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No.3907の一覧
[0] 然もないと [さもない](2010/05/22 20:06)
[1] 2話[さもない](2009/08/13 15:28)
[2] 3話[さもない](2009/01/30 21:51)
[3] サブシナリオ[さもない](2009/01/31 08:22)
[4] 4話[さもない](2009/02/13 09:01)
[5] 5話(上)[さもない](2009/02/21 16:05)
[6] 5話(下)[さもない](2008/11/21 19:13)
[7] 6話(上)[さもない](2008/11/11 17:35)
[8] サブシナリオ2[さもない](2009/02/19 10:18)
[9] 6話(下)[さもない](2008/10/19 00:38)
[10] 7話(上)[さもない](2009/02/13 13:02)
[11] 7話(下)[さもない](2008/11/11 23:25)
[12] サブシナリオ3[さもない](2008/11/03 11:55)
[13] 8話(上)[さもない](2009/04/24 20:14)
[14] 8話(中)[さもない](2008/11/22 11:28)
[15] 8話(中 その2)[さもない](2009/01/30 13:11)
[16] 8話(下)[さもない](2009/03/08 20:56)
[17] サブシナリオ4[さもない](2009/02/21 18:44)
[18] 9話(上)[さもない](2009/02/28 10:48)
[19] 9話(下)[さもない](2009/02/28 07:51)
[20] サブシナリオ5[さもない](2009/03/08 21:17)
[21] サブシナリオ6[さもない](2009/04/25 07:38)
[22] 10話(上)[さもない](2009/04/25 07:13)
[23] 10話(中)[さもない](2009/07/26 20:57)
[24] 10話(下)[さもない](2009/10/08 09:45)
[25] サブシナリオ7[さもない](2009/08/13 17:54)
[26] 11話[さもない](2009/10/02 14:58)
[27] サブシナリオ8[さもない](2010/06/04 20:00)
[28] サブシナリオ9[さもない](2010/06/04 21:20)
[30] 12話[さもない](2010/07/15 07:39)
[31] サブシナリオ10[さもない](2010/07/17 10:10)
[32] 13話(上)[さもない](2010/10/06 22:05)
[33] 13話(中)[さもない](2011/01/25 18:35)
[34] 13話(下)[さもない](2011/02/12 07:12)
[35] 14話[さもない](2011/02/12 07:11)
[36] サブシナリオ11[さもない](2011/03/27 19:27)
[37] 未完[さもない](2012/04/04 21:58)
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[3907] 13話(中)
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:9146c838 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/01/25 18:35
「父と母の仇……っ、思い知れえぇぇっ!」

ヤードの絶叫が大気を打った。
大量の魔力をかき集めた渾身の召喚術がオルドレイクに向け放たれる。
驚愕の抜けきらないアティ達は、ただその光景を見せつけられるしかなかった。



暁の丘にオルドレイク達が布陣したとの報告を受けたのは、太陽が西の空に傾き出した頃だった。
フレイズよりもたらされた伝令は瞬く間に島中の者達に広まった。直前の取り決め通り、集落の守りはジャキーニ一家を始めとした戦闘に心得のある者達と帝国軍の下級兵で任せることで、アティ達精鋭は後ろ髪を引かれることなく速やかに暁の丘に急行できた。行方知らずのキュウマ達や小隊と別れたビジュもすぐ合流する。
先日より格段にその数を減らしたもののその威圧感は健在、オルドレイク達と緊張状態に陥ったアティ達は暫時の睨み合いを続ける。
その均衡を静かに破ったのが、ヤードだった。

『召喚獣も、人間も、全てを、派閥に利をもたらす道具だと思え』
『より有効な使い道を求め、壊れたならば速やかにうち捨てよ』

オルドレイクに直接教わった言葉だとつらつら語る青年の姿はアティ達に衝撃を与えた。
無色の派閥の召喚師ヤード・グレナーゼ。
オルドレイクの直弟子だと暴露するヤード今の目には、これまでにあった温厚な光は欠片も存在しない。
故郷を奪われ復讐に焼かれるはぐれの召喚師が、そこにはいた。



「ふんっ……」

ヤードの怒りの召喚術、光輝く「シャインセイバー」。
その迫りくる刃の群れを前に、包帯を全身に巻くオルドレイクは鼻を鳴らす。
何故か新しい重傷を増やしている彼は迎撃の素振りも見せず、冷めた目でそれを見つめていた。

「身の程を弁えなさい!」

怒号とともに現れたのは同じく武具の召喚術。
実際立っているのもやっとなオルドレイクを庇うように前に出たツェリーヌが、「ダークブリンガー」を発動した。
闇の剣戟が光のそれをいとも容易く退ける。
更に勢いは止まらず、剣群の切っ先はヤードに向かい突き進んだ。

「ぐぁぁぁぁっ!?」

「ふはははは! 血迷ったか、弟子が師に敵うはずあるまいに!」

衝撃に吹き飛ぶヤードを見てオルドレイクの哄笑が飛ぶ。
「──てめえは何もしてねえだろ」とボソッと呟かれたビジュの声は本人に届くことはなかった。
不可抗力でアティ達は汗を流す。

「……今です!」

「!?」

オルドレイクの笑声を遮るヤードの声が、音もなく疾走する影の正体を浮き彫りにした。
この場にいた者達の意識の死角を掻い潜り、一匹の蛇が、獲物へとうねり急迫する。
牙が光った。

「貴方!?」

「なっ!?」

「────くたばれっ!!」

立ち竦むツェリーヌを置き去りにして、スカーレルが驚愕するオルドレイク目がけ凶刃を振るった。
これ以上のないタイミングで執行された暗殺に、誰もが息を止め時を停止させる。
芸術的ですらあった一連の流れがオルドレイクの目の前で結実し、回避を許さない必殺となって迫っていた。
もはや秒を待たず、円弧を描いた短剣が獲物の首へ差しかかり

「ぬんっ!」

「ッ!?」

神速の斬撃によって、切り払われた。

「召喚師は囮か。俺さえいなければ成功したろうにな」

「……まったくね」

立ちはだかったウィゼルが静かにスカーレルの太刀筋を評価する。
並外れた反応に加え、抜刀された刀は針に糸を通すほどの正確さで短剣を打っていた。
スカーレルは様は無い、というように力なく笑う。
ヤードとの計画が失敗した彼は、失意の色を滲ませながらも、確かな無念をちらつかせた。
ぎりっ、と奥歯が噛み締められる。

一瞬の出来事に硬直するオルドレイクだったが、こと無きを得たと分かると再び笑みを持ち直した。


「……お、驚かせおって! 所詮、貴様等の猿知恵など我には届かぬわッ! ふっ、フハハハハハハハ「後頭部がお留守になっていますよ」ハがっっ!?!?」


刺殺。

「…………え?」

「なっ……」

どごすっ、と何かを貫通したような鈍い音が響き渡った。
奇声を残し、瞳孔が開ききったオルドレイクが前のめりに倒れ込んだ。ゆっくりと、スローモーションのように。
大地に倒れ伏し曝け出される後頭部には、黒光りする投具が一本刺さっている。巻かれている白地の布がじくじくと紅く染まっていった。

びくんっ、びくんっと無言で痙攣し、言外にSOSを発信しているそのミイラを見て、スカーレルとウィゼルは目を見開く。
ツェリーヌとヤードは凍結。
ヘイゼル達も凝結。
アティ達は重い沈黙を背負った。
最後にイスラは、体をあさっての方向に向け、耳を真っ赤にしながら笑声を堪えていた。

「「!!」」

ばっ、とスカーレルとウィゼルがもろとも同じ方角を振り返った。
視界の真ん中にいるのは、オーバースローで腕を振り切った姿勢でいる、ウィルなにがしとかいう物体。足元には同じポーズをしたネコ科の召喚獣。
誰が何を投げて誰を殺ったのかは、もはや語るまでもなかった。

スカーレルの暗殺敢行を“一人知っていた”ソレは、『過去(いつぞや)』と同じように派閥本陣の背後を取って、虎視眈々と絶好の機会を狙い、そして遠慮なく脳漿をブチ撒けた。
本場のアサシンも差し置いて剣豪を出し抜いた隠密能力がキラリと光る。
投擲姿勢を解除してぷらぷらと手首を振るその姿に、ウィゼルは稀有ともいえる驚愕の表情をあらわにした。

「……」

「……」

ウィゼルの横で同じく呆然としているスカーレルと、おもむろに、ウィルの視線がばっちり合う。
二人だけの眼差しの交差が幾分か続き、言葉にならない交信が続けられた。
ややあって、


「(グッ!!)」

「(グッ!!)」


二人一緒に親指を立てる。
キラッと満面の笑顔をするウィルに対し、スカーレルも口端を曲げる爽やかな微笑みを浮かべた。


「あ、貴方ァーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!?」


先日の時間を巻き戻したようにツェリーヌの絶叫が細い喉から迸った。
時は動き出す。
ウィゼルが正気に戻り、ヘイゼル達は汗を流しながらその場でおろおろと右往左往する。
アティ達の体が再起動したようにびくっと揺れた。
イスラは、必死に腹を押さえ、まだ動けずにいた。

「貴方、貴方ぁっ!?」

「「ヤード、逃がすなッッ!!」」

「えあっ?!」

痙攣の周期が短くなってきたオルドレイクに駆け寄ろうとするツェリーヌ。
それを見てウィルとスカーレルは同時に疾呼。仰天するヤードに『捕まえておけ!』と目力で命令した。

「と、とあーっ!?」

「っ!?」

ガキン! と変な構えで繰り出された杖を、ツェリーヌの杖が受け止める。

「グレナーゼッ……! あの方に育てられた恩を仇で返す気ですか!?」

「わ、私にも何がなんだか……!?」

憤激するツェリーヌにヤードは情けない声を出す。
ウィル達から蘇生防止を言い渡された彼は、慣れない鍔迫り合いをしてツェリーヌをその場に縫い止める。

「部隊の後方の者はオルドレイクを守れ! 前衛は正面から来る召喚獣達をせき止めろ! 手筈の陣形は多少崩しても構わん!」

『は、はっ!!』

一方、オルドレイク、ツェリーヌの身動き取れない状態を受けて、ウィゼルの号令が派閥勢へ矢継ぎ早に飛ぶ。
自分達の首領の片腕ともいえる人物の指示に、派閥兵は無条件で従った。
昨日から残存している兵達が、既に少なくなっていたその人員を更に二つに割って、後方と前方、両端に別れる。

ウィルとスカーレルは既に暴れ出していた。
集結し出す派閥兵をすかさず襲いかかっては斬り裂き、あるいは速攻の召喚術をお見舞いする。治療の術を持つ召喚師達が率先して狙われた。
ウィル達は決してオルドレイクを過小評価していない。事実、彼が全力で召喚術を扱おうものならいくらでも戦闘の趨勢は変わるからだ。
暴れるスカーレルをウィルがサポート。まるで長年付き添っていたようなコンビネーションを発揮しながら、彼等はオルドレイクの復活だけは防ぐ心算だった。

