「……!」
稲妻が落ちたような凄まじい音がヘイゼルのもとに届いた。
未だ地面に体を横たえる彼女は、目を剥いて音源の方へ目をやる。
膨大な土煙。視界の奥では砂塵が湯気のように広く舞って、あたかも火山の頂上にいるかのよう。
横向きになった視界の規模は狭い。全容が把握し切れなかった。
解毒剤を服用しても快方に向かわない体の状態に、厄介な毒をもらった、とヘイゼルは眉を歪める。
「『エンゼルキュア』」
どこからともなく細い声が落ちた瞬間、ヘイゼルは魔力の滴に包まれた。
突然の出来事に目を見張る彼女の上空を、羽を生やした小天使がさぁーと光の鱗粉とともに横切っていく。
「やほー。生きてるー?」
「……黒、猫」
ぱっとすぐ隣に現れた影にヘイゼルは呟いた。
イスラは、笑いながら彼女を見下ろす格好となっている。
「何を……」
「ぽつんと一人、さみしそぉ~に寝転がってたからさ、助けにきてあげたんだよ?」
感謝してよねー、と笑い続けるイスラ。
ヘイゼルは召喚術で解毒された体をふらつきながらも起こし、怪訝な目付きで少女と正対する。
「貴方、オルドレイク様の治療のために連れていかれたんじゃなかったの?」
「うん、そうだよ? ウィゼル様に無理矢理引っ張られて。回復系統のサモナイト石持ち合わせてなかったから、無駄足だったけど」
「……それは、何よ」
少女の手の中で輝く、紫紺の鉱石について言及する。
イスラはさっと石を握っている手を背中に隠した。にこにことする笑みは途切れていない。
「これは、ほら、あれだよ、向こうにいる召喚師の人達から借りたんだ」
「……」
言葉の正否をヘイゼルは問わなかった。
問い詰めたとしても、抜け抜けと嘘を吐くこの猫の返答は変わらないに決まっていて、何よりヘイゼルの胸中では答えが一点に固まっているからだ。
ヘイゼルは眉根を寄せ合わせる。ただ唯一、少女の秘める真意だけが知れなかった。
「ウィゼル様達の方に茨の君も行ったら? ツェリーヌ様はぎりぎりウィゼル様が助けたみたいだけど、ボロボロだしね」
「……」
「島の召喚獣達は、派閥の人達と一緒に私が引き受けといてあげるからさ」
言葉では説明できない不快感が募る。
自分の知らない所でいいようにこき使われているような、目の前の少女の手の平の上で踊っているような感覚。
この戦闘自体が、まるでイスラの思惑通りに運んでいるような気がしてならない。
「それとも、私との抜群の相性、召喚獣達に見せつけちゃう?」
「……ウィゼル様達のもとに行くわ」
「あははっ、フラれちゃったよ」
視線を切って背を向ける。
煽られていることは分かっていたが、言葉を真に受けてイスラと共闘するのはもっと気に食わなかった。
それに優先順位など最初から決まり切っている、先決すべきなのは間違ってもこの少女ではない。
雇い主達のもとにヘイゼルは駆け出そうとした。
「あっ、ついでに伝言も頼まれてよ」
「っ……何よ」
見切りをつけようとした矢先にこれだ。若干苛立ちながらもう一度振り向く。
最初から今まで全く変わっていない満面の笑顔……仮面のような笑みが、ヘイゼルに言葉を投げかける。
「もし召喚獣達を抑え切れなかったり……適格者が抜剣するような真似したら……私も“やる”って、そう伝えて」
「……」
目付きを鋭く保ったまま返答はせず、ヘイゼルは今度こそその場を後にした。
「じゃあ、お墨付きももらったようなものだし、行っこか?」
あっという間に小さくなるヘイゼルの背を見送り、イスラは虚空に向かって口を開いた。
それからすぐ、ズズッと隣の空間が渦を作り、その中から赤い人影が現れる。
『狐火の巫女』──ココノエと呼ばれる、イスラお気に入りの召喚獣が不可視の術を解除した。
「……」
「もう、本当に神経質だなぁ」
じっ、と仮面の奥でイスラを見つめてくるココノエの姿にイスラは笑う。
先程の押しつけがましい粗雑な対応を咎めるような雰囲気に、「不可抗力だって」とちっとも悪びれてない様子で手を振った。
「あの武器狂いのお爺さんに警戒されちゃったんだから、しょうがないじゃん。『保険だ』、なんて言って私のこと見張ってくるし」
渋い声を出して、それでも可愛らしさは抜け切れず。
本人に成り切れてない声真似を披露しながらイスラは言う。
「やむなく臨機応変に対応しましたー、とでも言わないと、これからやることにまた何か勘繰られちゃうよ」
どこか面白そうに肩を竦めるイスラに、何を行っても無駄だと悟ったのか、ココノエは無言のままそれまでの空気を霧散させた。
その代わりに、次には心配するような素振りでそっとイスラの側に身を寄せる。
地面から拳一つの間隔で宙を浮遊する召喚獣は、己の尻尾を包み込むように召喚主の肩に回す。
「……大丈夫だって。まだ平気だよ。…………うん、だって、まだ足掛かりすらなってないんだから」
回された尻尾に片目を細めながら、もう片方の目はとある方角を見やる。
土煙の向こうで微かに見える、慌てふためく白い背中。赤髪の女性。
儚げな雰囲気をがらりと一変させ、少女は仇を見るかのように彼女を睨み付ける。
そして最後に、海賊達と仲良く転がっている、一人の少年へと目を向けた。
「……時間も怪しくなってきた。もう邪魔される訳にいかない。そっち、頼んだよ?」
「……」
力を抜いた瞼が作り上げる、湖面のよう静謐な笑み。
その笑みを向けられたココノエはやはり無言のまま、仮面をはめた顔を俯ける。
イスラは従者のその態度にはもう触れず、前を向いて、黄昏の丘陵へ身を進めた。
「今度こそ最後まで付き合ってもらうよ、アティ」
地平線に沈みかける夕陽が、少女の貌を紅色に染めた。
然もないと 13話(下)「断罪の剣の独壇場」
「ぐぉおおお……っ!?」
「いったぁ~!」
「前触れ、なしに……消えちゃったわねぇ……! そ、ソノラ重いっ……!」
「す、すいません……最後まで持ちませんでした……」
「……ふぅ、死ぬかと思いましたね」
『こっちの台詞だ!?』
海賊船着弾地。
敵味方関係なしにその巨体で巻き込んだ亡霊戦は、今は跡形もなく姿を消失させていた。
境界線を豪快に粉砕した僅秒の間でちょうどヤードの魔力が底をつき、召喚術『突撃・幽霊船』の効果も切れたのだ。中途半端に敵(+味方)を蹴散らした足跡が残っている。
幽霊海賊達の暴れぶりの名残を示すように、ウィル達の頭上を紫色の粒子が舞っていく。
船がかき消えるのと一緒に甲板にいたウィル達も放り出され、慣性に従ってアティ達のもとへ飛び込む形をとった。無論、大地と熱烈な抱擁を交わす結果は避けられない。
折り重なって饅頭となっているカイル一家と、その上ですっかり落ち着きを取り戻した澄まし顔のウィルに、死相を貼りつけていたアティ達は「馬鹿者共が」と食ってかかる。
「ウィル君っ、今回は本当に冗談になっていませんでしたよ!?」
「もとより天然(せんせい)の冗談なんて、僕、聞きたくないです」
「何言っちゃってるんですか?!」
「真理」
「ちょっとぉ!?」
「────オイ、貴様等、癇に障る師弟漫才は止めろ。蜂の巣にするぞ」
(((((((こわっ……)))))))
憤怒という名の女傑(オニ)が顔をメラメラ燃え上がらせ二人の間に出現する。握り締められた剣が紫電の輝きに飢えている。
ウィル達に何か言おうとしていたキュウマ達被害者の会は、顔を怯えに変えてその場で足を縫い止めた。
師弟コンビは仲良く条件反射で身を竦ませる。ウィルはさっと目を逸らし、アティに限っては「何で私までぇ…」ともはや半泣きだった。
「戦術の原則とやかく以前に、常識というものがないのか貴様等は、ええ?」
「あ、アズリア、アズリアっ! 冤罪っ、わたし、冤罪……っ!?」
「…………拙者は、指示に従わないと単位落とすぞと、教官殿に脅されて……」
「ウィル君本気で私怒りますよっ!!?」
泣き縋るような顔から一転、ずずいっと柳眉を逆立てウィルの眼前まで詰め寄るアティ。
目端に涙を溜める童顔の迫力に、ウィルは「臨界見誤った…」と汗をかきながら再び視線を横に逸らした。
鼻と鼻の先がくっつきそうなそんな二人の顔を、むくれたマルルゥが割り込んで引き剥がし、続いて目尻を尖らせるソノラと外見上は冷静そうなクノンが体を入れる。
「はいはいっ離れてぇー」
「なのです~っっ」
「ソ、ソノラ……? マルルゥ?」
「ウィル、まだ我々は交戦中です。夫婦漫才はこの後私とやりましょう」
「クノンおかしい、それはおかしい……!」
出遅れた鎧があたふたと体を左右に振っていた。
「……アズリア、ここは一旦堪えて頂戴。クノンの言う通り、まだ戦闘は終わってないわ」
