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No.3907の一覧
[0] 然もないと [さもない](2010/05/22 20:06)
[1] 2話[さもない](2009/08/13 15:28)
[2] 3話[さもない](2009/01/30 21:51)
[3] サブシナリオ[さもない](2009/01/31 08:22)
[4] 4話[さもない](2009/02/13 09:01)
[5] 5話(上)[さもない](2009/02/21 16:05)
[6] 5話(下)[さもない](2008/11/21 19:13)
[7] 6話(上)[さもない](2008/11/11 17:35)
[8] サブシナリオ2[さもない](2009/02/19 10:18)
[9] 6話(下)[さもない](2008/10/19 00:38)
[10] 7話(上)[さもない](2009/02/13 13:02)
[11] 7話(下)[さもない](2008/11/11 23:25)
[12] サブシナリオ3[さもない](2008/11/03 11:55)
[13] 8話(上)[さもない](2009/04/24 20:14)
[14] 8話(中)[さもない](2008/11/22 11:28)
[15] 8話(中 その2)[さもない](2009/01/30 13:11)
[16] 8話(下)[さもない](2009/03/08 20:56)
[17] サブシナリオ4[さもない](2009/02/21 18:44)
[18] 9話(上)[さもない](2009/02/28 10:48)
[19] 9話(下)[さもない](2009/02/28 07:51)
[20] サブシナリオ5[さもない](2009/03/08 21:17)
[21] サブシナリオ6[さもない](2009/04/25 07:38)
[22] 10話(上)[さもない](2009/04/25 07:13)
[23] 10話(中)[さもない](2009/07/26 20:57)
[24] 10話(下)[さもない](2009/10/08 09:45)
[25] サブシナリオ7[さもない](2009/08/13 17:54)
[26] 11話[さもない](2009/10/02 14:58)
[27] サブシナリオ8[さもない](2010/06/04 20:00)
[28] サブシナリオ9[さもない](2010/06/04 21:20)
[30] 12話[さもない](2010/07/15 07:39)
[31] サブシナリオ10[さもない](2010/07/17 10:10)
[32] 13話(上)[さもない](2010/10/06 22:05)
[33] 13話(中)[さもない](2011/01/25 18:35)
[34] 13話(下)[さもない](2011/02/12 07:12)
[35] 14話[さもない](2011/02/12 07:11)
[36] サブシナリオ11[さもない](2011/03/27 19:27)
[37] 未完[さもない](2012/04/04 21:58)
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[3907] 12話
Name: さもない◆5e3b2ec4 ID:5419e509 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/07/15 07:39
(すっげえっ……!)

スバルは瞠目する。自分の目の先が行く遥か前方の光景に。
此方には背だけを向け、跳ぶように駆けて交戦の軌跡を引き連れる少年の姿に、己の居る場所は戦場だということを忘れ立ち尽くす。
呼吸をすることさえ意識の彼方に置き、彼はその光景に見入った。

日は西へと食い込み空は赤らみ始めている。
底に朱を帯びている薄雲が見下ろす所、夕暮れの墓標と名付けられた過去の戦いの激戦地は、鬨の声とともに戦端が押し開かれていた。
帝国軍の開戦宣言を受け付けアティ達がこの地へ赴き既に半刻。今度の戦いで終幕を引く心算の帝国軍は、その気焔を留ませることを知らない。
剣戟の火花が狂ったようにあちこちで咲き誇る。玉砕も半ば覚悟するその姿勢は肌を震わす激声へと繋がり、辺り一帯に木霊した。
島の住人達も同じように勇み応戦するその光景は、正に決戦風景だ。

そんな過剰な戦意を纏う戦士達がしのぎを削る中で、その小さな影は一切の遅れを取らない。
仲間達の間で僅かに生じる間隙を埋めるように敵を迎撃し、またある時は神速の召喚術で自陣の攻勢を援護する。躍動に富む動きではなく敏捷に特化した緑風のような流動は、この場で誰よりも疾く動いているとそんな錯覚をもたらす。
一歩離れた位置で味方を支え守る様はまるで黒衣そのものだ。広い視野をもって補助に徹することで、少年の力添えを受ける誰もが自身の本領を遺憾なく発揮してみせている。
敵には譲らせないと。少年は影で仲間の背を押し、そして守り抜いていた。

(……!)

全身は震え、喉が鳴る。
スバルの経る実戦はこの戦いを入れて二度目。先の戦闘は場の勢いに呑まれ大した働きは出来なかったが、白熱の空気に慣れた今はもう醜態を演じる要素はない。手も動けば足も動く。視界も広がり戦場の流れを把握することが出来る。
そしてだからこそ、解る。少年の水際立った動きが。
自分より少し年長でしかない兄貴分は、臆することなく戦場を駆け回り、己より一回りも巨大な敵と渡り合ってみせている。
視線の向く活況に、知れず体の奥が熱くなった。

「……へへっ」

「ヤンチャさん、どうしたのですか?」

込み上げてくる熱気を放任し、スバルは笑みを漏らした。
戦場に焦がれる。何かが殻を破ってスバルの意志を望むべく場所へ駆り出させる。
無意識の内に鼓舞させられた全身から湧き上がってくる疼き。恐れを感じる所の理性は頭の隅に追いやられ、少年の本質たる本能が剥き出しになった。
体の中を流れる鬼の血がそうさせるのか、口元に活き活きとした笑みを作ってスバルは斧を担ぎ直す。
側で不思議そうに此方を見ているマルルゥを仰ぎ、笑みのまま叫んだ。

「マルルゥ、オイラの足を引っ張るなよ!」

「もうっ何を言ってるのですかっ、マルルゥはヤンチャさんの足にしがみついたりなんかしませんっ!」

「言ってねぇよそんなことっ!?」

「それに、マルルゥはヤンチャさんに構ってあげられるほどお暇じゃないのです!」

「お前後で覚えてろよっ!」

抜けた発言をする妖精に突っ込みを入れつつ、スバルは斧を振り上げ、少年────ウィルの駆ける戦場へ飛び込んだ。


「召鬼・落雷っ!!」









然もないと  十二話 「黄昏、来たりて────そして伝説へ────」








「キュウマ、次あそこ」

「心得ました!」

「ミャミャー!」

入り組んだ道をことごとく踏破していく。
キュウマを先頭にして俺とテコは決して足場のよろしくない道上を走り抜けていた。

戦闘開始直後一旦集団戦となった開けた戦地を抜けると、俺達を迎えたのは高低差の激しい白石覗く廃墟跡。
ここ、夕暮れの墓標は勾配のある丘の上に築かれている。苔が侵食する石畳に半ば折れた石柱、死に絶えたかつては建築物だったであろう残骸は室内と野外の境界が曖昧になっていた。
神殿を彷彿させる造りはその威容をもって侵入者を阻む。破損した石柱や回廊はそのまま障害物となり待ち伏せに適し、段差の多い地形条件は攻める側としては戦い難いことこの上ない。

セオリー通り高台にて待ち構える帝国軍は、俺達の頭上から弓と銃、召喚術で息もつかせない遠距離攻撃を敢行してきた。展開される前衛組ともやり合わなければならない都合上、ノーリスクかつ打ち放題に行われる射撃は非常に厄介と言える。
ソノラやアルディラに応戦してもらっているが、いかんせんここでも物陰となった障害物が彼女達の反撃を容易くは通さない。もはや敵後衛にしてみれば、状況は城壁に立てこもり行う籠城戦と大して相違はないだろう。
故に「以前」と全く同じよう、ちょっとした迷路となっている建物内の構造路を使うことにした。
俺とキュウマはこっそりこそこそ混戦模様となった戦線から一時離脱、墓標内のルートは熟知済みの俺がナビの役割を果たし、今度は此方が物陰を利用して帝国軍に肉薄をかける。


「はい、どーん」

「ハァアアアアアアアアアアアッッ!!」


とどのつまり、奇襲である。


「!!?」

「ちょ、ぎゃああああああああああっ!?」

隠密から一気に現れた俺達に、弓や銃を撃ちまくっていた帝国兵達は一斉に面食らった。
俺の放った苦無が相手の武器を打ち抜きキュウマの刀が一瞬で二人ほど斬り殺す。
なおも動揺を伝播させる帝国軍へ問答無用に切りかかる忍者を脇に、俺は高速召喚術を執行。
キュウマの手の届かない位置にある小隊向かって、反撃の余地与えず「ライザー」を召喚した。

「ビッグボスプレス」

『────────────おまっ』

圧砕。
巨大化したボールハンマーに潰される名もなき帝国軍兵士達。
蒼白な顔で上方を仰ぎ、口を合わせて何か呟いたような気がしたが、何も聞こえなーい。
ずがんっと爆音量が墓標内に満ち満ちる。

「合図です!」

「しゃあっ!!」

「待ちくたびれちゃったわよ!」

「お先~!」

その爆音を機にアティさんの号令。召喚師組が「メモリーデスク」「石細工の土台」を次々と喚び出し、即席の台座を作る。それらを足場にすることによりカイル達は自力で届くことのなかった高台に取りつき乗り越え、進出を果たした。
カイルやスカーレルが獣のように先陣を切って周囲の敵へと踊りかかる。その後に随伴してきたソノラは嬉々とした顔で高台の一角を陣取り、ここぞとばかりに下方で依然たむろしている帝国の前衛に逆襲を始めた。一連の動きに呆気にとられていた兵達に銃弾の雨が無慈悲に注がれる。連続する絶叫。
残りのみんなも越えてきてそのまま高台を占拠、攻守形勢をそっくりそのまま引っくり返した。

『……行クゾ!』

「お願いします!」

アティさん達少数精鋭は更に上を目指す。進む所はアズリア構える本陣だ。
空から偵察したフレイズ経由から寄せられたことになっている抜け道へ進路をとって、足を休めることなく前進する。
他のみんなもそれぞれの仕事を実行。風の刃が唸りを上げたかと思うと、立て続け野獣の遠吠えが残響を引いて空気を振動させる。
残りの部隊を掃討せんと散開し展開する仲間達の後ろ姿を見て、やはり頼もし過ぎると密かに思った。

「────旗色もう悪くなってる、しっ!」

「!!」

「ミュッ!?」

真上。
自分のものと重なる人型の影に、テコを抱えその場を跳ぶ。
間髪入れず胴体があった場所を、肩から腰を袈裟に両断する軌道で剣が通過した。

「ダメじゃんウィル、躱しちゃあ!」

「死ぬわボケ」

「ミュミュウ……!」

上から振ってきた黒猫娘に不平。
土を踏み締めすかさず跳び付いてくるイスラに、抜剣、刀身と刀身をぶつけ合う。

「ウィル!」

「先行って!」

刺客の存在にキュウマが目の色変えるが、この場は任せろと声を張り上げる。
踏ん切りつかなそうにする忍者だったが、目力込めて見据えると此方の意向を汲んでくれたのか、一つの頷きとともにその場を後にする。
「以前」にその親身さが欲しかったとお門違いな思いを抱きつつ、眼前の相手に集中する。

「さてっ、言いたいことは多々あるんだけど────お話聞かせて?」

「……お前が言うと洒落にならん」

目を尖らせ凄みを利かせるイスラに、今は戦闘中ということを忘れ逃げ腰になってしまいそうになる。歯を覗かせたその笑みに目くじらを盛大に痙攣させ──次には意識を切り替えた。
剣の凌ぎ合いを進行させる最中、柄を強く握り、そして相手と同時に剣を弾き返す。
加速する。

「シッ!」

「っ!」

剣閃が二度瞬き。刃と刃が擦過。
触れ合い身を切削する銀塊同士が、裂けんばかりの金切り声を空に突き上げた。

「教師生徒の間柄で、何やってるのかなぁ君達はッ!!?」

「何をやっているのかと聞かれれば、主に僕の命(ライフ)が一方的に削られているとしか言いようがない」

「嘘つくならもっとマシな嘘ついて欲しいんだけどっ!」

「僕はお前の目の前でクノンから胃の処方箋もらった筈だけどな」

「……ちくしょおー!!」

アティさんに泣きつかれた日の翌朝、憔悴し切った顔で薬を受け取る俺の姿を思い出したのか、イスラは少女にあるまじき言葉を発声する。俺は俺で取りあえず顕然たる事実だけは伝えておいた。
そんなくだらない口論する間にも、互いの体は動きを止めない。それどころか一層の速さを伴って激しい攻防を繰り広げる。
顔面目がけ振り下ろされる縦断を相殺、滑るように真横から薙がれる斬撃を相殺、烈風を纏って突き出される刺突を相殺。
相殺、相殺、相殺、相殺、相殺。
手に持つ剣で、目まぐるしい敵の連撃を打ち落とし、相殺する。


『────ッッ!!』


ギアが更に上がる。
銀と銀のかち合う音の数が異常なまでに膨れ上がり、鼓膜がその音色一色に染まっていく。
大気を走る弧は周囲を埋め尽くし、軌跡の余韻消え去らない内に次手の弧が即座に伸びていった。
容赦も妥協も介さない剣撃の応酬が形成される。

「……あはっ、あっはははははははははははははっ!! やれるやれるっ、ウィル、全然やれるよ!」

「……ちッ!」

「見直したよっ、小手先だけじゃないんだね!」

────バトルジャンキーがっ。
やはりお前も姉(アレ)と同じ穴の貉か、と眉を歪ませ心の内で呟く。
此方が今どれだけ全力を振り絞ってるのか分かっているのかいないのか、イスラは嬉しそうに歓呼する。ともすれば嘲りや挑発とも取れるその言葉、しかし生憎返事する余裕がない。
今や自分(ウィル)の身体をフル行使だ。喋る暇はとうに無くなった。
反応は出来る、機先を制されることはない。けれど肝心な肉体が苦痛に喘ぎ、くぐもった悲鳴をこぼしていた。

「どこまで一緒に踊れるのかな!?」

地面を踏むなだらかかつ鋭いステップの後を追う。
都合四の足が絡み合い、踏み固められた地盤から舞う土煙。薄い埃の膜は夕日を浴びて黄金(こがね)色にきらめきながら場を彩った。
周囲と隔たる二人だけの別世界、剣舞は続行されていく。

身体の能力から考えて結構な瀬戸際まで追い込まれている現況、攻勢には決して出れないが……けれど、防ぐことは出来る。
迎え撃つ此方側としてはこうして手数で押してくるタイプの方がまだ楽だ。これにあと少しでも力が加わるようならもうお手上げ、ガチでの戦闘は避けざるを得ない。
ある意味、非力ともいえるこの少女の一面に救われていることになる。
ゴリ押しが自分(ウィル)にとって一番厄介。まぁ、ぶっちゃけってしまえば……アレとの相性は最悪ということである。
とかく、この娘っ子とはまだ均衡状態を保てた。

