
妹が頼んだのはBランチ。メインは白魚のカリカリ焼き、野菜ソテー添え。スープ、サラダ、メイン、Aよりも少量のデザートに、お好みのドリンク。何の飲み物がいいか分からなかったらしく、アタシと同じコーヒーをチョイスした。
A、Bともに、パンはおかわり自由。メインもある程度決まったメニューから任意で選ぶシステムだ。聞くと、その日何を仕入れられたかによって、メニューは変わるらしい。スープも同じく。
AよりもBの方が安く、量も少なめだとか。
『妹君は少食だな。それともマスターが大食らいなのかな?
マスターはしっかり肉を食べるようだし、それに対して妹君は魚か』
何が言いたい、シグルド。思い切り睨みつけてやると、鼻で笑いやがった。いや、ソーディアンに鼻ないけど。確かに聞いたぞ、「ふっ」って。
やっぱり海水につけて一日放置してやろうか。
注文を聞いてから調理を始めるらしいので、しばらくかかるらしい。
店員さんが奥に行くと、アタシ達は今後の話し合いを始めた。
妹の意見としては、魔王討伐を果たしたいとのこと。
「『勇者』はイヤだけど、これは果たしたいんだ。だって、そのために育てられて来たようなものだから」
妹の今までの人生は、そのためにあった。少なくとも、周りの人間にとっては。その中にいて、他に望みの持ちようもなかったのだろう。他の子供が遊んでいるのは見れても、他の世界でどんなことがあるか、何ができるかなど分からない。闘いの技術こそが価値であり、押しつけられたものであろうとそうして生きてきた以上、急には変えられないのだろう。
まあ、それもありだろう。言いたいこと、思うことは多々あれど、それをいちいち気にしていたのでは先に進めない。そんな簡単にできることじゃないのは確かなので、世界を見て回りながら、ゆっくりやっていけばいいと思う。
まずは妹の視野を広げること。そのためには、いろんなものを見て、聞いて、感じてみないといけない。世界を回っていれば魔王討伐の旅っぽく見えるだろうし、その辺は問題なし。
「それに、否が応でも、戦わないといけなくなると思う。
ほら、あの、バルバトスって人」
ああ、あれね。あの全身タイツ筋肉。
確かに、あいつアタシのことロック・オンしたみたいだし。どこにいようと、あいつが襲ってくるのは間違いない。
それなら、こちらから出向いてきっちり白黒つけてしまった方がいいだろう。
『あいつは油断ならん奴だ。それに、アリアハン城から去る際のあの力から考えて、いついかなる時でも襲撃の可能性はある』
そう、ディスティニー2みたいに、空間転移の術がある。ゲームみたいな感じで現れたりしてくるんだろう。
とりあえず、魔王討伐を念頭に置きつつも、適当に旅してまわることになった。だって、魔王のところに行く方法とか知らないし。どこにいるかは知ってるけどさ。
イシスの南、かつてのサブサハラ王国。それなりに栄えた王国だったらしいが、魔王が瞬く間にその国を滅ぼし、『魔王の国ネクロゴンド』と新たに名乗ったのである。しかも、どんな力を使ったのか、地形すら変えてしまった。かつてはイシスから南下して向かうことができたのに、今現在、険しい山々に遮られてとてもじゃないが行けそうもない。海を渡り、ネクロゴンドの南から北上するルートも遮られた。
ルーラがあるじゃないかと思うが、どんな結界を張ったのか、ルーラでもいけなくなってしまったのである。
まさに難攻不落。魔王は人間が攻めてくる心配をせず、のんびりやっていればいいのである。
というか、本当にのんびりだ。サブサハラはさっさと滅ぼしたのに、そのほかの国は基本放置。アリアハンを襲ったのは、バルバトスの発言からして『勇者』狙い。国を狙ったわけじゃないし、あっさり引いている。多分街のモンスターはついでだったのではないだろうか。
あれか? まわたで首を絞める感じで、じわじわなぶるのが好きとか?
さすが魔王を名乗るだけあって、悪趣味。
そんなことを話していたら、食事が運ばれてきた。
とにかく食事。腹が減っては戦は出来ぬ。
このスープ、かぼちゃの冷製スープか。濃厚で美味し。豚肉本当にトロトロ、野菜もいい具合にホコホコ。
あっという間にデザート突入。
いや、妹が食べ終わるまで、ちゃんと待ったけどね。目の前で食べてるのに、アタシは食べ終わってるとか、ちょっとむなしい。
『だから早食いの癖を直せと言ったのだ』
やかましい。
「この後どうする? 宿行く?」
とりあえず、目先の予定が決まっていない。街を見てもいいし、さっさと休んでもいい。
「私、闘技場行きたいな。おじさんが面白いって言ってたから」
ふむ。それもありか。ギャンブルらしいが、ただ見物してるだけだからって追い出されるわけじゃないみたいだし。というか、賭けずに見ている人も大勢いるとか言ってたな、おっちゃん。
ふむ、デザートは甘味の効いたショコラか。さらにキンキンに冷えたバジルのアイス。こちらもかなり甘め。妹はショコラのみ。
コーヒーは、エスプレッソだった。イタリアでコーヒーといえばこれらしいが、これがかなり濃い。が、だからこそ、甘いデザートに合うわけである。
しかし、ロマリアでもこのコーヒーが主流なんだろうか。こうやって普通に出してくるあたり、そうなんだろうけど。なんとなく、前世とのつながりが強く感じられる。
妹はコーヒーの苦みが嫌なのか、カップを持ったまま顔をしかめている。小声で「苦い……」と呟いていたので、間違いない。あ~あ、砂糖とミルクあんなに入れて、コーヒーの風味損なうよ?
