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No.37141の一覧
[0] テスト[むとら](2013/03/31 15:54)
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[37141] テスト6
Name: むとら◆4fc2509b ID:7abe92f5 前を表示する / 次を表示する
Date: 2013/03/31 16:35

[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり            完結
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL
Date: 2009/06/06 23:34
この作品は、フィクションです。
現実に存在する団体、個人とはまったく関係はありません。例え、現実に存在する誰かや組織、国家を連想させるような描写が為されていても、それは現実の存在とはまったく関係がありません。








『門』は閉じられなければならない。

 世界は、『門』の存在によって崩壊の危機に瀕していた。

 二つの異なる世界を繋ぐと言うことは不自然なことであり、それを超常の力で無理強いすることは、世界の存在そのものを揺るがす。事実、大陸の各地では虚黒の闇が浸食するようにして広がり、その大地は少しずつ削られている。

 だが、『門』の周囲にはそれを取り囲み、閉ざすまいとしている集団がいる。

 あちら側と、こちら側。言葉も文化も異なるこの二つの世界を繋き、物や人が行き来する。これによって得られる利益は莫大だと言う。

 この利を知れば、誰もが門を開いたままにしておきたがる。そして、門の存在が世界を崩壊させると言う警告には耳を両手で塞ぎ、瞼は固く閉じて現実を見ないようにしてしまうのだ。

「言葉で、交渉すべき時はもう終わりを告げた。今度は鉄と血の番だ」

 皇女 ピニャ・コ・ラーダの言葉に、集まった戦士達はみな頷いた。

 燃えるような朱色の髪を豪奢にも腰まで伸ばした彼女は、士官服に身を包んで凛々しいまでに背筋を伸ばして敢然と言い放った。

「アルヌスの丘を攻め落とすことは、至難の業に違いない。だが我らは、屍山血河を築いてなお進まなくてはならぬ」

 人間の騎士が、ドワーフの斧兵が、エルフの弓兵が、様々な種族の戦士達が彼女を取り囲み、その決意を握り拳を持って示した。

 精霊使い達、神官達が、それぞれの信仰にふさわしい祈りを唱えている。

 さらにはオークやゴブリンと言った怪異達、ダーク・エルフ、トロル…この世界が危機に瀕することによってその安全が脅かされる、光闇のあらゆる種族が、武器を手にして一堂に会しているのだ。

「イタミ、良いのか?門を閉じてしまえば、おまえは向こう側には戻れなくなってしまうのだぞ」

 皇女の言葉に、男は苦笑した。

「別に気にするフリなんてしなくてもいいさ。だって、いいも悪いもないんだろう?閉めるしかないんだから…」

 皇女は「そうか」と頷くと、集った戦士達に男を紹介した。

「すでに知るものもいよう。だが、紹介しておく。向こう側の世界より、我らに味方してくれるジエータイ軍の指揮官だ」

 戦士達は盾を剣で打ち鳴らし、歓迎の意を表した。

 一人一人がたてる音はそれほどでもないが、万を超える数が集まると、すさまじいばかりの轟音となる。そのため伊丹はビクッと肩をすくめてしまった。

 黒い神官の少女に背を押されて前に出てきた伊丹は、演説を求められ困ったように頭を掻く。

「え~、何を話すかなぁ…。そうだ、アルヌスの要塞で待ちかまえる敵のことを話しておこうか。あそこにいるのは、きっと誰かの愛する息子であり、また誰かの愛すべき夫であって、彼らのことを大切に思う人間が、門の向こう側にいると思う」

 戦士達は、伊丹が何を言おうとしているのか訝しがりながらも、その話に耳を傾けた。

「でも、今日この瞬間に敵と味方に分かれてしまった。もう、是非はない。あの門は閉めないと、向こう側もこちら側も関係なく世界は終わっちまう。それは事実だとここにいるみんな知ってるし俺等は納得した。だから、邪魔する奴は誰だろうと押し退けることになる」

 戦士達は頷いた。

「ホントのこと言うと、俺の祖国は門を閉じることに賛成してくれた。でも、国連の手前おおっぴらにそれを言うわけにも行かなくなってしまった。お定まりの政治という奴だ。…だから俺等がここに来ることに決めた時、上の連中は、やめろ、行くなと言いつつも武器や弾薬や食料を持ち出すのを見ない振りをしていてくれたわけだ」

 伊丹は、遠くアルヌス・ウルゥを指さした。

「あそこにいる奴らは一人一人を見ればきっと悪い奴じゃないと思う。もし、門を開いたままにしておいたら、世界が滅びるのだと教えたら、みんな門を閉じるのを賛成してくれただろう。けれど彼らは解ることが出来ないんだ。国の偉い人の言葉や、学校で教えられたことが全て正しくて、それを疑ったり違う意見や考え方を持つことは間違っているのだと教えられて育っている。彼らはそういう国から来ているんだ」

 戦士達は痛ましそうに口をつぐんだ。アルヌスの丘には、国連旗と共に、翩翻と紅地に黄色い星だの、陰陽図をモチーフにした旗がひるがえっていた。

「もう、巡り合わせが悪かったとしか言いようがない。彼らと彼らの家族には、それで納得して貰うしかないと思う。判ってもらいたいことは、ひとつ。俺等はここに来たのは憎いから戦うのではなく、世界を救うためだということ」

 群衆の一角を占める、迷彩服をまとった陸上自衛隊の隊員達に注目が集まる。その中には民間人…カメラを抱えた報道の人間や、私服姿の男女の姿も混ざっていた。門が止まる寸前まで、こちらの出来事を伝えるべくカメラの前でキャスターの娘が喋っていた。

「まいったな、世界だってよ」この言葉を受けて、自衛官達は笑った。「小説だのアニメだのには出てくるけど、世界を救うなんてセリフは募金活動やら慈善運動の標語だけだと思ってたぜ。……なんの話だっけ?そだ。
 俺等は持てるすべてを投入して、今日はみんなと肩を並べて戦う。俺等が門の向こう側を代表しているわけじゃないけど、門の向こう側にいる連中全てが敵な訳ではないことを知っていて欲しい。それだけは頼む」

 伊丹は、足下から自分を見上げているエルフの少女を一瞥した。エルフの少女と視線が合うと、男は「うん」と頷いた。

 エルフの少女ばかりではない、あらゆる種族の戦士達が彼を見上げていた。

 魔導師達の呪文の詠唱は、大空を揺るがすほどのうねりとなって響いた。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 01
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:17
-序の壱-





 平成××年 夏

 その日は、蒸し暑い日であったと記録されている。

 気温30℃を越え湿度も高く、ヒートアイランドの影響もあって街は灼熱の地獄と化していた。

 にもかかわらずその日は土曜日。多くの人々が都心へと押し寄せ、行楽や買い物を楽しんでいた。

 午前11時50分。

 陽光は中天にさしかかり、気温もいよいよ最高点に達しようとした頃、東京都中央区銀座に突如『異世界への門』が現れた。

中から溢れだしたのは、中世ヨーロッパ時代の鎧に似た武装の騎士と歩兵。そして……ファンタジーの物語や映画に登場するオークやゴブリン、トロルと呼ばれる異形の怪異達だった。

 彼らは、たまたまその場に居合わせただけの人々へと襲いかかった。

 老いも若きも男も女も、人種国籍すら問わない。それは殺戮そのものが目的であるかのようでもあった。

 平和な時代。平和であることを慣れ親しんだ人々に抵抗の術はなく、阿鼻叫喚の悲鳴と共に、次々と槍や剣にかけられていく。

 買い物客が、親子連れが、そして海外からの観光客達が次々と馬蹄にかけられ、槍を突き刺され、そして剣によって斬られた。

 累々たる屍が街を覆い尽くし、銀座のアスファルトは血の色で赤黒く舗装された。その光景に題字を標するなら『阿鼻叫喚の地獄絵』。

 異界の軍勢は、積み上げた屍の上に、さらなる屍を積み、そうして出来た肉の小山に漆黒の軍旗を掲げた。そして彼らの言葉で、声高らかにこの地の征服と領有を宣言した。

 それは聞く者の居ない一方的な、宣戦布告だった。

『銀座事件』

 歴史に記録される異世界と我らの世界との接触は、後にこのように呼ばれることとなった。




    *      *




 時の首相、今泉内閣総理大臣は国会で次のような答弁を行っている。

「当然のことであるが、その土地の地図はない。

 どんな自然があり、どんな動物が生息するのか。そして、どのような人々が暮らしているのか。その文化レベルは?科学技術のレベルは?宗教は?統治機構の政体すらも不明である。

 今回の事件では、多くの犯人を『逮捕』した。

『逮捕』などというの言葉を使うのも、もどかしく感じる。これと言うのも、憲法や各種の法令が『特別地域』の存在を想定していないからである。そして我が国が、有事における捕虜の取り扱いについての法令を定めていないからでもある。

 現在の我が国の法令に従えば、彼らは刑法を犯した犯罪者でしかない。

 ならば、強弁と呼ばれるのも覚悟で『特別地域』を日本国内と考えることにする。

 門の向こう側には、我が国のこれまで未確認であった土地があり住民が住んでいると考えるのである。

 向こう側に統治機構が存在するとしても、これと交渉し国境を確定して、国交を結ばなければ独立した国家としては認められない。現段階では、彼らは無辜の市民・外国人観光客を襲った暴力集団でありテロリストなのだ。

 『平和的な交渉を』という意見もあるだろう。だが、それをするには相手を交渉のテーブルにつけさせなければならない。どうやって?現実的に我々は『門』の向こうと交渉を持っていないのに。

 我々は『門』の向こう側に存在する勢力を、『我々の』交渉のテーブルに付かせなければならないのだ。力ずくで、頭を押さえつけてでもだ。

 そして交渉を優位に進めるには、相手を知る必要もある。

 逮捕した犯人達…言葉が通じない彼らからも、少しずつ情報を得ることが出来るようになった。だが、それだけを頼りにするわけにはいかない。誰かがその眼と耳で確かめるために赴かなければならないだろう。

 従って、我々は門の向こう側へと踏み入る必要がある。

 だが、無抵抗の民間人を虐殺するような、野蛮かつ非文明的なところへと赴くのである。相応の危険を覚悟しなければならないだろう。

 まずは、非武装と言うわけにもいかない。さらに『特別地域』内の情勢によっては、交戦することも考えられる。未開の地で誰を味方とし、誰を敵とするかその判断も、現場にある程度任せる必要もあるだろう。

 なにも、危ないところへわざわざ行く必要はない。いっそのこと、門が二度と開かれることのないように破壊してしまえばよいという意見が、共産主義者党や社会主義者党から出ているが、ただ扉を閉ざせばこれで安全だと言い切れるのだろうか。

 これから日本国民は、同じような『門』が今度はどこに現れるかという不安を抱えて生活しなくてはならなくなる。今度、あの『門』が開かれるのはあなた方の家の前、家族の前かも知れない。

 さらには、被害者やご遺族への補償をどうするかという問題もある。

 もし、『特別地域』に統治機構があってそこに責任者がいると言うのであらば、我が国の政府としては、今回の事件について誠意のある謝罪と補償、そして責任者の引き渡しを断固として求めなければならない。

 もし相手方がこれに応じないならば、首謀者を我らの手で捕らえ裁きにかける。資産等があればこれを力ずくにでも差し押さえて、遺族への補償金に充てる。

 これは、被害者やご遺族の感情からみても当然のことである。

 従って、我が日本国政府は、門の向こうに必要な規模の自衛隊を派遣する。

 その目的は調査であり、かつ銀座事件の首謀者逮捕のための捜査であり、補償獲得のための強制執行である」




 『特別地域』自衛隊派遣特別法案は、共産主義者党及び社会主義者党が反対するなか、衆参両議院で可決された。

 なお、アメリカ合衆国政府は、「『門』の内部の調査には、協力を惜しまない」との声明を発表している。今泉内閣総理大臣は「現在の所は必要ではないが、情勢によってはお願いすることもありえる。その際はこちらからお願いする」と返答している。

 中国と韓国政府は、『門』という超自然的な存在は、国際的な立場からの管理がなされることが相応しい。日本国内に現れたからと言って、一国で管理すべきではない。ましてや、そこから得られる利益を独占するようなことがあってはならなないとのコメントを発表した。




-序の弐-




「はっきり申し上げさせて頂きますが、大失態でありましたな。陛下にお尋ねしたい。この未曾有の大損害にどのような対策を講じられるおつもりか?」

 元老院議員であり、貴族の一人でもあるカーゼル侯爵は、議事堂中央にたって玉座の皇帝モルト・ソル・アウグスタスに向けて歯に衣着せぬ言葉を突きつけた。元老院議員は議場内であれば、至尊の座を占める者に対してもそれをすることが許されていたし、またそれをすることが求められていると確信していたからでもある。

 薄闇の広間。

 そこは厳粛であることを旨に、華美な飾り付けを廃し静謐と重厚を感じさせる石造りの議事堂だった。円形の壁面にそって並べられたひな壇に、いかめしい顔つきの男達が座って、中央をぐるりと囲んでいる。

 数にしておよそ三百人。帝国の支配者階級の代表たる、元老院議員達であった。

 この国において元老院議員となるには、いくつかのルートが存在する。その一つが権門の家に生まれること。いずこの国であっても、貴族とは稀少な存在であるが、この巨大な帝国の帝都では石を投げれば貴族に当たると言われているほどに数が多いのだ。従って、ただ貴族の一人として生まれただけでは、名誉ある元老院議員の席を得ることは出来ない。貴族の中の貴族と言われるほどの名門、権門の一員でなければ、元老院議員とはなれないのである。

 では、権門でもなく名門でもない家に生まれた貴族は、永遠に名誉ある地位を占めることは出来ないかというと、そうでもないのである。その方法として開かれている道が、 大臣職あるいは軍に置いて将軍職以上の位階を経験することであった。

 国家の煩雑且つ膨大な行政を司るには官僚の存在が不可欠である。権門ではないが貴族の一族として生まれ、才能に恵まれた者が立身を志したなら、軍人か官僚の道を選ぶという方法が存在した。軍や官僚において問われるのは実務能力である。名ばかり貴族の三男坊であっても、才能と勤労意欲、そして幸運さえあればこの道を進むことも可能なのである。

 大臣職は宰相、内務、財務、農務、外務、宮内の六職ある。軍人となるか官僚の道を選び、大臣か将軍の職を経験した者は、その職を退いた後に自動的に元老院議員たる地位が与えられる。ちなみに将軍職については、出身階級が平民であっても着くことが出来る。というのも、士官になると騎士階級に叙せられ、位階を進めるにつれ貴族に叙せられることも可能だからである。

 カーゼル侯爵は、男爵という爵位としてはあまり高いとは言えない位階の家に生まれた。そこからキャリアを積み、大臣職を経て元老院議員たる席を得たのである。そうした努力型の元老院議員は、自らの地位と責任を重く受け止める傾向がある。要するに張り切りすぎてしまうのである。得てしてそういう種類の人間は周囲からは煙たがれるもので、そして煙たがられれば煙たがられるほど、より鋭く攻撃的な舌鋒になってしまうのだった。

「異境の住民を数人ばかり攫ってきて、軟弱で戦う気概もない怯懦な民族が住んでいる判断したのは、あきらかに間違いでした」

 もっと長い時間をかけて偵察し、可能ならばまずは外交交渉をもって挑み、与し易い相手かどうかを調べ上げるべきだったのだ、と畳みかける。

 確かに、現在の情勢は最悪であった。

 帝国の保有していた総戦力のおよそ6割を、此度の遠征で失ってしまったのだ。この回復は不可能でないにしても容易ではなく、莫大な経費と時間を必要とする。

 当面、残りの4割で帝国の覇権を維持していかなくてはならないのだ。だが、どうやって。

 モルト皇帝は即位以来の30年、武断主義の政治を行ってきた。周辺を取り囲む諸外国や、国内の諸侯・諸部族との軋轢、諍いを武力による威嚇とその行使によって解決して、帝国による平和と安寧を押しつけてきた。

 帝国の圧倒的な軍事力を前にしては周辺諸国は恭順の意を示すより他はなく、あえて刃向かった者は全て滅んだ。

 諸侯の帝国に対する反感がどれほど高かろうと、圧倒的な武威を前にしてはそれを隠すしかない。帝国は、この武威によって傲慢かつ傍若無人に振る舞うことが許されてきたのである。

 だが、その覇権の支柱たる『圧倒的な軍事力』の過半を失った今、これまで隠忍自重をつづけてきた外国や諸侯・諸部族がどう動くか。

 帝国におけるリベラルの代表格となったカーゼル侯爵は、法服たるトーガの裾をはためかせるように手を振り、声を張りあげて問いかけた

「陛下!皇帝陛下は、この国をどのように導かれるおつもりか?」

 カーゼル侯爵が演説を終えて席に着く。

 すると皇帝は、重厚さを感じさせるゆっくりとした動きで、その玉座の身体をわずかに傾けた。その視線はゆらぐことなく、自ら指弾したカーゼル侯爵へと向けている。

「侯爵…卿の心中は察するぞ。此度の損害によって帝国の軍事的な優位が一時的に失せたことも確かだ。外国や諸侯達が隠していた反感を顕わにし、一斉に帝国へ反旗を翻し、その鋭い槍先をそろえて進軍してくるのではないかと、恐怖に駆られて夜も眠れないのであろう?痛ましいことだ」

 皇帝のからかうような物言いに、議場の各所から嘲笑の声がわずかに漏れた。

「元老院議員達よ、250年前のアクテクの戦いを思い出してもらいたい。全軍崩壊の報を受けた我らの偉大なる祖先達が、どのように振る舞ったか?勇気と誇りとを失い、敗北と同義の講和へと傾く元老院達を叱咤する、女達の言葉がどのようなものであったか?

『失った5万6万がどうしたというのか?その程度の数、これで幾らでも産んでみせる』そう言ってスカートをまくって見せた女傑達の逸話は、あえて言うまでもないだろう?

 この程度の危機は、帝国開闢以来の歴史を紐解けば度々あったことだ。わが帝国は、歴代の皇帝、元老院そして国民がその都度、心を一つにして事態の打開をはかり、さらなる発展を得てきたのだ」

 皇帝の言葉は、この国の歴史である。元老院に集う者にとっては、改めて聞かされるまでもなく誰もがわきまえていることであった。

「戦争に百戦百勝はない。だから此度の戦いの責任の追求はしない。敗北の度に将帥に責任を負わせていては、指揮を執る者がいなくなってしまう。まさかと思うが、他国の軍勢が帝都を包囲するまで、裁判ごっこに明け暮れているつもりか?」

 議員達は、皇帝の問いかけに対して首を横に振って見せた。

 誰の責任も問われないとなれば、皇帝の責任を問うことも出来ない。カーゼルは、皇帝がたくみに自己の責任を回避したことに気付いて舌打ちをした。ここであえて追求を重ねれば、小心者と罵倒された上に、『裁判ごっこ』をしようとしていると言われかねない雰囲気になっている。

 さらに皇帝は続ける。

 此度の遠征では熟練の兵士を集め、歴戦の魔導師をそろえ、オークもゴブリンも特に凶暴なモノを選抜した。

 十分な補給を調え、訓練を施し、それを優秀な将帥に指揮させた。これ以上はないという陣容と言えよう。

 将帥が将帥たる責務、百人隊長が百人隊長たる責務、そして兵が兵たる責務を果たすよう努力したはずだ。

 にもかかわらず、7日である。

 ゲートを開いてわずか7日ばかり。

 敵の反撃が始まってから数えれば、わずか2日で帝国軍は壊滅してしまったのだ。

 将兵の殆どが死亡するか捕虜となったようだ。『ようだ』、と推測することしか出来ないのも、生きて戻ることが出来た者が極めて少ないからである。

 今や『ゲート』は敵に奪われてしまった。『ゲート』を閉じようにも、『ゲート』のあるアルヌスの丘は敵によって完全に制圧されて、今では近付くことも出来ないでいる。

 これを取り戻そうと、数千の騎兵を突撃させた。だがアルヌスの丘は、人馬の死体が覆い尽くし、その麓には比喩でなく血の海が出来た。

「敵の武器のすごさがわかるか?パパパ!だぞ。遠くにいる敵の歩兵がこんな音をさせたと思ったら、味方が血を流して倒れているんだ。あんな凄い魔術、儂は見たこともないわ」

 魔導師でもあるゴダセンが、敵と接触した時の様子を興奮気味に語った。

 彼と彼の率いた部隊は、枯れ葉を掃くようになぎ倒され、丘の中腹までも登ることが出来なかった。ふと気づいた時には、静寂があたりを押し包み、動く者は己を除いてどこにもいない。見渡す限りの大地を人馬の躯が覆っていたと描写した。

 皇帝は瞑目して語る。

「すでに敵はこちら側に侵入してきている。今は門の周りに屯(たむろ)して城塞を築いているようだが、いずれは本格的な侵攻が始まるだろう。我らは、アルヌス丘の異界の敵と、周辺諸国の双方に対峙していかなければならない」

「戦えばよいのだっ!」

 禿頭の老騎士ポダワン伯爵は、立ち上がると皇帝に一礼して、主戦論をもって応じた。

「窮しているのであれば、積極果敢な攻勢こそが唯一の打開策じゃ。帝国全土に散らばる全軍をかき集めて、逆らう逆賊や属国どもを攻め滅ぼしてしまえ!!そして、その勢いを持ってアルヌスにいる異界の敵をうち破る!!その上で、また門の向こう側に攻め込むのじゃ!」

 議員達は、あまりな乱暴な意見に「それが出来れば苦労はない」と、首を振り肩をすくめつつヤジった。全戦力をかきあつめれば、各方面の治安や防衛がおろそかになってしまう。皆が口々に罵声をあげ、議場は騒然となった。

 ポダワンは、逆賊共は皆殺しにすればよい。皆殺しにして、女子どもは奴隷にしてしまえばよい。街を廃墟にし、人っ子一人としていない荒野に変えてしまえば、もうそこから敵対するものが現れる心配などする必要もなくなる…などと、過激すぎる意見で返す。だが非現実的なことのようだが、歴史的に見れば帝国にはその前科があった。

 帝国がまだ現在よりも小さく、四方が全てが敵であった頃、四方の国をひとつずつ攻略しては、住民を全て奴隷とし、街を破壊し、森は焼き払い農地には塩をまいて、不毛の荒野として、周囲を完全な空白地帯とすることで安全を確保したのである。

「だが、それがかなったとしても一体全体どうやってアルヌスの敵を倒す?力ずくでは、ゴダセンの二の舞を演じることになろうな?」

 議場の片隅からとんできた声に対して、ポダワン伯は苦虫を噛みつぶしたような表情をしながらも、苦しげに応じる。

「う~そうじゃな…属国の兵を根こそぎかき集めればよい。四の五の言わせず全部かき集めるのじゃ。さすれば数だけなら10万にはなるじゃろて。弱兵とは言え矢玉除けにはなろうて。その連中を盾にして、遮二無二、丘に向かって攻め上ればよいのじゃよ!」

「連中が素直に従うのものか!?」
「そもそもどんな名目で兵を供出させる?素直に全力の過半を失いましたから、兵を出してくださいとでも言うのか?そんなことをしたら、逆に侮られるぞ」

 カーゼルは、空論を振りかざして話をまとまりのつかない方向へとひっぱっていこうとするポダワンという存在を苦々しく思った。

 タカ派と鳩派双方からのヤジの応酬が始まり、議場は騒然となる。

「ではどうしろと言うのか?!」

「ひっこめ戦馬鹿!」

 議員達は冷静さを失い、乱闘寸前にまでヒートアップする。時間だけが虚しく過ぎ去り、わずかに理性を残す者もこのままではいけないと思いつつ、紛糾する会議をまとめることが出来ない。

 そんな中で、皇帝モルトが立ち上がった。発言しようとする皇帝を見て、罵り合う貴族達も口を噤み静かになっていく。

「いささか、乱暴であったがポダワン伯の言葉は、なかなかに示唆に富んだおった」

 ポダワンは、皇帝にうやうやしく一礼。

 皇帝の言葉に、貴族達は冷静さを取り戻していく。皇帝が次に何を言うのかと聞こうとし始めていた。

「さて、どのようにするべきかだ。このまま事態が悪化するのを黙って見ているのか?それも一つの方法ではあるな。だが、余はそれは望まん。となれば、戦うしかあるまい。ポダワン伯の言に従い属国や周辺諸国の兵を集めるが良かろう。各国に使節を派遣せよ。ファルマート大陸侵略を伺う『異世界の賊徒』を撃退するために、援軍を求めるとな。連合諸王国軍をもってアルヌスの丘へと攻め入る」

「連合諸王国軍?!」

 皇帝の言に元老院議員達は、ざわめいた。

 今から二百年程前に東方の騎馬民族からなる大帝国の侵略に対抗するため、大陸諸王国が連合してこれと戦ったことがあった。それまで戦っていた国々が集うのに、「異民族の侵攻に対して仲間内で争っている場合じゃない」という心理が働いたのである。不倶戴天の敵として争っていたはずの国が、馬を並べて互いに助け合い異民族へと向かっていく姿はいくつもの英雄物語の一節として語られている。

「それならば、確かに名分にはなるぞ」

「いやしかし、それはあまりにも…」

 そう。そもそも門を開いて攻め込んだのはこちらではなかったか?皇帝の言葉はその主客を転倒させていた。こちらから攻め込んでおいて、「異世界からの侵略から大陸を守るため」と称して各国に援軍を要請するとは、厚顔無恥にも程がある。…それをあえて口にする者はいなかったが。

 とは言え、『帝国だけでなくファルマート大陸全土が狙われている』と檄を飛ばせば、各国は援軍を送ってよこすだろう。要するに、事実がどうであるかではなく、どう伝えるかということだ。

「へ、陛下。アルヌスの麓にはさらに人馬の躯で埋まりましょうぞ?」

「余は必勝を祈願しておる。だが戦に絶対はない。故に、連合諸王国軍が壊滅するようなこともありうるやも知れぬ。そうなったら、悲しいことだな。そうなれば帝国は旧来通りに諸国を指導し、これを束ねて、侵略者に立ち向かうことになろう」

 周辺各国が等しく戦力を失えば、相対的に帝国の優位は変わらないということになる。

「これが今回の事態における余の対応策である。これでよいかなカーゼル侯?」

 皇帝の決断が下った。

 カーゼルは連合諸王国軍の将兵の運命を思って、呆然となった。

 カーゼルら鳩派を残し、元老院貴族達は皇帝に向かい深々と頭を下げると、各国への使節を選ぶ作業にうつっていた。




-序の3-




 打ち上げられた照明弾が、漆黒の闇を切り裂き大地を煌々と照らす。

 彼らがみずからをして『コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)』と呼ぶ、敵の『突撃』が始まった。

 人工の灯りと、中空に打ち上げられた照明弾によって、麓から押し寄せる人馬の群れが浮かび上がる。

 重装騎兵を前面に押し立て、オークやトロル、ゴブリンと言った異形の化け物がが大地を埋め尽くして突き進んで来る。その後ろには、方形の楯を並べた人間の兵士が続いていた。

 上空には、人を乗せた怪鳥の群れが見える。

 数にして、数千から万。はっきり言って数えようがない。

 監視員が無線に怒鳴りつけていた。

「地面3分に、敵が7分。地面が3分に敵が7分だ!!」

 敵意が、静かにと、ひたひたと押し寄せて来る。

 哨所からの知らせを受けた、陸上自衛隊『特地』方面派遣部隊 第52普通科連隊第522中隊の隊員達は交通壕を走ると、第2区画のそれぞれに指定された小銃掩体へと飛び込んで、担当範囲へ向けて銃を構える。

 陸自の幕僚達は、今回の自衛隊『特地』方面派遣部隊を編成するに当たっては、かなり苦心惨憺していた。なにしろ、文化格差のある敵である。槍や甲冑で身を固めた敵と対峙したことのある者などどこにもいないし、魔法やら、ファンタジーな怪異、幻想種の対処法など、知るよしもない。

 そこで彼らは、小説や映画にアイデアを求めることとした。

 『戦国自衛隊』は小説をもとより、漫画、挙げ句の果てに新旧の映画版やテレビ版のDVDが飛ぶように売れたと言う。さらにはロードオブリングや、ファンタジーなアニメを求めた幹部自衛官が秋葉原の書店に列を作るという、笑っていいのかいけないのか判らない事態すらおこっている。

 宮崎○氏や富野△氏といったアニメ監督や小説家などが、市ヶ谷に集められて参考意見を求められたという話がまことしやかに語られているほどなのだ。

 そして彼らは某かの結論を下した。

 そしてそれに基づいて、全国の各部隊から併せて3個師団相当の戦力を抽出した。

 それは一尉~三尉の幹部と三等陸曹以上の陸曹を集中するという特異な編成であった。

 その理由としては、首相の答弁にある『未開の地で誰を味方として、誰を敵とするか』という高度な判断力を現場に指揮官に求める必要があるからと説明しているが、それだけではないことは、誰の目にも明らかだった。

 『特地』方面派遣部隊は、かき集められた装備にも特徴があった。比較的古い物が多く見られるのである。

 まず隊員達の携行する小銃は64式。集結した戦車は74式だった。全て新装備が導入されたことで、第一線からは姿を消しつつあるものだ。

「在庫一斉処分」などと口の悪い陸曹は語っている。そういう側面がないとも言えないが、そればかりではない。

 64式小銃が選択されたのは89式の5.56㎜弾では、槍を構えて突っ込んで来るオークを止めることが出来なかったからだ。さらに銃剣で敵を刺突すると、チェーンメイル身につけた敵だと、そのまま抜けなくなってしまうことがわかっている。

 さらには、情勢によっては装備を放棄して撤退しなければならない事態も想定されていた。

 一両数億円もする高価な兵器を、簡単にうち捨ててくるわけにはいかないので、廃棄してもおしくない、廃棄予定あるいはすでに廃棄済みであるが、手続きの遅れによって倉庫に眠っていた装備をかき集めたのだった。

 64式小銃を持つ者は二脚を立てて、照星と照門を引き起こす。配られた弾が常装薬なので、規整子は『小』にあわせる。

 ある者は5.56mm機関銃のMINIMIを構え、カチカチと金属製ベルトリンクで繋がれた弾帯を押し込んでいる。(62式機関銃は、陸曹や幹部が血相を変えて「俺たちを殺すつもりかぁ」と反対したので、『特地』には持ち込まれていない)

 高射特科のスカイシューターをはじめとする、35mm二連装高射機関砲L-90 や、40mm自走高射機関砲M-42と言った新旧そして骨董品の対空火器が、上空から近付く怪鳥へと砲口を向ける。

 次の照明弾が上げられ、ふたたび明るくなった。

 上空から降り注ぐ光が、暗闇の向こう側にいた敵を浮かび上がらせる。敵も、その足を速め、足音と言うよりは轟きに近くなっている。

 小銃の切り替え軸(安全装置)を『ア』から『レ』へとまわす。

 耳に付けたイヤホンから、指揮官の声が聞こえた。

「慌てるなよ、まだ撃つなぁ…」

 慣れたわけではないが、これが初めてという訳でもない。自衛官達は近づいてくる敵を前に、息を呑みもつつも号令を待つことが出来た。

 敵が、彼らの言葉で『アルヌス・ウルゥ』と呼んでいるこの丘に押し寄せて来るのは、これで3回目となる。そのうち2回は彼らの失敗だった。大敗北と言っていいはずだ。

 この世界の標準的な武器である槍や弓そして剣、防具としての甲冑では、その戦術はどうしても隊伍を整えて全員で押し寄せるという方法となる。時折、火炎や爆発物を用いた攻撃(魔法かそれに類するものではないかと言われている)も行われているが、射程が短い上に数も圧倒的に少ないため、それほどの脅威にならない。

 そのために、どれほどの数を揃えようとも、現代の銃砲火器を装備した自衛隊の前では敵ではなかったのだ。

 黒澤明監督の映画『影武者』に、武田騎馬隊が織田・徳川の鉄砲隊を前にたちまち壊滅するという場面が描かれていたが、それよりもさらに映画的に、人馬の屍が丘の麓を埋め尽くす結果となった。

 だが、それでもなお彼らはこの丘を取り戻そうと攻撃を始める。

 自衛隊はこの地に居座って、この丘を守ろうとする。

 すべてはここに『門』があるからだ。

 門こそが、異世界を繋ぐ出入り口となる。この門を用いてこの地の兵は銀座へとなだれ込んだのだ。

 東京そして銀座の惨劇を防ぐためにも、自衛隊はこの門を確保し続けるしかない。

 奪おうとする。そして守ろうとする。

 この意志の衝突が、3度目の攻防戦へと行き着く。

 過去の2回の経験を学んだのか、今回は夜襲だった。

 月の出ていない夜間なら見通しも利かない。夜ならば油断も隙もあり得る…というのも、この世界の感覚であろう。悪い考えとは言えない。

 しかし……次の照明弾があがり、コドゥ・リノ・グワバン(連合諸王国軍)将兵の姿が、はっきりと浮かび上がった。

「撃てぇ!!」

 東京そして日本は24時間営業は当たり前の世界だ。昼だろうと夜だろうと、列べられた銃口は挨拶代わりに、砲火を持って彼らを出迎えた。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 02
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:19
-01-




 伊丹 耀司 二等陸尉(33歳)はオタクであった。現在もオタクであり、将来もきっとオタクであり続けるだろうと自認している。

『オタク』と言っても、自分でSS小説を書いたり漫画を描いたり、あるいはフィギュアやSD(スーパー・ドルフィー)をつくったり愛でたりするという、クリエイティブなオタクではない。もちろん初音○クを歌わせたりもできない。

 他人が「創ったり」「描いた」ものへの批評や評価を掲示板に投稿するという、アクティブなオタクでもない。

 誰かの書いた漫画や小説をただひたすらに読みあさるという、パッシブな消費者としての『オタク』であった。

 夏季と冬季のコミケには欠かさず参加するし、靖国神社なんかには一度も行ったことがないが中野、秋葉原へは休日の度に詣でている。

 官舎の壁には中学時代に入手した高橋留美子のサイン色紙と、平野文のサイン色紙が飾られていて、本棚には同人誌がずらっと並んでいる有様だ。法令集や教範、軍事関係の書籍はひらくこともないからと本棚にはなくて、新品状態のままビニール紐でしばりあげて押入の中に放り込んである。

 そんな性向の彼であるから、仕事に対する態度は熱意というものにいささか欠けていた。例えば、演習の予定が入っていても「その日は、イベントがありまして…」と臆面もなく休暇を申請してしまうというように。

 彼はこう嘯く。

「僕はね、趣味に生きるために仕事してるんですよ。だから仕事と趣味とどっちを選ぶ?と尋ねられたら、趣味を優先しますよ」

 そんな彼が、よーも自衛官などになったものだと思うのだが、なっちゃったのだから仕方ないのである。

 そもそも彼のこれまでは、『息抜きの合間に人生やっている』と言われるに相応しい物であった。(出展元ネタ/『究極超人あ~る』より)

 競争率の低い公立高校を選んで、あんまり勉強することなく入試に合格。成績は中の下。アニメ・漫画研究会で漫画や小説を読みふける毎日。たまに映画の封切り日には朝早く映画館に列ぶという3年間を過ごす。

 大学は、新設されたばかりで競争率の低そうな学科を選び、これもまたあんまり勉強することなく合格。やはりアニメを観賞し、漫画やライトノベルを読みつづける毎日を過ごすが、在学中無遅刻・無欠席で全ての講義に出席していたこともあって、講師陣の受けはそれなりに良く「伊丹だから、ま、いいか」と『良』と『可』の成績をもらい4年で卒業。

「就活どうする?」と言う話題が、学生の間でそろそろ話題になり始めた頃に、彼はしゃかりきになって会社訪問するのは好きじゃないなぁ…などと呟きながら自衛隊地方連絡部某所の事務所の戸を叩いたのである。

「こんな奴、よくも幹部にしたものだ」とは、誰のセリフだっただろうか。

 彼の国防意欲というか、熱意に欠ける職務態度に業を煮やした上司が、「お前ちょっと鍛え直して貰ってこい」と有無を言わせず幹部レンジャーの訓練に放り込んだ。

 案の定、すぐに音を上げて「やめたいんですけど」と普及間もない携帯で電話をかけて来た。

 これには彼の上司も困ってしまった。あの手この手で励まし、頑張らせようとしたのだがどうにもならない。そもそも言ってどうにかなるなら最初から苦労しない。疲れはて、どうしょうもなくなって、最後にポツリと呟いた。

「ここで止めたら、年末(29.30.31)の休暇はやらん」

「じゃぁ、頑張ってみます」

 伊丹の上司は、自分が口にした何に効果があったのかと、今でも悩んでいると言う。




 さて、こんな伊丹がある日、新橋駅から某所でおこなわれている、イベントに行くために『ゆりかもめ』を待っていたところ、とんでもない事件に出くわした。

 後に『銀座事件』と呼ばれるアレである。

 突然あらわれた巨大な『門』。

 そこからあふれ出た、異形の怪異をふくむ軍勢。

 門の向こう側を政府は『特別地域』などと呼んでいるが、伊丹には『異世界』だとすぐに理解できた。理解できてしまった。

 そしてこう思った。

「くそっ!このままでは、夏○ミが中止になってしまう」

 その後の彼の活躍は、朝○新聞ですら取り上げざるを得なかったほどである。

 霞ヶ関や永田町も襲われ何が起きているのかわからず、ただ逃げ回るばかりの政府の役人と政治家。(土曜日だったが、彼らは働いていた。ご苦労さんである)

 命令が来ないために、出動したくても出来ない自衛隊。

 桜田門以南の官庁街がほぼ壊滅したために指揮系統がズタズタになり、効果的な対応が出来ない警察。

 そんな中で伊丹は、付近の警察官を捕まえて西へ指さした。

「皇居へ避難誘導してくれ!」

 だが、「そんなことできるわけない」という言葉が返ってくる。一般の警察官にとって、皇居内に立て籠もるなどと言うアイデアは思案の外にあったからだ。

 とは言え、皇居はもとより江戸城と呼ばれた軍事施設である。従って数万の人々を収容し、かつ中世レベルの軍勢から守るのにこれほど相応しい施設はない。いや、籠城の必要はない。避難した人々は、半蔵門から西へと逃がせばいいのだ。

 伊丹は、指揮系統からはずれた警察官や避難した民間人の協力を仰いで、皇居へと立て籠もった。皇宮警察がやかましかったが、これも皇居にお住まいの『偉い方』の『お言葉』一つで鎮まった。

 徳川の手によって造られた江戸城は実戦経験のない城塞である。だが、数百年の時を経て平成の代に初めて城塞としての真価を発揮したのである。

 この後、皇居にある近衛と称する第一機動隊、そして市ヶ谷から自主的に出動してきた第四機動隊によって、『二重橋濠の防衛戦』は引き継がれたのであるが、それまでの数時間、数千からの人を救ったという功績が認められ、伊丹は防衛大臣から賞詞を賜り、二等陸尉へと昇進することとなった。

 なっちゃったのである。




 で、時が少しばかりたって、『特別地域』派遣部隊である。

 三度目の攻撃をうけた翌朝。

 明るくなって見えた光景は、夥しい人馬の死骸であった。

 『アルヌス・ウルゥ』の周辺は怪異と人馬の屍によって埋め尽くされていた。さらには高射機関砲の40㎜弾を受けて墜ちた飛竜が横たわっていた。ドラゴンの鱗は鉄よりも硬いと語られているが、確かにそうらしい。ただ40㎜弾をうけては流石に耐えることが出来なかったようだ。

「大きな都市一個分の人口が、まるまる失われたってことか」

 伊丹二尉は、これを見て思う。

 銀座事件で攻め込んできた敵は、約6万。第1次から、昨晩の第3次攻撃で、およそ6万が死傷。(オークやゴブリン等は含まず)併せて12万もの兵を失っちゃって、敵はどうするつもりなんだろか?

 この世界の人口がどの程度か知るよしもない。何しろ、門とその周辺を確保しただけなのだから。まだなんの調査も出来てない。

 だが一般的な常識から考えても、数万の戦力を全滅に近い形で失って、その部族だか国家が無事でいられるはずがないのだ。

 見たところ、倒れている兵士の中に、子供にしか見えない者もいる。実際に子供なのか、そのような容姿の種族なのかはわからないが…。もし、子供を戦場に送るようなら、その国の有り様はもはや末期的と言える。

 伊丹ですらこのように思うのだから、他の幹部達も考えていた。

 この世界の調査をしなければ…と。

 侵攻して占領するにしても、『門』周辺を確保し続けるにしても、あるいは敵と交渉するにしても、方針を定めるには情報が不足している。

 幸いにして、OH-1ヘリの撮ってきた航空写真から周辺の地図は起こすことができた。滑走路が開けば、無人偵察機のグローバルホークを飛ばすこともできるだろう。従って、次はどんな人間が住んでいるか、人口や人種、産業、宗教が何か、そして住民の性向はどういうものかの調査をすることになる。

 どうやって、調査するのか。

 もちろん、直接行ってみるのである。

「それがいいかも知れませんね~」

「それがいいかもじゃない!君が行くんだ」

 檜垣三等陸佐は、物わかりの悪い部下に疲れたように言った。

 伊丹は、上司から言われて首を傾げる。自分は部下を持っていない。員数外の幹部として第52普通科連隊に所属している、おまけみたいな二尉だ。

「まさか、一人で行けと?」

「そんなことは言わない。とりあえず君を含めた6個のチームを、各方面に派遣する。当然、君にも部下をつけよう。君は、担当地域の住民と接触し民情を把握するのだ。可能ならば、事後の今後の活動に協力が得られるよう、友好的な関係を結んできたまえ」

「はぁ…ま、そう言うことなら」

 ポリポリと伊丹は後頭部を掻くのだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 03
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 15:19
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 アメリカ合衆国

    ホワイトハウス


「大統領閣下。東京に現れた『門』に関する、第6次報告です」

 ディレル大統領は、カリカリに焼き上げた薄切りのトーストをサクッと囓ると、彼の優秀なスタッフが差し出した報告書を受け取った。

 大統領は表紙を含めて数枚ばかりめくる。

 さっと目を通した程度で、テーブルの上にポンと放り出す。

「クリアロン補佐官。この報告によると、日本軍は折角『門』の向こう側へ立ち入ったのに『門』の周囲を壁で囲んで、亀の子みたいに首を引っ込めて立て籠もっている。そういうことなのだね?」

「その通りです、閣下。自衛隊は守備を固めて動いていません」

 軍ではなく自衛隊だと、さりげなく訂正する補佐官。だが大統領はそれに気づかないのか話を続けた。

「ふむ…圧倒的な技術格差。高度な訓練を受けた優秀な兵士。いったい何を躊躇う必要がある?君の考えを述べたまえ」

「大統領閣下、ご説明いたします。日本は、かつての大戦の教訓から学んだのです。いかに強力な戦力を有しているとは言え、広大な地域を制圧支配しようとするには、その戦力は不足します。選択しうるオプションとしては、『特別地域』の政治状況を明確に見極め、要点を抑えるという戦略しかありません」

 そのことは、中級指揮官の層を異常なまでに厚くした自衛隊の編成からもうかがい知ることが出来る。『門』を確保する段階を終えて、現在は『特別地域』の各地に小部隊を派遣し、情報収集や宣伝工作にあたらせていると言うことである。

 大統領はナプキンで口元をぬぐうと、部下を一瞥した。

「つまり、日本軍の現状は『特別地域』の情勢を伺っているからだと言うのだね…」

「そのとおりです大統領閣下。今泉首相は石橋を叩く男のようです。成果を急いでいません」

 大統領は、ススッとコーヒーを口に含んだ。

 今泉は、空前の支持率を受けて政権が安定している。だから成果を急ぐ必要がないのである。

 我が身を振り返るとディレルは支持率が急落している。早急に具体的な成果をあげて国民に示さなければならない。それが彼の立場だった。

「補佐官、『門』はフロンティアだ」

「その通りです、大統領閣下」

「門の向こう側に、どれほどの可能性が詰まっているか、想像したまえ」

 手つかずの資源。圧倒的な技術格差から生ずる経済的な優位。汚染されていない自然。これら全てに資本主義経済は価値を見いだす。

 資源は存在する。これは間違いがない。東京に攻め込んできた兵士の武装の材質から、ほぼ地球と同じ鉱物資源があるであろうことがわかっている。こちら側ではレアメタル・レアアースとされる稀少資源が、『特地』には豊富に存在する可能性も指摘されていた。

 そして技術格差は、武器の種類や構造から類推することが出来る。見事な、工芸品と見まがうばかりの細工が施されていたが、所詮は手工業の域を出ない。これらの武装で身を固めた騎士達が攻め込んで来るという戦術から、その社会構造と生産力まで予想できるのだ。

 さらに、こちら側には存在しないファンタジーな怪異、動物、亜人達。これらの生き物が持つ『ゲノム』は、生命科学産業の研究者達にとって宝の山と言えるだろう。

 極めつけは『門』である。この超自然現象を含めた様々な神秘現象に、全世界の科学者達が注目していた。

「ご安心下さい大統領閣下。わが国と日本とは友邦です。価値観を同じくする国であり、経済的な結びつきも強固です。『門』から得る利益は、わが国の企業にも解放されるでしょう。また、そのように働きかけるべきです」

「それでは不足なのだ」

 同様の働きかけならば、すでにEU各国が始めている。アセアン諸国も『門』がもたらすであろう利益を狙って水面下の活動を始めていた。

「問題は、どれほどの権益を確保できるかなのだ」

 これこそが、ディレル大統領が国民に示すことの出来る成果となる。

「その為には、わが国はもっと積極的に関与するべきではないかね?米日同盟の見地から陸軍の派兵を検討しても良と思うが」

 だが、補佐官は首を振った。

「アフガンや、イラクだけでも手を焼いているのに、余所様の喧嘩に手を出す余裕はありません」

 それに『門』のもつ可能性は、必ずしもよい面ばかりとは限らないのだ。未開の野蛮人を手なずけ、教化しようとすれば多額の予算と人材を、長期間にわたって投入しなければならないだろう。かつての植民地時代のように、ただ収奪すればよいと言う時代ではない。

 大統領は、深いため息をついた。

「報告によれば、『門』の向こう側での戦闘は苛烈きわまりなかったようだね?」

「弾薬の使用量が尋常ではなかったようです。ですが、ここ最近は落ち着いています。自衛隊は守り通すでしょう。自衛隊は元来から守勢の戦力です」

「ふむ。では、わが国の対応はどうするべきかな?」

「現段階としては日本国政府の武器弾薬類調達を支援する程度でよいでしょう。これは兵器産業界に声をかけるだけで済みます。あとは、『特別地域』の学術的な合同調査を持ちかけ『門』の向こう側に人を送り込みたいところです。これ以外については、状況次第かと存じます」

 あまり、日本に肩入れしすぎると万が一の時に巻き込まれる畏れがある。

 物事は、どう転ぶかわからないものなのだ。日本が『特別地域』に自衛隊を進めることについては、多くの国が大義名分があると認めている。だが一部…中国や韓国、北朝鮮は、かつての軍国主義の復活であり、侵略であると非難している。この3カ国は日本が何をやっても非難する国だから国際社会は全く相手にしていないのだが、日本が『門』から得られる利益を独占するような素振りを見せれば、この主張に同調する国が出てくる可能性もある。そうなった時に、共犯呼ばわりされる事態は避けたい。

「火中の栗は、日本に拾わせるべきです」

 そして、こじれたらしゃしゃり出て抑えてしまえばよい。そのために国連を利用する手配もしてある。補佐官はそう言っていた。

 だが、ディレルとしては不満だった。
 今のところ日本はうまくやっており、口や手を出す機会が見いだせそうもない。

 ディレルは国内向けに具体的な成果を迫られているのだ。かといって、補佐官の危惧を無視するわけにもいかない。大統領は舌打ちしつつも「そうだな」と頷き、次の懸案事項に話題をうつした。

 『門』の出現。それは、新大陸発見に続く歴史的な出来事なのである。

 アメリカ大陸の発見よってスペインが世界帝国へと飛躍したように、『門』の存在は世界の枠組みを大きく変えることが予想される。あらゆる国の政府が、その事を理解しているゆえに、『門』内部での日本の動向が注視されていた。




     *      *





-ウラ・ビアンカ(帝国首都)-

 皇帝モルトの皇城では、毎日数百人の諸侯が参勤する。

 元老院議員、貴族や廷臣が集い、諸行事に参加するととも、政治を雑事でもあるかのように行っていた。

 会議では優雅に踊り、美食に耽り、賭け事や恋愛遊戯といった遊興を楽しみつつ、議場で少しばかり話し合う…という感じである。軍を派遣するかどうかを、貴族達が狐狩りの獲物の数で決めるということもあった。

 だが、ここ暫く続いた敗戦は宮廷の諸侯、貴族達を消沈させるに充分な出来事であった。煌びやかな芸術品は色あせて見え、華やかな音楽も空虚に聞こえる。

 栄耀栄華を誇るモルト皇帝の御代を支えるものは、強大な軍事力と莫大な財力。この両輪こそが、帝国を大陸の覇権国家たらしめていることは小児であっても理解している。

 だが、今ではその片輪が失われてしまった。

 宮廷を彩った武官や貴族も出征していた。その為にかなりの犠牲が出ている。未亡人が量産されて、貴族達は連日葬儀に出席しなくてはならない。宮廷は喪に服して行事を控え、皇帝の周囲もこの日ばかりは閑散としていた。

「皇帝陛下、連合諸王国軍の被害は甚大なものとなりました。死者・行方不明者はおよそ6万人。負傷し軍役に再び着くことのできぬ者とを併せますと損害は実に10万にも達する見込です。敗残の連合諸王国軍は統率を失い、それぞれちりぢりになって故郷への帰路に就いたようです」

 この数には、オークやゴブリン、トロルといった亜人達は含まれていない。亜人達は軍馬と同じ扱いなのだ。

 内務相のマルクス伯爵の報告に、皇帝は気怠そうに応じた。

「ふむ、予定通りと言えよう。わずかばかりの損害に怯えておった元老院議員達も、これで安堵することじゃろう」

「しかし、ゲートより現れ出でました敵の動向が気になりますが」

「そなたも、いささか神経質になっているようだな」

「この小心は生来のもののようでして、陛下のような度量は持つに至ることはできませんでした」

「よかろう。ならば、股肱の臣を安堵させてやることにしよう。なに、そう難しいことではない。アルヌス丘からここまでの距離は長い。すなわち帝国の広大な国土を、防塁としてこれにあたればよいのだ」

 皇帝は続けた。

 敵がこの城に向けて進んでも、ここに至るまでの全ての街と村落と食糧を焼き、井戸や水源に毒を投げ入れ焦土と化せば、いかな軍と言えども補給が続かず立ち往生する。そうなれば、どれほど強大な兵力を有していようと、優れた魔導を有していようと、付け入る隙は現れる、と。

 現地調達できなくなれば食糧は本国から運ぶしかなく、長距離の食糧輸送は馬匹を用いたとしても重い負担だ。これよって敵の作戦能力は、帝都に近付けば近付くほど低下することとなる。それに対して帝国軍は、帝都に近付けば近付くほど有利になる。それが『この世界における軍学上の常識』であった。

 敵を長駆させ、疲れたところを撃つという、どこの世界においてもみられる至極一般的で判りやすい戦略であり、効果的でもある。しかし身を切る戦略であるが故に、その影響は深刻かつ甚大であり回復は容易でない。人民の生活を全く考慮しない非情さ故に、確実に民心を離反させる。守ってもらえなかった。それどころか食べ物も、飲み水も奪われたという恨みは、永久に受け継がれていくことになるだろう。そうした影響を考えれば、それをするわけにはいかないのが政治であるはずだった。しかし…

「しばし税収が低下しそうですな」

 マルクス伯はそういう言い方で、民衆の被害を囁いた。
 皇帝は「致し方あるまい。園遊会をいくつか取りやめるか。それと、離宮の建造を延期すれば良かろう」と応じるだけだった。強大な帝国に置いては、民衆の被害や民心などその程度のものなのである。これまでは…。

「カーゼル侯あたりが、うるさいかと存じますが」

「何故、余がカーゼル侯の精神衛生にまで気を配らねばならぬのか?」

「恐れ多きことながら、侯爵は一部の元老院議員らと語らって、非常事態勧告を発動させようとする動きが見られます」

 元老院最終勧告は帝国の最高意志決定とされている。これが元老院によって宣言されれば、いかに皇帝であろうと罷免される。歴史的にも元老院最終勧告によって地位を追われた皇帝は少なくない。

「ふむ面白い。ならばしばらくは好きにやらせてみるが良かろう。そのような企てに同調しそうな者共を一網打尽にするよい機会かも知れぬ。枢密院に命じて調べさせておくがよい」

 マルクス伯は、一瞬驚いたがただちに恭しく一礼した。元老院の最終勧告に対抗する皇帝側の武器が国家反逆罪である。枢密院に証拠固めという名の証拠ねつ造を命じる。

「元老院議員として与えられた恩恵を、権利と勘違いしている者が多い。いささか鬱陶しいのでこのあたりで整理をせねばな」

 皇帝はそう呟くとマルクス伯の退出を命じようとした。恭しく頭を下げるマルクス伯。だが、静謐な空気を破って凛と響き渡る鈴を鳴らしたような声が、宮廷の広間に鳴り響いた。

「陛下!!」

 つかつかと皇帝の前に進み出たのは、皇女すなわち皇帝の娘の一人であった。

 片膝を付いてこれ以上はないと言うほど見事な儀礼を示した娘は、炎のような朱色の髪と白磁の肌を、白絹の衣装で包んでいる。

「どうしたのか?」

「陛下は我が国が危機的状況にあると言うのに、何を為されているのですか?耄碌されたのですか?」

 優美なかんばせから、棘のある辛辣なセリフが出てくる。

 モルト皇帝はここにも恩恵と権利を勘違いしている者がいることに気付いて微苦笑した。皇女の舌鋒が鋭いのはいつものことであるが…。

「殿下、いったいどのようなご用件で、陛下の宸襟を騒がされるのでしょうか?」

 皇帝の三女 ビニャ・コラーダは、腰掛けて微笑んでさえいれば、比類のない芸術品とも言われるほどの容姿を持っている。だが、好きに喋らせると気の弱い男ならその場で卒倒しかねないほど辛辣なセリフを吐くので国中にその名を知られていた。

「無論、アルヌスの丘を占拠する賊徒どものことです。アルヌスの丘は、まだ敵の手中にあると聞きました。陛下のそのような安穏な様子を拝見するに、連合諸王国軍がどうなったのかいまだご存じないと思わざるを得ない。マルクス、そなた陛下に事実をご報告申し上げたのだろうな?」

「皇女殿下、ご報告申し上げましたとも。連合諸王国軍は多大な犠牲こそはらいましたが、敵のファルマート大陸侵攻を見事に防ぎきったのです。身命を省みない勇猛果敢なる諸王国軍の猛攻によって物心共に大損害を受けた敵は、恐れおののき強固な要害を築いて、冬眠した熊のごとく閉じこもろうとしております。閉じこもって出てこない敵など、我らにとってなんら脅威ともなりません」

 マルクス伯の説明に、ピニャは「フン」とそっぽを向き言い放つ。

「妾(わらわ)も子どもではない故、ものは言いようという言葉を知っておる。知っておるが、言うに事欠いて、全滅で大敗北の大失敗を、成功だの勝利だのと言い換える術までは知らなんだぞ」

「事実でございます」

「こうして真実は犠牲になり、歴史書は嘘で塗り固められていくと言う訳か?」

「そのようにおっしゃられても、私にはお答えのしようもなく」

「この佞臣め!聖地たるわれらがアルヌスの丘は連中に抑えられたままではないか?何が防衛に成功したか?真実は、諸国中の兵をこぼって累々たる屍で丘を埋め尽くしただけであろう」

「確かに、損害は出ましたな…」

「この後はどうするのか?」

 マルクス伯爵は、とぼけたように兵の徴募から始まって、訓練と編成に至るまでの一連の作業を説明した。軍に関わる者なら誰でも知る、新兵の徴募と訓練、そして編成の過程を告げられ、ピニャは舌打ちした。

「今から始めて何年かかると思っているのか?その間にアルヌスの敵が、なにもせずじっとしていてくれると?」

「皇女殿下。そのようなことは私めも存じております。しかし、現に兵を失った上には、地道にでも徴兵を進め、訓練を施し、軍を再建するしか手はありません。兵を失ったことでは諸国も同じ。もう一度、連合諸王国軍を集めるにしても、軍の再建は国力に比例いたします。諸国の軍再建にしてもわが国より遅くなっても、早くなることはありますまい」

 この言いようには、ピニャは鼻白まずをえなかった。

「そのような悠長なことを言っていては、敵の侵攻を防ぐことは出来ぬっ!」

 皇帝はため息と共に、手をわずかに挙げて二人の舌戦を止めた。

 皇帝の察するところピニャには騒動屋の傾向があった。責任を負うことのない野党的立場の者がよくすることと同じで、批判ばかりで建設的な意見はなにも言わない。言っても実現不可能な夢物語みたいなことばかり。現在と将来に対し責任感を有する者なら、できないようなことばかりを求めてくる。何かあれば、さあ困った、どうするどうすると、責め立て、実務者に「じゃあ、どうすればいいんだ!」と言わせてしまうまで追い込んでしまうのである。

 今回の事態を考えれば、マルクス伯が言うように、地道に軍を再建するしかない。このための時間を稼ぐのが、政治であり外交と言える。皇帝としてはそのための連合諸王国軍の招集であり、その壊滅をもって目論見は成功した。

 いささか辟易としてきた皇帝は、娘に向かって話しかけた。

「ピニャよ。そなたがそのように言うのであれば、余としても心を配らねばならぬ」

「はい、皇帝陛下」

「しかし、アルヌスの丘に屯(たむろ)する敵共について我らは、あまり多くのことを知らぬ。ちょうどよい、そなた行って見て来てくれぬか?」

「妾がですか?」

「そうだ。軍は再建中でな、偵察兵にも事欠く有様じゃ。国内各所の兵を引き抜くわけにもいかぬ。新規に徴募してもマルクス伯の申した通り、実際に使えるようになるまで時間がかかる。今、一定以上の練度を有し、それでいて手が空いているのは思いを巡らしてみればそなたの『騎士団』くらいであった。そなたの『騎士団』が兵隊ごっこでなければ…の話だがな」

 皇帝の試すような視線に正対して、ピニャは唇をぎゅと閉じた。

 アルヌスの丘は、騎で片道で10日もかかる。
 しかも危険な最前線だ。そんなところへ自分と自分の『騎士団』だけで赴くことになる。
 華々しい会戦で勝利を決定づける突撃と違い、地道な偵察行。
 日頃から兵隊ごっこと揶揄されてきた『騎士団』にとって、任務が与えられたことは光栄と思わなければならないことだろうが、それが不満でもある。
 さらに、彼女の『騎士団』は実戦経験など皆無。自分や、自分の部下達は危険な任務をやり遂げることが出来るだろうか?