「いいね、このままずっと続けていたいよ!」

「むり……っ!」

本気なのか冗談なのか察せない文句を並べながらイスラは剣を振るう。
もう一段階剣が鋭さを増し、流石に内心で汗をかかざる得なくなった。
強がらずキュウマに力を貸してもらえばよかったと、遅まきながら後悔し出す。

「……でも、残念。悠長してる暇もないんだ」

と、そこで小さく呟かれた言葉。ふっと透いた笑みが眼前で浮かぶ。
その少女の言葉の向かう所に対し、俺は反射的に目を細めた。
やがて、イスラは細い笑みの滲む口端を、くっ、と冷たく吊り上げ嗜虐的な三日月を作りあげる。

「決めたよ」

「!!」

剣速がまた上がった。
それまで十分急いていた早瀬を突き抜けるかのような噴流の一閃に、咄嗟に反応して、かろうじて剣を打ちつけ迎撃する。
火花と一緒につんざく高音響。

「時間もないし────」

防がれた刃を返して、右袈裟から高速の斬撃が繰り出される。
視界の隅から迫ってくる銀の一撃を、俺は横に体を倒すことで回避経路を確保した。剣が体から一歩離れた所で走っていく。
そして、イスラは嗤う。


「────ここで“一旦”殺すね?」


「────」

剣が、跳ねる。
突如姿を現した鮮烈な殺気。俺の首に喰らいつこうと顎を鋭く開口させた。
凶刃がそれまでの進路からほぼ直角に曲がり、閃く。
刀身が夕日を浴び、紅色に輝いた。時が止まる。


「────頂き」


瞬間。
軌道上へ、手に隠し持つ研ぎ澄まされたサモナイト鉱石を滑り込ませ、その銀閃を流し払った。

「!!?」

「疾ッ!」

回るようにして凶撃を往なし、そのままカウンターへと動作を繋げる。
衝撃で離れた間合いに構わず左足を地に打ち込み、そこを軸に独楽のように回転。
風を巻き込みながら回し蹴りを放った。踵が向かう先は敵顔面。
頭上に剣を流され片腕のみを万歳させたイスラは素の驚愕をあらわにし、そして顔を焦りで染めながらも上半身を反った回避行動を取る。
僅差で俺の足は届かない。

「悶えろ!」

「ミャアアアッッ!!」

「!? んなっ────ぶぎゅっ?!」

が、俺の服の影に隠れていたテコの間を置かない追撃が、奴の腹に炸裂した。
これ以上のないタイミングで突き刺さったロケット頭突き。最大の隙を見込んで放たれた超突は、いたいけな少女としては致命的な、頓狂な声を成果に上げる。
目を限界までかっ開き奇声とともに後方へ吹っ飛ぶそんなイスラを、更に追い打ち。
防御にも利用した、手中の獣のサモナイト石を媒介に召喚術を発動させる。

「闘・ナックルキティ」

切り札にして十八番、最強である闘猫が全身で風を切る。
召喚光から矢のように飛び出してきた「ナックルキティ」が、疾走体勢そのまま、秘められし黄金の右を思い切り振りかぶった。
背へ一杯に溜められた必殺の拳、GT・マグニャムが、一条の光となって射出。
一直線を音速で走った拳砲が、現在進行形で宙を滑空しているイスラに着弾する。

「────────に゛ゃか゛っ」

粉砕。
よく解らない呻き声らしきものを残し、イスラのいた場所近辺が爆光に包まれた。

地鳴りにも似た爆発の残響がきぃぃんと周囲に伝播していく。発生する風圧と粉塵から腕で顔を庇い、ほどなくして晴れる前方の景色を見る。
視界の中央には綺麗に形成されたクレーター。
人一人は楽に入りそうな円形の穴を、ぱらぱらと空から降ってくる砕け散った小石が縁取っていく。

拳を振り切った姿勢で夕日の向こうにたたずむ超漢気な闘猫は、くるりと反転し此方と正対、グローブに包まれた拳と尻尾をパタパタと振ってくる。
嬉しそうに笑みを浮かべている彼(彼女?)に「お疲れーす」と礼を告げ、テコと一緒にぺこりと頭を下げた後に還ってもらった。
もくもくと煙が上がる墓標内。やがてクレーターの中からぷるぷる震える手が顔を出し、がっと地上に指をかける。にゅっと出現する上半身。

「…………ちょ、ちょっと……っ!?」

「……そこは死んどけよ」

「ミャミャー……」

曲がりなりにも全力を込めた一連のコンボ、予想は出来ていたとはいえ、戦闘不能になっていないその様に口をへの字にしてしまう。完璧な不意を突いたテコも短い手で頭をさすっていた。
円状の窪みから這い出てきたイスラは、煙を発散させ多少黒コゲになりながら地上で両手両足をつく。
「げふっ、ごふぉっ……!?」と腹を押さえ噎せながら、キッと顔を上げて涙目で叫んだ。

「馬鹿ぁあああああああっ!! 容赦してよっ、この鬼ぃ、悪魔ぁっ、狸いいぃっ!!?」

「お前が言うな」

むしろ僕に言う権利がある、と憮然とした顔で口にする。
この場で撃破出来たら、と一縷の望みを抱いて貴重な魔力を割いてみたが、やはり骨折り損だったようだ。やれやれである。
決して今まで嘗めさせられた辛酸を返済しようとした訳ではない。ないったらない。

「しかもっ……何よ、あれっ?! アティもそうだけどっ、反応する、普通!?」

「僕の反射神経なめんなよ」

高速召喚とこれだけが、この未成熟な体になっても未だ健在である数少ない武器だ。俺の唯一の取柄といってもいい。
正確には反射速度も「レックス」のものと比べて落ちてしまっているのだろうが、勝負所では否応なく機能してくれる。

「ったく……! 何が、私に消されるのが怖い、よっ。全然余裕じゃない……!」

よほど悔しかったのか、イスラは威嚇するかのように歯を剥き出しにして悪態を散らしている。
流石にダメージはあるようで、よろっとぐらつきながらゆっくり立ち上がった。
膨大な魔力を強引に流し込み、体に溜まるツケを無視する少女の姿に、俺は目を細めて言ってやる。

「イスラが全力を出してれば、僕は今立っちゃいないよ」

「……」

沈黙。


「……私は、全力だよ」


“お前自身”はな。

「…………」

「…………」

しばしの無言を共有。
どちらも装うポーカーフェイスがお互いを見つめ合った。
夕日に照らされる雲が、誰にも気取られないように立ち位置を変えていく。

「……潮時、かな?」

呟かれた言葉に同調するように、外の戦況が動く。
いまだ戦線を保つ帝国軍陣営だったが、ゆっくりと、しかし確実にカイル達に呑み込まれつつあった。拮抗しているのはアズリア率いる本陣くらいのものだ。
この場より更に上った付近を横目で窺い、視線を前に戻す。

「行くよ。此処にいても、もう意味ないし」

「……」

「じゃあね、ウィル」

前髪で瞳を隠し、口元には淡い笑みを浮かべながら、イスラは俺の前から姿を消した。
あっさりと、それこそ我が家へ帰宅する子供のように、別れの言葉を添えて。
最後に置いてかれた言葉の真意を探ろうとして、しかし、すぐに止めた。
無駄な思惟にしかならないとそう結論づける。今更な感傷は不要だ。

究極的、「剣」を持つイスラの行動は誰にも阻めない。

仮に、過去の段階で抜剣したアティさんをけしかけたとしても、「剣」の扱いにはイスラの方が一日の長がある筈、本当に止められたかと聞かれれば答えは窮する。
アティさんとイスラでは恐らく心構えからして違う。アティさんが守るためではなく自発的に襲い掛かった所で、イスラに返り討ちにあうのは予想に難しくない。そもそもあの人は無抵抗な人間を──無抵抗を装う人間さえも──襲うことなど出来ないだろう。

だから、『奴等』との合流を止められないのは予定調和。無理に防ごうとして取り返しのつかない被害をもらったら目も当てられない。
確かに思う所はある、けれど黙って見過ごす方が吉だ。
いずれぶち当たる問題を先延ばししているに過ぎないが、それでも今回だけは機を避けるべき。
連戦模様の中「暴君」が現れるという最悪な事態は、絶対に。

「…………」

一人取り残された場で少しの間立ち通し、そして短く吐息。
何もかもリセットするように肺を空にし、新たな空気を入れ替える。
イスラも居なくなり、既に敵も退けているこの場は合戦の最後尾。俺以外に人影はおらず、動きやすい環境は出来あがっている。誰にも察知されないまま隠匿行動に移り易い。
そうした意味合いも兼ねて此処に居座り、単独イスラを迎え撃つような真似をとった訳だが……あいつを退却させるために浪費した体力もろもろを考えると、果たして良い判断だったのか微妙な所ではある。

「フミュ?」

「……うん、行こうか」

テコの鳴き声に促され、顔を上げる。
日は既に西寄り、水平線の彼方に沈みつつあった。広がっている海の水面が燦爛と輝いている。吹きつけてくる風はどこか生温い。
みんなの陣形とアズリア達帝国軍の位置をもう一度確認し、最後に、黄昏を迎える空を睨みつける。

覚えている、この方角。

血の色のように燃える夕日を一頻り見据え。
俺はその場を後にした。













「ああああああああッ!」

「っっ!!」

ギィン、と剣と杖がぶつかり合う音が盛大に散る。
縦一文字に奔った剛剣が横に構えられた杖の柄に食い込んだ。
常人では考えられない瞬発力から見舞われたアズリアの一撃が、防御を貫通してアティに衝撃を与える。

「決着をっ、つけてやるっ……!!」

「ぐっ、ぅぅ……!」

アズリアは込める膂力を緩めない。十字を描く互いの得物の均衡を崩そうと、両手に持つ剣へ全体重をかける。
逆に両足で踏ん張るアティの顔は苦痛に歪む。軋みをあげる杖が、彼女の顔の方へ徐々に押し込まれていった。

アズリアを中心に形成される帝国軍本陣。
ファルゼンを中心とした突破力を有する島の住人勢が、事実上帝国軍最後の砦であるギャレオ達近衛兵に激突している。
両勢力が全力で争い抗う陣中。間断なく響き渡る戦音を背景に、アティとアズリアは大将同士の一騎打ちに臨んでいた。


「……!!」

激しい鍔迫り合い。純粋な力比べである今の状況では、近接戦を主とするアズリアの絶対的優位は動かない。ゆっくりと天秤が彼女のもとへ傾いていく。
目前に迫る刃に、アティは眉を崩し、一度瞼を閉鎖。
何かを溜めるように歯を食い縛り、次の瞬間勢いよくその蒼眼を開け、続く言霊を強い気勢とともに発した。

「マナよ、力を紡げ! 誓約を為し導を作れ!」

「!?」

呪文詠唱。距離が一切離れていないにも関わらず準備される召喚術に、アズリアは目を剥く。
アティのやろうとしていることに気付いた彼女は顔色を変え、絶対阻止せんとあらん限りの力を己の剣に注ぎ込んだ。
杖は悲鳴を上げながらも、ぎりぎりの一線を踏み止まる。平行して柄の先端に取り付けられたサモナイト石が発光。喚起される力を解き放とうと、紫紺の輝きを放出し始めた。

「っ……このッ!!」

「づぅっ……届け、求めっ……! 地を祓う暴光を、我が望む場所へ!」

繰り出された膝頭がアティの脇腹を抉るが、しかし詠唱は途切れない。
魔力がアティの体から吹き上がる。至近距離からびりびりと肌を震わすその魔力放出に、アズリアは息を呑み、やがて何かの覚悟を決めたかのように眼光を募らせる。
転瞬。上体を引き、顎を上げ、そして乗り出す態勢で自分の頭部をアティに振り下ろした。

「っ!?」

間近に急迫する光景にアティは一瞬目を見開き、しかし次には、瞳を意志の光に固めアズリアの動きを倣う。
詠唱は破棄しないまま、向かってくる知己の額へ、自分のものも突っ込ませた。

どごっっ、と。

両者ほぼ同じタイミングで見舞った、渾身のヘッドバッド。
帝国の片田舎、村随一の強度を誇った石頭が、同じく筋金入りの石頭を真っ向から受け止める。
発生する衝撃に、漆の髪がざわと揺れ、白帽が赤髪から舞い落ちた。
斜に構えられた瞳、蒼と黒、二つの視線が文字通り眼前で交差。
聞けば誰もが顔を蒼褪めさせる痛烈な鈍重音の後────アズリアの頭がぶれ、せり負けた。



「────っっ、出でよ、雷撃の魔精ッッ!!」



唱える。
体のバランスを崩したアズリアに畳みかけるように、アティは最後の撃鉄を韻に変え吠えた。
アティとアズリアの間隙、僅かしか生じていない空間に羽を持つ召喚獣が現れる。
ゲタゲタと声を上げる「タケシー」は、召喚師の魔力を受け最大出力の雷を正面に押し放った。

轟雷。

上級召喚術である極大の紫電が、アズリアの全身を焼き貫いた。
目も眩む放電現象が辺り一帯に巻き起こり、墓標内が紫紺の輝きに覆い尽される。
アズリアは後方へと吹き飛ばされ、続いて遅れてきた爆音が大気を引き裂いた。

地面に打ちつけられ土砂を削り、なお後退を余儀なくされる。
彼女の体が止まる頃にはタケシーも消え、束の間の静寂が場を支配した。

「…………ッ!!」

アズリアは起き上がり、剣を再び構え直し────そしてすぐ経たないうちに、頭を垂れた。
彼女の見渡せる位置で立っている自軍の影は、アズリア自身を除けばたった二つ。
息を切らしているギャレオに、似たような状態で投具をかざしているビジュ。他の兵士達は地に沈んでいる。
全てを賭して踏み切った総力戦。勝負の行き着く所は既に明らか。
今ここで体を回復しアズリア一人で奮闘しても、もはや意味はなかった。

「我々の、負けだ……」

「……アズリア」

剣を手から滑り落とし、俯いたまま静かに宣言する。
彼女のもとに近付き寄ったアティは、ぼろぼろに傷付いた過去の戦友に眉を下げる。
地に下った剣が、カラン、と乾いた音を鳴らした

「ッ……隊、長……!!」

「……ちっ、くしょうがぁあああああっ!!」

創痍しているギャレオとビジュの絞り出した叫びが飛んでいく。
ギャレオは糸が切れたように片膝を地面につき、ビジュは己が持つ投具を思い切り足元に叩きつけた。
空に浮かぶ赤い夕陽が、黙って彼等を傍観する。

「結局、お前には負け越しのままか……」

「…………」

自嘲するように口を曲げるアズリアはアティを見る。アティは眉を沈めたままその言葉に答えない。
学生時代の情景に思いを馳せていたようなアズリアは、それまでの表情を引き払い、厳格な軍人の顔となって口を開く。