「よしっ、ウィルが殺ったぞ! 続けェ!!」

「え、ちょ、おっさん!?」

「こ、これ、予定調和だったんですか……?」

「ミスミ様、今こそ好機ッ!!」

「……いや、もう何も言うまい」

『野郎ども! 戦争であります!!』

「ヴァルゼルド。あの沢山の敵兵、捕縛したら好きにして……いいのよね?」

『……………………(ガクガクブルブルブル!!)』

「ポンコツさんが泣いているのですー!?」

「マルルゥ、そっとしておいてあげなさい」

「……我々はこんな奴等に負けたのか」

「隊長……っ!」

「ぼさっとしてねえで行け、ゴリラ副隊長」

「ビジュウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!!」

「もう何が何だか……」

アティ達も前進を開始。
孤立したウィル達と合流しようと駆け出す。その先には間もなく接敵するだろう派閥兵の前衛が立ち塞がっていた。
混乱抜け切らない中、二度目の対決の幕が切って落とされた。









然もないと  13話(中)「断罪の剣の矛先と結末」









「……毒か」

戦場となった丘陵地点から少し離れて、ウィゼルは引っ張ってきたオルドレイクの傷を確かめる。
突き刺さっている投具は『百足針』。某へべれけ店のルーレット商品であるそれは、『毒』付加属性を持つ凶悪な代物だった。
質が悪過ぎる、と後頭部に依然と屹立している投具を見てウィゼルは思った。生命の危機はもとより助かったとしても後遺症が残るかもしれない。
具体的には頭皮の毛根が尽き果てたり。

「ぶひゅっ、ぶくくっ、ぷくくくくくっ……!?」

「…………」

隣から噴き出てくる声に視線をやる。
オルドレイク治療のために首根っこ掴んで連れてきたイスラが、此方はまた別ベクトルで体を痙攣させていた。
口元を手で塞ぎ込み、くの字に折った体をぴくぴくと揺り動かす。
腹痛ぇー、と耳まで真っ赤にした少女は必死に爆笑の衝動を抑えていた。

「……小娘」

「ひゃ、ひゃいっ……わかってまひゅ、ぷくっ、わかって、ぷひゅひゅひゅ……!?」

斬るか、と一瞬そんな言葉が脳裏を過る。
取りあえず、この猫が全然飼い主を敬ってないことは分かった。
イスラは涙を溜めた瞳を指で拭い、ひぃひぃ言いながらようやく姿勢を戻す。
一頻り笑いに悶えていた体を落ち着けるように、ふぅー、と大きく吐息した。

「……えーと、で、何でしたっけ? 私は何をすれば?」

「オルドレイクを治療しろ。こやつ、既に虫の息だ」

「やだなぁ、ウィゼル様。オルドレイク様みたいな新世界の神になるお方が、そうそう簡単にくたばる訳ないじゃないですか」

「早くしろ」

こんな事態にふざけた口を利くイスラに、ウィゼルは細い眼光を向けた。
身動き一つ働けば首が飛んでしまうかのような、そんな錯覚を預ける零度の凄み。
にこにこ笑っていたイスラはしかし、物怖じする素振りも見せず、更に微笑んでみせた。

「できません」

「……」

「私、今は回復できる召喚獣、持ち合わせていないんですよ」

ほら、と言って手持ちのサモナイト石を全て地面に放る。
赤赤赤。鮮血のような真紅の色をした鬼属性の石が三つ並ぶ。
ウィゼルは拳ほどのそれらを一瞥した後、目を細め、静かにイスラを見つめた。
少女は目の無くなっているその満面の笑みを変えない。
すぐ先の方角から剣戟の音が鳴り響いてくる。ぴくぴく痙攣するオルドレイクを挟んで、二人はしばし向かい合った。

「……適格者と召喚獣達を相手取れ。前線を指揮しろ」

「はぁーい」

告げられた言葉にイスラは素直に従った。
サモナイト石をかがんで回収し、くるりと背中を向け歩き出す。やがて思い出したように走り出した。
ウィゼルはその背中を厳しく見据えた後、持ち合わせの道具でオルドレイクを応急処置し、すぐに自らも立って戦場へ向かった。






「どけえぇっ!」

「スカーレルっ、ヤードっ、そっち着いたら話全部聞かせてもらうんだからねっ!」

カイルの凄まじい拳打音とソノラの放つ銃声が重複する。
様々な得物を装備する派閥兵と、アティ達は真っ向から衝突していた。
アティ達の正面──敵の背後には孤軍奮闘するウィルとスカーレル、そしてツェリーヌを抑え込むヤードの姿がある。
無色の派閥が部隊を二つに分けたことによって、その戦域はちょうど前の領域と後方の領域、綺麗に二等分されていた。

「ここを抜けばウィル達と合流できます!」

「敵影の数は私達より下回っています……強行突破を推奨」

『オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』

アティ達と現在交戦するこの横長に広がる派閥の前衛組みが、ちょうど戦域の境界線だ。
先日の被害が払拭できないまま今回に臨んだ派閥兵は、アティ達にとって物の数ではなかった。
一切合切防御に手を費やしているが、綻びは既に生じている。敵戦線の突破は時を待たずして決してしまう。

「うわー、ぎりぎり、だったかな?」

「!」

「イスラ!?」

ただしそれも、少女がこの場に波紋を投げさえしなければ、という条件付きの話だった。
防衛線を張る派閥兵と一つ距離を置いてイスラが登場する。
彼女は編成し直した部隊──大勢の召喚師達を従えて、宣告を告げるように右腕を突き出した。

「さぁ、反撃開始だよ!」

召喚師達がその声を受け一斉に術を執行する。
緻密な詠唱を組み上げないずさんな制御のもと、召喚師達が一様に構えていた霊のサモナイト石から光が立ち昇る。
そして異界の門が開いた。
まだ開ききってない扉の隙間から溢れ出したのは、瘴気を放つ漆黒の羽。

「悪魔!?」

「いや、それよりも……」

「何匹出てくんだよ!?」

槍を提げた堕天兵が、飽きることなく門の向こうから暴出された。




「ウィル、あれ!?」

「おいおいおい……!」

「ミュウー!?」

その光景はウィル達の方からも視認できた。
相手をあらかた片付けた──正確にはイスラの引き抜きで拡散した──敵陣のど真ん中で、双眸を剥く。
宙に形成された異界の出口から、次々とサプレスの悪魔が吐き出され、群れを作る鴉のように空を旋回している。
数だけを見るならもはや勢力図は引っくり返っている。もとからいた派閥兵に加え、多くの召喚獣がアティ達の前に壁となって立ちはだかっていた。

「ちょっと、ずるくないっ!?」

「手勢を召喚術で補うのは基本っていえば基本なんだけど……っ」

流石に限度があるだろう……! とウィルは目元を歪める。
派閥召喚師達は何も特別なことはしていない。
単なる、「ユニット召喚」。
大陸ではよく見られる光景だ。力の差あるいは数の差を召喚獣で穴埋めする、外道召喚師や無法者が好んで使う常套手段。

ウィル達が普段使う召喚術が、召喚師の魔力を組み合わせ召喚獣の力を引き出す「術」ならば、ユニット召喚は一つの命令のもと召喚獣の行動を誘導させる、まさしく「使役」である。
「魔法」、といえるような攻撃、防御、治癒効果を発揮しない、本当に対象を喚び出すだけの召喚術。
結んだ誓約の期間内で主をサポートさせる、どちらかといえば一般人に通常認識されている召喚術といえる。ジャキーニ達が起こした反乱、その中で召喚されたサハギン達がいい例だ。
知識とプライドに重きを置いた、「蒼」や「金」も含める派閥の召喚師ならばまず使おうとしない、力のない者達が扱う代物だった。

そんなユニット召喚を、他と頭一つ飛び抜けている無色の派閥の召喚師が、己の魔力の手当たり次第に執行する。はっきりいって悪夢だ。
魔力が高ければ当然喚び出す召喚獣は上級種になってくるし、力も強い。召喚数自体も増える。
一人の召喚師につき三つのサモナイト石を使役できるとしたら、召喚師十人で────三十体。
そこにもとからいた派閥兵も加わる訳だから、二十に届くか届かないかのアティ達からしてみれば、絶望的な数字といってもいい。

「節操がねえ……!」

現状はその一言に尽きた。──決してこの少年が言えたことではないが。
一つだけ上げるなら、召喚師全員がユニット召喚に全キャパシティを割いていることで、召喚術からの遠距離攻撃は無くなっている。
だが、この数の多寡にしてみればそれはもう些事に過ぎない。
ついに剣を交え出したアティ達と悪魔達の形勢を見れば、あきらかにアティ達が押されていた。

まさかこんな方法を持ち出してくるとは夢にも思わなかった。殊更プライドの塊であるオルドレイクが指示したこととは思えない。
一体誰が、と一瞬考え込むウィルだったが、答えはすぐに出た。
こんなことを即興で思い付くのは一人しかいない。
ゆるりと立って戦場を傍観している黒髪の少女を、ウィルは苦々しく見つめた。


「────」


「「っ!」」

「ミュミャ!?」

間合いに入り込んだ刺客の存在に、しかしウィルとスカーレルは反応してみせる。
走り抜けた銀線を、テコを抱えて二人一緒に回避した。

「ッ……茨の君!」

「……!」

目の前に現れたヘイゼルに対し、危うく名前を呼びそうになったウィルは口をぐっと閉じた。
小柄な少女はウィルに軽い瞥見をくれると、それをすぐに切ってスカーレルを睨みつける。
無言のまま体を飛ばし、スカーレルに狙いを絞って刃を振るった。

「スカーレル!」

「いいわ! 貴方はヤードやみんなを!」

疾風を彷彿させるヘイゼルの刃撃にスカーレルが押される。
ウィルとスカーレル、二分された。

(っ……ヤードには悪いけど、先にあっちをなんとかするか……!)