「いたずらに時間の浪費するのも馬鹿馬鹿しいじゃろ? ことがことだけに、尚更の」
「……くっ、分かった」
年長者を思わせるアルディラとミスミの貫録に、アズリアも自分の短慮を反省しながら引き下がる。
後で覚えてろよ的な視線に、ウィルはさっとアティの後ろに隠れた。非難がましい目を背後に向ける赤髪教師。
「取りあえず被害状況ね……クノン」
「ヤッファ様とフレイズ様が船体に巻き込まれ完全に再起不能。後は、ギャレオ様も……」
「私を庇って、意識を失っている……」
ゴロゴロ転がっている大男達。
「ヤード達が助かったんです、少ない犠牲には多少目を瞑るべきですね」
「瞑っちゃダメですよ!?」
「ええい、もうお主らは口を閉じて大人しくしておけっ。それで、ヤード達の方は?」
「あたしはまだ平気だけど、アニキ達が……」
ソノラの心配げな目を向ける所、カイル達は消耗の色を滲ませて、各々が楽な姿勢を取っている。
魔力切れのヤードはもう十分な戦力に数えられず、スカーレルもドーピングをしたからといって本調子とまではいかない。カイルは強行突破した際の傷と疲労によるツケが溜まっていた。
比較的無傷の後衛組に対して、前衛組の被害が目立つ。
「最前線に立てるのは……私とファリエル様、後は強要という形になってしまいますが、ヴァルゼルドくらいですね」
『本機は近接戦闘の戦闘プログラムも組み込まれているので、装備さえ換装すれば、問題ありません』
「おい。無色の野郎ども、部隊を再編成してるみてえだぞ。イスラがまとめてる」
「……相手の方が被害は大きいと思うけど……もし召喚術のスペアがあるとすると、不味いわね」
ビジュの簡潔な偵察内容に、アルディラは未だ立ち昇っている土煙の奥をきっと見据える。
召喚した悪魔達がいくら傷付いて使い物にならなくなっても、予備のサモナイト石があれば無傷の召喚獣を新たに喚び出せるのだ。
代わりとなる戦力がいないアティ達にとっては、どうしても形勢不利となる。
(撤退、してもいいけど……結局問題の先送りだしな)
仲間達の会話に耳を傾けながらウィルは思索する。
頭目も含め敵には少なくない痛手を与えた、態勢を立て直し後日改め仕切り直すのも決して愚策ではない。むしろ安全を取るならそれが一番だ。
が、今日戦場となっているのは自分達の島(ホーム)なのだ。何をしでかすか分からない連中だからこそ、楽観的な推測はもとより悠長なことは言ってられない。かえって追い詰められたことで残虐な行為にひた走る可能性もある。
パナシェを始めとした島の召喚獣達はみな怯えている。一日も早い根本的解決が求められている。
(でもみんなの言う通り旗色は悪いし……いやぁ、ままならん)
いつだってこんな筈じゃないことばっかりだよ、と心の中でぼやく。
決して海賊船の「みんなまとめてサプライズボンバー」は自分のせいではないと言い訳をしてみる。
ツェリーヌという強大な敵を相手にしていたヤードに、コントロール云々を責めるのもまたお門違いなのだが。
「……相手の召喚師を、なんとかしましょう」
「ウィル君……」
ウィルの開口に、みながそちらに振り返った。
「確かに、使役もとである召喚師達を何とかすれば、僕となっている悪魔達も連鎖的に無効化されます」
「あっ、なるほど……」
「……まぁ、妥当よね。それが最も有効的。けど、敵もそれは承知済みの筈よ、必ず召喚師達の護衛を固めてくるわ」
ファリエルの説明を肯定しつつも、アルディラは注意点を喚起させる。
悪魔達の使役のみに回り無防備な様を晒していることで、むしろ召喚師達は防衛には万全な陣を敷いている筈だ。
派閥の陣形を現在支えているのも彼等他ならないのだから、敵全体でカバーしてくるに違いない。
「どうする気、ウィル?」
「…………」
アルディラの問いかけに、ウィルは答えない。
ただそれは返答を用意していないからではなく、今から起きることに対しての憂慮が絶えず襲ってきて、彼から余裕を奪っているからだ。
若干、というかかなり顔色を悪くさせながら、ウィルはある方向を向く。
口をへの字に曲げて重くなる足を引きずりながら、やがて、その人物の前に立った。
「……何だ」
「……」
腕を組み、憮然と己を見下ろしてくる、アズリア・レヴィノスその人。
此方に対する不満という不満が高まっているのか、抱く反感を隠さないで睨みを利かせている。
ウィルはギチギチと鳴り始める体内の内臓系に嘆きながら、ちょこんと頭を下げた。
「協力、してください」
◇
(────────)
は? と。
無色の召喚兵は頭の中を半ば真っ白にしながら、そう思った。
鼓膜を打ち据える轟音。閃光。爆発。
連発される召喚術。相手陣地から景気良く放たれる種々雑多な攻撃が、次々と味方に襲いかかってくる。
地面を抉り、岩を砕き、丘陵全体を震わせる射撃群はもはや隕石の雨のようだ。
それほどまで凄まじい火力だった。
だが、彼はそのことに思考を停止しかけているのではない。
その眼球が釘付けにされているのは、影だ。
雨あられと注ぐ召喚術の間を縫うようにして“進撃”を行う、あの二つの影だ。
(────────)
細身の影と小柄な影。番のように前後に連れ添う二人組。
軍服を纏う女性軍人と、その背後に控える少年が、戦場のド真ん中を突っ切ってきっていった。
そう、突っ切っているのだ。
襲いかかる悪魔達を、立ち塞がる数の暴力を、“ことごとく蹴散らして”突き進んでいる。
(え、ちょ、なんっ────)
今にも、空から飛びかかった三匹の悪魔が返り討ちにあう。
後手の立場を覆す『先制』の突きに、その速度にも劣らない出鱈目な召喚術、とどめには動きをぴったりシンクロさせた同時攻撃。一瞬で三つの影が撃墜された。
余りの戦闘能力──圧倒的過ぎる連携に、召喚師は呼吸することを忘れる。
(あ、頭、おかしっ────)
その二人組──奴等は、砂塵が晴れ出して視界が確保できるようになった頃、唐突に現れた。
味方の召喚術(えんご)を肩に背負い、夕暮れの光を浴び黄金に輝く土煙を纏いながら、大胆無謀にも突撃を仕掛けてきたのだ。
当然、悪魔達はその獲物に群がった。空を飛ぶことで召喚術をかい潜った異形達は、その二つの影をまとめて串刺しにせんと、槍の矛を四方八方から突き出した。
刹那、悪魔達は宙を舞うことになる。
少年が速攻の召喚術で攻撃をカウンターした後、鬼のような戦闘能力を誇る女傑が踊り狂ったのだ。
憑依召喚でも施されていたのか、何の冗談かと問いたくなるほど悪魔達は千切られては投げ飛ばされていった。
派閥兵が全員目を点にする中、奴等は悪鬼のごとき蹂躙を働き、そして今に至るまで、怯える悪魔と狼狽える兵士をねじ伏せていっている。
相手の後続から放たれる強烈な召喚術に、少なからぬダメージを受けていることもある。
度重なる爆発によって足止めされ、敵二人に襲いかかれる組が限定されていることもある。
奴等の他にも攻め入ってくる召喚獣達によって、此方の連携行動が存分に発揮されていないことも、ある。
しかし、それを差し引いても。
あの大小女男異彩ペアの戦闘力は、途方もなかった。というか、おかしかった。
人為的な厄災(あらし)がそこにはあった。極めて、凶悪な。
(あ、れ、みんな、どこ────)
既に召喚師が何人か屠られていた。動ける悪魔の数が明らかに減少している。
奴等は此方の急所をピンポイントで狙ってきていた。
邪魔する者は例外なく即殺だ。また一匹、視界の中で哀れな悪魔が断末魔を上げて葬られる。
遠距離攻撃ができないのが痛い、痛過ぎる。召喚術による援護も迎撃も悪魔達を使役しているこの状態では不可能だ。
己の手で自分達の首を絞めていたことに、召喚師は遅まきながら理解する。
(あ゛────)
目が、合った。
まるで鷹の目のような、女の鋭い切れ目がこの体を射抜いた。殺気的な意味で。
次ハ貴様ダ、とそう死刑宣告された。
奴等の進路が反転する。
(ああぁあぁぁああああぁああぁあああああああぁあぁぁぁぁ────)
進撃する。
剣姫が、小さな従者を引き連れ、突っ込んでくる。
理性の金具が吹っ飛んだ絶叫を心の中で散らしながら、彼の瞳孔は一気に狭まった。
終わりの始まりがスタートする。
(とめっ、止めぇっ、止めぇぇぇぇぇぇぇぇ────)
願いが通じたのか、大剣兵が奴等の前に立ち塞がった。
超重量の鎧を装備し攻守に殊更秀でた、屈強な兵士だ。その顔は既に死地に赴いた戦士のそれだった。
そして召喚師も反射的にサモナイト石を取り出した。使役する悪魔達を送還して、迎撃のための召喚術を準備する。
こんなもんもう操ってる場合か。目先のアレを潰さないと、不味い……!