「勝者の責務を果たせ、アティ」

「……」

「お前には、全てを終わらせる役目が「私は、間違っても命を奪うことはしませんよ」…………」

みなまで言わせず言葉を遮るアティ。
ある程度は予想していたのかアズリアは動じることなく、柳眉を逆立てて食ってかかろうとした。

「お前はそうやって、いつもっ「何と言われようと、生きてもらいます!」……っ!」

再び言葉を被せる。

「私に全てを終わらせる役目があるっていうなら、貴方達に命令出来る権利があるっていうなら、言います、生きてください。……命を捨てる覚悟なんて放り出して、生きてくださいっ!!」

いつの日か「諦めない」と声高らかにしたように、いやもっと大きく、強く、叫んだ。

「……っ」

「誰かの命を奪うことで迎える決着なんて、私は絶対に認めません。誰も、そんな結末なんか望んでない」

「アティ、お前は私達にっ……!」

「生き恥、なんて言うのはなしです」

先回りされた文句に、アズリアは目を見張る。

「生きることが恥ずかしいなんて、ただの弱虫です。軍人の誇りは、そんなものなんかじゃない」

「……!」

「私にその誇りを教えてくれた人は、戦う術を持たない人達に代わって暴力に立ち向かうことが、本当の軍人の誇りなんだって、そう言ってました」

「…………」

静寂が訪れる。
風が止み、遠くの海から凪の音が打ち寄せられた。

「………………もう、好きにしろ」

敵わん、と疲れたようにこぼし、アズリアは笑みを作る。
片腕をそっと抱き、ゆっくり上空を仰いだ。

「アズリア……!」

「どうせ何を言っても無駄なのだろう。それに、我々は負けたんだ。……ああ、煮るなり焼くなりするのはお前等の勝手だ」

「隊長……」

「……すまない、ギャレオ、ビジュ。私は……」

「い、いえっ! 自分は、自分はっ……っ!」

「……けっ。勝手に殺されることになるより、百倍マシだっつうの」

「ビジュッ、貴様、隊長に向かって……!」

「うっせーよ、ゴリラ」

謝罪をするアズリアだったが、いがみ合うギャレオ達の姿に苦笑を作った。
側で瞳を湿らせるアティと顔を見合わせ、いつの日かと同じように、笑い合う。

終戦の雰囲気に、遠巻きのカイル達は帝国軍兵士達に手を貸し始めた。ぼろぼろになった彼等も素直に施しを受け、一人、また一人と立ち上がっていく。抵抗する者はいない。
長らく続いた野営生活や帰還の問題、規格外過ぎる交戦相手もろもろ含めた将来の不安に、帝国軍の心身は彼等自身が思っている以上にピークへ達していた。張り詰めていた糸は既に切れてしまっている。
これ以上の戦闘を望む者はこの場には誰もいなかった。



「ダメだよ、お姉ちゃん」



その、たった一人を除いて。

「イスラ……」

「最後まで戦わなきゃ。そんなくだらない綺麗事に丸みこまれちゃ、レヴィノスの家の名折れだよ?」

場にそぐわない、目を弓なりにした笑みを浮かべながら、イスラは姉に言う。
触れられたくない急所とも言える箇所を突いてくる指摘に、アズリアは顔を顰める。

「大体さ、現実も見ていないお人好しの言うことを聞く必要なんて、これっぽっちもないんだよ。そんな上辺だけの笑顔に騙されてちゃ、馬鹿をみることになる」

「ばっ……?!」

「んだと……?」

笑みを維持しつつ、少女は侮蔑を込めた眼差しをアティへと流し目で送る。
余りの言い草にソノラやカイルが反応する一方、アティは顎を引いて瞳を強く保ち、その視線を受け止めた。
イスラは彼等に構わず歌うように続けた。

「斬って、殴って、刺して、奪って。戦って戦って、殺し合わなきゃ。最後の一人になるまで、足元を真っ赤な血の色で固めるまで、ずっと」

「…………」

「お姉ちゃんの覚悟って、そういうものじゃなかったの?」

「……それ、は」

「ふふっ、これじゃあ、ただの戦争ごっこだよ?」

クスクスと幼い子供のような笑声が響いていく。
口に手を添え、たおやかな淑女のように、可憐な少女のように、無邪気に笑い嗤った。
鈴のよう声音が、夕焼け色に染まる墓標を満たしていく。
今まで苦楽をともにしてきた少女のどこか異質な雰囲気に、帝国軍の兵達は困惑と薄ら寒い感情を等しくした。

「イ、 イスラさん……?」

「……ベス、待て。なんか、やべえ……」

「……っ、イスラッ、発言を慎め!!」

「……」

傷を負う兵達が浮き足立ち、ギャレオの怒声が飛ぶ。ビジュは当惑顔で押し黙っていた。
少女の背に昇る夕日が逆光を作り上げる。
表情は陰に埋もれ隠れていき、地に潜む影が、静かにその身の丈を伸ばしていく。

「それとも、情にほだされちゃったの? お姉ちゃんはもう、その人に毒されちゃったのかな?」

「……だったら、どうだというのだ? 勝敗を決した、これ以上の戦闘はもう無意味だ。必要以上の流れる血を止めることが出来るなら、それもまた軍人の負う所だ」

「詭弁だよ。今のお姉ちゃん達を擁護するためだけの都合のいい解釈だ」

「ならば、ここから玉砕しろとでも言うのか?」

「そっちの方が私の好みかな?」

もはや実姉への嘲弄を伏せることせず露出させる。
イスラは指を絡めた両手を背に回し、たったっと後ろにステップを踏んだ。

「……無茶を言うな。もう我々には戦う力など……」

「お姉ちゃん達には、ね。……でもさ、ほら、着いたみたいだよ」

聞こえない? と茜の光に霞むイスラは、恐らく笑みを作って、問いかけてくる。
怪訝そうな顔をしたアズリアだったが、イスラの背のする所、丘の彼方に浮かび上がる光景を見て口を噤んで硬直する。程なくして耳に届くのは軍靴を踏み散らす幾つもの音。
遠目でもはっきりと分かる、アズリアの部隊に匹敵する規模の徒党が、紅色の夕差しの向こうから固まってやって来た。

「なっ……!?」

「本当はもっとお姉ちゃん達に頑張って欲しかったんだけど……上手くいかないもんだね」

アズリア達をアティ達の力を削ぐ捨て駒にしていたことを暗に告げながら、イスラは面白そうに肩を揺すった。
同じくして戦意を喪失させていた帝国軍にも動揺が走る。援軍だとするならば、この状況は一変することになる。このままアティ達の降服を受け入れる必要はない。
だが、肌を焦がすような嫌な何かが、彼の部隊を援軍だと鵜呑みにすることを良しとしなかった。

「…………」

一方、本当に来た、とアティは心中で呟く。
ウィルの警告を聞いていた彼女は意識を途切らせることなく、今向かってくる謎の軍団に神経を集中させた。
今回の戦闘自体、作戦を提案してきたウィルの意向により、第二戦三戦を視野に入れた上での戦術展開となっている。だからこそ、先程までの帝国軍戦は多少の被害には目を瞑り早期決着をしてみせた。
心構えはとうに出来ている。カイル達もまた、前もって伝えられていたので、そこまで驚いた様子なく戦闘姿勢を継続させていた。

「……アズリア。あれは、帝国の援軍ですか?」

「い、いや……私は、聞いていない……」

イスラの様子からして、彼女自身はあの軍団の存在は知っていた。しかし部隊の隊長であるアズリアは知らなかった。
帝国軍による援軍の線は薄いとアティはいよいよ判断する。下降していた士気の問題を考えるならば、イスラが事前に援軍の情報をアズリア達へ知らせなかったのはまるで解せない。「敵を騙すなら味方から」などという方便は、現状から解るように明らかな失策に値する。もはや意図してこのような漁夫の利を掠め取る図式を作ったとしか、アティには考えられなかった。
残るは最後の可能性。つまり、第三勢力。
アティは視線を逸らさないまま、喉を静かに転がした。

逆光をとる影の集団は止まらない。
等間隔を崩さず足一つ乱すことしないまま、一種の威圧を纏いながら確実にアティ達との距離を詰めていった。
闇のような薄暗い兵装群は何も語ろうとはせず。重複する闊歩が忘れられた島を蹂躙していく。

帝国軍は動けない。
カイル達の緊迫感は高まっていく。
肩を並べるアティとアズリアは必死に目を凝らし正体を見極めようとする。
知れず離れた地点に身を移したイスラの目は愉快げに細まっていた。
空が、黄昏にまた一歩近付いた。




『あー、あぁーーっ…………テステス、マイクのテスト中。えー、聞こえますかぁー?』




そして、場違いな言葉の羅列もとい機械による拡声音が響き渡ったのは、そんな折だった。


「「「「「「「「「「「「「「…………………………」」」」」」」」」」」」」」

『聞こえますねー? 先、続けまーす』


聞き覚えあり過ぎる声に、アティ達はそれまでの緊張の面差しを消失させ、一様に声の出所へ視線を向ける。
見れば、アティ達のいる場より小高い丘陵地点、ロレイラル製の拡声器を片手に持つ少年の姿があった。
「貸した覚えはないんだけど……」と茶髪の機婦人が遠い目をしながら呟きを漏らす。

一体何をやっている、と現在の状況を忘れ心を一つにするカイル他。アティはアティで酷く脱力し、ちょっと…、と警告を促した張本人へ非難がましい半目を送っている。
アズリア含めた帝国軍は神妙な顔。イスラはまたもや何か予兆を臭わせる不穏な空気に、一人調子乗っていた先程までの態度を翻し、びくっと震えながら顔を怯えに凍結させた。
黒の軍団だけが、ザッザッと足音合わせて規律正しい行進を止めようとしない。


『えー、我が物顔でずんずん歩いてるそこの帝国の援軍と思しき部隊(仮)に告げます。この土地は私有地です。即刻無様に引き返して島からアホの子のように出ていって下さい。存在が迷惑です』


撤退勧告。
澄まし顔で告げられる少年の台詞に、味方勢もこの時ばかりは呆れの表情を作る。曰く、聞く筈がないと。
無論彼等が思ったように、黒の軍団の進行は止まらない。


『えー、これは最終警告です。これ以上の進行は侵略行為とみなし仮借のない攻撃を加えます。繰り返します、これ以上の進行は(略。これは脅しではありません。至ってマジです』


攻撃、という言葉に一瞬止まりかけた軍団だったが、すぐ何事もなかったように歩みを再開させる。
進行は止まらない。


『あっ、そう。来んのね? 来ちゃうわけね? もう警告はしたかんね? 後悔すんなよー?』


進行は、止まらない。


『じゃあ───打ち方、用意』


次の瞬間。
丘陵の後方、勾配の死角から列挙し現れる────大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲大砲。
沢山の、大砲。



『!!!?』



進行が、止まった。


「「「「「「「「「「「「「「はぁっ!!?」」」」」」」」」」」」」」

『──────────────────』

「な゛っ────」


敵味方第三勢力関係なく渦巻くカオス。
突如出現した無骨に黒光りする大砲群に、アティ達は目をこれ以上ないくらいに開眼しながら叫び声を上げ。
過去、とある精密砲撃により素で死にかけた帝国軍は、記憶のフラッシュバックとともに全顔面を蒼白通り越した真っ白色にさせ。
イスラは、目に映る光景を許容することが出来ず。
最後に、砲口を一身に受ける黒の軍団は、逆光にも関わらず容易に察せられるほどの狼狽をこれ見よがしにあらわにした。


「召喚」


続いて、その増幅器を介さない少年の生の声が、やけに場へ響き渡った。
秒を待たず次に出現したのは、黒鉄。ついこの間まで少年の側に控えていた護衛獣の姿だった。
しかし、記憶のものと遠く及ばないその形状に、アティ達は己の目を疑う。

ダークブルーの追加装甲板は分厚く、ゴツく、機兵本来の原型を留めていない。
両肩両脚、体の大部分を占領するコンテナからは、数え切れないミサイルのシーカー部分が突き出している。
両手に装着されるのは余りに太すぎる奇環砲(ガトリング)×2。
背中から伸びるキャノン砲らしきクソ長い砲身は、もはやただの冗談にしか見えなかった。

明らか積載量オーバーした、酷いウェポンの数々ひっさげる超機兵の超外観は、機界ロレイラルを荒廃に追いやった一つの象徴である。
追加装甲に半分埋もれた頭部。対の瞳が爛々と鋭い光を放っていた。

「アルディラ様、あれは……」

「う、嘘……。あの子、本気なの……?」

非常に沈痛そうな顔で苦言らしき響きを言葉に乗せるクノン。
その機兵が生み出す無限の可能性を誰よりも知る、ていうか禍根の原因であるアルディラは、目に見えて恐れをなした。
黒の軍団はとっくに使命を忘れ引けた腰、戦慄とともに今にも踵を返す寸前である。


「準備」

『イエス、マスター』


ラトリクスの火薬庫が起動する。
ブォオオオオオオオオッッ!! と馬の嘶きにも似た、しかし音量の規模はケタ違いな雄叫びが、背部に懸架されているブラックエンジンから轟き渡る。
連動して下腿部に動きがあったかと思えば、薬莢が炸裂、勢いよく板状のアンカーが地面に打ち込まれた。ドゴンッ、と裂音を従えてがっしりずっしり大地に食い込む対反動支柱。
あたかも生命を吹き込まれたように武器から稼働音が次々と上がり、キュインキュインと微細かつ繊細な調整動作が行われた。


「……ソノラ、まさか、大砲無くなってたのって……」

「か、数は合わないってっ?! ぁ、あんな多くはない筈でしょうっ!?」

「ハハハハなら話は簡単です紛失した数を除けば残りのアレは脅しのためのブラフ即ちただのハリボテに過ぎないということですフフまた狸のシャイな悪戯に騙される所でしたねハハハハハッ」

「ジャキーニの船に残ってたヤツと合わせれば、ぴったりじゃねえか……?」

「「「…………………」」」

「あの、すいません……。この光景、すごい既視感があるんですけど……」

「「「「……………………………………」」」」


遡ること今となっては大昔。島に漂流したばかりの当時の記憶と、現在における目の前の光景が合致する。
少年の荒唐無稽さを真っ先に目の当たりにしたアティとカイル一家は────最初の犠牲者である彼女達は、差し迫る事態に条件反射で顔から色という色を抜け落とした。

俄かに騒がしくなる黒い集団後方。この異常状態にようやく気付いたのか、しかし、遅い。
もはや「破滅の引き金(ヴァルハラ)」は少年の手の中にある。今動き出しても、射程範囲内に誘き出されたしまった時点で、既に、遅過ぎるのだ。

丘の向こう。西日と真逆の方位の一角。
離れていてもはっきりと視認出来る、清々しい、本当にこの上ないくらいの、清らかな笑み。
黄金の光に濡れた満面過ぎる笑みを、謎の集団(仮)に傾注する少年は、そして、のたまった。