当初の予定ならば、この時点でアティ達と合流し敵を畳みかける予定だったのだが……分厚い悪魔の壁に阻まれ合流できずにいる。
自分の思惑とずれた展開に歯噛みしながらも、ウィルは思考を切り換え状況の打開を試みる。

イスラ率いる敵勢は見事にアティ達を抑え込んでいるが、ウィルに対して無防備な後ろ姿を晒している。
召喚師は倒せば使役する召喚獣達も無効化可能だ。
風穴を開けてやる、とこんな時のためにとっておいたヴァルゼルド召喚用のサモナイト石を取り出す。
自らも剣を抜いて敵召喚師を後ろから斬り伏せようと、一気に駆け出した。



「どこへ行く?」



「────────」

びたっ、と足が止まった。
いや、止まらざるをえなかった。
背後に控えるその威圧が、それ以上の行動を許しはしなかった。

静かに鼓膜を貫いてきた声に、ウィルは一瞬呼吸を忘れながら、錆びついた動きで首を巡らせた。
片目を瞑った老剣客。柳のように静謐に、悠然と立ち構え、ウィルを眺めている。
剣豪、ウィゼル。

「………………何か御用でございますか?」

盛大に引き攣った不細工な笑みを浮かべながら、ウィルは震える声音でそう尋ねた。
相手に背を晒しているにも関わらず、思わず屁っ放り腰になってしまう。

「ああ。少し、付き合ってもらうぞ」

「…………『剣』の担い手様なら、あちらでございますが?」

ほら、と両手を使って、激しい戦闘を繰り広げている交戦地帯を指し示す。
中心にいるのは赤髪を波立たせる元エリート軍人の姿。
狸は、アティを、売った。

「適格者もいずれは剣を交えるつもりだが……その前に、小僧、お前に興味を持った。見極めさせてもらうぞ」

────なして。
ビキッと脳ミソに亀裂が走る。
ありえんだろ、とウィルは半ば現実を拒否しながら思った。
この御老人は基本、手を出そうとしなければ誰にも危害を与えず、緊急事態以外動かなかった筈なのに、と追憶に浸る。
──無色の派閥駆逐に意気込み過ぎていた『彼』は、迂闊にも、自重という言葉を忘れ過ぎていた。究極の武器職人マスターにスカウターされた現状では、後の祭りなのである。
そしてそのことに気付けない──そこまで頭が回ってくれないウィルは、達人様が目にとめるのは抜剣者だけではなかったのか、と「過去」の映像と照らして合わせて振り返った。

迫りくる斬撃。
速過ぎて見えない斬撃。
純鉄の剣を豆腐のように真っ二つにする斬撃
空間断絶する斬撃。
気付いた時にはブッタ斬られている斬撃。
距離を無視してすっ飛んでくる斬撃。
神速な斬撃。
極彩と散る斬撃。
これがモノを殺すということだ斬撃。
……。
…………。
………………。



「うわぁアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!? 先生ぇ、先生ええぇーーっ!! 助けて先生えええええええええっっ!!!?」 



ウィルは、叫んだ。
初めて心の底から、アティに助けを求めた。

思い出されるものの全てがリアル臨死体験の映像ばかり。
まさかの事態に対する動揺と混乱と恐怖、そして「過去」に裏付けされた絶対斬殺のビジョンが、彼の理性を粉々に打ち砕き、幼児退行へと走らせた。
あるいはそれは本来の少年(ウィル)の精神が反映された結果なのかもしれない。
一瞬。戦闘中にも関わらずその瞬間だけ、少年は我を忘れてしまった。
恥も外聞もかなぐり捨て、彼は思いっ切り叫び声を放っていく。

他方、敵の向こう側で激しい戦闘を行う家庭教師は反応を示していた。
シャレを置き去りにした生徒の絶叫が聞こえたような気がして、「ウィ、ウィル君っ……?」とでっかい汗を湛える。
身動き取れないこの状況では、そのまま汗を流すことしかできなかったが。

「なぁ、おい、冗談だろ!? ボク斬っても美味しくねぇーぞ?! むしろ狸汁がきいてて獣臭いぞ!! 僕の血は赤色じゃねーって定評があるぞッッッ!!?」

「……」

「おい、こら! 河童悪魔ッ!? あんたの出番だぞ! 何やってんだ! 助けろよ! 可愛い生徒がチョンパされるぞっ! 両断されて寸断されちゃうYO!! 生贄はどうしたああああっ!?」

「……落ち着いたか?」

「ああ落ち着いたぜコンチクショぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

未だ訳の解らないテンションを宿しながらウィルは地面に向かって吠えた。
はぁ、はぁ、と荒い息をつきながら半狂乱状態を抜ける。
こんなことぐらいで挫けんよ、と心中呟く。紫電の神様の百烈突きに比べればあんな斬撃……! と歯を食い縛った。

しかし不味い、と地面に向けている顔から嫌な汗を流す。
この老人を自力で出し抜けるイメージが、全く湧かなかった。突破口という糸口が存在しない。
「レックス」の時も抜剣しなければアドバンテージも碌に得られなかったのだ。
この身体(ウィル)には悪いが、今なら二秒で刺身になる自信がある。

それほどまでに、目の前の敵は強過ぎた。何より、速過ぎた。
震える心臓の音が、切迫した音色となって全身を駆け巡る。

「もういいだろう。構えろ、小僧」

「……!!」

「お前の全てを曝け出してもらうぞ」

言葉が締めくくられ 柄に手がかけられた瞬間。
ウィゼルは、ウィルの眼前まで一気に肉薄した。


「──────ッッ!?」


激突。













「ちッ!」

「……!」

ヒュン、ヒュン、と素早い風切り音が鳴り、刃が空気を切り裂く。
目の前で繰り出される攻撃を寸での所で避け、スカーレルも応戦、短剣を振るう。
無表情を構えるヘイゼルはスカーレルと同じように体を揺さ振り、尽く反撃を往なしてみせた。

「随分とアタシにご執心のようじゃない、ヘイゼル!」

「……」

「貴方からアプローチを仕掛けてくるなんて、アタシの魅力も捨てたもんじゃないかしら、ねぇ茨の君さん!」

「……黙れ……!」

スカーレルの軽口にヘイゼルは眉を上げた。
言葉と一緒に飛びかかり一撃を浴びせ、かと思えば、すぐに飛び退いて目まぐるしく周囲を移動する。
隙を探っては飛びかかり、決して深入りはしてこない。巧妙なヒットアンドアウェイを繰り返す。

スカーレルは挑発することでヘイゼルのリズムを崩そうと試みたが、そうことは上手く運ばない。
一度の攻撃に拘らず、無駄だと悟ればすぐさま離れ間合いをとる。苛立ちをあらわにするヘイゼルであるが、その表情とは裏腹に動きは冷静沈着そのものだった。
決して敵の術中に嵌らない、溶けることのない氷のような強(したた)かさがある。

(不味いわね……)

スカーレルは胸の中で苦い声を出す。
自分の知るヘイゼルより遥かに強く、速くなっている。
先輩後輩の間柄であった時の彼女なら圧倒できる自信があった。しかし、今のヘイゼルはもはやスカーレルの知る未熟なアサシンなどではない。
完成された一人の女暗殺者、「茨の君」だ。
挑発という搦め手も持ち出すのも裏を返せば、正攻法では崩し難い、一筋縄ではいかない相手だということだ。

「珊瑚の毒蛇……裏切り者め!」

「懐かしい名前を聞かせてくれるじゃない!」

「茨の君」を冠する彼女の暗殺のスタイルはもっぱら不意打ちだ。
その薔薇のような甘美な香りと赤く熟した肢体をもって相手を引き寄せ、棘を打ち込む。その身体を最大限利用する女暗殺者ならではの手段だった。
しかしそんな騙し討ちが霞んでしまうほど、彼女の戦闘能力そのものが、高い。
一体どこまで、あの暗い暗い闇の中に沈んだのか。

「組織を抜け出しておいて、何をのうのうと生きている!」

「今日はやけにお喋りね! それともアタシが居なくなった後で少しは明るくなったのかしら!? だとしたら、オネエサン嬉しいわ!」

「……ッ!」

間隔を空け、並走するような形でスカーレルとヘイゼル、両者が丘陵を駆け抜けていく。
視線を絡めたまま原野を踏み鳴らしていき、間もなく二人の間に大岩が現れた。
その巨大な衝立が互いの姿を覆い隠した瞬間、スカーレルは進路を逆転し、そしてヘイゼルは────宙に身を躍らせた。

「「!」」

頭上、上空からの奇襲にスカーレルは僅かな先制を許す。
ヘイゼルは羽のように自重を感じさせない跳躍後、衝立となった岩を蹴り上げ進行方向を微修正。次には、反動で一気に加速していた。
野獣を彷彿させる勢いで、スカーレルに斬りかかる。

「くっ!?」

瞳へ吸い寄せられる刃に、自分の短剣の腹を這わせ、真後ろに流す。
金属を切削する甲高い音と火花が散った。スカーレルは態勢を保てず堪らず後転し、ぎりぎりの所でヘイゼルの襲撃を往なした。
後転する最中、空を行くヘイゼルと視線が合う。自分を見下ろす暗い対の眼に、首筋から汗が噴き出た。

(この娘っ……!?)

先手を取られている。
速さだけなら、間違いなくヘイゼルの方が上だ。
熱となった危機感が体の末端まで行き渡る。スカーレルの相貌に焦りの色が浮かんだ。
転がった体をすぐさま起き上らせ、スカーレルは相手を視界に確保する。

「────」

次の瞬間、彼は息を呑んだ。
視界のど真ん中にいる赤い影が、脚を沈ませ、既に加速姿勢を完了させている。
着地とともに敏速にターンを決めたヘイゼルは、今にもスカーレルへ飛びかからんとしていた。

────不味い。

間髪入れず、茨の少女がスカーレルの懐に肉薄する。


「ッッ!?」


赤い矢が大気を射抜いた。
突き出された短剣が高速の刺突となって眼前に迫る。
回避行動は間に合わない。よしんば急所を逃すことはできても、体のどこかに致命的な傷を負うことになる。

スカーレルは不本意ながら防御を選択した。
本来の戦闘スタイルを投げ捨てて敵の攻撃を咄嗟に受け止める。
少女の体も一緒に乗った凄まじい突貫が、スカーレルの全身を揺さ振った。息が詰まるほどの衝撃が伝播する。
短剣を短剣で抑え込み、刃は心臓を皮一枚の所で制止。
ヘイゼルの体が軽かったことが幸いし、どうにかその一撃を防ぐことに成功した。
しかし、


(もう一本っ!?)