召喚師のサモナイト石が発光する。奴等は全く速度を緩めない。
大剣兵の巨岩をも砕く超鉄塊が振り上げられる。奴等は全く気にしない。
じれったく思える震えた声が詠唱を組み上げていく。奴等の得物が動き出す。
大剣兵の決死の斬撃が女傑へと放たれる。前に、少年の投げた砂が兵士の目を潰す。汚ねえ。
背に溜められていた剣姫の右腕がぶれる。紫電が咲き誇った。
「──────ぁ゛」
(──────ぁぁ)
死んだ。
派閥兵の中でも屈指の実力を持つ男が、散った。
呻き声とも取れぬか細い声を残して、鎧バラバラにされながら大地に沈む。
ていうか、アレ、重装。普通の武器(けん)が蜂の巣にしていいもんじゃない。ウィゼル様いらねーじゃん。
夕暮れの視界の中、理不尽が満ち満ちる。中身が空っぽな小声が思わず漏れた。
(って、#$%&$$%#$%&#%$#$%&────!?!?)
迫っていた。
奴等が、もう数秒もかけないで辿り着く距離まで肉薄していた。
リィンバウムには早過ぎる言語を駆使して召喚兵は叫び散らす。均衡を失った精神が粉砕した。
そして死の淵に立たされた召喚師は限界を越えた。奇声を編みながら、術をギリギリの所で完成させてみせる。
────やった!
DEAD ENDに全力で抗おうと、手持ち最強の召喚術を奴等へ解き放とうとする。
「ほい」
が、少年の手から撃ち出された投具が、サモナイト石にクリティカルヒット。
ペキッ、と情けない音を立てて、発光していた石がど真ん中から砕け散った。
「────」
息をつく暇もなく、剣を高々と振り上げた影(シルエット)が、召喚師の体を覆い尽くす。
「足掻くな」
────ゴメンナサイ。
股間が収縮。キュウ、と切ない音が鳴る。
反射的に謝ってしまった言葉を最後に、召喚師は剣の餌食となった。
斬殺。
余談。
この戦乱後、島流しに放り出され漂流、とある宿場町に職にありつき無職でなくなった派閥召喚師Aは語る。
「奴等と再戦臨むくらいなら俺は無色に殴り込みへ行くのも厭わない」。
緑と黒のパーソナルカラーは以後彼の恐怖の象徴となった。然もあらん。
◇
「何さ、アレ……」
イスラはげんなりとした顔で呟いた。
砂塵を巻き起こす暴走列車のごとき二人組を瞳の中に映し、それから少し間を置いて、徐々に半目を作る。
「もうっ、本当に節操がないなあっ」
その言葉が向かう先の少年は、イスラの実姉とぴったりと息を合わせている。
まるで長年付き添ってきたパートナーのように、彼女を後ろからサポートしていた。
姉(アズリア)のことなら何でも知っていると、あたかもそう言うかのように。
目が段々と尖っていき、自制していた感情が再燃し出す。
(……ていうかさぁ! お姉ちゃんもだよ!)
また一方の姉の様子も、イスラの心のささくれに一役買っていた。
遠目からでも分かる。今、姉はご機嫌だ。
戦いの最中ゆえに引き締まった精悍な表情こそしているが、血を分けたイスラには瞭然だ。アズリアは、存分に己の力を発揮できるウィルとの連携に喜びを見出している。
類まれのない相棒を得てここぞと高揚していた。
(うわー! うわーっ!)
ついこの間までは、自分の前でタヌキタヌキと罵ってばかりだったくせに。
少年とこれ見よがしに連携(なかよく)する姉が気に食わない。
姉にまで手を出して、しかも自分の知らない彼女のことまで何故か知っていて。
自分から姉を掠め取るような真似をしている少年が気に食わない。
イスラは二つの意味で、アズリアとウィル、両者へ嫉妬した。
(……うぎーっ!)
それに加え、二人の愛(:一方的妄想)の力が自分の指示した陣形──悪魔の軍勢を容易く撃ち破っているのだ。
あんな訳の分からないものにゴリ押しで力負けしては、参謀したイスラの立つ瀬がない。腹も立つ。
自分がことごとく負けているようなそんな敗北感が発生し、イスラはその場で地団駄を踏みそうになった。
(………………ん)
だがすぐに、幼児化に走っていた感情は鳴りをひそめた。
「何やってんだろ……」
むくれていた顔は消え、一瞬寂しそうな眼差しを覗かせる。
着実にイスラのもとへ近付き始めているアズリアとウィルをじっと見て、やがて名残りを払うように視線を切った。
視界から二人の姿を消し、前を向く。
(未練とかさ……もう止めてよね)
さっきまでの自分のことを顧みて、そんなことを呟く。
爆発の音と響く戦声を聞く訳でもなく耳にして、さくさくと芝生の上を歩む。
少し早足になったことに気付かないまま、イスラはアズリア達から遠ざかっていった。
「あー、女々しい女々しい」
両目を瞑りながら声を出す。
ゆっくりと瞼が開く頃には感慨は捨て去って、顔を無貌で飾った。
海の方角からやってくる微風と、押し寄せてくる爆発の余波に髪を流されながら、イスラは機械的に靴を鳴らしていく。
「……見っけ」
驚くほど冷たい音をぽつりと落とし、イスラは己の目的へ進路を取った。
────振ルエ、と。
自分の最も深い所から湧き出てくるその紅の囁きを聞きながら、イスラは静かに唇を吊り上げていた。
「うるさい。私に指図するな」
◇
アズリアはノっていった。
自分の背に翼でも生えているかのように、戦域を自由に動き、行動することができる。
すぐ後ろからの援護により防御や回避に気を使わずに済み、視野が自分でも驚いてしまうほど広い。
この島に上陸して以来、己の力をここまで引き出せたのは今日が初めてだった。度重なる戦闘から来るストレスが皆無なのだ。清々しさすらある。
体の隅々から滲み出る全能感。今ならば己に敗走はあり得ないと、そんな確信に近い予感すら抱ける。
アズリアは高まる感情に突き動かされながら剣を振るっていた。
(まさか、ここまで……)
ちら、と小さく目を背後に飛ばす。
離れ過ぎず近過ぎず、アズリアの動きを阻害しない最適な位置取りでウィルが続いてくる。
アズリアが最大限の力を発揮できているのはウィルのおかげだ。この少年がアズリアの仇為す者全てを受け持ち時には排除することで、彼女は目の前の敵に100%集中できる。
攻撃の間隙に行われる援護も絶妙だった。アズリアの一挙一動を掌握しているかのように、全ての行為が彼女の動きと絡み合って相乗効果を生む。
アズリアはウィルのことを合切も気にかけない、一方的な支援を受けるだけの関係。「持ちつ持たれつ」という言葉の意味とは遠くかけ離れた連携だ。
にも関わらず。
はっきり言ってしまって、敵無しだった。
最初にコンビを組んでくれと言われた時は「何を馬鹿な」と耳を疑ったアズリアだったが、蓋を開けてみれば、すぐにウィルの判断が正しいことを思い知らされた。
そもそも、アズリア自身、自分がこうまで戦場を蹂躙できるなど思いもよらなかったくらいだ。
自分との連携にその効果を見出していた少年の眼識は、一体どれほどのものなのか。
(認めるざるを得ない、か……)
つい先日まで辛酸を嘗めさせてくれたウィルへの歪んだ見解を払拭できずとも。
その能力を、洞察力を。
感情が確かに興奮している事実を。
背中を預けられる存在として、ウィルを頼もしいと感じている心の動きを、アズリアは認めざるを得なかった。
「ふん……」
迫る悪魔を薙ぎ払う。
剣が振り切られた直後の彼女の顔には、淡い笑みが浮かべられていた。
すぐに口を真一文字に引き締め、それも瞬く間に消えてしまったが。
それから足を止めずに前進を続けながら。
アズリアは仲間と接する同じ心持ちで、自分の背後に声をかけた。
「おい、狸」
「おい、狸」
ふぇ? とウィルは心の中で生気に欠けた声を返した。
胃薬の瓶を片手にほんのり顔色を悪くしている少年は、活動限界がそろそろ間近に迫っている。
腹に手をやり、「まだヤレル!」と歯を食い縛っている己の内臓に熱い涙を流しながら、ウィルはその凛とした後ろ姿を見た。
「何かあったんですか?」
とういうかアズリアにその名前で呼ばれるのも新鮮だな、と取りとめないことを考えつつ。
ウィルはアズリアの言葉を待つ。
「このままあの娘のもとまで進んで、構わんな?」
「……」
その呼びかけに、一旦黙りこくる。
……白状してしまうと、もう保険といえる保険は残っていない。
海賊船特攻(とっておき)も使ってしまい、もう奇策というような手札はウィルの手元にはなかった。
いくらアズリアとのペアを組んでいたとしても、無策で『爆弾』を抱えるイスラに立ち向かうのは、怖いものがある。
(……いや、堂々巡りか)
けれど結局、答えが行き着く所は以前に思案した通り、早いか遅いかという違いだけだ。
イスラとの対決は避けられない。いや、決着をつける必要があるのだ。
島の事情という点でも、彼女自身の問題という点でも。
せめて万全の状態で臨みたいというのがウィルの唯一の希望だが、予断を許さないこの状況では贅沢も言ってられない。
それに苦情を言い散らす理性を横に置いておくと、あの天然な彼女のためにも、イスラの相手は自分が引き受けたいという心情が顔を出す。心に刻み付いている女性の味方精神は健在だった。
蛮勇であろうと、この破竹の勢いに乗ってしまうのも一つの手か。
ウィルは勘案を重ね判断を進める。
(『剣』には……繋がってる)
パキ、と今は小さくなった自分の右手を鳴らす。
「遺跡」の件のような大ポカをやらかした前科があるので、不安がないといえば嘘になるのだが──『喚べる』。
軽く吐息をついて、ウィルは眦を決した。
いかなる対処も働けるように、イスラは自分の目の前に置いておいた方がいい。ウィルは生じる利害を束の間に判断して、アズリアの気勢を押してやることにした。
「ええ、構いません、行きましょう。ただ言っときますけど、ガチ戦闘は任せっきりにしますから」
「もとより加勢を許すつもりはない!」