「くたばれ」





虐殺が、始まった。















「がっははははははっ! 撃てえ! 撃って撃って撃ちまくるんじゃあぁっ!!」

「「「「「「「「「「へい、船長!!」」」」」」」」」」

「ちょ、あんさーんっ!?」

連発する。
軽い平面を描く丘陵の頂上地点、十三門にも及ぶ大砲が火を吹いて吹いて吹いて吹きまくる。
大弾丸の発射とともに排出される色濃い黒煙が、個性溢れる火薬の臭いと一緒に夕暮れの墓標に散布された。

炸裂する砲弾。土の砕け散る音響。舞い上がっていく爆風。泡食って逃げ惑う、まるで蟻のような黒装束達。
一目で手練と分かる切れのある俊敏な動きも、着弾の規模がでか過ぎる砲弾の前ではただの小細工でしかなく。
地を這うしかない蟻は、悲鳴を連れだって爆炎の中に消えていった。

「あ、あんさんっ、もうちょっと遠慮ちゅうもんをっ!?」

「ウィルの小僧は遠慮するなと言っちょったじゃろうがっ! 侵略者どもからワシ等の畑を守るんじゃあー!!」

「「「「「「「「「「へい、船長!!」」」」」」」」」」

「そ、そやかてっ、これはっ……!?」

オウキーニの視界、広がるのは阿鼻叫喚の地獄絵図だ。人が紙屑のように吹き飛んでいく。
木霊するのは惨たらしい絶叫。「ぐぁああああっ!?」やら「ぎょええええっ?!」やら断末魔とそう変わらない喚声が飛び散り空に昇っていった。
また一人、奇天烈なポーズを取りながら一人の兵士が宙を飛んだ。

「オウキーニ! お前もぼさっとしてないでさっさと撃たんかいっ!」

「む、無理やー!? うちには無理やぁああーーーっ?!」

「「「「「「「「「「副船長ーっ!?」」」」」」」」」」

そうこうしている内にも砲弾は飛び交い、もの言わなくなった屍は量産されていく。
以前からウィルに「海の漢の華麗な大砲捌きを教えて欲しい」とせがまれていたジャキーニ一家は、尊敬の眼差しで嘘臭く目をきらきら光らせる子分見習いにいいとこ見せようと、大砲の整備と予行練習を日々怠っていなかった。
練習バレてカイルやらマルルゥに折檻されるのもざらだったが、上手いように担がされ誘導させられた彼等の頑張りは、本日満を持して実ったことになる。
パナシェの証言をもって怪しい奴等がこの島に上陸しているとウィルに囁かれたジャキーニは、ただ撃ちまくってくれればいいの言葉通りに無駄に上がった砲撃スキルを駆使していった。

「どうじゃウィル! ワシら海の漢の大砲捌きは!?」

「最高です、オヤビン」

「フハハハハハハハハッ、もっと誉めろーっ!!」

誰が加害者で誰が被害者か。
犠牲者ばかりが増えていく。
赤髪で鳶色の目をした海賊頭は、ここぞとばかりに有頂天になった。

「正義はわし等にありいいいいぃっ!」





『ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!』

咆哮する。
円筒型の機関銃が激回転し夥しい弾幕を展開、先の尖った誘導弾は肩から脚から至る所からシュボシュボ音を立て次々と射出。
地面を抉る弾丸の雨は間欠泉のように土を上方に巻き上げ、リィンバウムでは決して再現出来ない鋼の爆弾はあちこちでけたたましい花火を咲かせる。多弾頭ミサイルのお花畑である。
背から長く伸びるバスターライフルは、怪しい召喚術を準備していた一団に向かい光の柱をお見舞いした。
世界が輝いた後、二本の足で立つ人影はそこには存在しない。

「────────あ゛」

「!!?!?」

「なっ、ちょ、なぁあっ?!」

「うぉおおおおおおぁああああああああああああッ!!!?」

膨大な戦塵が巻き起こり大混乱する戦場に、ヴァルゼルドは引き続きその絶大火力を降り注ぐ。
敬愛すべき主人に一言告げられた「根絶やし」の指令を遂行させようと、鉄機は目標の撃滅を着々と進めていった。

ジャキーニ達大砲の次弾装填時間をフォローするための、チャージタイム抜きによる全弾発射。
詰め込まれた弾薬が尽きるまで無限ループする不断の火線は、破壊の二文字を留めること知らない。

(最優先目標……事前情報に合致する敵影……無し)

スコープにより投影される内部画面。片っ端からマルチロックオンが進んでいく中で、独立した菱形のレティクルがモニター内を目まぐるしく動き回る。
────胡散臭いロン毛眼鏡がいたらそいつを殺れ。真っ先に殺れ。
少年が念入りを押した対象の姿は、残念ながらヴァルゼルドの視界情報の中では捉えられない。
いたしかたなく目標の殲滅を破棄、他の優先目標に矛先を変える。

率先して狙うのは遠距離でも反撃可能な召喚師に、この状況下においても無謀と肉薄をかけてくる刺客だ。
自機を含めジャキーニ砲撃部隊も近付かれたらそこで終わり。近接武器の装備はもとより四肢は碌に振れず、間合いを失ってしまえば抵抗らしい抵抗も出来ないままやられてしまう。
今のヴァルゼルドは、遠方の闇を切り裂くことの出来る、しかし足元には光を及ばせられない灯台に等しかった。
敵戦力を掃討するためにも、接近だけは許してはならない。

『……!』

なす術なく倒れていく敵集団の中で、豹のような一段と素早い機動で此方に迫って来る敵影を確認。
ヴァルゼルドの“勘”が告げる。あれは、危険だと。
二又に割れる長いマフラーを後方にたなびかせるその影に、ヴァルゼルドは両手の銃口を差し向け一斉射撃を実行した。
地面すれすれを疾走する低姿勢の赤い影は左右に跳びながら乱射される鉛玉を尽く往なしてみせる。
寒気すら覚える圧巻の身のこなしだったが、しかしヴァルゼルドも譲らない。執拗について回る速射弾の群れは命中こそかなわないが赤の影の進撃を完璧に止めていた。

とある融機人に徹底調整された火力管制は冴え渡っている。手術台らしきものに寝かされドリルやら何やらで頭をいじくられたことが懐かしい。
デュアルセンサ────目元の辺りにグッと何か熱いものが込み上げてくるのを錯覚しながら、ヴァルゼルドはそれを振り切るようガトリング砲をフルスロットルさせた。

V2.A.B(ヴァルゼルドセカンド・アサルトバスター)。
それが機婦人に名付けられた、今の彼の名称(暫定)だった。





「ちっ……!」

ヘイゼルは舌打ちをする。
逸れた弾丸が地面に炸裂。飛沫をあげ視界で散ってくる土くれに目を細め、絶えず体を動かし続ける。
普段マフラーに隠れている物憂げな表情が今は歪み切り苦渋の色を呈していた。
完璧な不意打ちと言える敵の砲撃行為に晒され自分の部隊はとうに瓦解。もうなり振り構わずこの凶悪な砲撃を阻止しようと前に出てみれば、意味の解らない鉄の塊に理不尽ともいえる連続射撃を叩き込まれている。二重の意味で意味が解らない。

しかもこの射撃、今まで遭遇したどんな狙撃手よりも狙いが巧妙過ぎる。腹を割ってしまうと、正直冷や汗が止まらない。
軽捷に秀でた自分や組織の仲間でさえこのざまだ、雇い主の正規軍などもう目も当てられない状態だろう。
組織の中でも取りわけ任務を機械的にこなすヘイゼルではあったが、この時ばかりは彼女の心も嵐の起こった海のように危機感で荒立っていた。

「────っっ!?」

ロレイラルでいうミサイルが、ヘイゼルのすぐ側で着弾。
爆風で体が綿毛のように吹き飛んだ。
衝撃。世界が回る。
地面にごろごろと転がるヘイゼルは無意識に受け身を取りつつ勢いを制止、ちかちかと光る瞳に吐き気を覚え、そしてすぐさまそこから飛び退く。
ガガガガガガッッ! と酷い音を立てて凶弾が先程までいた地面をハチの巣にした。
少女の顔から初めて血の気が引く。

「……なん、だってっ……!」

闇の世界を生き抜いてきたヘイゼルの直感が告げる。
この島は、これまで迎えてきたいかなる危地よりも、殊更に奇天烈だと。


「何だってっ、言うのよっ!?」















「…………」

無言で放たれた不可視の斬撃は、迫りくる砲弾を瞬きする暇なく二つに切り分けた。
斬られたことを自覚しないその黒鉛色の球形は、斬撃を繰り出した人物の左右脇に逸れてからようやく斬殺されたことを悟り、地面に転がった瞬間を境に粉微塵と散る。
腰を僅かに落とした構えを解く剣士、着物を纏う老人は、片目を瞑って髭の蓄えられた口を浅く動かした。

「手荒い歓迎だな……」

「ば、馬鹿な……!?」

老人────ウィゼルが呟く隣で、白い法衣で全身を包んだツェリーヌが驚駭の声を漏らす。
発生する砂塵と運ばれてくる濃密な硝煙の香りに対し、袖で顔を隠す彼女は常日頃の落ち着いた物腰と反して軽い錯乱に陥っていた。
見る者が見れば目を見紛うだろう彼女の姿を、ウィゼルは変わらぬ顔付きで一瞥し、再び刀の柄頭に手を添える。

「下がれ、ツェリーヌ。邪魔だ」

「っ……! この場を私に一任したあの方の顔に、泥を塗れとそう言うのですか!?」

「此処でお前に出来ることなど何もない」

激昂するツェリーヌに構わずウィゼルを淡々と語る。
軍団の後方に位置するウィゼル達のもとですら苛烈な砲撃の範囲内。夕暮れの空にアーチを描く数多の砲弾とミサイルが、羽を伸ばして突っ込んできていた。
構築されてしまったこの戦場に安全地帯という例外は存在しない。

「そのようなことっ……!」

「はっきりと口にしなければ分からないお前ではないだろう」

撃ち放たれる火砲は、召喚師の詠唱はもとより術発動の足掛かりである精神集中すら許しはしなかった。
結界一つ張ろうにも見計らったかのように砲撃が迫り魔力制御を行わせない。召喚師達はランダムで撃ち滅ぼされる前衛の兵達より、明らかな悪意という名の殺意をもって優先され狙われていた。

ツェリーヌもまた真っ先に奇襲の対象とされ、それ以後、術の執行の糸口を掴ませてもらえない口だ。
集中力を乱した召喚師ほど不安定な存在はない。召喚術の暴発はそのまま味方に大打撃を与え、術者自身も有り余る危機に晒されてしてしまう。
高度な技術を有するツェリーヌ率いる召喚師一派だったが、一度失った平静はこの状況下で取り戻せるものではなく。
明鏡止水の心など数分前に置き忘れてきた過去のものだ。精神を鎮めることは荒ぶる砲声と火力の前では不可能。死の気配が常に首元をくすぐっている。
それはまるで獣のふさふさとした尾先で、こちょこちょとおちょくられているかのようなふざけた感覚にも似ていた。

「俺でも召喚師(おまえら)全員の面倒は見切れん」

寡黙の剣客が口にする言葉の通り。ツェリーヌは己の体を焼く無力感に唇を噛む。
そしてその言葉の側から、爆音、煙を突き破って吹き飛んでくる召喚師が一人。
びくっ! とツェリーヌは瞠目。余す所なく嫌な黒色に焦げたボディが、ぴくぴく痙攣しながら彼女の足元に転がった。

「はっ、はがっ……!?」

「……!!」

「奴の面目をこれ以上潰されたくないというのなら、早く退け」

「くっ……!」

翻る法衣をウィゼルは横目で見送り、視線を前に戻さないまま抜刀、接近してきた砲弾を両断する。
ツェリーヌの飛んだ指示から召喚師組が戦線を下げていく光景の傍ら、老人は砲弾の解体という全く無味の作業に没した。

「…………」

爆撃の音が乱発されるかつてない戦場。絶叫は途切れることを知らない。
偶然を装いこれ以上のない時宜で召喚師を狙い澄ます殺り方。無作為と思わせる殲滅戦の中に潜む明確な意志に、ウィゼルは片目を瞑ったまま砲撃もとを見据えた。





「あのジジイ、やっぱ化物だ……」

砲弾真っ二つってどういうことだよ、とウィルは細くした目に呆れと畏怖を込めながら呟きをこぼす。
ジャキーニと愉快な子分達に囲まれながら大砲を取り扱う元凶もとい小狸は、尋常ではない居合いの切れ味を思い出してぶるっと体を震わせた。
「過去」で見事に胴をチョンパされた感覚が脳裏に蘇っていく。「剣」がなかったら今頃は土の中で一生惰眠を貪っていたかもしれない。
今の小さな体にはある筈もない古傷がずきりと痛んだよう気がした。

(しかし、本当にいねえでやんの)

嫌な懐古を振り払い戦場を冷静に見渡しながら、標的である敵の頭がいないことにウィルは思わず舌打ち。
呑気に船の中にでもいるのか、悠然と登場する機会でも待っているのか。恐らく世界中でも屈指であろう召喚師の姿はどこにも見えなかった。
息の根を止めれずとも致命傷を負わせれば敵の完全撤退は見込める筈だったのだが、どうもそう上手くことは運べないらしい。
背を向けて逃げ惑う召喚師達に弾をドカドカ命中させるのと平行して、ウィルは眉を顰めた。

「むっ、下がるか……」

ジャキーニ達による手当たり次第の砲弾幕と異なりピンポイントで召喚師を狙っていたウィルは、すぐにその動きに気付く。
敵召喚師達が付き合いきれるかと言うように持ち場を放棄していそいそと下がっていた。

妥当、というより当然の判断ではある。むざむざ全滅を甘受する道理もない。
大砲およびヴァルゼルドの射程距離から脱出すればこれ以上の被害は免れることが可能だ。
単純に元来た道を可及的速やかに引き返せばいいだけの話である。
だが、

「そりゃ悪手だろ、蟻んコ」

そこは陥穽だ。
召喚光。手中で輝くサモナイト石が遥か天空に巨大な光球を構築する。
光の門を越えてやってきたのは────体長何十メートルにも及ぶ、赤銅色の翼竜。
対の翼を羽ばたかせ余りに大き過ぎるその巨身を空へ留める異形は、ぎょろりと金色の瞳で大地に散らばる矮小な影々を俯瞰した。

幻獣界メイトルパを代表する召喚獣「ワイヴァーン」。
高度な知能を持つ龍に至っていないとはいえ、歴とした、竜種。
呼吸を根こそぎ奪う存在感と全身を粟立たせる威圧感は決して意識の外に放置出来るものではない。
夕焼けの丘に戦慄が走り抜ける。