少女の体の影から現れた手が、一振りの暗剣を従えてスカーレルに向かう。
ヒュオ、と乾いた音が鳴り、空間に一瞬の真空が生まれる。
赤紫色をした刀身が肉を切り裂き、血飛沫を宙にばら撒いた。

「づぅ……!?」

「……」

首を狙ったそれは、無理矢理体を捻じることで、スカーレルの頬を抉るに留まった。
崩れる体勢に逆らわず後方へ飛び、二歩、三歩、と相手から距離をとる。
ヘイゼルは逃げるスカーレルをじっと見ながら、腕を振り抜いた姿勢をゆっくりと戻す。
追撃は、なかった。

「はっ、は……はぁ、っ……」

息が上がっている。
反応が、少女の動きに付いていけない。完全に後手の態勢だ。
参ったわね、とスカーレルは口の中で呟きを転がした。
組織を抜け出したために体が鈍った訳では決してない。
そうではなく、自分とは逆に組織の中に身を置き続けた目の前の少女が、己が身をより鋭く、研ぎ澄ましていただけのことだった。

「……終わりよ」

「……? 何を、」

言っているの、と声が続くことはなかった。
言葉の代わりに熱くどろついた液体が口内を満たし、唇から一気に、溢れ出した。

「────」

「言った通りの意味……お前はもう終わりだ、毒蛇」

溢れる。溢れる。溢れる。
どす黒く濁った血の塊が口から吐き出され、ぼたぼたと、草原を紅い模様で染め上げた。
見開かれた瞳が戸惑いの色を帯びるその間にも、血は止まらない。

「ごほっ、がっっ、げぇっ……っ!?」

酸素が上手く取り込めず、上がっていた呼吸が益々乱れる。
不自然に発熱し上気する肌が、そのまま異常な発汗を引き起こす。
とうとう膝を折って地面についたスカーレルは、激痛に呻きながらヘイゼルを見上げ……そして見た。
彼女が持つ、自分の頬を切り裂いた暗剣の正体を。

「アタシの、剣……!?」













「っ!?」

「……ふんっ!」

奇天烈な幾多の斬閃が、ウィルの視界を占領した。
一閃、二閃、三閃、四閃、五閃、六閃…………追い切れないっ!
圧倒的な数となった銀の軌跡がウィルの視認能力を超過する。
激しい攻防──正確には、防戦一方──を継続するこの寸秒の間、徐々に衣服の一部が飛び、血の斑点が宙を舞っていく。

数多と迫りくる刀撃に対し、肉体(ウィル)に備わっている動体視力が付いていけない。
ウィルはもはや瞳での攻撃捕捉を放棄し、長年培ってきた予測と勘でウィゼルの攻撃を捌いていった。

「ぐぬっ……!?」

「……どうしても距離が欲しいか」

剣と剣の間隙、見出した脱出経路に体をねじ込んで敵の至近から逃れる。
一つ間違えれば四肢が吹き飛びかねない危険な綱渡りを通じて、ウィルはもう何度目とも知れない仕切り直しを計った。
だが、詰められる。
足袋の形状を思わせるブーツが地面を踏み抜けば、一挙、開いた間合いがゼロになる。
すかさず放たれた超速の斬撃がウィルの手中を切り裂いた。

「っ……!?」

「剣と投具に、召喚術……つくづく器用だな、小僧」

手に握られていた鉱石、サモナイト石が切断され、次には破片となって手の中から飛び散る。
きらきらと光る緑色の結晶が幻想的に空間を彩った。
無論、ウィルにはその光景に感動も恍惚も抱く暇などない。

(どんな技を使ってんだよっ!?)

五指でしっかり掴まえていたサモナイト石だけを綺麗に斬り抜くその業。
ウィルも反射して手を逃がしているとはいえ、指を掠ることもなく、拳大の石のみを見事に破壊している。
てめえの方が百倍器用だろ! とウィルは叫び声まじりに悪態をついた。

(これで何個目だ!?)

ウィゼルに斬られたサモナイト石の数。もはや十はくだらないか。
スペアを含めた予備もとうとう底が尽きかけている。身体能力および近距離戦闘だけでは圧倒的な不利な現状、頼りとなるのは既に召喚術だけなのだが、それも相手が許しはしない。
純粋な己が力だけで戦えと、斬撃を通して訴えてくる。

(ふざけんなっ!!)

────冗談じゃねえ! 死ねるわ!
ジジイの趣味に付き合う趣味はないと、ウィルは反撃の太刀で訴え返す。
その細い体に似つかわしくない猛烈な袈裟斬り。打ち合わされた細剣と刀の間で火花が発生する。
ウィゼルはそれに目を細めながら、知ったことかと言わんばかりに刀を振るった。

神速の斬撃を迎撃する細剣。
時には間一髪の所で往なして刀をやり過ごし、それすらもかなわない時は投具を逆の手に装備し受け流す。
鉄と鉄との衝突。
峻烈な剣劇の音が、幾重にも幾重にも鳴り響いた。

「…………」

「くっっ! …………?」

互いに大きく獲物を振り抜き、ぶつけ、一際高い音が残響する。
パワー負けしたウィルは後退を余儀なくされ、一方のウィゼルはそこから攻め入ることなく踏み止まった。
間合いを埋めてこないウィゼルに、ウィルは怪訝な顔を隠さない。
流れ落ちる汗を放置し、何を企んでいると油断なく相手の一挙一動を見守る。
無風の空間に、ウィルの乱れた呼吸の音が流れていった。

「……解せんな」

「?」

「模範通りの横切りの剣の型……かと思えば流派も何もない、強いて言えば経験にものを言わせた獰猛な縦切り…………小僧、貴様その体に“何を”飼っている?」

「────ッ」

核心に踏み込むその言葉に一瞬息が止まる。
ウィゼルは、ウィルのその「体質」に────「彼」という存在そのものに言及してきた。
この短い攻防の間だけで看破したのか、と信じられない思いが胸の中を充満する
太刀筋の洞察力、剣と剣との会話。
武器を打ち合わせるだけでこうまで相手の内情を見透かすウィゼルに、ウィルは戦慄にも似た感情を抱いた。

────落ち着け。

何も問題はない。自分にそう言い聞かせる。
ウィゼルは自分の正体を悟った訳ではない。あくまでそれは予想の域だ。
言い及んでいる内容は、言ってしまえば的外れ。解答へは至っていないのだから。
ウィルは動揺を瞬時に殺し、ウィゼルを見つめ返した。

「……喋る気はないか。まぁ、当然か」

「……まぁ、当然だね」

老人と子供、奇妙な沈黙。
視線の交差だけが続いた。

「僕からも一つ聞いていいか」

「何だ」

「どうして居合いを使わないんだ」

「……」

「昨日あれだけ砲弾斬りまくってた技を使えば、僕なんてとっくに刺身だろ」

「不服か?」

「いや、むしろ助かる」

「……くっ」

初めて、その剣客は笑みを見せた。
瞑目し、髭が蓄えられた口元を浅く曲げる、些細なものだったが。

「…………お前という素材(うつわ)を見極めたかったのでな。相手を倒すだけの戦士とは違う……職人の性、だな」

「訳わからん」

『以前』もどうしてこの老人が無色に身を置いていたのか、ウィルは知らない。

「……究極の武器。それを自分の手で作り出すことが俺の全てだ。剣を極めるのも、振るうのも、あくまでその過程に過ぎん」

「……」

「強固な武器を具現し得る多くの担い手達と巡り会ったが……小僧、お前は本当に変わり種だ。武器を作りたいとも思わんが……お前は面白い」

「はは、よく言われます」

「……」

先程とはまた違う微妙な沈黙。
ウィゼルは片目だけを瞑った。

「お前は叩きがいがある。打てば打つほど、様々な色と形を見せるのでな……俺もつい興が乗ってしまった」

じゃあ何か。「昔」も含め、自分が頻繁に襲われていた理由は抜剣者云々ではなく、ジジイの偏屈な趣味に見出されてしまったからか。
クソッタレめ、と内心でぐぎぎっと歯を食い縛りながら、ウィルはそう吐き捨てた。
そんなウィルを尻目に、ウィゼルはふと視線を横にずらした。

「……お前は存外によく粘る。だが、仲間の方はそうはいかないらしいな」

「!?」

その言葉の意味に、条件反射でウィルはウィゼルの視線の先を振り向いた。
遠方、口を血化粧するスカーレルが、暗殺者の少女の前で今まさに膝を屈していた。

「スカーレル!?」

更に、爆発。
視界の奥で凄まじい魔力が暴れ狂い、敵を屠らんと紫紺の爆光を炸裂させる。

「……っ!」

「ツェリーヌの方も片が付くか」

ヤード、と音にならない呟きが口から落ちた。
光の奥に霞む人影を、ウィルの瞳は確かに捉えていた。

「歯止めのようだな、お前達の勢いも。それとも小僧、まだ他に何か隠しているのか?」

「…………」

この野郎、とウィルはウィゼルに振り返りながら視線を鋭くする。
目の前の老人の心理、このごに及んでまだ自分を観察しようとしているその魂胆に、軽い殺意が芽生えた。

ウィゼルは自分達を陥れている元凶がウィルだと薄々感付いている。
それを踏まえての上でウィルがどのように行動するか、何を起こすのか……そしてそれを行うために自分(ウィゼル)という壁をどう乗り越えるのか、見極めてようとしているのだ。
ウィルという器の真価を、引き出そうとしている。

「……」

実際ウィゼルの言う通り、ウィル達の攻勢は完全に歯止めがかかっている。
視線をずらしてみれば、アティ達は完全に抑え込まれていた。援軍は期待できず、むしろアティ達本隊の方も危機が及んでいる。
彼女達と合流できなければ、ウィル達はもうすぐ討たれる。これはもはや絶対事項だ。
“ウィル”がこの状況を打開する一手を働くためには、目の前のウィゼルを倒さなければならない。

腹立たしいことこの上ないというのが、正直な感想。
そしてどう足掻こうが自分では目の前の敵は倒せないというのが、正直な本音。

……あの人なら、きっとこんな場面でも諦めないで、なんとかしちゃうんだろうな、と。
自分とは全く正反対の所にいる、太陽のような彼女のことを考えながら。
ウィルは、自分のやり方で、なんとかすることにした。

「……種も仕掛けもございません」

「!」

行動を起こす。
少し屈んで、足元に手を伸ばした。
祭服にも似た形状の仕立てのいい服、そのスカートの裾を、ほっそりとした指でつまみ、ゆっくりとたくし上げていく。
どこか勿体ぶるような動きでスカートをめくり上げていき、やがてそれがある高度に達した瞬間、どばっっ、と文房具もとい道具の山が裾の内側から溢れ落ちた。

「……」

ウィゼルはもはや突っ込まなかった。
どこかにどう隠せば収納できるか分からないほどの道具が、出るわ出るわ。
バラバラどばどば降りしきるアイテムは、やがてチンと音を立てガラス瓶に当たったサモナイト石を最後に、終わりを見せた。

「ん……」

再び腰を折り、ウィルはアイテムの泉と化した地面に腕を伸ばす。
散乱する道具の中から幾つかを見繕い、ひょいひょいと手の中に収めていく。その中にはサモナイト石も含まれている。
ウィゼルは目を細め、鞘にしまった刀の柄頭、そこに手を添えた。
召喚する素振りを見せれば、瞬時に抜刀できる構えだ。

「……ジジイ、貴様は一つ勘違いしている」

「……何?」

また勿体ぶるようにゆるゆると瞼を開いていき、ウィルは怪しい輝きを誇る瞳をウィゼルに向ける。
紫のサモナイト石、水に満たされた二つの小瓶。
ウィルはそれら道具を持つ両手にぐっと力を込め、また対応して居合いの構えを作るウィゼルを無視し、
空高く、ブン投げた。

「なっ……」

後ろに手を回すように両手を万歳させ、アーチを描く軌道で後方に道具類を放り投げる。
くるくると回るサモナイト石と小瓶は、やがてウィルの体に隠れてウィゼルの視界から姿を消した。墜落の光景は最後まで窺えない。
ウィルは口元をひん曲げた。