虎のような咆哮をしてアズリアは加速する。
あー頼もしい、と女傑が味方になった力強さを胃の呻き声と一緒に噛み締めながら、ウィルは彼女の背中を追った。
投槍のような進攻が戦場を貫いていく間も、立ちはだかる敵を撃破する。
ウィルはアズリアのサポートと平行しながら手持ちの装備を最後に確認。
ウィゼルとの戦闘で放棄した「ラグレスセイバー」に代わり、ファリエルから貰った片手剣の「晶霊剣」。投具の「苦無」は残弾四、今一つ使ってあと三つ。サモナイト石はアルディラから譲り受けたもののみ。
ラスボスを相手にするのは心もとない懐の具合だが、今は紫電の神様がいる。後は自分の手綱捌き一つだ。
腰に縋りついているテコの頭を軽く撫で、ウィルは視線の先にいるイスラをきっと見据えた。
「はぁッ!」
「あぎっ!?」
最後の派閥召喚師をアズリアが切り捨たことで、活動していた悪魔は動きを止めた。召喚師が息絶えれば元の世界に還れなくなる召喚獣達は、余計な刺激をするような真似はせず大人しくなる。
派閥兵が未だアティ達と抵抗を続けているが、ウィル達にとってはそれはもう後方に置いてきたものに過ぎない。
彼等の視界に残る者は既にイスラただ一人。
「イスラ!!」
歩数にして約十歩の距離を残し、アズリアは止まる。相対するイスラに向かって剣を正眼に構えた。
イスラは無手のまま立ち通し、じっと此方を見つめ返している
ウィルは「剣」の魔力の発生有無に意識の大半を割きながら、いつでも行動を起こせるようにサモナイト石を手にした。
「っ」
「……アズリア?」
ぴくり、とアズリアの肩が震えた。
動揺が空気を通して伝わる。ウィルは自然と口を開き、目の前の背中に疑問を投げた。
「……がう」
「えっ?」
「……違うっ、あの娘じゃないっ!」
何を言っているのか、と心の中で戸惑いが生まれるより先に。
直感が予感めいた答えを弾き出した。
ざわっ、と全身の毛が逆立つ。顔面の皮膚が硬直した。
それを見て、“イスラ”は眉尾を下げて悲しそうな顔をする。
「!?」
少女の体を火と術符が取り巻き、変化が訪れるより前に。ウィルは背後を振り返った。
戦場の奥、遥か奥、そのもっと奥、味方自陣の最後尾。
砂煙がまだ晴れ切っていない丘陵に、赤い髪と、黒い髪の少女の立ち姿を見た。
「先生!?」
◇
「イスラさん……!?」
「やぁ、アティ」
アティは目の前に現れた少女に瞳を見開いた。
いつの間にか、どこからともなく現れたイスラは、目を細めて冷たい光を差し向けている。
「どうして……」
「どうやってお姉ちゃん達を出し抜いてきたかって? 簡単だよ、お姉ちゃん達は“私じゃない私”に夢中だったんだから、後はこっそり足を忍ばせるだけ」
ココノエを身代わりにしたと、昨夜嵌められたアティはすぐに見当がついた。
無色の残存勢力とアルディラ達がしのぎを削り合っている今、アティ達の状況に気付く者は誰もいない。
緊張した面持ちをするアティに、イスラは酷薄な笑みを晒し続ける。
「私が君の前にのこのこ出てきた理由、分かってる?」
「……」
「だんまり? それとも本当に分かってない? まぁ、どっちでもいいや。教えてあげる……君を殺すためだよ」
「っ!」
イスラの瞳が怪しく光っている。
粘ついた情念が貼り付いている眼光を、息を呑むアティだけに注いだ。
「『剣』を持ってる君が、無色(わたしたち)にとって一番邪魔だって理由もあるんだけどさ……でも私自身にとっても、君は特別なんだよ。特別、憎らしい」
イスラとアティの空間だけが切り取られたかのように。
周囲の喧騒が、遠くに聞こえる。
「アティ、知ってた? 私は君のこと殺したくて殺したくて、殺したくて堪らなかったことを」
「……!」
「最初に会った時からそうだった。私達二人が“特別な”関係を持った後からじゃない、あの船の上で出くわした時から、私は君が気に入らなかった」
何を言っているのか理解できない所もあったが、半分は分かった。
帝国領の工船都市パスティスを出港したあの日。ウィルと一緒に乗った船の上で、アティとイスラは一度会っている。
日に濡れた甲板で、二人きりで視線を交わし合っていた。
「理由なんて特になかったよ。ただ見た瞬間から気に食わなかった。嫌悪って言うのかな、私はこの人だけとは絶対に相成れないなって、分かっちゃったんだ」
アティが口を開けずにいる中、イスラは淡々と語り続ける。
「……で、やっぱりその通りだった」
笑う。
「吐き気がしたよ。君がやることなすことも、口から出る甘っちょろいことも……いつも顔に貼り付けている、その嘘臭い笑みも」
「!!」
アティの体が震える。
急所に打ち込まれた言葉が心臓を一際高く打ち鳴らした。
「気に食わない、気に食わない。全部全部気に食わない。……だから決めてたんだよ、私。私を縛り付ける都合なんかとは関係なく、君だけは壊してやるって」
「あな、たは……」
「奪って、踏みにじって、君から全てを取り上げて絶望のどん底に叩き落としてやるって。君のほざいてた綺麗事は全部間違いだったって大声で笑ってあげて、ぼろぼろに壊してやるって」
言葉が狂気に取り付かれていく。
井戸の底から這い昇ってきたような暗くしめった空気を、目の前の少女は身に纏う。
そんな中で唯一、瞳だけが爛々と輝いていた。
「待ってたよ……待っていた。君と殺し合って、どちらか一方が死ぬまで、剣を振るい続けることを」
「……私、はっ」
「『そんなことしない』、って?」
言葉の先を越される。
「無理だよ」
少女の顔が俯く。
表情が消えた。
「もう、無理。言ったじゃない、待てないって。我慢できないんだよ、私は」
「……っ」
「アティがいくら嫌がったって、私が許さない。逃がさない。殺し合う以外できないように…………追い込んであげる」
瞬間、イスラは腕を振り上げる。
一緒に持ち上げられた顔が、凶気に歪んだ笑みを描いていた。
すぐさま、アティに向かって突き出された人差し指がおぞましい光を放つ。
「────ぁ」
紅い光。
そして低く甲高い音響。
瞳を焼かれ、矛盾した耳鳴りが巻き起こった瞬間、アティの中で力の源泉が膨れ上がった。
「ッッ!?」
抜剣召喚。
碧の輝きが立ち昇った。周囲を照らす強烈な光の後、白の異形と化したアティは呆然とする。
迸る魔力。漲る活気。移り変わった瞳の色。
自分の意思を離れて、また、「剣」が現れた。
『!?』
「アティ!?」
周囲の者達がようやく事態に気付く。
莫大な魔力の発生に従って、その場にいる全員がアティ達の方を振り向いた。
アルディラの叫びが飛ぶ。
「何でっ……!」
「くっ、はははははっ……あっはははははっ……!!」
アティが自分の体を見下ろす一方で、イスラは笑い声を上げた。
今まで溜め込んできた何かが抑え切れなくなったように、剥き出しの感情を漏らしていく。
聞く者の耳を疑わせる、倒錯した喜びだ。
「…………これで、やっと」
俯いて表情が前髪に隠れる中、小さな唇が何かを呟いた。
アティの耳がそれを聞き取れずにいると、イスラはすぐに顔を上げる。
貼り付いているのは、歪な微笑み。
「あははっ、困っちゃうなぁ……アティが殺す気満々で襲いかかったら、今の私なんてすぐにやられちゃうよ」
「ち、違いますっ! 私は『剣』を喚んでなんかっ……!?」
うろたえるアティを見て、おかしそうに口元を揺すりながら、イスラは顔の半分を左手で覆った。
「これじゃあ、しょうがないよね?」
「──────」
細い細い、指の隙間。
触れれば折れてしまいそうな繊細な指の間から。
「私も、本気にならなきゃ」
血のように真っ赤な瞳が、輝いていた。
「さぁ、殺ろう」
暴君が降臨した。
◇
誰もが言葉を失った。
「くっ、ふふっ、あっははははははは……!!」
その紅の光を見て。
禍々しい紅い「剣」を見て。
もう一人の白の異形を見て。
「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!!」
紅く染まる、瞳を見て。
誰もが発する言葉を奪われた。
「やっぱりさあっ、いいよねえ!? 圧倒的な力ってヤツはッ!!」
狂喜に満ち溢れた異形は哄笑する。
醜く曲がった口を一層吊り上げて、イスラは、純粋な歓喜を解き放つ。
病的なまでに、異常なまでに白い肌。髪。
角のように頭から生えた二本の突起。
首にかけていたペンダントはばらばらに分解され、彼女の背で環状のパーツとなっている。
そして、紅の妖刀──『紅の暴君(キルスレス)』が、脈打つように定期的に不気味な光を放ちながら、細い右腕と一体化していた。
「これだけで自分は何だってできると思えちゃうんだからッ!」
もう一振りの『剣』の担い手は魔力の嵐を巻き起こす。肉眼でもはっきりと確認できるほどの濃密な魔力が、暁の丘に溢れ返っていった。
──二人の“特別な”関係──適格者──残された封印の剣──碧の賢帝ともう一対──紅の暴君──。
──海で起こった嵐──「継承」の産物──自分が選ばれる前に「剣」を手にしていたのは──。
唖然と立ち尽くすアティの脳裏にそれらの言葉が過っていく。
バラバラのピースが全て組み合わさり、絶対的な現実をアティの目の前に叩きつけた。
「そりゃ絵空事も言いたくなるよねッ! こんな力を持ってたらさぁ!」
腰まで伸びた白髪を手でばっと払いながら、イスラは真っ直ぐアティのもとへ進む。
その碧の瞳を大きく開いている彼女との距離を、大股で迷いなく詰めていった。
アティは動かない。動けない。
現実を受け止める時間が圧倒的に足りない。
「────クッ」
そんなアティの姿にイスラは笑みを深め、直後、踏み切った足で一気に地面を蹴り砕いた。
「ッ!?」
「踊ってもらうよ、アティ!!」
────私とッッ!