「ガトリングフレア」



にべもない。
あっさり投げられた死刑宣告。砲群地帯に最も近く、また幼少時代に鍛えられた視力によってただ一人ウィルの口の動きを察したマフラー暗殺者が、銃撃されていることも忘れ表情を絶望に染める。瞬時、世界トップクラスの勢いで戦場からあさっての方向へ離脱を開始した。
そして上空、影を見下ろすだけだった金色の瞳にはっきりとした意志が灯り、そして竜の口内は赤熱。牙の間から陽炎を作り出す火気が溢れていく。
次の瞬間、灼熱の塊が一発と言わず何十発と大地に向かって轟発された。

「……俺、来世があったら、真人間になって働くんだ」

「ああ、エルゴに誓うぜ。自分の手で周りの人達をこれ以上ないくらいに幸せにしてやる……」

「俺も」

「俺も」

「俺も……」

迫りくる火球の群れに、意思を折られ正気を失ったズタボロの兵士達がイイ笑みを浮かべて最期の言葉を言い残す。
死を悟ったそんな彼等に、しかし火球は一切の容赦をしなかった。地表に落ちる赤い光の光景は一思いに兵士達の輪郭を塗り潰し、光滅。
爆裂し爆砕する大火球に、揺れる大地。白い閃光に霞むのは漢達の笑みだった。
晴々した笑みを浮かべた兵士達が、直撃する火球に包まれ次々と地上から姿を消していった。

「ワイヴァーン、もうちょい奥! そんで右! そうそうっ、そこらへん!」

『GOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!』

懺悔と更生の誓いがあったことなど露ほども知らず、ウィルはワイヴァーンに火の玉を生み出させ続けた。魔力を根こそぎ突き詰める様は少年の覚悟のほどが窺える。
降り注ぐ真っ赤な隕石群。一見せずとも明らか見境ない炎の鉄槌が、夕闇の墓標を何度も何度も刺し貫いた。

「なっ────」

そして、一発の火球が周囲で最も高い丘、その中腹に着弾。
“運悪く”地盤がすこぶる弱かったようで、抉られた箇所を起点にあっという間土砂崩れが発生した。
地響きを伴い土砂の流れゆく先には、事実上そこしか残されていない、そこしか意図的に残されていなかったツェリーヌ達の逃走経路。彼女達が飛び込んでしまった後退進路だ。
時を忘れたかのように愕然と立ち止まる彼女達のもとに、もの凄い速度で土の塊と岩石が殺到する。
巻き起こる異常な事象の数々と、とどめの地上での荒波の姿に、ツェリーヌの顔が血の気を失い峻烈に凍り付いた。

「──────あぁ」

「つぇ、ツェリーヌ様!?」

「き、気を失われた────っ!?」

「誰か治療しろおっ!? このままだと──?!」

「ああ、見えるっ! オルドレイク様のご乱心が見えるぅっ!!?」

「早く(心の)傷を治すんだっ!!」

「ってそんな猶予ねぇえええええええええっ!!?」

ドドドドドドドッ!! と不気味過ぎる轟音を立てて疾走してくる土気色の雪崩。
脳への瞬間的な過負荷から意識を落とす死霊の女王に続き、その取り巻きは逃げられない現実を前に吠声を上げる。
また誰も気付かない所で、彼女達に撤退を促した老人がその光景に一筋の汗を流した。
ほどなく、土石からなる怒涛の勢いがツェリーヌ達へ大口を開いた。


『ぬわぁああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!??』


惨劇はまだ終わらない。





「ウィ、ウィルの野郎っ、俺の寝床からサモナイト石ちょろまかしやがったな……!?」

「「「「「「またお前かっ!!」」」」」」」

「ジャキーニの反乱の時といい、お主は一体何度恥の上塗りをすれば気が済むのだ!?」

「まっ、待てミスミ! クールになれっ!? 風刃はやべえ?!」

「いい加減にしなさいよ穀潰し! 忍者といい貴方といい、もっと護人として自覚を持ちなさいっ!!」

「なぜ私まで……」

「お、お前が言えることじゃねえだろアルディラ!? あのうるせえずんぐりドングリ(注:ヴァルゼルド)は明らか手前の仕業じゃねえかっ!!」

「あ、あれは……ち、知的好奇心よ!!」

「好奇心で島の地形を変えるんじゃねえっ!!」

「う、うるさいっ! 可能性の探求はベイガーの性なのよ! 貴方みたいなずぼらと一緒にしないで頂戴、このっ、シマシマ!!」

「シマシマは関係ねええええええええええッ!!!」

「見苦し過ぎです、お二方ッ!」

「フレイズ様の言う通りです、アルディラ様。それよりも一刻も早くこの場から撤退することを推奨します」

「義姉さんっ、ヤッファさんっ、早くここから離れないと!?」

「お空が真っ赤なのです~っ!?」

「馬鹿、マルルゥ!? お前さっさと逃げろ!」

「!? スバル様、お下がりくださ(ドゴンッ!!)あべしっ!!?」

「きゅ、キュウマー!?」

謎の軍団が甚大な被害に祝福されながら入島式を迎える一方、少年の仲間である島の住人達もばっちりとトバッチリを受け絶賛渦中の最中だった。
アティ達および帝国軍、謎の軍団、そして目を背けたくなる品々物品拠点位置を線で結んで出来あがるのは、二等辺三角形。
底辺に当たるアティ達と謎の軍団とのラインは彼方の接近を許したがために極端に短く、頂角の点に居を構える狸もといウィル達が超砲撃すれば、その火力規模と稀に発生する誤射によって少なからず巻き添えを食らうことになる。彼等からしてみれば敵味方の区別は無いも等しい。
繰り返すことになるが、この戦場に安全地帯という例外は存在しない。

「こんな、ことが……」

島の住人勢の発する悲鳴を背中で聞き入れる訳でもなく聞きながら、アズリアは力を失った体で殺戮風景を眼前に立ちすくむ。
地上の砲撃に空中からの爆撃。ヒゲ海賊の哄笑が響き渡ったかと思うと、鉄塊が盛大な唸りを上げ、更にバサバサと大気に何度も羽を打つ翼竜が火炎をまく。
一つの絵として見ればシュールな構図この上ない。

余りに酷い光景に意識を手放して半ば放心しかける。戦争のセオリーもといルールは綺麗さっぱり消失していた。
見開かれた双眸は瞳孔を収縮させ、爆風に煽られるアズリアの体がわなわなと震えた。

「アズリア、部隊を下げてください!? ま、巻き込まれちゃいますぅ!?」

「!? て、撤退、撤退ぃーっ!? 下がれ、下がれーッ!!」

教え子の超奇行に涙目である知己の声が、アズリアの頬っ面を叩いた。
はっと瞳に正気の色を復活させた彼女は、背後に控える己が兵達に振り返ってあらん限りに叫ぶ。
腹の底から激必死に絞り出された号令は、とあるトラウマから金縛りにあっていった帝国軍のケツを蹴っ飛ばし逃走という名の動きを強要した。びくっと再起動し、我先にと駆け出す帝国軍兵士達。
自分のすぐ隣で飯を食った仲間が爆殺(ふきとば)され、涙を垂れ流す彼等が思うことは一体何なのか。
ちなみに、人為的厄災に免疫のあるビジュ率いる小隊はどの部隊よりもいち早く絶対安全圏にたどり着いていた。

大地を埋めて鼓膜も貫く砲撃音に空から幾度となく降下する爆撃音。
聴覚だけをとればもはやモノホンの戦争と相違ない修羅場に、誰もが恐怖と嘆きに満ちる。
悪夢だった。


「……嘘でしょ?」


一人半泣きの少女が、島の中心で哀を呟いた。













「…………何だ、コレは」

新たな世界の創造を目論む無色の派閥の大幹部ことセルボルト家現当主もといオルドレイク・セルボルトは、その口から呆然とした声を漏らす。
超絶に鳴り響いていた激音は既に止み、今は日干しにされたような静寂が墓標全体に横たわっている。
あちらこちらでぷすぷすと上がる黒煙が、虚しく空へと身を伸ばしていた。

私兵らしき死体(仮)は視界にまんべんなく散らばり、幾重にも折り重なった状態でピクリとも動かない。
鼻腔を刺激する異臭は雑多な火薬類と、あとは鮮血のそれか。
地面に突き刺さっている罅割れた槍や砕けた大剣が、夕暮れの朱の色を反射して輝いていた。

新たな新天地どころか荒れたてな珍天地が創造されてしまっている。
普段ならばありえない茫然自失とした表情を、オルドレイクはしばし己の顔に貼り付けていた。


オルドレイクの統率する無色の派閥がこの忘れられた島に到着したのは、空が夕暮時に変わり始めた頃だった。
帝国のスパイとして潜り込ませているイスラによって島の内情は理解している。始祖が喚び出した召喚獣に帝国の飼い犬、島を掌握する気でいるオルドレイクにとって目下目障りであるその両勢力が互いに潰し合っているというのだ、都合の良いことこの上ない。
島の視認出来る位置からイスラに連絡し、彼女の手で誘導させた決戦時刻と決戦日時。戦闘の勝者敗者に構わず場に乱入して一掃せしめようと、オルドレイクは紅き手袋始めとした私兵の殆どを夕闇の墓標へと出向かせた。

舞台が整うのをゆるりと構え待っていたオルドレイクはその掃討戦に参加していない。
不粋な雑事にさらさら関わる気のなかった彼は、妻のツェリーヌに邪魔な輩の掃除を任せきり、やがて響いてきたけたたましい虐殺の旋律に笑みを噛み殺していた。
曰く、「船の長旅から解放され彼奴等もはしゃいでおるわ」と。
当時そこで何が起きていたのか知らなかった彼は幸運だったのかもしれない。事実、現在広がっている光景を目の前にするまでは、やっと己の念願が成就すると子供のように目を輝かせ十分な悦に浸っていられたのだから。
例えこの時をもって鰻登りだった高揚感が急転直下したとしても、だ。


「何が、あったというのだ……」

呟かれた言葉に、彼の背後に控える派閥の親衛隊は何とも居心地悪そうに身じろぎする。
オルドレイクの手を煩わせないよう手配されている派閥の中で選りすぐりの彼等でも、その問いに答える術は持っていなかった。
当主の機嫌は努めて損ないたくないものの、戦場から離れて待機していたので「何があった」など解る筈もない。

ただ、過程に当たる「何があった」かは解らないものの、結果としての「何が起こったか」ということに関しては答えを用意することが出来る。
お掃除と称した殲滅戦に投入された貴方様の私兵は全滅しました、と。
逆に貴方様の私兵がお掃除されてしまいました、と。
この状況では口が裂けても告げることなど不可能だったが。

「……オルドレイク」

「ウィゼルッ……これは一体どういうことだ……っ!」

と、オルドレイクの側に一つの影が歩み寄ってくる。
未だ黒い煙が昇る戦場の方からやって来たウィゼルは常態を崩さず言葉をやった。

「襲撃を受けた。島の者達からな……」

「襲撃……!? 召喚獣どもは帝国の飼い犬と争っていたではないか!」

「だが事実だ」

「例えそうであったとしても、新たな世界の秩序たる我が軍勢が遅れを取る筈がないであろう!」

「……それも場合による」

俺もそのことを痛感した、とまどろっこしく喋るウィゼルにオルドレイクは苛立ちを募らせる。
片目を瞑るいつもと変わらないその姿が、どこか哀愁を纏っているように他の兵士は幻視した。

「現実を認めろ、オルドレイク。何にせよお前の軍勢は潰された。見渡せば瞭然だろう」

「ッ……ウィゼル、貴様がいながらなんたる醜態だ!!」

「お前の傘下に下った覚えはないが、さて……」

何か後ろめたいことがあるのか、オルドレイクの文句にも大した反抗の意思を見せないウィゼル。
派閥兵が益々疑問を深めるそんな傍ら、彼は視線をオルドレイクから外し、とある一角を見やった。
厳しい目付きをしていたオルドレイクは億劫そうに「一体何だ」と彼の示す方向に視線を飛ばしたが、その光景を見た瞬間、色硝子の眼鏡の奥で瞳の形を激変させた。

「ツェ、ツェリーヌ!?」

不自然にこんもりと盛り上がった土の塊がある。土砂崩れによって出来あがったのだろう土の山だ。
その表面に半ば埋まるように顔を覗かせているのは純白の白頭巾。というか、普段オルドレイクの側で妻が身につけている法衣そのものだった。
青い顔で目は力無く閉じられ、きめ細かな白磁の肌はこの時ばかりは不健康そうな色合いへと昇華されてしまっている。地面に半分埋められたその姿は、あたかも新感覚の魔女狩りかと錯覚させるほど。
血相を変えたオルドレイクは、砂浜に埋もれた貝殻状態と酷似する愛妻のもとへ駆け付ける。「魔抗」に似た簡素な魔力放出で土を吹き飛ばし、薄汚れた法衣に包まれた妻の亡き骸(仮)を抱き起した。

「あな、た……っ。に、げ……っ」

「おおお、ツェリーヌ!?」

遺言のような言葉を残して完璧に力を失った妻に、オルドレイクは痛切を極める。
まるでたった一匹の化物に斬殺された妻とそれを見送る夫というような構図に全世界が泣いた。
ちなみに、主人の奥方を死守した召喚師達は彼女を囲むように未だ埋まりっぱなしだった。

「ぐっ……何故このようなっ……!!」

「俺達の上陸が露見していたと考えるのが妥当か」

唇を噛み切る勢いで歯を突き立てるオルドレイクの横で、ウィゼルはツェリーヌの体を預かり気付けを行う。
後頭部と顎に両手を当ててコキッと首を鳴らすと、「はきゅ!?」と小さく可愛らしい悲鳴が上がった。

「情報の漏洩……同士イスラかっ!」

「は、はひっ?!」

オルドレイクの眼光が向かう先、子猫のようにビクリと肩を震わせるのは涙目の少女である。
後退姿勢の彼女は色んな意味で、かつ自分でも理解出来ない内に、結構な情緒不安定状態にはまっていた。

「同士イスラよ、貴様、我々を裏切ったかっ!」

「ちっ、違いますよっ!? まだ裏切る予定は────じゃなくてっ! と、とにかく私はオルドレイク様達を売ってなんかありませんっ!!」

「では、何故我が軍勢がこのような憂き目をみている!?」

「私が聞きたいですぅっ!!」

もはや頬を伝う涙適を隠しもしないイスラはうきゃー!? と吠える。
一人冷静なウィゼルは、嘘はついていない、と静かにこぼした。

『ふん、まだ気付かないのかロン毛眼鏡』

と、いつの間に現れたのか、虐殺の仕掛け人ウィル・マルティーニがオルドレイクの視界の中で言葉を放つ。拡声器を片手に持って。
ロン毛眼鏡なる生来初の屈辱的渾名に、オルドレイクのボルテージが静かに上がった。
一方で誰もの耳に入るようなその拡声の音量に、少女は「もう、止めて…っ!」とフルフル首を横に振って涙目で訴える。受理される筈もなかったが。