 皇帝の視線は、「嫌なら口を挟むな」と告げている。

「陛下…」

「どうだ。この命を受けるか?」

 ピニャは、ギリッと歯噛みしていたが、思い立ったような顔を上げた。そして…

「確かに承りました」

と、ピシャリと言い放つと、皇帝に対して儀礼にのっとって礼をとった。

「うむ、成果を期待しておるぞ」

「では、父上。行って参ります」

 そしてピニャは、玉座に背を向けた。




      *      *




「空が蒼いねぇ。さすが異世界」

 伊丹が呟いた。青空に、大きな雲がぽっかりと浮かんでいる。電柱とか電線などもない。前から後ろまで、上半分は完全に空だった。

「こんな風景なら、北海道にだってありますよ」

 運転席の、倉田三等陸曹が応じた。倉田三等陸曹は、北海道は名寄から来ている。

「俺は、巨木が歩いていたり、ドラゴンがいたり、妖精とか飛びかっているトコを想像してたんですけどねぇ。これまで通ってきた集落で生活していたのは『人間』ばっかしだし、家畜も牛とか羊にそっくりでガックリっす」

 倉田は一般陸曹候補学生課程を修了したばかりの21歳だ。伊丹が上下関係に鷹揚ということを知ると、気軽に話しかけてくるようになった。

 青空を背景に、緑の草原をオリーブドラブに塗装された軍用車両が列を組んで走り抜けていく。

 先頭を73式小型トラック、その後ろに高機動車(HMV)、さらには軽装甲機動車(LAV)が続く。
 まぁ、名前を言われてもよくわからないとおっしゃる皆様には、前二台はジープみたいな乗り物、後ろの一台は装甲車みたいな乗り物が走っているとイメージしてくれればよいのである。

 伊丹は2両目の高機動車に乗っていた。

 後席には彼の率いる第三偵察隊の隊員達が乗り込んでいる。車両3台、総勢12名が偵察隊の総戦力であった。

 後席でガサガサと地図を広げていた桑原曹長が、運転席に顔を突きだした。

「おい倉田、この先しばらく行くと小さな川が見えてくるはずだ。そしたら、右に行って川沿いに進め。そしたら森が見えてくる。それがコダ村の村長が言っていた森だ」

 航空写真から作られた地図と、方位磁石とを照らし合わせながら説明する桑原曹長は、二等陸士からの叩き上げで今年で50才。教育隊での助教経験も長いベテランだ。新隊員達からは『おやっさん』と呼ばれて恐れられていた。倉田も新隊員時代、武山駐屯地で桑原曹長の指導を受けて前期教育を終えたそうだ。

 この世界ではまだ衛星を打ち上げてないのでGPSが使えない。その為に、地図とコンパスによるナビゲーションだけが頼りとなる。そして、こういうことは経験の長いベテランのほうが上手いと、伊丹は隊の運営を桑原に押しつけている。

「伊丹二尉、意見具申します。森の手前で停止しましょう。そこで野営です」

 桑原の言葉に伊丹は振り返って「賛成」と応じた。桑原は、軽く頷いて通信機のマイクをとる。

 倉田は、バックミラーで後ろに続く軽装甲機動車との車間距離を確認した。

「あれー伊丹二尉。一気に乗り込まないんすか?」

「今、森に入ったら夜になっちゃうでしょ?どんな動物がいるかもわからない森の中で、一夜を明かすなんてご免こうむります。それに、情報通りに村があるとしたら、そこで住んでいる人を脅かすことになるでしょ?僕たちは国民に愛される自衛隊だよ。そんな威圧するようなこと出来ますかってーの」

 だから森には少人数で入ると伊丹は告げた。

 この偵察行の目的は現地住民と交流し、民情を調査することにある。ヘリを使えば速いのに、わざわざ地面を行くのだって通りすがる住民と交流するためだ。

 暴力で制圧することが目的ではない。悪感情をもたれるような事は極力避ける。それが方針だった。

 これまで3カ所の集落を通り、この土地の住民と交流をとってみた。住民達は戦争なんて領主様のすることで、俺らには関係ねぇやという態度であり、伊丹達に特別悪感情を示すと言うこともなかった。ならば余計なことをして仕事を難しくする必要はない。

「えーーと」

 伊丹は胸ポケット黒革の手帳を取り出すと、この土地の挨拶を綴ったページを開いて予習する。銀座事件の捕虜を調査した言語学者達の成果である。

「サヴァール、ハル、ウグルゥー?(こんにちは、ごきげんいかが?)」

「棒読みっすねぇ。駅前留学に通ったほうがよかぁありません?」

「五月蠅せぇ。第一、ピンクの兎の会社は、とうの昔に潰れたよ」

 パコッと倉田のヘルメットを叩く伊丹であった。




 こうして森の手前にやって来た第3偵察隊であったが…。彼らの目に入ったのは、天を焦がす黒煙だった。

「燃えてますねぇ」

 倉田の言葉に、「はい、盛大に燃えてます」と伊丹は黒煙を見上げた。森から天を焦がす炎がたちあがっていた。

「大自然の脅威っすね」

「と言うより、東映の怪獣映画だろ」

 桑原はそう言うと、双眼鏡を伊丹に渡した。そして正面からやや右にむかったところを指さす。

 伊丹は桑原の指さした辺りに双眼鏡を向けた。

「あれま!」

 ティラノサウルスにコウモリのような羽根をつけたような巨大な生き物が、地面に向かって火炎放射している。

「首一本のキングギドラか?」

 桑原のセリフに倉田が「おやっさん、古いなぁ。ありゃ、エンシェントドラゴンっすよ」と突っ込む。だが、桑原はドラゴンと言われるとブルースリーを連想してしまうようで、妙に話が合わない。

 前方で停止した73式トラックから、小柄なWACが走り寄ってきた。

 この偵察小隊には二人のWAC(婦人自衛官)が配属されている。住民と交流する時、女性がいたほうが良い場面があるかも知れないと言う配慮から配属されていた。例えばイスラムのような戒律のある土地だった場合、女性と交渉するのは女性であったほうがよい。

「伊丹二尉、どうしますか?ここでこのままじっとしてるわけにはいきませんが」

 栗林二曹だった。栗林二等陸曹を見ると多くの男性自衛官は、装備が重くないかと彼女に質問すると言う。体が小さすぎて装備を身につけると言うより、装備が彼女を入れて歩いているという印象になってしまうのだ。だが、小柄というだけで侮ると酷い目に会う。これでも格闘記章を有する猛者だ。

「あのドラゴンさぁ、何もないただの森を焼き討ちする習性があると思う?」

 意見を求められても栗林にわかるはずがない。だが「わかりません」と素直に答えるようなタマでもない。少しばかり辛辣な態度で、

「ドラゴンの習性にご関心がおありでしたら、何に攻撃をしかけているのか、二尉ご自身が見に行かれてはいかがですか?」

と言ってのけた。

「栗林ちゃん。ボク一人じゃ怖いからさぁ、ついてきてくれる?」

「わたくしは嫌です」

「あっ、そう」

 伊丹はバリバリと頭を掻くと告げた。

「適当なところに隠れてさ、様子を見よか。んで、ドラゴンがいなくなったら森の中に入ってみよう。生き残っている人がいたらさ、救助とかしたいし」

 森の中に集落があるという情報があった。多分、その集落がドラゴンに襲われているんじゃないかと言うのが伊丹の考えであった。




 結局、伊丹達が森に入ることが出来たのは、翌朝だった。

 夜になっても火がなかなか消えず、また黒煙によって見通しが利かなかったからだ。夜半からは雨が降り始めたおかげで森林火災が下火となった。これによって、ようやく森に入ることが出来るようになったのである。

 森は、すっかり見通しが良くなっていた。

 木の葉はすべて焼けおち、立木は炭となりはてていた。

 黒い地面からは、ブスブスと煙が上がっている。

 地面にはまだ熱が残っていて、半長靴の中がじんわりとあったかい。

「これで生存者がいたら奇跡っすよ」

 倉田の言葉に、伊丹もそうかもなと思いつつ、とにかく集落があると思われるところまでは行ってみようと考えていた。

 二時間ほど進む。すると立木のない開豁地へと出た。

 この森が焼かれていなければ、ここまで入るのに最低でも半日を要したであろう距離である。

 見渡すと、明らかに建物の焼け跡とおぼしきものが見える。よく見れば…よく見なくても、『仏像の炭化したようなもの』が地面に横たわっている。焦げたミイラでもよい。

「二尉、これって」

「倉田、言うなよ…」

「うへっ、吐きそうっすよ」

 倉田は、胃のあたりをおさえると周辺を見渡した。

 集落跡をゆっくりと見渡していく。無事な建物は一軒たりともない。

 石造りの土台の上につくられていた建物は焼けこげて瓦礫の山となっている。そんな建物の間に、黒こげの死体が転がっているという状態なのだ。

「仁科一曹、勝本、戸津をつれて東側をまわってくれ。倉田、栗林、俺たちは西側を探すぞ」

「探すって、何を?」

 栗林の言葉に伊丹は「う~ん、生存者かな?」と肩をすくめた。




 小一時間かけて捜索して、この集落には生存者がいないようだとわかった。

 伊丹は、井戸のわきにどっかりと座り込むと、タオルで汗をぬぐう。他の隊員達は、生活のようすがわかるものを探して、集落のあちこちを歩き回っている。

 すると、栗林がクリップボードを小脇に抱えてやってきた。

「二尉。この集落には大きな建物が3軒と、中小の建物が29軒ほどありました。確認できただけで27体の遺体がありましたが、少なすぎます。ほとんどは建物が焼け落ちた時に瓦礫の下敷きになったのではないかと考えられます」

「1軒に3人世帯と考えても、30軒なら90人だもんなぁ。大きな家を併せたら最低でも100人くらいの人が生活してたんじゃないかなぁ。それが全滅したのか、それともどこかに隠れているのか…」

「酷いものです」

「ふむ。この世界のドラゴンは集落を襲うこともあると、報告しておかないとな」

「『門の高地』防衛戦では、敵の中にドラゴンに乗っていた者もあったそうです。そのドラゴンは昨日見たものよりはかなり小さかったんですが、そいつの鱗でも7.62㎜弾は貫通しなかったそうですよ。腹部の柔らかい部分ですら12.7㎜の鉄甲弾でようやくということでした」

 伊丹は、栗林の蘊蓄を聞くと「へぇ」と目を丸くした。ドラゴンの遺骸を回収して、そのその鱗の強度試験をやったという話は聞いていたが、その結果がどうだったかの情報はまだ伝わってきていないのだ。

「ちょっとした、装甲車だね」

「はい」

 伊丹は水筒に口をつけると残りが少ないのを気にして、チャプチャプと振った。周囲を見渡して、自分の後ろにあるのが井戸だと気づくと、その上にある木桶を手にとる。木桶を井戸に放り込んで、縄で吊り上げるタイプのようだ。

「ドラゴンがどのあたりに巣を作っていて、どのあたりに出没するかも調べておかないといけないね」

 などと言いながら、井戸に木桶を放り込んだ。

 すると、コーーーンと甲高い音が井戸から聞こえた。

「ん?」

 水の「ドボン」という音が聞こえると思っていたから、妙に思った伊丹は井戸をのぞき込んだ。栗林も「なんでしょうね」と一緒にのぞき込む。

 すると……

 井戸の底で、長い金髪の少女が、おでこに大きなコブをつくってプカプカと水に浮かんでいるのが見えたのであった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 04
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:23
-03-




「テュカ、起きなさい」

 少女の優しい夢は、父親の声に破られた。

「お父さん、どうしたの?折角いい気持ちで寝てたのにぃ」

 目を擦り擦り、身を起こす。

 見渡して見ると居間にはうららかな日射しが差し込んでいる。

 午睡から無理矢理目覚めさせられたためか、頭がまだはっきりとしない。ただ、自分を起こした父の表情が異様なまでに険しくなっていることは気づいた。

 窓の外からも、雑多な足音や喧噪が聞こえて来る。集落中が騒ぎに包まれていた。そのただならぬ気配に何か重大なことが起こったのだと感じた。

「どうしたの?」

 その答えは、テュカ自ら悟った。窓の外、その空に巨大な古代龍の姿が見えたからだ。このあたりには龍は棲まない。だから実際に見るのはこれが初めてである。しかし幼い日々、父親から受けた博物学の講義で知識として知っていた。

「あれは、もしかして炎龍っ?!」

「そうだ」

 父が手にしているのは弓だった。これはエルフ一族では一般的な武器だ。さらには、貴重品をしまい込むのに使っているタンスに手をのばし、中からミスリル銀の鏃と鳳の羽根でつくられた矢を取り出そうとしている。

 父が、戦おうとしている。

 テュカも反射的に、愛用の弓矢に手をのばした。だが、父親の「やめなさいっ」と言う声に止められてしまう。

「どうして?」

「君は、逃げるんだ」

「あたしも戦うわ」

「ダメだ。君に万が一のことがあったら、私はお母さんに叱られてしまうよ」

 父が亡くなった母ことを持ち出すのは、娘に是が非でも言うことを聞かせたい時だ。だが、精神的に自立する年齢を迎えていた娘は父に笑顔で逆らった。

「炎龍が相手じゃどこに逃げても一緒よ。それに、手勢は一人でも多い方が良いでしょ」

 肉食の炎龍が好物とするのはエルフや人間の肉だと言う。ここで炎龍を倒さない限り、どこへ逃げようとも匂いを嗅ぎつけてやって来るに違いない。大地をはいずり回るエルフや人がどれだけ逃げようとも、古代龍にとっては一っ飛びの距離でしかないのだ。

 窓の外では、戦士達の矢が空に向けて放たれた。風や水の精霊が召還され、炎龍への攻撃が始まっている。だが、その効果は薄い。

 逆に炎龍から放たれた炎が、誰かの悲鳴と共に家を焼く。避難しようとしていた女子供がこれに巻き込まれた。

「とにかく、ここにいては危ない。外へ出よう」

 父は、娘の手を引いた。娘はしっかりと弓矢を握っていた。

 絹裂く悲鳴が響く。

 戸口から出たテュカが眼にしたのは、幼なじみの少女が炎龍の牙にかけられる瞬間だった。

「ユノっ!!!」

 愛する親友が食べられてしまう。とっさの判断でテュカは素早くを弓矢を番えた。若いとは言え、弓を手に産まれてくると言われるエルフである。腕前は確かだった。

 渾身の力を引き絞り狙い定めて矢を放つ。だがテュカの矢は、はじかれてしまった。

 テュカの矢ばかりではない。エルフの戦士達が無数の矢を龍に浴びせかけていた。だが、そのどれもが分厚い鱗に阻まれて傷一つ負わすことが出来ないでいる。

 バリバリとエルフの少女をかみ砕き飲み込んだ炎龍は、縦長の瞳を巡らせると次なる獲物としてテュカを選んだ。

「ユ、ユノが。ユノが…」

 炎龍に見据えられた瞬間、テュカの全身は恐怖にすくんだ。

 逃げようにも足は動かず、叫ぼうにも声すら出ない。龍と視線をあわせてしまうと魂が砕かれると言う。この時のテュカは、まさに魂を奪われたかのように動けなく、いや逃げようとすることすら意識に登らなくなっていた。

「ダメだ、テュカ!」

 父が矢を番えつつ、精霊に呼びかける。

「Acute-hno unjhy Oslash-dfi jopo-auml yuml-uya whqolgn !」

 風の精霊の助力を得た閃光のような矢が、炎龍の眼に突き刺さる。

 その瞬間、炎龍の叫びが大気を振るわせた。その振動は周囲に居合わせた生きる物全てを引き裂いてしまうのではないかと思わせるほど。

 炎龍はのたうち回るようにして、空へと浮かぶ。

「眼だ、眼を狙え!!」

 戦士達の矢が炎龍の頭部に狙いを集めた。だが大地に降りているならともかく上空に舞い上がった龍の眼を狙うのは、いかに弓兵のエルフと言えども難しい。

 炎龍は、自らを傷つけたエルフを選び出し狙いと定めた。

 集落を巨大な炎の柱で焼き払うと、炎龍はその鋭い爪と牙とでエルフの戦士達を蹴散らす。払いのける。踏みつぶす。その牙で食いちぎる。

「テュカ、逃げなさい!!」

 父親は娘を叱咤した。しかし、娘は呆然と立ちすくんだままだった。

 彼は娘に手を挙げるかどころか、声を荒げたことすらない優しい父親である。それは日々の暮らしの中では柔和なだけの『甘い』父親として見える。しかし、彼はこのような危急の時…則ち勇猛さと暴力的な粗暴さをむき出しにしなければならない時、これを発露できる厳しさも兼ね備えていた。

 父は、娘に龍の上顎と下顎の隙間に捕らえられる寸前、自らの身体をもって娘をはじき飛ばした。そして、炎龍の顎にレイピアのひと突きを喰らわせる。

 そのまま娘の身体を抱え上げると同時に走りだす。

「来たぞっ!!」

 戦士達の精霊への呼びかけが、あたかも合唱のようであった。

 矢が斉射され、その内の数本が炎龍の鱗の隙間へと突き刺さる。口腔に突き刺さる。爪の付け根へと突き刺さる。

 だが、龍はひるむことなく迫ってきた。

 父は、娘に語り聞かせた。

「君はここに隠れているんだ。いいねっ!!」

 そして、娘は井戸の中へと投げ込まれる。

 投げ込まれる最後の一瞬、彼女が見たものは父の背後に広げられた炎龍の巨大な顎。そして鋭い牙だった。





 どれほどの時間を井戸の底で過ごしただろうか。

 集落や森が焼き払われる炎の音。

 井戸の中にまで降り注ぐ火の粉。

 戦士達の怒号。そして悲鳴。

 腰までつかる水の冷たさに震える。ただただ怖くて、恐ろしくて、そして不安とで、涙を止めることも出来ない。

 気がつくと、耳に入る音がなくなっていた。

 聞こえるのは自分の呼吸音。心拍の音。あるいは、ささやかに聞こえる水の音。

 蒼かった空が、いつの間にか黒くなっていた。だが、不思議と井戸の周りは明るい。集落を焼く炎、その光が井戸の底まで届いていた。

 気がつくと、雨が降り始めていた。

 全身が雨に濡れる。顔が濡れる。眼に水が入る。

 だが、どうしても空から目を離すことが出来なかった。

「やぁ、テュカ。無事だったかい?」

 そう言って父が、ひょっこりと顔を出す。そんな光景を何度思い浮かべたことか。

 でも、いくら待ち続けても誰の声もしなかった。

 みんな死んでしまったのではないかという思いが浮かび上がって、胸が引き裂かれそうになる。

「お父さん……………助けて」

 やがて、空が明るくなった。夜の黒い空から、昼間の青い空へと移り変わった。

 井戸水は冷たい。寒さと疲れ、そして空腹とでテュカは立っていることも出来なくなっていた。絶望と悲しみとで、あらゆる種類の気力が失われていた。

「このまま、死んじゃうのかな」

 そんな風に思う。だが不思議と怖くなかった。というより、このまま死んでしまうことは、何か良いアイデアにも思えた。死んでしまえば、畏れや不安から解き放たれる。孤独の悲しみも、切なさからも逃れられる。あらゆる苦しみからの唯一の救いが死、そんな風に感じられるのだ。

 ふと、井戸の上から何か人の声が聞こえたような気がした。

 朦朧とした意識で、天を見上げてみる。すると、視界全体に水汲み用の桶のような物が広がっていた。

 こ~んと言う甲高い音。鼻の奥に香辛料を吸い込んだようなツーンとした激痛。視界一杯に広がる火花。

「はへぇ…」

 スウと、彼女の意識が遠のいていった。

「Daijyubuka! Okiro! Meoakero!」

 ぺちぺちと頬を叩かれる感触、そしてかけられる声。

 霞のかかる視界の向こうで自分をのぞき込む誰かの顔は、どこか彼女の父に似ていた。

「お父……さ…ん」





      *      *





「エルフっすよ、二尉」

 倉田三等陸曹の言葉に、伊丹は「エルフですねぇ」と応じた。

「しかも、金髪のエルフっすよ。くぅ~~希望が出てきたなぁ!」

「お前、エルフ萌えか?」

「ちがいやす。俺はどっちかっていうと、艶気たっぷりのほうが好みでして。でも、エルフがいたんですから、妖艶な魔女とか、貞淑な淫魔(女)とか、熱いハートのドラキュリーナとか、清楚な獣娘と出会う可能性アリでしょ?洒脱な会話の楽しい狼娘も可です」

 伊丹は、18禁同人誌などに描かれる彼女たちの姿を思い浮かべつつも…こんなのが現実にいたらどうなるんだろうというある種の恐怖感に苛まれた。

 獣娘については、劇団四○の某手塚漫画の名作のパクリ演劇…に出演メークをした女優さんがよい例になるかもしれないと思ったりする。だが、妖艶な魔女とかドラキュリーナとかも、萌えるかもしれない。

「そりぁ、まぁ、あり得るんだろうけどさ…」

「いや、絶対にいます!!」

 握り拳で何やら力説し、萌え…この場合は『燃え』ている倉田に退きながら、伊丹は「まぁ、がんばれよぉ」と遠くで応援することにした。

 栗林ともう一人のWAC(婦人自衛官)黒川二曹が、井戸から引き上げた見た目で16歳前後の少女の濡れた衣服を脱がせたり、ブランケットシートでくるんだりしたりと手当している。

 その光景を見物しようとすると、栗林二曹の鉄拳制裁で確実に排除されるために男連中は近付くことも出来ないでいた。

 伊丹も、遠巻きに見ているしかない。仕方なく井戸に降りるのに使ったロープとかを片づける。井戸の底に降りた時、水に濡れた服が冷たい。さらには半長靴の中には水が少しばかり入り込んで歩くたびにギュボ、ギュボ言う。

 他の隊員達は携帯円匙で簡単な埋葬用の穴を掘ったり、集落の状況を記録におさめるために、瓦礫の山を掘り返していたりする。人々の生活に使われていた家具什器、あるいは弓矢などの武器を集めて、ビデオや写真を撮るのも大切な仕事だ。あるいは資料として持ち帰るためのサンプルを選ぶ必要もある。

 伊丹は、腰を下ろすと半長靴を脱いで逆さにした。するとドドっと水がこぼれ落ちた。このまま履くのは抵抗があるが、裸足で居るわけにもいかないので、背嚢から取り出した毎日新聞を靴の中につっこんで水を吸えるだけ吸わせる。靴下はよく絞ってから履き直す。

 黒川二等陸曹(看護師資格有り)がやってきた。

 一応、敬礼してくれるので伊丹も答礼するのだが、身長が170になるかならないかの伊丹は黒川二曹を見上げる姿勢になる。黒川は、身長が190㎝もあるのだ。
 身長をいろいろと誤魔化してどうにか採用基準ギリギリの栗林と二人ならべて第三偵察隊の凸凹WACと呼ばれていたりする。

「とりあえず体温が回復して参りましたわ。漫画的にできたおでこのコブもお約束に従って消えてしまいました。もう大丈夫だとは思いますが…これから、どういたしましょう?私たちは、いつまでもここに居るわけにも参りませんし、でも女の子をここに一人だけ残していくのも何やら不人情な気もいたします」

 と、ゆったりとしたお淑やか口調で黒川は語る。小柄な栗林が気が短くて勇猛果敢なのに対して、大柄な黒川がのんびり屋のお淑やかという性格の対比が妙である。

「見たところココの集落は全滅してるし、助け出したものを放り出していくわけにもいかないでしょ。わかりました、保護ということにして彼女をお持ち帰りしましょ」

 黒川はニッコリと笑った。この女の側にいると時間がゆっくりと流れているような気がしてくるから不思議だ。

「二尉ならばそうおっしゃって下さると思っていましたわ」

「それって、僕が人道的だからでしょ?」

「さぁ?どうでしょうか。二尉が、特殊な趣味をお持ちだからとか、あの娘がエルフだからとか、色々と理由を申し上げては失礼になるかと存じます」

 伊丹は、大きな汗の粒が額から頬をつたって喉を経て、服の下へと落ちていくのを感じた。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 05
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:24
-04-




 本来の予定で有れば、あと2~3カ所の集落巡りをする予定となっている。だが、保護したエルフの娘を連れ回すわけにもいかない。そのために伊丹は、来た道をたどってアルヌスへと帰還することにした。

 アンテナ立てて本部にお伺いを立てたところ、「ま、いいでしょ。いいよ、早く帰ってこいや」という感じで返事が来た。

「桑原曹長…そんなことで宜しくお願いします。まずはコダ村に戻りましょう」

 伊丹はそう言うと、さっさと高機動車の助手席に乗り込んでしまう。

 運転は倉田、後ろで桑原が全体の指揮をする。また保護したエルフと、その看護のために黒川が乗り込んでいる。

 第三偵察隊は、再び走り出した。

 復路も、往路と同じような平和な光景が広がっていた。つい今朝方まで、ドラゴンが空を覆い、集落の1つを全滅させたなど思えないほどである。

 空は青く、大地は広がっていた。

 半日近い行程を、砂煙を巻き上げながらただひたすら走り抜ける。来る時と違ってスピードが出ているせいか、偵察隊にはなんとなく逃げるような気分が満ちていた。

「ドラゴンが来たら嫌だなぁ」

「言うなって。ホントになったらどうするんよ」

 運転席のつぶやきにおもわずつっこむ伊丹。

 舗装などされていない道だ。車は上下に揺れた。

 衛生担当の黒川がエルフの少女の血圧や脈を測って、首を傾げながら呟いた。

「エルフの標準血圧ってどのくらいでしょう?脈拍は?」などと尋ねてきて伊丹を閉口させながらも、バイタルの数値は安定している。人間の基準ならば低いけれどと報告してきた。

「大丈夫かな?」

「呼吸は落ち着いてますし、血圧も脈拍、体温も安定。不自然に汗をかくということもないですし…人間ならば、大丈夫と申し上げるところなのですが」

 エルフの生理学など知らない黒川としてはそう答えるしかない。伊丹は、はやいところ現地人に接触して、エルフ娘の扱いについて相談するのが一番かと考えていた。




        *      *




 コダ村の人々は、「何だお前ら、また来たのか」という感じで伊丹達を歓迎するでなく、といって嫌悪するわけでもなく、なんとなく迎えた。

 伊丹は、村長に話しかけ、教えて貰ったとおり森の中に集落があったが、そこはすでにドラゴンに襲われて焼き払われていた。というようなことを、辞書を見ながらたどたどしく説明した。

「なんとっ、全滅してしまったのか?痛ましいことじゃ」

 伊丹は、小さな辞書をめくりながら単語を選び出す。

「あ~~と。私たち、森に行く。大きな鳥、いた。森焼けた。村焼けた」

 伊丹は適切な単語がないので『鳥』と言いながらもメモ帳にドラゴンの絵を描いてみせる。こういうイラストは伊丹は得意だったりする。

 長老は、そのイラストを見て血相を変えた。

「こ、これは『ドラゴン』じゃ。しかも古代龍じゃよ」

 伊丹の辞書に単語が増える。ドラゴンという単語が付け加えられ、現地でなんと発音するのかが、ローマ字で表記される。

「ドラゴン、火、だす。人、たくさん、焼けた」

「人ではなく、エルフであろう。あそこに住んでいたのはエルフじゃよ」

 村長はこの世界の言葉で『re-namu』と何度か繰り返した。伊丹は、辞書の『え』の覧にに『エルフ/re-namu』と書き込む。

「そうです。そのエルフ、たくさん死んでいた」

「わかった、よく教えてくれた。すぐにでも近隣の村にもに知らせねばならぬ。エルフや人の味を覚えたドラゴンは、腹を空かしたらまた村や町を襲ってくるのじゃよ」

 村長にお礼かたがた手を握られた。いまならまだ家財をまとめて逃げ出す時間があると、村長は人を呼ぶよう家族や周囲に声をかける。

 ドラゴンがエルフの集落を襲ったという知らせに、村人達は血相を変えて走り出した。

「一人、女の子を助けた」

 伊丹の言葉に、村長は「ほぅ」顔を上げた。村長を高機動車の荷台へつれていくと少女を見せる。

「痛ましい事じゃ。この子一人を残して全滅してしまったのじゃな」

 村長は、まだ意識の回復しない少女の金髪頭をひと撫でした。種族こそ違え、このコダ村とエルフの集落とはそれなりの交流があったのだ。
 エルフは森の樹を守り、狩猟で入り込む猟師が森の深部に入りこまないようにと牽制しながらも、負傷したり困窮していれば助け、時には保護して送り返してくれる。

 互いに干渉しない、距離を置いた尊敬関係とでも言うべきか。そんな関係が両者の間にはあったのだ。

「あ~と…この子、村で保護…」

 伊丹の言うことは理解できる。だが、村長は首を振った。

「種族が違うので習慣が異なる。エルフはエルフの集落で保護を求めるのがよい。それに、われらはこの村から逃げ出さねばならぬ」

「村、捨てる?」

「ドラゴンが来る前に逃げなければならぬのじゃよ。知らせて貰えねば、逃げる暇もなく我らは全滅してしまったろうに。ホントに感謝するぞ」





      *      *




 コダ村から少し離れた森に小さな小さな家が、一件建っている。

 サイズとしては、6畳間ふたつの2DK程度。平屋で、小さな窓が二つ。窓ガラスというものが存在しないこの地では、採光と通風が目的の窓も総じて小さめにつくられる。

 煉瓦造りの壁には蔦が這っている。天を覆う樹冠からの木漏れ日に、周囲は柔らかめに明るいため、建物からは瀟洒な感じがして、なかなかに素敵な雰囲気だ。

 その家の前に馬車が止められ、荷台には木箱やら、袋やら、紐で結わえられた本だとかが山積みに積み上げられていた。

 傍らで草を喰んでいる驢馬がその荷馬車を引くとするなら、ちょっと多すぎるんじゃないか?と尋ねたくなるような、それほどまでに多量の荷物だった。

 その山となった荷物を前に、さらに本の束をどうやって載せようかと苦心惨憺している者がいた。

 年の頃14~5といった感じで貫頭衣をまとったプラチナブロンドの少女だった。

「お師匠。これ以上積み込むのは無理がある」

 最早どこをどう工夫しようと、手にした荷物は載りそうもない。少女は、その事実を屋内へと冷静な口調で伝えた。

「レレイ!!どうにもならんか?」

 窓から顔を出した白いひげに白い髪の老人が、「まいったのう」と眉を寄せる。

「コアムの実と、ロクデ梨の種は置いていくのが合理的」

 レレイと呼ばれた少女は、腐る物ではないのだから…と、荷馬車から袋を一つ二つ降ろす。そして、空いたスペースに本の束を載せた。

 コアムの実もロクデ梨の種も、ある種の高熱疾患に効能のある貴重な薬だ。だが、その高熱疾患自体、あまり見られるものではないので、今日明日要りようになるということもない。また稀少とは言っても手に入らないものではないので、失ったら取り返しのつかなくなる貴重な書物に比べ重要性は格段に劣る。

 白髪の老人は袋を受け取ると、肩を落とした。

「だいたい炎龍の活動期は50年は先だったはずじゃ。それがなんで今更…」

 エルフの村が炎龍に襲われてて壊滅したという知らせは瞬く間に村中に走った。
 常のことならば着の身着のままで逃げ出さなければならないはずである。だが、今回は龍出現の知らせが速かっため、荷物をまとめるだけの時間はある。その為に村全体が、逃げ出す支度でひっくり返ったような騒ぎになっているはずだった。

 老人はぶつくさ言いながら、レレイのおろした袋を小屋へと戻す。

 その間にレレイは驢馬を引いてきて荷馬車とつないだ。

「師匠も早く乗って欲しい」

「あ?儂はおまえなんぞに乗っかるような少女趣味でないわいっ!どうせ乗るならおまえの姉のようなボン、キュ、ボーンの…」

「………………」

 レレイは冷たい視線を老人にむけたまま、おもむろに空気を固めると投げつけた。空気の固まりとは言っても、ゴムまりみたいなものだが、次々とぶつけられるとそれなりに痛い。

「これっ!止めんかっ!魔法とは神聖なものじゃ。乱用する物ではないのじゃぞ!私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじゃって…やめんか!!」

 ……………おほん。

「余裕があると言っても、いつまでのゆっくりしていられるわけではない。早く出発した方がいい」

「わかった、わかった。そう急かすな…ホントに冗談の通じない娘じゃのう」

 老人は杖を片手に、レレイの隣によっこらせと乗り込む。レレイは冷たい視線を老人に向けたまま語った。

「冗談は、友人、親子、恋人などの親密な関係においてレクレーションとして役に立つ。だけど、内容が性的なものの場合、受け容れる側に余裕が必要。一般的に、十代前半思春期の女性は性的な冗談を笑ってかわせるほどの余裕はない場合が多い。この場合、互いの人間関係を致命的なまでに破壊する恐れもある。これは大人であれば当然わきまえているべきこととされている」

 老人は弟子の言葉に大きなため息をひとつついた。

「ふぅ~疲れた。年はとりたくないのぅ」

「客観的事実に反している。師匠はゴキブリよりしぶとい」

「無礼なことを言う弟子じゃのう」

「これは、幼年期からうけた教育の成果」

 身も蓋もないことをレレイは告げる。そして驢馬に鞭をひと当てした。
 驢馬はそれに従って前に進もうとしたが、荷台のあまりの重さから馬車はビクリとも動かなかった。

「………………」

「………………オホン。どうやら荷物が多すぎたようじゃのう」

「この事態は予想されていた。かまわないから荷物を積めと言ったのはお師匠」

「………………」

 レレイは黙ったまま、馬車からピョンと飛び降りた。動かない馬車にいつまでも乗っているくらいなら歩いた方がマシだと判断したのだろう。

「おお!レレイは、気の効くよい娘じゃのう。いつもこんな調子ならば、嫁のもらい手は引く手あまたじゃろうにのぅ…惜しい事じゃ。ホントに惜しい事じゃ」

 老人はそう言うと、レレイから手綱を受け取る。そして、驢馬に鞭をひと当て。だが、やはり荷馬車はピクリとも動かなかった。

 レレイはちらりと車輪に目をやった。車輪は地面に1/3程めり込んでいる。このままでは動くことはないだろう。

「お師匠。馬車から降りるのに手が必要なら言って欲しい」

「し、心配するでない。儂らにはこれが有るではないか?」

 老人は杖を掲げる。するとレレイは老人の口調を真似た。

「魔法とは神聖なものじや。乱用する物ではないのじやぞ。私利私欲や、己が楽をするために使って良いものではないのじや…」

 老人は、額に漫画的な汗を垂らしながら言い訳する。

「儂らは魔導師じゃ。『ただ人』のごとく歩く必要はないのじゃよ」

 しかし、レレイの温度を全く感じさせない視線は和らぐことはなかった。

 老人の口は「あー」の形状で固まったまま呪文がなかなか出てこない。

「………………」

 教育者としての矜持とか、いろいろなものがその胸中で葛藤しているのだろう。老人が次の動きを見せるまでしばしの時間が必要だった。だが、やがて老人は情けなさそうな表情をはりついた顔をレレイに向ける。

「す、すまんかった」

「いい。師匠がそう言う人だと知っている」

 レレイとは、そういうことを口にする身も蓋もない娘であった。




 魔法を使うことで重量が軽くなれば、荷物山盛りの馬車も驢馬の力でも容易に引くことが出来る。

 レレイと師匠の乗った馬車は、長年住み慣れた家を後にした。

 村の中心部に向かう中。あちこちの家でレレイ達同様、馬車に荷物を積み込む者の姿が多く見られた。農作業用の荷馬車や荷車、あるいは直接馬の背中に荷物をくくりつけている者もいる。

 レレイは、あわてふためいて逃げ出す支度をする村人達の姿を、じっと観察してた。

 そんなレレイに、師匠は言う。

「賢い娘よ。誰も彼もが、お前の目には愚かに見えることじゃろうなぁ」

「炎龍出現の急報に、これまでの生活をうち捨てて逃げ出さなくてはならなくなった。だけど、避難先での生活を考えれば、持てる限りのものを持っていきたいと考えるのは、人として当然のことと言える」

「人として当然とは、結局の所『愚しい』ということであろ?」

「…………」

 レレイは、師匠の言葉を否定しなかった。

 本当に命を大切に思うので有れば、与えられた時間を使って、より遠くへ逃げるべきではないだろうかと考えるのだ。

 なまじ余裕が有るばっかりに、荷物をまとめるのに時間を費やしてしまっている。これによって結局は出発時間が遅れる。さらに重い荷物は移動速度を低下させる。炎龍に追いつかれてから、荷物を捨ててももう遅いのだ。

 そもそも、人は何故生き続けたいなどと考えるのか。

 人はいずれ死ぬ。結局は遅いか早いかでしかない。

 ならば、わずかばかりの生を引き延ばす行為にどんな意味があるというのか。

 レレイはそんな考え方すらしてしまうこともあった。

 村の中心部にさしかかると、道は馬車の列で渋滞が出来ていた。

「この先は、いったいどうしたのかね?」

 いつまでの動かない馬車の列に苛立ってか、師匠は進行方向から来た村人に声をかけた。

「これは、カトー先生。レレイも、今回は大変なことになったね。…実は、荷物の積み過ぎで、車軸がへし折れた馬車が道を塞いでいるんです。みんなで、片づけてますが、しばらく時間がかかりますよ」

 引き返して別の道を選ぼうにも、すでに後ろにも馬車が塞いでいて行くも戻るも出来なくなっていた。




 レレイは、後方から見慣れない姿の男達が、これまで聞いたこともない言葉で騒ぎながらやって来ることに興味を引かれた。

「避難の支援も仕事の内だろ。とにかく事故を起こした荷車をどけよう!伊丹隊長は村長から出動の要請を引き出してください。戸津は、後続にこの先の渋滞を知らせて、他の道を行くように説明しろ!!言葉?身振り手振りでなんとかしろ!!黒川は事故現場で怪我人がいないかを確認してくれ」

 見ると、緑色…緑や濃い緑、そして茶色のまざった斑模様の服装をした男達だった。いや、女性らしき姿もある。兜らしいものを被っているところをみると、どこかの兵士だろうか?だが、それにしては鎧をまとっていない。レレイの知識にない集団のようだ。

 何を言っているのかよくわからないが、初老の男に指示された男女が凄い速度で走っていく。

 その様子を見ると、はっきりとした指揮系統らしきものがあるようだった。

 レレイは師匠に「様子を見てくる」と告げると、馬車を降りた。

 馬車15台程先に、事故を起こした馬車があった。

 車軸が折れて馬車が横転している。その時に驚いた馬が走り回って暴れたらしい、巻き散られた荷物と、倒れている男性や母子の姿があった。

 馬も倒れて泡を吹いているが、まだ起きあがっては暴れようとしている。そのために、村人達は近づこうにも近づけないのだ。

「君。危ないから下がっていて」

 緑色の人達。

 何を言われているのかよくわからないが、手振りからしてレレイに下がっているように言っているのだろう。

 だがレレイは倒れている母子がどうやら怪我をしているらしいことに気付くと、制止を振り切って、駆け寄った。傍らで馬が暴れているが気にしない。

「まだ生きている」

 レレイよりちょっと下。10歳ぐらいの子供を診ると、頭を打ったようで血の気がない。母親は、気を失っているようだがたいしたことはないようだ。子供が一番危険な状態だった。

「レレイ!!何をしている?何があった?」

 呼ぶ声に振り返ると村長だった。やはり緑の服の人と一緒だ。事故の知らせに今来たのだろう。

「村長。事故。多分荷物の積み過ぎと荷馬車の老朽化。子供が危険、母親と父親は大丈夫そう。馬はもう助からない」

「カトー先生は、近くにいるのかね?」

「後ろの馬車で焦れてる。あたしは様子を見に来た」

 ふと見ると、緑の服の女性が、レレイと同じように子供の様子を、誰かに伝えている。
村長のとなりにいる30代くらいの男が指示を出しているようだった。

 突然、悲鳴が上がる。「危ない!!」

 バンバンバン!!

 突然の炸裂音にびっくりして振り返ると目に入ったのは、暴れていた馬が、レレイに覆い被さるようにドウッと倒れるところだった。紙一重のところで巻き込まれずに済んだが、ホンの少しずれていたらレレイの10人分はある馬体に、彼女は押しつぶされていた。

 レレイに判ったのは、どうやら緑の服の人たちが、暴れる馬から自分を守るために何かしたということだけだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 06
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:26
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 大陸諸国から帝国に集まった軍勢が、一夜にして姿を消した。

 それは日本ならば新聞の一面トップ、あるいはバナー広告一行目にとりあげられるような出来事であろう。だがこの世界、この土地の民にとって、軍がどこに行こうとどうなっていようと関係のない話だった。戦争に負けたとしても、支配者が変わるだけ。人々の生活になんら変化を起こすものではないのだ。

 これと言うのもは常にどこかの国と戦争をしているという状態が続いていたせいである。戦争に勝ったり負けたり、領地をとったり取られたり。領主がコロコロとかわり、仰ぐ旗がコロコロかわる。そんなことが続けば、我々の言うところの愛国心など育まれるはずがない。

 自分の住んでいる土地とその周辺が戦場になるのではないかぎり、あるいは自分の家族が兵士として戦場に赴いているのでない限り、市井の民が国の動静に関心をはらうことはほとんど無いのだ。

 それでも騎士や兵士達が移動して数日。人々の生活にも、影響が表れ始めていた。

 それは、盗賊の跳梁である。

 この世界の支配体制では、兵士や騎士の存在があったとしても、盗賊を抑える効果はそれほどない。なぜなら、貴族や騎士の主たる任務に治安の維持は含まれていないからである。

 彼らの役割と関心は「支配する」ことにある。騎士や貴族や『税金』と称して奪う。盗賊らは名目がないけど奪う。どちらも無理矢理で、拒否したら暴力を振るう。本質は同じで、大した違いはないのだ。

 もし、貴族や騎士が盗賊を退治したとしても、それは牧童が自分の羊を守るために、たまたま自分の視界に入った狼を追い払う程度のことでしかない。身も蓋もない言い方だが、民衆の安全に気を配ることは義務ではなく、奨励される善行のひとつに過ぎないのだ。

 死にものぐるいになって刃向かってくる盗賊を追って命をおとすかもしれないとなれば、貴族や騎士達が熱意を持ってこれと戦うなどまずあり得ない。これは、とりわけ珍しいことではない。かつての日本でも同じで黒澤明監督の映画「七人の侍」の状況設定が成立するのもこのせいと言える。

 とは言え、騎士や兵士が激減したという事実は、盗賊の喜ぶ状況だった。

 これまでは、こそこそと行っていた野盗行為を堂々と行えるようになったのだから。




 獲物がいなくなったら困るので、根こそぎ狩ったり奪ったりしない…というのは智恵のある狩人の仕事である。それと類似するのが盗賊行為であるが、そもそも智恵のある人間が盗賊に身を落とす例は少ないので、盗賊の大部分は、陰惨を極める仕事の仕方をする。

 例えば近くにドラゴンが出たために、とある村から逃げ出すことになった一家だ。

 男は、農耕馬に馬車を引かせると、家財一切合切と妻32歳と娘15歳を乗せて村を出た。

 こうした逃避行では、野生の草食動物がするように…例えば野牛やシマウマのように、キャラバンを組んで移動するのが常である。だが、そんな悠長なことをしているとドラゴンに襲われるかも知れないという恐怖が先にたった。

 だから村人達が止めるのも聞かず、一家だけで村を出たのである。

 運悪く盗賊が現れたのは、村を出て2日目の夕刻だった。

 男は、農耕馬に鞭打って馬車を走らせたが、荷物満載の農耕馬車がそんなに速く走れるはずもない。抵抗らしい抵抗をすることも出来ず、一家は騎乗の盗賊達に取り囲まれてしまった。

 男はあっさりと殺され。家財と、妻と娘を奪われたのだった。




 夕闇の中。十数名の盗賊達は、火を囲んで獲物を得た喜びに、一時の享楽を味わっていた。

 獲物の中には金品ばかりでなく一家が当面の暮らしを保つための食料もあった。これで腹を満たす。母娘を犯すのは順番待ちだが、盗賊でも主立った立場にいる者は早々に獣欲を満たして、いい気分で酒を味わっていた。

「お頭、コダ村だそうですぜ」

 炎龍の出現によって村中で逃げ出している。荷物満載で足が遅い。たいした脅威もない。これを襲ってはどうか?襲わない手はない。襲いましょう。奪いましょう。

 配下の言葉に、頭目はニンマリとほくそ笑んだ。実に良いアイデアだ。そうしよう。彼はそう考えた。だが…。

「手が足りねぇぞ」

 20人に満たない自分の配下では、村丸ごとのキャラバンは獲物が大きすぎる。

「それですよ。あちこちに、声をかけて人を集めるんでさぁ。そうすれば今まで出来なかったような大仕事が出来ますぜ」

 これは手下を集める良いきっかけと言えた。

 頭数をがそろえば、村や町を襲うことも出来る。うまくやれば、領主を追い出して自分が領主になることも出来るかも知れない。

 野盗から領主へ…その日暮らしの盗賊家業から、支配者への成り上がりの夢。しばしの夢、刹那の夢に浸る。

 名もない盗賊の頭目。彼にとって幸福を夢見た瞬間が、人生の終わりだったのは幸せだろうか。それとも不幸だろうか。

 ゴロッと首の上から、頭が落ちて地に転がる。

 ゴロゴロと大地を転がり、たき火の側で止まった。

 ジュと髪が焦げ独特の臭いが立ち上がる。

 生理学的には、人は首を切られても数秒は意識があると考えられている。とすれば、彼は自分の頭が大地を転がる瞬間を体験しただろう。そして、自分の身体であった物体が、首から血液を噴出させながらグラッと倒れる瞬間を眺めることが出来たかも知れない。

 そして、暗くなっていく視野の向こうに、自分の赤い血を浴びる長い黒髪の死に神を見た。




 その少女を見た者は誰もが最初に「黒い」と思う。

 抜けるような白い肌に漆黒の髪、黒い衣装。

 そして、その瞳は底のない闇のごとく黒かった。

 ビュンという風切り音とともに、盗賊の首が飛ぶ。

 手にした武器は、重厚なハルバート。

 重い鉄塊のごとき斧に長柄をつけた武器だ。断じて小柄な少女が振り回してよい武器ではない。フリルで飾った服をまとった少女が手にしてよいものではない。それを柳のような細い腕と、そして白魚のような細い指で振り回す。

 どすっと重い鉄斧を肩に載せて、丸い息を「ほっ」吐く。

 少女の周囲には野盗であった死体が累々と横たわっていた。

「クスクスクス………。おじさま方、今宵はどうもありがとう」

 スカートをつまみ上げて、ちょこんと一礼。

 年の頃は見た目では12歳前後。優美さと、気品のある所作からは育ちの良さが感じられた。

 そのかんばせは笑顔をたたえている。だが、目だけが笑っていない。黒い瞳の中に浮かぶ闇ははどこまでも深い虚無だった。

「生命をもってのご喜捨を賜りホントにありがとう。神にかわってお礼を申し上げますわねぇ。神はあなた達の振るまいがたいそう気に入られて、おじさま方をお召しになるっておっしゃられてるの」

「………な、なんでぇ!てめえはっ!」

 まだ、生きている野盗達の中に、はらわたに氷を詰められたようなぞっとする重さの中で、なんとか虚勢をはることができた者がいた。この際、声を出すことが出来ただけでも褒めてやるべきか。

「わたしぃ?」

 くすりと愛らしくほほえむ。

「わたしはロゥリィ・マーキュリー。暗黒の神エムロイの使徒」

「エムロイ神殿の神官?……じ、十二使徒の一人。死神ロゥリィ?」

「あらぁ、ご存じなのぉ? クスクスクスクス…正解よぉ」

 コロコロと嗤う少女を前にして、野盗達は一斉に逃げだした。荷物もなにもかもうち捨てて死にものぐるいになって走り出す。

 じょ、冗談じゃねぇ。使徒なんかとまともにやり合えるかっ!!

 魂の叫び、命の叫びをそれぞれにあげながら、懸命に死の顎から逃れようとする。

「だめよ。逃げてはいけないのよぉ」

 ロゥリィが跳んだ。自分の体重ほどもあるような巨大な鉄塊を抱え、どう猛な肉食獣の身のこなしで、盗賊達に襲いかかる。

 ハルバートが盗賊の頭をスイカのようにかち割ると、周囲にミンチ状の肉片がまき散らされた。

「ひぇ、あわっ…ひっ」

 腰が抜けた男の前に、ゆらぁりと立つロゥリィ。重たいハルバートをよいしょと担ぐと、足下をちょっとふらつかせながらも、高々と掲げあげる。

 彼女の白い肌は、返り血で真っ赤に染まっていた。

「うふふ……神様はおっしゃられたのよ。人は必ず死ぬのぉ。決して死から逃れることは出来ないのぉ」

 振り下ろされる斧に続いて、断末魔の悲鳴が響くのだった。




        *      *




「はぁ、はぁ、はぁ…なんだって、エムロイ神殿の神官がこんなところに…」

 男は我が身におきた不幸に不満をたれながら、走っていた。

 遠くから仲間の絶叫が聞こえる。また一人、死神教団の使徒に命を刈り取られたようだ。

「くっ、くそっ」

 夜の荒野だ。道などない。窪みがあり、岩が転がって、荊が群生し、立木が立ちふさがっている。男は、転び、のたうち回りながら、泥と汗とにまみれ、あちこちをすりむき、服を破きながら、あえぐように走った。

 また、絶命の悲鳴がこだました。

 ぬかるみにはまり込み、滑って転ぶ。身体を地面にうちつけて、男は拳で大地を打った。

「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉっ、なんで俺がこんな目にっ!!」

「あらぁ。十分楽しんだのではないのぅ?」

 トンという足音。それに続く鈴を鳴らしたような声に、はっと見上げる。すると銀色の月を背景に、黒い少女が立っていた。

「あなた、イイ思いをしたのではなくてぇ?人を殺したのではないのぉ?」

 男の開いた脚の間…股間すれすれにズトンと、大地を割らんばかりにハルバートが突き刺さった。

「ひ、ひっひ、ひ、お、俺はまだやってねぇ!!」

「あらぁ、ホントぉ?」

「ホントだよ!!仲間にしてもらって、これが初めての仕事だったんだよぉ!!女だって、俺は新米だから最後だって言われて、まだ指一本触れさせて貰ってねぇんだ!!」

「ふ~~ん?」

 ロゥリィはのぞき込むようにして、男を値踏みした。

「他のおじさま達は、み~んな、エムロイの神に召されたわよぉ。あなた独りじゃ寂しいんじゃなくてぇ?」

 男はぶるぶると首を振った。寂しくない、寂しくない。

「でもぉ、独りだけ仲間はずれなんて、いい気分じゃないわぁ」

「いや、是非仲間はずれにしてくださいっ!!!」

 男は祈るように願った。

 ロゥリィは、ロゾリとした刃物のような冷たい目で男を見下ろす。

「どうしよぅかなぁ~」

 言いながら、とロゥリィはポンと掌を拳でうつ。「そうだわあ。良いこと考えたのぅ」

「まだ、何もしてないなら。今からでもすればいいのよぉ」

 そう言って黒い少女が男の片足をむんずと掴みあげる。それは華奢な見た目からは信じられないほどの怪力だった。

「るるんらっ」と鼻歌を歌いながら、雑巾かモップでも引きずるような感じて男を引っ張る。

「いでで、やめっ!ごふっ!!あつっ」

 石や砂利の転がる荒れ地だ。男の汗にまみれた身体は、自らの血でさらにまみれた。

「あなた、お母さんと、娘さんとどっちが好み?」

「いやだぁ!止めて!!ぐへっ、ごっぽっ……」

「遠慮なんかしてはいけないのぉ。これが最期なんだしぃ、お相手していただけるようにあたしが頼んであげるわよぉ」

 ロゥリィは男の足をつかんだままぶんっと腕を振る。男は、うち捨てられた人形のように不格好に横たわる母娘のところでドサと転がった。

「さぁ、はじめるとよいのぉ。貴方の順番よぉ」

 男は首をブルブルと振る。

 一糸も纏わない母娘2人は、暴行を受けていた姿勢そのままに両足を広げ、両腕は万歳するかのように挙げていた。身動き1つせず横たわっていて、見ると呼吸も止めている。

「あら困ったわね。こちらの2人も、もう召されてしまったようだわ」

 暴行をうけている間に、命に関わるような傷を負わされたのかも知れない。

「間に合わずにごめんなさいね」

 ロゥリィは母娘に瞑目して頭を少し下げた。その上で男に微笑む。

「でも、折角だからぁ。やったらぁ?」

 男の股間が濡れて、周囲に水たまりが広がっていった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 07
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:7f4040fb
Date: 2008/04/02 14:27
-06-




 盗賊の青年は、涙を流しながら許しを請い続けた。

 地に這いずり、手を組んで祈るように。

 涙と鼻水を流しながら慈悲を請う。自分はまだ直接には罪を犯していない。まだ手を汚していない。生活苦のために、盗賊に身を落とすしかなかった。反省して、心を入れ替えて、これからは真面目に働く等々。

 ロゥリィはその醜態に嘆息する。汚物から目を背けるかのように顔を背ける。

 その見苦しさに、視線を向けたが最期、自らが汚されてしまうかのような気分になってしまったのだ。

 まず大前提がある。それは、ロゥリィの考えでは、人を殺すことは罪ではないということなのだ。

 大切なことは、何故、どのような目的で、そしてどのような態度でそれを為したかなのだ。

 これこそロゥリィの仕える神の教えでもあった。

 盗賊や野盗が、人のものを盗むことの何が悪いのだろう。

 兵士や死刑執行人が、敵や死刑囚を殺すことの何が悪いのだろう。

 そう言うことなのだ。

 ロゥリィの仕える神は善悪を語らない。

 あらゆる人の性を容認する。人が生きるために選んだ職業を尊ぶ。そして、その職業なりの道を尊ぶ。だから、盗賊ならば盗賊として堂々としていればよい。そのかわり盗賊であるが故に、兵士であるが故に、戦場でそして法によって裁かれること等で、自らの命もまた奪われることを覚悟すべきだと教えるのだ。

 もし、この男が盗賊として胸を張ってロゥリィに相対したので有れば彼女はそれなりの尊敬を示したろう。神の使いの立場として、青年を愛したかも知れない。

 だが、この男の態度たるやどうだろう。

 まず、自ら手を汚していないという言い訳が許せない。実際に盗賊集団に参加し、『数を頼む暴力』の構成員となった以上、直接暴力を振るったかどうかは全く関係がないのだ。

 そして、生活苦のために盗賊に身を落とすしかなかったという言い訳がまた許せない。食べていけないのなら、飢えて死ねばいい。

 才覚に乏しく運に見放され食べていくことが出来ないが、誰も傷つけたくない。故に、物乞いや路上生活者として生きるということを選択した者も、ロゥリィは愛するのだ。

 人として愚劣。男として低劣。まさに存在の価値なし、その見苦しさの余り漆黒の使徒はその美貌をゆがめた。

 ロゥリィは、冷厳に命じる。

 墓穴を掘るようにと。その数は三つ。

 青年は、道具がないと応じたが、母親から頂いた両手が有るでしょう?とロゥリィに論駁されてしまう。

 だから青年は荒野を引っ掻くようにして、穴を掘った。

 ここは荒野だ、砂場や耕された畑に穴を掘るようには行かない。たちまち爪は剥がれた。皮膚はぼろぼろとなった。しかし、青年がその痛みに手を休めようとすると巨大なハルバートがつま先を削るようにして叩きつけられて、大地を抉る。

 恐怖に駆られた青年は、一時の狂躁に苦痛を忘れ、砂礫と雑草の大地を削るようにして、必死で穴を穿つのだった。

 やがて、一家の父親を埋葬した。

 一家の母親を埋葬した。

 そして一家の娘を埋葬する。

 最早、感覚を失った掌で土を掬いあげて少女の墓に盛り終えた時、すでに太陽は昇り、あたりは朝となっていた。

 男が仕事を続けたのは、これが、自らを見逃す条件であると思ったからだ。いや、そう思いたかった。思いこもうとした。そして男はお伺いをたてるかのように振り返る。

「こ、これでいいか?」

 渇きと飢え、そして疲労と両手の激痛とで息も絶え絶えとなっていた男は、見た。

 神の祈りを捧げる少女、ロゥリィの姿を。

 片膝をついて、両手を組み一心に祈る。彼女は神秘的な陽光に包まれ気高く美しく、見る者の呼吸すら押し止める。

 喪服にも似た漆黒のドレスと長い黒髪。

 白磁の肌。

 古くなった血液のような、赤黒の口紅がぞっとするような笑みの形を描く。

 祈りを終えた少女はゆっくりと立ち上がり、ハルバートを掲げあげた。そして身じろぎも出来ずにいる男へと向かって、神の愛と自らの信仰の象徴を振り下ろすのだった。





      *      *




 コアンの森在住のハイ・エルフ、ホドリュー・レイ・マルソーの長女テュカは、自分は今、夢を見ていると思っていた。

 寒冷紗がかかったような朦朧たる視野。そのなかで『人間』達が行き交う。

 何が起きているのか?感じ取り洞察しうる思考力が働かない。ただ、目に映る物、耳に入る音を受け容れるだけだった。

 空に浮かぶ雲や目に映る風景が、時折流れるように動く。止まる。また、動き出す。それに伴って身体が揺すられる。

 どうやら、荷車のようなものに載せられているようだった。

 動いては止まる。また動いては止まる。

 『荷車』の窓から見えるのは、荷物を背負い抱えた人間達が疲れた表情で、そして何かに追い立てられるかのような表情で歩いている姿だった。

 荷物を満載した荷車がガラガラと音を立てながら進んでいく。

 また動き出す。そしてしばらくして止まる。

 暗かった壁が切り開かれて、そこから外の光が差し込んで来た。

 眩しい……。

 ふと、視界がぼんやりとした黒い人影で覆われた。

「Dou? Onnanoko no yousuha?」

 視界の外にいる誰かと何か会話しているようだが、聞き取ることも理解することも出来なかった。

「クロちゃ~ん。どう?女の子の様子は?」

「伊丹二尉…意識は回復しつつありますわ。今も、うっすらと開眼しています」

 そんな会話も、テュカにとっては無意味な音声でしかなかった。

 高名な原型師が、最高の情念と萌え魂を込めて作り上げた、そんな造形の美貌と肌をもつ少女が、力無く横たわっている。流れる金糸のような髪をまとい、うっすらと開かれた瞼の向こうには、青い珠玉のような瞳が垣間見られる。

 伊丹は少女のように見えるエルフ女性を眺め見て、ため息を1つついた。

 熱は下がって安定。バイタル(心拍・呼吸数・血圧/標準値がどの程度のなのかは判らないが、上がるでもなく下がるでもなく、安定していることは悪いことではないと黒川は語った)も安定しているとは言え、気をつかわないわけには行かない状態だ。

「遅々として進まない避難民の列。次から次へと沸き起こる問題。増えていく一方の傷病者と落伍者。逃避行ってのは、なかなかに消耗するものだねぇ」

 それは愚痴だった。「息抜きの間に人生をやる」がモットーの伊丹にとって、現状がいつまで続くか判らないことは苦痛以外の何者でもないのだ。

 疲労。人々の悲壮な表情。餓えと渇き。赤ん坊の悲鳴にも似た鳴き声。余裕をなくして苛立つ大人達。事故によって流される血液。照りつける太陽。落とす間もなく靴やズボンにこびりついていく泥・泥・泥。

 ぬかるみにはまって動けなくなってしまう馬車。その傍らで座り込んでしまう一家。しかし村人達には為す術がない。彼らには落伍者を無感動に見捨てていくことしか出来ないのだ。助けようにも精神的にも肉体的にも余力がなかった。「せめて我が子を…」と通りゆく荷馬車に向けて赤子を捧げる父親。

 キャラバンからの落伍は死と同義だった。乏しい食料、水。野生の肉食動物。盗賊。そんな危険の中に身を曝して生き続けることは難しい。

 見捨てるのが当たり前。見捨てられるのも当然。生と死はここで切り分けられてしまう。それが自然の掟だった。

 誰か助けて。

 その祈りに力はない。

 誰か助けて。

 神は救わない。手をさしのべない。ただ在るだけだった。

 誰か……誰か誰か。

 神は暴君のように命ずるだけ。死ねと。

 だから、人を救うのは人だった。

 動けなくなった馬車に緑色の衣服をまとった男達が群がった。ただ、脱輪しただけならば助けようはあると言う。

「それっ、押すぞ!!」

「力の限り押せ~、根性を見せて見ろっ!!」

 号令に全員が力を込める。泥田のような泥濘から馬車が救われ、再び動けるようになると、男達は礼の言葉も受け取ろうともせず、馬を使わない不思議な荷車へと戻っていく。

 村民達は思う。彼らはいったい何だ?