腹も膨れたし、非常に満足したので、妹の希望通り、モンスター闘技場に行くことにした。
再び乗合馬車に乗る。目的地はちゃんと確認した。終点はまさにモンスター闘技場だ。
妹も今度はさすがに身を乗り出して外を見るようなことはなかった。人目があるっていうのもあるんだろうけど。
馬車ぎゅうぎゅうなんですが。しかもどんどん増えてくし。みんな闘技場行くのか。
最終的に蒸し風呂一歩手前までいった馬車は、無事、目的地に到着した。馬達可哀想に、さぞ重かったろうよ。
気を取り直して、
「いくぞ!」
「はい!」
そんなに気合を入れなくてもいい、というシグルドの小言は無視して、いざ!
中に入ると、意外に子供がいるのが分かった。ギャンブルだというから大人の世界を予想していたのだが、意外に家族で来る人気スポットだったり?
真ん中の闘技場では、モンスター同士が熾烈な戦いを繰り広げていた。こんなん子供に見せていいんか?
試合が終わると、試合結果と配当が放送される。落胆する人、大喜びする人、笑い合っている家族など、実に様々な人がいる。試合より、こっちの方が面白かったり?
「姉さん、次の試合、賭けてみようよ」
妹の意外な発言に、「へ?」と間抜けな返事を返してしまった。
意外とはっちゃけるタイプ? こういうのが好きだなんて、思わなかったよ。
妹はすでにどれに賭けるか選んでいる。ま、いいか別に。10Gくらいなら負けても懐は寒くならないし。
「賭け事などするとは何事だ!」とシグルドがうるさいけど、無視無視。うるさいオカンだよ、まったく。
なになに? スライム、大ガラス、フロッガー、バブルスライム。配当は、スライムが一番高いな。低いのはフロッガーか。次点でバブルスライム。
じゃ、バブルスライムでいいや。
「姉さん、決まった?」
「ん。バブルで」
「私はスライム」
賭けたな、妹よ。しかも千G! 当たったら十万Gだぞ。……実はギャンブラーだったのか?
そして始まった試合。
仕掛けたのは大ガラス。しかし、こいつあっさりフロッガーにやられた。そしてフロッガーはスライムを狙うが、スライムは逃げまくる。追いかけるフロッガー、逃げるスライム。その時、フロッガーがバブルスライムをふんずけて転んだ。バブルスライムはそれでキレたか、フロッガーに集中攻撃。毒を噴き出しながら周りを回るが、フロッガーも負けてはいない。踏んで踏んで踏みまくる。
結果、共倒れとなった。残ったのはスライム。
……スライム!
「やった! 姉さんやったよ!」
こやつ! 元手千で十万ゲットしやがった! 実はギャンブル強いのか?
意外と手に汗握る試合だったが、そんなものは吹き飛んだ。
もらってくるね! とか言ってスキップでもしそうな上機嫌で換金所に行く妹。
なんだか、あれだ、諸行無常。違うわバカ。自分で自分に突っ込んでしまった。
そんなアホなことを考えていると、隣で紙を破る音が聞こえてきた。
見てみると、それなりに身なりのきれいなおじさまが、つまらなそうに券を細かくちぎっていた。
そしてそれをぽいっと捨て、紙吹雪みたいに舞うそれらを見ながら、ああ、とアンニュイな声を漏らすと、
「絶対に大ガラスが来ると思ったのにな。一万Gも賭けたのに、大損だ」
盛大にため息をついた。
大ガラス最初にやられてたね。しかも一万も賭けたの?
見ると、結構な美丈夫だ。軽くカールしたつややかな黒髪に、威厳あるアゴヒゲ。着ている物もかなり上等。実は貴族とか? 一万なんてはした金?
相手が貴族ということなら、いつまでもぼーっと突っ立っていては失礼である。姿勢をただし、頭を下げようとして、
「ああ、いらんいらん。私は今はただの負け犬だ。そんな仰々しくしないでくれ」
そのアタシを、この人は肩を掴んで止めた。
「お忍びでね。騒がれたくないんだ」
まあ、貴族のお忍びって、気づいても気づいてないふりするものかもしれないけど。
「わかりました」
「敬語」
いたずら小僧のような声で、その人はチャーミングにウィンクしながら言った。
アタシはため息をつきつつ、「……わかった」と、諦めた。
「おお、名乗っていなかったな。レディ相手に、失礼した」
この人絶対モテるだろ。今の声と仕草、そこいらの女性なら一発で落ちるぞ。
おいシグルド。「れでぃ?」とかいかにもこいつがそんなタマか? みたいなニュアンスで言うな! 自分が一番分かってるわ!
「私はジョバンニ。遊び人のジョバンニだ」
ウソつけ遊び人のわけないだろ! ツッコミは、誰に聞かれるでもなく消えていった。