『コインの裏の裏は表……つまりイスラはとっくにこっちの味方に翻ってるんだよ! 愛と勇気の心を取り戻した僕達のかげかえのない仲間だ!』

「にこにこさぁんっ……!」

「イスラぁ……!」

「信じてたよ、イスラ!!」

「見るなッ! そんな目で私を見るなぁぁッ!?」

味方、仲間、というフレーズに無条件で洗脳されたソノラ加えた子供組が、キラキラした純情無垢な眼差しをイスラに注ぐ。
余りの精神攻撃に絶叫するイスラ。視線から逃れるように頭を両手で抱え悶え苦しんだ。

「やはり、貴様……!」

「オルドレイク様も信じないでくださいっ!!」

なり振り構ってられない少女はオルドレイク様にすら突っ込みを敢行した。
着実に某狸によるイスラ孤立計画が進んでいることに気付くことはない。

「……ウィ、ウィル君! 貴方は彼等の正体を知ってるんですか!?」

『いえ。でもどうせ再就職先のアテもない探す気もないイイ大人が何やってるんだか見てるこっちが恥ずかしくなるようなアイタタタな集団に決まってます』

「ど、どこから突っ込めばいいのか、私、分かりませんっ!?」

『仕事をしろと言ってやったらどうですか?』

避難地から声を張るアティに淡々と拡声器で返答するウィル。
疲れを滲ませるカイル達もアズリア達帝国軍も、この時ばかりは二人のやり取りを傍観する形で小休止に入っていた。



「いい加減にしろッッ!!」



怒声。
繰り広げられる茶番にとうとうオルドレイクが切れた。
大仰であり決して外見だけではない、斧にも似た漆黒の杖を地へと打ちつける。大音響。
一瞬で姿を現界させた心臓を直接突き刺すような絶大な魔力に、アティ達は己の意思関係無しに緊張を強いられた。

「聞いていれば下賤な言葉を連ねおってっ……誰に向かって戯言を利いている!」

威厳こもった声がビリビリと大気を震わせた。そこに含蓄するのは確かな迫力と威圧。
誰かの喉を鳴らす音が静かに響いた。

『先生、どうやらあれが親玉のようです。やはりアレな集団の親玉なだけあって嫌な存在感がバリバリですね。きっと「新世界の王に俺はなる!」とかほざいちゃう人ですよ』

「……ま、的外れであって欲しい説明ありがとうございます……」

「小僧ッ……!!」

ウィルは再び拡声器をアティ達の方向に向け発声。
誰もが萎縮するような声音を受けても、少年一人だけは常時の姿勢を崩さない。お前は空気読め、と汗を流すアティ達の緊張が若干和らいだ。
オルドレイクはそれだけで射殺せそうな視線をウィルに突き刺した。けれど澄まし顔は動じない。

「落ち着けオルドレイク。挑発だ、流せ」

「……ふんっ、童一人に向きになるほど暇ではないわ」

ウィゼルの忠告にオルドレイクは笑みを歪める。
ちっ、とウィル方から小さな舌打ちが響いた。

「…………ひ、控えなさいっ、かっ、下等なる獣どもよ!」

ふらふらとバランスが危ういツェリーヌが立ち上がり、口を切る。
自然、未だ健全な兵士達が畏まる姿勢を作った。

「この御方こそお前達召喚獣の主、この島を継ぐために起こしになられた……」

一息。

「……無色の派閥の大幹部、セルボルト家のオルドレイク様です!」

周囲の空気が衝撃を孕んだ。
護人達を中心とする召喚獣達は圧迫されたかのように体の動きを止め、少なからぬ因縁を持つ帝国軍は驚愕に目を見開く。

「無色ですってっ……!?」

「うそ……」

「……おいおい、俺達の都合はお構いなしかよ」

「…………」

アルディラ達が漏らすのは危惧の声。
ヤッファは軽口の中に盾突く響きを忍ばせ、キュウマは静かに殺気籠もった。

「何もおかしなことではあるまい。我等が始祖の残した遺産、それらを受け取ることに何の不順がある?」

島の住人達の反応を見て調子を取り戻したのか、オルドレイクは不遜かつ不敵な表情で口を吊り上げてみせる。
始祖の残した遺産────喚起の門、二振りの魔剣、そして遺跡。
護人達の話を聞いたアティ達はすぐさま現在の状況がどうであるのかを悟る。
この島にまつわる全ての発端である無色の派閥、その到来。そこから導かれるのは、過去の清算、すなわち彼等が島の略奪を働こうとする侵略者であるということだ。

「っ……待てっ!!」

固まるに留まっていたアズリアはそこで声を散らす。
傷付いた体で前に乗り出しながら、顔を焦りに似た何かで染めた。

「貴様等が無色の派閥だというのならっ……何故、何故お前がそこにいる、イスラ!?」

叫びが駆ける方向は、オルドレイク達側のもとにいる彼女の妹だった。
背を向けしゃがみ込んで「ふーんだ、どうせ私は使えない子ですよーだっ……」と石片で地面を削っていたイスラは、その姉の呼声にちらと背中越しのみで視線を送る。
アズリアの他にも縋るような目をする帝国軍に何を思ったのか、イスラは溜息とともに起立。
くるりと一回転し、面倒臭そうに口を開いた。

「私が此処にいる時点で理解して欲しいんだけどなぁ……」

「イスラ……!?」

「お姉ちゃんなら私が此処にいる理由、大体察しがつくでしょ?」

彼女達の間でしか分からない言葉のやり取り。
一つ背の高い丘の上で、イスラは髪をくるくると弄りながら顔を歪めるアズリアを見下ろす。

「……っ」

「……私が男だったらさ、まだレヴィノスの家も構ってくれたかもしれないけど……女だしね。お姉ちゃんがいる時点で、そっちの世界じゃあ私の価値なんてこれっぽっちも無かったんだよ」

「!!」

後釜にも保険にもなりはしないしね、と言い捨てる。
いつのまにか無感情となっている貌は冷めた目で姉を見据えていた。

「少し考えれば分かってたことだと思うんだけど……今更そんな風に気付いたような顔してもらっても、虫唾が走るだけだよ? お姉ちゃん?」

「ちっ、違っ……!? わたし、私はっ……!?」

にこっと笑うイスラにアズリアは弁明をしようとするが、喉が狂ったように揺れて言葉を紡がない。
イスラは興味を失ったように視界から姉を除き、顔をオルドレイクの方に向けた。

「これ、猿芝居に見えますか? オルドレイク様達を欺くための」

「穿てばどうとでも取れるわ。失墜しかけている信用を取り戻したくば、証明してみせろ」

そうすればこれまでの実績を兼ねて今回は目を瞑ってやる、とオルドレイクは両目を閉じて言う。次に何が起きるか確信しているのか口元を愉悦に形作った。
「分かりました」とイスラも薄い微笑を浮かべ、片手で剣を抜き、柄を上持ち穂先を傾斜にして構える。
もう片方の手の中には、既に発光を始め、執行体勢に入ったサモナイト石があった。

「────」

「飛ばした、呪文を!?」

「ほう、誓約者(リンカー)の真似事さえやってのけるか」

いわゆる溜めの時間だけは残し、完璧な詠唱破棄を披露するイスラにアルディラは叫ぶ。オルドレイクの方は愉快そうに感嘆の声を上げた。
隠れて魔力を練り上げていたイスラは残された過程を一手間で終え、言葉を失うアズリアに構うことなく、術を発動してみせた。


「見せてあげるよ、お姉ちゃん」


異界の門が押し開く。
赤い光を振り撒きながら魔力の穴が大気に空いたかと思うと、突如、空から幾本もの巨大な釘が落下した。

「────ッッ!!?」

鼻先を掠り眼前に突き立った巨柱に、アズリアは竦んだ声を口内に充満させる。
アズリアを中心とした帝国軍を取り囲む錆びれた釘の群れ。広大な効果範囲が形成され、次には一際大きい影が上空より飛来する。


「お姉ちゃんの信じたくないもの、全部」


藁で編まれた体を持つその異形の名は「ノロイ」。怨傀儡の別名を持つシルターンの召喚獣。
遺恨じみた呪力が少女の狂気を受け爆発するように膨張する。
アズリアの頭上へ急降下したノロイは、振りかざした巨槌を一気に釘の頂部へ叩き付けた。




「吹き飛んじゃえ」




「────イス、ラ」

轟爆。
寸前に呟かれた少女の名前は刹那の内に消滅した。
地に打ち込まれた巨大な恨針、全九本が互いを補完し合い威力を相乗させる。地雷が作動したかのように大地が喚声を上げ、そして破砕。
爆心地を起点に紅の光がドーム状に開いた。


「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」


圏内にいた帝国軍兵士が四方八方へと散る。彼等は血にまみれ、強かに地面へと倒れ込んだ。
地面から空に舞い上がった岩々は雨となって還ってくる。目の眩むような光と爆発の余波にはたかれ咄嗟に顔を両手で覆っていたカイル達やギャレオ他も、慌ててその場から飛び退いた。
少女の哄笑を皮切りに、戦場が熱を取り戻す。

「ア、ティ……!? それに、お前……!」

「つぅ~~~~……っ!!」

「……超痛え」

最も被害が高い攻撃の中心地にいたアズリアは、辛くも危地を脱していた。
動き出していたアティとウィルが体当たりよろしく彼女の身を突き飛ばしたからだ。
仲良く地面にひれ伏す三人の内、呆然とするアズリアを置いてアティとウィルは視線を交わし、瞬時立ち上がる。

「誓約の名において願う。慈愛の天使よ、傷付いた者達に救いの手を────『聖母プラーマ』!」

「クマさん、コレ連れてずらかれ!」

アティの広範囲召喚術が怪我人に治癒を促す一方、ウィルはギャレオに向かって指示を出す。
突然呼ばれ驚くギャレオに背を向け、ウィルはすぐに次の行動。右手の指を唇に挟んでピィーーッ、と遠方まで届く甲高い音を鳴らした。

『あ、合図じゃ、野郎ども! これは戦略的撤退じゃ、けっ、決して恐れをなして逃げる訳ではないぞお!?』

『『『『『『『『『『へい、船長!』』』』』』』』』』

『あんさん、いいからはよ逃げなっ!?』

「クマさん、あんたが指揮とって帝国軍退かせて! あの人達に付いていけば神殿の抜け道から出られる!」

「く、くまっ……!? ま、待てっ、何故我々がっ────」

「あんたの愛しのこの女隊長が死ぬぞ!」

「────ブッ!!?」

「えっ、何、図星? ────まぁいいよ、色んな意味でドンマイ────とにかくっ、早く離れて!」

「っ……し、しかしっ……」



「逃がすとでも思ったか?」



『────ッ!!』

震撼する。


「我、直々に礼をしてやらぬと気が済まぬわ」


天井知らずに高まる魔力に、この場にいる誰もが瞳を微震させた。
生まれ持った暴力を解放しようとその召喚師は術式を組む。
鋭い眼差しと笑みがアティ達を睥睨した。

「……っ! 全小隊、退くぞ! あの海賊達に続け!」

「ギャレオ!? 何を、って、きゃあっ?!」

「失礼します、隊長!」

膝裏と背中に腕を回し、ギャレオはアズリアの体を持って運び出す。
立ち上がれない負傷者に手を貸し庇い合う帝国軍の動きは迅速だった。先頭を走るギャレオに兵達は続々と従い、最後尾では尾を引くような顔しながらもビジュが警戒に当たる。
猛烈な死の気配に突き動かされた逃走劇が始まった。













(────討つ!!)

キュウマは駆ける。
冷酷なまでに瞳を殺気に固め、彼はオルドレイクのもとに疾走していた。
過去の戦い。仕えるべき君主に守られ、そして先立たれ、一度は生きる意味を手放しかけたあの時。
キュウマは未だ忘れていない。あの深い絶望を。
君主であるリクトの言葉やミスミ、彼の忘れ形見がなければ囚われていただろう、業火の如き憎悪を。

時が流れ姿形を変えたとはいえ、その激しい感情はキュウマの胸の奥で燻ぶる火のように生き残っていた。
絶望は二度と過ちを犯さないとする研鑽の糧となり、憎悪はやり場なく溜め続けられる憤懣へと。

二度と発散されることはなかっただろう感情の類。しかし、現れた。
明確な的となって、全ての元凶たる仇そのものが、再び目の前に現れた。

復讐に身を燃やす自分を見て、果たしてリクトがどんな顔をするのかは今のキュウマには分からない。恐らく、ミスミは心を痛めることだろう。
だが、一矢報いなければならない。
君主達が例え望まないことであったとしても、忍である自分は、己のためにもリクトのためにもこの刃を奴等に打ち込まなくてはならない。
そして何より、リクトの忘れ形見────スバルのためにも。

若き殿の行く未来を閉ざさせはしない。
復讐からくる仇打ち。守るための抗戦。二つの動機をキュウマは誤魔化さず受け入れ、自らの刀に乗せる。
一歩遅れて付いてくるヤッファもまた同じ気持ちの筈だ。鋭い光を帯びる双眼は向かうべき場所のみに馳せられている。

周囲には目もくれず、キュウマとヤッファは詠唱体勢に入ったオルドレイクへ一直線に突き進む。
ばらばらと展開する兵達を視界に捉えながら、進路を阻む者は切り捨てようと腕に力を込めた。



「────」



そこで気付いたのは、恐らく自分の能力に依拠する所ではなかった。
“放った”相手が加減した、解答はきっとそれに尽きる。
半歩先、秒もかけず突入していただろう予測通過地点を、超速の斬閃が瞬いた。


「────────っっ!!?」

「キュウマ!?」


首を斜めに斬り落としただろう斬撃の軌跡。
横手から繰り出された必殺にキュウマはかろうじて踏み止まり、しかし顔の左右に垂れた白髪を首の代わりに持っていかれた。
切り離された毛の一房が宙に散っていく。遅れてやって来た寒気に内蔵を凍らせながら、キュウマはヤッファと一斉に左手の方角へばっと顔を振った。

「奴に借りを作っておくのも癪なのでな、足止めさせてもらうぞ」

物静かに語られる言葉は、その語気に反してキュウマに途轍もない脅威を預けてくる。
着流しを隙なく身に纏う男。ウィゼルがゆるりと刀を構えていた。
右半身は前に。僅かに捻られた腰とともに左手は鞘の鯉口に添えられている。
疑う余地のない体勢、居合いの技。
キュウマは目を見開く。

「侍……!?」

「そういうお前は忍か。大陸を離れたこのような孤島で出会うとは、なるほど、生きてみるものだな」

文句の割に感情の起伏が少ないその言はキュウマの耳を素通りする。
目算、三丈。
キュウマとウィゼルの間に引かれる距離。刀、いやどんな武器をもってしてもそれ単体では決して届くことのない絶対の距離だ。
それをウィゼルは埋めてきた。その場から一歩も動くことなく、いとも容易く覆した。

距離を跳んだ。

規格外なまでに、居合い斬りからなる斬撃をキュウマのもとへ飛ばしてきた。
「居合い斬り・絶」。現時点のキュウマでは到達も理解も許されない剣豪の奥義。
予備知識もないヤッファでさえも、その常軌を逸した一太刀の冴えに唖然とする。

「技量はまずまず……が、惜しむらくは武器か」

使い手の意志を反映するだけに留まっている、と口にするウィゼルは、次の瞬間上体を沈めた。
剣気が、一挙に膨れ上がった。

『──────』

「命が惜しければ、動くな」

叩きつけられるのは鮮烈な死のイメージ。
抜刀を察することなく両断される己の体。胴を寸断されたことにも気付かず、時を停止したまま絶命を余儀なくされる。
脳裏を過る光景(かのうせい)の数々は、全てが全て己の最期へと帰結した。

(ば、馬鹿なっ……!?)