 この国の兵士でもないようだし、無論住民でもない。ふらっとやってきて、村に近づく危機を知らせ、そしてこうして逃避行を手伝う。気前がよいと言うよりは、人の良すぎる不思議な笑みを顔に張り付かせている異国の人間達。そんな印象が村民の一部に残った。

 馬車が荷物の重みに耐えかねて、壊れてしまった場合の彼らは冷酷だった。

 荷物を前に呆然と立ちつくす村人の元に、緑色の男達の長と村長がやってくる。

 そして村長から、背負えるだけの荷物を選ぶように説得される。荷物を棄てるなど村人達の考えてもしないことだった。荷物とは口を糊するための食料であり、財産だ。これらなくしてどうして暮らしていけると言うのか?だが、村長はそれでもと荷物を棄てるようにと告げる。嫌々ながら、緑色の服をまとった連中の言葉を伝えさせられているという態度だった。そして未練が残らないようにと火を放たせられた。そうなってしまえば、燃え上がる家財に背を向けて歩きだす。明日はどうするのか?あさっては?全く希望の見えない状況で、泣く泣く歩くしかないのだ。

 今やキャラバンには荷車の列と、徒歩の列とが出来ていた。そして時間の経過とともに徒歩の列が増え、荷車の列は減りつつある。

 黒川は伊丹に言った。

「どうして火をかけさせるのですか?」

「荷物を前に全く動こうとしないんだもの。それしかないでしょう?」

「車両の増援を貰うというわけにはいかないのでしょうか?」

 自衛隊の輸送力なら、この程度の村民を家財ごと一気に運んでしまうことは簡単なのだ。

 だが、伊丹は顔をしかめて後頭部を掻く。

「ここは一応、敵対勢力の後方に位置するんだよね。力ずくで突破すれば出来ないこともないよ。でも、僕たち程度の少数なら見逃しても、大規模な部隊が自分たちのテリトリーの奥に向かって移動を開始したら、敵さんもそれなりに動かざるを得ないと思うんだよね。偶発的な衝突。無計画な戦線の拡大。戦力の逐次投入。瞬く間に拡大する戦禍。巻き込まれる村民達。考えるだけでゾッとしちゃうってさ」

 そんな伊丹の言葉に、黒川は苦笑をかえす。伊丹が一応は上に向かって『お伺いは立てた』のだと言うことが、その言葉から知れたからだ。

「だから、僕たちが手を貸す。それぐらいしか出来ないんだよ」

 伊丹の言葉に黒川も頷かざるを得なかった。




        *      *




 コダ村の避難民のキャラバンが『そこ』を通りかかったのは、太陽があと少しで最も高いところに昇るという頃合いになる。

 キャラバンの先頭を行く第3偵察隊の高機動車(HMV)。しかし、その速度は歩くのとそう大差なかった。

 なにしろ徒歩の村人と、驢馬や農耕馬の牽く荷車の列だ。歩くだけの速度でも出ていればまだマシと言えるかも知れない。

「しっかし…もうちょっと速く、移動できないものですかねぇ」

 倉田三等陸曹が愚痴る。

「こんなに遅く走らせたのは、自動車教習所の第1段階の時以来っすよ」

 迂闊にアクセルを踏み込むと、たちまちキャラバンを引き離してしまう。倉田はオートマのリープ現象を利用してアクセルはほとんど踏み込まず、両手もただハンドルを支えるだけにしていた。

 バックミラーには、バックレストにしがみつくようにして前を見ている子供の姿が映っていた。すでに、高機動車の荷台には疲れて動けなくなった子供や、怪我人を載せている。すぐ後ろを走る73式トラックも、狭い荷台に怪我人や身重の産婦が乗せている。もちろん、危険な武器や弾薬・食料といったものは、軽装甲機動車に移した。

 伊丹は航空写真から起こした地形図を見て、双眼鏡を右の地平線から左へと巡らせる。地形と現在位置を照らし合わせて、これまでの移動距離を積算して、残余の距離を目算する。道のりばかりでなく、高低差、川や植生と言った情報も重要だ。

「妙に、カラスが飛び交ってますよ」

 倉田の言葉に「そうですねぇ」などと適当に答えながら再び前方に双眼鏡を向けると、カラスに囲まれるようにして少女が路頭に座り込んでいるのを見つけた。

「ゴスロリ少女?」

 それは、ちょっとしたイベントとか繁華街…例えば原宿などで目にする機会の増えた服装である。その定義については諸説紛々であるが、伊丹はこの少女の服装を『黒ゴス』であると認識した。

 年の頃12~14歳前後。見た目も麗しく、まさに美少女であった。

 そんな少女が荒涼たる大地の路頭に座り込んでいる。黒曜石のような双眸がじっとこっちを見つめている。

「うわっ。等身大のSD(スーパードルフィー)人形?」

 倉田も双眼鏡をのぞき込んで呻く。

 その少女はそれほどまでに無機的な…そして隙のない造形をしていたのだ。

 とは言え、倉田が求めるように車を駆け寄らせて少女を眺めるわけにもいかない。コダ村のキャラバンはコミケ入場口に向かう行列のごとく遅々たる動きであり。このまま高機動車が少女に近づくには時計の秒針が5回転するほどの時間を必要とする。

 伊丹は、勝本や東といった隊員を徒歩で先行させて、話しかけさせた。

 この近くの住民?もしかすると銀座事件の時に連れ去られた日本人?様々な可能性を考えながら対応を検討する。

 だが勝本や東が話しかけても少女のコミュニケーションがうまくいっているようには見えなかった。座り込んだ少女に職務質問をする新人警察官。そして、それを無視する家出少女みたいな感じになってしまっていた。

 キャラバンが少女のもとにたどり着くと少女は待ちくたびれたかのように立ち上がり、ポンポンとスカートの砂埃を払う。そして、やたらとでかい鉄の塊とおぼしき槍斧を抱えると高機動車(HMV)に並んで歩き始めた。

「ねぇ、あなた達はどちらからいらして、どちらへと行かれるのかしらぁ?」

 少女が発したのは現地の言葉であった。

 もちろん、言葉に不自由な伊丹達が答えられるわけもない。辞書代わりの単語帳をひらいたりしながらどうにか片言で通じる程度だ。東も勝本も肩をすくめ、とりあえず歩き出す。

 コミュニケーションの空白を埋めたのは、高機動車の左右の空いたが広く取られているのを利用して、倉田と伊丹の間で前を見ていた7歳前後の男の子だった。

「コダ村からだよ、お姉ちゃん」

「ふ~ん?この変な格好の人たちは?」

「よく知らないけれど、助けてくれてるんだ。いい人達だよ」

 少女は、歩行速度で進む高機動車の周囲を、一周する。

「嫌々連れて行かれているわけじゃないのねぇ?」

「うん。ドラゴンが出たんだ、みんなで逃げ出してきたんだ」

 伊丹達は外人同士の会話をわかったような解らなさそうな表情で聞いている典型的な日本人の態度をとるしかなかった。

 とりあえず東と勝本には列の後方で村人のケアをするように指示して、少女から情報をとるのは直接自分ですることに決めた。単語を確認して、話しかけるつもりで男の子と少女との会話が切れるのを待つ。

「コレ。どうやって動いてるのかしら?」

「僕が知りたいよ。この人達と言葉がうまく通じなくてさ…でも、馬車や荷車と比べたら乗り心地は凄く良いんだよっ!!」

「へぇ~、乗り心地が良いんだ?」

 すると黒ゴス少女は、コラコラコラと制止する間もなく、ズカズカと伊丹の座る助手席側から高機動車に乗り込んで来てしまった。もちろん、伊丹の膝の上を跨ぎ越えていってだ。運転席や助手席のドアがなく、開け放たれていることが災いしたかも知れない。

 高機動車は大人が10人は乗れる。

 前席は正面を向き、後席は左右からに向かい合わせて座るように椅子が配置されている。その中央に装備などを置くスペースとるため十分な広さがあって、現状のように道交法を無視できるのであれば、子供だけなら無理無理に20人近くは乗せることが可能なのだ。

 しかしそうだとしても、荷物もあったり、子供や老人とかで朝の通勤ラッシュに近い状態だ。そんな車内に「ちょっと詰めて」などと言いながら乗り込んでくる少女は、村人達からも歓迎されない。あからさまに苦情を言わないがみな迷惑だなぁという表情で迎えた。

「ちょ、ちょっと。狭いよおねぇちゃん」

「ん~ちょっと待ってて」

 ただでさえ狭いのに、長物を持ち込もうとしている。

 ハルバートは長い。そして重い。縦にも横にしようとするのにも、誰かの頭や顔やらをゴチゴチとぶつけることになってしまった。結局、みなが窮屈な思いをしながら身をちょっと寄せたり動かしたりして、車内の床に転がすように置くこととなった。

 その上で、自分自身がどこに座ろうかということで腰の卸場所を探すのだが、どこにもない。仕方なく、黒ゴス少女が腰を下ろす場所として選んだのは、御者という訳ではなさそうなのに、なんだか一人だけ良い席に座っている男の膝だった。

「ちょっと待て」

 乗り込んで来る段階から唖然として対応に困ったのは伊丹だ。

 黒ゴス少女を制止しようとしたが、うかつに手を出して『危険な箇所を』触ったりしたらセクハラやらなんやらと言われて、えらいことになりそうな予感がしてつい手を引っ込めてしまった。しかも言葉も通じない。「ちょっと待てって!!」「あちこち触るな」「小銃に触るな、消火器に触るな」「とにかく降りろって」「わぁっ、危ないものを持ち込むな」と日本語で、いろいろと怒鳴ったり抗議したりするのだが、馬の耳に念仏というか、蛙の面になんとやらという感じで完璧に無視されてしまったのだ。

 しかも少女が、ちょこんと腰を下ろしたのは自分の膝の上だ。

「ちょっと待て!」と言わないわけには行かない事態である。

 押し退けようとしたり、せっかく確保した居場所を奪われまいとする低級な紛争が勃発する。

「●×△、□○○○!!!!!」

「△□×¥!○△□×××!!」

 こうして、言葉を介さない苦情と抵抗と強引さのやりとりのあげく、伊丹がお尻の半分をずらして席の右半分を譲ることで、どうにか落ち着くこととなったのだ。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 08
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:1ef86ff7
Date: 2008/04/02 15:23
-07-




 自衛隊はその性格として、隊員の安全を重視している。その為に海外派遣などでは、まず現地で守りの強固な宿営地を築き、それを拠点とし、危険時には立てこもるようにして任務を遂行して来た。最近の例ではイラクでのサマワがその例と言える。

 人命軽視の旧軍を反面教師にし、国内向けの政治的な配慮と、人命救助を主とする災害派遣の活動していくうちにそれが習い性となってしまった、とでも言うべきだろうか。特地派遣隊もまた、守備を重視している。

 何よりも守るべきものは『門』の向こう側…本土だ。すなわち、この世界に置いて特地派遣隊の使命とは『門』を守ることにあった。『門』を含むアルヌス丘を占拠し、その周辺に安全地帯を、軍事的・政治的な方法によって確保することが、特地派遣隊に求められている。航空写真からの地図の作製、周辺地域に隊員を派遣しての調査も、すべてそのための手段なのだ。

 そしてさらに、前世紀の遺物とされている要塞建築がこれに加わった。

 土と鉄条網の野戦築城ではない。鉄とコンクリートによって造られる恒久的な防御施設である。

 『門』周辺を確保してからおよそ2ヶ月。昼夜を問わない施設科の活躍によって、アルヌス丘は強固な防塞へと変貌していた。

 その構造は、担当した幕僚の性格が現れるかのようで、几帳面なほどの六芒星構造であった。

 この要塞の航空写真を見た『普通の人々』は、函館にある『五稜郭』みたいと口にする。

 『普通の人々』の中でも、真面目な自衛隊幹部になると軍事史を紐解いて、この『稜堡式城郭』の利点とか欠点とかを論じたりしながら、守備や攻略の方法について検討を始めたりする。

 だが、ホンのちょっと方向性の違うマニアックな人間だと、ニヤリとして『六芒郭』という単語を呟いたりした。

 伊丹なんぞは「縁起悪ぅ。俺やだよ、泣きながら糧食配ってまわるの。龍が飛び回ったりするところなんて、アレとすっごく似てる。まぁ、こっちには対空火器が十分あるし、心配するようなことにはならんだろうけど…美人の皇女様が敵の司令官とかだったら燃えるのか?」とかなんとか、言ったそうである。何のことかわからない人間には、ホントに何のことかわからないネタであるが…。

 いずれにしても、魔術とか魔法とか、神秘的なことに対して無縁な人間が、全くの悪気なしで、神秘の代表格とも言える『門とアルヌスの丘』の周辺に『六芒星』を、魔導関係者が、それを知ったら正気を失ってしまうほどの規模と正確さでこしらえてしまったのである。




        *      *




さて、場面変わって

 高機動車が、73式トラックが、ライトアーマーが、エンジンの咆哮をあげさせ砂塵を巻き上げて疾駆している。

 車内に収容されていた女、子ども、老人はその急ハンドルと加速に振り回され、あちこちに身体や頭をぶつけながらも、懸命に耐えていた。

 車窓から見えるのは、逃げまどうコダ村の人々。そして、それを空から覆う黒い影。

 炎龍である。

 コダ村を脱出して3日、どうやら無事に炎龍の活動域を脱出できたと思えてきた矢先、唐突に現れた炎龍が、獲物を見つけたとばかりに避難民達に襲いかかってきたのだ。

 炎龍がここまで進出してきたのにはそれなりの理由がある。

 炎龍出現の知らせを聞いたコダ村とその付近の村落の住民達が一斉に避難し、炎龍は巣の周囲に餌となる人間やエルフを見つけることが出来なくなってしまったのだ。そのため、わずかな臭いを頼りに、人間がいるであろう地域まで遠出してきた。そして、避難に手間取ったあげく、多量の荷物を抱えていたが為に移動速度の遅くなっていたコダ村の村民が、炎龍に狙われる羽目に陥ったのである。

「怪獣と闘うのは、自衛隊の伝統だけどよっ!こんなとこでおっぱじめることになるとはねっ!」

 桑原曹長が怒鳴る。「走れ、走れ」と倉田に向かって怒鳴る。アドレナリンに高揚しているのか、その声には喜色すら混ざって聞こえた。

 炎龍が、うずくまった村人に狙いを定めて襲いかかろうとする。それを見て伊丹は併走していた軽装甲機動車に向けて怒鳴った。

「牽制しろ!!ライトアーマー!!キャリバーをたたき込めっ!」

 軽装甲機動車上で50口径のレバーを笹川陸士長が渾身の力を込めて引き、工事現場の削岩機のような音が連続する。

 極太の薬莢がカートキャッチャーからこぼれてまき散らされる。硝煙で汚れ、すすけた真鍮色をした薬莢がカラカラと、ボンネットを転がる。そして12.7ミリの銃弾が炎龍の背に当たり火花を散らした。

 だが強靱な龍の鱗は重機関銃の銃弾を全く寄せ付けない。

「全然、効いてないっすよっ!!」

 笹川の言葉に、伊丹は怒鳴り返す。

「かまうな!!当て続けろ!!撃て撃て撃て!」

 空気銃のBB弾〈市販仕様において〉は、当たったから死ぬわけではないが、それでも弾を浴びせられるのは嫌なものである。銃弾が効かないほどの強固な装甲に覆われていても、生き物ならば感覚があるはず。伊丹は、部下達に絶え間ない射撃を命じた。

 64小銃の筒先が炎龍を指向する。消炎制退器から、炎が花弁のように広がった。

 浴びせられる銃弾に、さしもの炎龍も辟易した様子を見せる。獲物に襲いかかる勢いをそがれ、あたふたと走る農夫を取り逃がしてしまった。

 忌々しそうに、頚をふる龍。つぶれた片目につき立っている矢が、その強面を引き立てて、見るからに恐ろしい。やくざの顔の傷みたいなものだ。

 炎龍が火炎放射器のような炎を吹き放つが、周囲を走り回る車両を捕らえることは出来ない。

「ono! yuniryu!! ono!」

 背後からの少女の声。振り返った伊丹の視界に、ぱっと金糸のような髪が広がっていた。

 蒼白の表情をしたエルフ少女が、細い指で自らの碧眼を指し示して「ono!」と連呼する。

 この瞬間、伊丹は言葉は通じてなくても不思議と意思が通じたような気がした。

「目を狙え!!」

 隊員達は龍の頭顔面部を狙い始めた。

 炎龍は明らかに厭がり、顔を背け動きが止まった。

「勝本!!パンツァーファウスト!!」

 ライトアーマー内で取り出されたのは、110mm個人携帯対戦車弾。700mmもの鉄板を(70㎝もあるようなものを「板」と呼んで良いかどうかは別として)貫通する能力のある、個人携行する火器としては凶悪までの破壊力を有する武器である。

 重機関銃を撃っていた笹川士長と入れ替わって勝本三曹が、上部ハッチから身を乗り出した。

 だが、これは先っぽが重い上に執り回しがききにくい。しかも安全管理を重視する自衛隊では、構えてすぐ撃つような習慣はない。

「後方の安全確認」

 馬鹿、とっとと撃てと誰もが呟いたが、日頃の訓練内容を思い出して「自衛隊だし…」と思ってしまう。

 照準を執っている間に、炎龍は身をよじらせて中空に逃れようとする。

 ライトアーマーの急加速に、勝本は振り回されて照準から目標を逃してしまった。

「ちっ!!揺らすな東!!」

「無茶、言わないでくださいっ!」

 コンピューター制御されてるわけじゃないんだから、行進間射撃なんて無理だぁなどと思いつつ勝本は筒先を炎龍へ向けようとした。

 車の急制動とガクビキ(引き金を引く際に力が入って、銃全体をゆすってしまうこと。当然あたらない)。引き金を引いた瞬間から、パンツァーファウストがはずれることは見えていた。

 後方にカウンターマスを放出。前方に向けて弾頭が加速しながら突き進んでいく。

 身をよじられた炎龍は、安定をとろうとして翼を広げる。飛来する弾頭を跳び避けるように後ずさるが、突然脚をもつれさせたかのように倒れ込んだ。 

 見るとハルバートが地に着き立っている。

 高機動車の中から、黒ゴス少女が荷台の幌を切り裂いててハルバートを投げつけていた。その柄が地を行く動物ではない炎龍の脚を、わずかにもつれさせたのだった。そしてそれで十分だった。

 外れていたはずの弾頭に向かって炎龍が倒れ込んでいく。

 ノイマン効果によって発生したメタルジェットは、強固な龍の鱗をもってしてももはばむことは難しい。炎龍の装甲はユゴニオ弾性限界を超えたライナーによって浸食され、穴が穿たれる。

 人間で言えば左肩に相当する部分が左腕ごとごっそりえぐり取られていた。



 空気を振るわせる悲鳴。

 絶叫



 ドラゴンの咆哮は、その眼光とおなじく魂を揺さぶり、戦士の勇気を砕く。その場にいた者すべての魂が凍り付いた。

 攻撃に、一瞬の間があいてしまった。

 その隙に、中空に飛び上がる炎龍。

 翼を広げ、よたよたとよろめくようにしながら、高度を上げていく。

 自衛官達は、その後ろ姿を黙って見送るだけであった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 09
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:be384455
Date: 2008/04/02 14:54
-08-




『炎龍』が撃退された。

 そんな話を聞くと、誰もが「嘘だろう?」と疑う。

 単騎よく龍を征すドラゴンスレイヤーが登場するのは、おとぎ話の中だけというのが常識だからだ。

 徒手で地熊を倒す。水牛を倒す。このくらいは鍛えようによってはあり得るかも知れない。だが翼獅子や剣虎、さらには毫象を『素手』で倒すというのはどうあっても無理と思える。これと同じくらいの理由で、古代龍と相対することは自殺行為と考えられていた。

 魔法の甲冑と武器で身を固めた騎士の一団だろうと、さらには魔導師や神官、エルフ弓兵や精霊使いの支援を得ようとも、古代龍を倒すことは絶対不可能。それはこの世界の常識だった。だからこそ人々はその存在を災厄と同義として受け止めているのだ。

 だが、「倒すことは出来なかったが、それでも撃退に成功した」という噂が、一カ所だけでなく様々な方面から伝わって来ると、人々はどうにか信じるようになった。信じても良いという気になった。ただし、噂には尾ひれ羽ひれがつく物だ。「もしかすると事実かも知れない。けど、炎龍と言うのは間違いではないか?」と考えたのである。

 炎龍の活動期は50年程先と言われていたし、そもそも古代龍を倒せるような存在を想像することはどうにも難しかったのだ。だから現れたのは古代龍たる炎龍ではなく、それに劣る大型の亜龍(例えば無肢竜の類)ないし新生龍だったのではないか、と言う考えが説得力をもって迎えられた。

 とは言え、亜龍であっても齢を重ねたものは、古代龍なみに大きくなるし、新生龍だって翼竜などよりは遙かに大きく危険なのだ。従ってそれを撃退したとなれば「龍殺し」に準じた戦功と言っていい。避難民の1/4が行方不明ないし死亡という事実も、「よくぞ、その程度で済んだものだ」と受け止められる。

 この世界で「死」とはそう言うものなのだ。森の中に迷い込んでも死、川岸で遊んでいてうっかり落ちても死。これらは本人の不注意かあるいは運命とされる。欄干や手すりがなかったから誰の責任、安全管理がなされていなかったから、どこそこの責任と考えることは一種の物狂いとされるだろう。

 平和も安全も当然ではない。だからこそ、人としての力量をもって追いすがる『死』…ドラゴンの形状をした『天災』を振り払った者の功績を人々は讃える。誰もが「で、その偉大なる勇者ってのは、誰なんだ?」と関心を抱くのだ。




    *    *




 コダ村の村民の内、生き残った者の身の処し方は大きく分けて三つあった。

 ひとつが、近隣に住まう知り合いや親戚を頼る者。これはかなりの幸運の持ち主と言える。知り合いや親戚の保証や支援を得て、住処を確保し、職を得る機会があるからだ。

 ふたつ目が、親族や知る者もない土地で避難生活を送る者。これが大多数である。

 身寄りもなく、誰からも助けを得られない場所で、住む場所と職をどうやって得るか。
 考えるだけで難しい明日への不安はどれほどのものか。だが、生き残ることが出来ただけでも幸運と、不安を押し殺して皆、それぞれの幸運がさらに続くことを祈りつつ各地へと散っていったのだった。

 彼らは去り際に伊丹ら自衛官達の手を握り、感謝の言葉をひたすら繰り返した。

 避難民達にとって自衛官達は謎の存在だ。何の義理も恩もないのに、自分たちの避難を助け、こともあろうに炎龍と戦いすらした。

 言葉が通じないことや見た目からも、国に属す騎士団や神官団でないことは確かだ。これが外国の軍隊なら、殺戮と略奪が当たり前だがそれもしない。無論、盗賊の類でもない。

 一番理解しやすいのが、異郷の傭兵団が雇い主を求めて旅をしていると言う結論だった。ここ最近になって国や貴族達が兵士かき集めているという事実がこれを裏打ちした。

 しかし、傭兵団だとすれば、何の利得もなく他人のために働くことなどあり得ない。となれば、いつ、どんな見返りを、自衛官達が求めて来るかと恐々としていたのである。

 ところがである。最後の最後まで見返りの類を求めてこない。
 それどころか、どこへ行っても自慢できるほどの功績をうち立てたと言うのに、まるで敗戦したかのごとく憔悴し肩を落とし、死者を埋葬し悼んでいる。(たまたま神官がいたので略式ながら葬祭も出来た)別れ際に手を握ると、感極まって涙を流す者すら居る始末。

 立ち去る自分達が、見えなくなるまで手を振っている自衛官達の姿を見るとコダ村の村民達は、苦笑を押しとどめておくことが出来なかった。彼らの献身と無償の支援は確かにありがたい。ありがたいのだが、そんなことで「連中は果たしてやっていけるのだろうか?」そんな呆れた気持ちになるのだ。

「いくらなんでもお人好し過ぎだろう?…あんなことで、やってけるのかねぇ」
「他人の心配してる場合じゃないぞ。俺たちだって、これからどうしたらいいか…」
「そうだな」
「ま、いくら領主や貴族が馬鹿でも、あれほど腕の立ち連中をほっとくわけないさ。なんて言ったって、炎龍だぞ、炎龍。あれと互角に戦ったんだ」
「確かに。でもよ、あの連中のことだから、安く買いたたかれたりしないかねぇ」

 いくらなんでも、そこまで間抜けじゃないだろう?と言いたくなったが、貴族共の阿漕なやり方をよく知る村人は、いささか心配になるのだ。

 とりあえず、一風変わった衣装と価値観をもつ傭兵団(自衛官達)の一行が、良心的な雇い主に巡り会えますように感謝の気持ちを込めて、それぞれの神に祈ったのである。

 ちなみに、コダ村住民の『幸運』はこれで終わりではなかった。
 彼らは行く先々で人々から証言を求められる事となる。すなわち「ドラゴンが撃退されたというのは本当か?」と。

「ホントに炎龍なんだって、俺はこの目で視たんだから。そんな可哀想な人間を見るような目で俺を視るなよ。……え、誰だって?緑色のまだらな服を着た連中だよ。もちろん人間だよ。エルフとかドワーフとかじゃない。多分、東方の民族だろう。言葉は通じないんだが、頭は悪くなさそうだった。一生懸命言葉を覚えようとしてたしな。気持ちの良い奴らで、俺たちが避難するのを助けてくれたんだぜ。無償でだぜ、無償!ホントだって」

 彼らの言葉は、吟遊詩人のそれと違って語彙が少なく描写も下手くそ。だが自らの目で見た光景、その場での体験の前に英雄譚的脚色も不必要だった。

 聞く者は想像力をかき立てられ、強烈な印象を受ける。見てきた事実だから、その時アレはどうだったんだ?の問いに、語り手は答えることも出来た。

 そして、語り手がドラゴンが片腕を吹き飛ばされる瞬間を描写すると、固唾を呑んで聞いていた者はみな呻くのだ。

「そりゃ、すげぇ」

 やがて、『謝礼を受け取ろうともせず』、ほがらかな笑顔で颯爽と立ち去って行く彼ら。

 本人達が聞いたら「誰のこと?」と尋ねたくなるような、今時アニメにも出てこない英雄物語のキャラクターのような人物像が、人々の間を伝播していくこととなった。

 避難民達は、酒場で、街角で「あんたコダ村から来たんだって?」と呼び止められては、その時の話を尋ねられる。口によって語る言葉が違い、目によって見たことの描写も異なる。それがまた不思議な立体感をもたらすのだ。

 コダ村の村民達は語り部の仕事だけでも、帰村するまで食べるに困らなかったと言う。




    *        *




「騎士ノーマ。どう思われますか?」

 宮廷の侍従武官である准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、街のあちこちで耳にした噂について、先輩たる同僚に論評を求めた。

 多くの客でにぎわう居酒屋の一角を、数人の騎士と従者達が占領している。店はそれなりに汚く、テーブルとテーブル間は狭い。怒鳴るようにして声を出さなければ隣に座る者にすら声が届かないような喧噪のなかで、侍従武官の騎士や従者達が肩をぶつけ合うほどに身を寄せて料理に手を伸ばし、酒杯を口に運んでいる。

 見ると、コダ村から来たという臨時雇いの女給が、盆を手にあちこちに酒を運んでいる。彼女は注文を取り、料理を運んだ席で、求められるままに見てきたことを語り、なにがしかのチップを貰っていた。

 ひげを清潔に切りそろえた騎士ノーマは、いまいましそうに苦い表情をした。本来なら清潔な宮廷で、貴族の令夫人や令嬢を相手に高級な料理を口にしている身である。皇女殿下の騎士団と言えば、宮廷の飾り物であり実戦と最も縁遠い軍隊だったはず。そんな侍従武官が、今や野卑な料理と濁った酒を口にしている。任務とは言え、自分にふさわしくないと受け容れがたく感じているのだ。

 なんでまたこんな目に…ノーマは、自分の主を呪いたくなる不敬を押さえ込むので精一杯だった。皇帝陛下の直々のご命令とあらば、アルヌス方面の偵察という任務自体は仕方ないだろう。ただ、皇女殿下が動くのであれば、本来騎士団全軍を引き連れ、従卒に傅かれつつ優美に旅程を楽しめるはずだ。ところがわがまま娘が下した命令は、本隊をはるか後方に残して少数での偵察。自分たちも侍従武官4人と従者数名だけがこの皇女のお守りをしなければならない。おかげで身分を隠して、薄汚い身なりになって、食べるものと来たら……。

 ノーマは女給に手を振り酒の追加を注文すると、この状況を苦とも思っていない様子の後輩を見て、小さく嘆息した。ハミルトンはノーマが返答するのを無邪気な顔をして待っている。

「………これだけ多くの避難民が言うのだから、嘘ではないだろう。皆で口裏を合わせていると考えるのも難しいしな。だが、炎龍というのはいささか信じがたい」

「わたしは、ここまで皆が口をそろえて言うんなら、信じても良いような気になって来ます」

 女給は、ワインの瓶をテーブルにどんと置いて「ホントだよ、騎士さん達。炎龍だったよ~」と言う。

 騎士ノーマ・コ・イグルは、古き伝統に従って「ははははー、冗談が好きだな。私はだまされないぞ~」と応じた。

 この反応に、女給は口を尖らせる。

「まぁまぁ、気を悪くしないでよ。わたしは信じるから。よかったら話を聞かせてくれないかな」と、ハミルトンは女給にチップとして数枚のモルト銅貨を渡した。チップとしては破格である。女給は「ありがとう、若い騎士さん」とかわいげのある笑顔を見せた。身なりのせいか年増女に見えたがこの女給、意外と若いかも知れない。

「これだけして貰ったんだ、とっておきの話をしてやらなきゃいけないね」

 女給はそう言うと、話し始めた。




 炎龍が現れたという話が伝わると、コダ村は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。女給メリザの元に隣の鍛冶屋の奥さんがかけ込んできたのは、陽が中天に達する頃合い。メリザが洗濯仕事をしている最中だった。

「メリザ!!メリザッ!大変だよ」

 日頃から、村のうわさ話に興じる仲である。家にいないと見ればどこにいるか直ぐにわかるので、井戸端までかけ込んできた。

 メリザは、畑仕事に出ている農夫の夫に知らせるため、洗濯物を踏んづけていた息子を走らせる。そして自分は家に戻ると、とる物もとりあえず荷物をまとめ始めた。

 夫が帰ってきたのはその後直ぐだった。

 息せき切って帰ってきた夫が開口一番、「無事か?!」と叫ぶ。どう伝わったのか、村がすでにドラゴンに襲われてしまったと勘違いしていたようだ。

 無傷の女房の姿に安堵したのか、その場で座り込んでしまう。だが無事でも危険が去ったわけでもなく、本番はこれからなのだということをメリザは夫に言い聞かせ、直ぐに荷造りをするように尻を叩いた。

 農耕用の荷車に家に備えた食糧と水瓶を積む。さらに什器、わずかばかりの衣類や、爪に火を灯すような思いをして貯めたなけなしの蓄えを積み込むと、それだけで荷車はいっぱいとなってしまった。

 農耕用の驢馬に荷車を牽かせ、息子と夫がそれを背後から押す。そんな状態で道を進み、村の中心に入ると、すでに多くの荷車や、村人達で道は渋滞していた。

 荷物を積みすぎて荷車が壊れてしまい、道を塞いでしまったのだ。

 時間が浪費されてしまった。どうにか村を出たが、その時には既に陽は西の空にさしかかっていた。

 陽が暮れれば野宿し、陽が昇れば道を進む。だが避難民達の歩みは遅い者も速い者もいた。3日も過ぎると年寄りや子どもを連れた家は、どんどん遅れ始め、列は縦に伸びて先頭は見えなくなってしまう。泥濘に車輪を取られた荷馬車が動けなくなり道を塞ぐこともあった。早くどけろ、少しは手伝えといった怒号と罵声が飛び交い、人々の心はささくれ立っていく。

 あちこちで喧嘩がおこり、荒れた道の凹みに車輪をとられた荷車が横転する。荷物が散乱。子どもが泣きわめき、途方に暮れた女がうなだれる。

 だが、そんな自分たちを助けてくれる人達がいた。

「それが、まだらな緑色の服を着た連中さ。全部で12人。女が2人いたね」

 女給の声は、騎士達だけでなくその外側にまで届いた。居酒屋は静かになっていたのだ。みな、彼女の話に聞き入っているようだった。

「女はどんな姿だった?」

 ノーマの問いにメリザは鼻を鳴らした。

「男ってのはみんなそれだねぇ。まぁいいや…背の高い女がいたね。日中は兜を被っていてよく見えないんだけど、野宿の時にチラと見えた。
 馬のしっぽみたいに束ねてるのを解いた時、あたいは女ながら見惚れたねぇ。カラスの濡れ羽色って言うのかい?艶の入った黒髪がとっても綺麗でさ。どうしたらあんな色艶になるのか、言葉が通じるんだったら教えて貰いたかったよ。体つきもほっそりとしていてね、異国風の美女っていうのはああいうのを言うんだろうね」

 女の描写に、男達は色めきだった。

「ほぅ…で、もう一人は?」

「…ありゃあ、猫みたいな女だったね。小柄でさ。髪は栗色で男みたいに短くしてた。元気な娘で、面倒見もよくって子ども達はなついてたね。それと腕っ節が凄くて男連中は結構怖がってたね。ウチの亭主が、モルの旦那と喧嘩をおっぱじめた時、やってきて足をびゅんと目にもとまらない速さで振り回して、大の男2人をあっと言う間にのしちまったんだ…」

 周囲の男達は、瞬く間に興味をなくしていく。ある種の白けた空気が場を支配してしまった。どうにも彼女の話は、とりわけ男共には人気がないのだ。ま、さらに言葉を続けると態度がコロと変わるのだが。

「体つきはすごかったね。さっき言ったように小柄なんだけど、胸が牛並みに突き出ていてね。あたいははっきり言って嫉妬したよ。そのくせ腰は細く締まってるってのが許せないね。顔は綺麗と言うよりは可愛いって感じさ」

「おおっ」

 やっぱり…。男達の歓声にメリザは舌打ちした。客が喜ぶのはいいが、女としては面白くないのだ。

「ま、そう言うわけで、いろいろとあったけど、あたいらは何とか進んでいたのさ。だけどね、あいつがやってきたのさ」

 村人達は水が不足し、食べ物を満足に食べることも出来ないでいた。それでもわずかでも進もうと気力だけで頑張ってきたが、それも最早限界に達した。

 進める者は進むが、動けなくなった者は座ってしまう。

 動けなくなった子どもや年寄りは緑色の服の連中が、馬がなくても動く荷車に乗せてくれた。だけど、全員を乗せられる訳じゃなかった。

「もうダメかも。せめて息子だけでも。あたいは本気で神に祈ったね。でもダメだった。神官連中が神様はいるって言うからいるんだろうけど、少なくとも助けてはくれないね。あたいは金輪際、神様の類に頼み事はしないことにしたよ」

 それまで空は晴れていたのに急に日が陰った。雨でも降るのかと思って空を見て誰もが凍り付いた。

「赤い龍。足がついて、腕が付いて、コウモリの羽みたいな翼を広げた、巨大な奴さ。そけがが空を覆っていたんだ」

 その龍が天空から舞い降りて、目の前にいたモルの旦那とその女房がいなくなった。

 一瞬のことだった。地面には2人の下半身が転がっていた。

 何が起こっているか、理解するよりも早く逃げ出した。子どもを抱えると荷物なんかもう捨てて、とにかく走った。

 荷車が横転して、それに巻き込まれて死んだ村人も多い。

 みんな逃げ出した。炎龍があたりを焼き払い、程良く焦げたところを龍に喰われていく。

 蜘蛛の子を散らすように、ただ逃げるしかなかった。蟻の巣をつぶす子どもみたいに、龍は村人を踏みつぶし、食らいつくしていった。

 そこへ、緑の人達がやってきた。

 ものすごい速さだった。馬でも無理って言うほどの速さで荷車が走っていた。その荷車に乗っていた緑の人達は、手にしていた杖を構えると、魔法で龍を攻め始めた。

 でも、炎龍は少しも堪えない。彼らの魔法でも鱗に傷一つつかない。だけど、緑の人達は諦めなかった。

 周りを走り回り、村人達が少しでも逃げられるようにと、攻めるのを止めなかった。

 そのおかけで、生き残っていた村人は逃げおおせることが出来た。

 お返しとばかりに炎龍は緑の人達に襲いかかった。だけど、ものすごい速さで駆け抜ける荷車の前に、さすがの炎龍も飛びかかることが出来ない。一箇所に留まらない彼らを前に龍の炎も届かないが、ドラゴンのほうは少しずつ慣れていく。離れた所から魔法を浴びせるしかない彼らは、少しずつ不利になっていった。

「ところがさ…緑の人達の頭目が何かを叫んだんだ。そしてついにアレが出た」

「アレとは?」

「特大の魔法の杖さ。あたいらは勝手に『鉄の逸物』と呼ばせてもらっているよ。呪文もしっかり聞いたよ。コホウノ・アゼンカクニとか言ってた。とんでもない音と一緒に、炎龍の左腕が吹き飛んだんだ」

 無敵を誇った炎龍が敗退する瞬間だった。
 炎龍は傷を負い、大地を震わす大音声の悲鳴ととともに、その場を無様にも逃げ去っていったのだった。




 物語りが終わり、人々は余韻に沈黙する。

「て、鉄の逸物…?」

 などと言う名称に、愕然としてしまった部分がないわけでもない。

 少しの沈黙を経て、騎士達は感想を交わし始めた。居酒屋も元の喧噪を取り戻す。

「と、とにかく、立派な者達です。異郷の傭兵団のようですが、それほどの腕前と心映えならば、是非にでも味方に迎えたいと思いますよ。いかがでしょう姫様?」

 朱色の髪の女騎士はいきなり話を振られ、囓りつこうとしていたマ・ヌガ肉を皿に置いた。マ・ヌガ肉とは、家畜の大腿骨を芯にして、周りにミンチした肉を巻き薫製にしたものである。我々の感覚で言うソーセージとかハムの一種だ。これをスライスせずに直火で焼いて、がぶっとかじりつくのが醍醐味である。

 皇女ピニャ・コ・ラーダは、酒に手を伸ばしながら言った。

「妾は、無肢竜を撃退したという者共が使ったという武器に興味がある」

 ゴダセン議員の「遠くにいる敵の歩兵がパパパという音をさせたら、味方が血を流して倒れていた」という言葉と、コダ村の避難民達の言葉との間に符合するものを感じるのだ。連合諸王国軍がアルヌス丘で壊滅したことも、その『魔導兵器』と関係があるのではないか。

 ピニャは、女給を呼び止めると尋ねた。

「女。お前の見たという連中が所持していた武器は、どのような物だった?」

 女給は首を傾げつつも、見たとおり感じたとおりを告げる。「女」という呼びつけ方がいささか癪にさわったが、チップをはずんでくれた若い騎士さんの顔を立てて素直に応じることにした。

「つまりは、その者共の使った武器は鉄のような物でできた杖である。それは、はじけるような音と共に、火を噴くと言うのだな?」

「あれは、あたいが見たところ魔法の武器だね」

「で、無肢竜を撃退した杖…『鉄のイチモツ』とやらも同じものだったか?何かに似た形状があるか?出来るだけ見たままに言え」

「無肢竜じゃなくて炎龍だって言ったろう?」女給はそこまで言って、ニヤッと嫌らしそうな笑みを浮かべた。そして、その場にいた男連中を見回す。

「あんたみたいなのをカマトトと言うのさ。逸物はイチモツに決まってるだろうさ…ま、良家のお嬢様には想像もつかないだろうけどねぇ。でもね、男を『知ってる』女に尋ねりゃ誰だって口をそろえてこう言うよ。ありぁ、男連中のナニにそっくりだってね。もっとも、小脇に抱えるほどでかくて、黒くて、ぶっといナニを持ってるような男は、ここらにゃあ居ないだろうけどね」

 女給はキシシと粗野に笑いながら、注文をとりに次のテーブルへと去っていた。

 何のことだかよくわかってないピニャの視線が、解説を求めてぐるりと男連中をめぐる。だが、その場にいた男には応じようもなく、気まずそうに目を背けるのだった。

 男共に目を逸らされたピニャの視線は、最後にはハミルトンへとたどり着く。

「お前、婚約者がいたな…」

 おはちが回ってくるとは思わなかったのだろう。准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、口に含んでいたスープをブッと吹き出すと、慌てて短髪を振り乱して首を振り、手を振った。

「た、確かにいますけど…わたくしは乙女ですっ!『あんなもの』の話を口に出来るわけないじゃないですかっ!……あっ」

 男達の視線が彼女に集中する。「ほう、『あんなもの』か」とピニャの胡乱な視線が彼女を貫く。ハミルトンは顔を真っ赤にして俯き小さくなるのだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 10
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:8f069f32
Date: 2008/04/02 14:34
-09-




 さて、避難民達の身の振り方三つの内、二つまでは述べた。

 最後の1つがある。

 それは、伊丹ら自衛官達に付いていくという選択肢だった。この方法を選んだのは、避難民達でも、ごく少数の23名である。

 正体不明の武装集団に着いて行くという選択肢は、それこそ深淵に飛び込むに似た心境だったに違いない。下手をすると身ぐるみ剥がれた上で、奴隷に売り払われるという結末だってあり得る。だが、他に方法がなかったのだ。というのは彼らは炎龍の襲撃によって両親を亡くした年端もいかない子どもだったり、逆に子どもや孫を喪った年寄り、そして傷病者・病人であり、通常であれば緩慢な死が決定づけられた者達だったからだ。

 もちろん、そうでない者もいる。例えば伊丹達自衛官に並々ならぬ興味を抱いた魔導師カトーとその弟子とか、エムロイ神殿の神官とか。だが、ほとんどの者が、「これからどこに行く?行きたいところへ送っていくよ」と尋ねられても困る者ばかりだったのだ。

 伊丹は、残った23人をどこまで連れて行けばいいのかと村長に尋ねた。すると「神に委ねる」という意味の単語を並べられた。

 伊丹は首を傾げつつ何度も問い返した。

 こうしたことは言葉がうまく通じなくても、ニュアンスとして伝わってくるものがある。「責任を負う者はいない」「どこへでも行け」「好きなようにしろ」と翻訳できる言葉が述べられたことがわかると、伊丹は深々とため息をついたのだった。

 村長は、自らの家族を乗せた馬車に乗り込むと、伊丹に対してこう言った。

「お前達が、義侠心と慈悲に富んだ者であることは、よく理解している。お前達から見れば儂等は薄情者と見えよう。だがな、儂らは自分とその家族を守るだけで精一杯なのじゃよ…理解してくれ、と思っては貪欲の罪で罰せられような」

 去っていく村長。

 伊丹を含めた自衛官達も、その無責任ぶりに呆然と見送り、残された者達もみな、自分たちは見捨てられたのだと理解した。

 高機動車の後方に乗っている、親を亡くした子どもや、怪我人、エルフの少女…いくつもの瞳が伊丹に向けられた。伊丹がどのような決断を下すのかと、不安げな色に染まっている。言葉が通じないからこそ、その表情のわずかな変化をも読みとろうとしている。中には、黒ゴス少女の興味深そうな面白ずくな色に染まった瞳もあったが。

 だが、伊丹は、皆が思っているほどの重責を感じてなかった。

「ま、いっか…。任しておきな」

 伊丹の無邪気な笑みに、ホッとした空気が流れた。

 伊丹の任務とは、この世界の住民について調査することである。交流し、親交を深め、この世界についての知識を得るために必要に資料や情報を収集してくることだ。拡大解釈すれば、自らの意思で付いてきてくれる住民を得ることは、大成功ってことではないだろうか?そう考えたのである。

 お役人的発想によれば、これはホントは大問題である。この時点で「何が問題なんだ?」と思った諸兄等はお役人にはなれないし、なりたくもないだろうから安心して頂いて良いのであるが、お役人様達にとって、こういった拡大解釈をする人間は『困ったちゃん』として、嫌われるのである。

「き、き、君は……」

 檜垣三等陸佐は、自分が何をしたかよく判っていない部下を前に頭をかかえた。

 第52普通科連隊の幹部連中も蒼然として、窓の外で隊舎の前に止められた車に乗る避難民達が、周囲を珍しげに眺めているのを確認した。

「だ、誰が連れて来て良いと言った?」

「連れて来ちゃまずかったですかねぇ」

 ポリポリと後ろ頭を掻く伊丹。檜垣はしばし逡巡した後に、「ついて来たまえ」と命じて、執務室を出た。





        *      *




「陸将…各方面に派遣した、偵察隊からの一次報告がまとまりました」

「おうっ!」

 幕僚の呼びかけ気さくな返事をしたのは、狭間陸将である。

 この人は東京大学の哲学科などという、普通では滅多に入れない学校を卒業したというのに、陸上自衛隊に二等陸士から入隊して内部で順調に昇進を重ね、ついには陸将になったという立志伝中の人である。栄達したいのなら、いくらでも早道があると言うのにわざわざ遠回りを好むのは変わり者と言える。極希にいる運転免許証の『種類』蘭を埋めてしまう人に近いかも知れない。座右の銘は『たたきあげ』だとか。

 狭間は老眼鏡をはずすと、執務机の上に積み上げられた書類の束から、柳田二等陸尉へと視線を移した。

 この柳田二等陸尉は防衛大学を優秀な成績で卒業したと言うことで、日頃の言動にエリート意識がとても鼻につく。しかし、この狭間に対してだけは頭が上がらない様子であった。その理由と言うのが、彼が東大を受けて落ちたからだとまことしやかに語られている。人は他人と自分を測るのに、いくつかの物差しを使う。学歴という物差し、キャリアという物差し、実務能力、そして自衛官ならば戦士としての力量…人は他人に対して、どれか勝っているところを探したくなるのだ。そして、その全てに置いて、かなわない相手を前にしたらどうするか。そんな時は、素直に無条件降伏して「この人すげぇ」と思えば良いのだが、柳田について言えば自尊心が高すぎた。おそらく、何か不幸な幼児体験からか、あるいは親からうけた教育がそういう種類のものだったのかも知れない。あらゆる分野で自分より優れた人物に、素直に感心することは出来ず、結果として、その存在を心の底で恨み憎んだのである。

「どうだ、何かわかったか?」

 クルーカットのごま塩頭を軽くなで上げて、狭間は椅子の背もたれに上体を預けた。キィという音をたてて、安っぽい事務椅子が悲鳴を上げる。彼は、柳田が自分に対して、逆恨みを抱いているなど思いもしない。ただ「こいつ、ちょっと要注意だな」とゴーストがと囁くので(出展元ネタ/攻殻機動隊)、気をつけて扱っている。

「2~3貴重な報告が入ってますが、資料でしかありませんので、そのように性急に結論を急がれましても…」

「そうだろうな。堅実にやってくれ」

 狭間にしても、ちょっと偵察した程度で何もかもが解るとは思っていない。ただ、感触とでも言うか、この土地に住む人々の傾向性のようなものがつかめることを期待しているのだ。

 現地住民との関係性というものは、部隊の安全に始まって、この『特地』における日本の評価、政治的な影響へと深く結びついていく。民情を無視した行動を起こして反感を醸成し、抵抗運動など起こされてもたまらない。従って、この土地の住民が何を持って『正義』とし何を持って『悪』と感じるかという単純なことであるが、そうした規範意識への理解が案外に大切なのである。例えれば、イスラム文化圏では犬を嫌う、成人男性は髭を生やしていることが好まれる…などである。

「各隊共に言葉の点で、かなり苦労してるようですが、ほとんどが平穏な一次接触が出来たようです。この辺の住民は、見た目が『人間』タイプで、主な産業は農・林業といった一次産業でした。集落ひとつひとつの人口もそれほど多くないようですね。第6偵察隊の赴いた人口500人規模の集落では、どうにか商店めいたものがあったそうです。扱われていた品目は、衣料品や工具・農具類・それと家庭で使われる油を灯すランプと言った生活雑貨でした。…これが商店の取り扱い品目と価格のリストです。デジタル写真が添付されてます」と言いつつ、A4版の紙の束を机の上置いた。柳田は、こういう仕事についてはさすがに優秀で遺漏がない。

 狭間がパラパラとめくって見ると、調査に赴いた隊員のコメントなども併せ、通販のカタログみたいになっていた。だが、これらの資料は、この土地における経済の実体を把握する上で極めて貴重と言えるだろう。こうした資料はただちに本土(門の向こう側)へと送られて、政府のシンクタンクが分析するための貴重な材料となる。

「あと、この土地の政治体制といったものが類推できるようなことは、まだ報告されてないですね。どこの集落でも『村長』とでも言うべき人物がいて、住民をまとめているようではあります」

「その村長が、どんな方法で決まっているのかだな」

 それがわかれば、この世界の政治体制の主流が民主制か、あるいは寡頭制か、はたまた独裁制かを類推することができるかも知れない。

 柳田は、わざとらしくため息をつきつつ呟いた。「住民を何人か、こちらに招けるといいんですが…」

「コミュニケーションが上手くできていない状態で、こちらに連れてくるのはまずいだろう?後々、拉致だとか言われても困るからなぁ」

「それでなんですが…」

 柳田が、下地ができたとばかりに本題に入ろうとした。狭間も、話の流れから部下がこの話をしたかったようだと受け止める。

「都合の良いことに、伊丹の隊がコダ村からの避難民の護送をしてます」

「おう。あのドラゴンが出たとかっていうところだったな」

「ええ、そうです」

 この時点で、狭間を初めとした幹部連中の認識は、熊か、鮫が出たといった程度でしかなかった。その程度のことで村人が村を捨てて逃げるというのも大げさだと感じるのであるが、危険な野生動物が出没することが希な現代日本では、こうした害獣災害は想像することしかできないので「こういう土地だし、そういうこともあるのか?」ぐらいに受け止めていた。

 実際に、このアルヌス丘に攻め寄せてきた現地軍が騎乗していた飛龍が対空火器で対応できたことも、それほどの脅威として考えられない理由の1つだ。

「それでなんですが、コダ村の住民をここで受け容れると言うのはどうでしょう?これならば、必要な措置の範囲として内外に説明可能です。当人達も感謝こそすれ、拉致されたなどとは考えないでしょう?」

 柳田は説明した。

 このアルヌス丘近くに、難民キャンプをつくってそこへ住民を収容する。今回のコダ村の逃避行は、害獣出没によるものだから、期間を限定した一時的避難でしかない。その間のこととして期間を区切って考えるなら、各種の研究や調査に協力して貰うメリットの方が大きいのではないか。日常的にコミュニケーションを交えることで、言葉の問題もかなり解決するだろうし、彼らからこの『特地』政治や経済にかかわる情報は間違いなくとれるはずだ。
 実は、市ヶ谷や官邸の方からも、「特地」の内情が理解できる情報の要求が激しい。矢のような催促をうけている。従って早めに成果を上げておきたい等々…。

 狭間は、指先でトントンと机を叩きながら「戦闘時はどうする?敵性武装勢力の活動はほぼ停止していると言っても、ここは彼らの攻撃目標でもあるのだぞ」と、分かり切っていることをあえて尋ねた。「我々と接触した住民を、敵対勢力がどのように扱うかも心配しないわけにはいかないしな」

 世界史を紐解いてみても、異教徒・異民族と親しくしたと言う理由で、自国民を虐殺した例にことかかさないのだ。

「敵の近接時には、こちらで収容して安全を確保しましょう。まぁ、敵が地元住民を虐待しようが虐殺しようが当方には関係ないことですが、さすがに見て見ぬ振りをするわけにもいかないでしょう」

 狭間は眉を顰めつつも、地元民を収容するという考えには頷いた。自分自身も同じように考えていたから、この意見についての異議はないのだ。問題は、柳田の言いようである。

 だが、人間一人で考えられることは限界があって、見落としや、間違いがついてまわる。住民を防塞に収容するとしても、様々なリスクや問題が起こりえる。例えば敵方の人間が、避難民に紛れて入り込んで来る等である。歴史的に見れば、そうした方法で陥落した城塞も少なくない。

 しかし、リスクを避けるために住民を遠ざけていれば良いと言うわけでもない。東京の銀座に軍隊を送り込んできた敵性勢力を交渉のテーブルにつかせて、力ずくででも頭を下げさせる為には、是が非でも地域の実情を把握し、この土地、地域、そしてこの世界の政治がどのようになっているかを調べなくてはならないのもまた確かなのだ。

 狭間は、戦闘時における避難民の扱いについて、もう一度検討するように指示しようとした。その時である。

「入ります」

 常日頃から開放されているドアには「ノック不要。入室許可」と書かれた紙が貼り付けられているため、檜垣三等陸佐はとりあえず声をかけて執務室へと入り込んだ。

「ご報告いたします。第三偵察隊が戻りました。戻りましたのですが…実は、その、伊丹の奴が…」

 こうして、なし崩しに避難民達の受け入れが決まってしまうのである。




-10-




「よう、伊丹…」

 声をかけられて伊丹は足を止めた。

 上司連中からの嫌みやお説教を、とぼけた表情で馬耳東風と聞き流すこと小一時間、査問会にも似た会議はそれでもどうにか「連れてきてしまったものは、どうしょうもない」という言葉で幕引きが為された。

 市ヶ谷(防衛省)には、避難民の中で自活しての生活が難しい傷病者・老人・子どもを保護したと報告することになる。いろいろと言われるかも知れないが、「人道的な配慮」の一言で強行突破するしかないと一同はため息をついた。

「そのかわり、お前が面倒をみろ」

 別に伊丹が伊丹の財布で連中を養えと言っているのではない。避難民達を保護するにあたって、そこから派生する諸々の諸手続は一切お前がやれという意味である。それが、この件を問題としない代わりの条件ともなった。

 伊丹は、とりあえず避難民の食事と寝床の手配をする算段を考えながら、暗い廊下から階段へと向かっていた。糧食斑に頼み込んで、食事を出してもらうことは出来る。(おそらく缶飯になるだろうが)問題は寝床だ。こちらでは寝起きする隊舎がまだ完成しておらず、隊員達ですらプレハブのような建物を利用しているのだ。天幕(テント)を借り出して来るしかないか…。書類を用意して、必要事項を記入して、捺印して…ああめんどくさい…そんなことを考えていたところだった。

 かけられた声に振り返る。すると暗がりに置かれたベンチに座り込む男と、たばこの火が見えた。天井近くまで立ち上る紫煙。陰影の向こう側で口元だけを微妙にゆがめた陰湿そうな笑み。

 柳田二尉であった。

「伊丹、お前さん。わざとだろ」

「何がです?」

 年齢的には柳田二尉の方が若いが、昇進したばかりの伊丹からすれば柳田のほうが先任だ。階級が同じ場合、先任が上位者になる。さらに加えて、伊丹は柳田があまり好きではなかった。好きでない相手とは出来るだけ関わりにならないようにすることが伊丹の処世術である。礼儀正しくするのも、余計な摩擦を産まず作らず、相手の記憶からフェイドアウトしたいからだ。

「とぼけるなって。みんな判ってんだよ。それまでは定時連絡だけは欠かさなかったお前が、突然通信不良で連絡できなくなってましたって、誰が信じる。おおかた避難民をどっかに放り出せって言われると思ったんだろ」

「いやぁ、そんなことは…こっちはホラ、異世界だしぃ。電離層とか磁気嵐の都合とか、思うようにならんもんですなぁ。この世界の太陽黒点ってどーなってるのかなぁ…あははは」

 伊丹は嗤いながらがりがりと後ろ頭を掻きむしった。どうにも苦しいが、別に信じてもらう必要もないのだ。誰も信じていないとしても、報告書には『通信不良のため指示を受けることが出来ず、やむを得ず現場の判断で避難民達を連れ帰った』と記される。そしてそれが公式の見解として記録されていくのだから。

「ふん、韜晦しやがって。ったく…」

 柳田はたばこを口に運ぶ。大きく煙を吸ってから吐きだした物は煙だけでなくため息か。

「ま、遅かれ早かれ地元民との交流は深めなきゃならんかったからな、スケジュールが早まっただけで、問題にもならん。…上の連中はそう考えているが、裏方のコッチとしちゃあ、たまらんぜ。段取りが狂っちまったんだからよ」