「黒幕を僕一人だけだと思うなよ……!」













「そういう、ことね……あの時、アタシが投げたっ……!」

「そうよ。貴方が、私を助けた時に使った剣……」

滴る血を止めることもできず、草原に視線を落としたままスカーレルは声を絞り出す。
昔の話だ。
それこそ目の前の少女は年端もいかず、未熟な暗殺者の卵だった頃。
後輩といえる立場のヘイゼルを、上の指示で面倒をみていた先達のスカーレルが、とある暗殺の場で助けたことがあった。
寝床をともにした元騎士を彼女が殺し損ね、返り討ちに合う所を屋外で見張っていたスカーレルが割って入り、その騎士の息の根を止めたのだ。
今ヘイゼルの持つ、“毒蛇謹製”の短剣で。

魔獣の毒牙を調合した、珊瑚の毒蛇の特別製。
血と混ざったら最後、あっという間に身体を腐らせてしまう逸品だ。
ヘイゼルの手の中で光る、毒々しい赤紫色をした鱗粉のようなものがまぶされている刀身。
見間違える筈もない、あの時の毒剣だった。

「拾ってる暇なんて、なかったけどっ……まさか、貴方が持ってたなんてね……っ!」

「ええ、いつか返そうと思ってた……助けられた相手にあんなこと言った手前、おかしな話だったけれど……」

当時の記憶に意識を飛ばしているのか、ヘイゼルの目が此処ではないどこかを見る。
回想に耽る琥珀色の瞳は、しかし無機質と言えるほど虚ろだった。

「踏ん切りがつかないで渡せないまま、貴方は組織を裏切って、剣だけが私の手元に残って……今まで捨てられなかったのは、感傷かしら」

瞳はがらんどうのまま、ヘイゼルはいつになく饒舌に言葉を使う。
常人ならばとっくに餌食となっている毒を耐えながら、スカーレルは脂汗に塗れる顔で少女を見上げた。

「あの時私を助けてくれた貴方の剣……今は、貴方を殺すためのただの道具……」

とんだ皮肉だ。
わざわざそれを使って引導を渡そうとするヘイゼルの行動も、巡り返ってくる自分から出た毒も。
確かに感傷だと、スカーレルはぼやける眼(まなこ)をしながら思う。
人を殺すことが常だった世界の中、自分がした行動は、少なからずヘイゼルを戸惑わせ苛む「棘」となっていたらしい。
言葉の端々が窺える、冷めきった──けれど確かな情緒が、少女が自分に固執する理由を物語っていた。
彼女を知らない者ならば気付かない感情の揺れ幅だが、短い間でも少女の面倒を見ていたスカーレルには、それが分かってしまう。
「茨の君」を苛む棘。
これもまた、皮肉だ。

「……お前は私が殺す。追手から逃れたと聞いた時から、心にそう決めていた」

感情をあらわにしてまで彼女が自分に拘る理由はなんとなしに分かった。
だが、とスカーレルは思う。

「これが裏切り者の末路よ。私達は組織の部品……それ以上でも以下でもないんだから」

琥珀の瞳の中にある、一番奥の色。
スカーレルに向けられる最も強い感情の色、それが解せなかった。
ヘイゼルを駆り立てる心の発火点はそれが本命だ。
己を助けた借り、裏切り者の報復。その理由らは本音を隠す建前に過ぎない。
自分(スカーレル)を通して何かを映している瞳。
まるで、己では届かないものを見つめているような。

──組織を抜け出しておいて、何をのうのうと生きている
──お前は私が殺す
──私達は組織の部品
──それ以上でも以下でもないんだから

今までの少女の言動が、飴のように溶けつつある思考を過っていく。
掴みかけている少女の心理を前に、スカーレルはもう一度彼女を正視した。
空っぽな瞳。
自分の知る幼い頃の彼女よりまた一層光を失い、本当に、希望も何もかも殺してしまったような……

これじゃあまるで、羨望────

そう考えた所で、全ての点が一本の線で繋がる。
スカーレルの頭の中でカチリとピースが合わさる音が鳴り、自然に口は開いていた。


「ヘイゼル、貴方……嫉妬しているの?」

「!!」


琥珀色の瞳に、波紋が落ちた。
暗く静寂を保っていた水面に、次々と円状の波の模様が浮かび上がっていく。
見開かれた双眼がありのままの感情を剥き出した。

「“組織の部品じゃなくなった”アタシに……」

「……ッ!!」

言葉は、最後まで言わせてもらえなかった。
初めて見せる激昂の形相をして、ヘイゼルは容赦のない蹴りをスカーレルの腹に見舞う。
ぐしゃ、と腐木を砕いたような音。
足のつま先が鳩尾に突き刺さり、スカーレルは呻き声も出せないまま後ろへ吹っ飛んだ。

「────ぐぅっ!?」

「ふざっ、けるなっ……!!」

目を背けたくなるほどの血を撒き散らしながら、スカーレルは草原を転がる。
ようやく勢いが止まってもがき苦しむ彼の耳に、感情を絞り出したかのようなヘイゼルの声が届いた。

『何をのうのうと生きている』。
最初の時に口走ったあの言葉が、少女の偽らざる本音だったのだろう。

組織の部品でしかないスカーレルが、自分と同じ道具でしかなかった彼が、光の届く世界で生きていることが、ヘイゼルには許せなかった。
それは少女が心の奥底で抱く願望の裏返しだ。
落ちる所まで落ち汚れ切った筈の人間が、同胞であった自分と違う世界で生きるこの格差は何なのかと、子供のような癇癪を起し世界の理不尽を呪っている。

今思い出せばずっとそうだった。目の前の少女はいつでも強がっていた。
いつ死んだって構わないと虚勢を張り、自暴自棄な態度を振りかざし、しかしその実、「死」というものにずっと怯えていた。
自らに降りかかる死も、相手へもたらしてしまう死も。
少女は暗殺者として致命的な欠陥を抱えながら、今日まで生きてきたのだ。

人を殺す生き方しか知らない彼女はとっくのとうに諦念にまみれ、胸を占める虚しさと一緒に、唯一敷かれたレールの上を歩き続け。
分岐するレールなどはないと決め込み、素通りしてきた。

「お前にっ……貴方なんかにっ、私の何が……っ!!」

そこで、同じ軌条の上を歩いていた筈の人間が、ふと遠く離れた道を歩いているのを目にした時、彼女が思ったことは何だったのだろうか。
多くの人々に囲まれ、笑みを交わし合いながら光の先に向かう光景を目の当たりにして。
一人で影に沈む線路の上を歩いていた少女は、その心に何を抱いたのか。

「殺すっ……!」

「ぐっ、ぅ……っ!」

マフラーを引き上げ顔の下半分を覆い隠す。
逆立てた柳眉の下、様々な感情がない交ぜになった瞳でスカーレルを睨みつけながら、ヘイゼルは剣を横に閃かした。
スカーレルは震える腕を支えにして立ち上がろうとする。開いた距離を一縷の望みに、彼女を迎え撃とうと力を振り絞る。

(あぁ、死にたくないわ……。少なくとも、今は死ねない……ッ!)

今の居場所が好きになっている自分のためにも、迷子の子供のような目をしている少女のためにも。
過去の少ない時間を共有して情が移ったかのかもしれない。村を焼かれ、全てを諦めていた自分の境遇と重ねているのかもしれない。
ただ理由がどうであれ、もう自分は、あの少女を放っておくことはできない。
妹(ソノラ)に救われたあの時の自分のように。
嫉妬して、羨望して、自分は何も変われはしないなどと決め込んでいる視線の先の少女を、引っぱたいてやるまで。
死ねない。

「死ね、毒蛇ッ!」

ヘイゼルが紅い弾丸になる。
自分のもとへまっしぐらに駆けてくる少女を前に、スカーレルはその二本の足で立ち上がった。
すぐ側から頭をかき乱す目眩。これ以上血を失うのは危険と判断し、喉からせり上がる血を無理矢理飲み下し、猛毒と一緒に嚥下する。
既に手元には武器はない。蹴り飛ばされた拍子にどこかへいってしまった。
体のコンディションは最悪。取り巻く状況もまた絶望的。
それでも諦めなどという言葉は頭から吹き飛ばし、スカーレルは迫るヘイゼルを見据える。

刺し違えてでも、いや、肉を切らせてでも彼女をぶん殴る。
未だ組織の歯車となって回り続けている少女の目を、一発覚ましてやる。
双眼に灯るのは意志の光。
五メートルを切った間合いを前に、スカーレルは腰を沈めた。




次には、バリン、と。




横っ面の方からブッ飛んできたガラス瓶が、スカーレルの顔面に炸裂した。


「────は?」

「──────」


────オイ。
米神を強かに殴った衝撃に、スカーレルは首を半回転されながら、胸中でその一言を発した。
眼前で起きた光景に、ヘイゼルも突撃を中断し目を丸くさせる。素の声が漏れていた。
シリアスな空気を一瞬で粉々にしてみせた一投に、恒例の既視感を感じながらスカーレルは、首は依然回転させたまま視線だけを横に巡らせる。
果たして瓶が飛んできた方向には、気持ちよく腕を振り切った、ネコ科の召喚獣の姿が

────テコ、お前もか。

主人(?)を彷彿させる投擲態勢の姿に、此処いたらみんなが突っ込んでいただろう心の声を代弁する。
しっかり狸(パートナー)に毒されちゃってオネエサン嬉しいわぁ、とフフフフ笑いながらスカーレルは額に青筋を走らせる。
あんちきしょうめ、と盛大に少年を罵りながらスカーレルは怨嗟に満ちた。
すぐ目の前で固まっているヘイゼルを視界に、このぐでんぐでんになった空気をどうしてくれると、拳を握り締めプルプル震える。
──そして、気付いた。



「っ!? 『ラムルカムルの葉』?!」



体が、正常に機能する。
全身に力が戻った。

ヘイゼルの驚愕の声にスカーレルも全て悟った。
ガラス瓶に水と一緒に浸されていたのは『ラムルカムルの葉』。
あらゆる毒素を打ち消す最上級の特効解毒薬。
取り扱っている店は物の数ほどもなく、だからこそ冒険者やその手の堅気ではない者達が、高値にも関わらずこぞって確保しようとする稀少なアイテムだ。


「ミャミャーッ!」


更に、もう一発。
投じられた小瓶が今度は頭に命中し、中身がしたたる滴となってスカーレルの唇に届く。
強烈な芳香。舌を甘みで痺れさせ、倦怠感のはびこる体に直接染み込んでいくような。
『クロッツアの実』。
ラムルカルムの葉と並ぶレアアイテム。効能は、体力全快。100%果汁にされたそれがスカーレルを満たした。
麻薬を服用したかのような全能感。死にかけの体に活力が漲る。

道具の連続使用、テコの『ダブルアイテム』。
速攻性の致死毒の効果が、アイテムの相乗効果によって全身から洗われた。
光を取り戻したスカーレルの目、それがはっきりとヘイゼルの姿を射抜く。