そう言い放ったイスラは、間合いを喰らい容赦なくキルスレスを振るった。
魔力光を伴った右上段からの袈裟斬りを、アティは咄嗟に剣を掲げ防御する。
そして刀身と刀身が触れ合ったその瞬間、ゴウッと、爆発といって相違ない衝撃波が生まれた。
強大な魔力の反発が大気を絶叫させる。遠く離れているにも関わらず、押し寄せてくる風と魔力の遠吠えにアルディラ達は体を仰け反らせた。
「あっはははははははははははははははははっっ!!」
「なぁっ……!?」
力任せに振るわれる「剣」が縦横無尽に駆け回る。
殺到する剣撃にアティは何とかシャルトスを打ち合わせ、またその度に魔力が渦を巻いた。
まるで大槌を振るっているかのような膨大な圧力と風切り音。細身の刀身から生まれる現象全てが人知を越えていた。
今まで味わったことのない速度と破壊力に、アティの瞳の奥が切迫に満ちる。
「ほら、ほら、ほらァ!!」
「う、ぁ……!?」
紅の軌跡が引かれる度に碧の閃光が散る。
一太刀浴びせるごとに狂ったような爆音が響き渡る。
紅の光が、碧の光を侵食していく。
「アティ、どうしたの!?」
「っっ!?」
「守るんじゃないの!? みんなの笑顔を、守りたいんじゃなかったの!?」
「……!!」
「このままじゃあ、私が壊しちゃうよ!? 君が大切だっていうもの、全部まとめて、私が消しちゃうよ!? あはっ、アハハハハハハハハッ!!」
凶笑が飛び、大気が戦く。
イスラが振るうのは純粋な暴力、それだけだ。
生身の彼女が誇っていた剣舞の面影など存在しない。
「剣」を上げ、叩きつける。それだけで敵を圧倒できる力を少女は手に入れていた。
砕けよと言わんばかりの剛剣が、構えた「剣」ごとアティを地面に押し付ける。
砕け散る瀑布のように飛散していく光の粒子。余波で地盤は捲れあがり、近場に転がっている大岩にも亀裂が生じる。
現実離れした光景に見る者達は心を手放してしまう。逆らえない力の波動に身も心も活動を停止して、瞠目する双眸の中に例外なく畏怖を映す。
リミッターの壊れた「剣」の力が、真っ白になった頭の中に刻み付けられた。思考が儘ならない。
暴君が作る惨禍に誰もが動けなかった。
時間が恐ろしく遅い速度で流れていき、僅か寸秒の間を無限と錯覚する。
隔絶された遥か別世界の中。
その場で動けたのは渦中に身を置くアティ達と、
「『ボルツショック』!」
「「!?」」
ウィルだけだった。
「離れてください、先生ッ!!」
アルディラ達が「剣」の魔力に呑み込まれる中、ウィルだけが行動を起こしていた。
誰よりも「剣」に耐性がある『彼』は、今も疾走を続けながら、後先考えず魔力をありったけ注ぎ込んで「エレキメデス」を行使する。
幾条もの電撃がアティとイスラの間に割って入り、放電、二人の瞳を一時的に焼く。イスラの攻撃がひるんだ。
更にイスラにのみ電撃の束が絡み付き、アティから離そうとする。
「……ふふっ、ほらっ、やっぱり邪魔してきたあァッ!!」
キルスレスを一薙ぎ。
それだけでイスラを襲う雷の幕は飴細工のように吹き飛んだ。
口を裂くように吊り上げたイスラは、向かってくるウィルをギラギラした紅眼で睨みつける。
「ウィル君っ!?」
「離れろっちゅーうにっ!!」
「ミャーミャーッ!!」
「テ、テコ?!」
棒立ちとなるアティを、テコが思い切りぶつかることでイスラから突き放した。
彼女が仰天する間にもウィルは距離を埋め、イスラの注意を自分のもとへと引き付ける。
「エレキメデス!」
『VOOOOOOOOOOOOOOO!!』
連続行使。
ウィルの魔力を食らい宙に浮かぶエレキメデスが咆哮する。
最大出力の雷撃が、網目状となってイスラへ突進した。
「そんなのっっ!!」
大気中を蛇のごとく這いずり駆ける電流の網に、イスラは空いている左手を突き出した。
薄い紅の力場が掌に形成されスパークを抑え込む。笑みさえ浮かべてイスラは電撃の一つを掴み上げ、次には握り潰してみせた。
「剣」を用いるまでもない。嘲笑を浮かべるイスラは奥にいるウィルに目を細め────次には目を見開いた。
眼前に、投具。
召喚術は囮だ。
激しい雷光と幾重もの電撃で目眩まし。視界情報を狭め、一瞬の虚を突いた。
魔力障壁を迂回する角度で黒鉄の苦無がイスラの瞳に迫っている。
出し抜けの光景に、紅の虹彩が動揺に揺れた瞬間、
グシャッ、と。
苦無の穂先が眼球に飲み込まれ、イスラの頭が跳ねる。その光景にアティ達はみな息を呑んだ。
一秒、二秒、三秒。
時が止まったように辺りが静寂に満ちる。
そして、
「やってくれるね、ウィル」
「っっ!?」
ぐるりと。
頭を回転させるイスラは投具が突き刺さったままウィルを見た。
貫通した瞳孔から血の涙を止めどなく流す彼女は、軽い動作で、苦無を掴み引き抜く。
風穴の空いた瞳。
ごっそりと中心が潰れた眼球はしかし、紅い光が包み込んだかと思うと、肉が埋まるように穴がズクズクと塞がっていく。ソノラが、震える手で口元を押さえた。
何事もなかったように傷を完治させたイスラは、左手に持った投具をくるくると玩び、口を吊り上げて笑い、疾駆。
「!? ────『ベズソウ』!!」
どんっと小爆破を起こし紅い弾丸となるイスラを、ウィルは高速召喚で迎撃。
サークルエッジを胴体に装備した中型機体が彼我の直線状に召喚される。
『ギヤ・ブルース』。
高速運転する回転刃が対象を切り刻もうと翻る。
イスラは臆することなく前進を続行し、「剣」を肩に構え、振り下ろした。
『GI、gsh……ッ!?』
「アッハハハハハッ……邪魔ぁっ!!」
飛び散るスパーク。凄まじい金属の切削音が鳴り響き火花が拡散。ベズソウの機械仕掛けの瞳が驚愕に見開かれる。
大剣の規格にも及ぶ巨大な回転刃を一撃のもとに抑え込むイスラは両眼を鋭くし、一気にキルスレスを押し込むと────両断。
斜線の引かれたベズソウの体が二つに別れ、すれ違ったイスラの背後で大爆発を起こした。
「っ!?」
「動いちゃあダメだよぉ、ウィルッ!!」
葬られたベズソウにショックを受ける時間も、イスラは与えない。
驀進してくる化物にウィルは直ちに再起動し、次弾のサモナイト石を左手に構える。
焦燥を顔に浮かべながら速攻で門を組み上げる。が、
「ダメだってえっ!!」
じっとしてなきゃ、と。
己の目玉を貫いた投具を、イスラはウィル目がけ撃ち出した。
渾身の上手投げ(オーバースロー)。知覚できない速度をもって苦無が一直線に飛ぶ。
瞬きする暇も挟まず、ウィルの手の中にあったサモナイト石を木端微塵に打ち砕き、更にその手の平を、串刺しにした。
「────」
体が反応しきれなかった。
左手の中心から衝撃が伝播し、五本の指が不細工なダンスを踊る。折れた。
手首から鈍い音。関節が意味をなさなくなる。外れた。
肘と肩がペキャと鳴いて、先程のイスラの頭のように、腕がまるごと跳ねた。イカれた。
未だパーツとパーツが千切れずに済んでいることの方が不思議だった。
腕の跳ね上がった反動でウィルの足が地面から離れる。
糸の狂ったマリオネットのように左手を万歳させながら、ウィルの瞳は、眼前で「剣」を振り上げたイスラを映した。
「今度は死んじゃうかもね?」
嗤う。
遠くからヴァルゼルドの叫び声。脳を素通りする。
処刑の一撃が、頭上からスタートを切った。
「!?」
「────ぇ?」
「ッッ!!」
直後、ウィルに影が覆いかぶさる。
黒い髪。白い制服。細い体。
アズリア。
「──────」
イスラに背を向ける形で、彼女はウィルを胸の中に閉じ込めた。
身代わり。
無防備な背中に見舞う一刃。ウィルより手前に出ているため体を真っ二つにする軌道。絶命は免れない。
時間の流れが遅くなった。
双眼を凍らせたイスラの手が震える。既に繰り出されているキルスレスの速度が僅かに鈍った。
「クソッタレがぁっ!!!」
「がっ!?」
「!」
しかし、再び景色の変化。罵声とともに伸びてきた足が、アズリアの体を手加減なく蹴り飛ばす。
目まぐるしい状況の推移、だがイスラの紅い瞳は瞬間的な全容を認める。
足を振り抜いた態勢で此方を見つめるビジュと、目が合った。
時間が色を取り戻す。
次の瞬間、振り抜かれた一撃が、大地を割った。
◇
『お姉ちゃん、守ってあげて』
恐らく、きっと。
例え本人が認めずとも。
ビジュの中では。
『約束だよ』
あの抜けるような青空の下で交わした約束は。