 柳田の言い様が妙に癇に障った。
 それは人の負い目につけ込もうとする小ずるさの気配を帯びていたからだ。

「いずれ、精神的にお返ししますよ」

 たばこを煙缶に押しつけてグリグリと捻りながら、柳田は肩をすくめた。

「足りないな。大いに足りない」

「あんた、せこいですなぁ。恩を着せて何をさせようと?」

 柳田は、薄笑いのまま「ちょっと河岸変えて、話をしようか」と腰を上げた。




 陽はゆっくりと傾き、日の沈む方角であるが故に『西』と位置づけられた空がゆっくりと紅く染まり出す。

 そんな空を見渡せる、西2号(仮)隊舎の物干場(注/「ぶっかんば」と読む)に2人の男が相対していた。

 柳田はフェンスにもたれつつ、たばこに火をつける。そして話を始めた。

「これまで集めることが出来た情報から見ても、この世界は宝の山だと言うことがわかる。生物の遺伝子配列は、我々の物と非常に近似している。おそらく人間種同士なら交配も可能だろう。それがどういった理屈による物かを考えるのは学者連中に任せることにしても、この世界で我々が暮らすことは十分に可能だ。現に俺たちはこの世界の大地に立ち空気を吸っている。食い物は門の向こうから運んでいるがな…それにしたところで、我々の食い物を喰ったこの土地の生き物に健康に害がなければ、この世界の物を俺たちが喰ってみようという話もいずれ出てくる。

 この世界には公害や環境汚染もない。土地も広く、植物相も多彩で豊かだ。そしてなによりも我々の世界で稀金属・希土類とされている地下資源もかなりの量が埋蔵されているだろうと予測されている。住民達の文明のレベルは我々から見れば、蟻と巨像ほどの格差があって、我が方に絶対的に有利だ。そんな世界との唯一の接点が偶然にも日本に開かれた。これは幸運だとも言えるし災厄とも言える。

 ニューヨーク、ロンドン、上海の株式市場では日本と結びつきの深い資源開発系の企業は軒並みストップ高。原油、鉱物関係の相場はゆっくりと下落中。永田町の議員連中は経団連の重鎮と連日勉強会。アメリカを始めとしてEU先進諸国からの接触で外務省も大忙しだ。だがな、肝心の我が国の政府はこの件を扱いかねてる。中国やロシアといった国が他の資源輸出国と協調して、門のこちら側を国際共同で管理すべきだという意見をまとめ始めているからだ。鯨問題程度なら我が国の伝統的な食文化を守るためだ、全世界を敵に回そうとも大いに突っ張るべきだが、こと経済がかかわるとなると、世界の半分を敵に回して突っ張っていけるほど我が国は強くない。

 なぁ伊丹、永田町の連中は知りたがっているんだ。
 この世界は、世界の半分を敵に回しても、つっぱっていくだけの価値があるかどうか」

「それだけの価値があったら?」

「物を持つ側が強いのはお前も知っているだろう。人民解放軍がどれだけチベット人を殺そうと、毒入り餃子を売りつけて置いて自分たちのせいではございませんとシラを切っても、ロシア人が金だけ出させた上で天然ガス採掘の契約を一方的に破棄しようと、最終的には連中の思惑どおりになる。それは連中が、みんなが欲しがっている物をかかえてるからだ。極端な話、全世界から縁を切られようと、この世界から日本がやっていけるだけのものを十分に得られるなら、それなりに強気に振る舞うことが出来るんだ」

 伊丹は肩をすくめた。

「柳田さん、あんたがどれだけ国のことを考えているかはよくわかった。実に愛国的だね。僕も見習いたいよ。だがね、人には役割ってものがあるでしょうよ。実際、今の国際情勢がどんなものであるか教えてもらっても、僕には全然ピンとこないんだ。実際に、今僕の頭のなかにあるのは、連れてきた子ども達の今夜の寝床と飯の事なんだからねぇ。国際情勢と僕の仕事がどう関係ある?」

「今言って聞かせたろ?この世界、この土地が価値あるものかどうかを一刻も早く知りたいと。いや、違うな。価値あるものがどこにあるか知りたいんだ。この世界が日本のものになるとしても、国連の共同管理になるにしても、どこに何があるという情報を握っている者が圧倒的に有利だ。お前、自分がその情報に最も近いところにいると自覚してるのか?他の偵察隊がしたことは、村でどんなものが売られているかをちょっとばかし調べて、わずかばかり単語帳の語彙を増やした程度でしかない。それに対してお前は、この土地の人間とラポール(信頼関係)を掴んできた。何がどこで作られて、どんな物がどこに埋蔵され、どのように流通しているか、その気になれば調べられる立場にいるんだぞ」

「ちょっと待ってよ柳田さん。その辺の子ども達つれてきて、金銀財宝はどこにありますか?石油はどこにありますか?って聞いて、教えてくれるとでも?恥をさらすようだが僕は地理の成績は劣悪だったぜ。学校に通ってる僕でさえそれだったんだ、教育制度のない世界の子どもが、自分の生活範囲の外にあるものを知るわけないだろう。断言しても良いが絶対に知らないね」

 そう言いつつも、荷馬車に書籍を満載させたプラチナブロンドの少女とその師匠の老人はどうかなぁと思う伊丹である。言語学者をつれてきて彼らの書籍を翻訳させた方が早いのではないかと思ったりした。

「知っている人間を探して、情報を得ることが出来る。これは絶対的な要素だ」

 その言葉に伊丹は二の句が告げられなかった。

「伊丹よ。近日中にあんたは、大幅な自由行動が許されることになる。その任務がどんな名目になるかは、官僚達の作文能力次第だからなんとも言えないが、どんな文言が命令書に列んでいようと、最終的な目的は一つだ」

「たまらんね、まったく」

 伊丹は、盛大に舌打ちした。

「ふんっ。いままでは、税金でのんびりさせてもらったんだ、借りの多い稼業だけに、いざと成ったら嫌です出来ませんは通じないぞ。せいぜい働くことだ」

 柳田はそう言うと、たばこを物干場から放り捨てた。




        *      *




 先のことの見通しは立たないとしても、現実的に必要とされる諸々の事を、丁寧に片づけていくだけで物事というのは、次第に形になっていくものである。できあがった物は雑多で、無計画で、まとまりに欠いた物になるだろう。それでも、その中で生活する者にとっては、日常の場面として慣れ親しんでいくことになる。

 とりあえず食事を手配する。

 とりあえず寝床のためにテントを立てる。

 とりあえず、怪我人病人を医官に見てもらう。

 とりあえず衣服の手配をする。

 子どもの面倒を避難民達のお年寄りや、年長の子ども達に見てもらうよう何とか意思疎通する。

 こうして『とりあえず』『とりあえず』を積み重ねつつ数日、どうにか一息つくと、それを『暫くのあいだ』なんとか出来るような形にしないと行けない。

 テント生活だって、長く続けることは難しいのだ。まして子どもや老人である。やはり屋根と壁のある家での生活が望ましい。

 黒川と栗林の連名で、そんな意見具申を受けた伊丹は、アルヌスの丘から南に外れること約2キロ。その森の中にコダ村からの避難民である子ども達や老人達のキャンプを建設することにした。

 利便性の問題から、当初は丘の麓にという話が出たが、戦闘に巻き込まれる危険が著しいので、地形や周辺の状況を見てこのような場所を選んだのである。

 もちろん、実際に建設するのは施設科の隊員達である。だが、そのための書類の文面を考え、資材や、消耗品、予算について記した資料を用意するのは、伊丹の仕事である。書類事に詳しい仁科一等陸曹に文面その他いろいろについてアドバイスをもらい、点や丸のつけかたにすら嫌みな指摘事項をつける柳田の笑みに内心辟易としつつ、どうにか上のハンコをもらって提出を済ませた翌日は、丸一日寝込んだほどだった。

「こんな仕事、お役所の公務員だったら片手間仕事なんですけどね…」

 仁科一曹の言葉に、つくづくお役所勤めを選ばなくて良かったと思う伊丹であった。

「うおぉ!特別職国家公務員万歳」

 寝言の中で唸ったとか、吼えなかったとか…。




 仕事を始めるまでの準備には異常に手間がかかる。だが始めると早いというのが自衛隊の仕事であった。
 瞬く間に森を切り開き重機をもって地をならして、簡易ではあるが屋根のある家が並べられていく。

 そんな光景を、レレイはあんぐりと口を開けて見ていることしか出来なかった。

「………これで、ようやく荷車から荷物を下ろせるわい。儂はもう寝る」

 ほとんどやけっぱちのような口調で言い捨て、テントの中へと消えていく師匠に、レレイも大いに同意したかった。

 馬が引かないのに、馬よりも早く疾走する馬車。

 炎龍すら撃退する魔法の杖。

 アルヌスの丘に築かれた堅牢にして巨大な城塞。

 けたたましい音を立てて空を飛ぶ、巨大な鉄のトンボ。

 一本切り倒すのに、樵(きこり)が半日かかるほどの巨木を瞬く間に倒してしまう、のこぎり。

 工夫百人分働いて地面を掘り返してしまう、巨大なスコップのついた鉄の車。

 そして、瞬く間に家が建ててしまう技術力。

 はっきり言って、いい加減驚き疲れていた。

 知識のない子どもや老人達のほうが、素直に驚けている。素直に感心し、素直にそう言うモノなのだと納得して、その便利さを受け容れている。

 なまじ、多くの知識を有しているが故に、理解の難しい非現実的な出来事にレレイの頭脳は最早オーバーヒート寸前であった。

「………こんな凄い光景を見過ごしたなんて知ったら、お父さんきっとがっかりするわね。あとで教えてあげなきゃ……」

 体調の快復したハイ・エルフの娘が、こちらで貰った伸縮性のある軟らかい布で出来た上衣にズボンという出で立ちで(後で知ったが、ジーンズとTシャツと言うらしい)、唖然と作業を眺めていた。

 実に羨ましい。レレイとしては見なかったことにして、ベットに潜り込みこころの平安を維持したいと思ってしまうのに。まぁ、森の守護者という立場も忘れて、ただ呆然と見ているしかない程の驚きというのも理解できるのだが…。

 だが、賢者として生きることを選んだ以上理解できないことをそのまま放置しておくことなど誇りが許さない。世界の不思議を、知性でもって征服することこそ賢者としての野心なのだから。

 圧倒され、くじけそうになる心を叱咤して前に進む。

 動き回る鉄の車に近づこうとすると、作業をしている人達に恐い顔で睨まれてしまった。何かを怒鳴るようにして言って来るが、推察するに「危険だから」と言っているのではないかと思えた。これほどの巨大な車両が動き回っているのである。もしぶつかったり巻き込まれたら、自分などひとたまりもないだろう。その危険を防ぐためにレレイに近づくことを禁じ、警告しているのだ。

 そこで、作業現場の片隅で炊煙の香りをあげている車に近づいてみる。そして、どのような構造になっているか観察することにした。

 これは見ただけで理解できた。それにしても『移動させることが出来る竈』というのも凄い発想だと思える。軍隊や、交易などでキャラバンを組も長距離の旅をする商人達が喜ぶのではないかと思うのだ。野営するにしても、竈をしつらえる作業というのは結構手間がかかるものだからだ。

 そんなことを考えながら、炊飯車の前に立っていると、作業をしていた男性が何かを言いながら微笑んだ。

「ちょっと待ってろよ。もうすぐ、できるからなぁ」

 男性はそんなことを言ったのだが、現段階では彼が好意的に、レレイに対して何かを伝えようとしていることだけが理解できるだけだった。

 レレイの見るところ、彼らはこちらの言葉を覚えようとしてる様子が見て取れる。積極的に話しかけて来ては、単語を繰り返している。その成果もあってたどたどしいながらも、多少の意思疎通もできるようになった。だが、彼らがこちらの言葉を覚えるのを待つのでは、何も学ぶことが出来ない。彼らが使う道具、技術、彼らの考えていることを理解しようと思うならば、彼らの言葉を学ぶしかない。レレイはそう決心して、男性へと話しかけることにした。





 古田陸士長は、自慢の包丁技をふるいながら微笑んで見せた。

 元老舗料亭の板前だったというのは伊達ではないのだ。そんな彼が自衛隊に入ったのも、自分の店を持つための資金稼ぎだ。任期を勤め上げた時にもらえる退職金はそのための大事な資金となる。

 女の子が、山積みになっている食材を指さして見せた。

「ん?」

「uma-seu seru?」

 大根を指さして、さかんに何かを言っている。同じ単語の繰り返しに、いささか鬱陶しくなって、突っ慳貪な口調で「大根だよ。大根」と返した。言ってから「あっ、いけね。優しくしなきゃ」と、すぐに思い返す。

「Dai-kon?」

 古田は大根を、どんどんかつらむきしていく。今日は、日本食の粋とも言える刺身を一品だけつけることになっていた。刺身のつまと言えばやはり大根だろう。

 魚を生で食べる文化は、今では世界的な流行にあるが受け容れられるのにはとても時間が必要だった。欧米では魚を生で食べるなど野蛮なことだと考えられていたのだ。さて、この世界ではどうかな?そんなことを考えながら、古田はプラチナブロンドの少女に言葉を返していた。

「そう。だいこん」

「sou daikon」

「だ・い・こ・ん」




 レレイは首を傾げつつも推察した。daikonという単語の前につけられたsouという言葉は、きっと肯定を意味する単語ではないかと。

 間違いない。この野菜の名称は「だいこん」なのだ。

「だ・い・こ・ん」

 男性は微笑むと、「sou sonotouri」と言いながら大きく頷いた。頷きながら、楽しそうに大根と呼ばれる野菜を見事に削り、一枚の布…包帯のようにしていく。その見事の包丁技に、この世界の男性というのは、みんなこれほど料理達者なのだろうか?などという感想を抱いた。

 こうして、賢者レレイ・ラ・レレーナはちょっとした誤解も含めながらも、天才と呼ばれる知性でもって猛烈な速度で日本語の習得を始めるのだった。




[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 11
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:8f069f32
Date: 2008/04/02 14:43
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 3度に渡って行われた連合諸王国軍による、アルヌスの丘攻撃は、結果として戦闘とは呼べないものとなり果てていた。例えるなら前方が断崖絶壁であることに気付かないままに進んだ、集団自殺とでも言えよう。もちろんそうなった理由の最たるものは、敵についての情報を全く提供しなかった帝国にある。

 当時、連合諸王国軍に軍旗を連ねた国は、諸侯国併せて21カ国。総兵力は約10万である。遠近東西、様々な国の兵士が一同に会する光景は、見事なまでの壮観であった。

 裸馬同然の馬にまたがる軽装騎兵。
 重厚な鉄の装甲で馬を覆った重装騎兵。
 大空を舞う翼竜に騎乗する竜騎兵。
 一歩一歩、歩む毎に地響きが聞こえそうな巨大な毫象を連ねる戦象部隊。
 小柄ながら精強な印象の南国兵達。
 方形の鉄楯を連ねる重装歩兵。
 林のような長槍を並べる槍兵。
 さらには弩、投石機、石弓等が所狭しと集められている。
 帝国では軍馬同様の扱いを受けるオークやゴブリンにまで鎧を着せている国もあった。
 それぞれが、出身の国毎に異なる軍装の煌びやかさを競っているかのようであった。

 この大戦力を30万と号して大地と天、ことごとくを埋め尽くし進むのであるから勝利は当然。だれもがそう考えて疑わない。

 そもそも、アルヌスの丘は聖地とはいいつつも、実際にあるのはなだらかな斜面をもった小高い丘でしかない。

 見通しを妨げる林や険しい森があるわけでもなく、道を塞ぐ大河や、切り立った崖があるわけでもない。ただの荒涼たる大地が、やや盛り上がっている。それだけの土地であった。

 頂上をおさえ斜面の上方に位置取ったとは行っても、地形による助けは極わずかと言っても良い。

 さらには、現地にいる帝国軍の報告によると侵入した異世界の兵とやらは、何を考えているのか地面に穴や溝を掘り、見た目は斧の一振りでも断ち切れそうな、細い針金で作った柵で周囲を囲う程度のことしかしていないと言う。ドワーフが作るような地下城が建設されているならやっかいであるが、人の手でそれをするには時間がかかる。一ケ月や二ケ月で完成させることなど殊更無理だ。

 こうなれば、勝つのは単純に戦力の多い方である。

 エルベ藩王国の国王デュランは、この程度の敵に連合諸王国軍を呼集した皇帝モルト・ソル・アウグスタスの真意を測りかねていた。帝国の軍事力をもっていすれば、諸国の軍勢を集めることなどしなくとも、いとも簡単にねじ伏せることが出来るはずだからだ。

 にもかかわらず、あえて連合諸王国軍を呼集した。とすればそれば軍事上のものでなく、何か政治的な意味を持つのかも知れない。

 例えば諸王を集めることで、己の権威のほどを国の内外に知らしめるという目的はどうだろうか?だが、それが目的ならば、諸王を集めて会盟の儀式を行えば済む。無理に大戦力を呼び集める意味はないはずだ。10万もの戦力を集めるには、なにか理由があるはずなのだ。そうでなければ、10万人の食糧を負担する意味がない。

 あり得るとすればこの戦力をもって、どこかの国を攻めるという可能性だが、連合諸王国軍をもってそれをする大義名分などあり得るだろうか?

「さてデュラン殿、どのように攻めましょうかの?」

 通常ならば、リィグゥ公王のこの言葉も軍議の場にて真剣に検討されるべき課題である。だが、「これほどの大兵力を擁しては区々たる戦術は、あまり意味を為さない。鎧袖一触、岩に卵を投げつけるがごとくの結果となるだろう」と言う理由で、真剣に論じられていなかった。

 実際、リィグゥ公王の問いかけには、無用の心配をするデュランを揶揄する響きを有していた。

「リィグゥ殿。貴公も少しは真剣に考えてくだされ」

「とは言われてものう。我が軍だけで攻めよと言われれば、陣立てや戦術を考える必要もあろうかと思うが、物見によれば敵は精々1万を少し超える程度と言うではないか。それに対して我らは30万と号しておる、一斉に攻め立てれば労することもなく戦も終わるであろう?敵の様子だのは丘で敵と相対している帝国軍と合流してから調べればよいのだ」

「それならば、良いのだが」

「貴公も神経の細い男よのう」

 リィグゥの嘲笑も、思考の袋小路にはまっていたデュランには気にならなかった。




 大軍の移動は時間がかかる。街道が十分に整備されていない事も理由となるが、何よりも規模そのものが足かせとなった。何しろ、最前列の部隊が出立してから、最後尾の部隊が動き出すのに半日近くかかるのだから。

 宿営地の建設にしても時間がかかるため、通常で10日かかる行程を20日も必要としたほどだ。

 それでも、どうにかアルヌスの丘を視野に収めた連合諸王国軍は、予定通り丘の全周囲の包囲をしようと、敵から適切な距離をとっての布陣を開始した。

 この時の『適切な距離』を彼らは彼らの経験から割り出そうとした。つまり、魔法の支援を受けた弓矢、石弓、投石機…こうした投射武器の届かない距離を『適切』と判断してしまったのである。しかも、丘の中腹に張り巡らされた塹壕や小銃掩体は巧みに偽装されており、それと注意して見ない限り気が付くこともない。

 そのため、前衛として隊列の最前列にあったアルグナ王国軍の王は、無造作に麾下の兵4000を丘の麓へと近づけてしまった。

 丘の近辺にいるはずの帝国軍の姿がなかったことも理由となるだろう。もしかして、既に帝国軍は敗退してしまったのかも知れない。だとしたら、生き残った将兵の救出も必要だ。そう考えてしまった。

 アルグナ国はこれと言った特徴のない小国だ。産業も農・牧畜が中心。これといった特徴もないからこそ魅力に欠け、帝国や周辺の諸国から併呑されずに済んだとも言える。従って矢玉よけに錆斧をもたせたオークやゴブリン、主力は重装歩兵、そして弓兵、少数の騎兵、魔導師という至極一般的な編成の部隊であった。

 彼らは、通常次のような展開で戦闘を行う。

 散開した弓兵が矢を放ちながら、剽悍なオークやゴブリンを嗾けて敵陣に突入させこれを混乱させる。

 魔導師の数に余裕があるなら、この段階で魔法の撃ち合いもある。

 肩を接するほどに密集した重装歩兵達が方形の楯を連ねて城壁とし、足並みをそろえて前進し主力同士の戦闘を開始する。そして、最後に歩兵が切り開いた道を騎兵が馬首を並べて突入して勝利を決定づける。

 だから、彼らはその時自分に起こったことに全く気付くことは出来なかった。

 彼らを襲ったのは、陸上自衛隊 特科部隊の曲芸でも言うべき一斉射撃だった。

 陸上自衛隊の特科部隊は爆煙を連ね並べて、中空に富士山を描いてみせるほどの精巧な技術をもつ。

 その砲撃技術の粋をつくして打ち出された榴弾が、面の広さをもって、ほぼ同時に着弾をしたのである。

 従って、その有様を一言で言えばこうなる。「一瞬で叩き潰された」と。

 被害者は連合諸王国軍の前衛集団アルグナ王国軍、それの後に続いていたモゥドワン王国軍、併せて約1万人。

 待ちかまえて、標的がキルゾーンに入るのを確かめての砲撃だ。だから最初から威力斉射だった。そして、その一斉射で第一回の戦闘は終わった。

「隊列の中段にいてそれを見た私は、最初アルヌスの丘が噴火でもしたのかと思った。姫は、火山というものをご覧に成られたことがおありか?私の故郷は山岳地帯で、幼き頃に一度見たことがあるのだ。それこそ、山が吹き飛ぶような爆発でな。それと見紛うほどの大変な爆発だった。前触れの地震もなく、ただ空気を切り裂くような音がしたかと思ったら、どんでもない大爆発が起きた。あまりのことに心の臓が口から飛び出すかと思ったほどだ。そしてそれはたったの一度きりのことだった。

 何が起こったのか…それを確かめようと我らは歩みを止めて前方へと目を凝らした。だが、遙か前は煙に覆われていた。

 煙が晴れるまでにどのくらいの時間がかかったのか、長かったように思えたし、それほど長くはなかったかも知れない。

 やがて煙が晴れた。そして我らの目に入ったのは、大地がかなり広い範囲で耕されたようになっている様子だった。掘り返された土砂にはアルグナとモゥドワン両国兵の死体が混ざっておった。丁度、この粗末なパエリアの米粒と具のようにな…」

 病床のデュランは、その時の光景を思い返すかのように瞑目した。その傍らには、看護の修道女が付き添って、デュランの口にパエリアを運んでいた。だが彼は食べようともせず、顔を背ける。

「両国の王はどうなされたのですか?」

 ピニャの問いにデュランは、首を振った。

「なんと言うことか…」

 戦闘後の連合諸王国軍を探してアルヌス周辺の村落をめぐること数日。あちこちの聞き込みの結果、ピニャは連合諸王国軍の将兵が統率を失って故郷へと引き上げて行かざるをえなかったことを確認した。

 引き上げると言っても敗残の兵である。健在な将兵など殆どいなかったとも言う。敵の追撃がないからこそ、生きているというだけでしかない。そんな状態での長い道中である。おそらく戦場で戦う以上の苦難が彼らを待ち受けているだろう。事実、落伍した兵の死体があちこちで地元の農民達によって埋葬されていた。

 やがて、ピニャはホボロゥの神を祀る修道院の一つに、高貴な身分を持つ者が収容されているという噂を耳にした。早速駆けつけてみると、それがエルベ藩王国の王であることがわかったのである。

 身分をあかし案内をされたピニャの目に入ったのは、左腕と左下肢を失い病床に横たわるデュランの姿だった。

 この状態での長旅は不可能。生き残った供回りの兵も逃げ散ってしまった。わずかに残った忠実な者を国元に帰して危急を知らせることとし、自身はこの修道院で体力の回復を待つ事にしていたと言うことであった。だが、地方の小さな修道院のこと。医者が居るわけでもなく、食事も十分と呼ぶにはいささか足りない。体力の回復を待つどころか、じわじわと消耗していくばかりだった。

 実際、失われた下肢の断端から膿の腐臭がする。顔も土色に曇り、血の気がない。瞼の下は隈で黒く染まっていた。このままでは余命もそう長くないだろう。

「見ての通りこの様だ…三度目の総攻撃でな、麾下の兵と共に丘の中腹までなんとか進んだのだが、鉄で出来た荊が我らの道を阻んでいてな。これにひっかかって進み倦ねているうちに、光が雨のごとく降り注いできた。そして、あっと言う間に吹き飛ばされた」

「デュラン陛下、早速帝都に知らせを走らせます。そして医師と馬車の手配を…。とりあえず帝都に身をお寄せいただき体力の回復をはかってください」

 覇権国家たる帝国の皇女とは言え、宮廷儀礼上は一国の王たるデュランが目上になる。ピニャは膝をつくと、無事な右手をとりデュランに頭を下げた。

 だがデュランは首を振った。

「姫には申し訳ないが、帝国の世話になろうとは思わぬ。第一、もうそんなに長くはないであろう」

「何故ですか?」

「私はずうっと考えていた。何故、皇帝は連合諸王国軍を、この戦いに呼び集めたのか…こうなってみて初めてわかった。皇帝はこうなることを知っていたのだ。おそらく帝国の兵も、敗亡し帝国軍は大損害を負っていたはず…健在な我らは目障りであったのだろう。つまりは、皇帝は我らの始末を敵に押しつけたのだ」

 敬称をつけずに、ただ「皇帝」と呼ぶ声にデュランの怒りが込められていた。どうせ死んでいく身だ。ならば、言いたいことを言わせて貰う。そんな気持ちが込められていた。

「姫。知らなかったとは言わせませぬぞ。姫とて帝国の軍に身を置かれる立場。帝国軍がアルヌスの敵と戦いどうなったのか…ご存じであられたはず」

「はい。確かに帝国の軍が以前、敗れ去ったことは存じておりました。しかし、しかしです。どのような敵が待ち受けているのかも知らせずに、ただ諸侯をアルヌスに差し向けたなど、全く存じませんでした…」

「行かれよ姫。不実の鎧を纏い、欺瞞の剣を片手に我らの背後に立たないでいただきたい。連合諸王国軍は、この大陸を守るために最後の最期まで戦い抜きました。だが、我らが民族最大の敵は、我らが後ろにおった。帝国こそが我らの敵だったのだ。姫、重ねて言う。早く行かれよ」

「陛下。最早、お怒りをお鎮め下さいと申しても無理でありましょう。なれどせめて教えてください。我らの敵はどのような者なのですか?どのような魔導兵器を、そしてどのような戦術を用いるのですか?貴重な戦訓をお示し下さい」

「教えてやらぬ。我らはそれを知るに身を犠牲にした。ならば、御身もそれを知りたくば自らアルヌスの丘に赴かれるが良かろう。汝が将兵の血肉を代価とすれば敵が教えてくれる」

 ピニャは必死だった。皇帝は敵を侮っている。戦闘力の差は、戦略や権謀によって補えると信じて疑っていないのだ。だが、ビニャは敵と我との間には根本的な力量の差があると感じていた。このまま敵の詳細を知らせなければ帝国は決定的な敗亡をしてしまう。そんな予感に囚われていた。

 歯のギッと噛み合わせる音と共にピニャは目を座らせた。

「そうは参りません。なんとしても教えて頂く。もし、お話しいただけないと言われるのであれば、エルベ藩王国を質とさせていただく。陛下が何も言われずに黄泉の川を渡られたら、妾は兵を率いてエルベ藩王国に攻め入り焦土といたしますぞ」

 これにはデュランも驚いたようだった。

「な、なんと。兵を奪い、家臣を奪い、我が命までも奪おうとしておきながら、さらに国土と家族すらも奪うと言われるか…皇帝が皇帝なら、その娘も娘と言う訳か…良いでしょう。好きなようになさるがいい。どうせ我が身は滅ぶのだ。故国が帝国に併呑され属州となりはてるのも、遅いか早いかでしかない。死神の足音を聞く私には、最早関係のないことだ。黄泉で我が家族が来るのを待つことにする。そして後からやってこられる皇帝とあなたたちを嗤ってやることにしましょう」

「死に瀕して、自棄に成られたか…帝国は絶対に負けません」

 ピニャは立ち上がると、死にかけの王を見下した。

「強ければ、力があれば何をやっても許される、それはもう仕方のないことだ。そのまま居直られればよい。しかし、我らとて意地がある。誇りもある。それを踏みにじられれば、この程度の意趣返しはして当然されて当然と心得られよ。アルヌスの敵は、脅威の軍隊。神のごとき武器と、神のごとき戦術をもって、我らを赤子のごとくひねりつぶした。敵を呼び込んだ帝国も同じ運命たどるであろう。強ければ何をやっても許される。ならば、アルヌスの敵はさらに強いぞ。帝国軍など累卵も同様。その事実に気付き、真に悔い改め助けを求めても、最早誰も応じることなどないのだ。その時のザマを見るがよいっ!」

 デュランは力を振り絞ってそれだけのことを言い放つと、はあはあと息を荒くしながら病床に身を埋めた。




 ピニャは、もう言葉もなかった。

 権力や腕力をもってしても、人の内心の城壁を攻め崩すことは難しい。出来なくはないが、それをすればこの王は死ぬだろう。

 だからこの王から情報をとることは無理として諦めたのだった。心に残るのは、頑ななデュランに対する怒りであり、諸侯をここまで離反させた皇帝への憤懣である。

「姫様…頼みますから、騎士団でアルヌスに突撃するなんて言い出さないでくださいよ」

 デュランの部屋を後にしたピニャに背後から投げかけられた言葉に、ピニャは大きなため息をついた。

「ハミルトン。お前、妾を馬鹿だと思っているのか?」

「いいえ。違いますけど、今にも『妾に続け』とか言って駆け出しそうな雰囲気でしたから」

 もし駆け出すとしても、それはアルヌスに向けてではなく帝都に向けてだろうと思う。思うが、それを口にするわけにもいかない。

 一見すると美貌の貴公子としか思えない男装の女騎士ハミルトンを前にして、ふとホントにこいつ男ではないかと確かめたくなった。だからピニャは彼女の薄めの胸板を手の甲で軽く叩いてみた。すると一応、柔らかな手応えがあった。

「突撃するかどうかは別にしても、一度はアルヌスへ行かねばならない。敵をこの目でみておかねばな」

「あ~姫。この人数でですか?危険ではないでしょうか?」

「はっきり言って危険だ。だからお前、守ってくれよな」

 ピニャはそんなことを言いつつ、修道院を後にするのだった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 12
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:dccf2926
Date: 2008/04/12 12:00
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-中華人民共和国 北京-

    共産党国家戦略企画局

「劉局長。これが第二二四次 極東宣撫工作の活動報告です」

 劉は、部下の差し出した報告書に視線を降ろした。
 それは横書きの簡体字で充ちた書類の束。かなり厚みがあり、ずっしりとした手応えをもっていた。
 劉が党本部戦略企画局の局長の地位を占めて、すでに4年になる。その間に、この部下から受け取った報告書は20冊だった。

 その内容も、回を重ねるごとに濃密になってきている。予算の規模も次第に拡大し、偉大なる中華人民共和国が、確固たる覇権を掌握するためには無くては成らない部門となった。銃砲火器でする戦争はすでに時代遅れだ。これからは国内外の大衆操作・世論誘導こそが、国家戦略の根幹となると言うのが劉の信念だった。

 国内の大衆操作の要点は、教育と情報統制にある。

 教育は、中華人民共和国と漢民族の偉大さを強調することにある。共産党がこれを導くことによって中国は世界で最強の国家となることが約束されていると教えるのだ。そして、人民の心の内に醸成された、矛盾や貧富の差に対する嫉妬心・怒りは、民族的な恨みという口実を与えた上で外国、例えば『日本』に向けさせればよい。

 日本は海外に対して軍事力を行使することはないと言うことを宣言している平和国家であり、どれほど侮辱しようが、貶しおとしめようが国境をまたいだこちら側にいる限り安心していることができる。その意味では、とても都合の良いスケープゴートだった。

 日本をスケープゴートにするのは簡単だ。実際には無かった出来事を「あった」と言い、実際に起きた都合の悪い出来事はなかったことにしてしまうのがよい。事実を指摘して反論する人間に対しては、より大きな声で時間をかけて、これをうち消してしまえばいい。理屈に対しては情を、情に対してはより同情を得やすい情をもって。そして相手の情が過激化したのなら、理性を求めるのだ。人民とは声の大きな方を信じるものである。同時に、自分が信じたい嘘を信じるものなのだ。嘘も百回繰り返せば、やがて本当のこととして扱われるようになる。
 それに加えて、嘘のない『事実』であっても、それを目的に従って切り取り、一つの印象を与えるように並べ立てる。それもまた十分に効果がある。緩急織り交ぜた、戦術を積み重ねることで、その効果はさらに倍増する。

 偉大なる漢民族、偉大なる中国の一員であるという民族意識は、自分たちに都合の良い情報を好み、自分に都合の悪い情報を拒絶するという自意識ができあがる。そして、さらに統制された情報によって常に自意識、民族の優越感や、中華思想をくすぐっておけば、民衆は国家を信頼し安心するのだ。

 思想教育によってエゴを肥大させ、情報という麻薬によってそのエゴを満たす。そうすればやがて自分のエゴを満たしてくれる薬(情報)だけが欲しくなる。その麻薬を供給するのが、我ら共産党なのだ。人民統治の要諦に古くはパンとサーカスという言葉があったが、現在は『金(経済)』と『情報』である。

 国外向けの活動の第一は、相手国の『平和運動』を支援することにあり、その手段がやはり情報の操作である。こちらはより巧妙に行わなくてはならない。

 平和運動とは、詰まるところ「戸締まりをやめよう」という運動である。
 国のレベルではもっともに聞こえても、次元を個人におとしてみると平和運動の本質が理解できる。反戦平和運動のスローガンとは、翻訳すると「誰も泥棒に入ったりしない。だから戸締まりなんて止めよう」となる。

 平和運動を推進する人間に限って、それぞれの家庭の戸締まりはしっかりやっていたりする。こんな立場にいてこんな事を思うのも何なのだが、劉はそれが不思議だった。個人的な他者は信用できないのに、どうして国家としての他国が信用できるのか、理解できない。個人レベルでは周囲に警察もいてその助けを期待できるが、国際社会には警察も居なければ公平な裁判所もない(警察気取りの国家は存在するが、そんな彼らも自らの利益の為だけに行動する)。国際社会において、国家は自ら守らない限り誰も助けてくれないのである。

 よくよく考えれば、他人の戸締まりを気にするのは泥棒だけである。
 盗みに入ろうと思うから、その家の戸締まりが気に入らないのであり、全く泥棒などする気が無いのなら、偏執的な戸締まりをしていても「大変だね」と思ってそれで済むはずだ。
 ロシアが東ヨーロッパに配備されようとしているミサイル防衛システムに神経を尖らせているのもそのせいだ。攻撃兵器が配備されるというのなら、神経をとがらせるのもわかるが、あくまでも防衛兵器である防衛システムが気に入らない理由は、もう単純でわかりやすい。つまりは攻撃したいからでしかない。ミサイルで人を殺し、建物を破壊したいからなのだ。そしてその恐怖をちらつかせることで他国を自分の言いなりにさせたいのだ。

 ところが、解っているのか解ってないのか、平和運動家達はミサイル防衛システムの配備にも反対する。それは「争いになるから、戸締まりをするな。泥棒が来ても抵抗するな。こちらが身構えるから、泥棒が強盗に変わるのだ」と言う主張だ。それが実は、もっとも泥棒を喜ばせることなのだと言うことを知らずに…。あるいは知っていてわざと。

 真の平和運動とは言葉としての『平和』を叫ぶことではない。悲鳴を上げて叫ぶことでもない。自分たちと意見を異にする人間を、『戦争をしたい人間』とののしり排斥することではない。そんなものは、ただの自己満足だ。平和を得る現実的な手段とは、相手に攻撃する隙を与えないこと。攻撃して得るものより、失うものの方が多いのだということを、相手に感じさせることなのだ。それは泥棒をして得るモノより、刑罰や賠償責任等によって失うモノが多いと感じさせる思想と結局の所同じなのだ。

 だから中華人民共和国は、国内に反戦平和運動など許さない。だが、他国で他国の民衆がそれをするのは嬉しい。自国を取り囲む外国が弱くなるのなら万々歳だ。よって、平和運動家に様々な次元での援助を行うのである。必要なら、海外に移民した自国の出身者を尖兵として利用する。チベット国旗が列ぶよりも多くの中国国旗を並べさせる。映画監督、女優、俳優…ありとあらゆる人材を投入する。

 中国経済の豊かさや、貿易による結びつきの強さを強調して、互いに関係を絶つことも難しいほどに深いのだと、強調する。

 対立点があれば、小異を捨てて大同をとることが大人の振る舞いだとアピールする記事を新聞に書かせ、それで失う利益もそれほどたいしたことはないのだと論じさせる。

 政治、人権問題とオリンピックは関係ないと主張させる。そのために、様々なメディアや言論界に、自国への同調者をつくり、あるいは養成する。国家戦略企画局はその活躍を行っていた。

 劉は報告書のページをめくりあげた。そこには日本、韓国、台湾のマスメディアにおける『好意的同調者』の活動…具体的には新聞、雑誌の記事、テレビの報道特集やドキュメンタリーの制作についての概要がまとめられていた。

 報告書は、細緻な内容であった。執筆者の苦労は並大抵のものではなかったろうと思う。だが、それも必要なことであった。と言うのも、この報告書は最終的には国家主席にまで上がっていく重要な書類だからである。

 劉は、書類の中の日本の項目に目を向けた。

「ふむ。NHKでの活動はなかなかいい。だが民間放送局での扱いが、まだまだ不十分だ。もう少しなんとかならないだろうか?」

 メディア対策担課長の李は、これを受けて盛大にため息をついた。

「NHKの『同調者』達は、『その時、歴史のページがめくられた』を、はじめとした各種のドキュメンタリーの制作担当者となりましたので、活発な活動ができています。ですが、民間放送局では番組制作における下請け体質が問題となって、我々の意図した色彩になかなか染まらないのが現状です。

 報道部門に関して言えば『旭』と『毎朝』系はおさえてありますが、ドラマやバラエティなどの制作責任者までは手が回っていません」

「そうか、やむを得まい。だが、手は抜くなよ。同調者が放送局内で昇進するのを待つのもいいが、出来ることなら現在の制作責任者を勧誘するんだ。金でなびく奴は金、女でなびく奴は女、名誉でなびく奴は名誉で。ありとあらゆる手を使え」

「はい。ですが、予算的に厳しくなります。人員も不足してます」

「安心しろ。すでに予算の増額が決定されている。工作員の数も増やせることとなった」

 これを聞くと李は、安心したのか大きく頷いた。劉は再び書類に目を落とした。

「ほほぅ。明治時代に民衆が地方反乱を起こした事件を英雄的に描いたドキュメンタリーは非常に秀逸だったな。民衆の身近な問題で不安をあおり、それに対する反感を政府に向けさせる。実際に暴動やデモが起きればいいんだが、日本人って言うのはおとなしいというか、我慢強いというか。この点についてだけは我が国の国民にも見習わせたいところだな。ま、そのかわり投票という形で現れたわけだからよしとしよう。実際、民衆の潜在意識に政府に対する反感を刷り込んで、行動の指針を与えた。この方法は法が最も効果的だったようだ。選挙前と言うタイミングも良い。担当者には特等の報奨金を贈っておくように。それと今後の活動費も出してやれ。地方の反乱、市民革命、そういった題材をどんどん取り上げさせろ」

「はい」

「次の歴史ドキュメント。明時代の海上貿易を描いた特集は殊勲賞モノだな。明が圧倒的な軍事力を有していた時代、亜細亜は平和であり、人々は明との朝貢貿易によって豊かさを享受していたという部分を強調できたようだ…うん。これは二等級の報奨金を出すように」

「はい。こちらの番組制作の担当者から、次の企画についての協力要請が来ています。中国の公害問題について取り上げたいと」

「大いに協力してやりなさい。そして日本の省エネ技術の無償供与が必要だという論調でまとめさせるのだ。ふむ、日本から無償で得た省エネ技術を第三国に有償でわたせば我が国の利益になるしな。
 取材チームには可能な限り便宜を図るべきだ。権威付けになるなら教授連中を出演させるのもいい。そうだ、日本に送り込んだ大学教授連中はどうしている?彼奴等の尻をたたけ。もっと多くの記事や論文の発表をさせるべきだ。テレビにも出演させろ。毒まんじゅうの件で、旭新聞に投稿させた大学教授や学童の記事、あれはどうなった?」

「あれは…二四頁をご覧下さい」

 劉は、言われるままに報告書を捲った。そこには記事の内容とそれを読者がどう受けとめたのかについての評価が記されていた。

「あれは、あからさまに過ぎました。かなり反感を買ったようです」

 劉は、新聞に掲載された記事の中国語訳をさっと斜め読みする。

「いささか陳腐だが、悪くない内容だと思うが?」

「日本人は、『まるで他人事のように言っている』『所詮は中国人の身内庇い』と感じているという報告です。日本で報道されている毒まんじゅう事件についての情報は、どうにも加工のしようがない事実ばかりなので、状況証拠などから我が国の内部で起きた事件として、日本人に認識されています。と言うか、これだけ状況証拠があってどうして日本国内で毒物が混入されたと考えられるのかと不思議がられてます。我々に都合のいい情報しか流さない我が国のメディアの有様がクローズアップされて、かなり印象が悪化しています。さらには、『自意識を満たすのに都合のいい情報しか見ないし、見えない』我が人民の姿が各種メディアで報じられてしまい人民の偏向性も知られつつあります。もう何もしない方が良いのでは?我々の活動自体、一部で感づかれていますし」

「いや、そういうわけにはいかん。また別の手を考えよう。それと、インターネット担当者に申し送りをしておけ。何かにつけて陰謀と結びつけて考える人間のことを侮蔑した言葉…なんだったか…そういった表現で我々の活動を指摘する人間の評価を、徹底的に低下させておけば問題にはならん。そんなことよりアニメだ。どうにかならんか?日本のアニメは世界中に影響力がある。これを、利用出来れば大きな力になるのだが」

「はぁ。日本のアニメーションは、土台となる原作が作家による個人作業なので、我々の工作の入る余地が無いに等しいのです。実験的に数名の新人作家を選んで、工作をしてみましたが、そうした者の作品は日本の市場ではあまり評価されません」

「これまで力を入れて支援してきた小説家やテレビドラマの脚本家達はどうなった?ノーベル文学賞を受けたり、名作として評価は高いのだろう?」

「彼らの作品がアニメーションの原作となる事などあり得ません。精々映画やドラマがいいところで…とにかくアニメーションに関しては我が国の作家が育つのを待つしかありません。漫画については出版社の編集担当者に同調者が育ちつつありますが、それもまだまだです。編集者の漫画家に対する影響力を利用して、南京大虐殺を事実として描くよう指導させているところです」

 劉は頭を抱えた。

「今や、我が国の青少年が日本のアニメを見て、逆影響を受けている始末だ。国内の宣撫工作担当から苦情が来ている。今は、海外産アニメのゴールデンタイムの放送を禁止して、国産のものを中心にするように指導しているが…」

「パクリやご都合主義ばかりで、はっきり言って面白くないですからな。それにいくら禁じてもインターネットで見たい放題です。あははははは」

 李は笑った。それを劉は白い目で見据えた。

「笑い事ではないぞ。小説、映画、ドラマ、報道、アニメ…こうした情報は全て麻薬だ。人民は、我らが供給する麻薬だけを喜ぶようにならねばならんのだ。それを日本製のアニメなどに。日本製の子ども向けコンテンツは、完全な悪などない。完全な善などいないという内容が多い。そんなものを青少年に見せて冷静で中立的な視点などもたれたら我が国の矛盾にも目を向けられてしまう。とにかく急がねばならん。学生連中が育つのを待つのは仕方ないが、出版社や漫画編集者に同調者を育てる件は、ねばり強くかつ迅速に続けたまえ。いいね」

「はい、了解しました。次は、韓国の件です…」

 李は続けて韓国や台湾における同調者の活動を報告した。

 その最中、王淑珍が局長室に入室してきた。劉は、王に対してそのまま待つように告げ、李の報告を聞き続けた。

 李は報告しながらも、この席に王が何故呼ばれたのかと気になっていた。王という男は、たしか解放軍の参謀本部に所属していたはず。それがなんでここに…。そう思いながらも自分のすべき報告を全て済ませ、指示を受け終えると退室しようとした。ところが、劉に呼び止められる。

「紹介しよう、こちらは王淑珍だ。解放軍情報参謀本部から来て頂いた」

 李は、頷いた。「存じています。大学では同期でした」と。

「そうか、それなら話が早い。君にはこの王淑珍としばらく働いて貰いたい」

「合同ということですか?」

「そうだ。君の部門で管理している日本のメディア内同調者へのパイプを利用して、行って貰いたい作戦がある」

「それは何でしょうか?」

「それは、『門』に関わるモノだ」




 ある時期を境に、テレビや新聞の論調に微妙な変化が起きた。

 テレビのドキュメンタリーは、植民地化時代のオーストラリアの原住民のアボリジニーやタスマニア人が、植民して来たイギリス人流刑者によって殺されたり民族そのものが滅ぼされた歴史を取り上げた。

 あるいは日本国内の文明衝突という描き方で、大和朝廷とアイヌとの戦いが描かれ、大和朝廷によって圧迫を受けたアイヌの、そして明治新政府以降まで続いた彼らの苦難に充ちた生活についてを取り上げた。

 スペイン人に滅ぼされたインカ帝国。

 ローマに滅ぼされたカルタゴ。

 それらは事実を一つの目的に従って切り抜き強調し、印象づけるように作られていた。テレビで、ドラマで、クイズ番組で、週刊誌で、新聞で、様々な形で受け手の意識に昇らないよう、それとなく傾向づけられたメッセージがメディアを通じて流れ出した。

 圧倒的に有利な立場な文明が、弱い立場の民族を圧迫して滅ぼしていく。滅びていく民族の悲惨な姿を強調して描き、印象づけようとする。

 視聴者は、弱者に同情する。同情するように誘導された。

 そして強者は理性的でなければならない、抑制しないとならないと考える。抑制しないといけないと考えるように誘導された。

 飢餓に襲われたアフリカで次々と死んでいく子ども達の映像が、人々の無意識に刷り込まれる。

 ふと、振り返る。振り返ることを誘導させられる。

 我が身が加害者になりつつないか?と。

 『門』その向こう側で、自衛隊は何をしているのか?確か、敵と交戦しているはず。

 『門』の向こうでの戦闘は、以前より多くの人々の関心を惹いていた。だが、さしたる状況の進展はなく、『門』を確保して敵の来襲を撃退したと伝えられるだけであった。自衛官に被害者が出ていないため気付かなかったが、交戦による敵側の損害は?門の向こう側における民衆の被害は?

 国会で、質問に立つ野党女性議員。その質問に防衛省の政務次官が答える。

「三次にわたる戦闘で、敵側の死者はおよそ6万となります。交戦による非戦闘員の被害はありません」

 絶句する野党議員達。

 要は、敵が防備の強力な我が方に対して無謀な攻撃を繰り返した、強いて言えば日露戦争時における『二〇三高地』の逆の例でしかない。敵が馬鹿なだけだ。

 従って国民の大多数は、彼らが絶句した理由を理解できなかった。戦争で死者が出るのは当然のこと。負ければ味方が多く死に、勝てば敵が多く死ぬ。それだけである。銀座事件における被害によって怒りに駆られる国民の多くは、それを当然のこととして受け容れていた。だが、自分は理性的で、一般大衆とは一線を画していると思っている人間や、自分は他人に対して同情的な心を持っていると信じたい、『いわゆる善良でありたい』人々にとって、それは耐えることの出来る数ではなかった。




『陸上自衛隊の失態!?民間人被害者130名!?』

『政務次官の答弁に虚偽の疑い!!』

『誰も知らない特別地域での戦い。膨大な敵側戦死者の中に本当に非戦闘員は居ないのか?』

 こういった記事が毎朝新聞と旭新聞のトップを飾ったのは、それから程なくしてだった。

 テレビや新聞社の記者達が、防衛省や官邸に押し掛けて、マイクとカメラの放列を総理大臣と防衛大臣へと向ける。

 任期満了に伴い、総理大臣職を退いた今泉元総理の跡を継いだ安田総理に対して記者達の辛辣な質問がぶつけられた。

 閣僚や防衛省政務次官の汚職の発覚が相次ぎ、任命権者としての責任を追及されることが続いていた総理は、自然と回答が慎重になった。その姿がまた「返答に窮している」「言葉が重い」などという表現で報道されて、それがさらなる支持率の低下に繋がる。

 国会でも、野党による追及が始まった。

 予算委員会の席は閣僚や省庁の次官達と向かい合う形で、与野党の議員達が座っている。

 質問席に、野党の議院が立って質問を発する。その都度、担当部署の次官や大臣が前に出てきては質問に応じるのだ。

「今回報道された被害者とされる民間の被害者は、特別地域の武装勢力との戦闘によって生じたものではなく、災害によって発生したものです」

 防衛省政務次官の回答に対して、野党議員が尋ねる。

「災害とはなんですか?その災害と自衛隊との関わりは?」

「災害については、危険な猛獣によるものという報告です。ゴジ○あるいはキ○グギド○級の危険な生命体であるという内容です。その怪獣の攻撃を受けていた民間人を自衛隊特地派遣隊の偵察隊が救助するために、これと交戦するに至ったものです」

「ちょっと待ってください。ゴ○ラですか?そんな生命体が『特別地域』には生息しているということですか?」

「もちろん○ジラではありません。それに近い存在です。特地甲種害獣、通称ドラゴンと呼称しています。よろしければ、この場では怪獣と称させて頂きますが、その怪獣の身体の一部がサンプルとして、送られてきています」

「何とも信じがたい話ですがそれを信じるとして、つまり今回の事件は、自衛隊とその『通称怪獣』との交戦に非戦闘員が巻き込まれたと言うことですか?」

「違います。『通称怪獣』による襲撃を受けていた非戦闘員を自衛官が防衛・救助するために、武器を使用したものであり、その被害の全ては怪獣によるものです」

「政務次官、あなたは以前質問した時に、非戦闘員の被害はないとおっしゃった。しかし、こうした事件が発生し、これほど多くの被害者が出ているのに、全く発表されなかったのは何故ですか?」

「前回の質問の主旨は、門を確保した我が自衛隊に対する、敵武装勢力による攻撃。それに伴う、非戦闘員被害の有無についての質問であると、考えたからです」

「死亡者についてはわかりました。これほど多くの被害者が出た災害です。今後同様の事件があればその都度発表して頂きたい。それと、自衛隊が救出した人々はどうなっていますか?」

「近隣の村や町に避難したという報告です。もともと怪獣の出現により、それまで住んでいた村落を放棄して、避難する途上で怪獣に襲われたということです」

「なるほど。それで、生存者は全員が避難できたのですね。その後の避難生活について把握していますか?」

「いいえ、そこまでは。我々はまだ門の周辺をわずかに確保しただけですので、避難民達の避難後については確認できません。ただ、怪我人やお年寄り、それと身寄りのない子どもは自活しての生活が難しいという現場指揮官の判断があり、自衛隊の方で保護しています」

「なるほど、当事者がいるのですね?では委員長…」と野党議員は矛先を変えた。

「実際のところ、当事者から話を聞かないことには、報告された内容が真実かどうか確認しようがありません。『門』の向こうは危険だという理由で報道関係者や我々議員も立ち入ることも許されない有様です。それでいて、政府の一方的な報告をそのまま鵜呑みにしろと言われても、我々としては躊躇わざるをえません。そこで、当事者たる自衛官や、被災者の方を参考人として招致したいと考えるのですが…」

 実際に事件に関わった自衛官と、保護されている現地人から直に話を聞きたい。政府当局に疚しいことがないのであれば、拒絶する理由もないし、応じられるはず。このような論調で野党側は要求を繰り返した。

 野党やマスコミの追求に辟易としていた官邸および与党も、それで真実が伝わり、その攻撃をかわすことが出来るならば…ってな理由で、『現場指揮官』と『現地人代表数名』を、門のこちら側へ呼び寄せることに、なっちゃったのである。










[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 13
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:ee5a729a
Date: 2008/04/12 12:38




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 さて、その現場指揮官である。

 伊丹は、朝っぱらから運用訓練幹部の斜め前の席に座り、彼の冷ややかな視線を無視しながら携帯でお気に入りのサイトでネット小説を読んでいた。

 『門』のこちら側で携帯が利用できるようになったのもつい先日のことである。アンテナが設置されるまでは、休暇の度にわざわざ門を超えて銀座に出なければならなかったのだ。それが携帯用の共同アンテナが設置されたことで、門の向こう側と個人的なやりとりもしやすくなった。ありがたい話である。

「しばらく見ないうちに随分と更新が進んでる。おっ、これは後で保存せねば…」

 Web小説は、本屋に列ぶ小説と違ってオリジナルあり、二次作品ありと様々なジャンルを楽しむことが出来る。その数も膨大であり、全てを読むことなど不可能と言って良い。だからこそ、良い作品に出会えた時はラッキーと思う。数行読んでみてついていけないと思うと、すぐに諦めて他の作品をあさる。

 掲示板等で良作と知って伊丹が読もうとた時には、ネット上から消えている作品も少なくない。もう一度読みたいと思った時には消失している場合もある。すると、伊丹は悲しくなる。

「グランマよ、どこに行ったのだ!!」

 ちなみに現在(この時期)の伊丹のお気に入りは、GS、型月もの、ネギ、なのは、ゼロものである。クロスものも好んでよく読む。ちなみに上記が、なんのことだか解らない人はいないとは思うが、解らない場合は無視してよろしい。

「あ~二尉、聞いてます?」

 伊丹は、斜め後ろからかけられる声を聞き流そうと努力した。通りのよい女声であるのだが、耳に入らない。今は休憩中につき、仕事に関わることはあんまり耳にしたくないという意思表示のつもりだった。

 だが、「うほん、おほん」という運用訓練幹部(中隊参謀みたいなものだと思えばよい)の咳払いが、伊丹を小説に没頭させてくれない。こんな時は、出来れば個人の執務室が欲しいなと思う。

「二尉」

「ぐおっ!」

 それは、響きとしても音量としても普通の声であった。だが、伊丹の下腿に激痛を発生させていた。音声が他人を害することが出来るのか?この世界では音声に攻撃能力が与えられるのか?
 そんな風に思いつつ振り返ると、栗林と黒川が胡乱な目で伊丹を見ていた。漫画的表現で言うジト目という奴である。ちなみに、伊丹の下腿に激痛を発生させたのは栗林の半長靴のつま先だった。

 武道有段者の拳やつま先は凶器も同然である。まして栗林は格闘徽章持ちだ。それを無抵抗な人間に対して振り回すなどはたして許されるのか。こんな悪逆非道を許してもいいのかと思いつつ、目撃者であるはずの運用訓練幹部に視線を送ると、彼は視線を窓の外に向けてくつろぐ。伊丹の味方はどこにもいないようだった。

「話を聞いてくださいませんか?」

「俺にぃ?」

 黒川の言葉に、伊丹は携帯電話をパタンとたたんで机の引き出しに放り込むと椅子ごと振り返った。

 伊丹は自己を呼ぶ際「僕」と「俺」の両方を気まぐれに使う。本人はそう思っている。だが実際に「俺」を使うのは、身構えていない時、調子に乗ってる時、気の乗らない時が多い。気怠そうな口調で「俺なんかに相談してもしょうがなかろうに」と呟く姿に、今の彼の心情がとてもよく表れていた。

「で、なによ?」

 伊丹が背もたれに体重をかけると、事務用椅子がキィと音を立てる。

「テュカのことです」

 伊丹達が保護している避難民の一人で、金髪碧眼のエルフ娘、テュカ・ルナ・マルソーのことだった。

「彼女がどうかしたのか?」

「実は…」

 黒川によると、「彼女はおかしい」という。
 どうおかしいのか、具体的には食事をかならず2人分要求する。支給品類も衣服など必ず2人分要求する。居室も2人用を一人で使用している。最初はそういう文化なのではないかと思ったので黙ってみていた。だが、どうもそうではないのではないか?