「ちッ!?」

出し抜けの騒動に停止していたヘイゼルが短剣を突いた。
間抜けな失態に舌打ちをしながら、スカーレルへ毒刃を繰り出す。

「!!」

スカーレルはその一撃必殺に抜かりなく対応。
毒を食らうまでの俊敏さを蘇らせ、突き出された相手の右手に己の手の甲を当てる。
力を加えることで胸に進む一撃を体の外側へ追いやった。

彼はまだ止まらない。

あらかじめ決められていた行動をなぞるような速攻の動作で、右手を頭──後頭部にやり、そして髪を束ねるカンザシを一気に引き抜く。
金属製の飾りが分解され、菫色の一針があらわになった。
留められてあった長髪が背を流れ落ちるのと、鋭い細針が振り下ろされたのは、同時。


「────ッ!!」


極細の一線が、少女の手を捉えた。





「ぐっっ!?」

────暗器(かくしぶき)!!
鋭い痛覚にヘイゼルは呻く。
振り下ろされた針が貫いたのは、今まさにスカーレルへ短剣を放とうとしていたヘイゼルの左手。
残った剣での連撃を阻止される形で、菫の針が深々と皮膚に突き刺さっていた。
馬鹿っ、とヘイゼルは数秒前の自分を責める。
余りにも迂闊。相手は腐ってもあの“珊瑚の毒蛇”だ、保険の一つや二つ用意していて至当。

歯嚙みするヘイゼルは、しかしすぐに思考を切り換える。
所詮針ごときと、傷を無視して攻撃を続行させようとした。


「──────」


直後、目を一杯に見開いた。
カラン、と音を立てて、ナイフが地面に転がる。
長年愛用してきた少女の獲物が、細い指の隙間からするりと離れ、抜け落ちていった。
敵前で武器を手放すという暗殺者にあるまじき行動。
しかし、それはヘイゼルの意思に依る所ではない。

(から、だ、がっ……)

自由の利かなくなった肉体に、狼狽と混乱が神経を這いずり回る。
束の間の冷静さを手放し動転しかける脳は、此方を見据える蛇の瞳を認めたその瞬間、身に降りかかっている事態を悟った。

(ッッ、毒!?)

瞬く間に疑問を氷解させる。
組織を抜けそれまでの自分を捨てようとしたスカーレルが、唯一捨て切れなかった例外。
麻痺毒。
殺めるためではない、身を守るための毒。大切なものを守るための毒。
『珊瑚の毒蛇』ではなく、『優しい毒蛇』であろうとしたスカーレルの最後の“毒”。
それがヘイゼルの体に打ち込まれた。


「歯を、食い縛りなさい……ヘイゼル」

「────」


静かに耳朶へ吸い込まれた声に、ヘイゼルは顔を振り上げた。
かつての同胞が、自分に情けをかけた男が。
女のような長い髪を垂らし、双眸を一杯に吊り上げて。
まるで、妹(みうち)を叱りつけるような姉のように、大きく腕を振りかぶっている。

奥歯に仕込んでいる解毒剤の存在も、その瞬間は忘れたまま。
ヘイゼルは、実直に自分を見つめる目の前の瞳に、棒立ちとなった。



「妬む恨むの前に、まず自分の足で動き出しなさいッッ!!!」



強烈な平手打ちが、柔い頬を思い切り引っ叩いた。







「──────がっっ!!?」

豪快にヘイゼルが吹っ飛ぶ。
腰が乗り遠心力をもプラスされた一撃は、身動き取れない少女を容易く横合いに投げ飛ばした。
張手を振り切ったスカーレルは、少女の余りの体の軽さに、あの娘ちゃんとご飯食べているのかしら、と場違いなことを考える。

丘陵に叩きつけられたヘイゼルは、そこから動くことはなかった。
まだ痺れが消えないのか、放心したように身動きしない。

「ヤードっ……!」

全てをぶつけた少女からは視線を切って。
スカーレルは、未だ爆光が連鎖するヤードのもとへ身を馳せた。













「ぐっ、ぁ……」

どすっ、とヤードは両膝を地面に落とす。
ボロボロに焼け焦げた服から嫌な音を立てて煙が立ち昇っている。
爆撃をまともに喰らい続けた体があちこちで悲鳴を上げていた。

「余計な手間を……」

吐き捨てるように言ったツェリーヌがヤードを睨みつける。
彼女の周りには二匹の悪魔が取り巻いていた。派閥兵が呼び寄せた召喚獣だ。
召喚主からの指示のもと悪魔達はツェリーヌのサポートに向かい、彼女の細腕では追い払えなかったヤードを強引に引き剥がした。そこからは、彼女に絶対的有利な召喚術の打ち合いへと発展。
扱う召喚術に、そして召喚師としての能力。
この二つが劣るヤードは必然的に窮地へと陥っていた。

「ピィ!?」

「ペコ……!」

ヤードがユニット召喚した『ペコ』が悪魔達のスピアによって弾き飛ばされる。
悪魔達の攻撃を一手に引き受け主を守っていた召喚獣は、とうとう限界を迎えて元いた世界へと送還される。
足元に転がった球状の聖霊が光となって消えていくのを、ヤードはすり傷と火傷で汚れた顔を歪めながら見守った。

「愚かしい……それが貴方の末路ですか、ヤード・グレナーゼ」

「っ……!」

「夫は貴方の才を見出し情さえ恵んだというのに……それを自らの手で払い、あまつさえ刃向ってみせるなどと……理解できません」

軽蔑と非難の眼差しがヤードを穿つ。
派閥の構成員時代、オルドレイクの師事の傍らで自分達を優しく見守っていた瞳が、今は汚いものを見るかのように嫌悪に染まっている。
身寄りのいなかった自分が、彼女に母親としての温もりを感じていなかったと言えば、きっとそれは嘘になる。
自分から打ち壊してやった関係にも関わらず、こんな状況下でさえ、追憶に引きずられる形で胸が痛んでしまった。

「既にかける慈悲はありません。己の行いを恥じて、その身を亡者どもに捧げなさい」

冷酷な美貌を構え、ツェリーヌは宣言する。
左手が持った杖の柄先端、取り付けられている霊属性のサモナイト石があらゆるものを吸い寄せるような、おどろおどろしい光を断続的に発した。
細い声音で紡がれる詠唱が大気を冷やし、ヤードの耳を撫でる。背筋がぞっとする感覚とともに心臓が冷気によって軋んだ。
瞼の裏さえ貫く強烈な光が周囲を覆い込んだとか思えば、それは門を越え、現れた。


「『砂棺の王』」


巨大な体躯。
砂棺という名が指す通り、棺が丸々召喚獣と化したような外観。
実質的には、棺を彷彿させる鎧を着込んだ巨大な遺体と言った方が正しい。外気に晒される骨の腕と顔面が霊界の召喚獣としての属性をありありと示していた。
黄金色に輝く体と無数の死霊を従えるその姿は王と呼ばれるに相応しい。空洞となっている眼窩の奥で静謐に輝く光眼が、高圧的にヤードを射竦める。

「悠久の、秘宝王……!?」

震える声でヤードが砂棺の王の二つ名を呟く。
存在する力の隔たりに、全身から力が消失しかけた。
派閥の創始者の家系が一つ、セルボルト家の、門外不出の召喚術。

オルドレイクが以前に召喚した『パラ・ダリオ』の禍々しさと異なり、砂棺の王は一種の荘厳さに満ちていた。
見る者を取り込むような古美術的な美しさ。同じサプレスの天使とはまた違うベクトルの粋美。
古の一族の誇る秘伝は、他の召喚獣とは明らか一線を画した威容を宿している。

ヤードは喉を鳴らす。
かつての師であったオルドレイクにのみ託されたセルボルトの秘術が、自分の目の前に現界している。
Sランク──最上級召喚術にカテゴリされる砂棺の王を操る彼女自身もまた、鬼才の身であった。

「セルボルト家で代々受け継がれてきた秘術……正当な血を引く私にも、当然扱う資格は持ち合わせています」

オルドレイクの専売特許ではない、ツェリーヌはヤードに向かってそう告げる。
愕然とするヤードは悟ってしまう。博識を誇る彼の知識は、一つの答えを導き出してしまう。
自分はもう、どうあっても助からない。
復讐を基礎にして築かれていた意志が、音を立てて崩れていった。

「王よ、あの哀れな魂に永遠の救済を」

砂棺の王が動き出す。
両手に持つ牧杖(ヘカト)を胸元でクロスさせ、魔力が一点に集まっていく。周囲を飛ぶ死霊達が凍るような鳴き声を上げ始めた。
『霊王の裁き』。
強大無比のキャパシティをもって繰り出される純粋破壊の召喚術。放たれれば、敵を一瞬にして消し飛ばす絶対の魔力光。

思考が真っ白になる。
防げない。もとより、一介の召喚師が太刀打ちできる存在ですらない。
圧倒的な力の前にヤードの心がへし折れる。死界を統べる王の前に、召喚師としての本能が完全に屈してしまった。

(…………ぁぁ)

くだされる最期を目と鼻の先にしながら、何の感情も湧き上がってこない。
肉親を殺された時の身を裂くような怒りも、くすぶっていた怨讐も、生への未練も、何もかもその力の前で踏み潰されてしまった。

……すいません。

それは今日まで彼等を騙してきたことに対しての謝罪だ。
それは最後まで彼等の仲間になりきれなかったことへの謝罪だ。
同じ村の友に、今まで面倒を見てくれた海賊の兄妹に。
島の仲間達に、ちっぽけで無責任な遺言を残し、ヤードは光の渦に呑み込まれた。


「消えなさい」


極光。








浮遊感。

「────え?」

気が付くと、地面に投げ出されていた。
揺れる音。落下する体。
肩を叩く衝撃とともに土の上へ転がる。
頭が無重力に包まれるイメージ。ざざっという擦過音が耳を何度か撫でて、体の動きが完全に止まる。
最初に感覚がまだ生きていることに対する驚きが生まれ、次に皮膚を撫でる魔力の残滓を感じ取り、最後に、体へ覆い被さる温もりに気付いた。

「……ソノラさんっ!?」

「つぅ……!」

膨大な魔力の光によって、一時的に失っていった視力が回復する。
視界がクリアになるのと同時に、ヤードは目を見張った。
爪先から真っ黒に炭化し煙を上げるブーツ。服から覗くきめ細かな肌は赤く焼け爛れている。
あの光の砲撃からソノラが自分が守られたことは、明白だった。

「────この、馬鹿野郎がっ!!」

「っ!?」

呆然となりかける思考に衝撃が叩き込まれる。
強い力で襟を掴まれ引き寄せられたかと思えば、頬を思いっきり殴られた。
じんじんと痛みの響く頬を押さえながら振り向くと、目の前には顔を血と泥で汚したカイルがいた。
額が割れていて出血が酷い。顔が真っ赤な絵の具で塗りたくられている。