彼がそれだけは守ってやりたいと思えた、少女との、最初で最後の約束だったのだ。
◇
「がっっ────」
斬り裂かれたビジュから、イスラは血の雨を浴びる。
地中を抉るほどの衝撃に彼の体は吹き飛び、強制離脱されたアズリア達もそれに巻き込まれる。頭を強打する音。
土の上に転がった両者はピクリとも動かなくなった。
無音が流れる。
「…………ひっ、は、はっ……あはっ、アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!!」
堰を破るように、イスラは笑い出した。
「お姉ちゃん達からお終いだぁーーーーっ!! あっはははははははははっ!?」
頭を抱え、体を揺すりながら狂笑を纏う。
大量の血に染まる白い立ち姿は凄絶以外の何にでもない。
げたげたと喚く彼女は一頻り笑った後、やがて顔を上げて振り向いた。
固まってしまっているアティに、イスラは言う。
「次は、殺すよ?」
笑み。
それを見た瞬間。
アティは切れた。
『──────────────────────────────────────────────────────ッッッ!!!!』
シャルトスが咆哮した。
目を見開いて笑うイスラのもとに突風が吹きつけ、そして碧色のラインに右半身を侵食されたアティが、斬りかかった。
「イスラァァ────────────────────────────ッッ!!!!」
「ギっっ!?」
見舞われた斬撃を受け止めるイスラの体ががくんっと沈む。白い肌が割れ、両腕から鮮血が吹き上がった。
顔を怒りの形相に変えたアティが更なる魔力を呼び起こす。先程までのイスラのものより莫大な魔力が、シャルトスに充填されていく。
刀身が碧光の規模を倍増させた。
「ふ、ふふっ、あはははは……! いいよ、アティ……! やっと同じ土俵に立ってくれたね!?」
「ッッ……!!」
「やっと、生っちょろい考えっ、捨ててくれる気になったね!?」
切り返し。
ガァンッと快音を響かせキルスレスをかち上げ、返す「剣」で反撃。
アティも瞬時にそれを弾く。
「────ああッ!!」
「そうそう、その調子! その眼で、その顔でっ……私を……ッ!!」
「剣」が交差して、閃光。
アティの半身に走る碧のラインがより激しく輝く。共界線が活性化の一途を辿る。
イスラはそれを見て獰猛に笑みを深めた。
「でも足りない! まだ全然足りないッ! そんなんじゃあ、私は殺せないよっ!?」
紅の光がイスラを包み、脈動、ズタズタに裂かれ流血していた両腕の傷が完治した。
『真紅の鼓動』が抜剣者を守る。
アティはイスラの挑発に促されるように、より力を込めて「剣」を見舞った。
「うあああああああああああああああああああああああああッッ!!」
「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」
我を失った叫び声とけたたましい歓呼が入り乱れる。
シャルトスが啼く。キルスレスもまた啼く。
碧と紅。互いの光が溶け合い重なった次の瞬間、二本の魔剣が共鳴を起こした。
凄まじい黄金の光がアティとイスラを中心に立ち昇る。
「……じ、地震っ!?」
「いえ、これは!?」
「『剣』が……!」
ビジュ達の体を確保するアルディラ達を大地の震動が襲う。黄金の光の密度が増す度に揺れも激しくなっていく。
アティとイスラを起点にして発生した金光は上空にも届き、流れていた雲を一斉に消散させた。
光の柱を中心に、空に穴が開く。
「ふふはっ、ふはははははは!? 天変地異さえ引き起こすか、始祖の残した遺産は!」
いつの間にか回復したのか、オルドレイクは愉悦の声を張り上げた。傷付いているツェリーヌ達と一緒に、超常現象を目の当たりにする。
ヘイゼルは戦慄を隠しきれない眼差しで空を見上げ、ツェリーヌは吹き荒れる魔力に顔を覆う。
ウィゼルは瞳を細め、二人の適格者を見つめた。
【ふふふふ……ッ? ぐふふっ! ぎひゃはははははははははははは!!?】
狂った「島」の声が、アティとイスラの頭に木霊する。
溜め込まれ深みを増していくそんな喜悦の声も、今の彼女達には意味のないものでしかなかった。
変色した瞳が映すのは目の前の相手以外なにもない。
アティの頬を侵す碧のラインが厚みを増す。イスラの眼が真っ赤に染まる。互いに双眸を吊り上げ、鍔迫り合い。
軋みを上げ拮抗するシャルトスとキルスレスから、一際激しい金光が迸った。
『ゥ────』
抜剣者同士の衝突。
龍神や魔王ですら容易には踏み込めない力の領域。
何人にも止められない魔力の暴走の渦に。
『────オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!!』
一人の騎士が、突っ込んだ。
「「!?」」
巨体の影がアティとイスラに覆い被さる。
振り向いて顔を仰ぐ彼女達に構わず、ファルゼンは「剣」と「剣」の間に自分の体をねじ込んだ。
『ヌウウウウウゥゥゥッ!?』
一瞬で全身に罅割れが駆け巡った。
白銀の鎧が凄まじい速度で崩壊していき、幾つもの破片が飛び散っていく中、ファルゼンは両腕で魔剣を掴み上げる。
重なり合う二本の「剣」を強引に引き剥がしていった。
「剣」の魔力が弾け、その太い指が砕ける。
鎧の各部で悲鳴が生じている。限界強度を越えた体は今にもマナの霧へ消えてしまいそうだった。
しかし、離れない。
抵抗不可能の力に刻一刻と身を圧懐されながら、ファルゼンは、島の護人は、それでもその手を離さなかった。
兜の奥で燐光を灯す双眼が浮き出る。
刹那、
『うアアアアアああぁあああああああアアアアアあああぁアアアアアアアアアアッッ!!!!』
少女と騎士の声音が混じった吠声が響き渡り、シャルトスとキルスレスを引き離した。発生する閃光と爆発。
アティとイスラも同じように押し飛ばされ、瞠目する彼女達は無理矢理距離を開けられた。
治まって姿を消失させる黄金の光だったが、それを見届ける余裕もなく、四肢を消滅させたファルゼンは崩れ落ちる。
クレーターとなった窪地に、達磨となったボロボロの鎧の塊が転がっていった。
「一撃必殺ッ!!」
「っ!?」
それを機に、島の住人達の攻勢が始まった。
一斉に動き出した彼等の中で、イスラに肉薄したカイルはストラを凝縮した拳を振り上げる。
奇襲。
「『にゃんにゃん』さん!」
時を同じくしてマルルゥが「ナックルキティ」を発動。カイルに憑依召喚を施す。
召喚術を上乗せした「必殺の一撃」が、イスラを真芯に捉えた。
「ちッ!?」
刀身の腹でそれを受け止めたイスラは、衝撃に耐えきれず後退を余儀なくされた。地面を削り滑っていく。
ダメージは皆無。しかしアティから遠ざけることには成功する。
「「「召鬼ッ!!」」」
「スクリプト・オン!」
『一斉射撃(フルバースト)!!』
キュウマ達鬼人族の妖術、爆炎、風刃、招雷が炸裂。
更にアルディラの召喚術とヴァルゼルドの銃砲が火を噴いた。
直撃。白髪の少女がその超火力を被爆し、たちまち爆風に呑み込まれていく。
鬼妖界と機界の一斉砲火が轟音と地響きを巻き起こした。
「…………ッ!!」
誰かの呼吸が震えた。
爆炎を火種に発生したオレンジ色の猛火の中、揺らめきが浮かび上がる。
「あっははははははははははははははははははははっ!?」
笑声が猛る。
「……馬鹿な!?」
『全弾命中を確認……敵損害状況は、ゼロ……!』
「滅茶苦茶だわっ……!」
「鬼が、『鬼』に怯える日が来ようとはのう……っ」
「イスラっ……!」
暴君が炎の海から姿を現す。
炎に焼かれながら歩み出てくる彼女には傷一つ付いていない。火炎の中で映える真っ白な雪のようなその姿は、いっそ神秘的ですらあった。
焼け野原を踏みしめるイスラはキュウマ達に口端を裂く。
禍々しい魔力を秘め出すキルスレスと一緒に、サモナイト石を構えた。
「あははははっ、熱い歓迎ごくろーさま! これは……私からのお返しだよッ!!」
言葉を言い終わるや否や、巨大な召喚光が出現する。
淀んだ黒い光の渦。常軌を逸した魔力が収束し、形容しがたい音の唸りが場を支配する。
空間が割れるように歪んだ。
────暴走召喚。
「『紅童子』!!」
異界の門が弾け飛び、天を衝かんばかりの巨身の鬼が召喚される。
黒い稲妻のような魔力を帯びる「金剛鬼」は、理性を失った眼でキュウマ達を見下ろした。