「個人的に欲張りなだけとかじゃないの?エルフが食欲魔神っていう設定だとか?」

「違います。食事だって2人分っていうのは、2人分の量ということではなく、つまり食器を2セットの2人分を要求するということなんです」

 栗林が記録を捲りながら言う。

「うん?誰かに、食べさせてるとか?ペットを隠れて飼っているとかはどうだ?」

「1セット分は、手をつけずに必ず廃棄してます。衣服類だって、彼女が余分に請求するのは必ず男物です。」

 これには、伊丹のカンに障るものがあった。チクとした頭痛と共に、深いところに鎮めたはずの記憶が呼び起こされそうになる。

「ふ~ん。で、理由を尋ねてみたか?」

「言葉がうまく通じてないので、よくわからないのですが、一番言葉のわかるレレイちゃんに同席して貰って尋ねてみました。どうして食事を残すの?って」

「そしたら?」

「彼女にも『わからない』『食事時に』『いない』という答えでした」

 沈黙の時間が流れる。その間に、『誰か』と同居しているつもりなのでは?という考えが浮かんだ。

「もしかして、脳内彼氏でも飼ってるとか?」

 伊丹は茶化すように言った。だが、黒川や栗林は、伊丹が期待したような反応は示さなかった。脳内彼氏、あるいはそれに類似する存在を彼女らも疑っていたのだ。しかも、彼女の場合は保護された経緯が経緯だ、深刻な事態が予想される。

「はっきり言って、それならば良いのですが」

 黒川が心配そうに呟いた。

「医官には相談したか?」

「精神科医はこちらに来ておりません。それに、『亡くなった家族を一定期間、生きているかのように扱う』という文化の存在も否定できませんわ。なにが正常で、何が異常か、わたくしたちだけで勝手に判断するわけにも参りません」

「それならレレイの師匠……カトー先生に尋ねてみてはどうだ?あの爺さんなら詳しそうだ」

「尋ねてみました。わたくしたちとほぼ同じような見解を抱いているようでしたわ。カトー先生によると、彼女は『エルフ』という種族の中でも、さらに稀少な存在だそうです。『珍しい』『知らない』という答えでした」

 現段階でも意味の判明している語彙は多くないので、微妙な言い回しが難しいのだ。『理解ができない』『情報がない』『自分には推測できない』…など各種の単語がみんな「知らない」という単語になってしまうのだ。このあたりはもっとコミュニケーションを進めて理解を深める必要があった。

「やっぱし、ハイ・エルフだったかぁ」などと、つい興味が先に立ってしまう。だが、そんなことはどうでもいい。「彼女と、よく話してみろ。彼女がいないはずの誰かを居ると思いこんでいるのか、それとも居ないのは承知してるが、あえてそう振る舞っているのか…」

「もちろん、そう致します。でも、わたくしとしては正直言って判断に困っています。あまり、うち解けてくれないので」

 これには、伊丹も首を傾げた。第3偵の凸凹WAC。そのなかでも黒川は避難民の子ども達には絶大な人気を誇っていた。結構、勝手な振る舞いで周りを困らせる黒い神官少女(レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」だと言う)ですら、黒川の言葉には割と素直に従うのだ。

 視線を栗林に向ける。

「わ、わたしには、そんな感じは無いです。だいいち、わたしにはカウンセリングとか出来ません。こころのこととかよく判らなくて…」

 確かに、このちびっ娘爆乳脳筋女は拳で語り合った方が早いタイプだ。『こころ』などという繊細な問題をこいつに扱わせるのは、脳外科手術をのこぎりでやるようなもんだと理解した伊丹は頷く。

「わかった。後で俺も話してみる。ったって、俺だってうまく意思疎通できるかわからんけどな」

「最近は、子ども達のほうが日本語を憶えてきています。きっと、わたくし達がこちらの言葉を覚えるよりも早いと思いますわ」

 伊丹は、テュカは子どもではないだろうが…と指摘しようとしたが、会話がここまで進んだところで、廊下から桑原曹長の声が聞こえてきた。

「二尉、そろそろ時間です。黒川、栗林、お前等も早く来い」

「あ、はい」

 いそいそと栗林らは廊下へと出ていった。

「武器搬出!!」の号令と共に、522中隊の隊員達が、小隊毎に列を作って武器庫へと入っていく。整然と銃架に列んだ小銃と銃剣、拳銃を抜き取っていく。第3偵の面々もこの行列の後に続いて、銃を取り出していった。

 建物を出て『舎前』で彼らは64小銃の消炎制退器を一回転させて締め直す。座金がのびないようにするため、銃架にしまう際にゆるめてあるからだ。これによってゆるゆるだった二脚や剣止めもしっかり固定されることになる。

 さらに、黒ビニールテープを持ち出して、部品が脱落しないように要所要所へと巻き付けていく。実戦である。乱暴な扱い…例えば銃剣格闘もありえるので、わりと念入りにしないといけない。

 二脚を立てて隊毎に銃を並べ置き、銃剣を腰に下げる。銃剣は、すでに実戦仕様として刃がつけられていた。グラインダーで削りあげただけの刃だが、ザラッとしていてかえって良く切れそうだった。

 隊員達が集まって座り込み、配布された弾を弾倉へと込めていく。弾倉は各位6個。20発×6個で一人あたり携行は、120発。手榴弾も配られる。

 ミニミを預けられている古田陸士長が、金属製ベルトリンクで繋がれた5.56ミリ弾を箱弾倉に折り畳むようにして丁寧に入れている。

 勝本が自分の小銃の他に、受領してきたパンツァーファウストⅢを3個、軽装甲機動車(LAV)に積みこんでいた。これでないと特地甲種害獣、通称ドラゴンに効果的な攻撃が出来なかったことから、携行数を増やすことになったのだ。

 軽装甲機動車(LAV)搭載の12.7ミリ銃機関銃を笹川が「通・徹・通・徹・曳・通・徹…」等とぶつぶつ言いながら操作している。弾の帯には黒く塗装された徹甲弾の割合が非常に多くなっている。

 そして、予備の弾や各種物資の積み込み作業を終えて全員それぞれが武器を携行すると、隊形の確認を行う。

 桑原曹長の号令で、横に、縦に、方陣に隊形を素早く組む練習だ。間隔を広げたり、密集したりを素早く行う動作も確認する。それぞれが連携し、警戒を担当する方角の確認も徹底する。一人が欠けたら、誰がそれをカバーするのか、どう対処するのかも個々人は十分に理解しているはずだが、それでもなお繰り返して確認する。

 このあたりが、新旧・テレビ版等の戦国自衛隊を見て研究した成果なのかも知れない。強力な火器を有した自衛官達が次々と倒れていくのは、ほとんどが味方からはぐれて孤立し、無数の敵に取り囲まれてしまうことが理由として描かれていたのだ。結局の所、協同連携、相互支援が鉄則ということになる。

 こうして準備を終えた伊丹達は、整列し伊丹の号令で小銃に弾倉を取り付けた。装弾、装填、閉鎖を確認し、最後に安全装置が『ア』に位置にあることを確認する。

「海自では『合戦用~意!』とか言うらしいんだが…」

 凛とした雰囲気の中、伊丹の気の抜けたような言葉に一同脱力する。

「どっちかって言うと、元ネタはアニメでしょうに?」

 と、出所不明(但し女声)のつぶやきが妙に響いた。

「とにかく、営門を出たら危険地帯ってことになってる。それなりに気を張ってくれ」

 こうして、彼らはアルヌスの丘を出て仮設住宅のならぶ難民キャンプへと向かうのである。




 難民キャンプの住民は現在の所25名である。コダ村出身者は23名。エルフの村落出身者が1名。それと途中から紛れ込んできた神官少女1名である。

 建物そのものは所謂プレハブ建物であるが、後の増加の可能性も考慮して4人家族用、10世帯分が用意されていた。とは言ってもそれぞれの家に住む彼らに家族・親族という関係はない。だが同じ村落出身が理由なのか大人が子どもを、年長者が年下の面倒をみるという形で共同生活が成立している。

 電気もガスも水道もないが、この世界ではもともとそう言うライフラインなど存在しないのが当たり前なので、誰一人として困っていない。水は、近くの泉まで子ども達が水瓶を抱えて汲みに行き、下水排水関係は、キャンプの片隅に穴を掘って処理している。衛生の問題があるので汚物等はさらし粉等で処理し、飲み水は伊丹達がペットボトルを運んでいた。

 糧食関係は、一日3食のうち、昼と夕食の2回を伊丹達が供給している。

 朝食については食材を届けておくと彼らが自分たちで調理する。実際は、それでは不足するので子ども達や老人達が森の中に入って野草などの食材を探してきて食べている。昼食はもっぱら戦闘糧食Ⅱ型である。夕食はキャンプ内にしつらえた竈で、古田ら隊員達と子ども達がわいわい言い合いながら作っている。

 やろうと思えば、毎食を供給することも出来るのだが、彼らの自立心を損なう可能性があるので自衛隊側からの支援は、自助努力を支援するという方針でなされていた。これはイラク派遣以来の自衛隊支援活動の根幹となる精神でもある。彼らの共同生活の運営が良好なら、食事も三食自炊を目指す。さらに何か職業を得て、衣食については自弁できるようになることが理想だ。

 とは言っても、住民の構成はお年寄り女性2人、男性1名。
 怪我をしていた中年代の女性2人、男性1名。ちなみに3人とも骨折を含むので、年少の子ども達の面倒をみることは出来ても、労働は難しい。現在療養中。

 あとの19人は、子ども達であった。否、外見から子ども達と思われていた。

 ところが比較的意思疎通が早くできるようになったレレイという少女からの聞き取りによると、まず黒い神官少女とエルフの少女、レレイが子どもではないらしい。だから、16人が子どもになる。

 では、それぞれの年齢なのだが黒い神官少女については恐くて聞けない。レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」と言うことである。具体的に数字を尋ねようとして通訳を求めたら無表情のレレイがわずかに顔を引きつらせて、プルプルと首を振って嫌がったくらいなのである。

 ちなみにレレイ自身は『15』と言うことであった。この世界では大人と分類されるようだ。

 エルフが長命種であるというのはファンタジーによくある設定なので、理解しやすい。テュカは『165』という数字を示した。

 こうしてみると数字についての理解がスムーズに出来たように思われるが、これも結構手間がかかってしまった。

 レレイの場合、彼女は親指の先と人差し指の先をくっつけ中指を一本だけ立てた。OKサインの薬指小指をたたんだサインである。その後、親指を立てて拳を作るサムズアップサインが示した。
 これが15を意味するのだが、当然の事ながら日本のそれと所作が異なるため、結局小石を並べて、1個が人差し指1本、5個だと親指を立てる、10だと親指と人差し指で丸を作る…といった法則を確認する必要があったのである。

 こうした方法を組み合わせることで、実に片手だけで69まで数えることが出来るという仕組みだった。ホントはもっと数えることが出来るようであるが、指が攣ってしまったのと同時に実用性に欠けるので、確認が後回しになっている。実際、レレイが日本語で数を数えることが出来るようになるのと、アラビア数字の表記法を憶える方が早かった。

 伊丹達が、キャンプに到着すると、レレイや子ども達が迎えてくれる。とは言っても黒川が出ていくと、小さな子ども達はみんな彼女のほうに行ってしまうのだが。

 隊員達が、飲料水、食材、医薬品、戦闘糧食、日用品等を降ろす。

 そのかわり年かさの男の子が白い帆布製の、枕ほどのサイズの袋を2つ、高機動車に積みこんだ。結構重そうだ。そして、その少年にレレイとテュカの2人が声をかけつつ、高機動車に乗り込む。

 レレイは貫頭衣姿。浅茶色の生地にインディオ風の模様が入っていた。それと革製のサンダルという服装。手にしたくすんだ色の杖を立てている。
 それに対しテュカは細い体躯を緑のTシャツにストレッチジーンズに、バスケットシューズという出で立ちで包んでいた。尖った耳さえなければ、アメリカ西海岸あたりの女子高生と言っても通じそうな印象だ。そんな格好でアーチェリーと矢を抱えている。

 荷物運びをした男の子はそのままキャンプへと戻った。彼の行く先では、年かさの少年や少女達が集まって働いていた。

 アルヌスの丘の麓には、高射特科によって撃墜された翼竜の死体が無数にころがっている。カトー先生によるとその竜の爪やら鱗やらはその強靱さから高級武具の材料となる。そのために大変な貴重品らしい。それなりの価格で取り引きされるというので、子ども達に勧めて、朽ちかけた死体から鱗や爪を剥ぎ取らせて集め、肉や汚れを綺麗に落として乾燥させている。これが継続的な収入に繋がるなら事業として成り立つかも知れない。そうなれば彼らの自立を助長することもできるはずだ。

 これを今回初めて、レレイとテュカが街へ売りに行くのだ。ロゥリィという名の神官少女も何が目的かはわからないが、乗り込んでくる。ロゥリィは相変わらず漆黒のゴスロリドレスで、手には見た目も重そうなハルバートを抱えていた。

 伊丹達は商取引の様子や街の住民達の反応を観察できるし情報収集のチャンスなので、足の提供ついでに彼女たちに随行する。さらに、地元の商人が何に興味を示すかを見るためと称して柳田からいくつかの『商品サンプル』を持たされている。

 ちなみに、戦死した連合諸王国軍の兵士達、あるいはそれ以前に攻撃してきた帝国軍将兵の鎧や持っていた武具、財布などは、自衛隊によって彼らごと土中に埋葬されている。

 これをもし集めたら膨大な財産…金融機関のない世界で兵士は受け取った俸給を身につけて歩くものだし、身分の高い騎士やら貴族やらもいる…となるはずだが、倫理的にいろいろあるので自衛隊としては手をつけていない。実は、この配慮が流通貨幣の大量消失という形で帝国と周辺諸国に、ちょっとした経済的打撃を与えるのだが、それがわかるのも後々のことであった。

 また主を失ってあちこちうろうろしていた馬も、集められる限り集めてある。これも動物愛護団体からのクレームを恐れてのことだが、膨大な数の馬の飼い葉をどうするかが深刻な問題となりつつあった。敵方の遺棄物資に馬用の飼料があったためにこれを与えているが、無くなるのは時間の問題。アルヌス周辺は荒野、少し離れて森なので馬に食べさせる牧草がどこにもないのだ。

 こうした馬の引き取り手を捜すことも、伊丹の任務の一つとしてさりげなく付け加えられていた。









[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 14
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:0221b82f
Date: 2008/04/19 18:55
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 少年少女達が数日ほど働いて翼竜2頭の屍体からあつめた『竜の鱗』は、200枚程になった。『竜の爪』は3本である。
 これでも欠けたり、折れたり、傷ついたり、あるいはサイズが小さかったりで使い物にならなさそうなものを取り除いたのである。それでもこの数になった。

 アルヌスの丘に散在する翼竜の屍体全てをあさったら、どれほどの鱗が収穫できるかと考えると、カトー老師を始めとした避難民達は、大人も子どもも目眩がしそうになって皆、額をおさえてしまった。

 最初は「自活しろ」というような意味のことを言われて、避難民達は悩みで頭を抱えた。

 住む場所を手に入れるにしても、食べるために畑を耕すにしても、木を切るにしても、狩猟をするにも、年寄りと怪我人と子どもとばかりでは無理だからだ。レレイやテュカあたりは、本気で身を売るしかないと思ったくらいだ。(ロゥリィは、のほほんとしていたが…)ところが、「手助けはする」と言われて、食材は届けられるし、家は建ててもらえるし、何か仕事になりそうなことはあるかという話をしているうちに、価値があるモノなら好きにして良いと、アルヌスの丘に散在する翼竜から鱗を集める権利を与えられてしまったのである。(彼らはそう認識した)

 それはもう、財宝の山を前に「好きなだけつかみ取りしてよい」と言われたようなものだった。「いいの?ホントにいいの?」である。
 でも、悲しいことに小市民である。両手、ポケット、懐に収まる範囲までなら、これでアレを手に入れて、服を新調して…等々と使い道を考えられるが、もっと取れ、全部残さず取れ…などと言われると、これまで慎ましい自給自足な生活を送ってきた村人や子ども達にとって、想像できる範囲を超えてしまう。

 竜、あるいは龍の鱗とはそれほどのものなのである。




 竜の鱗にはいくつかの種類がある。市場で取り引きされる際にはその種類や状態でグレードの分類がなされていた。

 最上級とされるのはやはり古代『龍』の鱗であり、美品であればその一枚で、スワニ金貨10枚ほどの値が付くと言われている。もし赤い炎龍の鱗で出来た鎧などがあれば、(加工も、とても難しいため)それは神話級の宝具として国が買える価格で取り引きされることになる。「あれば」の話だが。

 それに次ぐのが新生龍のものである。だがこれらの二種は市場で出回ることは「ほとんど」あり得ない。かつて説明したように、人の手で『龍』が狩られることはないからだ。もし人の手に入ったとすれば、それは古代龍や新生龍が脱皮したことによってうち捨てられた鱗を集めたものである。実際、いくつかの英雄譚や神話には炎龍の鱗から作られたと言う鎧が登場し、現物が戦神の神殿に祀られている。

 さて、翼竜の場合は、兵科として竜騎兵を採用している国では安定的に入手できることに加えて、一枚一枚のサイズも比較的に小いために、ぐっと値が下がって現実的な価格で取り引きされている。鱗一枚の相場がデナリ銀貨30~70枚といったところだ。

 デナリ銀貨1枚とは、慎ましく暮らせばヒト一人5日は食べられる額である。従って、今回の200枚を取り引きしただけでも、レレイ達は結構な金持ちになれる予定であった。

 もちろんこれだけの品物を売るためにはそれなりの相手を選ばないといけない。
 とにかく安全に現金で決済したいので、レレイとしては大店(おおだな)を取引相手として選びたかった。しかし大店の店主が突然やってきた小娘を、はたして相手にしてくれるかが心配…かといって小規模の店では支払う金が無いと、掛け売り(代金後日払いのこと)を求められてしまうだろう。手形や為替の類は、いくら賢者と言えどもわからないというのが、レレイの正直な心情だった。

 幸い、老師カトーの旧い友人に商人がいるということで、少しばかり遠いがその人のところまで赴くことにした。往復路についてはすこぶる頼りになるジエイカン達がついてくれるだろうし…と、レレイは伊丹達の顔を見る。

「ん?何かな?」

 視線のあった伊丹に問われ、レレイは無表情のまま「別に」と言う意味のことを答えた。

「で、そのリュドーという人は、どこにお店を構えているの?」

 付き添ってくれるハイ・エルフのテュカがロゥリィとともに問いかけてくる。レレイは要点のみを過不足無く伝えた。

「イタリカの街。テッサリア街道を西、ロマリア山麓」




「テッサリア街道、ロマリア山、それからイタリカの街…っと」

 桑原曹長が航空写真から起こした地形図に、名称の判明した地物について書き込みをしている。今回の行動では、レレイから様々な地名を聞き取ることが出来、アルヌス周辺の地形図について言えば、ほぼ完成と言って良い状態になりつつあった。

「なるほど、アッピア街道に、ロマ川、クレパス平原、デュマ山脈か…」

 レレイも近辺の地形を詳細に描き出している地形図に興味津々と言った様子だった。レレイの知る地図とは、山や川や湖を描いて、だいたいの位置関係が合っていれば上等とされる品物のようだった。それが、非常に細密に描かれた地図があるのだから興味を持つなと言っても無理だろう。レレイは自分の知っている場所が地図上にあることがわかると、次々と指さして名前を教えてくれた。そして、さらに彼女が興味を示したのが方位磁石である。

 桑原が地図と実際に自分たちの向かっている方角を過たずに一致させる秘密が、ここにあるらしいとレレイは感づいたようだった。

 御歳50歳の桑原は、「この世界の北極と磁北極のずれはどの程度なんだろう?」などと思いつつ、レレイを我が娘をみるような気分で磁石の取り扱い方を教えていた。まぁ、実際には走行している高機動車の中でのこと、方角は小刻みに変わり、磁針そのものも揺れ動いて、正確に扱うことなど出来ないのであるが…。

「鬼の隊付曹長が、可愛い女の子相手には相好を崩しちゃってまぁ」

 バックミラーに映る桑原の姿をチラと見て、倉田はボソッと呟いた。

 一般陸曹候補学生の前期課程で、『死ぬまでハイポート』(小銃を「控えつつ」したまま走ることと思って貰えばよい。似た体験をしてみたければ、4キロの鉄アレイでも抱えてマラソンすることをお勧めする。ただし『抱えて』である。ぶら下げて、ではない)をさせられた経験が、なんとも言えない恨み辛みとして倉田の心中には積もっていた。それが、孫娘を愛でる爺さまのような姿を見せられて、なんとも霧散してしまうのだ。

 ロゥリイは、テュカとなにやら話をしていた。
 だが現地語で、しかも早口だから伊丹達には到底理解できない。ただ、なんとなくテュカがロゥリィにからかわれているのは理解できた。最後には、テュカがぶすっと頬をふくらませて黙り込んでしまった。それを見たロゥリイが、いたずらっぽい笑みを浮かべて、黒川に視線を送る。そして、何か言おうとするのだが、その途端にテュカは顔と細長い耳を真っ赤にして止めさせようとするのだ。

 見ているこちらとしては「何だろね?」という気分だ。

 テュカの慌てる様が楽しいらしく、ロゥリィはなんとも楽しそうにほくそ笑んでいた。レレイに「年上の年上の年上」と言われるだけあって、165歳のテュカであっても、子ども扱いされてしまう格の違いがそこはかとなく感じられた。

「伊丹隊長、右前方で煙が上がってます」

 運転している倉田が、右前を指さした。

 ほぼ同様の報告が無線を通じて、先頭を走る車両からも入ってくる。

 伊丹は、双眼鏡で煙の発生源あたりを観察してみるが、まだ距離があって確認するのが難しい状態だった。車列を止めさせて倉田に尋ねる。

「倉田、この道、煙の発生源の近くを通るかな?」

「というより煙の発生源に向かってませんか?」

「いやだよぉ。前方に立ち上る煙って二回目だろ?どうにも嫌な予感がするんだよねぇ」

 次いで、伊丹は桑原に意見を求めた。

 桑原は地形図を参照して、煙の発生源あたりに、カタカナで『イタリカ』と記入された街が存在していることを示した。テッサリア街道を進む車列は、当然のことながらイタリカへと向かっている。

 次に、伊丹はレレイに双眼鏡を渡して意見を求めた。

 レレイは、双眼鏡を前後逆さまにに構えてしまい眉を顰めたが、直ぐに間違いに気付き双眼鏡を正しく構えると前方へ向けた。

「あれは、煙」

 レレイは、日本語でそう答えてきた。

「煙の理由は?」

 聡いレレイは、伊丹の質問意図に直ちに理解した。

「畑、焼く、煙でない。季節、違う。人のした、何か。鍵?でも、大きすぎ。あなたを犯人です?」

「『鍵』ではなくて、『火事』だ。それと最後のはよくわかんねぇ…」

 単語の過ちを訂正しておいて、伊丹は思索し、指示を下す。

「周囲への警戒を厳にして、街へ近づくぞ。特に対空警戒は怠るなよっ」

 桑原と黒川が銃を引き寄せた。それぞれ左右に目を配り出す。テュカは黒川に列び、レレイは桑原と列んで一緒に周囲を警戒する。そして車列は再び進み始めた。

 ロゥリイは、伊丹と倉田の間に身を乗り出してきて、「血の臭い」と呟きながら、なんとも言えない妖艶な笑みを浮かべるのだった。





    *      *





 イタリカの街は、200年ほど昔に当時の領主が居城を建設し、その周辺に商人を呼び集めて、城壁を巡らして作り上げた城塞都市である。

 当時は政治上、そしてテッサリア街道とアッピア街道の交点という交通上の要衝として大きく発展したのだが、帝国が発展するに連れて政治的な重要性が薄れ、現在は中くらいの地方商市といった程度におちついている。これといった特産品などもないが、周辺で収穫された農作物、家畜類、あるいは織物等の手工業品を帝都へと送り出すための集積基地としての役割を担っている。

 現在は、帝国貴族のフォルマル伯爵家の領地である。

 フォルマル伯の当主コルトには3人の娘があった。アイリ、ルイ、ミュイである。末娘のミュイをのぞいた2人は、既に他家に嫁いでいた。コルトとしては、末娘のミュイが成長したら婿を取らせて跡継ぎにしようと考えていたようである。

 ところがミュイがいまだ独身のままコルトとその妻が事故死してしまったことから、街の不幸が始まった。

 長女アイリはローウェン伯家、次女ルイはミズーナ伯家とそれぞれに嫁いだ家がある。従って相続についての権利は、ミュイに劣る。それが帝国の法であって争いなど生じる余地はない。しかし、末妹のミュイがいまだ11歳であったことから、どちらが彼女を後見するか…則ち実権を握るかで争いが生じてしまったのである。

 長女と次女の間での冷静な話し合いが次第に熱を帯びてきて、ついに醜い罵り合いとなった。末妹は間に挟まれておろおろするばかり。2人の罵りあいは、爪を立てての引っ掻き合い、髪の掴み合いに発展し、これを鎮めようとしたそれぞれの夫を巻き込む大騒動となった上に、挙げ句の果てにはローウェン伯家とミズーナ伯家の兵が争うという、小規模紛争となってしまったのである。

 それでも双方の諍いは無制限に拡大することはなかった。それぞれの兵力がさして多くなかったこともあるし、それぞれの夫が妻ほど頭に血が上っていなかったことも理由としてあげられる。

 領内の治安はフォルマル伯家の遺臣と、ローウェン伯家とミズーナ伯家の兵によって厳正に保たれ、商人の往来は保護され、領民達の生活も脅かされることもなかった。
 イタリカの価値は交易にあり、これを荒廃させてしまえば、利益を得るどころではなくなってしまうということを誰もがよくわきまえていたからである。

 こうして事態は膠着化する。姉妹の争いは帝都の法廷へと移り、やがて皇帝の仲裁によってミュイの後見人が決するであろうと誰もが予想していた。

 しかし、帝国による異世界出兵が事態をさらに悪化させた。

 ローウェン伯家とミズーナ伯家、それぞれの当主がそろって出征先で戦死してしまったのである。これによっアイリもルイも、フォルマル伯爵領に関わっている余裕が全く無くなってしまった。ローウェン伯家もミズーナ伯家も兵を退いてしまい、あとに残されたのはミュイとフォルマル伯家の遺臣だけである。

 幼いミュイに家臣を束ねていく力などあるはずもなく、領地の運営も惰性でなされるようになった。心ある家臣が存在する以上の確率で、私欲に素直な家臣が存在し、気が付けば横領と汚職が横行し、不正と無法がはびこっていた。

 民心はゆれ動き、治安は急激に悪化する。

 各地で盗賊化した落伍兵やならず者が、領内を旅する商人を度々襲うようになり、これによって交易は停止しイタリカの物流は停滞してしまう。

 さらに盗賊やならず者達は徒党を組んで、大胆且つ大規模に村落を襲撃するようになった。数人の盗賊が、十数人の盗賊集団となり、現在では数百の規模となった。そしていよいよイタリカの街そのものへが盗賊達に襲撃されたのである。






 街の城門上に陣取って、弓弦を鳴らしていたピニャは、退却していく盗賊達の背に向けて数本の矢を放ったあと、大きなため息をついて弓矢を降ろした。

 周囲には傷ついた兵が、のろのろと立ち上がり、あるいは倒れた兵士が血を流している。石壁には矢が突き刺さり、周囲では煙が立ち上っていた。見渡すと、農具や棒をもった市民達も多い。

 城門の外には、盗賊達の死体や馬などが倒れている。

「ノーマ!ハミルトン!怪我はないか?」

 破られた門扉の内側にある柵を守っていたノーマは、大地に突き立てた剣を杖のようにして身体を支え、肩で息をしつつ、わずかに手を挙げて無事を示した。それでも、鎧のあちこちには矢が刺さっていたり、剣で斬り付けられたような跡が付いている。

 彼の周囲は激戦であったことを示すかのように、攻撃側の盗賊と、守備側の兵士の遺体転がっていた。

 ハミルトンに至っては既に座り込んでいた。

 両足おっ広げて、なんとか後ろ手で身体をささえているが、今にも仰向けに倒れ込みたいという様子。剣も、放り出していた。

「ぜいぜい、とりあえず、はあはあ、何とか、はあはあ、生きてます」

「姫様。小官の名がないとは、あまりにも薄情と申すモノ」

「グレイっ!貴様は無事に決まってるだろう。だからあえて問わなかったまでだ」

「それは喜んで宜しいのでしょうか?はたまた悲しんだほうが良いのでしょうかな?」

 堅太りの体格で、いかにもタフそうな40男が少しも疲れた様子も見せず、剣を肩に載せていた。
 見ると返り血すら浴びていない。剣が血に染まっていなければ、どこかに隠れていたのではと思いたくなるほど、体力気力共にまだまだ大丈夫という様子だった。グレイ・アルド騎士補である。一兵士からのたたき上げで、戦場往来歴戦の戦人であった。

 ピニャの騎士団は、構成する騎士の大部分が貴族出身である。しかも騎士団としての実戦経験が無いため、こうしたたたき上げの兵士を昇進させ実戦上の中核としていた。
 帝国では兵士が騎士(士官)になる道は著しく狭い。だが、一端通ってしまうと士官としての待遇に差別はなかった。これには、自分たちは戦功著しい優秀な古参兵と、同等の能力を有しているのだという貴族側の自負心がある。能力で昇進してきた者を、出身を理由に粗略に扱うような者は、自分の能力に自信がなく、家柄にしか頼るものがないだけであると評価されてしまうのだ。

「姫様、何でわたしたち、こんなところで盗賊相手にしてるんですか?」

 ハミルトンは責めるような口調で苦情を言い放った。いささか無礼ではあるが、言わずにいられない気分だった。

「仕方ないだろう!異世界の軍がイタリカ攻略を企てていると思ったんだからっ!お前達も賛同したではないか?」

 アルヌス周辺の調査を終えて、いよいよアルヌスの丘そのものに乗り込もうとしたところ、ピニャらの耳にひとつの噂話が入った。

 それは「フォルマル伯爵領に、大規模な武装集団がいる。そしてイタリカが襲われそうだ」というものだった。

 それを聞いたピニャは、アルヌスを占拠する異世界の軍がいよいよファルマート大陸侵略を開始したと考えたのである。「分遣隊を派遣して、周辺の領地を制圧しようという魂胆か?」…と考えた。

 ならばこちらとしても考えがある。ピニャとしては、やはり初陣は地味な偵察行より、華々しい野戦がいい。丘の攻略戦では大敗を喫したが、野戦ならばという思いもあった。だからアルヌス偵察は後に回し、麾下の騎士団にイタリカへの移動を命じつつ、自分たちは先行したのである。

 どのような戦法をとるにしても、敵の規模や戦力を知らなければならない。もし、敵の戦力が少なければイタリカを守備しつつ、その後背を騎士団につかせて挟撃することも出来るとも考えていた。

 ところが、実際にイタリカに到着してみれば、イタリカの街を襲っていたのは大規模な盗賊集団だった。しかもその構成員の過半が、『元』連合諸王国軍とも言うべき、敗残兵達であったのだ。

 これに対して、イタリカを守るべきフォルマル伯爵家の現当主(仮)はミュイ11歳。

 彼女に指揮がとれるはずもなく、兵達の士気は最低を極めていた。かなりの人数が脱走し、残った兵力も極わずか。

 ピニャとしては落胆するしかなかったのだが、黙って見ていると言うわけにもいかない。伯爵家に乗り込むと身分を明かし、有無を言わさず伯爵家の兵を掌握するとイタリカ防戦の指揮を執ったのである。

「とりあえず3日守りきれば、妾の騎士団が到着する」

 実際は、もう少しかかるかも知れないとは言えない。

 ピニャのその言葉を信じた街の住民や伯爵家の兵達は力戦奮闘した。だが敵も落ちぶれたとは言え元正規兵であり、攻城戦に長けていた。

 街の攻囲こそされないものの堅牢なはずの城門が破られ、一時は街内へと乱入されかかったのである。とりあえず、街の住民達が民兵として農具をかざして力戦したからこそ、第1日目をなんとか戦い抜けたのだが、正直、後少しで負けるところであった。

 物心共に被害も甚大だ。

 少なかった兵はますます少なくなり、民兵も勇敢な者から死んでしまった。残された者は傷つき、疲れている。こうしてわずか一日にして、兵や住民達の士気は下がりきってしまった。そして、ピニャには彼らの士気をあげる術が、どうにも思いつかない。

 これが、彼女の初陣の顛末であった。








[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 15
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:c4038667
Date: 2008/07/29 21:28




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 ピニャ・コ・ラーダは、皇帝モルト・ソル・アウグスタスとその側室…いわゆる『お妾』であるネール伯爵夫人との間に生まれた。

 モルト皇帝の公認の子供は8人いる。その中では彼女は5番目の子で、女子としては3人目であった。ちなみに、非公認の隠し子も含めると彼女の兄弟姉妹は12~15人前後に増えるのではないかと言われている。

 皇帝から実娘として公認されているため、ピニャには皇位継承権がある。しかし、順位としては10番目(皇帝の弟達が彼女より上位にいる)になるため、皇位継承者としての彼女の存在が意識されることは、ほとんどなかった。適当な年齢に達すれば外国の王室か、国内の有力貴族に持参金を抱えて嫁に入り、目立たないが優雅で気楽なサロン生活が送れる身分なのだ。

 彼女の存在が宮廷のサロンで目立つのは、政治的な意味合いよりも彼女の個性に発する部分が大きかった。幼少の頃は、常に何かに苛立っており、落ち着きに欠け、過激な言動といたずらをしては周囲を困らせることが多かったのだ。

 それがどうにか落ち着きだしたのは12歳頃、貴族の子女らばかりを集めた、『騎士団ごっこ』をはじめてからである。

 まことしやかに流布している風説によると、女優ばかりが出演する歌劇を見て、その華やかさに影響されたからだと言われている。もちろん真偽のほどは確かではないが、この時期に何かきっかけとなる出来事があったことだけは確かなようである。

 帝都郊外にある古びた、しかし堅牢な建物を勝手に占拠すると、子分とも言える貴族の子女を集めて集団生活を始め、彼女なりの軍事教練らしきものを始めたのである。そこは貴族の子弟、しかも14~11歳の子ども達のすることだ。おままごとのような集団生活と軍隊ごっこであって、衣食住の全てに置いて散々な失敗の繰り返しだった。それでも、そうした失敗も含めた何もかもが新鮮で、楽しいものとして子ども達は感じていたようである。

 子ども達を心配して様子を見に来た大人達は、彼らの楽しげな様子を見て安堵しつつも、やがて飽きて、親が恋しくなって帰ってくるだろうと温かく見守ることにしたのだった。
 実際に、子ども達も2日ほどたつと笑顔で帰ってきて、親たちは「楽しかったかい?」と温かく出迎えたのである。

 ピニャの、天賦の才能はこの時期に開花を始めた。それは自己を含めて、仲間の力量を過不足無く見極めることが出来るということにあった。

 彼女には、仲間達が2日程度で飽きてしまい、3日を過ぎたあたりで帰りたがると言うことが見えていたようである。そこで彼女は仲間を全員一度帰宅させた。これならば「楽しかったねぇ」という気分のまま帰ることも出来る。そして、それは第2回騎士団ごっこへと繋がる。

 1週間ほどあけて、第2回騎士団ごっこが開かれた。

 兵舎として使われたのは、前回と同じ建物であったが、今度は料理人や小間使いを巻き込んでのごっこ遊びで、衣食住の環境は確実に改善されていた。これを見た子ども達の親も、そして子ども達自身も内心安堵したことだろう。
 こうして、彼らの騎士団ごっこは、遊びとして周囲から温かい目で見守られつつ始まったのである。

「ごっこ遊び」とは言っても一応軍事教練らしきことをする。
 例え、遊びから来たものであろうと「子どもの言動がきびきびしてきたように見える」「体力がついて元気になってきた」「食べ物の好き嫌いがなくなった」「規律正しくなってきた」「社交的になって、よい友人を持つようになった」等の変化が現れると、皇女様の騎士団ごっこは子ども達によい影響を与えていると好意的に見られはじめた。回を重ねるたびに寄付や、施設の提供を申し出る貴族などが現れて、貴族社会で子ども達に参加を奨励しようとする雰囲気が出来てきたのである。

 この時期に集まったピニャとその仲間達は、第一期生と呼ばれている。この第一期生によって、戒律や規約が作られ、団員の誓いだとか、各種の儀式、階級といった制度が制定され、彼らの日常生活における規範となっていくのである。

 騎士団創設から2年、ピニャが14歳になると騎士団の『訓練』と呼ばれる合宿生活は、2~3ヶ月の長期に渡って行われることが多くなった。学業などはこうした訓練の一環として何人もの宮廷学者が『兵舎』招ねかれて授業するために疎かになることもなく、親たちはこのあたりから「ごっこ遊び」と言うよりは一種の『少年教育機関』的な意味合いでこの騎士団活動を見るようになっていた。

 ピニャの始めた騎士団活動は、このあたりで発展を止めたとしても、有意義なものとして帝国の教育史に残ったと思われる。子ども達の自立心を高め、規律正しい生活を身につけ、年長者を敬愛し、若年者を愛護する。それは、あたかも兄弟姉妹のごとく。(実際、義理の兄弟姉妹関係を結ぶ相手を選び出し、とある儀式のもとその関係性を続けていくのである)こうした騎士団の気風は、好ましいものとして大人達に見られていたからであった。

 類似の少年団組織が、あちこちで発足し始めたのもこのころである。これらの少年団は現在も、このころの騎士団の気風を受け継いだ集団として継続している。

 ところが、ピニャはあくまでも軍事組織として発展を志向していた。

 ピニャ15歳の頃。彼女は自分たちの行う軍事教練によって体力がつき、剣術や弓、乗馬等の基礎的な訓練に慣れて来たと見るや、外部から教官を招聘することにしたのである。

 この時、騎士団に出向せよという命令を受けた軍将校、下士官がどのような気分になったかを知る術はない。だが、退役間近な将校や下士官ならまだしも、将来を嘱望された若手将校や下士官にとっては、『皇女様のごっこ遊び』につき合わされるのは、落胆と失望感を感じさせるのに十分と思われる。

 その為だろうか「いつまでもこんなことにつき合ってられるか」という思いを込めて、騎士団の団員達に対して本格的…ではなく本物の軍事教練が施されたのである。そして、それこそがピニャの求めていたものであった。
 将校達は、騎士団の子ども達が、もうこんなことは嫌だと降参することを期待していたようである。しかしピニャは、仲間の過半はこの訓練を乗り越えていけると見極めていた。

 こうして、騎士団の軍事組織的な性格が明確になっていく。座学、実地訓練等、その内容は軍に所属する兵士や、士官達の学ぶそれに勝るとも劣るところはなく、彼らの素質もあってか騎士団の団員達は優秀な軍人として成長していくことになる。

 ピニャ16歳の頃、騎士団ではその方向性を決定づける重要な出来事が発生した。

 男性騎士団員達の卒業である。

 門閥に属さない貴族の子弟にとって、その将来を賭ける道は軍人になるか、官僚になるかである。尚武の気風をもった騎士団に属していた青年達が、軍人を志さない理由はなく、またそれを止める術も権利も彼女にはなかった。

「元騎士団員として、恥ずかしくない軍人となってほしい」という言葉を贈り、彼女は青年となった1期生の卒業を見送ったのである。

 こうして、騎士団を構成する中核団員の多くは『女性』ばかりとなった。もちろん、そろそろ花嫁修業を、という親の願いから女性団員も次々と騎士団を離れていく。それでも残る者がいて、新規に入って来る者もいる。

 この時期の騎士団がもっていた幼年士官学校的雰囲気から貴族の子ども達の入団希望者は以前よりも増えつつあり、その規模は拡大傾向を示していたのである。

 それから3年。この間に騎士団出身の男性軍人の多くが若手将校として現場で活躍を始めると、彼らの優秀さが高級将校の目にとまるようになった。

 騎士団の卒業の時期…薔薇の咲く頃…が近づくと各軍の指揮官達が、自分の部下にとわざわざスカウトにやって来るほどとなった。だが彼らの目当てはあくまでも男性団員であり、軍が女性に活躍の場を与えることはなかった。

 そのために…あるいはこれこそが彼女の真の目的として、ピニャは多くの女性団員と少数の男性団員(立身出世の必要がない門閥貴族出身の子弟+ピニャのスカウトしてきた実戦経験豊富な熟練兵)、そして補助兵によって構成された『薔薇騎士団』を設立したのである。

 その誕生は、貴族社会からも宮廷からも祝福されたものであったが、あくまでも実戦を経験することのない儀仗兵、女性要人の警護、儀式典礼祭祀等の参加、そして軍楽隊的役割を求められてのことという暗黙の了解が、そこにあった。

 しかし事態がここに至ると薔薇騎士団とは言え、後方に引っ込んでいるわけにはいかない。あくまでも実戦をと希求する団長ピニャの指令を受けた彼女たちは、赤・白・黄色それぞれ薔薇を紋章とした軍旗を先頭に、アッピア街道を進んでいた。






 盗賊の攻撃を受けた、イタリカの街は見るも無惨な姿となっていた。

 城門は攻城槌によって破られて、内側に倒れている。城壁の内外側に立つ木製の櫓や鐘楼などは、そのほとんどが火矢を受けて黒煙を空高くあげていた。

 外から降り注いだ矢が、城壁を越えて城壁に面した家にまで届き、家々の屋根に無数の矢が突き立ってる。そして、城壁を挟んでその内外に、盗賊側、イタリカ側双方の死体が散らばって、地面の各所には赤黒い流血の血だまりができあがっていた。

 まだ体力のある者は、城壁の内側で起きた火災を鎮火させるべく走り回っている。小さな火には水をかけ、火の手の強い建物は破壊する。

 女達は、中程度や重傷の者を手当てし、子ども達は、あたり散らばり落ちている武器や、矢の回収作業をしていた。

 負傷の程度の軽い者は、スコップを手に死者を埋葬するために穴を城外で掘っている。本来なら簡易にしても葬祭を行わなければならないところである。しかし、その数が多すぎるため、葬祭を省いての埋葬となってしまった。盗賊の遺体に関しては、大きな穴を一個掘って、全員丸ごと放り込むのが精一杯であった。

 こうして、兵士も、商人も、酒場の女給も、男も女も老いも若きも関係なく街の人間は1人残らず駆り出されて、働いていた。払暁から昼過ぎまで続いた戦闘に続いて、休む暇もなく作業に追い立てられ、誰もが疲労していた。

「姫様……あの、少し、少しでよいのです。休ませてもらえませんか?」

 作業の監督をしていたピニャの元に、住民代表の老人がおずおずと話しかけてくる。

 皆が疲れ切っていることは見れば判るし気持ちも理解できる。だが、今は少しでも早く死者を葬り、燃える民家や鐘楼の火を消し、城門や柵の修理を済ませて、武器の手入れを終えなくてはならないのだ。

 その重要性を知るピニャは、休みたいと訴えかけてくる老人に対して、むっすりといかにも不機嫌そうな表情を見せことで、苦情を言いにくくすることしかできなかった。

「盗賊共はまだ諦めてない。体制を立て直したら、すぐに攻め寄せて来よう。その時に壊れた城門と、崩れた柵で防げるというのなら、休んでもよいぞ………」

「し、しかし…」

 この老人から見れば、ピニャは理不尽なことを強いてくる暴君にしか見えないだろう。立っている場所が違うために、見えているものが違うのだ。彼らに理解をしてくれと求めることは甘えなのかも知れない。ならば仕方のない。

「私は相談しているのではない」(出展元ネタ/風の谷のナウシカ)と、頭ごなしに命じるのみである。

「グレイ、城門の具合はどうだ、直せそうか?」

 門扉の具合を見ていたグレイがピニャを振り返った。

「姫様、小官の見立てたところ直すのは無理ですな。蝶番の根本から完全にひしゃげております」

「ならばどうすればいい?」

「いっそのこと塞いでしまってはいかが?」

 ちょっとした作業で出入りする程度なら城門脇の小口が使えるし、この事態にあって商取引で馬車や荷車などを出入りさせることもない。門扉を開いて内側から撃って出るといったことも考えられないから、防戦という目的に置いては城門など塞いでしまっても問題はないのだ。

「悪くない。そうしてくれ」

 グレイは市民に指図すると、木材、堅牢な家具などをあつめてきて、門扉のあった場所に積み上げる作業をはじめさせた。

「そんなものばかりでは燃えるだろう。まずくないか?」

 ピニャの言葉にグレイは肩をすくめて、火がついたなら燃え草をどんどん放り込んでやりましょうと応じた。

 確かにとピニャは頷く。燃えさかる炎ほど強固な防壁はないかも知れないと理解したのだ。

 ピニャは振り返ると、城壁の上へと顔を上げた。

「ノーマ!!そっちは、どうだ?」

 城壁の上では、ボウガンや弓を手にした兵士達が、外へと警戒の目を光らせていた。ノーマは振り返ると、声を投げ降ろしてきた。

「今のところ、敵影なしです」

「そのまま、警戒を怠るな。敵がいつ再び攻め寄せてくるかわからんぞ」

 ノーマは、この指示に頷くと、額からにじむ血を拭こうともせずに部下の兵士に監視を命じるのだった。

「さぁさぁ、お腹がすいたのではないですか?食事の用意をしてまいりましたよ」

 そこに、そんな声が聞こえたかと思うと大鍋を載せた荷車がやってきた。運んでいるのは伯爵家のメイド達である。出てきたのは大麦を牛乳で煮詰めたドロッとした粥と黒パンである。どちらもあまり美味いものではないのだが、空腹は最高の調味料とも言う。

 ピニャも、食事の臭いに空腹感が刺激された。すきっ腹を抱えたまま突貫工事を続けても効率も落ちるばかりと考え、交替で食事をとりつつ作業を続けるように命じる。そうしておいて、自分も食事をとるべく空腹と疲労で重くなった身体を引きずるようにしながらフォルマル伯爵家の館へと向かうのだった。

 警備の兵士などの男手は、ほとんどが城壁守備に出向いているため、伯爵家の城館は門から玄関に至るまで人の姿はない。彼女を出迎える者もなかった。

 かといって人がいないわけではない。屋敷の中庭では大鍋がいくつも置かれ、大麦の粥が煮立てられ、黒パンが焼かれていた。炊き出しのために城館のメイド達は全員駆り出されて、忙しく立ち働いているのだ。

 どうにかピニャを認めて出迎えたのは、伯爵家の老執事とメイド頭の老女だけである。

「皇女殿下、お帰りなさいませ」

「ああ。すまないが食べ物と、何か飲み物を…」

 老メイドにそう伝えて、ピニャは自分の屋敷でもあるかのようにソファーへと、どっかり座り込んだ。

 傍らに立つ白髪の執事が、ピニャに葡萄酒の入った銀のコップを差し出した。

「皇女殿下、どうやら守りきることが出来たようですな」

「まだだ。どうせすぐに襲ってくる」

「連中と戦わずに済ますことはできないのでしょうか?話し合いでなんとか…」

「ふむ、なるほど。城門を開け放って、街の住民も財貨も食べ物も何もかも、連中の手に委ねることを条件とすれば、争いは避けうることが出来るだろう」

 執事はほっとしたような表情をする。

「そのかわり全てを奪われ、男は殺されるだろう。若い娘は奴隷だろうが、その前にたぶんきっと、いや必ず陵辱される。妾などは見ての通り佳い女なのでな、野盗共が寄ってたかって群がってくる。1人や2人ならなんとかなるかも知れないか、50人100人を相手にして正気を保つ自信はないぞ。時に、ミュイ伯爵令嬢はどうかな?」

「み、ミュイ様はまだ11歳ですぞ」

「そういう幼い少女が好きという変態がいるかも知れないぞ…いや、きっといる。必ずいるな……でも居ないことを神に祈って、敵に対して城門を開け放ってみるか?ミュイ殿は何人まで耐えられるかの?」

 執事は額の汗をぬぐいつつ、呻くように言った。

「で、殿下。あまり、虐めないでくださいませ」

「ならば、戦うしかあるまい?平和を求めて、相手の言いなりになるのも道の一つだが、それは結局の所、滅びの道だ。戦(いくさ)は忌むべきものだが、それを避けることのみ考えると結局の所全てを失うのだ。ならば、歯を食いしばって戦うしかない」

 ピニャは差し出されたワインを一気に飲み干した。

「ふぅっ」と、ひと心地つけたのか口元をぬぐって大きなため息をつく。そして、老メイドが運んできた大麦粥とパンに手をつけた。だが一口で眉を寄せた。

「味にしても、量にしても物足りない」

 老メイドは、毅然とした首を振った。

「いけません。疲労の強い時は、胃も疲れているものです。味の濃いもので腹を満たしてはかえって健康を損ねます」

 ピニャは、老メイドの言葉に理があることを素直に認めた。考えてみれば、城館のメイド達はこの事態に至っても動揺が少なく、黙々と炊き出しなどの作業に従事している。そもそも彼女は炊き出しなどの作業を命じた記憶もない。とすれば誰の指図か?執事は今の会話のように、恐れおののいているばかりで何も出来ない臆病者だ。となれば、この老メイドではないか?

 そう考えてピニャは老メイドに尋ねた。

「お前は、このような事態の経験があるのか?」

「かつて、ロサの街に住んでおりました」

 ロサの街は、30年ほど前に帝国の侵略を受けた街で、どうにか帝国軍を撃退したものの政治的な敗北から帝国に併合されて、現在は廃墟となっている。
 その戦いの際、この老メイドはロサにいたのだろう。戦いとは、なにも弓や剣や魔法を撃ち合うばかりではない。攻められる街にあって兵士を励まし、武器を手入れし、食糧を管理しつつ食事の手配を遺漏無く整えることもまた戦いなのだ。

 その意味で、この老メイドは実戦証明済みの存在だった。
 伯爵家の当主が幼く、全く頼りにならないという状況下で、メイド達に動揺がないのも、この老メイドが彼女たちの上に君臨しているからであろう。

 ピニャは、老メイドの言を受け容れ、食事を腹八分目で止めることにして、フキンで口元をぬぐった。

「では、客間にて休ませて貰う。もし、緊急を知らせる伝令が来たら、そのまま部屋にまで通すよう…」

 そう老メイドに伝えて、ふと沸き上がった悪戯心から次のように尋ねてみた。

「もし、妾が起きることを拒んだらなんとする?」

 すると、老メイドは「水を頭からブッかけて叩き起こして差し上げますとも」と凄みのある笑顔をみせるのだった。

 ピニャはコロコロと高らかに笑った。そしてベットで水浴びしないですむようにしようと言いながら、客室へと向かうのだった。

 ところがである。結局のところ彼女を叩き起こしたのは水の冷たい感触だった。






 顔を布でぬぐいながら、濡れた衣服に鎧を手早く身につけつつ、ピニャは怒鳴った。

「何があった!敵か?」

 濡れそぼった朱髪を振り乱すピニャの姿になんとも言えない艶気を感じつつも、事態の急変を知らせに来たグレイは、そんな気分は隠して報告した。

「はたして、敵なのか味方なのか、見たところ判りかねますな。とにもかくにもおいで下され」

 城門にたどり着いて見ると、戦闘準備を整えた兵士と市民達が、城壁の鋸壁から、あるいはバリケードの隙間など門前の様子を盗み見ていた。

「姫様。こちらからよく見えます」

 フォークシャベルを手にした農夫の1人が、積み上げたバリケードの隙間を譲ってくれた。

 覗いてみると狭い視界の向こう側に、四輪の荷車が三台停まっている。…ただしこれを牽く馬や牛の姿を見ることが出来ないものだった。

 ピニャは、動力となる馬や水牛、そして兵員を大きな箱の中に収容して城壁に近づく『木甲車』という攻城兵器の存在を知っている。だから、門前に停まる三台のそれを『木甲車』に類する物ではないかと考えた。

 よく観察すると、3台中2台の天蓋は布あるいは皮革製に見える。

 これでは矢玉や熱湯、溶けた鉛を避けることは出来ても、岩程度の質量のあるものを投げ落とせば潰れてしまうだろう。するとやっかいなのは、後ろの一台だ。この一台は木製どころか、鉄で全面を覆っているかのように見えるのだ。

 その『鉄』甲車内には、やはり人間がいるようだ。天蓋には『長弩』らしき武器を備えていて、なるほど、矢や石礫を避けつつ城壁に近づき攻撃も可能とする工夫のようだった。

 だが、いかに優れた兵器とは言っても、それだけで城市は落ちない。
 矢を放ち、雲霞のごとく城壁に攻め上る兵がいてこそ、これらの攻城兵器は生きてくるのだ。だが、見渡す限り他に敵の姿はいない。また、門のあったところに築かれたバリケードを破壊するとか何らかの敵対行動を起こす様子もなかった。

 兵器の存在を見せつけ守備側の戦意を低下させようとする意図ならば、それなりの示威行動を示すものだが、それもしないとなると何が目的でここにいるのかがわからなくなる。

「ノーマ!?」

「他に敵は居ません」

 尋ねたいことがわかったようで、直ぐに答えがあった。

 『木甲車』内にいるのは、斑…深緑を基調として茶色や、薄緑を混ぜた配色の衣装を纏い、同じ斑なデザインの布で覆われた兜を被った兵士達だ。

 手には、武器?なのか杖なのか判別の難しいものをかかえている。その険しい表情や鋭い視線などから、この者達が油断の鳴らない力量を有した存在であることはわかる。

「何者か?!!敵でないなら、姿を見せろっ!」

 ノーマによる誰何の声が、頭上の城壁から厳しく響いた。

 どんな反応が起こるのかと、ピニャもイタリカの兵士も、住民達も皆、息を呑んで見守っていた。

 待つこと、しばし。

 ふと、木甲車の後の扉が開いた。

 そこから、1人の少女が降り立つ。

 年の頃13~15ぐらいだろうか?身に纏っているローブや、手にしている杖などから魔導師であることは一目でわかった。

 杖を見るとオーク材のくすんだ長杖…すなわちリンドン派の正魔導師であることは明確だ。となれば、いかに年若く見えようとも、攻撃魔法も魔法戦闘もこなすはず。

 …先ほどの襲撃では、盗賊側に魔導師は確認されていなかった。だからこそ守り切れたと言っても過言ではない。だが、もし盗賊側に魔導師が加わったとなると、かなり難しい戦いを強いられることになる。

 その困難さを考えると、ピニャは舌打ちしてしまった。

 続いて降りてきたのは、見たことのない衣装を纏った16歳前後の娘だった。

 その衣装は上下ともに肌にぴたっとしていて、ほっそりとした身体のラインがあからさまになっていた。さらに丈が短くて腹部や背中あたりの白い肌がチラチラと見えてしまうのは、男性連中には目の毒だろう。

 ピニャはこの衣装が、それが目的のデザインなのだということを、女として直感的に理解していた。
 問題は、この娘が笹穂状の耳をもっていることだった。すなわちエルフだ。しかも金髪碧眼持ち。

 まずい…向こうには魔導師ばかりかハイエルフまでいる。…ハイエルフは例外なく優秀な精霊使いと聞く。
 リンドン派の魔導師と、エルフの精霊使いの組み合わせ。騎士団を率いていたとしても、戦場で出会いたくない相手である。

 ならば、油断している今、2人を同時に倒してしまわなければならないか?ボゥガンで狙撃を。そんな風に2人を倒す方法を考えていると、その後に出てきた娘を見て、ピニャは、濡れそぼった衣服が急激に冷えていくことを感じた。

 フリルにフリルを重ね、絹糸の刺繍に彩られた漆黒の神官服。
 黒髪に黒い紗布のついたヘットドレスで纏う、いとけない少女。

「あ、あれはロゥリィ…マーキュリー」

 それは死と断罪と狂気、そして戦いの神エムロイの十二使徒内の一柱だった。

 皇帝は国家最高神祀官を兼ねるため、国事祭典に使徒を招聘して会談を持つこともある。従ってエムロイの使徒との謁見する機会もあった。だからピニャは、彼女を見知っていたのだ。

「あれが噂の死神ロゥリィですか?初めて見ますが、見た感じじゃここのお屋敷のご令嬢ほどでしかありませんね…」

 魔導師の少女や、エルフ少女と比べても、ロゥリィは小さく幼そうに見える。

 が、自分の体重ほどもありそうなハルバートを、細枝のような腕で軽々と扱って、ズンと大地に突き立てる腕力が凄まじい。

「見た目に騙されるな。あれで、齢900を越える化け物だぞ」

 帝国などこの世に影も形もなかった時から延々と生き続ける不老不死の『亜神』、それが使徒である。これでもロゥリィは、十二使徒の中でも2番目に若い。最古の使徒に至っては、人類創世以前から在ったのではないかと言われている。

 使徒・魔導師・エルフの精霊使い…この3人の組み合わせがもし本当に敵ならば、ピニャはさっさと抵抗を諦めて、逃げ出す方法を考えようと思ってしまった。

「だけど、エムロイの使徒が盗賊なんぞに与(くみ)しますかねぇ?」

 ピニャは首を振った。「あの方達なら考えられなくもないのだ」

 使徒に人間の物差しは通じない。
 彼そして彼女らは、皇帝や元老院の権威や法、あるいは正義といったものに全くの無関心なのだ。

 いや、逆に軽蔑している言っても過言ではない。

 ピニャは惨憺たる想いでそう語ると、過去の実例を挙げた。






 俯瞰視して我々の営みを考えると、『他のものを奪う』という行為は別に珍しくもなんともない。牧童は乳牛の乳を奪い、養蜂業者は、蜜蜂の集めた蜜を奪い、木こりは樹木の命を奪って建材とする。猟師は動物の命を奪って、農夫は小麦や米など植物の種を奪う。

 私たちは、それを不思議と思わない。なぜなら、それをしなければ生きていけないからである。

 我々が生きるということは、そうしたものであり、生きていくには他の生命から分け前をいただくしかないのだ。

 農夫や商人から収穫物や利益の一部を税金や貢ぎ物と称して奪う。…こういった行為に法律やらなにかの屁理屈をつけて『正しい』と称して行うのが、貴族だの騎士だので、正しいもへったくれもないと開き直った存在が『盗賊』である。

 ゆえに亜神たる使徒は、盗賊行為そのものを忌むべきものとして見ない。

『法』が禁じているからと言う理由は、使徒等からすれば嘲笑の対象と言えた。自分が日常的に行っていることを他人に強いて禁じるなど、どの面下げて?と笑う。
 亜神の前では、人爵を元にした権威とか法といったものは、無意味に等しいのだ。

 こんな実例があった。

 8代ほど前の皇帝が、白馬と白鯨という種を勲爵士に叙し、殺してはならない食してはならないという布令を発した。

 特定の生物種だけを選んで、それだけを神聖なものであると保護しようとする発想。その根底にあるものとして第一に考えられるのは、まずは宗教のそれだ。

 たが、この大陸は多神教が主流であり、唯一絶対の神などといった教えは、嘲笑の対象だ。他の神が存在することそのものが、唯一絶対でない証拠と見なされていた。だから、人々は誰がどのような神を信じ、その教えに従った生き方をしようとも、それはその人の範囲に収まるのであれば、自由であると考える。それが普通だった。従って、国家的に特定の種のみ保護し食べてはならないとする考えは、宗教のそれではなかった。

 それは強いて言うなれば、信条だった。もちろん、どのような信条を持とうとも、その信条を持たない者に、それを押しつけようとしない限り、それで心の平安、魂の健康、そして健全なる霊性を維持できるのであれば、それでよいのである。
 しかし、この時の皇帝は自らの権威をもって『法』を定めた。自らの信条を民一般に押しつけようとしたのである。

 なぜ、その白馬や白鯨のみを聖なるとするのか?あるいはそれを食するのを忌むべき行為と蔑むのか?