キュウマは動かない。動けない。
老域に片足を突っ込んでいるにも関わらず、その体から放たれるのは今まで感じたことのない死の気配。
あれほど復讐と守護に焦がれていた意志が、一本の刀の前で斬り刻まれる。
殺気は微塵もない無風のような空間の中でありながら、一言も発することが出来なかった。
異常な発汗を引き起こしながら、顔を慄然とさせるヤッファともどもキュウマはその場に縫い付けられた。




「先生、帝国軍が撤退するまで時間を稼ぎましょう!」

「分かりました!」

「ヴァルゼルド!」と遠くに叫ぶウィルの姿から目を離し、アティは舞い戻った戦場を見渡す。
既にカイル達は敵の親衛隊と対塁している。得物が打ち合わされれば、両陣営どちらも魔力を解禁して召喚術を繰り出していた。
その戦場の中でも否応に意識を傾かざるを得ないのが、敵陣の最奥、異常とも言える長時間詠唱で魔力を術に内包する冷笑の召喚師。
いや、あれは遊んでいるのか。まるで籠の中で足掻く虫を観察し、また見下すかのようなその目付きに、アティは唇を噛んで強くオルドレイクを見据えた。

「出来るならあのロン毛なんとかしてください!!」

「やってみます!」

パーツを取り外し元の形貌に戻ったヴァルゼルドと合流し、帝国軍に伸びる追手を迎撃するウィルを見送る。
もはや死という概念が濃厚となったこの場において、果たして生徒である彼のもとに居なくて平気なのかという気持ちはアティの胸に常に付き纏ってくるが、信じるしかない。
ウィルはきっと大丈夫だと言い聞かせ、不安を胸から追い払う。予断を許さないこの状況ではぐずぐずしている暇などない。

やはり最大のネックはオルドレイクその人だ。
いかなる召喚術を準備しているのか判別つかないが、繰り出されるだろう一撃はその魔力の規模から破格なものだと窺える。カイル達も彼の術を阻止しようと躍起になっていた。
ならばウィルの言われた通り、自分のすることもまたあの召喚術の完成を防ぐことだ。

「誓約の名のもとにおいて命じる!」

魔力を全開させる。
自分が行使出来る上で最大の召喚術をオルドレイクのもとに叩き込む心算。
構えた杖とサモナイト石が、溢れんばかりの魔力を吸引して結晶の奥で光を白熱させた。

「────」

「っ!?」

出し抜け、アティの死角から銀の刃が伸びてきた。
頸動脈、急所目がけ曲線を描いた一撃に、咄嗟身をひねる。
音もなく振るわれた攻撃は大気を割いて薄皮一枚の所を過っていった。
瀬戸際で感付けたのは一瞬だけ生まれた針のような殺気と、脳裏に映って警告するかのように発光した「剣」のおかげだった。

「やらせないわ」

「……!」

赤い衣装に身を包む少女、ヘイゼルはそれだけ言う。
迂闊を働けば瞬目で懐に入られそうな気配にアティはやむなく彼女と正対する。
杖を前に突き出し牽制するが、ヘイゼルは自身の姿勢を崩さない。情の一切を省かれた機械的な双眸はアティ本人ではなく、その命を対象として捉えている。
ぞっと、胸が戦くように震えた。

「……」

「…………くっ」

人を殺すことが自然体となっていると、少女の身のこなしを見てそんな風にすら感じる。
暗殺者という言葉が反射的に浮かび上がった。
じりじりと変動する間合い。少女が一挙一動する度に此方も行動を求められる。
不用意に動けない。相手が、それを許してくれない。

(このままじゃ……!)

刻々と経過する焦眉の時間。
間隔が狭まっていく心臓の音を耳に、アティの顔が危機感に強張った。




「こいつ等……っ!?」

無色兵と乱戦の体を晒すカイル等前線組は衝突する敵の力に唸っていた。
帝国軍との一戦におけるハンデを差し引いても自分達を抑え込むであろう実力。
互いの連携能力も半端なものではなく、完璧に秩序だった攻防は我流で力付いてきたカイル達に牙を次々と突き立ててくる。

「ッ……舐めんなああァァッ!!」

「がぁっ!?」

ストラの光に包まれた蒼拳が痛撃と加えられる。
「必殺の一撃」。繰り出された渾身の拳は敵の大剣を真っ向から粉砕しなお貫通、装備された胸のプレートをも叩き割った。
亀裂を無数に入れた鎧ごと吹き飛ぶ無色兵が、呻き声を上げて地面を転がっていく。

「ったく、次から次へと!」

「ですが、これで最後です!」

撃破から間を置かず飛びかかって来た敵兵にカイルが悪態をつく。
だが、先程敢行された砲撃で無色勢は大幅に勢力を失っている。数の利でカイル達は決して劣っている訳ではない。
剣戟を交わすクノンは冷静に戦況を見極め声をかけた。

「贄を誓約とし徘徊せよ。愚者を演じ血肉を屠れ、霊界の下僕どもよ!」

その時、不気味な韻律が敵陣の後方で上がる。
白の外套を大気に打って腕を突き出したツェリーヌは、視界に入るもの全てを怨讐と見なすように睨みつけた。
途端、宵色と見紛う濃紺の魔力が周囲の空間を歪め、地獄の底から昇ってきたような苦鳴が現界する。
オオオオオオオオオッッと残響を効かせ、魂片となった多数の亡霊達が弧を描いて戦場に降り注いだ。
彼等が向かう先は、辺り一面に伏した再起不能の派閥兵達。

「!!?」

指の一つも動かせなかった筈の無色兵が、緩慢な動作で起き上った。
白目をむいた顔に生気はない。流れる血液、負っている傷など無視をしてカイル達に踊りかかった。勢力図が引っくり返る。

「生き返りやがった!?」

「た、耐えられんっ……!!」

「母上っ!」

理性もなくカイル達に襲いかかってくるその様は創作でしか語られないような生ける屍そのものだ。
凍えるような呼気を振りまく死兵は、役職など問わず召喚師ですら杖を掲げ前線に突き進んでくる。
滑稽極まりかつ、おぞましく。数の波にカイル達が呑み込まれかけていく。

「ファリエル様、これは!?」

「死霊召喚……。なんてことをっ……!?」

死霊召喚。
代償を払うことで霊界サプレスの高位の悪魔を使役する召喚術。
術で倒された者達の魂を供物として捧げる特異な召喚儀式。

今回ツェリーヌの行使した術は輪をかけてたちが悪い。通常の死霊召喚が葬った敵の魂をさらうのに対し、憑依術式を用いて傷の深度関係なく負傷者を亡霊に操らせている。味方の体を担保に悪魔達は無作為に暴れ、命を刈り取ろうと蠢くのだ。
そこに肉体への配慮はない。リィンバウムという楽園で得た瑞々しい体に悪魔達は狂喜し更なる犠牲を求め飢える。
最終的には宿主の生気さえ代価として奪っていく、破滅もたらす禁呪だった。

「亡者どもよ、あの者達を絶望に染めなさい!」

「人をっ……命を何だと思っている、無色(おまえら)は!?」

傀儡と化した生きる屍が歓声する。
その凄惨風景を前に、一人のはぐれ召喚師が怒鳴り散らした。




「新たなる世界に、勝利と栄光をぉぉぉぉっ!!」

また一つ命が散った。
戦闘不能に追いやられたと断じた瞬間、派閥兵は自らの生命を顧みず爆物と化す。
自爆。紅の花弁を咲かせた後はそこに何一つ残らない。
逃走する帝国軍の側で、カイル達の目の前で、無残な光が連鎖する。

「……」

一つ離れた場所でそれら光景を望遠するイスラは微笑を浮かべていた。
断続的に響き、時折凄まじい不協和音が並ぶそのメロディに、満足そうに目を閉じて身を委ねている。
安らかな、けれど仮面めいた笑みは、今にも鼻歌を奏でそうな雰囲気だった。

「イスラッ!!」

「……ソノラ」

疾呼がイスラに向かって飛ぶ。
ハンドガンを片手に構えるソノラが、イスラの額に照準を合わせていた。

「何やってんのよ、あんた……! 一体何考えてっ、こんなことやってるのよっ!?」

「……自分のため、じゃあ答えにならないかな?」

首だけをそちらにやり笑みを消して言うイスラに、ソノラは眉尻を一杯に吊り上げる。

「最初からこうするつもりだったの!? あたし達も、自分の姉貴も騙してっ!?」

「うん、全部予定通り。ウィルが変なことしでかしてくれなかったら、もっとすごいことになってたと思うよ」

爆風が彼女達のもとに届き、イスラの前髪が揺れて目元を覆う。
これが本当の殺し合いだよ、と言葉を添えてクッと口が曲がった。

「…………わかんないよ。あたしっ、イスラの考えてること、全然わかんないよっ!!」

「……」

悲痛を伴って叫ぶソノラは湧き出そうになる涙を堪え、無理矢理眉を逆立て瞳に力を入れる。
銃把を握る手がぶるっと震え、それを押し殺すように強く握りしめられた。
過去の関係に思いを馳せているだろう少女の姿に、イスラは瞳を隠したまま僅かに顎を引いた。


「解る訳ないじゃん」


小振りな唇が冷気を落とす。

「今も、昔も、これからもずっと、自分の思うように生きられるソノラに、私のことなんて解る筈がないじゃん」

「…………イス、ラ?」

「好きな時だけ食事が出来て、怯えることなく眠ることが出来て、真っ青な空の下で風を感じられることが出来るソノラに、私のことなんて絶対に解らない」

「………………」

「かえって、解った風な口を利いてもらった方がよっぽど腹立つよ。……殺したくなっちゃうくらいに」

静かに足を進め出したイスラに、ソノラは言葉を失う。
先程とはまた違った意味で彼女の胸がかすかに震え始めていた。
確かな戦場の中である筈なのに、少女の周りだけが切り離されたような空気を彩る。

「……う、撃つよ!? それ以上来たら、本当に撃つよ!?」

「へえ、撃てるんだ……ソノラに」

歩み寄って来る。
頭部に銃口の向く先が固定さているにも関わらず、目線を髪で瀬切るイスラは止まらない。
むしろ笑みさえ浮かべ、イスラは歩調を速めた。

「じゃあ、試してみよっか?」

「…………え?」

「そんな鉛玉一つで、本当に私を殺せるかどうか、試してみよっか?」

「────」

顔が上がる。
薄く細められた瞳に弧を作る口端。零度の狂気があった。

「そんなちゃちな銃で私を殺すって、面白い冗談だよね」

「……なに、言って……」

「でも銃(それ)では試したことなかったし、うん、一興にはなるかな」

「…………」

細まった瞳はそのまま。
いつか見た、談笑を交わす際に浮かべていた笑みを見せ。
イスラは近付いてくる。

「ほら、ソノラ、試してみようよ?」

「……、……ぁ」

「私が、死ぬことが出来るのか、さ」

間合いが消える。
震える銃口との少女の間隔は歩幅四歩分。まだ止まらない。吐き出される弾丸を求めるようになお前進してくる。
黒髪が揺れる。また一歩。イスラはためらわない。
残り一歩。得体の知れない感情の渦に、ソノラの震える細脚が砕けそうになった。

「ほら、撃てない」

最後の歩。
表情をすっと消したイスラが、片手に持つ剣の穂先をソノラ目がけ閃かせた。
激音。

「──────ぇ?」

「アタシの妹分を泣かせるんじゃないわよ」

「……へぇ」

刃を受け止めたのは短剣だった。
自分の体を割り込ませる形で、間一髪、スカーレルがソノラを庇うようにイスラの凶気に歯止めをかける。

「どこかで見た剣筋だと思ったら……そういうことだったのね」

「あ、やっぱり同業者さんだったんだ?」

「スカー、レル……」

蛇のように睨めつけるスカーレルの眼差しに、イスラはにこっと破顔。
当事者達に関与出来ない位置へ追いやられたソノラは、片頬に涙の筋を引っ張って呆然と呟く。

「離れなさい、ソノラ。この子猫ちゃんはアンタの手に負えないわ」

「うん、確かにソノラの膝の上で気紛れするのも飽きちゃったかな」

「……訂正するわ、構う価値もない」

「……っ!」

剥き出しになる殺気にソノラの肩が揺れる。
殺さんばかりのスカーレルの視線に、イスラはニィイと口が裂けるほどに笑ってみせた。

「行きなさい!」

「あはははっ、ソノラの騎士様だっ!!」

突き飛ばされたソノラの背中に激烈な剣音が響いてくる。
背を殴りつけてくる何重もの音響に押し出されるように、ソノラはおぼつかない足取りで駆け出した。

「っ……あたし、なに信じていいのかわかんないよぉ、ウィルぅ……っ!」

手で覆われた口元から、咽び声がこぼれ落ちた。




「この程度か……」

未だ自分の目の前にすら到達出来ない相手にオルドレイクは嘲笑する。
何かの手違いで構成員の殆んどが壊滅状態。今後のことも兼ねて敵の真の力を見極めてやろうと召喚術(エサ)をぶら下げてやっていたが、それにすら届かない。
余計な手間、杞憂ですらない、とくつくつと笑った。

愚かなまでに傲岸な態度だったが、しかしそれも彼の力に裏付けされたものだった。
事実、彼がその気になればこの場にいる全ての者が意志なき暴力にひれ伏すことになる。
オルドレイクにとってこの時間は一つの余興に過ぎない。
ましてや、今も戦線から離れようとする帝国軍を逃す気も更々なかった。

「目障りだ。負け犬に成り下がった飼い犬ども」

オルドレイクは杖を水平に構える。
器から溢れ出さんばかりに注がれた魔力の水が、この時をもって解放された。

「消え失せろ!」




「ちょっと、何を召喚するつもりよ……?!」

オルドレイクの作り上げた召喚光から放出される異質なマナに、アルディラは悚然とした声音を出した。
見る見る内に異界の扉から開いていき、次には地面に茫漠とした闇が広がる。
闇の沼としか形容しようのない円形の大穴からソレがせり出していき、全貌が顕になった瞬間、確実に夕闇の墓標の温度が著しく低下した。