こと召喚術に精通するアルディラとミスミの顔が蒼白に染まる。限界を越えたキャパシティ。弩級の爆弾が解放の瞬間を待ちわびている。
次の瞬間、金剛鬼は跳躍した。
島の遥か上空を貫き舞い上がり、そして落下姿勢に入る。
恐ろしい咆哮を曳いて、狂った鬼は手に持つ棍棒を振り上げた。
『金剛衝』
音が消えた。
振り下ろされた鉄塊が大地に激突した瞬間、ドーム状の爆光が破裂する。
元来の威力が桁外れに跳ね上がった上級召喚術。
アルディラとミスミが咄嗟に張った結界はいとも容易く破れ、後ろにいたキュウマ達と一緒に吹き飛んでいく。決河の勢いで丘に叩きつけられた。
砕かれた大地は地割れを有し、夥しい煙があちこちから吹き上がっていく。
まるで巨人が暴れ回った荒野のようだ。
地形を変えるほどの極撃を放った金剛鬼は、強制酷使の反動か、弱々しい呻吟を漏らし頭を振りながら、その身を光の粒に変えて消え去っていった。
「うふふ……ここまでみんな脆いと、何だかやになっちゃうなぁ」
ビキッ、と罅が入り、粉となってこぼれていくサモナイト石をイスラは見向きもせず。
笑みを浮かべながら、それを簡単に放り捨てた。
「みんな……っ」
形成された光景にアティは声を枯らせる。
痛ましい傷痕が刻まれた島の自然。仲間達の他にも、巻き込まれた多くの派閥兵が瀕死の状態で地に倒れ伏せている。
凄惨だった。寂寞だった。虚無的ですらあった。
目の前の光景と、無残にも破壊し尽くされた過去の村の映像が、ぴったりと合致する。作っている拳が震えた。
止めなくてはいけない。イスラを。
これ以上、誰も傷付けはさせてはいけない。
「剣」を握る力を込める。アティの意志に反応するように刃が光り、張り詰め、研ぎ澄まされていく。
────言葉では、いけないの?
幼い自分(アティ)の声がした。耳を掠めるその問いかけにアティはびくっと震え、眉を歪めた苦渋の顔をする。
────彼女を止めるには、もう一つしか方法はないから。
絞り出した思いを己の胸に言い聞かせ、そして雑念を振り払う。
心の奥にある本当に背を向けて、アティは、「剣」を取った。
「……!」
視線をイスラのもとに馳せる。
もとから自分以外に眼中はないのか、彼女も此方を見据えていた。
サモナイト石を取り出し、魔力を収斂。途端にラインの這っている腕から頬が、熱を持ち始める。
視界の奥で満足げに笑っているイスラ。
彼女を射定め、力を解放しようと「剣」を空高く突き上げた。
転瞬、
「ふんっ!!」
むこう脛に、蹴りを叩き込まれた。
「「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っっ!?!?」」
激痛が、激震する。
弁慶の泣き所につま先がクリティカルヒット。ブーツ越しとはいえ、果てしない痛みが貫通した。立っていられない。
碧の賢帝(ばけもの)がダウンを奪われる。
がくっ!? と遠くの方でイスラの頭も折れた。
蹴りを放った張本人、ウィルも痛みに悶絶する。
抜剣して頑丈となっていたアティの脛に思わぬ反撃を食らい、足を抱えてぴょんぴょん跳ねまくっていた。自爆。
「「ぁ、ぁ、ぁぁあぁああぁぁぁ……!?」」
「何やってんのよあんた達はっ!?」
プルプル震え仲良く身悶えする白いのと小さいのに、ソノラが突っ込む。
しかし二人とも構う余裕がない。
「なっ、なっ、なぁっ……何するんですかぁ、ウィルくぅん……!?」
「痛ぇっ、マジ痛ぇぇっ、信じられねえこの天然クソ痛えぇぇぇっ……!?」
盛大に涙目になりながら、というか今も半分泣きながら、アティは掠れた声でウィルを責める。
返ってくるのは理不尽なまでな自分に対する悪態。久しぶりにメソメソ泣きたくなった。
二人してうずくまる状態は、ウィルの呼吸が落ち着くまで続けられた。
「くぅぅっ…………いい加減、暴走するのは止めてください、先生っ!」
「ウィル君にそのまま返していいですか……?」
酷い温度差。
「ええい、なにワケワカメなこと言ってるんですか、この天然河童娘抜剣ver!」
「私、ウィル君の言っていることの方がワケワカメですうっ!?」
悲鳴を上げるようにアティは訴える。
ウィルはようやく全回復したのか、ぎこちなくその場で立ち上がった。妙な角度でぶらんと力無く垂れ下がっている左腕の存在に、アティはそこで初めて気が付く。
はっと息を呑む彼女に、ウィルは無言で体を捻り、左腕をアティからは見えない角度へ押しやった。
「ウィ、ウィル君……それ……」
「んなこたぁどうでもいいんです。それより、先生のことです」
傷付けてしまった、守れなかった────。
その言葉がアティの胸に重くのしかかる。ウィルの言葉も今ばかりは頭に入らない。
この時、また一つ、彼女の中で心の天秤が危うい方向に傾いた。
キッと顔を上げ、「剣」を握り締める。
「おい、こら、聞いてるんですかっ」
「ぁ……な、何ですか?」
「だからっ、今すぐ『剣』を仕舞ってください」
「!」
思わずウィルの顔を見つめる。
抜剣を、解く……?
この状況で、イスラを放っておけというのか。キルスレスを持つ彼女を止めるには、同じ封印の魔剣を用いるしかないというのに。
いつになく鋭く真剣な表情をするウィルに、アティは当惑する。
「そ、そんなことしたらっ……」
「このすっとこどっこい。島を滅ぼす気ですか」
先程までの天変地異に自覚がないのかとウィルは噛み付く。
言っていることは分かる、けれど……。
守れないことを恐れるアティには、「剣」を下ろすという踏ん切りがつかない。
「で、でもっ……!」
「……今すぐ仕舞わなかったら、もう一発、ぶちかまします……」
「しっ、仕舞います、仕舞いますからっ!?」
もう一本の己の足を潰すことも辞さないウィルの意向に、アティは慌てて抜剣を解いた。
条件反射の行動に、はっと気付いた時にはもう遅い。
乾いた笛のような音とともに碧の光が萎み、アティはもとの姿へと戻った。
「……むっ」
他方、遠くから脱力しがちに一部始終を眺めていたイスラは、その様子に眉をひそめた。
くるりと向き直って緊張の眼差しで送ってくるアティに、じろっと半目を作る。
やがて彼女はアティ達から視線を切り、普段とは勝手が違う長い白髪をくるくると弄くりながら、周囲を見渡す。
立っている者、動いている者は僅かにも満たない。暁の丘そのものも、数時間前までの原型を留めておらず、茫漠とした荒野が広がっていた。
イスラが感慨なさそうに遠見していると、背後で、トッ、と軽い着地音がした。
振り向くと、ココノエが静かにイスラを見つめてきている。
「……まぁ、いっか」
顔を戻しイスラはそう呟いた。
「これで終わりっていうのも、味気ないもんね。楽しみは取っておきたいし……それにもう、いつだって私達は殺り合えるんだから」
アティ達に届けるように言葉を紡いだ。決して大きくないソプラノの声が、静まり返った暁の丘を滑らかに滑っていく。
緊迫した空気の抜け切らないアティを見て、イスラは機嫌良さそうに目を細めた。
「剣」をシャンと鳴らして、抜剣状態を解除する。
アティ達の空気が少し緩んだ。
「アティ、また今度も頑張らなきゃダメだよ? じゃないと、次は大切なものを無くしちゃうかもしれないんだから……あはっ、アッハハハハハハハハハハハハ!!」
既に暗くなった空に笑い声を響かせイスラは背を向けた。
振り向きざまクノン等に治療されているアズリアとビジュを視界に一瞬掠め、それで終わり。
ココノエを引き連れ、軽い足取りで去ってゆく。
言葉では埋められない絶望的な距離が開いていく。
絶対強者の貫録で、イスラはオルドレイク達のもとへ帰っていった。
◆
静かな夜だった。
夕闇まで島中を脅かしていた戦いの音色が嘘だったかのように、沈黙の帳が下りている。
寒々とした月明かりが木々の群れに降り注いでいた。
「……」
メイメイは、店のカウンターに位置取りながら手紙を読んでいた。
カウンターの上には銀箱とその蓋、そして幾つもの便箋が散らばっている。
鼻にかかる眼鏡を直しながら、メイメイは落ち着いた雰囲気で「己」の筆跡を読み耽っていた。
「……ん」
手紙をしまい、立ち上がって戸棚に戻す。
カウンターには戻らず来客用のテーブルのもとで腰を下ろすと、申し合わせていたかのように店の扉が開いた。ベルの小気味よい音が響く。
最初から訪客を見通していたかのように。
メイメイは首を振り向かせて笑顔を浮かべた。