 その問いは無意味だった。皇帝にとってそれが正義であり、正義の実行こそ皇帝の意思であるとされたからだ。理由はあとからついてくる。理屈などいくらでも製造できる。

 こうして人々は法に従うことを強いられた。いかな内容であろうと、法であるという理由、皇帝の命令であるという理由が正義となり、人々は疑問を差し挟むことなく盲従することだけが求められたのである。

 しかし、使徒達はこれを嘲笑した。

 使徒第6位、ペラン・ワイリーは、宮廷の前でまるで皇帝を小馬鹿にするかのように布令を破り、見せつけながら白鯨と白馬を殺し、その肉を切り取って盛大に焼いて食べたと言う。

 ペランは、宮廷の門前で鯨肉を喰らいながら唄った。

「命は、水牛を喰らい、毛羊を喰らい、土豚を喰らい、白馬を喰らい、鶏鳥を喰らい、海魚を喰らい、山鹿を喰らう。風土によって袋鼠を喰らい、大熊を喰らい、水蛇を喰らい、黄猿を喰らい、肥犬を喰らう…どれも等しき命。神爵においては皆同じ、神爵は種に尊卑をおかぬから。ならば白鯨を喰らおうと、氷アザラシを喰らおうとそれもまた命の営み。王侯将相いずくんぞ種たらんや。農工商奴いずくんぞ種たらんや。みなヒトなり。されど白馬や白鯨らはヒトにあらず。汝等なにをもってこれらを人爵に置いて尊きとするや如何?」

 廷臣の一人が進み出て、『白鯨』はヒトに次いで賢い。『白馬』はヒトに貢献するが故に友であり尊いのだと論じる。

 だがペランは、「賢愚はヒトの物差しなり。ヒトに貢献するか否かをもって尊卑を定めんとするは、はまさしく傲慢の極み」と斬ってすてた。

 特定の生き物のみ「食べるために獲る」ことを禁じる皇帝の心は「命の選別」をしていると断罪した。しかもその基準は、自分勝手な物差しだ。

「優れた命」と「優れていない命」の選別は優生思想である。「美しい命」の選別はすなわち「美しくない命」とを分けることになる。それは、人を肌の色、瞳の色、髪の色で尊卑の選別をするのと根底で同じの増長慢な発想であると断罪した。

 そして、神爵の前に、ヒトも白鯨も白馬も水牛も土豚も、土中の虫ですら同じであると宣じたのだった。

 万物の霊長としての憤りなのか、それとも単なる反発心からか、ならば「人すら、他の動物と同じか?同様に喰らうことを認めるのか?」と問う者がいた。

 これに対してペランは答える。「認める」と。

 ただし、自分自身については人を食べたいと思わない。故に食べるためには殺さないと答えたのだった。

 ペランは続けた。私がもし食べない種があるとすれば、それは「食べ慣れない」あるいは「食べたいと思わない」からでしかない。

 もし、食べたいものがあれば私は誰が何と言おうと食べるだろう。雪山で遭難し、他に食べるものがないのであれば、人肉をも喰らう。喰らった者がいたとしても、これを許すだろう。
(筆者注/人肉をヒトが食した例としては、1972年雪のアンデス山中でおきた飛行機墜落事故がある。人の価値観などというものは、時と場所、状況によっていくらでも変わるし、変わるべき物であるという一つの実例と言える)

 そうでない平時において、食べるためであっても獲ることを控えるべき理由があるとするなら、ただ一点。それはその種が絶えてしまう。その理由だけではないか?と主張した。獲物が絶えないように調整しながら獲るのは賢狼、大熊、翼獅子、竜など狩猟種にそなわった智恵のはず。我はヒトにも知恵深きあることを期待する、と言いながら悠然と白鯨の肉に食らいついて見せた。

 すると、腹を立てた皇帝の意を受けた廷臣の一人が、「皇帝陛下は権威を持って白鯨・白馬を守ることを法として定められた。臣下として法の施行こそ我らの正義」と、鯨を狩るためのハープーン(銛)をもって、ペランに突き立てようとしたのである。

 しかしペランは大剣を一閃させ、ハープーンもろともその廷臣を両断された肉塊へと変えたのだった。

「所詮は流刑囚の子孫か…」

 そのつぶやきは……今でこそ帝室・貴族、高貴な血族などと言っていても、元をたどれば……史書にない事実を知る使徒だからの言葉であろう。

 法の執行を行おうとした廷吏を殺めることは、法に照らし合わせると罪である。従って兵士達はこの犯人を捕らえるべくペランの前に進み出た。次々と進み出た。法に従うならば、進み出ざるを得ない。

 こうして宮廷前は屍山血河となり果てたのである。法に従おうとする者がいなくなるまで。

 当時の皇帝は、数日後に謎の死を迎えた。そしてその皇帝と布令は、廃止でも撤廃でもなく、『そのような名の者も、そのような布令も存在しなかった』として扱われている。あらゆる記録から名前を削り取られ、肖像も、彫像も全てが破壊され焼きはらわれた。

 人々はこれをして『神槌の覿面』と呼んでいる。

 法学者達は、この出来事に代表される様々な出来事から『神』の行動原理を読みとろうとした。すなわち神槌がどのようなときに発動されるのかを推し量ろうとしたのである。だが、諸説紛々で答えは出ていない。






「結局の所『神』という存在は正しく生きようが、悪徳に生きようが関係なく祟る時は祟るし、悪しきことを起こしてくる。善良に生きても病にかかるし、暴虐の限りを尽くす暴君が長命だったりする。誰が祀ろうとも、何を祈ろうとも、それはあまり関係ない。
 神という存在はヒトには理解できない存在なのだろう。あるいは、ヒトには理解できない価値感があるのかも知れないがな……ただの気まぐれだと言い張る者もいる」

 ピニャの感想を受けて、グレイは呻きながら額に流れる汗をぬぐった。

「神官連中の耳に入ったら大変なことになりますぞ」

「何しろ、連中は神の御心の代言者として神殿にいるのだからな。その神の御心がなんだか理解できない、でたらめに近いものだなどと言ったら、神官連中の存在意義に関わる。そりゃあ反発されるだろう」

 多神教の世界では信仰の対象に正邪の別はない。異端審問の類もない。特定の神が嫌いになれば他の神に帰依すればいいのだ。だが、神官団という宗教組織が、政治と結びついて様々な力を有していることもまた確かである。いたずらに神を貶せば、それを理由に攻撃されたり嫌がらせをされることも起こり得る。

 結局の所、それは人のすることなのだが、信仰と結びついているから『それが神槌である』と詐称される場面も少なくないのだ。

「し、小官は、聞きませんでした」

 結構信心深いグレイは、ぶるぶると首を振って背中を向けて両手をあげてしまうのである。そんなグレイの背中をピニャは面白そうに笑うと、バリケードの隙間から外へと視線を向けた。

「おっ…来たな」

 再び目を門前に向けると、こちらに歩み寄ってくる魔導師の少女の姿があった。







[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 16
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:6aa13634
Date: 2008/05/05 21:07




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 イタリカの街。その門前は物騒な気配に充ち溢れていた。

 普段なら、荷車や馬車が行き交い、関税の手続やら行き交う商人の姿で賑わっている城門は無惨なまでに破壊されていた。代わりに木材や家具等、手当たり次第にかき集めてきたことがよくわかる適当な資材を山となるほどに積み上げて、来る者全てを拒む構えを見せている。

 3階建てビルに相応する高さを持つ石造りの城壁上には、守備の兵士達がずらりと並んで、石弓、弩、弓矢を構えてこちらに向けている。

 一度の発射で、何本もの矢を放つことが出来る機械式の連弩なども設置されていた。

 投げ降ろすためだろう、瓦礫とか石とかも山積みにされていた。

 また、通常なら武器とは考えることのない物まであったりする。例えば、火が焚かれてその上に大鍋が置かれ湯気をあげている。

 これが河原とか、山のキャンプ場ということなら、芋煮会でもしてるのかなと思うところであるが、それが城壁の上でとなると、のんびりとした食事の支度などでないことが直感的に理解できてしまうのだ。

「熱湯を浴びせられるのだけは勘弁して欲しいところですねぇ…」

 高機動車運転席の倉田のつぶやきを耳にして、伊丹は「聞いてないよ~」とか言いたくなってしまった。熱湯というのは、テレビの旧いバラエティ番組などでは捨て身ギャグ用小道具として扱われたこともあって軽視される傾向にあるが(実際には熱湯ではなかったとのこと)現実的には化学兵器並みに凶悪な代物なのだ。

 もし、その熱さによるショックで死ねなければ、かなり長い時間苦しみ抜くことになる。 全身の火傷による漿液性炎症は果てのない体液の滲出を引き起こして、結局のところ体液の大量損失を招く。これによって死ねないとすれば、さらに皮膚を失ったが故の細菌感染がおこり、壊死組織の腐敗、敗血症と徹底的に苦しみ続けることになる。万が一回復するとしても、ケロイドや組織の引きつり等の不自由と苦痛を一生背負うことになるのだ。

 実際に、あれが熱湯などではなく実は鉛を溶かしたものだと知ったら、伊丹は直ちに全力疾走で逃げるように号令してしまったかも知れない。と言うのも、伊丹は自殺の手段として、灯油をかぶって火をつけるという方法を選んだ者の姿を見たことがあり、その人物が生き残ってしまったが故に味わった苦痛の一部始終が彼の記憶の深奥に根太く刻み込まれていたからだ。

 イタリカの守備兵が手にする武器は、伊丹らのものと違って見た目にも鋭さとか、熱そうとか、いかにも切れそうとか、『凶器』と呼ぶにふさわしい禍々しさがある。

 テレビやドラマ、小説や漫画の中で『殺気』という言葉がよく出てくるが、現代社会に生きる伊丹はそんなものを感じ取ったことはない。ある種の武道の達人になれば察知したり、発することが出来るのかも知れないが、現実的にあるものと言えば、このように実際に目にしたものから連想される痛覚であり、痛いのは嫌だなぁ、熱いのも嫌だなぁというイヤ~な気分。そして警戒されてる、敵意をもたれているという気分の綯い交ぜになった感覚が、緊張を引き起こす殺気めいたものとして感じられるのである。

 この気分に負けた後ろ向きな心境を『臆病風に吹かれる』と言っても良いのかも知れないが、伊丹はそんな状態だったので…

「何者か?!!敵でないなら、姿を見せろっ!」

 などと頭上から鋭く響く誰何の声を聞き取れずとも、その真意を語調から理解して、がばっと振り返り「お呼びでないみたいだから、他の街にしない?」とレレイに告げたとしても仕方のない話かも知れない。

「見たところ、街の人も忙しそうだし、この様子じゃぁのんびり商談ってわけにはいかないと思うんだよね。何と戦っているのか知らないけど、巻き込まれるのはゴメンだし。ボクとしては、我が身と君たちの安全安心を何よりも優先したいなぁって常日頃から心に留めているのだけど、どうだろ?」

「確かに、熱烈な歓迎ぶりっすねぇ」

 などと運転席の倉田はつぶやいて、桑原曹長は無線で「こちらからは手を出すな。敵対行動と見られるような挙動はするなよ」と緊張感を孕んだ口調で指示を下していた。2人とも、手にした小銃の筒先を油断無く外に向けている。

 しかし、レレイは相変わらずの無表情と抑揚に欠けた発音で「その提案は却下する」と告げた。

「でもさ、現実的に見てもこの門の様子じゃ、俺たち中に入れないけど」

「入り口ならば他に存在する。イタリカの街は平地の城市。東西南北の全てに城門があり、他が健在なら出入りは可能となる」

 実際に、城市の門が一つしかないというのは考えにくい話である。

「イタミ達は待っていて欲しい。私が、話をつけてくる」

 レレイはそう言うと、腰を上げた。それを見て「ちょっと待って」とテュカが止めた。

 テュカも伊丹同様に、なぜこの街にこだわる必要があるのかと尋ねた。伊丹のように臆病風に吹かれているわけではないが冷静に考えても、戦時下の街に入って利益があるとは思えないのだ。巻き込まれる恐れは十分…というより、街に入ったら完全に巻き込まれることになる。街側の人間として戦うことを強いられるだろう。

 レレイは答えた。「入れるかどうかは問題ではない。この場で、私たちが敵ではないことだけは理解させておきたい。このまま立ち去れば、私たちが敵対勢力だと誤認される恐れがある。後日この街を訪れるにしても、他の街に行くにしても、そういった情報が流布すると、今後の活動に差し障る」

「でも、あたしたちの都合に、この人達を巻き込むことにならない?」

 テュカはそう言って、伊丹や黒川達へと視線を巡らせた。

「この人達は、何も求めずにあたしたちを助けてくれているのよ。そんな人を危険なところに巻き込むわけにはいかないでしょう?」

「だからこそ行く。私たちはイタミ達に恩を受けている。私たちの都合でここまで来て、イタミ達が敵と思われたり、評判が落ちるのは私の求めるところではない」

「イタミ達のため?」

「そう。この特徴的な乗り物の主は、イタミ達をおいて他はない」

 こう言われるしまうと、頷かざるを得ないテュカであった。

「大丈夫。商用で来たことを告げて、事情を確認するだけだから問題ない」

「わかったわ。でもそういう理由なら1人で行かせるわけにはいかないし、外に出るなら、矢除けの加護が必要よ」

 テュカはそう告げると、精霊語による呪文を唱え始めた。

 すると、ふと、風がそよいだような気がする。

 そうしておいて、レレイ、テュカ、そてしロゥリイの3人が車外へと降り立ったのである。

「イタミ達は待ってて」

 再度告げて、3人は、ゆっくりと城門へと歩み寄っていった。

 守備兵達の構える弓矢やボウガンの尖端が、ゆっくりと動いて彼女たちを追尾している。

 これを見守る伊丹としては、いくら「待ってて」と言われたにしても気分が良くない。なんとなく「大人として、男として、自衛官として、人としてどうよ」という文字が、彼の脳内スレッドに次々とageられていくのだ。

 しばしの逡巡。

 伊丹は憶病に徹してガタガタブルブルと震えていることもできないと言う意味では、ヘタレであった。要するに見栄とか、虚栄心とか、そういった類のものをちゃんと持ち合わせているのだ。

 もちろん、一般の大人はそれを「見栄です」とは言わず、任務とか、義務とか言い換えて自分を騙そうとするのだが、伊丹自身はそういうところは素直なので、平気で「俺、恐ぇのは嫌なんだけど、みっともないのも嫌だよなぁ……」などと呟いてしまうのだ。

 そして盛大な舌打ちの後に64小銃を車内に残し、とっても重たい防弾チョッキ2型の襟をしっかりと寄せつつ車外へと降り立つのであった。

 ちなみに、彼らの個人装備はイラクPKOに準じている。彼の腿には拳銃が下がっているので武装してないわけではない。小銃を置いたのは、外見的に武器っぽく見えるものは持たない方がいいだろうなぁと思っただけである。

「僕も行ってくるわ。っていうか、行かないわけにはいかないでしょう。と言うか行かせてくれ」

「誰も行くななんて言ってません」

 身も蓋もないセリフを口にしたのが誰かまではあえて言及しまい。ただ女声だったということだけは確かである。

 しばし、スの入った数秒が過ぎた後に伊丹は「桑原曹長、あとは頼んだよ。なんかあったらすぐに助けに来てよ」などと告げて、レレイ達の後を小走りに追ったのだった。






 ピニャは決断を強いられていた。

 確固たる判断材料がないままに、どうするべきかを決めなければならないのだ。それは賭博的要素の強い、決断であった。

「グレイ、どうすればいい?」

 歴戦のグレイをしても、ピニャの質問に対して明確な答えを出すことが出来なかった。誰も結果の保証などしてくれない。そんな状況で、判断を下さなくてはならない重圧が背中に重くのしかかっていた。『指揮官の孤独』と呼ばれる状態である。

 武器を構える兵士達は、皆ピニャの下す決断を待っている。

 弓を引き絞る弓兵の手が小刻みに震えている。

 農夫がフォークシャベルを抱えて待っている。

 剣を手にした兵士、街の住民達、すべての運命がピニャの判断にかかっているのだ。

 まず、エムロイの使徒たるロゥリィ・マーキュリーと、それに続くハイエルフ、魔導師は盗賊に与しているか否か?

 答え……否。否としたい。

 理由…もし当初から盗賊に与しているのなら、最初の攻撃から参加していたはず。そうしていればイタリカの街は今頃陥落していた。

 しかし、ロゥリィ達が最初から盗賊に与していたとは限らない。戦いに加わらず日和見を決めていて、あと一押しと見て参加したかも知れない。初戦に参加していなかったという理由はロゥリィ達が盗賊側に与してないと考える理由としては乏しい。

 そもそも盗賊でないとするなら、ロゥリィ達はこのイタリカの街に何の用で現れたのか?戦時下の街に尋ねてくる意味は何か?

 いっそのこと、ロゥリィ達の入城を拒否してしまおうか。だが、入城を拒否したことで彼女らを敵側に押しやってしまう畏れもある。

 それに、ロゥリィ達が敵でないのなら、ピニャとしては是非とも迎え入れたかった。

 もし、ロゥリィ達を味方に引き入れることが出来れば、心強い援軍となってくれるだろう。なにしろエムロイの使徒と、ハイエルフと、魔導師だ。兵士も、街の住民達も必勝を確信して奮い立つはず。

 自分が、兵士達に必勝を信じさせるようなカリスマに欠けていることは、ピニャは痛切に実感していた。

 もし、勝てると思わせることが出来なければ、きっと脱走する住民が出てくる。1人でも逃げ出せば、その後はもう雪崩をうって我先に逃げ出そうとするはず。そして統制がとれなくなり、結局盗賊達の思惑通りとなってしまうのだ。

 ロゥリィ達が何の用でここまで来たかは知らないが、彼女らを説き伏せることが出来れば住民達に「援軍が来た!!」と告げることが出来る。

 いやいや、説き伏せている時間など無い。無理矢理、強引にでも味方にしてしまわなければならない。

 あるいは、入城を拒絶するかのどちらかだ。

 こうして、ぐるぐると思考が巡り決断のつかない状況の中で、ついに城門小脇の通用口の戸が外から叩かれた。

 息が止まる。
 そして、唾をグビと飲み込むと、ピニャは決断した。勢いだ。勢いで有無を言わせず、巻き込んでしまえ。巻き込むと決める。

 3本ある閂を引き抜くと通用口を、力強く、勢いよく、大きく開く。

「よく来てくれたっ!!」

 クワァバンッという鈍い音と妙な手応えに、ふと我に返って見る。するとロゥリィも、エルフの娘も、魔導師の少女も、通用口の前で仰向けに倒れている男へと視線を注いでいた。

 男は、白目を剥いて意識を失っているようだ。

 やがて彼女たちの、やや冷えた視線がゆっくりとピニャへと注がれる。

「……………もしかして、妾?妾なのか?」

 白い魔導師の少女が、黒い神官少女が、そして金髪碧眼のエルフ娘が、そろって頷いた。





    *    *





 事故であることは理解できるので、レレイも、ロゥリィも、ピニャを非難したり、怒ったりするよりも、まずは意識を失った伊丹を介抱すべく動いた。

 大の男1人分プラス装備によってずしりと重い体を、加害者の女にも手伝わせ城内へと運び込む。そして通気をよくするために衣服をゆるめようと試みた。

 まず兜らしき、かぶり物をとる。

 次いで衣服をゆるめようと思うのだが、布製と思っていた上着は金属のような硬い板が仕込まれた鎧であった。外見的にもそうだが、紐だとか、箱だとか、用途の判らない色々なものが身体のあちこちに装着されていて、どう手をつけて良いのかわからないので、とにかく襟元だけをなんとか開く。

 枕代わりにロゥリィが膝を貸し、テュカは伊丹の腰に手を回して、取り付けられていた水筒を引っこ抜いた。

 守備の兵士達も街の住民達も、「なんだ、どうした?何があった?」と寄ってきた。すでに緊張感がふっとんで、誰も彼も野次馬モードである。

 ピニャは「あわわ、はわわ」と動転しているだけで、何も出来ない。

 レレイは、とりあえず学んだ範囲で伊丹の様子を診察していた。
 瞼を開いて眼振の有無、口や鼻、耳を覗き込んで出血や損傷の有無、首や顔面、頭部等に触れてみて手で触れて判る範囲での外傷の有無である。これらに異常が無いことを確認して、初めてホッと息をついた。

 そうしておいて、ようやくピニャへと非難の視線を向ける。

「貴女、何のつもり!?」

 ところが、非難第一声はレレイではなくテュカのものだった。テュカは伊丹の頭に水筒の水をどぼどぼと浴びせながら、戸を開けるのにその前に人がいるかも知れないと、気を配るのは、ヒトであろうとエルフであろうとドワーフであろうと、ホビットだろうと知性を持つ者なら当たり前のこと。不注意に過ぎるとピニャを強く、とても強く非難した。

 激昂のあまり「まるで、コブリン以下よっ!」とまで言い放ってしまうという無礼をしてしまうのだが、自分の不注意が原因であることはピニャも重々承知しているので、身分が云々を別にして恐縮するばかりであった。そりゃあもう、皇女殿下に似つかわしくないほどの謙虚さである。

 誰かが強く怒っていると周囲の人間は一緒に興奮するか、逆に冷静すぎるまでに鎮静するかのどちらかである。この場合のレレイは冷静になった。そして、自分たちがイタリカの街の中に入り込んでしまっていることに気付いた。

 見ると、通用口は閉じられてしっかりと閂も降りている。

 見渡すと、守備の兵士とか街の住民とかが周囲をぐるりと取り巻いている。

 思わずロゥリィと視線を合わせる…が、黒い神官少女は面白げに微笑むだけであった。






 伊丹が意識を回復したのは程なくしてからである。

 いたたと、痛打した顎をさすりながら、目を上げると黒い神官少女ロゥリイの顔が逆さまとなって視野一杯に伊丹を覗き込んでいた。

 彼女の黒髪の尖端が伊丹の顔あたりまで降りてきていて、チクチクと痛い。

 この神官娘は容姿こそ幼いくせに、遊び慣れた大人の女性のような『話の解る悪戯っぽさ』をもっていて冗談とも本気ともつかない際どさを楽しんでいる様子が見受けられた。彼女の手が伊丹の頭を抑えるように、それでいて抱えるような感じで彼女の膝の上に載せられているのだ。そして、その瞳の奥にどういうわけか妖艶な女を感じさせられてしまう。

「あらぁ、気が付いたようねぇ」

 それは、この世界の言葉であったが、単語も覚えていたし状況からの推察も比較的しやすい。何よりも鈴の音のようなロゥリィの声が、とても聞き取りやすいのだ。

「ちゃんと、憶えてるかしらぁ?」

 伊丹は頷いた。

 目前で突如迫ってくる通用口の戸。顔面から顎にかけてを痛打して揺すられる頭。直後に真っ暗になる視界。どうやらしばしの間、意識を失っていたようだった。

 視野一杯に広がっている、ロゥリイの顔の外側…つまり周囲は、たくさんのヒトがいて伊丹を注視している。レレイの心配そうな表情も目に入った。

 ふと、テュカが誰かを口汚く罵っている…らしい声も聞き取れた。

 外国語と言うのは勉強に没入しているとある日突然、周囲のヒトの言葉が翻訳しなくても理解できてしまう時が来るらしい。脳の言語野で回路が形成されることでこういう現象が起こるのだが、どうやら顎を痛打して脳を揺さぶられたことがきっかけになったようだ。

 重たい防弾チョッキ2型を着込んでいるので、伊丹は少しばかり苦労しながら身体を起こす。

 なんでだか上半身はびしょびしょになっていた。

 誰かを怒鳴りつけていたテュカも、伊丹の様子に気付いたようで、興奮をおさめ「ちょっと、大丈夫?」と声をかけてきた。

「ああ、みっともないところを見られちゃったなぁ」

 伊丹は上衣のファスナーを挙げ、防弾チョッキのボタンを留めた。

 そして、レレイから鉄帽を受け取って被る。乱れた装備を装着しなおしていく。

 桑原曹長からの呼び出しが小隊指揮系無線機を通じて聞こえていたので、伊丹は胸元のプレストークスイッチを押して返答した。

『二尉、ご無事でしたか?心配しました』

「どうにかね。ちょっくら意識を失ってたみたいだ」

『もうちょっと返事が遅ければ、隊員を突入させるとこでしたよ』

 する必要もない戦闘を回避できたのは幸運とも言えるかも知れない。こんなロクでもない事故で、死傷者を発生させて要らぬ恨みを残すのは損以外のなにものでもない。桑原もそう考えていたからこそ、今まで待ったのだろう。捕虜となった味方の救出と、不必要な戦闘の回避。どちらを取るべきか、決断の強いられるところである。

「現況を確認して連絡するから、今少し待機していてくれ」

『了解』

「で、誰が状況を説明してくれるのかな?」

 伊丹は周囲の人々へと向かって告げた。

 ロゥリィは、テュカへと視線を巡らせ、テュカはレレイへと視線を巡らせる。レレイはピニャへと視線を巡らせて、ピニャは助けを求めるように周囲へと視線を巡らせる。最後に周囲の皆が、視線をささっと逸らせてピニャが取り残されたような、情けなさそうな表情になる。

 なんとなく温いというか、ほのぼのと言うか、…あえて言うならば、間抜けな雰囲気が漂っていた。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 17
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:ce206d2c
Date: 2008/05/15 20:22




-17-






 陸上自衛隊特地方面派遣部隊本部では、幹部自衛官…佐官級の部隊長達が集まって怒号にも似た激論が交わされていた。きっかけさえあれば、今にも掴み合いが始まりそうな勢いである。

 そんな部下達の様子を眺め見る狭間は、よっぽど溜まってたんだろうなぁと、しみじみと思う。

 陸上自衛隊特地方面派遣部隊では、多くの隊員が鬱屈していた。何しろ『門』のこちら側に来たとしても、することがないのだから。

 今、やっていることと言えば、拠点防御。そして少数の偵察隊を派遣しての情報収集・情報の整理・そして集められた情報に基づく運用方針、部隊行動基準の手直し等々と、幹部の机仕事ばかりである。

 拠点防御と言っても、実際の戦闘は大小併せても数回程で、今では敵対勢力の動きは全く見られない。と言うよりも無人の野になってしまったかのごとく、敵の姿そのものが見られなくなってしまったのだ。

 だから周辺の警戒警備と陣地の構築・補修整備が活動の中心になる。
 これにしたところで、陣地防御を担当する第5戦闘団が行うから、打撃部隊である第1と第4の戦闘団は、陣地内とその周囲で、地味な訓練ばかりの毎日を送っていた。

 ちなみに第2と第3は門のこちら側に来ていない。第6以降の戦闘団に至ってはまだ編成すら終了していない有様である。

 別に遅れているわけではない。防衛省の都合で『ゆっくりと』やっているのである。攻勢に入るわけでもないのに、今すぐ定員一杯動員する必要はないだろうと言う、背広組の考えだ。その背景には「お金の事情」があると言われてしまうと、文句も言えないのだ。

 そんな鬱屈している隊員達の耳に、「ドラゴンが出た」「ドラゴンと戦って、住民を救った」などという某偵察隊の活躍は、ある種の羨望のタネとして響いてしまった。

 本土にいて平和を満喫しているのなら、無為にも似た毎日を過ごそうとも、まだ耐えられる。だが、門のこちら側は戦場のはず。第5戦闘団に属する、特科や高射特科の隊員達は戦果を自慢し、普通科の隊員達は銃撃前の緊張と、引き金を引いた際の手応えについて熱く語る。施設科の隊員達は、野戦築城、滑走路の敷設等々と、作業服を泥だらけにしている毎日だ。

 任務を与えられ、活躍している連中が目の前にいると言うのに、それに比べて自分は…。その忸怩たる思いが、日々続く無為が、彼らを静かに、しかし確実に腐らせていた。そして、そんな隊員達と向かい合う幹部達にも、汚濁にも似た鬱屈は感染しつつあったのである。

 そこへ降って湧いたのが伊丹からの援軍要請だ。
 これを小耳に挟んだ幹部達は色めき立った。そりゃもう、大騒ぎとなってしまった。

 伊丹からの援軍要請の要点は以下のようなものだった。

 ①イタリカという街を含む地域全体が、ここ1ヶ月近く『敵武装勢力』の指揮系統からはずれた集団によって、略奪、暴行、放火、無差別殺害等の被害を受けている。伝聞情報ながら複数の集落が被害を受け犠牲者は多数に及ぶ模様。
 現在、3Rcn(第三偵察隊)が訪問した市街地が襲われつつあるという状況にある。現地の警備担当者、市民が懸命な防戦に当たっているが、被害甚大。大規模な二次攻勢も間近である。
 市代表ピニャ・コ・ラーダ氏より当方に治安維持の協力依頼を受けた。為に支援を要請するものである。

 ②敵武装勢力の指揮系統からはずれた集団、通称『盗賊』は、『特地』におけるものとしては高度な装備を有し、騎馬、歩兵、弓兵等の兵種が確認され、数も600を超える。魔導師と称される特殊能力者については不明。

 ③『盗賊』を取り締まることが可能な官憲組織が現地にはない。当該地域の行政機関代表フォルマル伯爵家の某(なにがし)が、上位機関に対して援軍を要請しているが、現地到着には最低でも3日を要するとのこと。


 これはすなわち、無辜の民を救うためにという大義名分の元、スカッと叩きのめすことの許されるとっても美味しい悪漢が現れたのである。ここはすなわち、欲求不満の解消もとい、経験値を上げるチャンス!!

 こうして狭間陸将の元へと、佐官連中が半長靴の音を響かせながら、怒濤のごとき勢いで集まったのである。

 最早、議論にらちが明かないと見たのか、「是非、自分にやらせてください!」と狭間に決断を求めて来たのは、加茂1等陸佐/第1戦闘団長であった。

 第1戦闘団は打撃部隊として、普通科の一個連隊を基幹として特科、高射特科、戦車、施設、通信、衛生、武器、補給等の各職域を集めた連合部隊である。戦闘団と言うのは聞き慣れないかも知れないが、普段は訓練と管理しやすいという理由で職域(兵科)別に編成されている部隊を、実戦に即した形に組み直したものと考えていただければよい。

「自分の、第101中隊が増強普通科中隊として、すでに編成完了しています。呼集もかけましたっ!直ぐにでも出られます」

 加茂1佐の後ろから柘植2等陸佐が、はた迷惑なことを言い放ちながら、一歩進み出た。どこの誰に何がはた迷惑かというと、実際に出ることになるかどうかわからないと言うのに呼集をかけられた隊員達にとって、である。今頃、完全武装をして営庭に整列するべく走り回っていることだろう。

「いいや、ダメだ。地面をチンタラ移動してたら、現地への到着に時間がかかりすぎる。その点オレの所なら、すぐにたどり着ける。隊長、是非私の第4戦闘団を使ってください」

 健軍(けんぐん)1等陸佐が、一歩進み出た。第4戦闘団は、ヘリによる空中機動作戦を旨とした戦闘集団…米軍で言うところの空中騎兵部隊たることを求めて編成された。

「ちゃんと大音量スピーカーと、コンポと、ワーグナーのCDを用意してあります」などとほざいたのは401中隊の用賀2佐である。「パーフェクトだ用賀2佐」などと健軍が誉め讃えている。健軍も同行する気満々のようだ。

「…………」

 狭間は右手の親指と人差し指で眉間を摘むとマッサージした。
 いったいどうしちゃったんだろう、こいつらは…キルゴア中佐の霊にでも取り憑かれたのだろうか、などと思ったりする。脳みそまで腐ったんだろうか。

 とは言っても、速やかに援軍を送らないといけないのも確かなのだ。となれば、足の速い第4戦闘団が適している。

 決して、キルゴア中佐の霊に取り憑かれたわけではない。それが現実的な理由だからと必要もないのに説明した上で、狭間は、健軍へと命令を下した。

 加茂1佐や柘植2佐を含めた他の佐官達は、この世の終わりとばかりに呆然と立ちつくす。喜色を隠さなかったのはもちろん、健軍と用賀だ。

「音源は、どこの演奏だ?」

「もちろん、ベ○リン・フィルです」

 そんなことを言いながら去っていく2人を見送りながらも、数時間後に何が起こるのか、実際に目にしなくても、思い浮かべることが出来る狭間であった。

 AH-1コブラ、UH-1Jヘリの大編隊がNOE(低空飛行)しつつ、大音響スピーカーがハイヤ・ハー!ホヨトヨー!(Ho-jo to-ho!)とワーグナーの旋律を天空に響かせる。

 右往左往する盗賊集団。

 大空に現れたのは、死の翼だった。

 対空ミサイルが飛んで来るわけでもないのに、ヘリはフレアを撒きちらし、放たれた光弾は重力に牽かれて放物線を描く。それに続く数十条の軌跡はあたかも天使の翼のごとく白い。

 地元民はそれを見て、天使の降臨よ、戦女神の降臨よと畏れるだろう。

 AH-1コブラからロケット弾が発射され、大地を炎が舐める。

 天空から降り注ぐ銃火が、盗賊集団をなぎ倒していく。

 俯瞰する彼らの前に死角はない。隊員達は、大地に降り立つこともなく、機上から銃撃をもって盗賊集団の掃討を終わらせてしまうことだろう。

 それを目撃した現地の住民達は、その光景を黙示録として語るのだ。あたかも地獄のようであったと…。






 さて、後々に地獄のような黙示録を語らされることになる、イタリカの住民達は城壁や防塁の修理工事に精を出していた。

 エムロイの使徒、ハイエルフの精霊使い、魔導師ばかりでなく、噂に聞いていた『まだら緑の服を着た連中』が援軍として来たと知り、街の人々は勇気百倍。兵士達の士気も一気に盛り返したのである。

「炎龍を撃退した」と噂されるほどの実力をもってすれば、盗賊化した敗残兵共などどれほどのものだろう。もちろん『まだら緑の服を着た連中』は併せても12名でしかないから、自分達も戦う必要はあるだろう。だが、苦しくなってもホンのちょっと我慢していれば、『鉄のイチモツ』を抱えた彼らが駆けつけてくれて、盗賊連中を追い払ってくれるのだ。それは安心感を与えてくれる。

 これまでの暗い絶望的な雰囲気は一掃され、人々の表情は希望と明るさに充ちていた。誰だって住み慣れた土地や家を捨てて逃げたくはない。守れるものなら、住み慣れた街を守りたいのだ。そして、伊丹達の存在は、そんな彼らの希望となる。

 住民達の眩しげな視線が、夕陽を背景に立つ伊丹達の背中へと注がれていた。






 ところが、伊丹がピニャに求められたのは南門の防衛である。

 彼女の説明によると、この南門は一度門扉を破られているという。

 前回は、内側にしつらえた土塁と柵で乱入を防いだのだが、乱戦となってしまい多数の被害が出た。現在住民達を動員して、この柵を修復し土塁の増強工事をしている。

 伊丹としては、城壁・城門の一次防衛ラインを固守するために、そちらに戦力を集中して対応すれば良いのではと考えるのだが、ピニャは、門と城壁で一度防ぎ、これを破られたら、内側の柵で防ぐという方法に固執していた。

 どうにも彼女は、城門が破られることを前提に戦術を構築しているかのように見えるのだ。
 援軍が来るまで持てば良いと考えている伊丹と、今しばらくの援軍が期待できないピニャとの立場の違いがそうさせるのか、あるいはもっと違う何かか?

 伊丹達は城門上に集まると、夕焼けによって茜色に染まりつつある中世ヨーロッパの都市を思わせる石造りの美しい街並みを俯瞰した。

 地方都市とは言えイタリカは人口5000人を越える。テッサリア街道とアッピア街道の交差点を中心にして、街道に沿う形で商店や宿場が軒を連ねて東西南北に列ぶ。そしてその背後に各種の倉庫街、馬小屋、商家などの使用人の住宅などが列んでいるのである。

 北側の森には、ひときわ大きなフォルマル伯爵家の城館があり、その周辺には豪商の邸宅があって、いわゆる高級住宅街を形作っている。

 これらの街並みと若干の森を取り囲む形で、東西南を石造りの城壁が取り囲んでいた。北面の守りは切り立った崖が自然の城壁代わりだ。街道の延びる谷間にだけ城壁が設けられている。

 そのままぐるりと振り返って、外側へと視線を向ける。地平線まで伸びていく街道。農耕地や、牧草の生えた休耕地、灌木、林、そして掘っ建て小屋のような家が数軒。そして、その向こう…。

 伊丹の双眼鏡には、既に盗賊側の斥候が捉えられていた。騎馬の敵が数騎…ゆっくりと移動している。守備側の備えの確認をしようと言うのだろう。

 さらにその遠方、地平線近くには、盗賊本隊の姿も見えていた。

「敵の攻勢を、真正面から受けることになりますねぇ」

 桑原曹長の言葉に伊丹は頷く。確かにその可能性もある。

 包囲攻撃という選択肢は、盗賊側にはない。

 この街を600弱程度で包囲するには絶対的に数が足りないし、攻め落とすのに時間がかかってしまう。これでは盗賊行為には不向きである。同じ理由で穴を掘っての侵入とか、平行壕を掘りつつ近接すると言う戦術もとれない。

 とすれば盗賊の攻撃は、攻め口を決めての強襲しかない。ただ、強襲は数を頼んでの力攻めではなく、攻める側の有利を利用したものとなるだろう。

 攻める側の有利とは、いつ、どこを攻め口とするかを自由に決められることにある。この自由を利用して、陽動をかけて一箇所に防備に集中させ、手薄になったところを襲うと言う手が一般的である。

 その際の攻撃目標は、陽動にしろ、主攻にしろ脆弱な場所が対象とされるはず。

「なるほど、南門の守りをことさら少な目にして二次防衛にこだわるのは…」

 長い防衛線のなかで守りの脆弱な部分をつくることで、敵の攻撃箇所を限定したいのかも知れない。

 そうして考えれば彼女の作戦も理解できる。

 前回の戦いも、守りの薄い場所をわざと作り容易に突破できると錯覚させて、敵が全面攻勢に入ったら一歩引いて守りの堅い二次防衛ラインで消耗戦に持ち込むというものだったのだろう。実際に、敵側も容易に城門が破れたために主力を突入させたら、実は内部の守りの方が硬くて、消耗を強いられ退却せざるを得なかったようだ。

 守る街の大きさに比べて、攻める側も守る側も戦力が少ないから、どうしてもこういう戦い方になってしまうのだろう。

 脆弱な南門にことさら伊丹達を配するのも、少人数の伊丹達を囮として敵前にぶら下げ、ここを決戦場とするつもりなのだ。それに気が付けば、城門の内側の柵と土塁の補強に彼女が熱心なのも理解できると言うものだ。

「とは言っても、敵が二度もその手に乗ってくれるかな?」

 である。
 敵だって、一度失敗すれば考える。ことさら守りの薄い場所を素直に攻めるだろうか?
 それに、この戦術には重大な問題が孕んでいるのだ。

「古田!機関銃、ここ」「東、小銃はここだ」

 桑原曹長が、隊員達の配置と担当範囲を次々と決めていく。

 隊員達は石造りの鋸壁の谷間に、2脚を起こした64小銃を置いた。

 概ね3階建ての建物の高さから、見下ろすようにして撃ちまくることになる。近づかれてしまえば敵側から放たれた矢がこのあたりにも降り注ぐだろうから、矢の射程外にFPL(突撃破砕線)をひくことにして、それぞれに何か目印となる地物を探させる。

 陽が完全に没するまであとわずか。栗林が、隊員達に個人用暗視装置を配って歩いている。黒川は車両・装備の留守番だ。

 農具や棒などを手に集まった市民達は、伊丹達からの指示を不安そうに待っていた。そこへ仁科一曹が歩み寄ると、単語帳片手にたどたどしい言葉と、両手を開いたり、土を掘るまねをしたりの身振り手振りで麻袋に、土を入れて運んで来るように指示していた。

 他には燃え草となる木製の物や、篝火などの設備についても片づけさせている。住民達は夜になろうとしているのに、「灯りはいらないのか」と首を傾げつつも作業に取りかかった。

 こうして、自衛官達が準備を進めていくのをレレイやテュカと共に眺めていたロゥリイは、伊丹が鉄帽に個人用暗視装置の取り付け作業をしている背中に向かって尋ねた。

「ねぇ?敵のはずの帝国に、どうして味方しようとしているのかしらぁ?」

「街の人を守るため」

 するとロゥリィは破顔した。

「本気で言ってるのぉ?」

「そう言うことになっている筈だけど」

 伊丹のおどけたような言い方に、ロゥリイは「お為ごかしはもう結構」と肩をすくめた。

 帝国は、伊丹達にとって敵なのである。
 敵の敵は味方という考え方からすれば、ここは盗賊の味方をしてもおかしくないところだ。なのに伊丹達はそれをしない。

 ピニャは帝国の皇女として、フォルマル伯爵家を守っている。その為にイタリカを守ると、それに協力しろと伊丹らに交渉と言う名の命令をしてきたのである。
 その場にはロゥリィも同席していたが、あんまり気に入らない態度だったので、出て行ってやろうかと思ったほどだ。

 だが伊丹は「イタリカの住民を守る」ことには同意した。形の上でイタリカを守るという目的が一致する。だから共闘することとなったのである。

 だが、敵国の皇女たるピニャの指揮を受け容れる意味がわからない。現に、苛烈な攻撃を受けることが予想される南門で捨て駒にされている。

 伊丹は不器用なのか、暗視装置がうまく鉄帽に固定できないようであった。「気になる?」と問いつつロゥリイに鉄帽を保持してもらって、両手で装着していく。

 背丈の差があるため、それは遠目にはロゥリイに祈りを捧げるために、伊丹が頭を垂れているかのように見えなくもない。

「エムロイは戦いの神。人を殺めることを否定しないわぁ。でも、それだけに動機をとても重視されるの。偽りや欺きは魂を汚すことになるわよぉ」

 作業を終えた鉄帽を、伊丹がロゥリィから受け取ろうとする。だが、ロゥリィは伊丹に手渡さずに、自らの両手をさしのべて伊丹の頭に載せようとした。

 伊丹は首をくぐめてロゥリイに鉄帽を載せて貰う。ロゥリィの疑問に対しては、唇をゆがめる。どうやら笑ったようだ。それがロゥリイにはことさら意味ありげに見えた。

「ここの住民を守るため。それは嘘じゃぁない」

「ホントぉ?」

「もちろん。ただ、もう一つ理由がある…」

 ロゥリィは、真実を見極めようとしてか伊丹の目を覗き込んだ。

「俺たちと喧嘩するより、仲良くした方が得かもと、あのお姫様に理解して貰うためさ」

 ロゥリィは邪悪そうに微笑んだ。伊丹の言葉を彼女流に理解したのである。

「気に入った、気に入ったわ。それ」

 お姫様の魂魄に恐怖と言うもの刻み込む。わたしたちの戦いぶりを余すことになく見せつける。「自分は、こんなのを敵に回しているのだ」と身体が震え出すぐらいに。そうすれば、喧嘩するより仲良くしたいと思うことだろう。

「そう言うことなら、是非協力したいわぁ。わたしも久々に、狂えそうで楽しみぃ」

 ダンスの相手に挨拶するかのごとく、ロゥリイは黒いスカートを摘んで優雅な振る舞いで頭を下げるのだった。






 戦闘は、夜中過ぎから始まった。
 それは日の出まであと数刻という頃合いを見計らって攻撃だった。

 深淵のような暗闇の向こう側から、盗賊側弓兵による火矢が『東門』に降り注ぐ。

 東門の防衛を任されていたのは、正騎士ノーマ・コ・イグル。
 ノーマの指揮にて、警備兵や民兵による反撃の弓射が行われる。民兵と言っても、矢が弾ければいいと言う理由で動員された、これまで弓を手にしたこのもないような農夫や若者だ。当たることなど最初から期待されてない。だが、そんな彼らの矢も敵を牽制するには有効だったし、ごく希に当たることもある。

 しばらくの弓射戦が続く。
 互いに兵士が、農夫が、そして盗賊に身を落とした兵士達がうめき声を上げながら倒れていく。

 すると弓兵の間隙を縫うようにして、堅牢な楯を並べ鎧で身を固めた歩兵が城壁ににじり寄ってきた。様々な国の軍装を纏い、楯の大きさも形も、円形あり方形あり。その出身の多国籍さを感じさせる盗賊達である。

 これに対して、腕まくりした商家のおばさんや、年長の子ども達が石を投げ岩を落とし、溶けた鉛や熱湯をふりまいた。当たるかどうか解らない矢よりも、これらの方がはるかに効果的で、破壊力があった。

 壁の下では、頭上に掲げあげた楯で壁をつくった盗賊達が、降り注ぐ雨のようなこれらを避けつつ城門へとたどり着く。寄せ手は矢に傷つき、岩に押しつぶされ、石礫を頭部に受けて昏倒し、そして熱湯にのたうち回るが、それでも退くことがない。

 まるで、アルヌスを落とせなかった恨みをここではらそうとするかのごとく執念を見せて、城門に取りいた。巨木を攻城槌として、城門を叩き始める。

 盗賊達…彼らにとってアルヌスで戦いは『戦争』ではなかった。敵の姿も見えず、何が起こっているか理解できない内に、一方的に味方だけが倒れていくという理不尽さに歯噛みし、自分達が相対するのはこんな敵だと教えてくれなかった帝国を憎悪し、自分達を無駄な死へと追いやるだけだった無能な将帥を罵倒しつつ、泥水をすすり、しがみつくようにして生き残ったのである。

 指揮官を失い、僚友を失い、所属する軍を失って補給もなく、食糧もなく、荒野を彷徨した彼らは、盗賊と呼ばれる身に落ち故郷を失った。やがて同様な境遇の者が集まって、数を増し、ここまでに至ったのである。

 帝国に対する意趣返し、そんな逆恨みにも似た暴力的な思いだけが彼らを駆り立てていた。要するに、八つ当たりであった。

 これが戦争。剣で敵を切り、矢を撃ち合い、火をつけ、そして馬蹄で蹂躙する。

 これこそが、戦い。犯して、奪って、殺して、殺される。

 これこそが戦争。血湧き肉躍る戦争を味わおう。

 そう、既に彼らは戦争そのものが目的となっていた。自分たちの戦争。自分たちの満足のいく戦争。わかりやすい殺戮と、わかりやすい自分の死。死んでいった戦友達が味わうことの許されなかった贅沢な手応え。刺し、斬り、刺されて倒れると言う肉の感触に充ちた戦争。敵の温かい血を浴びて、冷たい大地を抱擁しながら息絶える。それを味わうためだけに、彼らは前に進んでいた。これが無ければ、彼らの戦争は終わらないのだ。

 何本もの梯子が城壁にかけられる。

 これを、楯を構えた盗賊達がわらわらと昇る。飛んでくる矢を避けるために、楯をハリネズミのようにしながら兵士がいよいよ城壁上へとたどり着く。

 勇敢な農夫が、矢を受けながらも斧を振るって梯子をたたき折る。兵士達は、その農夫の勇気を賞賛の思いで弓撃った。「おみごとっ!」と喝采しながら農夫を殺す。

 支えを失った梯子が、兵士達と共に地面へと倒れていき、激しい衝撃で人の形をしたものが、ゴミのようにまき散らされた。農夫もそれを追うようにして大地へと、抱きついていく。

 大地を叩く衝撃とともに、歓声が上がった。

 それはあたかも祭りのごとき陽盛な狂乱。剣で楯を叩いて、兵士達がそれぞれの言葉で歓呼の声をあげた。

 これこそ、戦いの神エムロイへの賛歌。戦いの熱狂こそエムロイに捧げる供物。戦いの篝火は、死んでいく戦士達の霊魂を燃料として燃え上がる。

 火矢の炎は城壁の鐘楼を包み、闇を背景に周囲を赤々と照らしていた。






 使徒、ロゥリイ・マーキュリーはしばし耐えていた。両の腕で自らを抱きしめて耐えた。
 額に汗を流して耐えていた。

「な、なんで?」

 周囲に漂う戦いの魔気が、彼女の肉に染みる。精神を犯す。

「ここに攻めてくるんじゃなかったのぉ?」

 戦の炎が心を焦がし、腹中の底から沸き上がる甘美な衝動が、脊柱を突き抜くように駆け上がる。
 これに耐えかねて腕が、脚が勝手に動きだす。魔薬に酔った巫娼のように猛り舞う。

「あっ、くぅ」

 内からあふれ出る快感に狂い絶頂が彼女を貫いた。闇を背景に黒い亜神が身を捩った。それはあたかも舞い踊るかの様にも見える。

「大丈夫なのか?」

 ロゥリイの狂態に驚いて伊丹が駆け寄ろうとしたが、レレイとテュカに止められる。

「彼女は使徒だから…」

 よく解らないが、それがロゥリイが煩悶に苦しむ理由らしい。

 レレイは告げる。

 戦場から離れていてもこれだ。離れているからこそこれで済む。だが、もし彼女が戦場の真っ直中にいたらどうなるか。

 敵と見なした者を、衝動的に殺戮して回る。そうしないわけには行かなくなる。これを押しとどめることは誰にも、彼女自身にすら不可能なのだ。

 レレイの説明に、慄然とする伊丹であった。






「盗賊なら農村あたりを襲ってればいいんだ!城市を陥そうとするとは、生意気な!!」

 騎士ノーマはそう怒鳴りつつも気付いた。こちら側の矢が当たってない。いくら、こちらが素人ばかりにしても、飛んでいく矢の軌道が微妙に目標からそれるというのもおかしな話なのだ。まるで風の守りを受けているとしか思えない。

「まさか、敵側に精霊使いが?」

 ノーマは剣を抜いて城壁上へとたどり着いた盗賊、南方兵を一刀のもとに斬り伏せた。斬られた兵士が、壁から転落して大地へと叩きつけられる。

 だが、すぐ後に北方の斧を手にした髭面の盗賊がノーマへと斬りかかってくる。

 これを剣で受けると、その後ろから槍を抱えた盗賊が、その後ろから棍棒を抱えた敵が、モーニングスターを抱えた敵が、双剣を手にした敵が、半月刀を手にした敵が次々と守備の兵士や民兵達に襲いかかった。それは、洪水を手で防ごうとするようなものだった。ノーマは瞬く間に敵の群れに飲み込まれてしまった。

 次から次へと溢れ出てくる盗賊達。その勢いにイタリカの住民達は押しまくられ、後ずさり、留まることが出来なかった。






 ピニャの作戦は、当初より微妙な齟齬を見せていた。

 一次防衛線である城門が破られることは織り込み済みだった。でも、崩れ始めるのが早すぎるのである。すでに、城壁上が戦場となって、警備兵や民兵が駆逐されつつある。

「味方がもろすぎる。士気は上がっていたはずなのに」

 敵はこちらの計略を警戒して、もっと慎重に攻めて来るはずだった。

 だが、ふたを開いてみれば、敵に慎重さなど影も形もなかった。

 戦術も計略も関係ないとばかりに、ただただ攻め寄せてくる。いかにも戦慣れした敵兵が、勢いに任せてひたすら突き進んでくる。

 そして、これを受ける民兵も警備兵も、最初から腰が引けていた。そのせいか、ピニャが期待したほど敵を拘束できず、消耗させることも出来ていない。

 だが、全体的な状態としては、まだ作戦どおりと言えなくもない。

『現実は、頭で考えることとは違う』…この言葉を、言葉として知っているだけのピニャにとって、現実と予定が解離することはあって当然と位置づけられていた。だから、何故、自分が計画していたことと異なって行くのかという事に考えを巡らせることが出来なかったのである。

 なんとなくの違和感、奥歯に物の挟まったような感触を感じながらも、ピニャは敵の主目標が東門であるとみなし、予定通り主戦力を東門内側に作り上げた防塁へと移動させることにしたのだった。

 東門も、南北と西の門と同じく、内側に防塁と柵を並べて二重の守りが形成されている。

 二重の守りと言えば聞こえがよいが、最初の守りは突破されることを前提にした、いわば捨て駒の消耗品扱いと言うことだ。

 最初の戦いでは、市民達はそのことを理解できなかった。だが、今となってみればわかる。城門の守りにまわされた市民や兵士は最初から見捨てられているのだ。そのことに気付いて頑張り続けられる人間がどれほどいるだろう。

 城門の後ろに作り上げた土塁と柵。そこにどんどん味方が集まって来るのに、彼らはそれ以上前に出て来てくれない。今ここで苦しい思いをしている自分達が、ここで殺されるのを見ているだけ。それを見て絶望しない者がどれだけいるだろうか?

 自棄になって無闇に剣を振るう者もいたが、そんな力は続くものではなく、たちまち切り刻まれて倒れてしまう。

「まだら緑の服を着た連中は?援護は?」

 彼らが来るはずがない。だって、彼らも捨て駒として南門に配されたのだから。

 こうして、最後の1人が倒れるまで市民達は城門の殺戮を眺めることとなった。

 東門を占拠した盗賊達は、そのまま内部へと乱入してくると思いきや、そうは振る舞わなかった。剣で槍で天を突き上げ、数回の歓呼を上げる。それは、読んで字のごとくの『血祭り』であった。そして、ゆっくりと城門が開かれて、外から騎馬の兵が招き入れられる。

 馬蹄の音と共に現れた騎馬兵は、城壁から落下した民兵や守備兵の遺体を引きずっていた。彼らは、城門内へ向かって市民の遺体を投げ込み始める。

 石を投げていた子どもや、おばさんの遺体が放り込まれる。

 農夫や職人の頭が投げ込まれる。切り刻まれた身体の一部が投げ込まれる。

 敵が勢いに任せて攻め込んでくるのを待っている市民達の前に、彼らの友人や親戚、親や子の死体が山積みにされていった。

 柵を挟んで対峙する市民達は、歯噛みして泣き、わめき、絶望する友人を支えた。そんな彼らを盗賊達は嘲笑する。

 罵声を浴びせる。

 柵に籠もって出てくることの出来ない臆病者と罵った。

 死体を人形遊びの道具のように弄んだ。

 ただの農夫・商人に武器を持たせただけの民兵が、これを見てどうして耐えられるだろう。

「こんちくしょうっ!!」

 血気盛んな若者がフォークシャベル片手に柵を飛び出していき、それを留めようとした者、一緒に駆け出す者が防塁から飛び出してしまった。後は、誰も彼もが勢いにつられて飛び出していく。

 こうして城門内の戦いはピニャの意に反して始まり、彼女の作戦は破綻したのである。






 嬌声あげるロゥリィの苦悶は、次第にその度合いを上げているようであった。

 息を切らせ髪を振りみだし、身体を弓のように反らせる。頭を掻きむしるようにして抱え、悩ましげに啼泣する。両の脚で床を踏み蹴る。

 熱に魘されたように喘ぎ、爪を立て表情をゆがめて、呪いに絡め取られ、舞うことを強いられた操り人形のごとく、身体を震えさせ、痙攣させ、そして手足を振るう。

 自らの意思で止めることが、停めることが出来ないのだ。呪いの舞い。狂気の舞い。だが、同時に美しく、麗しいダンスのようでもあった。

 レレイの説明によると、戦場で倒れていく兵士の魂魄が彼女の肉体を通してエムロイの元へと召されていく。その魂魄の性質、戦いの気質にもよるが、それは亜神にして神官たる彼女にとって魔薬にも似た作用をもたらすらしい。

 いっそのこと狂いきってしまえば楽になる。狂乱に身を任せてしまえばよい。だが、狂いたいのに狂いきれない、狂うことが許されない。今ひとつ突き抜けることの出来ないもどかしさが、彼女を責め苛み、苦しませている。

「ダメょ、駄目、ダメなの。このままじゃおかしくなっちゃう!!」

 咽の奥からの絶叫。彼女の声を背中で聞いていた戸津が、「やべーよ、勃っちまった」と呟いた。

「言うな、俺もだ」

 ペドフィリアの気など全くない彼らに何を連想させたかは言うまでもないことである。律動的に身を震わせるロゥリィの声は、それほどに艶めいていた。

 さすがに、女性として思うところもあってか栗林が伊丹に「まずくないですか?」と声をかけてきた。テュカも、赤らんだ頬を掌で押さえている。レレイはよくわかってないのか、きょとんと冷静な様子。

 伊丹は、深々としたため息をもって答えとする。

 ここは敵味方からすでに忘れ去られたかのようである。敵の姿はまったく見えないし、味方からの連絡もない。故に東門の状況を把握することもできない。

 アルヌスからの援軍が到着するのもそろそろのはず。攻撃誘導もしなければならないから、誰かを送り込む必要はあるのだ。

「栗林っ!」

 栗林が「はいっ」と返事して一歩進み出た。

「済まないが、ロゥリイに付いてやってくれ。男だと色々まずそうだ。あと、富田二等陸曹と俺。この四人で東門へいく。桑原曹長、後は頼む」

「ロゥリイ、いくよっ!少しの間、辛抱して!」

 栗林のかけた声に、ロゥリィはハッシとしがみつく事で応えた。だが、最早ロゥリィは待っていることが出来なかった。

 ロゥリィはビル三階ほどの城壁から軽々と飛び降りると、東に向かって脱兎のごとく走り出す。

 伊丹達は、城壁を駆け下りると手近なところにあった73式トラックに乗り込んだ。富田がエンジンをかける。エンジンの咆哮とともに彼らはロゥリィの後を追うのだった。






 薄暮に覆われた空を、AH-1コブラの三機編隊を先頭にして、UH-1J等のヘリコプターの集団が飛んでいた。

 空気を切り裂くローター音。

 薄闇に覆われた大地が、下方を流れるように過ぎ去っていく。かなりの高速で移動しているのがわかった。

「健軍1佐!あと5分で現地到着です」

 コ・パイからの報告を、健軍は頷いて受けた。

 用賀2佐が、「3Rcnからの報告によると、すでに東門の内部で戦闘になっとるそうです。段取りとしては、東側から接近して城門と、門の外側の目標を掃討していこうと思っちょります」と報告する。

 健軍は、これも頷いて受け、一言「2佐に任せる」とだけ伝えた。

 機内の隊員達も、小銃に弾倉を装着していた。

「あと、2分!!」

 用賀は、そう言いながらコンポのスイッチを入れた。

 ボリュームを最大に調節し、再生のボタンを押す。

 管弦の音色が流れ始めた。
 木管の軽快なリズムの盛り上がりは天馬の疾駆、主題となるメロディが続いて、軽快なラッパが高らかに鳴り響く。

 それは、8騎の戦女神をイメージしたものだった。

 小銃の支度を終えた隊員の1人が、お約束に従って被っていた鉄帽を腰の下におく。それを見た同僚が尋ねた。

「何やってんだ?」

「タマをまもるのさ!!」






 剣を叩きつけられて、血しぶきが飛び肉片が舞う。

 人体の頭部が、浜辺のスイカのようにたたき割られ、撃剣の音が、建設工事の現場のごとく響いた。

 絶命の叫び。苦痛に呻く泣き声。

 怒りの怒号。裂帛の気合い。

 ラッシュアワーの駅のごとく、人の群れがぶつかり合う。

 誰も彼もが、周囲の出来事に気を払うことが出来なくなり、ただ敵が視野に入れば、剣を槍を振るう。腰砕け、地を這いながら敵の居ないところへと隠れ、逃れようとする者もいる。だが、騎馬の馬蹄に踏みつけられ、つぶされていく。

 そこかしこに散らばる死体、遺体、遺骸、屍体。石畳の地面は赤黒い血をもって塗装され、敵も味方も区別啼くその身に血を滴らせていた。

 だから遠くで、空気を叩く音が響き始めたことに気付かない。

 どこからともなく、ホルンの音と共に、女声による歌声が天空を駆けめぐっていることなど誰も気にも留めなかった。

 ところが、時が停まった。

 土塁を、柵を飛び越えて彼女が降り立ったその瞬間に。

 人馬を蹴倒して、敵も味方も問わず彼女の周囲からはじき飛ばされ、周囲にぽっかりと穴が空いたかのごとく、疎なる空間が産まれた。

 その瞬間に全てが停まった。

 その破壊力と、衝撃に音が止み、戦いの喧噪が途絶える。空間を支配するのはオーケストラの調べ。

「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 突如現れた真っ黒な何かに、衆目が集中する。

        「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 それはフリルにフリルを重ねた漆黒の神官服を纏った少女。

                「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」

 彼女は、両膝を地に着けていた。

 彼女は、左手を大地においた。

 彼女は、後ろ手に回した右腕に、鉄塊の如きハルバートを握っていた。

 彼女は、伏せていた顔をあげる。神々しいまでの狂気を湛えた双眸を正面へと向ける。その黒髪は、凶々しいまでの神聖さで白銀のように輝いていた。

 その瞬間、ファンファーレを背景とした女神の嘲笑と共に、城門は爆発し炎上した。






[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 18
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:09d036a9
Date: 2008/05/19 21:14




-18-




 UH-1Jの三機編隊が、門外の盗賊に対して銃撃を浴びせつつ上空を通過する。

 通り過ぎる際には、お土産よろしく手榴弾を投げ落として行くと言う丁寧さは用意周到・頑迷固陋とまで言われる陸上自衛隊の性格を態度で表している。

 攻撃は、多方向からの波状攻撃によってなされていた。

 東から西へ、それが過ぎると今度は別の編隊が南東から北西へ向けて、さらに北東から南西へ、旋回して再び攻撃位置へ…次から次へと、左右から、前後から連続して停滞することない銃火に大地はムラ無く塗りつぶされ、動く標的は確実に殲滅されていった。

 盗賊達は、蜘蛛の子を散らすように走った。懸命に走ったつもりだった。だが、走ろうが騎馬だろうが、逃れられる余地はない。

 殺し、奪い、犯し、焼き払った盗賊が攻守を逆さまにし、銃弾を受けて大地にひれ伏していく。

 ばらまかれる銃弾を受けて、次々とうち倒されていく。

 気丈な者が、弓を引いて矢を射かける。だが、上空にむけて放った矢に力はない。届かずに落ちるか、届いたとしても小石ほどの威力もなかった。

 機上の隊員の1人が小銃を構え、視野の周囲にぼんやりと見える照門の中央に照星を置き、これを盗賊の頭部に重ねた。ヘリの移動速度、盗賊の逃げる方向と足の速さ…。それらを加味してリードをとる。

「正しい見出し、正しい引きつけ、正しい頬付け。コトリと落ちるように…」と呟きつつ、重さを2.7キロで調節された引き金をひく。

 三発の発射。

 右の肩に発砲の衝撃を受け止めながら、薬莢を回収しないでよいという事実に不思議な感動を憶えていた。

 いつもの貧乏性にも似た注意が薬莢の行き先にむかうが、ヘリの床を転がった薬莢はそのまま地上へと落下し、倒れた盗賊の傍らへポトポトと落ちる。

 硝煙に燻された真鍮の筒は、飴色に曇って輝いてなどいなかった。






 戦士の躯を供犠として、燃え上がる炎。

 イタリカの城門は紅蓮の炎に包まれ、地平線から昇る太陽によって周囲は輝きと熱とに照らされた。

 完全武装の兵士が、ズタズタに引き裂かれていく。

 死神の羽音。鳥などの生き物と違って、もっと猛々しく、荒々しいはじけるような音の連続。

 鉛の豪雨が浴びせられ、大理石の壁は軽石のごとく穴だらけになっていった。

 馬にまたがり、咽を涸らすほどに指揮の声を挙げていたピニャも、突然のことに声を失い、呆然とした面もちで惨劇をその目に焼き付けた。

 回転する翼をもつ『鋼鉄の天馬』。それに人が乗って天空を我が物顔で往来していた。

 天空を舞う兵士と言えば、竜騎兵が有名だ。だが、ピニャが目にしたものは生き物のそれとは違う。もっと禍々しい別の何かだった。竜騎兵の攻撃は、もっと優しいのだ。弓や槍や剣は互いに敵意を交わし合うものなのだ。だが、これは違う。絶対的で一方的な拒絶であり、徹底的なまでに凶暴だった。

 『鋼鉄の天馬』が火を放つたびに、大地の何もかも、石も珠も問わず、あらゆる全てが破壊され、うち崩されていく。馬の頭部が爆発したかのようにはじけ、周囲の人を巻き込んで転倒する。


「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」


 死の交響曲。宮廷での生活で様々な音楽に接する機会があったが、ピニャはこれほどまでに、美しく荘厳な演奏を耳にしたことがなかった。ホルン、ファゴット、様々な管弦の音色と、歌手の大音声が戦場を満たし、死への伴奏を叩きつけていく。ベルリ○・フィルの名演奏をエンドレスに編集されたそれは、最も盛り上がる場面を繰り返し、繰り返しピニャの耳に流し込んでいた。


    「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」


 ピニャは、氷の剣を背筋に突き立てられたような身震いを感じていた。あらゆるものが一瞬のうちに、人の手で逆らうことの許されない絶対的な暴力によって、叩き潰されていく。感動、負の方向への感動と、正の方向へと感動。その入り交じった交錯が、彼女の肉体と精神をはげしく揺さぶる。


        「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」


 ピニャの魂魄が、左右からの鉄の連打を受けて打ちのめされる。
 人とはなんと無価値で、無意味なのかと、絶対的な無力感を突きつけられていた。


             「Hei-a ha!------- Hei-a ha!----」


 これまで敵と言えば、等身大の存在であった。
 だが、それは明らかに違った。
 正視することの許されない、だが目をそらすことすら許されない何か。


「Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!


            Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!」


 ワルキューレの嘲笑と呼ばれる歌詞を歌い上げる女声に、ピニャは徹底的に打ちのめされた。誇りも名誉も彼女が価値あるものとして、頼ってきた全てのものが、一瞬のうちに否定された。

 意味のわからない歌声が、彼女にはこう聞こえる。

 なんと矮小な人間よ!

 無力で惨めで、情けない人間よ!

 お前の権力、権威など何ほどのものか。お前達が代を重ねて営々と築いてきたものなど、我らがその気になれば一瞬にして、こうだっ!!

 ピニャは涙を流しながら確かに、女神からの蔑みを感じた。と、同時に自分を遙かに凌駕する偉大なるものの存在を知った。

 強大なもの。

 まぶしきもの。

 彼女の心に沸き上がったのは尊敬であり、畏敬の念。

 そして、それら尊崇すべき存在が、自分とは全くの無縁であることの絶望。お前は決してそれらのようにはなれないのだと突き放してくる宣告。

 かつて、ピニャの将来を定めたと言える歌劇を見た時の憧れと感動が、この時ことごとく塗りつぶされしまった。






「やばいっ!ロゥリイの奴、敵の真っ直中に出ていきやがった!」

 伊丹のオタク的部分は、ロゥリィがとてつもなく強いと予測していた。

 だが、現実的かつ常識的な部分が、あの見た目が華奢で小柄なロリ少女が、強いと思えるのはどうかしてると、盛んに訴えていたのも確かなのである。

 そのためにどうしても心配になった。共に過ごした時間もそれなりにあるので情も湧いている。見捨てるとか放っておくという発想はどこを探しても出てこなかった。

 伊丹は、トラックを降りると「つけ剣」と自ら号令して小銃に銃剣を装着した。

 栗林も、富田も着剣している。銃剣の柄を掌底で2度叩いて装着を確認する。

 互いに見合わせて安全装置を『ア』より『レ』へと捻る。「はなれるなよっ」と告げて、前進を始めた。

 だが真っ先に、鉄砲玉みたいに突っ込んで行ったのは栗林だった。

 伊丹と富田は「ちっ、あの馬鹿女」と呟きつつも、距離をあけないように人垣をかき分けて懸命に追う。

「突撃にぃ、前へ!!」

 目標を定めて数歩進み、小銃を構えて短連射。

 更に数歩走って、今度は腰だめに小銃を短連射。

 訓練に訓練を重ねて身にしみこませた動作が、繰り返された。

 盗賊の数人が、血しぶきをまき散らしながら倒れる。

 見ると、ロゥリィは舞うようにハルバートを振り、叩きつけ、ぶん回して、楯もろともたたき割って敵を蹴散らしていた。危うげな様子は少しもなく、軽快なヒップポップのような軽やかさだった。その周囲にはすでに屍体の山が築かれている。

 敵は楯を使って圧迫し、押し退けて突き飛ばそうとし、楯の上を越えて剣を突きだしている。楯の下縁りで脛を打とうとしてくる。だが、ロゥリィはふわっと身を退くと、大上段に構えたハルバートを叩きつける。

 それはあたかも薪割りのようで、楯ごと敵を二つに引き裂いた。

 背後に回り込もうとする敵には、鈍く尖った石突きが待っている。振り返りもせずに突き出されたハルバートの柄が深々と敵の腹部に突き刺さった。

 四方八方から同時に突き出される槍を、まるで棒高跳びのようにハルバートを支えにして中空に舞ってかわす。

 黒薔薇のように広がるロゥリィのスカート。徹底的に黒で固めたガータベルトとショーツ、そしてなめらかな曲線で描かれた美脚を冥土の土産と見せつけて、回転する勢いをそのままハルバートにのせて円を描く。

 プロペラのような旋風が、盗賊達の首を高々と跳ね上げていた。噴水のごとく吹き出す血潮。

 赤い雨粒をその頬に受けながら、風を斬り、鉄を斬り、肉を断つ。

 恐怖と憎悪と殺意を寄り合わせた力任せの大剣が、ロゥリィの頭上に振り下ろされる。

 だが、ロゥリィの清澄な眼差しが毛一筋ほど隙を見いだし、命を賭した渾身の一撃を空回りさせる。
 ロゥリィはスカートの縁を左の指先で摘みつつ闘牛士のそれに似た身のこなしで、猛牛のごとき突進をかわした。

 そこへ、これに栗林が加わった。

 喊声を上げながら銃剣による直突!ロゥリイを背後から襲うとした敵を貫く。

 発砲しながらの反動で、刺さった銃剣を引っこ抜いて、そのままの勢いで後ろの敵に斜めから斬撃。直突、直突、構えを入れ替えて銃床を使っての横打撃。直打撃、打撃、打撃!ぶっ倒れた敵の鼻先に銃口を突きつけて、引き金を一回引く。

 斬り付けてきた敵の剣を小銃で受け停める。小銃の2脚が吹っ飛び銃身を覆う下部被筒が派手に凹むが、気にせず脛を掃蹴。派手に倒れた敵の鼻面を、兜の上から半長靴で踏みつぶす。

 カラカラとちぎれた2脚が落ちて。「あちゃ~」と呻いて武器陸曹の顔を思い出す。だが、このために89ではなく64小銃を持ち込んでいるのだ。栗林は「消耗品、消耗品」と自ら言い聞かせながら、小銃を握り直した。

 前時代的で野蛮な白兵戦。だが栗林は、それを特技としていた。

 小柄ながらまるで猫のような俊敏さで、敵を寄せ付けず手を焼かせ、逆に圧倒していた。敵が距離を置いたかと思えば、小銃を短連射。弾が尽きて、手投げ弾を敵の頭上を越えるように投げ込む。

 ラッシュ並の混雑だ。敵の肉体そのものが楯になってくれると判断する。実際、背中を突き飛ばすような爆発に狼狽したのは敵だ。混乱し戦意を喪失し、楯を列べて防ごうとする。

 そこへ素早く拳銃を抜いて、問答無用の3発連射。所詮は木製の楯。9㎜拳銃の弾を受けて、一発目で板が割れ、2発目で砕け、3発目がその向こう側の敵兵に当たる。

 切り開かれた突破口にロゥリィが突っ込み、抉り、傷口を拡大していく。その間に栗林は小銃の弾倉を交換。

 伊丹と富田は、自分達が手綱をひかないとやばいと思って、彼女らの背中を守った。小銃と拳銃と銃剣とを駆使して敵を回り込ませないことにだけ集中する。

 少し距離を置いて、頭を冷静にして見ると女性2人の戦いぶりは実に見事だった。特にロゥリィは無敵な強さを見せていた。脳内麻薬の作用か、それともそう言う性格なのか、実に2人とも爽快そうな笑みを見せている。いっちゃった表情である。そういう女性の顔はベットの上で見たいものである。

 2人は即興の連携を見せた。

 銃剣で突き、ハルバートを叩きつけ、銃撃し手榴弾を投げ、ハルバートの柄で払い、蹴りや鉄拳をもって敵を支え、圧迫し、突き放し、押し返す。

 弾倉の交換ももどかしい。栗林の弾が切れたと見るや、伊丹は自分の銃を栗林に放り投げた。代わりにガラクタ寸前となった栗林の銃が帰ってくる。

 敵味方入り乱れた乱戦の真っ最中だったイタリカの警備兵や民兵達も、敵の勢いが急激に萎んでいくことに気付いた。周囲を見渡す余裕が出来て、はじめて伊丹達の存在に気付く。

 エムロイの使徒だ!『まだら緑の服を着た連中』が来てくれたぞ、の声と共に次第に秩序を取り戻し、構えた農具を連ね、互いを助け合う連携を取り戻し始める。爆音と、オーケストラの音に今更ながら気付く。


「Zu ort-linde's Stu-tr stell'


   deintn Htngst mlt mtiner


     Gran-en gras't gern deln Brannerl


       Hei-a-ha! Heia-ha!


         Die Stu-te stosst mir der Hengst!


           Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!


             Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!


               Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!」



 すると、天を被っていた黒煙を切り裂くようにして戦闘ヘリが姿を見せた。

 その威容に人々は圧倒された。天を見上げ、指をさして天空から舞い降りた鋼鉄の天馬に見入っていた。

 AH-1コブラの20mm M197三砲身ガトリング砲の砲口がロゥリィ達に押しまくられて密集しつつある敵へと向けられる。

 それを見て、伊丹と富田が互いに見合わせて頷いた。

 伊丹がロゥリィを、富田が栗林の首根っこをとっつかまえると、背後から抱き上げて「下がれ下がれ!!」と怒鳴りつつ後ろへと後退。

 伊丹等が下がるのを待ちかまえていたかのように、毎分680~750発もの発射速度で吐き出される直径20ミリの砲弾は、瞬く間に敵をミンチへと変えていった。

 コブラが、弾をばらまきながら高度を下げてくる。それは最終的な破壊だった。

 燃えさかる炎、全てを一瞬にして消し飛ばす集中豪雨であった。

 程なくして、ガトリング砲の射撃が止んだ。オーケストラの演奏もようやく終わりを告げて、耳にはいるのはローター音。そして後に残るは煙の漂う火事場跡。

 UH-1Jヘリが、次第に集まってきて上空にホバリングする。

 綱が降ろされて、それをたどって次々と自衛官達が懸垂降下してくる。機敏な動作、統率のとれた振る舞いで、周囲を警戒し、敵味方の生存者を捜していく。

 最早誰も『まだら緑の服を着た連中』などとは言わなかった。その数にしても実力にして、いずこかの兵士であることは間違いないからだ。尊崇の念を込めて、富田に対してどこの誰かと尋ねる者がいた。「自衛隊」と言う答えを得る。

 ロゥリイは強力なローター風によって、吹きさらされる髪を気にしつつ、風で舞い上がりそうなスカートを押さえ込みながら周囲を見渡す。だが、少なくとも彼女の周囲に立っている敵はなかった。

 ふと、気付く。

 自分が誰かに抱え上げられていることに。

 彼女が身を預ける左腕が脇の下から胸元に上がり、手袋に包まれた掌が彼女のささやかな右の乳房を押さえ込んでいることに、ロゥリィ・マーキュリーは気付く。そして、その桜色の唇をニィとゆがめて、その隙間から鋭い犬歯を覗かせるのだった。





    *      *





 ピニャは、伊丹、ロゥリイ、テュカ、そしてレレイの4人を前にして、語りかけるべき言葉が見つからず窮していた。

 昨日はこの4人を謁見して、高みから協力を命じる立場だった。
 背もたれに身体を預け、典雅に茶など喫しながら、重要なはずの問題をまるで些細な雑用仕事でも扱うかのように臣下に結論から突きつける。それがピニャの、宮廷貴族の考える優雅な仕事の進め方なのである。

 昨日は、ここまでとは言わなかったが、それに近い態度をとることが出来た。

 だが、今日の自分の体たらくはどうだ。惨めな敗残者ではないか。

 確かに盗賊は撃退できた。市民達は勝利と生き残ったことを素直に喜んでいる。

 無論、失われた命を悼むこと、家族を亡くした悲しみを乗り越えるのにも時間が必要だろう。街や荒廃した集落の再建も難題だ。だが、身近な者が命を賭して得た勝利だからこそ、今は喜ぶべきなのだ。悲しむばかりでは彼らが頑張った甲斐がないではないか。

 その意味では、ピニャも勝利者の側にいて勝利を喜ぶべきなのだ。なのだが、この惨めな気分によって徹底的に打ちのめされていた。

 少しも勝ったとは思えない。

 勝利したのはロゥリィや、伊丹達『ジエイタイ』を自称する軍勢だ。不当にも神聖なアルヌスを土足で占拠し続けるこの敵は、鋼鉄の天馬を駆使し、大地を焼き払う強大な魔導をもって、ピニャが手を焼いた盗賊らを瞬く間に滅却してしまった。

 今、彼らがピニャに対してイタリカに対して牙を剥いたら、彼女にはどうすることも出来ないだろう。帝国の皇女とフォルマル伯爵公女ミュイは2人そろって虜囚となり、帝都を支えるの穀倉地帯は敵のものとなる。

 住民達は、どうするだろうか?抵抗するだろうか?
 いや、かえって喜ぶ。きっと、彼らを歓呼の声で迎えるだろう。何しろ、住民達の勝利を決定づけたのはジエイタイなのだから。『まだら緑の服を着た連中』の廉潔なる様は、コダ村の住民達によって、口々に語られている。

 政治を解さない民は単純だ。自分の利益、しかも一時的な利益に簡単に吊られて靡いてしまう。

 もし、彼らが開城を要求して来たら……妾は彼らの前に膝をつき、取りすがって慈悲を請い、我とミュイ伯爵公女の安堵を願い出るしかないのかも知れない。

 妾が、敵に慈悲を請う?誇り高き帝国の皇女ともあろう者が!?まるで、宿場の安淫売のように男の袖を引くと言うのか?

 ピニャは、ギッと奥歯を噛みしめた。

 今の自分なら、足の甲にキスしろと求められたら、してしまうかも知れない。どのような屈辱的な要求にだって、応じてしまう。そこまで自信と心とをへし折られていた。

 ピニャは、伊丹等が要求を突きつけて来るのを、恐る恐る待っていた。

 待っているつもりだった。だが…次第に視界が彩りを取り戻して、ピニャに現実の風景を示し始める。耳が周囲の音声をあつめて、ピニャの意識へと届け始めた。

「捕虜の権利はこちら側にあるものと心得て頂きたい」

 レレイが、ピニャの傍らに立つハミルトンの言葉を健軍一等陸佐に通訳していた。語彙の関係上、伊丹だけでは通訳が難しいので、まだまだレレイの手伝いが必要なのである。

 健軍は、直立不動の姿勢のまま頷く。

「イタリカの復興に労働力が必要という貴女の意見は了解した。それがこちらの習慣なのだろうが、せめて人道的に扱う確約を頂きたい。我々としては情報収集の為に、数名の身柄が得られればよいので確保されている捕虜の内、3~5名を選出して連れ帰ることを希望する。以上約束して頂きたい」

「『人道的』の意味がよく理解できぬが…」

 苦労するのはレレイだ。無表情の彼女が額に汗して、意味を伝えようとしている。

 曰く「友人、親戚、知り合う者に対するように、無碍に扱わないことと解される」と彼女なりの理解で説明するのだが、ハミルトンは眉を寄せるばかりだ。

「私の友人や親戚が、そもそも平和に暮らす街や集落を襲い、人々を殺め、略奪などするものか!」

 声を荒げ怒鳴りかけたハミルトンを制するように、ピニャは声をかけた。

「良かろう。『求めて過酷に扱わぬ』という意味で受け止めることにしよう。此度の勝利にそなたらの貢献は、著しいのでな、妾もそなたらの意向も受け容れるに吝かではない」

 ハミルトンも、これまでずうっと黙していたピニャが口を開いたことに安堵したようである。

 レレイと健軍がぼそぼそと言葉を交わし、レレイが通訳した言葉を伝える。

「そのような意味で解していただければよい」

 思わず口を挟んだが、ここはどこで、今自分は何をしているのか?

 ピニャは自分の持っている知識、解釈力を総動員して現状の確認を急いだ。

 そもそもこの男は誰だ?

 ピニャの目前に立つのは、闘士型の体躯をもつ壮年の男だった。この男も『まだら緑の服』を来ているが、兵卒とは明らかに違う気配を有している。

 物腰こそ軟らかいが、額に刻み込まれた皺と肉の厚みを感じさせる頬はいくつもの苦難困難を乗り越えてきた男のものである。この男の堂々たる態度を裏打ちするもの、それは自信なのだろう。積み上げてきたものと実証に裏打ちされた自信。ピニャを求めて得られないものである。

 察するに『まだら緑の服』の軍の長であろう。

 気が付くと、ピニャは伯爵家の領主代行として気怠そうに椅子に腰掛けている。隣にはフォルマル伯爵公女ミュイが執事とメイド長に挟まれて腰掛けていた。

 喋っていたのはハミルトン。彼らと交渉し、意見を述べ、要求を聞き入れて物事を決定していたのは彼女のようであった。ピニャがボヤッとしている間、懸命に交渉の場を支えていたのだろう。

 ピニャは、慎重に言葉を選びつつ状況を確かめようとした。この場で、いったい何の約束がされようとしているのか?

 傍らに立っていたハミルトンを指先で招く。額や身体の各所に包帯を巻いたハミルトンが顔を寄せてきた。

「ああ、ピニャ様。お心が戻られましたか、ご心配いたしました」

「すまない…」

 そして、この場で決しようとしている内容を、再度確認するようにと指図した。

「おほん。では、今一度条件を確認したい」

 ハミルトンは朗々と歌い上げるようにして、条件を挙げていく。

「ひとつ。ジエイタイは、此度の戦いで得た捕虜から、任意で3名~5名を選んで連れ帰るものとする。この捕虜、および捕虜から得られる各種の権利一切は全てジエイタイ側にあるものとする。なお、フォルマル伯爵家と帝国は、所有することとなった捕虜を、過酷に扱わないことを約束する。

 ふたつ。フォルマル伯爵家ならびに帝国皇女ピニャ・コ・ラーダは、ジエイタイの援軍に対する感謝の印として、ニホン国からの皇帝ならびに元老院に対する使節を仲介し、その滞在と往来における無事を保証する役務を負う。なお、使節の人数、滞在の諸経費等の負担は協議によって定めるが、100スワニ相当分までは無条件で伯爵家ならびに皇女が負担するものとする。

みっつ。ジエイタイの後見する『アルヌス協同生活組合』は今後フォルマル伯爵領内・イタリカ市内で行う交易において関税、所得、金銭の両替等に負荷される各種の租税一切を免除される。

よっつ。以上の協約発効後、ケングン団長率いるジエイタイは、協約で定めた捕虜の受け取り以外、伯爵家、および市民の財貨一切に手を着けず、可及的速やかにフォルマル伯爵領を退去するものとする。イタミ率いる小規模の隊、及び『アルヌス協同生活組合』については、フォルマル伯爵家との連絡役務を果たすため、今後も領内往来の自由を保障する。

いつつ。この協定は1年間有効。なれど双方異存申し立て無き時は、自動的に更新されるものとする。

 以上 フォルマル伯爵公女ミュイ
    後見役 帝国皇女 ピニャ・コ・ラーダの名において誓約する。

帝歴687年 霧月3日」


 ハミルトンは、羊皮紙に書き込まれた文章を読み上げるとピニャの前に差し出した。

 何度も読み直してみたが悪い話ではない。と言うより、どうなっているのだ?と思うほどの好条件である。ジエイタイは勝者がもつ権利のほとんどを求めていないのだ。

 皇帝に対する仲介は煩雑だし、100スワニの出費は確かに痛いが、必要経費の範囲とも言える。これで済めば儲けものと言えよう。

 ハミルトンが頑張ってくれたようだ。

 ピニャは人の能力を見極めることについてはいささかの自信があった。だが、どうやら
ハミルトン・ウノ・ローの交渉能力については見極めを誤っていたようである。だがどうやったら圧倒的な戦闘力を有する敵に、勝者の権利を快く放棄させるような約束を取り結ぶことが出来るのだろうか?魔法でも使ったか?女の武器を使って交渉をとりまとめたか?

 いずれにせよ、外務局あたりに知れたら、ただちにスカウトがくること間違いなしである。騎士団としてもこの交渉能力は貴重だ。

 ピニャはそんなことを考えつつ、羊皮紙の末尾にサインをして、封蝋に指輪印を押捺した。

 隣席に、お行儀よく腰掛けているミュイ伯爵公女にもサインと捺印が求められた。

 ハミルトンが健軍の前に出て、羊皮紙を差し出す。

 これをレレイとテュカが確認して頷いたのを見て、健軍は漢字で署名を書き込む。

 ロゥリイは何故かそっぽを向いて不機嫌な様子で関わろうとしない。伊丹は何故か、右目周りに黒々としたアザをつくって、ぼやっと突っ立っていた。

 協約書は2通作成する。

 2通目の作成中に、ピニャの手元に一通目が戻ってきた。
 改めて書面を確認して見ると、健軍の署名が目に入る。そこに書かれている文字を見て、
なんともカクカクとしているなと感じるのだった。






 協約は直ちに発効され、401中隊は飛び去っていく。

 戦いの後始末に忙しい住民達も、一時手を休め彼らが空の向こうに見えなくなるまで、帽子や手を振っていた。

 レレイやテュカ、ロゥリイは商人リュドー氏の元へ向かって、商談を済ませた。

 取引に関わる税がかからない特権商人は儲けが大きいので、どんな商人だってお近づきになりたがる。しかもカトー先生の紹介となれば、粗末に扱えるはずもなく、交渉は至極簡単に進んだのだった。

 竜の鱗200枚を、デナリ銀貨4000枚+シンク金貨200枚で、取引をまとめることに成功した。

 ただし、銀貨4000枚を現金で決済することはやっぱり不可能だった。リュドー氏も頑張ってくれたのだが、フォルマル伯爵領内を盗賊達が荒らしたために、イタリカでは交易が停滞していた。さらに帝国とその周辺で貨幣が不足気味になっていたことも理由となってデナリ銀貨1000枚をかき集めるのが精一杯だったのである。

 結局、残る3000枚のうち、2000枚については為替で受け取ることとなった。

 残りの銀貨1000枚分は割り引くことにした。割り引く代わりにレレイはリュドー氏に一風変わった仕事を依頼したのである。
 それは各地の市場における相場情報の収集であった。出来る限り多品目で手の届く限り詳細に、事細かく価格を調べて欲しいと求めたのだった。

 この申し入れにはリュドー氏も鼻で笑った。

 一般市民に小売りするのと違って、商人間では何がいくらで売れる等という情報は、価格交渉の為の重要な武器であり手の内だった。これを単刀直入に尋ねる商人も、教える商人もいない。

 だが、レレイは商人としては素人であるため、何がいくらで取り引きされているかを知らない。知らないからこそ情報を集めようと思ったのである。ただし、より広く、より大規模に。そして代価を支払って。

「銀貨1000枚ねぇ」

 これまで、情報なんてものにこんな大金を支払う者などいたためしはない(小口の相談なら、これまでもあった)が、値が付いたのであれば、それはもう商売である。賢者カトーの愛弟子が求めるのだから重要な意味があるのかも知れない。また、商品の品質はよりよいものがモットーでもある。

 こうして、リュドー氏は八方手を尽くして情報の収集に力を入れることを約束したのであった。






 作中歌詞 Die Walküre/Wilhelm Richard Wagner, 1813年5月22日 - 1883年2月13日




[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 19
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:00a6177b
Date: 2008/05/26 21:10




-19-





 西へと向かう街道を、イタリカへと急ぐ騎兵集団があった。

 赤、黄、白の3色の薔薇で彩られた旌旗をたなびかせ、馬蹄の音を轟かせている。

 金銀に輝く胸甲と装飾鮮やかな武装。バナーのひるがえる騎槍の林が怒濤のごとく突き進んでいた。

 特に先頭をいく騎士。

 金色の長髪を風になびかせて、壮麗な武装で身を固めた女騎士が鞭で黒馬を激しく攻め立てている。彼女の愛馬は、その責め苦を軽く受け止め、躍動する筋肉は力強く大地を蹴っていた。

 彼女の見る風景は流れるように過ぎていた。だがまだ遅い、まだ足りない。そんな思いで握る手綱に力がこもる。鞭撃つ手にも力が入ってしまう。

「ボーゼス!!急ぎすぎだ」

 女声ながら落ち着いた重みのある響きが、先頭の騎兵にかけられる。

 背後を駆ける短栗髪の女騎士。馬は白馬。彼女らから大きく引き離される形で、騎兵集団が続いている。

 ボーゼスと呼ばれた女騎士は、振り返ると鈴のような声色で言い返した。

「これでも遅いくらいよっ!パナシュ」

「たが、君の馬が保たない。兵もどんどん落伍している。これでは現地にたどり着いても戦えないぞ」

「いいのよっ。落伍しようと最終的にイタリカへたどり着けばいい。今は時間が敵よっ!」

「しかしっ!」

「最終的に少数しかたどり着け無ければ、少数での戦い方をすればいい。今は少しでも早くたどり着くこと。それが第一よ」

 こうも言い切られれば、パナシュとて引き留めようがない。ボーゼスの後を追いつつ、例えそうであっても少し速度をゆるめるようにと言い聞かせるのがやっとであった。

 ボーゼスは不承不承ながらわずかに手綱を引く。馬も走る速度をゆるめ、わずかに後続との距離が近づいた。

「パナシュ…わたくしたち、間に合うかしら?」

「大丈夫。姫様はきっと保たせるさ」

「でも…」

 ボーゼスは、苛立つ気持ちを抑え込むので精一杯のようであった。遠く地平線の先へと伸びる街道。その遙か先、イタリカの方角一点のみを見つめていた。

 だから、最初にそれに気付いたのはパナシュであった。

「ん?」

 前方から何か近づいてくる。

 帝国の幹線街道とは言え、古代に作られたものを荒れるに任せているため道幅は狭く、向かい合った荷馬車がすれ違えるほどしかない。騎馬隊がこのまま全力で進めば、前方から近づく何かと激突することは必至だった。

 しかもその前方の何かは、意外なほどの速さでこちらに近づいてくる。箱形で、遠目ではよくわからないが、荷車のようにも見える。

「ボーゼスっ!!」

「判ってるわ」

「わかってないっ!前を見ろ」

 パナシュに指摘されてようやく気付いたのか、ボーゼスは舌打ちしつつ身を起こし、馬の手綱を引いた。

 パナシュは左腕を挙げて後方に停止を知らせつつ、手綱をひく。

 続いていた騎馬隊の騎士達は安堵したかのように、息を切らせいきり立った馬をなだめながら速度を落とした。馬も人も誰も彼もが、ぜいぜいと肩で息をしており、汗でびっしょりとなっている。

「ええいっ邪魔くさい。道をあけさせなさいっ!」

 後方の兵に排除を命じるが、それをパナシュが「待てっ」と、停める。

「あれは、イタリカの方角から来る。臨検してみよう、何かを知ってるかもしれないだろ?」とボーゼスをなだめつつ、ゆっくりと先へと進むのだった。





    *      *





「なんて事をしてくれたんだっ!!」

 烈火のごとく怒り、手にしていた銀製酒杯を投げつけるピニャ。

 意気揚々と捕虜を引見し、自らの功績を誇ろうとしたボーゼスは、突然のことに何が起きたのか理解できなかった。額の激痛とピニャの怒気にすくみ上がってしまう。顔に落ちてくる暖かな感触に手を触れ、その手をぬらした血液を見て、初めて右眉の上が深々と割れているという事態に気付いたのである。

 美しい顔(かんばせ)をつたい落ちる血液が、顎の先からポツポッ、ポタポタと絨毯に落ちてシミを広げる。

「ひ、姫様。どうしたと言うのですか!?我々が何をしたと言うのです?」

 ショックに座り込むボーゼスの額に手巾をあてながら、懸命に寛恕を求めるパナシュ。だが、ピニャも、傍らに立つハミルトンも怒ると言うよりは最早、あきれ果てたという様子で2人を見下ろすのだった。

 夕刻。
 騎士団を引き連れてイタリカに到着し、街が無事であったことに安堵したボーゼスとパナシュは、ピニャに対して到着を報告するとともに戦闘に間に合わなかったことを詫びた。これについてピニャは責めるようなことは言わず、逆に予定よりも早くの到着を誉めたのである。

 これに気をよくしたボーゼス達は、ピニャの初陣と戦勝を祝賀する言葉を述べ、さらにここに来る途中で遭遇した異国の者、おそらくアルヌスを占拠する敵の斥候であろうと思われる…を捕虜としたので、ご引見下さいと連れて来させた途端にこの仕打ちがなされた。

 2人は自分らが何故に責められるのか、詰問され、酒杯を投げつけられねばならないのか理解できなかった。

「こともあろうに、その日の内の協定破り。しかも、よりによって彼とは」

 ハミルトンは、謁見の間となった広間の隅へ連れ込まれた捕虜へと歩み寄った。

 床に力無く座り込んでいるのは伊丹であった。
 その肩に手を置いて「イタミ殿、イタミ殿」と揺すりながら声をかけてみる。だが伊丹は、全身ドロまみれの擦り傷だらけ、さらには、あちこちを打撲したのか身体の各所にアザをつくっており、体力気力も尽き果てているという姿で、まともな返事も出来ない。

 ここに来るまでにどれだけの酷い目にあったかが、想像できる有様であった。

「ハミルトン、どうだ?イタミ殿の様子は」

「相当に、消耗されているご様子です。すぐにでも休ませませんと」

 ピニャは、フォルマル家の老メイド長に振り返ると「済まないが、頼む」と告げた。老メイドと執事は「かしこまりました」と、壁の華となっていたメイド達をかき集め伊丹を取り囲むようにして、運んでいった。

 それを見送った後で、振り返るピニャ。
 その時の彼女の表情はまさに般若そのものであった。自分よりやや背の高いパナシュの頬に対して平手というより、掌底でぶん殴って尋問するかのごとく詰め寄った。

「貴様等、イタミ殿に何をしたっ?!」

「わ、私たちは、ごく当たり前の捕虜として扱ったまでです」

 ごく当たり前、とは…帝国では捕虜を虐待することであった。例えば連行途上、ひたすら馬で追い立てて走らせる。疲れ果てて座り込むなどすれば、槍先でつついたり、刀の峯や鞭で打ったりして無理矢理立たせる。それでも立たなければ殴る蹴るなどの暴力でいたぶると言う具合である。こうして抵抗する気力、逃亡する体力をそぎ落とすことが、奴隷として売る際に素直に従わせる上で必要なことだと考えられていたのである。

 ピニャは「なんて事を、なんて事を…」とつぶやきながら体中を駆けめぐる怒気を、わななく拳を握りしめながら耐えていた。

 理性的に考えてみれば、ボーゼスやパナシュのした行為を非難することは出来ない。なにしろ彼女たちは、アルヌスを占拠する者を敵とは思っても、そんな相手とピニャが協定を結ぶなど想像すら出来なかったのだから。

 だが現実は、理不尽なまでに理屈を超越する。実際に、協定は結ばれ自衛隊はその協定に基づいてイタリカを退去した。故に知らなかった、通知が遅れていたの類の言い訳は一切通用しない。何しろ、協約の即時発効はピニャが求めたものなのだから。そして伊丹が捕らえられたのは協約発効の後、しかもその往来の自由を保障するとしたフォルマル伯領内である。

 これは協約やぶり以外の何物でもない。

 協約違反を口実に戦争をしかけ、有無を言わさず敵を滅ぼすという手口は、実は帝国がよく用いる手法だった。通信網の整ってないこの世界では、連絡の不行き届きで和平協定締結後も末端の部隊間で戦闘が行われてしまうと言うことは、よくあるのだ。

 自分達が愛用した手口であるが故に、相手がそれをすると思ってしまう。

 ピニャは、背筋がゾッとした。

 天空を覆った楽曲の音が、ワルキューレの嘲笑が彼女の耳にこびり付いて離れないのだ。彼女の騎士団が、イタリカが、そして帝国のあらゆる全てが業火に焼かれて滅んでいく様が目に浮かぶようであった。

 ハミルトンから、ピニャと自衛隊の間で協約を結ばれたことを説明されたボーゼスとパナシュも、自分達が何をしたか、そして伊丹等が「話せばわかる」などと言いながら、何故抵抗せずに捕らえられたのかを理解した。

「い、イタミ殿の部下がいたであろう。その者らはどうした?」

「あの者等は、逃げおおせました」

 自分達の隊長が捕らえられたというのに、取り返そうともせず脱兎のごとく逃げ出した伊丹の部下を、彼女達はさんざん嘲笑したのである。だが、彼らからすれば反撃すら許されない状況では、逃げ去るしか選択肢がなかったと言うことを、また知るのである。

 もし、全員を捕らえることが出来ていれば、全員を始末して行方不明になってしまったとしらを切る方法もあるのだが、逃げられてしまったとなってはその手は使えない。そもそも使徒ロゥリィ・マーキュリーが相手方にはいるのだ。考えるだけ意味のない選択肢であった。

「姫様、幸いなことに此度は死人が出ておりません。ここは策を弄されるよりも、素直に謝罪をされてはいかがかと、小官は愚考するところであります」

 広間の隅でことの次第を聞いていただけの、グレイ・アルドが口を開いた。

「だがしかし、あ奴らは盗賊にすら『ジンドウテキ』などと称して、過酷に扱うなと言いだす連中。イタミ殿の受けた仕打ちを知れば、烈火のごとく怒り狂って攻めて来るのではないか?」

「そこも含めて、謝罪するしかないのではありませんか?」

「妾に頭を下げろと言うのか?謝罪せよと?…だが、関係者の引き渡しや処刑を求められたら応ぜざるを得なくなるぞ」

「では戦いますか?あの鋼鉄の天馬と、大地を焼き払う魔導、そして死神ロゥリイ・マーキュリーを相手に…。小官としては、それだけはゴメンこうむりますぞ」

 グレイのような歴戦の兵士にすら、あの光景は恐怖という名の楔を撃ち込んだのである。ピニャも、どれほど屈辱的なことでもしてしまうと覚悟したほどだ。それを考えれば、謝罪など大したことではない。

 とは言え、ここにいる誰もピニャにそれを強いることは出来ない。関係者たるボーゼスやパナシュも、罪を認めれば自らが窮地に立たされることとなるためにそれは避けたいのである。

 冷酷で重苦しい空気がその場を支配した。

 しばしの沈黙の後、グレイは緊張した雰囲気を解きほぐすように、おどけた口調で語った。

「ま、そのあたりはイタミ殿のご機嫌次第なのでしょうがね」

 それは、暗にこの場に居合わせているご婦人方に、伊丹のご機嫌とりを頑張って下さいと、告げたものだった。





    *      *




 我が国には、宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)というものがある。
 女性のみで編成され歌と踊り、そして演劇を楽しませてくれる、戦前から存在する伝統のある由緒正しい劇団だ。オタクたる伊丹にはいささか敷居の高い世界だが、もし『銀英伝』を演目に加えてくれたら、見に行っても良いかもしれない。

 ちなみに阪急電鉄の経営で、彼女たちが我々の知らないどこかで悪の秘密結社と戦っていると言う話は、寡聞にして聞いたことがない。誰か真実を知っていたら世間に知らしめて欲しい。

 さて、イタリカからアルヌスへの帰還途中、目前に現れた騎兵集団を見た瞬間、伊丹は宝塚が『ベ○ばら』の野外公演でもしているのかな?と思ってしまった。

 ものの見事に女性ばっかり。しかもみんな美人・麗人・佳人・かわいい娘。

 もしかしたら正真正銘の男性もいるかも知れないが、約半分が男装の麗人で、残りの半数は女性っぽい女性と来ては、どうしても女性のみの集団と認識せざるを得ないのである。

 さらに、徹底的なまでに華美に彩られた武装だの旗だの、華奢な飾りでピカピカしている馬鎧。金糸銀糸の刺繍のはいった軍装等などを見ると、やっぱり『ベル○ら』っぽく見えてしまう。

 手を挙げてこちらに停止を命じながら、馬を寄せてくる女性…。

 白馬にまたがりショートの髪は栗色。白を基調として銀糸の刺繍や飾りをつけた衣装に銀の胸甲をつけ、黒い裏地の白のマント姿。腰にはサーベルというか、レイピアというか装飾のついた細身の剣を下げているが、これがまたピカピカに磨かれていて曇り一つ無い。

 凛とした表情も突き刺すような視線も、妙にキメポーズっぽく見えてしまう。『男役の女優さんっ』という雰囲気で、こういうのが好きな女子高生あたりが見たら、さぞかし黄色い悲鳴をあげて喜ぶんだろうなぁと思ったりする。

 倉田は『ぽかん』とした表情で、「俺、縦巻きロールの実物なんて初めて見ましたよ」と感慨深く呟いていた。

 倉田の視線の方角…白い女性の背後から、少し敵意っぽいものの混ざったような視線をこちらに突きつけている女性が居た。黒馬にまたがり、豪奢な金色巻き毛は腰まで伸びている。なるほど、いわゆる縦巻きロールと言われる髪型であった。それに物理的機能があるの?と尋ねたくなるほどに巨大なリボンがくっついている。

 見た目からしても、お嬢様タイプの美女で、ツンッと高みから見下してくる(実際、馬上から見下してきている)視線は「私の脚をお舐め、豚野郎」とか、いかにも言ってくれそうである。

 伊丹はこの女性騎馬集団の旗印になっている三色の薔薇から、前述のショートヘアの女性を白薔薇様、こちらの金髪お嬢様を黄薔薇様と、脳内であだ名付けた。

 桑原曹長が無線で注意喚起を命じ、隊員達は一様に銃を引き寄せて警戒のレベルを高めるが、伊丹としては厳に発砲を戒めた。協定違反に成りかねないからだ。この時点で、ロゥリィやレレイ達は、昨夜からの徹夜が堪えたのか後席でぐっすり眠っていた。

 伊丹等の第三偵の現時点での車列は、先頭が73式トラック、次が高機動車、しんがりが軽装甲機動車なので、この女性騎士軍団は最初に接触した73式トラックへと近づいた。

 白薔薇が馬を歩み寄らせ、富田に声をかける。

 富田は、27歳の二等陸曹。ちなみにレンジャー徽章持ち。
『こちらの世界』の言葉は、単語ノートを片手になんとか意思疎通できるという程度である。そんな状態であったから、なんとか片言で白薔薇の誰何に応じようとしていた。

 白薔薇曰く、「どこから来た?」

 富田曰く、「我々、イタリカから帰る」

 言葉が不自由ながらなんとか片言でも応えようとしてる富田に対して、白薔薇は彼に解るように、できるだけ言葉を短く句切りながら話しかけようとした。これに対して、黄薔薇は言葉の不自由な富田を、馬鹿にしたように鼻を鳴らし、3台の車両へ胡乱そうな眼差しを向けるのだった。

 白薔薇曰く、「どこへ?」

 富田が単語帳をぺらぺらっと捲りながら告げる。「アルヌス・ウルゥ」と。

 これを聞いた白薔薇は「なんだとっ!」と声を荒げた。
 正体不明の敵に占領されている場所に、いかにも異邦人とおぼしき連中が帰るなどと言っている。
 しかも馬が牽くわけでもないのに動く荷馬車に乗り、見慣れない武器らしきものを抱えている。この集団を見て、怪しく思わない方がどうかしている。

 その場にいた女性騎馬軍団はこの一言で殺気立った。「何!すると敵かっ!」天に向けられていた騎槍がさっと降ろされ、その切っ先が伊丹達を指向する。

 素早く、騎馬の列が整えられていく。このあたりの統率は見事にとれており、彼女たちが歌劇団の類ではなく、きっちりとした戦闘訓練を受けた兵士の集団であることを伊丹等に知らしめた。なにしろ馬の足並みすらそろっているのだから。

 見ると伊丹の部下連中も小銃を構え、笹川に至っては、軽装甲機動車(LAV)搭載のキャリバーを手にして、重い金属音をたてて槓桿をひいた。

 黄薔薇が、冷たい眼差しをして黒馬から下りて、つかつかつかと歩み寄って富田の襟首を掴みあげ、「もう一度、言ってごらんなさい」と、お上品に凄む。

 白薔薇は、この異邦人が言葉を間違っていると思って、再度繰り返してもう一度、『貴様等はどこから来て、どこへ行こうとしている?』と尋ねた。

 黄薔薇に襟首を掴みあげられた富田は、息が苦しいのかあるいは別の理由か、その顔を紅くしつつ、「イタリカから来て、アルヌス・ウルゥへ向かう」を意味する単語を列べたのである。

 富田が苦労しているのを見て、さすがにほっておくわけにもいかず、伊丹は桑原曹長に、「おやっさん、絶対にこっちから手を出させないでよ」と告げながら、小銃や拳銃、銃剣といった武器っぽく見えるものも外して、車を降りた。

 そして白薔薇・黄薔薇の2人の注意を惹くように声をかける。

「えっと、失礼。部下が何かいたしましたかね?」

 だが、ヒステリックになった女性の前に、伊丹のノンビリとした声かけは、いささか癇に障ったようである。

 身に覚えのない罪で攻め立てられるような気分を味わいつつ、伊丹は「おちついて、話せばわかる」という言葉を繰り返すしかなかった。

 だが、女性達は聞く耳を持たない。
 彼女たちからすれば、これが初陣だ。しかも慌てていたが故に精神的な余裕もない。こう言う時に頼りになる歴戦の下士官連中は歩兵であったり、騎士であっても歩兵部隊を率いる立場なので、後方はるか彼方。

 言葉もうまく通じない。そんな状態で何をもって疑わしく、何をもって安全と判断するのかの基準が与えられてないのだ。あらゆるものが怪しく感じられた。疑念が疑念を産んで増殖していき、剣を抜くしかなくなってしまうのは、ある意味必然であった。

 のこのこと出てきた代表格らしい男に対して、白薔薇ことパナシュは、剣を突きつけて降伏するように命じた。
 ここにいる怪しい連中全員を捕縛し、武装を解除しなければ安全と安心を得ることが出来ないと思いこんでしまったのだ。

 ここにいる敵は何をしでかすか解らないから、油断は決して出来ない。少しでも怪しい素振りを見せたら攻撃するしかない。

 そのように気を張った状態の彼女たちにとって、訥々と「話せばわかる」を繰り返す男は苛立たしく、邪魔なだけである。

 黄薔薇は「ええぃっ!お黙りなさいっ」と激昂して、伊丹を平手で殴りつけてしまった

 これを見て殺気立つ自衛官。だが桑原が「待てっ!!」と命じ、伊丹が「今は逃げろ、逃げろっ、行けっ!!」と叫んだ。

 途端、エンジンの轟音があがり、第三偵察隊の車両が土煙をあげる。

 突然のことで騎馬隊は驚いた馬を抑えるので精一杯となってしまった。そして、ようやく後を追おうとした時には、土埃を巻き上げて走り去っていく自衛隊の車両は、もうはるか彼方へと消え去ろうとしていた。

 数騎の騎兵が慌てて後を追ったが、追いつくことは出来ない。

 こうして、伊丹は独り取り残されたのである。






「いててて」

 首の痛み、背中の痛み、足の痛み、頬の痛み、右目の周りの痛み……痛くない所なんてないほど、体中が痛みを訴えていた。

 意識を取り戻すというか、苦痛で目が醒めてしまった伊丹の視界は、妙に薄暗かった。

 夜なのか、それとも雨戸を閉め切った部屋なのか…。とにかく薄暗い。

 これまで味わったことのないような、軟らかい羽毛と絹による掛け布団の感触に違和感を憶えつつ、自分が寝ている場所を知ろうとして周囲を見渡す。首が痛いために痛みをこらえつつ、そろそろと身を起こそうとした。

 だが、軟らかく制しようとする手がそれを停めた。

 その手は伊丹を再びベットに横たわらせ、掛け布団をきちんとかけなおす。

 そして、部屋の隅から燭台が招き寄せられ、柔らかな灯りが伊丹の周囲に広がった。

 その灯りに浮かび上がったのは、「お目覚めになられましたか?ご主人様」と微笑む、いわゆる、メイドさん達であった。

「こ、ここ、ここは?!」

 ついうっかり日本語で話しかけて、彼女たちの困ったような表情を見せられてしまう。伊丹は秋葉原に来た覚えなどないし、メイド喫茶ならぬメイドホテルなんぞにチェックインした記憶もない。

 伊丹は、「ここはどこ?」と現地の言葉で話し直した。

「こちらは、フォルマル伯爵家のお屋敷です」

 伊丹は、そうか…と頷くと、脳内で状況の整理を始めた。

 周囲を見たところ、ここは監獄に類する施設では無いようである。
 伊丹はイタリカに向けて走らされたから、おそらくここはイタリカの街だろう。ならば傅いてくれているメイドはフォルマル伯爵家のメイドではないか?

 こうして待遇が改善されたところを見ると、ピニャには協定を破る意図はないのだろうと思える。とすれば、無事に帰れる可能性もある。無理に逃亡をはかる必要もないかも知れない。

「水を、もらえないか?」

 メイドは、暖かな微笑みを見せると、「かしこまりました」とちょこんとお辞儀をして、去っていった。代わりに、別のメガネをかけた長身のメイドさんが伊丹の側に進み出て跪いて控える。
 伊丹は、この娘の顔をみて眼を擦った。

「どうされましたかニャ?」

「いや、なんでもない」と言いつつ、こういう世界だしこういうこともあるのだろうと無理矢理納得しようとした。というのも、メガネのメイドさんの頭に猫耳がはえていたからだ。しかも、ピクッピクッと微妙に動いていて作り物とは思えない。

「状況は?」

「はい?」

「いや、街の様子とか、お屋敷とか、それと僕の取り扱いとか、いろいろ…」

 猫耳メガネのメイドさんは、困ったような表情をした。
 すると、脇から「ただいま、夜半過ぎでございます。街の者は寝入り、すっかりと静かになった頃合いでございます」と、老メイド長が現れて話し始めた。

 老メイド長の話によれば、街は平穏を取り戻しつつあると言う。明後日、犠牲者を合同で弔う予定。ただ、周辺の村落の被害がどれほどなのかまだわかっていない。領内が元の活気を取り戻せるまで、どれほどの時間がかかるか想像も出来ない。

 ピニャ率いる騎士団の本隊や、落伍していた騎兵、歩兵が五月雨式に到着しつつある。ほぼ8割近くが終結を済ませたので、ピニャは領内の各所へ出動を命じ、治安確保のために働き始めている。

「それとイタミ様におかれましては、ピニャ様は、賓客としての礼遇を命ぜられました。そしてこの度の無礼を働かれました騎士団の隊長様は…」

 白・黄2人の隊長はピニャに烈火のごとく怒鳴られ、黄薔薇ことボーゼスは女性なのに額に銀杯をぶつけられて、深い傷を負った。傷が残るかも知れず、騎士団の女性からは同情を集めていると言う。

 非常に丁寧且つ詳細な説明を終えると、老メイド長は伊丹に対して、腰をおとして頭を垂れた。

「この度は、この街をお救い下さり、真に有り難うございました」

 この席にいた、メイド達5~6人もメイド長に習って深々と頭を下げた。猫耳だけでなく、ウサ耳らしきものも見える。

「このイタリカをお救い下さったのはイタミ様とその御一党であることは我らフォルマル家の郎党、街の者も全てが承知申し上げていることでございます。そのイタミ様に対して、このような仕打ちをするなど、許されることではございません。もし、イタミ様のお怒りが収まらず、この街を攻め滅ぼすと申されるようでしたら、我ら一同みなイタミ様にご協力申し上げる所存。ただ、ただ、フォルマル家のミュイ様に対してはだけはそのお怒りの矛先を向けられることなきよう、伏してお願い申し上げます」

 さらに深々と頭を下げられると、伊丹としても心配するなと告げるしかなかった。と同時に、この家の者が帝国の皇女だの、帝国だのに忠誠心を抱いているわけでは無いことを知った。ここにいるメイド達の忠誠心は、あくまでもミュイに対するものであり、主人に対して不利益であると判断すればピニャを背中から刺すことだってあり得るのだ。そして、それは伊丹とて例外ではないだろう。

 メイド長やメイド達が伊丹に頭を垂れるのは、あくまでもフォルマル伯家の利益を図るためなのだ。それを知らずに調子に乗れば、えらい目にあうだろう。

 伊丹が水を頼んだメイドが、コップを伊丹へと差し出した。

 寝たままでは飲みづらいので、伊丹が身体を起こそうとすると、猫耳メガネのメイドが手を出して身体を起こすのを手伝ってくれる。全身が打撲と筋肉痛で辛いので、とても助かった。

「イタミ様。モーム、アウレア、ペルシア、マミーナの4名をイタミ様専属と致します。どうぞ心やすく、何事であってもご命じ下さい」

 水を運んでくれたメイド…これはヒトのようだ。そして長身の猫耳メガネのメイド、そしてその後ろのウサ耳と、外見的にはヒトっぽく見えるが緋色の長い髪が妙に太くて無数の蛇みたいになっている少女…と言う2人と併せて4名が伊丹に跪いて、頭を垂れた。

「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」

 愛らしい少女・女性達に声をそろえて言われると、なんとも言えない気分になってしまう。調子に乗ったらまずいだろうと思いつつも、ちょっとは調子に乗ってもいいんじゃないかなぁ、と思わずにいられない伊丹であった。






 さて、少し時間を巻き戻して、夕刻のイタリカ。

 その城市の外に、隊長を捕虜とされた第三偵察隊の面々が、大地に伏せ隠蔽し、暗くなるのをじっと待ちかまえていた。

「隊長、今頃死んでるんじゃない?」

 双眼鏡で街の様子を監視しつつ、栗林がぼやいた。捕虜になった伊丹が女性騎士連中にこづかれ、追い立てられ、走らされていたのを遠くから見ていたのだ。彼女の口振りにはどこか願望めいた響きもあった。

 栗林はよく知りもしない癖に「オタク傾向あり」と言うだけで「キモオタ死ね」と、脊椎反射反応を示すタイプである。もちろん、ホントに死んで欲しいと願っての「死ね」ではない。目の前で伊丹が殺されそうになれば、きっと助けるし積極的に後ろから頭に照準を合わせようとも思わない。ただ、深く考えることなくそう言っているだけなのだ。伊丹に「脳筋爆乳馬鹿女」と言われる所以だ。

 そのことをわかってる富田二曹は「あの程度なら、大丈夫だろ?」と、顔にドーランを塗りつつ答えた。

 傍らで時が来るのを待っているレレイやテュカも、ロゥリイでさえも、頬や鼻筋、額と言った光があたったときに反射する部位に、栗林の手によって緑や茶色の化粧が施されていた。まぁ、着ている衣装はいつもと替わらないが。

「あれでもレンジャー持ちだぜ」

「誰が?」

「だから伊丹二尉」

「うそ」

「いや、本当」

「冗談?」

「マジ」

「そのマジ、ありえない~勘弁してよ~」

 レンジャー徽章にあこがれをもっている栗林は、この瞬間、自分の気持ちがなんだか汚されたような気がした。

 日本語による会話がまだ十分に理解できていないテュカとロゥリイはきょとんと聞いているだけであったが、かなりのレベルで理解できるようになっているレレイは持ち前の好奇心を発露して栗林に、イタミがレンジャーとやらを持っていてはいけないのかと、質問した。

 困る栗林。苦笑しつつ「伊丹隊長の、キャラじゃないのよねぇ」と呟くのだった。そして、鋼にも比肩されるほどの強靱な精神、過酷な環境にも耐え抜いて任務を遂行するという美化率240パーセントのレンジャー像を語って聞かせた。

 これには、無表情冷静キャラのレレイもわずかに頬をほころばせる。どっちかというとスライム並に軟らかい(故に、砕くことも断ち切ることも不可能)精神と、過酷な環境は可能な限り避けまくり、なんとなく任務を済ませてお茶を濁すという、美化すれば『余裕のある』、普通に評すれば『不真面目』な人物像を、伊丹に対して抱いていたからだ。

 もちろん、レレイ達に関わるようになった第三偵察隊が、コダ村の避難民達を救い、炎龍を撃退し、避難民の住処をつくり、イタリカに襲った盗賊を撃退しているのもその眼で見ている。だが、それはあくまでも第三偵察隊全体、あるいは自衛隊の行ったことだ。

 事実、レレイが通訳して聞かせたことで、ロゥリィもテュカも、ころころと笑った。栗林の語るような精強なイメージは、桑原や富田、女性としては栗林にこそふさわしく、暇さえあれば…暇がなければ無理矢理つくって本(実際には漫画)を読み入っているのが、伊丹には似つかわしいのだ。

 実際に、アルヌスはずれの森につくられた難民キャンプの、木陰のベンチで昼寝をしつつ本(実際にはコミケでなければ入手できないような同人誌)を読んでいる伊丹の姿を、彼女たちは何度も目撃している。

「さて、そろそろ行こうか?」

 こんな風に、楽しく会話をしているうちに、あたりは夕闇に包まれていた。

「また徹夜かぁ…これって、絶対お肌によくなぃ」

 とかなんとか言いながらも、昨晩の立ち回りで腰回りが大いに充実した感じになって、しかも肌がいい感じに艶々になっているのは、栗林とロゥリィの2人である。

 こうして昨夜の激戦に引き続き、今宵は潜入救出ミッションとなったのである。






 …と、言ってもイタリカの警戒はザルを通り越して無警戒であった。

 古くから居る警備兵は実戦の直後で気は抜けてるし、疲れてもいる。

 その上、威張りくさった『騎士団』のお嬢様の集団が到着して「案内しろ」とか「宿舎はどこだ?」とか頭越しに指図する。厩舎に馬を運べ、飼い葉はこうしろああしろ…と実にやかましい。さらには顔も知らない歩兵達が、あとからあとからと到着して来るから、いちいち誰何するのも馬鹿らしくなってしまうのだ。

 騎士団の兵士達も、知らない顔は地元の警備兵とか住民ぐらいにしか思わないから、見ず知らずの人間がふらっと入り込んでも、誰も気にしないと言う状態だった。

 そんなわけで、ロゥリィやらテュカやらレレイは、堂々と開いていた城門をくぐり抜けることに成功してしまったのである。この3人なら、万が一見とがめられても、あれ?まだ街を出ていなかったのかな?…ぐらいにしか思われない。

「顔にペイントを施す必要なんてなかったわねぇ」

 などとテュカは呟きつつも、城壁を上がって見張りの兵隊の耳に、精霊魔法『眠りの精の歌声』を注ぎ込んで、朝までぐっすりと眠らせる。

 で、外に合図をすると栗林や富田、倉田、勝本といった面々が昇ってくると言う算段であった。

 夜の街は静かになっていて人の気配もなく、富田達は誰に見とがめられることもなく、あっけないほどにフォルマル伯爵邸へと到着した。

 さすがに、ここは警戒の兵が立っていたが、富田達にとってはどうということもない。 個人用暗視装置を使えば、暗闇の中でも誰かが居ることはすぐにわかる。巡回警備が通り過ぎてから、静かに野分け草分け進めばよいのだ。

 こうして建物までたどり着くと、富田は鎧戸(幅の狭い薄板〈しころ板と言う〉を一定の間隔で平行に取りつけた扉)のおりた窓の一つを選んで、しころ板の一枚をそっと破壊した。






「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」

 と、下げられた4つの頭。その一つから伸びるウサ耳がピクッと立った。

 その耳の挙動たるやまさしく、警戒する兎のごとしである。ついで、メガネ少女のネコ耳も小刻みに動いている。

「マミーナ、どうしました?」

 老メイド長の冷厳に視線に、マミーナと呼ばれたウサ耳娘が告げる。

「階下にてしころ板の折れる音がいたしました。どうやら、何者かが鎧戸をこじあけようとしています」

 ウサ耳メイドといっても、彼女の発する雰囲気は暗殺者のそれであった。猫耳メガネメイドの瞳も、剣呑に輝きはじめ愛玩猫というよりは、豹のような雰囲気になる。

「この街の者であれば、お屋敷に不法に立ち入ってどのようなことになるか知らぬはずもなく、ピニャ様の騎士団の者であれば正面玄関から入ればよく、あえて不調法なことをする必要もない。盗賊は滅したばかり……おそらくイタミ様の手の者であろう」

 老メイド長はそう断じると、「ペルシア、マミーナ。2人でイタミ様のご配下をこちらまで案内してきなさい」と指示した。

「もし、他の者であったら?」

「いつもの通りです」

「かしこまりました」

 ネコ耳娘とウサ耳娘が立ち上がった。その敏捷な挙動は、野生の肉食動物を思わせるが、ふたりは音もなく部屋から出ていた。

 伊丹はオタク的好奇心から、老メイド長に尋ねることにした。

「あの2人は、どういうメイドさんですか?種族とか…」

「マミーナは、ボーパルバニー(首刎ウサギ)、ペルシアはキャットピーブルでございます。こちらに控えるアウレアはシャ○ブロウ。モームはヒトです」

「はぁ、随分とたくさんの種族がいるのですね。こうして多種族が一緒の職場で働くということは当たり前なのですか?」

「いいえ、滅多にないことでございます。先代のお屋形様は開明的な方で、種族間におこる摩擦の殆どは貧困によるという信念を抱いておいででした。その為にヒト以外の者を積極的に雇い入れるようにされていたのです…まぁ、…………『ご趣味』と言うこともおありでしたが」

「なかなか親しみの持てそうな方ですね」

「イタミさま、センダイさまにニたニオイ、アル」

 アウレアが、伊丹に向けてウニョウニョと長い緋色の髪を伸ばそうとするのを、モームが横からピシャ!と、つっこみを入れるかのごとくはたき落とした。

「アイタタ」

「ご主人様への、失礼は許しませんよ」

「ハイ」

 アウレアが、餌を取り上げられた子猫のような表情をしたために、哀れみを誘うが、老メイド長から、シャン○ロウは吸精種でこの髪で他者の『精気』を吸い取る。十分に躾はしてあるが、時に本能に負けそうになるので「ご注意を」と言われてしまった。

 ほどなくして、部屋の戸が開く。

 すると、マミーナとペルシアに案内された、栗林や富田、倉田、勝本、ロゥリィ、レレイ、テュカらが姿を現した。

 ロゥリィの姿を見るや、老メイド長やメイド達は「まぁ!聖下御自ら脚をお運びいただけるとは…」と彼女の周囲に集まった。

 敬虔な信徒達が跪礼して祝福を求めると、ロゥリィも軟らかな表情になって静かに掌を向けた。イメージとしては掌から温かい気だか光線だかが出て、信徒達がそれを浴びて喜んでいるという雰囲気だろうか?