まさか、と思う。
越えてきたのか。あの敵の防衛線を。
凶悪な悪魔達で補われた分厚い壁に突っ込んで、無理矢理道を切り開き、こうまで血を流して……自分の命も顧みずに。
アティ達も、カイルとソノラだけが通れるほどの、僅かな穴を開けるために援護をして。
────自分を、助ける前に?
息を呑むヤードに構わず、カイルは再び襟を取って顔を引き寄せる。

「いつまで客人のつもりでいやがるんだ、てめえはっ!?」

「ぇ……あ」

「いまさら他人行儀なんかするんじゃねえ! 何度背中を預けたと思ってやがるっ! それとも、てめえ等の力にもならねえか、俺達は!?」

目の前で怒鳴り散らされる声に、がつんと頭を打たれる。
殴られた頬より遥かに強い衝撃がヤードの胸を揺さ振った。
歯を食い縛って立ち上がってきたソノラも、ヤードに迫る。

「何で相談してくれなかったのよ! あたし達、仲間じゃないの!? 今までやってきたことっ……ヤードも嘘だったなんて、そう言うのっ!?」

「……ソノラ、さん」

水滴を溜める瞳が真っ直ぐに訴えてきた。
友と認めた少女に手を払われたことのある彼女は、いっそ親に縋りつく子供のように感情をぶつけてくる。
それを見て、またヤードの胸が軋んだ。

「ヤードを責めないであげて、ソノラ」

「スカーレルっ……」

「その子はアタシの我儘に付き合わされただけなの。悪いのは、全部アタシ」

そっと声がかけられる。
いつの間にか、スカーレルもヤード達のもとに合流を果たしていた。
長い髪を腰に届かせた麗人の風貌の彼は、乾いた血で染まった口元を苦笑させる。

「ごめんなさいね、ヤード。損な役回りさせちゃって」

「っ……違う、スカーレル……! 私はっ、私の方こそっ……!」

「いいのよ、もう。自分を貶めるのは止めときなさい。どうせこの後、二人とも一杯叱られちゃうんだし」

冗談めかした台詞、しかしそれに反してスカーレルの顔は張り詰めたまま。
彼はヤードから目を離して言葉を継ぐ。

「……それにね、どっちにしたって、アタシは貴方にまた面倒を押し付けることになる」

肩を揺らし、ヤードはスカーレルの視線の後を追う。
発散されているのは強大な魔力だ。
前方、体から立ち昇る魔力を砂棺の王に充填させるツェリーヌが瞳に映った。

「どうやら今度も海賊に助けられたようですが……次はありません。まとめて吹き飛ばします」

未だリィンバウムに留まっている砂棺の王がゆらりと体の向きを変えた。
コォォ、と死霊の息吹が剥き出しになった歯から漏れていく。
此方を睥睨する両の眼に、ヤードはおろかカイルとソノラも顔を歪めその場に立ち尽くした。

「ヤード。発端を作ったアタシがこれを言うのは馬鹿げてると思う。でも、言うわね……アタシ達を助けて」

「!」

「あれはもう、アタシじゃ手に負えない。貴方がやるしかないわ」

本当に厄介事ばかり押し付けている、と自嘲するスカーレルはヤードと視線を合わせる。
どこか儚い雰囲気を纏うスカーレルは、申し訳なさそうに眉を下げた笑みをする。

「カイルとソノラを、助けてあげて」

無責任な言葉、とは思わなかった。
スカーレルの心情をそのまま表したように、ヤードには聞こえた。
持ち出した『剣』を餌に派閥をかく乱する手筈だった計画。最初からカイル達を利用して遂行させようとしていた、醜い復讐劇。
秘密を明かさず、自分達の私怨に巻き込んでしまった彼等に。
本当の意味で、今報いようと。

ヤードは瞠目しながらも、そのように受け取る。
そして恐らく、それは間違っていない。

「……『苦難を同じくした者には、敬意と友愛をもって接するべし』」

「……カイル一家の掟、ふたつめ、だね?」

突然、カイルが合いの手を入れる。
血を拭って粋な笑みを浮かべる彼の隣で、ソノラも頬を緩めた。

「ヤード、これが終わったら、美味い酒を飲み明かそうぜ」

「え……」

「二度とヤードが馬鹿なこと考えないようにさ、杯を交わすんだよ。あたし達はずっと一緒だっていう、仲間の証」

「────」

言葉と笑顔が、心の底へ届く。
一気にせり上がってきた感情の波に、ヤードは勢いよく顔を俯けた。

(あぁ、死にたくない……。死なせたく、ないっ……!)

復讐に目が眩み、心のどこかで価値のないものとして扱っていた自分の命を、今初めてここに留めておきたいと思った。
こんな自分を仲間だと言ってくれるこの人達を失いたくないと、何よりも望んだ。
死ねない。死ぬ訳にはいかない。
彼等に自分の家族と同じ末路を歩ませないためにも。
失うのは、もう沢山だ。

「────ミュミュ!?」

「! ……テコ?」

抑え切れない感情が溢れ出しそうになったその折、地面に落としていた視界へ変化が現れた。
大急ぎで駆けてきたテコが、ずてんっ、とヤードの足元で盛大にこける。
涙目になる彼の両手から転がり落ちたのは、鋭角的な刻印が打たれた紫紺の結晶。
それがサモナイト石だと認めるのに際して、ヤードは、はっと顔を上げた。

何重もの剣戟の音を響かせ、ウィルがウィゼルの猛攻を凌いでいる。
もはや構う余裕さえないのか、ヤード達の方を一顧だにもせず武器を振り続けていた。
彼もまた、自分より遥かに巨大な敵と必死になって戦っている。
このサモナイト石は、そんな少年がヤードに送った最後の手助けだ。

「……ッ!」

サモナイト石を拾い上げる。
背徳感と後悔で曇っていた瞳と心がはっきりと澄み渡り、今なすべきことが自分の中で固まった。
仲間と言ってもらえた。背中を後押ししてもらった。
歴然たる力の差があったとしても関係ない。ここで踏み止まった所で、一体何が残るというのか。
あの昔日の母を、今日、倒そう。
この場を乗り越えて、みんなでアティ達のもとへ、帰ろう。
カイル達を庇うように前へ進み出た。握り締められる鉱石がヤードの魔力に反応を示し、断続的に発光現象が起こる。

「カイルさん、ソノラさん、スカーレル……私に、命を預けてくれますか……?」

しっかりと前を見据え、背後にいるカイル達へそれだけ尋ねる。
顔の見えない彼等は、三人して笑いを呑み込んだような気配の後、間を開けず言った。


「「「任せた!!」」」


ヤードも笑う。
頬を一筋に薄く伝うのは、きっと、カイルが言っていた心の汗だ。
双眸を吊り上げる。
杖をサモナイト石と一緒に構え、距離を置いて立ち塞がっている相手の姿を正視した。
砂棺の王が厳かな挙止で牧杖を胸に構える。これまでにないヤードの魔力の放出にツェリーヌも顔を硬化させ、次には夥しい魔力を砂棺の王へ継ぎ込んだ。

互いの魔力が一帯の空間を飽和する。
遠く離れて戦うアティ、護人、帝国軍、そして派閥兵とイスラも一旦行動を止めて、その震源地を見やった。
陸を這い空を飛ぶ悪魔達が一斉に叫喚を上げ始める。

(後は、信じます……!)

未だ正体の知れない召喚獣を預けたウィルの判断を。
ヤードの揃えていたサモナイト石ではツェリーヌの術には歯が立たない。
ウィルの采配を、信じる。
サモナイト石から溢れ出す光粒が、自分以外のカイル達をも取り巻く状態に気付かないまま、ヤードは一気に魔力を解放させた。

「誓約に、答えよ!!」

紫紺の輝きがヤード達を包み込んだ。













「くっ────!?」

ツェリーヌは咄嗟に顔を法衣で覆った。
轟音を立て、また凄まじい速度で、「何か」が自分の横を駆け抜けていった。
一瞬の混乱が彼女を襲う。『霊王の裁き』を撃ち出す前にヤードが門を開いたかと思えば、その中から巨大な光の塊が、一直線にツェリーヌへ突っ込んできたからだ。
側で浮遊している悪魔達が言葉にならない啼き声を張り上げている。
喚び出されたと同時に、召喚獣が体当たりでもしてきたのか。

(っ! 居ない……!?)

法衣を顔から取り払った視線の先で、ヤード達はその姿を忽然と消していた。
驚くツェリーヌの前で、砂棺の王が後方を振り返って低く唸る。
彼女は反射的に王の動作を倣い、駆け抜けていった召喚獣をその目で追った。

「なっ……」






アティは瞳を見開く。

「う、うそ……」

目に飛び込んできた光景に、一瞬この場が戦場ということを忘れ呆けてしまった。

「おいっ、いつから召喚術は“あんなもの”を喚び出せるようになったんだ……っ!」

「し、知らないですよ!?」

アティの隣からアズリアが忌々しそうな声音で詰問する。
帝国軍海戦隊の部隊長である彼女は、怨敵を睨み付けるように“それ”を凝視した。
視界の大部分を占める巨大な影。
土砂を盛大に撒き上げ、地上を驀進するそのシルエットはまさに────

「か、海賊船!?」






「船ぇ!?」

ソノラが素っ頓狂な声を上げる。
アティ等が仰天する一方で、彼女達も等しく混乱に襲われていた。
ヤードの召喚術の光に包まれた瞬間、彼女達を取り囲む状況は“土の上”から“船の上”へとすっかり移転してしまっていたのだ。
腐乱して所々穴の空いた甲板、傷痕を残し折れかかっているマスト、半壊した鼠色の大砲群。
真っ当な船などではなく、あたかもお伽噺で出てくるような「幽霊船」そのもの。
怪しいきらめきを宿す紫の霧が、船全体を取り込んでいた。

「陸(おか)を走ってるの!? 船が?!」

「舵はどうなってやがる!?」

スカーレルとカイルの荒げた声に、我に返ったヤードは咄嗟に後部デッキを振り返った。
舵を操る操舵輪の前、ハンドルを握るのは海賊帽子をかぶり長い髭を生やした骸骨のアンデッド。
衣装に身を包む骸の男はヤードと目が合うと、パイプを咥えた口をニッと笑うように吊り上げた。

(……そうか!)