「いらっしゃ~い。もう夜遅くなんだから、子供は寝てなきゃダメよ~」
「そうしたいのも山々なんだけど」
メイメイの軽口に反抗するでもなく付き合うのは、左腕を白地の布で吊ったウィルだった。
三角巾を見事に首に巻きつけられ、すっかり怪我人の様相を呈している。
「うっひゃ~、痛そうー。ま~た、無理なんかしちゃったんじゃないのぉ?」
「無理っていうか、気が付いたら既に破壊されてたな」
感情の起伏が少ない顔の割には、声には少し落ち込んでいる響きがあった。
そのことが分かったメイメイは、徐々に彼のことを知りつつあることを悟らされ、まぁ、程々には嬉しくなる。
くすり、といつものような調子で会話する自分達に笑みをこぼし、メイメイはそのまま問いかけた。
「それで、何か御用なのかしら?」
優しげな瞳で尋ねるメイメイをウィルはじっと見て、一度瞬きを置いてから、口を開いた。
「力、貸してくれ」
「天地万象、星命流転、百邪万静、破邪龍声……王命に於いて疾く、為したまえ!」
景色が変わる。
空に浮かぶ月を映す泉が、巨大な門を有する異空間へと。
水面の上に築かれた『無限回廊』の門を仰ぎながら、ウィルは「これが…」と呟いた。
「にしても、『試練をうけさせてくれ』なんて……そんなことを貴方の口から聞くとはメイメイさん、夢にも思ってもみなかったわぁ~」
「僕もだよ……」
げんなりとしながらウィルは答える。門に視線を縫い止めたまま、微妙そうな顔でしばしそのままでいた。
店を出てウィル達がやって来たのは集いの泉。四界の魔力が集まるこの泉を利用して、メイメイの法術から無限回廊の門を喚び出したのだ。
「過去」にこの無限回廊なる存在を「メイメイ」から聞いていたウィルは、今夜彼女に頼み込んで初挑戦に臨んでいた。
「で、どういう風の吹き回し?」
「別に……どうもこうもないだろ。今のままじゃヤバイって、無色(あいつら)と戦って思っただけだよ」
その考え方からして手紙に記してあった「レックス」の人物像とは遠くかけ離れているのだが、そこは言わないことにした。
ふ~ん、とメイメイは納得したような振りをしながらウィルの横顔を見つめる。
「無色の派閥っていうより、イスラと戦ってみて、じゃないの?」
「まぁよ」
それでもどいつもこいつも強くなり過ぎてる、と小さなぼやきを聞く。
「居合い斬りなんて、もう…」と暗い目をする少年の横顔に、あのご老体も元気そうで何よりだなぁ、とメイメイは知人の男性に対し感想を抱いた。
「確かに使いこなしてたわね、彼女。『剣』を……」
「……」
「『剣』に振り回されてた訳じゃない、共界線からの魔力も制御して、逆に力を引き出してた」
ウィルが歩んだ歴史を参照するなら、イスラもまた抜剣した回数は一度──「継承」の際のみ──しか満たしていない筈なのだが。
少女の執念が、そこまでさせるに至らせたのか。
「やる気になってる所悪いんだけど……貴方が少し強くなっても、彼女は止められないと思うわよ」
はっきりと告げるが、これはメイメイの良心からだった。
そもそもエルゴの代替として成り立つほどの存在に、生身の人間が挑むこと自体間違っているのだ。力の次元が違い過ぎる。
返ってくる答えを半ば予測しつつも、メイメイは老婆心じみた忠告を送った。
「……抜くよ、俺が」
「剣」を、と最後に続ける。
「先生……アティを助けるため?」
「どうかな……。多分それも含まれてるんだろうけど…………自分の味わった苦しみを女性に与えたくないっていうか……」
同じよ、と心中で呆れながら呟く。
「本当は今日も喚ぶつもりだったんだ。あんな強制技で出番潰れるなんて、思ってもみなかったけど……」
覚悟はできていた、ということだろうか。
実際アティに負担をかけたくないと思っていたのなら、ウィルが「剣」を抜くことは、彼自身の中で最初から予定調和だったのかもしれないが。
けど、とメイメイは考える。
「貴方が面倒なことを全部引き受ける必要、あるのかしら?」
オブラートに包み込んだ言い方だが、要は「余計な善意になっていないか」ということだ。
人は越えられない壁の前では多くが挫折する。しかし、それを乗り越えるために成長する者も確かにいる。
アティは紛れもなく後者だろう、とメイメイは確信している。
傍観者という立場故の苦言なのかもしれないが、アティの成長の機会まで奪ってウィルが血反吐を吐く必要はあるのかと、そんなことを思うのだ。
当事者達の抱えるだろう苦しみも知らずに、客観的に秤へかけて述べている、歪んだ者の考えなのかもしれないが。
ウィルは黙って門を見上げていたが。
すぐにメイメイへ顔を巡らせ、口を開いた。
「……駄目かな?」
眉を下げて笑いかけてくる。
自分は出過ぎたことをしているのかと、未だ答えを見つけられない迷いを尋ねるように。
(……)
忘れてたわ、とメイメイはこぼす。
結局、異性が苦しむことを知っていて動かずにいるのは、彼には無理なのだと。
迷いを引きずりつつも身を粉にしようと決めているその瞳を見て、妙に納得してしまった。
「……ま、今更かもね~」
「……ん」
ありがと、と呟かれた声に妙に気恥かしい感じを抱きつつ。
どちらにせよ上手くやるだろう、とメイメイは思った。
「彼」ならば不思議と万事解決へとこぎつけるだろうと。「彼」の軌跡を思い出しながら、そう結論した。
ましてや、ここにはアティもいるのだから。
二人で肩を並べ、しばし門を見上げる。
すこーし、また近付いてしまったかなぁと。互いの肩と肩の距離を思わず意識しながら。
柄にもないことを考えるメイメイだった。
「……よし、行くか」
門を見るのを止め、ウィルは告げる。
後ろを振り返り、この異界の外、集いの泉に繋がっている穴を見た。
出入り口の外で準備体操……揃って深く伸脚をしているテコとヴァルゼルドに、「もう行くよ」とウィルは声をかけた。
「本当にみんなと行かなくていいの?」
「メイメイさんだって言っただろ。『剣』相手に、生身の僕達がちょっと強くなっただけじゃ敵わないって」
そう言われるとメイメイも肩を竦めるしかない。
結局、力の勝っている抜剣者相手に確実に勝つ方法は、適格者自身の自力の底上げしかないのだ。
「それよりも、本当に時間は気にしなくて問題ないのか?」
「だいじょぶ、だいじょぶ。あっちで一ヶ月過ごしても、こっちじゃ一時間も経っていないことになってるから」
時間の進み方が違うことをもう一度説明してやる。
確認をとったウィルはわかったと頷いて、合流してくるヴァルゼルド達を迎えた。
「貴方達だけじゃあメイメイさんちょーっと心配なんだけど……まっ、死んじゃわない程度に頑張ってね。にゃは、にゃははははははは!」
「何言ってんだ、あんたも行くんだよ」
「にゃはははははぁ…………ぁ?」
ぴたり、と笑い声を止めメイメイはウィルを見下ろす。
澄まし顔の少年はメイメイの方を一瞥もくれず、門を眺めている。
「僕は怪我でしばらく本調子じゃないし。保険(メイメイさん)がいないと困る」
「……き、聞いてないわよ、そんなこと?!」
「言ってねーもん」
「じょ、冗談じゃないわ! 断っちゃう!! そんなのに付き合ってちゃあ、いつお酒が飲めるか分かったもんじゃにゃい!」
「ヴァルゼルド」
『イエス、マスター』
捕獲。
「って、にゃぁー!?」
「ブン投げろ」
『イエス、マスター』
「ウィ……ウィルゥーーーーーーーーーーーっ!!?」
門の中へ放り込まれるへべれけ。
「じゃあ、僕達も行こう」
「ミャミャー!」
『了解!』
テコ、ヴァルゼルドの順で門をくぐっていく。
最後に残ったウィルは門の前で一度足を止め、後ろを振り返ってから。
ややあって、前を向いて無限回廊の中へ消えていった。
異界が閉じる。
後には、誰もいない集いの泉が月明かりの下に浮かび上がっていた。
◆
「……ウィル君、少し、いいですか?」
トントン、とノックを二回。
呼びかけに対し、部屋の主は無反応だった。
迷いあぐね、失礼します、と告げてから恐る恐るドアを開ける。
「ウィル……くん?」
見回すが、声を聞きたかった相手は部屋のどこにもいなかった。
誰もいない室内は痛いくらいに静まり返っていて。
得体の知れない寂しさが、打ちひしがれた心と一緒に、そっと体を抱きしめてきた。
「…………」
眉を沈め、アティはその場で立ちつくす。
俯く彼女を、窓から差し込む朝日が照らし出し、長い影を床に作りだしていた。