 とは言っても、死と断罪と狂気、そして戦いの神、エムロイの信者ってどんなものなんだろうとも思ってしまう伊丹である。まあ、世にはサリン殺人インチキ死刑囚への信仰を後生大事にしている連中もいるのだから、それにくらべたらはるかにマシなのかも知れない。

 厳粛な雰囲気の漂うなか、倉田は場を壊さないように静かに伊丹のベットの傍らまで来ると、「随分と羨ましい待遇のようですね、二尉」などとひそひそ語る。

 倉田がケモナーでもあることを知る伊丹としては「どうだ、羨ましいか?」である。まぁ、伊丹自身にはケモノ属性もメイド属性もないので、そういうのが趣味の奴を喜ばせてやるほうが楽しい。

「よし、あとでお前に紹介してやろう」

 そう告げる伊丹であった。





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 20
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:667b4229
Date: 2008/06/03 20:13




20




 すでに夜半であったが、ピニャは床にも入らず執務室で独り思索していた。

 このままではまんじりとせず、寝入ることもできないだろうから。

 自分が、犯したことになってしまう失敗を糊塗する方法を定めない内は、安らぐことが出来ない。どうすればいい。どうすれば…、そんなことばかりを考えていた。

 ピニャが執務に借りているこの部屋は、フォルマル伯爵家先代当主の書斎であったと言う。品の良い調度品が並び、重厚な一枚板からなる机と、座り心地の良い椅子が置かれている。そして羊皮紙とインクの香りが仄かにただよっていた。

 先代の持ち物だろう?蟲獣の甲皮から削りだしてつくられた単眼鏡と、羽ペン、それとメイドを呼ぶための小鈴が文盆の上に無造作に載せられている。そして机の傍らには、分厚い表紙をもった納税報告の綴りと、土地管理台帳、そして関税の出納記録が置かれていた。

「…そうだ、後見をする以上、フォルマル伯家の実務を管理する代官を選任しなくてはならない」

 これもピニャが考えなくてはならないことであった。

 羽ペンを弄びながら、羊皮紙に切れ端にアイデアを書き込んでは乱線でかき消し、再び書いては消す。

 羊皮紙の上には「協定違反行為を無かったことに出来ないか?」と記されていた。

 しかし、伊丹の部下連中は逃げ失せてしまった。
 中途で事故でも起こして全滅でもしない限り彼らはアルヌスに帰り着いて、何があったのか報告するだろう。報告をしない理由がない。

 報告をさせないためには、捕らえるか殺すしかなかったのだ。

 設問 今から後を追って、彼らを捕縛することは可能か?
 答え 不可能。
    そもそも炎龍すら撃退する連中を、現有戦力でどうやって殲滅する?

 考えてみれば、自分らの隊長を見捨てて逃げ出すなど、なんと不甲斐ない連中なのだろうと思う。連中の能力なら、ピニャの騎士団など一瞬で殲滅できたはずなのだ。にもかかわらず、そうしなかった。そうしなかったのは何故だ…おかげで自分がこうして苦しむ羽目になる。いささか被害妄想気味だが、悪辣な奸計に嵌められたのではと思えて来たほどであった。

 羊皮紙にボーゼスとバナシュの2人の似顔絵を描く。そしてバカとか阿呆といった罵詈雑言で2人を飾りあげていく。そして最後にはぐしゃぐしゃと羊皮紙を握りつぶしてピニャは思考を先に進めた。

 協定違反行為が知れてしまうことは、最早防ぎようがない。時を巻き戻すことが出来ない以上、仕方ないと諦めるしかないのだ。

 頭を抑えて「諦める…諦める…」と念じる。

 ピニャの考えるべきは、実現不能な課題に悩むことではなく、この失点による損害を、どのように軽減するかなのだ。
 戦争は外交の延長。外交はカードゲームに似ている。強力な鬼札を手にした敵と戦うには、3つの方法が考えられる。その鬼札を重要な局面で使わせない。あるいは無意味な局面で使わせる。そしてその鬼札に匹敵するカードを入手すること。

 とは言え、テーブルの向こう側にどんな相手が座るか解らないうちに、こちらの出方をを決めるのは不可能だろう。今は、相手側を利する手札を極力減らすことが重要なのだ。

 こちらの失点は二つある。そのうちの一つは、往来を保障するとした伊丹隊を襲ってしまったことだ。

 もう一つが虜囚とした伊丹を、彼らの言うところのジンドウテキでない扱いをしてしまったこと。

 前者については、アルドの言うとおり速やかに謝罪してしまうのも選択肢の一つだ。いや、一番良い方法かも知れない。

 自衛隊はジンドウテキと称して、捕虜の扱いにすら気をつかう相手だ。「いい人」であることは間違いない。となれば、連絡の不行き届きであることを説明して頭を下げれば、交戦中の敵にだって容赦してくれるかも知れない。なにしろ実質的に損害は出ていないのだから。

 だが、謝罪は逆に付け入る隙を与えることにもなるのだ。代償としてどのような要求がつきつけられるのか…それが恐怖であり不安の種となった。自衛隊の圧倒的な戦闘力、破壊力を直に目にしてしまえば、どのような要求をされても拒絶は出来そうもない。

 敵は、圧倒的な戦闘力をピニャに見せつけた。そして交渉しようと言ってきた。
 ピニャは、仲介役だ。帝国の外交担当者は敵の恐ろしさを理解しているのか?皇帝は?宰相は?

 今この時点で、敵をいささかなりとも知っているのは、まさにピニャだけなのである。

 帝国の強気で居丈高な外交交渉、武力を背景にした恫喝を、ピニャはこれまで頼もしく思っていた。若手の外交官僚達が巧みな弁舌で論戦を挑み、拒絶できない要求を積み重ねていき、敵が膝を屈して許しを請う姿を想像しては、悦に入っていたのである。

 だか、今回それをやらかしたらどんなことになるか…。

「胃が痛くなってくる」

 ピニャは引き出しから新しい羊皮紙を取り出すと、インクにペンを浸して皇帝宛の報告書を綴り始めた。いかに敵が強大で、恐るべき戦闘力を持っているか、見たままを記述していく。だが…中途まで書き連ねていくと次第にペン先が重くなってきた。最後にはガシガシと紙面を乱線で塗りつぶし、ペン軸そのものを折ってしまった。

「こんな内容、夢でも見たのか?と馬鹿にされるだけだ…」

 自分でも信じられないのだから…。

 報告の件は、後回しにすることにした。ハミルトンにも相談したい。

「まずは、イタミの件を何とかしよう」

 伊丹は今この館で休んでいる。
 彼さえ『口を噤んでくれれば』、失点を減らすことも出来るのだ。いや、上手くすればこちらの手札にすら出来るかも知れない。
 問題は、どうやって伊丹を説得するか…。よくあるのが贈賄、あるいは伊丹が男であることを利用しての籠絡、そしてその両方。

 問題は、誰にその任を与えるかだ。

 もちろん、自分自身が…と考えた。だが、相手は十人程度の小隊の隊長程度に過ぎない。特別任務の小隊だとしても、イタミという男の地位は、帝国で言えば百人隊長程度だろう。そんな格下の相手に、自分自身というカードを切るわけにはいかないのだ。

 となれば、誰がいいか。

 ハミルトンならばいいかも知れない。男にも慣れている。だが彼女は現段階ではピニャにとって重要な参謀役であり、万が一の交渉役としても力をふるってもらいたかった。だから、除外する。

 ここまで考えて、ふとボーゼスとパナシュの2人の名前が浮かんだ。
 自分のしでかしたことは自分で責任をとれということで、罰にもなるから丁度良いように思えた。

 それに、あの2人ならば適任である。なにしろその容姿はなかなかのものだ。ボーゼスは、金細工のような繊細な美しさと豪奢な金髪を誇る美形で、しかもパレスティー侯爵家の次女と家柄もよい。

 パナシュはカルギー男爵家と家柄こそ、ボーゼスに劣るがその凛然たる眼差しと才気だった容貌で比類がない。あの2人に言い寄られて、墜ちない男などいないはずだ。
 イタミ程度の男には惜しい限りだが、今回の役割の重要性からすれば、これぐらいのカードは切っても良い。

 問題は、性格的にそういう任務が2人に遂行可能か…と、までは考えが及ばず、ピニャはこれが名案とばかりに早速実行に移すことにした。というより指示を下してしまわないといつまでも落ち着けなかったのだ。

 机に置かれた鈴に手を伸ばして、鳴らす。

 心を落ち着かせるために用意された、濃いめの香茶を口に運ぶ。すると、蝋燭の炎が風に揺らいだ。

 視線をあげると、メイドの1人が姿を現す。エプロンドレスを両手で摘み、膝を軽く屈し頭を垂れるという作法に基づいた挨拶にピニャは頷いて応じた。

「お呼びでございましょうか?殿下」

「うん。ボーゼスとパナシュの2人を呼んでくれ」

「お二人とも、もうお休みかと存じますが」

「かまわない。起こしてくれ」

「かしこまりました」

 メイドはそう言うと部屋を後にした。ピニャはベットから起きると、部下を迎えるために簡単に身支度を整えるのだった。





    *      *





 倉田は、この世の春を謳歌していた。

 ハイ・エルフの娘とか、無口無表情の知性派魔法少女とか、暗黒神官の少女的姐さんとか、どうにも伊丹の好むタイプばかり現れるのはなんでだっ!やり直しを要求するぅ!と、かねてから心の底でずうっと念じていたのである。

 そして、ようやく自分好みのキャラが現れたのである。となれば、興奮を抑えることは難しい。いや、喜びは素直に表に出してこそ、喜びである。これを押しとどめることなどかえって害悪であると、声を大にして言いたい。

 特に、猫耳メガネメイドのペルシアの存在は、ツボにはまった。

 可愛い系ではなく、黒豹とかライオンみたいな肉食獣タイプのおねぇさんである。

 それが、まん丸のメガネをかけているのだが、その双眸は当然のごとく猫目で冷たく切れそうな印象であった。長身でスポーティで、でるとこは出てひっこむところはひっこんでる体躯を、無理矢理メイド服というふんわりとした衣装でラッピングした感じがまたたまらない。

 しかもアキバのメイド喫茶とかパチンコ屋にいるような露出型コスプレ店員と違って、裾も袖もぴっちり肌を覆っていて、これ見よがしなチラリズムなど全くの無縁。働くための制服としてのメイド服である。これぞ本物というところが味噌である。

 そんな、猫耳メイドさんに傅かれている伊丹に「羨ましいぞ、コノヤロ。紹介してくれないと後ろ弾(後ろ弾/味方を後ろから撃つと言う凶悪な行為)だぞ」という念を込めて、声をかけた。すると伊丹は苦笑しつつ、かけ持ってくれた。

「おい、倉田…こちらのご婦人がペルシアさんだ。ベルシアさん、こいつは倉田だ。よろしくしてやってくれ」

 伊丹に紹介されたのをゴーサインと受け取って、早速挨拶。

「じ、自分は、倉田武雄ともうします」と、ピシッと敬礼してしまう。だが、そのかちかちな姿は彼女の「はぁ?」という表情を「くすっ」と綻ばせることに成功した。

 ペルシアからするとヒト種の男が、単なる憧憬心で向かってくるのは初めてのことであったのだ。

 ペルシアとて雌。容姿にだってそれなりに自信があるし、なによりも潔癖性の子猫から一線を画した大人の雌豹だから、雄の視線を集めるのは嫌いじゃない。だが、ヒト種の雄というと大抵は、下世話な欲望にまみれた視線か、あるいは彼女の獣性に怯えているかなのである。

 だが、倉田はちょっと違った。

「猫も女も、男が自分に好意を持つかどうか直感的に理解する」と、ある女性作家は語る。猫であり女であるペルシアは、このクラタと名乗った男がどういう心づもりで自分に対しているか理解できてしまった。

 よっぽと捻くれてない限り純粋な好意には、純粋な好意が沸き上がってくるものであり、こうして倉田は猫耳メガネのメイドさんとの間に、良い雰囲気を醸し出すことに成功したのであった。






 倉田とペルシアの例を挙げたが、こんな感じで、フォルマル伯爵家のメイドさん達と、自衛官達は、なごやかにうち解けていた。

 深夜なのにお茶まで出てくる。こういう貴族の館では、当主の気まぐれや我が儘に応えるため、夜だろうと軽食やお茶の支度がしてある。それを不意の来客のためにと、メイド達は流用して、それぞれにたどたどしいながらも会話を楽しんでいた。

 武闘派の栗林は、ポーバルバニーのマミーナと、妙に気が合ったようである。バディ・ムービーの主人公達のように、はまった雰囲気をつくっていた。特に、マミーナは昨日の栗林の活躍を見ていたようで、賞賛の言葉が尽きない。

 レレイは、シャンブロ○のアウレアに興味があるのか、まじまじ観察したり、ウニョウニョ蠢く触手にも似た緋色の髪を指先でつついたりしている。レレイが言うには、シ○ンブロウはその悲しき習性から虐待されることが多く、その数が減って今では絶滅危惧種らしい。レレイも文献でしかその存在を知らなかったと言う。

 ロゥリィは、敬虔なエムロイ信徒らしい老メイド長に対して、どことなく辟易とした雰囲気を醸しながらも慇懃に応対し、神の御言葉を伝えていた。

 テュカは、ヒト種メイドのモームに、その身にまとっているローライズのジーンスにシャツという日本のファッションについて尋ねられて、自分で購ってきたわけでないからと困りつつも、わかる範囲で着心地などについて答えている。彼女たちからすると、伸縮性のある生地は驚嘆以外の何物でもないのだ。おかげで体の線がくっきり現れすぎて、困っているとはテュカの弁である。

 伊丹は、富田と勝本相手に、状況の説明を受けて今後の対応について相談しているという具合だった。せっぱ詰まった状況ではないと言うことも解って、無理に脱出する必要もないだろうという結論に達している。

 こんな有様だったので、ピニャの密命を受けたボーゼス嬢が思い詰めた表情で伊丹の部屋をノックしたとしても誰も気付くことが出来なかった。
 ボーゼス嬢が、緊張のあまりノックと言うより、戸を撫でる程度にしか叩かなかったというのも、大きな理由となるだろう。

 ボーゼスは、暗闇に等しい廊下にたたずんでいた。

 返事のないドアの前で待つこと暫し。
 人目を気にしているのか、右を見て左を見る。大きく息を吸って、緊張を解きほぐすようにしながら息を吐く。そしてドアの取っ手に手をかけるが、どうしても押し開くことが出来ないのである。

「イタミを籠絡せよ」と言う命令は、彼女にとって死んでこいと言われるようなものだった。

 家の利益や、政治的な目的から配偶者が決まるのは、貴族の家に生まれた者の運命として、とっくの昔に受け容れている。

 政略的な目的を達するために内外の賓客を接待し、時に籠絡する手管も、貴族の娘としては当然の嗜みだ。

 夢見がちな殿方には絶望的なことかも知れないが、帝国における貴族の娘に清楚な者など独りとしていない。どんなにあえかな外見をもっていようと、世事に疎く見えようとも、それは擬態であり、内面はしたたかであることこそが求められるのだ。それが、飢える者がいる一方で、何不自由のない生活を送ることを許された、高貴な者としての責務である。

 だが、よりにもよってイタミである。

 泥臭い異民族の戦闘装束をまとった、冴えない男というのがボーゼスのイタミに対する印象であった。百歩ゆずって…いや、万歩ゆずってそれもまだよい。

 だが、出来ることなら、サロンで優雅な雰囲気をまとった貴公子然とした敵国の青年将校を相手に対等な立場で、洒脱で、智慧に富んだ言葉での戦いを楽しみたかった。

 最高の武器(宝石)と戦闘服(ドレス)と香水で武装した自分を見せびらかし、恋愛遊戯という名の演習で磨き上げた技を実戦で試す。

 甘美なる肢体で誘惑し、香粉の香りに酔わせ、これが欲しい?欲しいでしょう?与えてあげてもいいわよ。でも、欲しければ私に隷属なさい…と視線で語り、男の精神的な全面降伏との引き替えに、瀟洒な花壇を褥(しとね)とするのだ。

 ところが、どうた。イタミとの出会いは戦場ですらない。剣を交えることもなく、感情のおもむくまに嬲って、罵倒して蹴倒して、踏みつけて…。後で真相を知って愕然としている有様。

 最早戦いにすらならない。さらに今の我が身の無様さはどうだ。ありあわせの夜着。しどけなく垂らした髪。額の傷を隠すための厚く塗り重ねた白粉。まるで安宿の淫売のようではないか…。

 精神的にも物理的にも最初から敗北している。どの面さげてイタミと相対しろと言うのか。このままこの部屋に入れば、ただの人身御供、懺悔し許しを請うための捧げものとして、我が身は男にむさぼられておしまいである。

 男という生き物は、与えた後で「優しくしてくりゃれ?」と願っても、決して適えてくれない生き物なのだ。絶対に、与える前に「好意」という名の担保をとりつけなくてはいけない。だが何を引き替えに?

 イタミを誘惑し制圧する役割は、おそらくパナシュのものとなるだろう。自分はそのための前座だ。自分が供犠となることで罪を帳消しにして貰う。罪という汚れを拭き取るために使った雑巾はたとえ絹であっても、それで用なしである。

 くやしさの余り、涙が出てきそうになった。だが泣いてはいけない。泣いたら、瞼が腫れてしまう。そうなったら美貌が損なわれてしまう。世には、泣いている女が好きという男もいるが、そういう男の前で流す涙は決して悔し涙であってはならない。魅せるための真珠涙は、こんな心境ではけっして流れてはくれないのだから。

 廊下は静かであった。厚い扉の向こうは寝室。寝室の扉というものは、中でちょっとやそっと声をあげた程度で廊下に音声が漏れだしては来ないように作られている。

 いよいよ意を決して戸を開いてみる。期待したのは暗い部屋の奥に、イタミが寝台に横たわっていることである。

 ボーゼスは音もなく歩み寄って、寝台に忍び入る。イタミが違和感に目を醒ます前に、官能を以てその口を塞がなくてはならない。

 だが、扉を開いてみると部屋の中は和気藹々とした雰囲気であった。
 贅沢なまでにふんだんに蝋燭を灯し、メイドや異世界の兵士達が、お茶など傾けている。

 しかも、誰1人ボーゼスに気付かない。

「……………」

 無視である。

「…………………………」

 シカトである。

「………………………………………」

 はっきり言って空気扱いであった。

「くっ…」

 ようやく覚悟完了させたというのに、この扱いはどうだ?

 パレスティー侯爵家の次女ボーゼスを無視である。
 いい度胸である。
 自分という存在は、雑巾にすらならないと言うのか?
 誰もそう語ったわけではないし、ヒステリーとか被害妄想に類する発想だが、ボーゼスのこころの中では自分の置かれた状況がそのように解釈されてしまった。女とは、その存在を無視されることが絶対に許せない生き物だ(と聞く)。

 腹の底から沸騰してくる怒りに、彼女の両手はわなないた。

 擬音表現は漫画的だが、この際あえて使わせて貰いたい。この時の、彼女の振るまいは以下のようなものとなった。

 つかつかつかつかつかつか、バシッ!!!





    *      *





 右目の周りにアザと、今度は左の頬に真っ赤な手形紅葉。さらに、つかみかかられたので猫に引っ掻かれたような五本線の傷までほっぺたにある。

 被害者の顔は、そのような状態であった。

「で、なんでこんなことに?」

 明け方近くに屋敷中の眠りを破った大騒動の果てに、ピニャの前にそろったのは、伊丹ら自衛隊の面々であり、ピニャの送り込んだボーゼス嬢、そしてメイドさん達である。

 帝国皇女たるピニャ・コ・ラーダ殿下は、焼けた石ころでも飲み込んだような、腹部の熱痛を感じながら、伊丹の顔面の損傷がどのような理由によるものかの説明を求めた。聞くのが恐ろしかったが、立場上尋ねざるをえない。

「べつにあたいらが引っ掻いたわけではないニャ」

「いや、わかってますよ。ペルシアさん」

 倉田のフォローを受けて、ペルシア達メイドさんズは退場。

「右目まわりのアザは元々ついていたものよ。『今回の』騒動とは関係ないわ」

 ロゥリィ・マーキュリーとレレイ、テュカは証言して、部屋の片隅へ下がる。

 残されたのは、自衛官達に両脇から取り押さえられていた、ボーゼス嬢である。

 彼女を残す形で、倉田や栗林達は後ろに下がった。

 ボーゼスは、俯いたまま「わ、わたくしが、やりました」と蚊の鳴くような声で言った。

 この時のピニャのため息は、とても深々としていて、広間中の誰の耳にも聞こえたほどと言う。こめかみがズキズキと痛くなって、頭を抑えてしまう。

「この始末、どうつけよう…」

「あのぉ、自分らは隊長を連れて帰りますので。それについてはどうぞそちらで決めて下さい。そろそろ明るくなってきてましたし…」

 と言ったのは、富田である。ピニャが何に悩み苦しんでいるか知らないから、安易なものである。なにしろ彼にとっては、彼好みの美人がイタミをぶん殴った。それだけのことでしかないからだ。だがその言い方が、突き放すような最後通牒的響きを持って「そっちで勝手に決めて下さい」という意味に感じられた。

 レレイが、いつものように抑揚に欠けた口調で通訳するとさらに効果倍増である。

「それは困るっ!」

 ピニャは、このまま帰すわけには…と。引き留めるネタを探して、朝食を摂って行ってはどうか、とか、接待を受けて欲しいとか、様々なことを言って引き留めにかかった。

 倉田は、とても申し訳なさそうな態度を示しながらも言い訳を続けた。

「実は、伊丹隊長は、国会から参考人招致がかかってまして、今日には帰らないとまずいんです」

 この時、レレイの翻訳は、語彙の関係上次のようなものとなった。

「イタミ隊長は、元老院から報告を求められている。今日には戻らなければならない」

 これを聞いたピニャの顔は、『ムンクの叫び』の如きものとなった。
 帝国では、出世コースにのっているエリートを、名誉あるキャリアと呼んでいる。将来の指導者層となる人材と目されると、現段階での位階が低くても元老院での戦況報告や、皇帝に意見具申をしたりする機会が与えられるのである。

 そんなこともあって、元老院から報告を求められているイタミを、名誉あるキャリアに立つ重要な人材であると勘違いしてしまった。

 そんな重要人物になんてことを…、このまま行かせてはならない。なんとしても取り繕わなくては。

 この時、ピニャ、決断の瞬間である。

 拳を固めると立ち上がって決意表明した。

「では、妾も同道させて貰う!!」





[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 21
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:e12c095d
Date: 2008/06/10 19:24




21




「国境の長いトンネルを越えると雪国だった」は川端康成の「雪国」の一節である。暗いトンネルから白銀の雪景色へと風景が一変する様相を見事に書き表し、それによって読者を作品世界へと一気に引き込んだ名作中の名文だと思う。

 これにならって異世界を繋ぐ「門」を越えた時の印象を、劇的に書き表そうと試みたのだが、なかなかうまくいかない。

 例えば、銀座のような都市のど真ん中にぽつねんと門が置かれていて、それをくぐったら突如牧歌的な風景の中に出た、と、なるのならその印象の移り変わりを劇的に描くことも描写力の範囲で可能になると思う。読者に対して「おおっ」という気分を感じさせることも出来るかも知れない。

 だが、すでに門の『特地』側も銀座側同様に、地面はアスファルトでかためられている。しかもその周囲は前後左右、天に至るまでを堅牢なコンクリート製ドームで覆われ、ドームそのものへの立ち入りも厳しく管理されICダク付きの身分証・指紋・掌紋・皮静脈・網膜パターンと言った、何重ものチェックを経なければ近づくことすら適わない有様。

 資材や物資を運び込む自衛隊のトラックすら、厳重な検疫とチェックを経て始めて通過を許されるのである。

 そして、ようやくドームの外へ出るとコンクリートも乾ききって無いような真新しい建築物が何棟も立ち並んでいるし、さらにその建物群も六芒形の防塁と壕によって周囲を堅く守られている。

 その外側つまりアルヌス丘の裾野は、野戦築城の教範そのままにお手本のような交通壕と各種掩体が掘られ、鉄条網や鹿砦(ろくさい)が偏執狂的にまで列べられ、近づく者を拒んでいる。

 そして…丘の南側には森がある。
 こちらにはレレイらコダ村からの避難民達が住まう難民キャンプがあるが、風景としてみれば森というのは、日本も『特地』もあまり大差がなくて、植物学者あたりが見なければその差異を指摘することは難しいものである。

 丘の東側は滑走路と格納庫の建設作業が続く土木工事現場である。その一角では既に空自地区も設けられて、数機のF4ファントムの組み立て作業が平行して行われている。

 こんな有様であるため『世界を渡る門』に期待される感動は、今ではすっかり失われていた。

 強いて言えば大規模娯楽施設、例えばファンタジー世界を演じようとしているアメリカネズミーランドの出入りゲート並に成り下がったのかも知れない。

 いや、娯楽性という意味に欠けているから、一般人にとっての駐屯地の営門と言い換えた方がより適切であろう。すなわち、この雰囲気に住み慣れた自衛官達にとっては日常と大差のない連続した風景の続きであり、一般人からするとほんのちょっと雰囲気の違う世界がそこにある。

 『門』の手前と向こう。門を挟んだこの両者の風景は、今やその程度の落差でしかなくなっていた。






 従って、ピニャ・コ・ラーダと、ボーゼス・コ・パレスティーにとってのアルヌスの丘はすでに『異世界』であった。

 今回の協定違反について、健軍あるいは、彼よりも上位の指揮官に、きちんと謝罪をしておきたいというピニャの申し出を、伊丹はしぶしぶながら受け容れると彼女の同行を許可した。

 ただし、伊丹も時間がないため、騎馬の護衛だの側仕えの従者とかをゾロゾロ連れて行くわけにはいかない。だから、「高機動車に同乗できるピニャ1人と、あとひとりの合わせて2人まで」が、伊丹のつけた条件であった。ホンネで言えば、それでは同行できないと断ってくることを期待したのであるが…。

 ところが、すっかり性根を据わらせていたピニャは、イタリカの治安についてはボーゼスとパナシュに、またフォルマル伯爵領の維持管理と代官選任をハミルトンに押しつけると、「単身で行く」と宣言して、同行の支度をはじめてしまった。

 さすがに、殿下1人でいかせるわけにはいきませんっと、ボーゼスやパナシュが取りすがって同行を志願。ピニャはボーゼスを指名し、ぱぱっと荷物を整えると、無理矢理という感じで高機動車に乗り込んだのである。

 そして、高機動車のあまりの速度に目を回しつつ、アルヌスへと到着した。

 アルヌスの風景は、彼女の知るものとは一変していた。

 ただの土が盛り上がっただけの丘だったはずが、今や城塞がそびえていた。

 しかも、何をするつもりなのかその麓の土を掘り返して、整地している様子が遠景からもはっきりと見えたのだった。

 ピニャ達を出迎えるかのように上空を訓練飛行中のヘリコプターが三機編隊でNOEして急旋回する。エンジンの力ずくで空中に制止し、大地を嵐にも似たローター風で掃き清めていく。

 そんな中を、第三偵察隊の車列は砂利で整備された道路へとはいった。

 OPL(前哨監視線)を越えると、いよいよ自衛隊の支配地域である。

 ここからFEBA(戦闘陣地の前縁)までの広大な地域は、無人のうえに荒野が広がっているだけなので現在は演習・訓練場として使われている。ちなみに、翼竜の死骸もこのあたりに転がっているため、コダ村避難民の子ども達もこのあたりに出没して仕事場としている。

 まず見えてきたのは、隊伍を組んだ自衛官達が、旗手を先頭にハイポート走をしている姿だった。前方からすれ違うように走ってくる。

「いちっ、いちっ、いちにっ!」

「そーれっ!」

「いちっ、いちっ、いちにっ!」

「そーれっ」

「連続呼唱ーっ、しょーっ、しょーっ、しょーっ、数えっ!」

 …てな感じで、隊員達の練武の声が聞こえ、小さくなっていった。

 その隊伍が後方へと消え去っていくのを見送ると、今度は路傍に骨組みしかない建物が見えて来た。

 帝都へ進撃すれば市街戦の可能性もあるため、この場所ではカトー先生監修のもと、この世界における一般的な民家の構造を真似た街並みすら再現しようと試みられているのである。

 そして民家を模した小屋やスケルトンハウスで、ゲリコマ対処の訓練をしているのだ。

 最初、ピニャには自衛官達が何をしているのか理解できなかった。

 この世界における戦闘とは、騎士や兵士達が武器を構えて「わぁぁぁ」と喊声をあげながら吶喊することだったからだ。

 彼我(ひが)が接触すればあとは、個人の武技の出番である。目前に現れた敵を、剣や槍、楯を駆使して倒していくだけ。野蛮な辺境部族との違いは、そんな戦いであっても戦意に任せてやたらめったら戦うのではなく、隊列を維持し百人隊長の指揮の下システマチックに前列と後列が交代しながら進むことにある。敵は疲れた者から倒れる。こちらは、常に新鮮な体力と戦意を有する者が前に出て、疲れた者は後ろに下がって休むという仕組みをもっているのだ。

 あとは、野っ原だろうと市街地だろうと本質的にかわらない。現場指揮官のすべきことは兵士の『戦意』を上手に統御して敵に嗾けることにあり、兵の為すべき訓練と言えば武技を磨くことなのだ。

 ところが、ここでは違う。楯を装備しているわけでもないのに、あたかも亀甲隊形のように身を寄せ合っている。時に散らばって走り、立ち止まり、身をかがめ、指先でなにか合図しながら、静と動のメリハリのある機敏なふるまいで、動いていく。

 さらには、四方八方に『杖先』を向けている。あたかもハリネズミのごとく。

 いったい、何をしているのだろう?…と首を傾げざるを得ない。

「彼らの持っている杖は、イタミらの持つものと同じ物のようだが、ジエイタイとは全ての兵が魔導師ということなのか。もしそうならば、それが彼らの強さの秘密ということか」

「魔導師は稀少な存在ですわ。魔導とは特殊能力だからです。ですが、これを大量に養成する方法がジエイタイにはあるのかもしれませんわ」

 ボーゼスは、ピニャの感想をうけてそう解釈して見せた。

 あの杖が火を噴き、敵を倒す様子が想像できた。そしてこれが、どこに隠れているかわからない敵を警戒し、探し出し、殲滅するという目的で為されている訓練であることが理解できる。

 物陰で待ち伏せて襲いかかろうとしても、二階の窓から矢を射かけようとしても、前後左右から挟み撃ちしようとしても…帝国の騎士も、兵士も、その槍先が剣が届くよりも先にあの火を噴く杖によってばたばたと倒されていくだろう。

「ちがう。あれは、『ジュウ』あるいは『ショウジュウ』と呼ばれる武器。魔導ではない」

 ボーゼスの解釈を、傍らにいたレレイが否定した。

「あれこそが、ジエイタイが使う武器の根幹。彼らは、ジュウによる戦いを上手く進める方法を工夫して現在の姿に至っている」

「武器だと?あれが、剣や弓と同じく武器と言うのか?」

「そう。原理は至って簡単。鉛の塊を炸裂の魔法を封じた筒ではじき飛ばしている」

 この地に転がる翼竜死骸をあさっていれば、嫌でも穴の空いた鱗や鉛の塊、破片を目にすることになる。レレイの知性は教えて貰わずとも、見て、聞いて、考えた末に鉄砲の原理を導き出していた。

 ピニャは目が眩むような思いだった。魔導ではなく、武器と言うことか?もしそのようなものを作ることが可能なら、兵士全てに装備されることも可能ではないか?

「そう。そして彼らはそれをなした」

 もし、そんなことになったら戦争の仕方ががらっと変わってしまう。これまでのような剣や槍をそなえた兵を多数そろえて敵にむかっていくような戦い方はまったくの無意味になってしまう。

「そう。故に、帝国軍は敗退した。連合諸王国軍は敗退した」

 突如、96式装輪装甲車が驀進してきて停車した。後方のランプドアが開くと、なかから隊員が吐き出される。

 飛び出してきた隊員達は、見事なまでの疾さで瞬く間に横一線に展開すると、仮想敵に銃を向けた。

 この瞬間に、ばたばたとうち倒される騎兵や歩兵の姿が想像できて、ピニャは眉を寄せた。

「遅い!!もっと早く、速く、疾くだ。もう一度っ!!」

 指揮者の罵声をうけて自衛官達が、ふたたび元の位置へと戻っていく。その姿を見ながらピニャは「根本的に戦い方が違う…」と思い知らされたのである。それは、イタリカにおいて魂に刻み込まれた得体の知れないものへの恐怖とは違う、理性的に敵を理解するが故の恐怖感とでも言うべきものであった。

 高機動車の車内にいる伊丹、桑原、倉田…彼らの抱える「ジュウ」は魔導ではなく武器。武器…ならばピニャでも、ボーゼスでも手にしただけで使えるはずだ。

 この武器について知ること、可能なら入手すること、それだけがこの戦いを少なくとも一方的な負け戦としないために必要なことだと思うピニャ達である。奪うか、あるいは職人の尻を蹴飛ばしてでも同じ物を作らせる必要がある。

 そんなピニャ達の決意を表情から読みとったのか、レレイは告げた。

「それは無意味」

 レレイは、反対側の車窓を指さした。

 反対側の荒れ地では、暴れ狂う巨象にも比肩するほどの巨大な鉄の塊…74式戦車が轟音をあげて走っていくのが見えた。

「『ショウジュウ』の『ショウ』とは小さいを意味する言葉。ならは対義の『大きい』に相当するものがある」

 74式戦車の鼻先から突き出ている105mmライフル砲が目に入った。

「あ、あれが火を噴くと言うのですか?」

 ボーゼスが呻くように言ったが、ピニャには思い当たるところがある。コダ村の避難民達が、『鉄の逸物』と呼ぶ強力な武器があったはず。

「まだ、直接見たことはない。だけど想定の範囲」

 同じような物を作れる職人は帝国にはいない。帝国どころか大陸中探してもどこにも居ないだろう。妖精界の地下城にいるというドワーフの匠精に尋ねたところで同じに違いない。これは、まさしく異世界の怪物である。炎龍を撃退したという話も今となれば信じられる。

 鉄の天馬。鉄の象。あんなものを大量に作り上げるジエイタイとはいったい何者なのか。 何故、こんな相手が攻めてきたのか?

 ピニャの愚問とも言える呟きに、レレイは嘯くように応じた。

「帝国は、翼獅子の尾を踏んだ」

「あ、あなたたち、他人事のように言いますわね。帝国が危機に瀕しているというのに、その物言いはなんなのですか?!」

 ボーゼスの怒りを、レレイは肩をすくめてやり過ごすと言った。

「私はルルドの一族。帝国とは関係がない」

 ルルドとは定住地を持たない漂泊流浪の民である。現在でこそ定住を強いられているが、もともとの彼らには国という概念はなかったと言う。
 聞き耳をたてるつもりがなくとも聞こえるところにいたテュカも、手を挙げた。

「はい、あたしはハイ・エルフです」

「………」

 ロゥリイは、あえて言うまでもないと薄く笑うだけ。

 帝国とは、諸国の王を服属させ、数多の民族を統べる存在。
 皇帝は、武威を以て畏れられることをよしとし、愛されることや親しまれることを民に期待しなかった。

 力ずくの征服、抑圧、暴力による支配。その結果がこれである。いかに帝国が支配していると言っても、地方の諸部族や亜人達が心から服しているわけではないのだ。

 今更ながら、国のあり方というものを思い知らされるピニャであった。






 ピニャは、アルヌスの丘頂上近くに建設された特地方面派遣部隊本部の看板が掲げられた建物に案内された。

 ここで、伊丹達と別れる。
 ピニャとボーゼスの2人は制服で身を固めた婦人自衛官に誘われ、階段を上り建物の奥へと迎えられた。

 そして応接室で、待つこと暫し。

 応接間は殺風景と言いたくなるほどに小ざっぱりとして、飾り気に欠けていたが、長椅子(ソファー)の座り心地は最高。置かれているテーブルもよく見ればしっかりとした造りをしていて、名高い名工の手による者だろうと思われる。

 そんな室内のもの珍しさに慣れて退屈しようとし始める頃、戸がノックされた。

 ピニャとボーゼスの2人は、跳ね起きるようにして立ち上がった。

 見ると初老に域に達しようとしている男が入って来る。

 黒に白を混ぜたがために灰色に見える髪をもつ。その髪を精悍なまでに短く刈り上げているが、健軍と違って穏和な笑顔が、芯にある堅苦しさを包み込んで印象的だった。

 ピニャの感性からすると着ている緑の制服の飾り気はとても少ない。

 胸に若干の彩りの略章が列んでいるだけ。これが一軍の指揮者のものとはとても思えなかった。軍の高位に立つ者なら、胸と言わず肩と言わず、体中を絢爛煌びやかな徽章、宝飾そして、金の刺繍で彩っている。それにくらべて、この貧相さは一兵卒のそれにも劣るように思えるのだ。

 だが、ここに来るまでにこの軍が、飾り気を廃し実を重視していることが理解できたために、そう戸惑うこともなかった。

 おそらくこの男がこの軍の最高位かあるいはそれに準ずる地位に立つ者だろうと理解した。

 後から入ってきた健軍が傍らに立ち、彼に耳打ちするかのように何かを囁いているし、闊達とした振る舞いに、貫禄めいたものも感じられたからだ。

 健軍に続いて、陰湿そうな笑みの男や、女の兵士達(婦人自衛官)も入ってくる。皆外で見かけたそれと違う、緑色の制服をまとっていた。おそらく戦闘用のまだら緑と、礼典の際に着るものとを分けているのだろうとピニャは推察した。

 最後に、レレイが招かれたように入ってきて、初老の男の隣に立った。

 初老の男が、笑顔でレレイを労うかのように何かを告げた。

 レレイは首を振って、それからピニャの方へと向き直ると、初老の男について「こちらはジエイタイの将軍、ハザマ閣下」と紹介した。そうしておいて、ハザマに向けて、ピニャのことを紹介している。言葉そのものは理解できないが、固有名詞はそのままなので自分の名前が紹介されたことは解るのである。

「こちらは…帝国皇女ピニャ・コ・ラーダ……ニホン語での尊称がわからない」

「『殿下』がよいと思うよ。こちらの言葉で、皇族に着ける尊称はどのようなものがあるのかね?」

「男女の使い分けがあり、女性にたいしては『francea』が適切」

 レレイに言葉をならった狭間は、ピニャに対して腰掛けるよう勧めた。

「どうぞおかけ下さい、フランセィア(殿下)そして、ボーゼスさん」

 その後、狭間達もそれぞれに腰掛けると、レレイの通訳を経た会話が始まった。

「協定を結んで早々に、しかも殿下自らお越しに成られたのは、どういったご理由からでしょうか?」

「我が方にいささか不手際がありましたので、そのお詫びに参った次第です。それと、若干お願いしたいことがございまして」

「報告は伺っています。現場で何か行き違いがあったとか?」

「はい。汗顔の至りです」

「そうですか?ま、帝国政府との仲介の労をとって頂ける殿下のお心を患わせるのも、自分としては本意ではありませんからな…必要なら協定そのものの扱いも考え直す必要もありましょう」

 日本人は交渉相手の些細なミスには、寛容さで応じてしまうところがある。故に外交下手と言われるのであるが、協定の存在がイタリカとフォルマル伯爵領を守っていると解釈しているピニャにとって、協定の否定は自衛隊によって侵攻されることを意味していた。従って、狭間のこの言葉は「協定が守れないなら、侵攻するよ」と聞こえた。「仲介の労をとってくれる殿下の云々(うんぬん)」の下りは、その意味で解せば強烈な嫌みでしかない。

「いや、それは…」

 すると、傍らに座っていた陰湿そうな笑みの男が、口元をニンマリとゆがめると、口を開いた。

「イタミから聞きましたよ。なんでもこちらのご婦人に手ひどくあしらわれたそうですね」

 これがレレイに通訳された途端、ピニャとボーゼスの背筋は冷たい汗が吹き出し始めた。

 結局、伊丹の口を封じることはできなかったのだ。二人っきりで話したいと何度か『誘った』のに、あの朴念仁は全く受け容れてくれなかったのである。まぁ、伊丹としては自分を理不尽にもぶん殴った女性やその親分に、2人きりで話したいと艶っぽく微笑まれても「おまえ、ちょっと顔カセや」と凄まれているようにしか思えなかっただけである。

「あのアザとひっかき傷。見た途端、笑っちゃいましたよ。イタミは公傷扱いにしてくれって言ってましたが、どう見ても痴話喧嘩の痕にしか見えませんよね。あの男が、そちらのご婦人に何か失礼なことを言ったんじゃないですか?」

 ニヤニヤ笑いながら「……イタミが暴力を誘発するような言動をしたか?」と手厳しいことを言うこの男に、ピニャは蛇みたいで嫌な奴という印象を強く抱いた。

 こちらの隙や落ち度を見逃さないばかりか、「何で彼に暴行をしたかのか?」「暴行されなければいけない理由とは何だ?」と、しつこく、抉るように追求してくる。
 彼は、何もしてないのだ。何もしてないのに暴行を受けたのだ。この男の言葉は、その理不尽さ、凶悪さを際だたせ、ピニャらの罪を弾劾する言葉として聞こえた。

「………」

 ピニャが答えに窮していると、レレイが何かを『陰湿そうな笑みの男』に告げた。すると男は、陰湿そうな笑みを皮肉そうな笑みに切り替えて、名を告げた。

「これは失敬。自己紹介が遅れました。自分は、柳田と申します。どうぞ、お見知り置き下さい」

 ピニャには、「私の名前は、ヤナギダと言う。よく憶えておけよ」という意味に聞こえたのであった。






「さ~て、飯を食って寝るぞぉ」

 残った弾薬を弾薬交付所に返納して、銃を整備して武器庫に収め(栗林の小銃は、この度廃銃となった。剣を受け停めたときの損傷が銃身そのものまで及んでいることが確認されたからだ)、車両の泥を落として…などとやっていたら食事をする時間もなく、既に陽は落ちて夜になっていた。

 さらに報告書とかも書いて、提出して、明日の参考人招致と、それを終わったあと行動についての指示を受けたりして…さすがに疲れた伊丹である。

 とりあえず、どっかりとデスク前に座って引き出しに図嚢から取り出した書類などを片っ端から放り込んでいると、机の中に入れて置いた携帯がチカチカと点滅して、メールが届いていることを知らせていた。

 誰だ?と思って開いてみたら、梨紗と、太郎閣下であった。

 この両者は、いずれも伊丹のオタク仲間である。名前ももちろんハンドルネームだ。太郎の場合は、彼自信が名乗ったハンドルネームに周囲がとある理由で勝手に『閣下』をつけて呼ぶようになり、それが用いられるようになったのである。

 梨紗は、近況報告に類することと、単刀直入に「金を貸して(ハート)」と書いていた。二通目や三通目になると、「至急援軍を請う」とか「我、メシなし、ガスなし、携帯代なし」と悲痛な叫びへと変わっていた。わずか1日~2日でこの内容に至るとは、どうなっているのかと思うところである。

 この女は公務員としての安定収入をもつ伊丹を、カードローン代わりに使うことが度々あった。どうせどこかのドルパで異様に高価なアイテムを衝動買いして、生活費に影響しはじめたのだろう。どちらにしても放っておく訳にもいかないので、助けてやらねばならない。

 太郎からのメールには伊丹が、近日戻ることを知ってか一度顔を出すようにと書いてあった。

 季節がずれているので忘れてしまうが、門の向こうはもう冬である。年末も近いし、そろそろ休暇を申請しておこうと思う。悲劇の夏○ミ中止から半年、冬コ○はその分盛況になることが期待された。太郎閣下からの呼び出しも、気軽に人の多いところに出られない彼にかわってゲットするアイテムについての依頼だろう。

 参考人招致で本土に戻ったら、まずは「カタログ」を入手しなければならない。

 そんなことを考えていると、窓の外から消灯ラッパが聞こえ出す。あちこちの隊舎から灯りが消えていく。

 もう、そんな時間であった。いくらなんでも糧食斑も食堂を閉じている。

 仕方なく机の中に隠匿して置いた缶メシ(戦闘糧食1型/とり飯/たくあん漬/ます野菜煮)をデスクの上に置いて、缶切りをあてた。

 すると、廊下のほうから戸を叩く音が聞こえた。

 思わず幽霊でも出たかと思って振り返ると、暗い廊下にレレイがたたずんでいた。

「こんな時間に、どうした?」

 レレイは各種資料の翻訳のためということで、特例措置として臨時雇いの『技官』の身分が与えられている(もちろん働いた分の給料も出る。ただし日本円)。そのためにかなり自由に歩き回ることが出来るのである。巡察や不寝番に誰何された時のために、首から身分証を入れたパスケースも提げている。

「イタミ。キャンプまで送って……疲れた」

 そう言って、杖を投げ出すと女の子座りでしゃがみ込んでしまった。

 レレイは感情などを顔に出さない上にかなり我慢強い。それだけに「疲れた」などと弱音を吐き出す時は、真剣に疲れ切っていると見るべきだった。ピニャと狭間とのあいだで通訳として働き、相当に神経をすり減らしたのだろう。

「メシは喰ったのか?」

 最早言葉を発するのも辛いのか、ウンウンと二回ほど頷く。彼女の伊丹を見る目は、捨てられた子犬のようでもあった。

「あー、もう車を出すのもなんだし、ここで寝ていったらどうだ?空いてる部屋は結構あるんだぜ」

 彼女の住むキャンプまで、道のりも結構ある。
 しかも、1人じゃまずいから偵察隊の誰かを叩き起こさないといけないし、一応武装しなくちゃ営外に出てはいけないことになっている。また書類を出して、車を出して…面倒くさいことこのうえない。だったら、空き部屋のベットにレレイの寝床をしつらえてやった方が楽なのである。

 レレイはイタミに任せるとばかりに、ウンウンと二回ほど頷くと眠りの世界へと旅立ってしまった。






 さて、ベットである。

 隊員にはベットにマットレス一つ、枕一つ、毛布5枚(飾り毛布1枚)、枕カバー1枚、シーツ2枚、掛け布団1枚が与えられる。(今は新ベットが導入されつつありこの限りではない)。

 これを用いて、定められた形にベットを作らなくてはならない。

 まず、毛布を三枚敷く。大抵の毛布は横幅がベット幅二つ分のサイズなので、たたんで重ねることになる。(この時のたたみ方が、寝心地と形という、ベットの全てを制することになる)

 その上に2枚のフラットシーツをかける。この際、角に三角形の折り込みがきちんと出来ていることが大切になる。一枚が敷き布団側、一枚が掛け布団側で眠る時は、その間に潜り込む形になる。

 そして、その上から毛布を身体側と枕側の双方に被せるように包み込むが、やはり角の折り込みはきちんと三角形が描けてなければならない。あたかもプレゼントの包装紙のごとくである。皺もたるみもなく、角はぴしっと。その上で枕側に掛け布団を置く。この状態を延べ床と言う。
 どちらかと言うと温暖なこの世界では掛け布団は使わないので省かれていた。

 こうしてベットを作ると伊丹は、床に転がして置いたレレイを抱え上げて、ベットへと放り込んだ。

 真っ白な髪。真っ白な肌は陶器のようである。
 その整った造形は、まるでスーパードルフィーの等身大(あるかどうか知らないが)ではと勘違いしそうである。

 その方面の趣味は伊丹にはないが、彼女をベットに載せて毛布とシーツで包みあげていると、そういうことに喜びを見いだす人々の気持ちに、わずかに共感しそうになってしまう今日この頃である。

 思わず、ブルブルと首を振って「違う!」と呟いて。そう、俺の歳になれば、このぐらいの娘がいても可笑しくないし…。と、心理学的防衛規制のひとつである、合理化をはかった。まぁ、高校卒業した年の10月に子どもを出産した同級生女子がいたから、ありえないとも言えない。

 レレイは15歳だと言うが、日本で15歳と言えばもう少し体つきに凹凸があってもよい年頃だ。だが、レレイはその年齢に比すれば幼い上に、小さく細くて軽い。まぁ、年齢に比べて外見が圧倒的に若い実例が、他に2人もいるが。

 ふと、気づくとレレイを見守る形で朦朧としていた。

 どうやら睡魔に捕らわれたようである。

 いけない。こんなところ人に見られたら絶対に誤解されてしまう。すぐに部屋に戻って寝なければ、と思った。

 ただでさえ、倉田あたりから「二尉は、ツルペタ系が好みでしょ」と揶揄されてるのである。

 確かに『いかにも女』というタイプは苦手だ。しかし、ツルペタ系が好みというのも誤解なのである。はっきり言って胸はあった方がよいし、腰はくびれているほうが良いと心の底から思っている。

 その意味では、レレイには食指が動かないのである。とは言え、レレイが眠っている傍らに不必要に滞在していたら、あとでどんな噂を立てられるかが心配である。直ちに立ち去らなくてはならなかった。

 だが、その頃には身体がじっとりと重くなっていた。

 考えてみれば徹夜で戦闘、帰還途中で捕虜になって、小突かれて走らされて、そのまま夜もゆっくり休めないという不眠不休が続いていた。蓄積した疲労から来る睡魔も、相当に強烈である。

 こうして、伊丹の意識は途切れる。結局の所、その意に反してレレイのお腹を枕にして眠ることとなってしまった。





    *      *





 翌日。午前11時、中央ドーム前。

 伊丹は、虚ろな表情でぼやっと突っ立っていた。

 服装は日本側の気候に合わせて91式の冬服なのだが、温暖なこちら側では暑くてしょうがない。だから上着は袖を通さずに抱えている。ワイシャツの袖はまくっている。

 その姿がなんともだらしなく見えて、通りかかった位の高い人達は大抵眉をしかめるのであるが、彼の抱えているのが冬服であることに気付くと、一転して気の毒そうに笑って通り過ぎていく。

 こちらにいるのなら夏服ですむのだが、冬の日本へ行くとなれば冬服を着るしかない。季節のずれがもたらす小さな喜劇である。

「遅い…」

 時間という概念にいささかルーズなのが、この世界の人の特徴かも知れない。時計というものが普及していないから、時間に合わせて行動するという習慣がないのである。

 待つこと暫し。額に流れる汗を二回ほどふき取って、ようやく待ち人達が現れた。

「栗林ぃ~、富田ぁ~遅いぞぉ」

「済みません二尉。支度に手間取っちゃって」

 制服姿の伊丹に対して、現れた栗林や富田『達』は私服であった。

「この暑さなのに、なんで厚着が必要なのよ…」

 と、ぼやいてるテュカとか、「………………」と何も言わずに、意味深げにじっと伊丹を見るレレイとか、いつもの黒ゴスのロゥリィとかもいる。

 ロゥリィはいつも持っている巨大ハルバートを帆布で包装しているが、それが気に入らないのか、なにやらブツブツ言っていた。

「しょうがないでしょ。そんなものむき出しで持ち歩いてたら、銃砲刀剣類等取締法違反とか、凶器準備集合罪とか、各種の法令条例で捕まっちゃうのよ。ただでさえ、最近は冗談じゃ済まないんだから。ホントなら置いて行かせたいくらいよ」

「神意の『徴(しるし)』を手放せるわけないでしょう?」

「だったら、我慢してよね」

 ロゥリィには、門の向こうに行かないと言う選択肢はないようである。

 実際の所、参考人招致で呼ばれているのは、炎龍との交戦時に置いて、現場の指揮官であった伊丹と避難民数名である。

 そこで「避難民数名を、どうするか」なのだが、こうなると言葉の通じるレレイははずせない。最近便利使いされて彼女に負担がかかっているが、現状では我慢して貰うしかない。今回の参考人招致では終わったあと、慰労も兼ねて彼女をゆっくりとさせるようにと狭間陸将直々の指示が出ている。

 テュカを選んだのは、こちらに住むのはヒトという種だけではないと言うよい例になるからである。見た目で解る程度の違いをもつ彼女の存在は、メディアに対して、強力な説得力をもつだろう。

 ロゥリィの場合は見た目はヒトと同じ。しかも外見は子どもだし、着ている神官服と合わせたらどこのコスプレ少女を連れてきた?と言われかねない。
 亜神たる証拠の奇跡を示せなどとは畏れ多くて言えないし(その手のことを口にして滅ぼされたものの数は神話を紐解いてみると少なくないことがよくわかる)、その強さを国会で証明されても困る。だから、あんまりメリットがないのである。

 それでも行くことになったのは、彼女の「そんな面白いことにわたしぃを仲間はずれにするつもりぃ?」の一言であった。

 栗林と倉田は、彼女らのエスコートである。

「おーし、そろったな。そろそろ、行くぞぉ」

 伊丹がそう言いかけた時、公用車が伊丹の前に滑り込んできた。

 助手席から、柳田が手を挙げながら降りてきた。

「悪い悪い、手続に手間取っちまった…」

 思わず何の?と尋ねたくなるほどの気安さであるが、柳田はそういうと後部座席のドアを開いて客人を降ろした。

「ピニャ・コ・ラーダ殿下と、ボーゼス・コ・パレスティー侯爵公女閣下のお二方が、お忍びで同行されることになった。よろしくしてくれ」

 ピニャとボーゼスの2人は降り立つと、伊丹等の前に進み出た。

「おい、柳田。聞いてない」

「あ?言ってなかったか?まぁ、いいだろ?市ヶ谷園(防衛省共済組合直営のホテル)の方には、宿泊客追加の連絡はしといた。それと伊豆の方にも連絡済みだ。2泊3日の臨時休暇だ。しっかり楽しんでこい」

「あのな。このお姫様達に俺がどんな目にあったと思ってる」

「ああ?誤解だろ?笑って水に流せよ」

「笑えねぇよ」

「いちいち気にするな。なにしろピニャ・コ・ラーダ殿下には、帝国との交渉を仲介をしてもらわないとならんからな。その為には我が国のことも少しは学んでおきたいという、ご要望も当然と言えば当然だ」

「それが、なんで俺たちと一緒なんだよ」

「しょうがねぇだろ。案内しようにも、通訳出来そうな人材がまだ育ってないんだから」

…そこまで言って柳田は伊丹に近づくと、声をひそめる。そして一通の白封筒を伊丹のポケットへと押し込んだ。

「狭間陸将からだ。娘っ子達の慰労に使えとさ」






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