悟る。ウィルの真意を。
この幽霊船、召喚術を使えば、派閥兵と悪魔が形作るあの壁を突破できる。
カイル達の海賊船と同等の規模を誇るこの船ならば、進路上の敵の数が多かろうが関係ない。
その図体で、蹴散らすのみだ。

「ひえっ!? ゆ、幽霊?!」

船を操るその存在に気付いたソノラが悲鳴と一緒に飛び上がり、そしてそれを皮切りに、大勢のアンデッド達が空間から浮かび上がるように現れ始める。
カイルとスカーレルも顔を振って驚くのを他方に、甲板を、不死身の海賊達が埋め尽くした。

『オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

一度死を迎えた亡霊達が、歌うように雄叫びを上げた。
『海賊巻きヒゲ団』。多くの帝国軍海兵隊をてこずらせ、海を暴れ回った荒くれ者達。
この忘れられた島で骨を埋め、誇りを守るために怨霊と化していた海賊達は、『血染めの海賊旗』に宿る魂の残滓を媒介に再び蘇った。
生前を越える破天荒ぶりを振りかざし、海賊達が陸上の航路を取る。

「掴まっていてください!」

「う、おおおおおおおおおおおおっ!!?」

「荒っぽいわねえぇ!!」

「落ちるっ、落ちるーっ!?」

目前には暁の丘に隣接している森林。
ヤードは杖を水平に保ち、魔力の供給とともに舵輪を操る海賊頭に意思を叩きつける。
海賊頭──『ホーンテッド船長』は口端を歪めたままハンドルを一気に回した。
ひたすら直進していた船体が転舵、急激な旋回を行う。
船が分解すると錯覚させるほどの大きなブレ。魔力のフル出力による急ブレーキと強引な方向転換により、本来の巨大船ならばありえない旋回機動──最小限の円軌道を描き、僅か分秒で進路方向を逆転してみせた。

(これなら……!)

森林の端が船尾に巻き込まれ、木々の群れを豪快に薙ぎ倒す。
千切れ飛んだ幾多の樹木が空へ目がけて飛んだ。
轟音に次ぐ轟音。森を掠めた海賊船はそこから更に加速し、船首をアティ達のもとへ向ける。
ともすれば暴走の様相を見せつける船は、一向に止まらない。






「何と……」

船が大地を割りながら突き進む出鱈目な光景を、離れた位置から見るウィゼルは素直に驚嘆した。
召喚術と縁のないウィゼルにもその凄まじい魔力が肌で感じ取れる。
吹き荒れるマナの風が頬を叩き、着流しの裾がばさばさと煽られた。

(師のもとを離れようとも、弟子は弟子か……)

非凡によって見出された才もやはり非凡。
師(オルドレイク)と決別してもその才能は腐ることはなかった。むしろ、新しい境地の中でヤードは別の力を得たのかもしれない。
過去、派閥内で幼い面影を残しながらも既に才覚を発揮していたヤードの横顔を思い出し、ウィゼルはそっと目を細めた。

「ふぬっ!!」

「!」

ウィゼルが追憶に浸りかけたその一瞬をウィルは見逃さず、一挙に背を向け駆け出した。
武器を放り出し、ウィゼルのことなどもはや眼中にとめず船の予想進路に向かってひた走る。全力逃走だ。
少年の中ではこれが予定調和だったのか、迷いもなく全身を駆っていく。
見る見る内に距離が開けていった。

「……結局、頼み綱は他人か」

拍子抜けしたぞ小僧、とウィゼルは片目を瞑り、そして必殺を構えた。
腰が落ち、右手が鞘に収まった刀の柄に伸びる。
ウィゼルの周りの空間だけが呼吸を止めたかのように、静寂を纏う。

(敵に背を向けるとは……失望させてくれたな)

むしろ、その堂に入った逃走フォームが、少年の経てきた敵前逃亡回数を如実に物語っていた。
これまでの剣技や回避行動より遥かにキレのある動きだ。もはや次元が違う。

今も間合いが離れていく標的を、しかしウィゼルは視界の正中に捉えて離さない。
胸中でぼやく言葉とは裏腹に心は波風一つ立っていない。
刹那の極集中が引き起こす収縮された時間の中、心眼が示すままウィゼルは抜刀した。

「さらばだ」

居合い斬り・絶。
人の手によって生み出された神速のカマイタチが、大気を切り分け、飛んだ。



次の瞬間、不可視の斬撃は少年の足元を素通りした。



「──────」


跳んだ。
背後より迫る斬閃を、死角からの絶対攻撃を。
空中に跳躍することで、飛び越した。
完璧な回避。

「……馬鹿な」

心からこぼれ落ちた素の呟きが地面に転がる。
宙に踊らせていたその身は重力に引かれ着地し、そして何事もなかったように走行を再開させる。
瞠目する剣豪を置き去りにし、少年は、疾走を続けた。






「────死ぬかと思った! 死ぬかと思ったぁ!?」


悲鳴とともに爆走するウィルは、ずれ落ちかけた帽子を片手で押さえる。
瞳をかっ開き、どっと噴き出る汗にまみれる顔には余裕の欠片もない。
少年は今も続いている生の素晴らしさを噛み締めていた。

「そこの海賊船待ってーっ!? 僕を断頭台(ココ)から連れ出してーっ!?」

ウィルがウィゼルの居合いを回避できたのは、特に何もない、ただのヤマ勘だ。
より詳細を極めるなら、『過去』の経験に基づいた予測行動。
人を殺めようとしなかった「ウィゼル」の行動原理を踏まえ、彼が極限の切れ味を持つ居合いを、無防備な背を晒す相手に放つとしたら、それはどこか。
生命維持に関わる急所が密集する上半身が狙われるとは考えにくい、となれば、逃走を食い止めるためにも狙われるのは十中八九、下半身。特に両脚部。

この状況下においてウィゼルが取捨するだろう選択肢を厳選し、ウィルは最も可能性の高いそれに賭けたのだ。
斬撃の来るタイミングに限っては本当に当てずっぽうだ。背中に目がついている訳でもない、己の第六感だけを信じ、頭の警報が鳴る直前から地面を蹴った。
結果は、ドンピシャ。
思い描いていた通り、ウィゼルの斬撃はウィルの靴底一枚の所を過ぎ去り、刺身になる未来図を蹴り飛ばすことに成功した。

「ちっくしょーっ! もう二度とあのジジイとは戦わねええぇぇぇっ!!?」

命がいくらあっても足りない! と叫び散らす。
不確定な事象に頼らなければ、逃げ切ること自体も不可能だったという事実。
一か八かどころの話ではない。たった一度の回避を実践するだけでも九死に一生を得た気分だ。
己の全幸運値をこの瞬間で全て使い切った死活的感覚を覚えながら、「くっそおおおおおお!!」とウィルは嘆きに満ちた。

「ウィルッ! 手を!」

「うわぁあああああああっソノラさん大好きいいいいいいいいいいいいいいぃ!!!」

ウィルの絶叫を聞きつけたソノラが、船縁から身を乗り出して腕を伸ばす。
盛大に潤んだ瞳で告げられたいきなりの文句に、面食らった海賊少女の頬がぼっと染まった。

「『テコ』!」

「ミャー!!」

高速召喚で発動した「召喚・深淵の氷刃」が即席の踏み切り台を作り上げる。
氷の段差を足場にして、身長の二倍はある舷に向かって飛び上がった。
全力跳躍でも手すりに少し届かないウィルの手を、赤くなったソノラの指がぎゅっと絡め取る。

「んぐぐっ……!?」

重さと反動に耐えられず一度は沈むソノラの細腕だったが、横からにゅっと伸びた何本もの人骨の腕が、彼女とウィルの体を支える。
目を見開くソノラは、だがすぐに笑い、わらわらと群がる亡霊達と一緒に力を合わせた。

「っっ、せぇー……のっ!!」

『ドッセエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!』

「おうっ?!」

「ブミュ!?」

一本釣りの要領で、小さな体が甲板へと飛び込んだ。
救出。




「……退いてもらいます!」

船首が大地を切って進み、大量な土砂が宙に巻き上がる。
地面を抉るけたたましい爆音が間断なく響き渡っていく。

船が向かう先は戦域を二等分する敵の境界線、そのど真ん中。
そして、霊界の王を従える死霊の女王。
此方を睨み付けるツェリーヌと視線を絡め、ヤードは自身の魔力をサモナイト石に注ぎ込んだ。

「無駄な足掻きを……! 砂棺の王ッ!」

『オォォオォオオオォオオオォォオオオオオォオォ!!』

耳を塞ぎたくなるような残響伴った咆哮が空へ昇った。怯えた悪魔達がその声によって身動きを止めた。
砂棺の王の眼前に収束される魔力光が最大の規模を見せる。
今にも臨界を突破しそうな光の渦が大気にスパークした。砂棺の王の周囲を飛んでいた怨霊達が残らず吸い寄せられ、悲鳴とともにその力場に喰われていく。

「構いません、肉体ごとあの者達の魂を消し去りなさい!」

ツェリーヌの腕が突き出され、号令が飛ぶ。
船が射程距離内に入った瞬間、砂棺の王が両手の牧杖を振り上げた。
閃光が散る。

『フッ!!』

しかし、その真際、海賊頭が操舵を破棄し飛び上がる。
空を高く飛んだ巨大な影は船を通り越し、砂棺の王の直上、敵の真上へと躍り出た。
腰から抜かれた二本のサーベルが、上空に銀色の光を散りばめる。

『!?』

『カアァッ!!』

銀閃が二度瞬いた。
『ホーンデッド船長』を見上げる格好をしていた王の体に、×の軌跡が走り抜ける。
硬直する砂棺の王から、斬り裂かれた傷に沿ってマナの粒子が勢いよく噴出していく。
やがて光の破片となって散らばっていく砂棺の王を背に、ホーンテッド船長も影のようにその場から姿を消した。

「なっ!?」

砂棺の王の送還とともに消滅する光の渦。
Sランクに相当する召喚獣が破られた。ツェリーヌは愕然と立ち尽くす。

そして、そうしている間にも、幽霊船は突進を続ける。

進路上に一人取り残されたツェリーヌがはっと気付いた時には、もう遅い。
その巨体で押し潰さんと、土砂の波を従えた船体が彼女に覆い被さろうとしていた。

「──────ッッ!!?」






「「「「行けぇええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!!」」」」






あっという間に幽霊船はツェリーヌと二匹の悪魔の居た場所を一過し。



「げえっ!?」

「ま、待チナサイッ、コノ機動ハ……!?」

「我々全員、効果範囲内……駄目です、諦めましょう」

「馬鹿を申すなぁ!!?」

「貴様等の指揮体系はどうなっているううううううううううううううううううううううううううううううううっ!!」

「た、隊長ー!? ……って、ビジュー! 貴様ぁー!? 何故既に避難しているー!?」

「なるほど、人型に拘らなくてもこんな風に戦艦に見立てれば、それはそれで味が……」

『少尉殿、その冷静さは一体どこから……』

「ヤンチャさーん……まるまるさん、ぶーぶーさんに抱き着かれてるのですー……」

「お前、案外目ざといな……」

『ヌゥ……!』

「みんなぁー!? いいから早く逃げてくださーいっ!!?」

『無色のみんなも気を付けてねー』

『流石イスラさんっ!! 気付いた時にはもういなくなっているぅ!』

『イスラさん、マジパナイっす!』

『俺達置いてかれちゃったぜえええええええええええぇぇぇぇぇぇ!!』

『『『『『『『ぐ、ぐああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!?』』』』』』』



次の瞬間、敵味方もとろも、吹っ飛んだ。


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