骸。その一言に尽きる。

肋骨を彷彿させる奇怪な外装。本体を囲む幾つもの骨は昆虫の足のように蠢いている。
白亜と紫からなる帯状の拘束具が幾重にも巻き付く本体そのものは、まるでミイラのようだ。
無機質な仮面を被った顔面部分には虚ろな穴が二つ、奥を見通せない闇が静かに戦場を見下ろしていた。
約十メートルに及ぶ総身。闇の沼の上を音もなく浮遊するその体は、凄まじい嫌悪感を見る者に与えた。

「パラ・ダリオ」。討ち滅ぼされてもなお霊界の淵で在(い)き続ける大悪魔の屍。
アルディラの喉が引き攣る。つんざかんばかりの警鐘が彼女の頭を犯した。
黙して語らない骸は醜悪な虚無感を撒き散らすだけ撒き散らし、やがて術者の意思を受けて鳴動した。


「悠遠の獄縛」


パラ・ダリオの真下、オルドレイクの足元に広がる闇の沼がドクンッと波打つ。
おどろおどろしい瘴気が立ち昇ったかと思えば、一気に闇の波動が大地を走った。

「なっ────」

「『石化』の呪い!?」

アティは戦慄を、アルディラは悲鳴を。
大穴から前面展開された魔力の帯が地面伝いに進み、倒れているとある無色兵を一過、次に出来あがったのは灰色に染まった人間の石像だった。
『石化』効果。耐性がなければ一瞬の内に全身を石に変え行動不能に陥れる極悪の特殊能力。
一切の行動を封じるだけでなく、毒を盛るように肉体を内から蝕み破壊させていく。
石化の黒波がアティ達を飲み干そうと地をひた走った。

「退け!」

「あいつ等……!?」

「カイルさん、下がってくださいっ!?」

「みんなっ、急いで!?」

ヘイゼル以下派閥兵は一糸乱れない動きで直ちに退去。
アティ達を置き去りにし、機械的な動きで無駄なく「悠遠の獄縛」の射線および効果範囲から抜け出した。
ヤードとファリエルの警告が空に上がるが、黒波も速い。
死霊に操られていた派閥兵はたちまち呑み込まれ灰の石となった。

「味方まで……!?」

怪我などの理由で逃げ遅れた構成員も時を凍結させる。
黒波の過ぎ去った軌跡内、命を宿すもの全てが石化。草も、花も、虫も、人も、例外なく同じ末路を辿る。
人型を作る石のオブジェに、びきっと網のような亀裂が走り抜けた。

(呑み込まれる!?)

弾き出された計算から自分達が迎える未来をアルディラは悟ってしまう。
前線に出払っていたカイル達は完璧に手遅れ、比較的後方に位置していた自分やアティ達も瀬戸際、空を飛べるフレイズを除けば安全が確保出来る対象は半分にも満たない。
自分達の後ろで完全撤退を遂げていない帝国軍も同じだ。大多数があの闇の波動の餌食になる。

(アティが抜剣するしかっ……!?)

唯一の打開方法はそれしかない。
「剣」の魔力を用いれば相殺は可能だし、黒波を足止めするだけでもこと足りる。
だが────本当に今この瞬間「剣」を抜いて無事で済まされるのか。

不確定要素が多過ぎる。疑似的な沈黙を貫く遺跡、昨日強制的に引き起こされた抜剣覚醒、そしてもう一振りの「剣」の存在。
伴うリスク、その見通しが効かない。数値化出来ないという現実はアルディラに途方もない恐怖を感じさせる。
アティを闇の奈落へ突き落す真似をして、犠牲に転じてしまって許されるのか。

『……!!』

アティと目が合う。
視界の隅には黒波に背を向けて全力疾走するカイル達や、スバル達を抱き締め守ろうとするファリエルの姿がある。
彼等を見殺しにするのか、アティを危地へと差し出すのか。
こまねいている猶予はなかった。しかし、それ以上に“彼女”が前者を取る道理がなかった。
アルディラから視線を切ったアティが、制止の声も聞くまでもなく「碧の賢帝」を召喚しようとした。


『アルディラァッ! 結界っ!!』


「!!」

どこからともなく響いて来た拡声器の発声に、アルディラは理屈抜きで従った。
断片的な情報でありながら導かれるように自分のすべき行動を完結させる。
高速の反応速度はそのまま声の主への信頼感に値する。逼迫した状況はアルディラが少年に抱いている無意識の感情を如実に表面化させた。
突き付けられた二者択一を振り払うため、アルディラは少年に全てを賭ける。



「スクリプト・オンッ!!」



魔障壁。
広域展開された蒼壁が、今にも呑み込まれそうだったファリエル達の目の前で闇の波動を阻んだ。
スパークする蒼い光条。巨大な半円球の膜が、がつんっ、がつんっ、と次々とぶつかってくる黒波を受け止めていく。
抜剣を踏み止まり目を見開くアティには瞥見くれず、アルディラは己の魔力を全てひっくるめ結界へ費やした。

「────ぐっ、ぅあ」

「標本風情がっ、煩わしいぞッ!」

秒を耐え忍ぶことも出来ず、魔障壁に歪みが生じ出す。
黒い毛並みを持つ獣のような波動がいきり立つ。軋みを上げる結界は誰の目から見ても限界を越えようとしていた。
仲間の逃げる時間も碌に稼げずアルディラの結界が無駄な悪あがきとして潰えていく。オルドレイクの魔力が更にパラ・ダリオへ傾けられた。

────どうするのよ!?

障壁貫通を目前に、アルディラは両目を瞑って心中で少年に非難の声をぶつけた。


「丁度いい、召喚獣どもはここで採取してくれよう……ふっ、ふっははははははははははっ!!」


オルドレイクの高笑いが響き渡る。
パラ・ダリオを行使する彼は杖をばっと横に広げ心持ちの最高潮を示した。

「────」

その一方で、それに最初に気付いたのは、恐らくウィゼルだった。



「ふっっははははははははははははははっ──────!!!」

「……」



しかし、いち早く気付いてもどうすることも出来なかった。
夕日に伸びる影が三つ。
宙に浮かぶパラ・ダリオの巨大な影、笑声を上げるオルドレイクの標準の影、そして気を付けなければ感覚的に察知出来ない小柄な影。

拡声器を片手に持つ少年が、オルドレイクの背後に忍び立っていた。

現役忍者もびっくりな隠密能力でオルドレイクの背をとった彼は、静かに召喚術を発動させる。


「ヴァルゼルド」

『了解』


少年が出現してからこの間、僅かゼロコンマ2秒。オルドレイクは依然大口を開けて高笑いしている。
高速召喚は無色の派閥の大幹部の魔力センサーをもってしても知覚外。
黒鉄の機兵は静かに片腕を上げ、ポン、と笑いまくっているオルドレイクの肩に手を乗せた。


『サテライトビーム・マーク』


最終兵器が起動する。
そして、空が鳴いた。




「────────────ふあぁっ!!!??」




大奇声。
極大の光柱がオルドレイクの頭上から降り注いだ。


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「─────────────────────────────────」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


誰もが言語機能を忘却の彼方に吹っ飛ばす。
それほどまでに凄まじい光景だった。

ズドォオオオオオンッッ、と耳を疑うような太く厳めしい超低音が地響きとともに長くしつこく木霊する。
神が降臨するが如く巨大な光の柱が大地に屹立。高熱で融解した地面がドライアイスのように湯気を演出した。
機兵とともに一人の召喚師が光の向こうに消える。

薄紅色の粒子群の正体は極太のレーザービーム。
「衛星攻撃・β」。
忘れられた島の遥か上空に浮かぶ気象観測衛星「はいねる」から繰り出される至高の一撃である。
アルディラのトチ狂ったショッカー強化手術により生まれた偶然の産物は、ヴァルゼルドに「はいねる」へのアクセス権限を本人望まぬまま譲渡してしまっていた。

『…………』

沈黙を貫くパラ・ダリオは幻だったかのようにぱっとかき消える。黒波も道連れだった。
術者の生存反応を物語るかのように、潔く大悪魔は地獄の淵へ送還される。平行してアルディラの結界も解除。

光の極柱は濃度を薄れさせ規模を細くしていき、ぱらぱらと粒子の粉雪がアティ達に降り注いだ。
放射能関連でとてもとても頭の毛が心配になってしまう代物だった。直撃直下はもはや毛髪ご臨終である。

やがて光粒の奥に見えてくるのは二つの影。無言で立ちつくす召喚師とその肩に手を置いたままの体勢でいる機兵の姿。
比喩抜きで黒一色となった召喚師は、口を二度と開くことなく、ゆっくり重力に引かれていった。
膝から大地に着地し、糸の切れた人形のようにドサッと倒れる。
静寂がはびこった。


「…………あ、貴方ぁーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!?」


スモークが完全に晴れる頃に健気妻の大絶叫が君に届けとばかりに響き渡る。
停滞していた墓標全土の時がはっと動き出した。

『ミッション・コンプリート』

「流石に死んだか……」

ライトグリーンの瞳をキュピンと光らせるヴァルゼルド。
その横で焼却処分された物体をウィルは剣でつんつんとつつく。反応は無かった。

帝国軍の護衛と見せかけて神殿迷路へ侵入、丘陵を大きく迂回する経路を辿り、ウィルは色んな意味でオルドレイク達の裏をかいた。
ヴァルゼルドの「衛星攻撃・β」は信号の発信する対象を中心にピンポイントで周囲の敵を根絶やしにする精密射撃なので、どうしても彼をオルドレイクの懐に放り込む必要があった。
そこでウィルは己の隠密能力を理解した上で自らをヴァルゼルド接敵するための礎となったのだ。
────無論特別何かした訳ではなく、むしろ地獄のような戦闘を回避していた。

誘導装置と化したヴァルゼルドにより捕捉されたオルドレイク。
射出されたレーザー。
焼き払われた大地。
ウィルの奥の手は本人が思っていた以上の成果を上げ。
窮鼠は調子乗った猫の喉元食い千切ることに成功した。


「めっ、滅しなさいッ!? あの無礼者をっ、あの狸を毛の一本残さず一族郎党皆殺しにするのですっ!!!」

「「「「「「「「「「は、はっ!!」」」」」」」」」」

『みんな、後は頼んだ!』


ツェリーヌの憤激の号令にヘイゼル達は汗を流しながら承知。
ウィルは拡声器をアティ達に向けた後、速やかに戦略的撤退に移った。
決河の勢いで駆け出すヘイゼル達派閥兵。背を向けてヴァルゼルドとともに全力フォームでシュパッ! と光になるウィル。
結果は九割方見えている鬼ごっこが開始した。


『お、追えっ! 逃がすなっ!!』

『茨の君、速過ぎです!!』

『触れもしないスピードには、どんなパワーも通じない……!!』

『動きが不規則過ぎるっ……!?』

『ヴァルゼルド、お前そこの崖から海に飛び込め』

『はいっ!? な、何故でありますか?!』

『僕はともかくオマエあいつ等振り切れないぞ。掴まってマジモンのスクラップになる』

『マ、マジでありますかっ……!?』

『大マジだよ。安心しろ、後で召喚して回収するから』

『ミャミャーッミャーッ、フシャー!!』

『りょ、了解……。────ア、アイキャンッ、フラァーーーーーーーーーーイィッッ!!!!』


夕日の光に消えるウィル達。『げぶらっ!?』と響く沈水音と盛大な水柱。
戦闘意欲などとうに萎えたアティ達は、その光景を見て誰もが無言のまま立ち尽くした。

取りあえず気の乗らないまま護人を筆頭に殲滅戦。
多くの兵を失い少ない手駒も石になっている無色勢力だったが、法衣妻の傀儡戦争もびっくりな悪霊操縦(オート)による人間兵器によって超無双、居合い爺の奮闘もあって結果ドローゲーム。
日も完璧に没する頃、決着つかぬまま痛み分けと終わった。然もあらん。



















夜空は晴れていた。
けれど、一人の少女の胸の内は大雨だった。
昨夜の嵐の影響か雲一つ確認出来ない空の上、光量の高い半月に二つの影が照らし出されていた。

「……あー、落ち着いた?」

「ミャー?」

「ひぐっ、うぐぅ、うぅ~~~~~~~~!!!」

「さいで……」

肩を落としたような声音、と表現すればいいのだろうか。
ウィルは小さな吐息をして指でうなじをかく。
その隣に座るソノラは、泣く声を出しながら首をぶんぶんっと小振りしていた。
ヴァルゼルドは甲板の端でその光景を静観していた。


カイルの海賊船、甲板。
ウィルとソノラは肩を並べ、船内へと続くドアの横手に腰を下ろしていた。
海中から召喚され甲板の上で待機命令を出されていたヴァルゼルドは、ソノラに無理矢理引きずられあの場に着座を強いられたウィルの一部始終を見守っている。
他意はなかったのだが、指示が出されている以上反故にする訳にもいかず、状況的に彼等の動向を見せつけられる形となってしまったのだ。

「僕やることあるんだけどな……」

誰に言う訳でなく空に呟くウィルは参ったというように眉を下げ、次にヴァルゼルドの方に目をやった。
命じられていた周囲警戒は怠っていないと、小さく頷いてヴァルゼルドは彼に伝える。
続けて、と手を振られたのでその指示に従ったが、瞳が向かう先はウィル達に固定したまま、警戒任務の方は内蔵されるレーダーに任せることにした。
野暮とは思いつつも、ヴァルゼルドのバグは人の引き起こす感情の爆発に興味を持ってしまったのだった。


ヴァルゼルドの視線の先ではウィルが気を入れ替えるように顔付きを変える。
ソノラへ泣きじゃくる子をあやすように接した。

「……そんで、ソノラに解る訳ないって言われたって? イスラから?」

「んんうっ……!」

唇を引き結んだままこくこくっと頷く動き。
咽ぶ声は依然静かに響いている。
えぐえぐ、とソノラが膝に顔を埋めて声を押し殺した。

ウィルが拉致……相談されている理由は、イスラ・レヴィノスその人のことについて。
度重なる裏切り行為に、彼女と友人であったソノラは心を痛めている……と、これまでの会話を視聴覚機から拾ってヴァルゼルドはそう判断していた。

「イス、ラッ……わたしとの、ことっ……ぜんぶ気紛れだったって、そう言ってたっ……!」

「あー……」

どう返答すればいいのか、というウィルの気持ちが傍目からでも伝わってくる。
対応はどうするのだろう、とヴァルゼルドは静かに自分のマスターの動きを待った。

「ほら、あれだよ。クノンの言ってたやつ……ツンデレってやつだよ。いつかデレるって」

「あんなツンデレ、聞いたことないよぅ……!!」

むしろヤンデルようぅ、とソノラは消え入りそうな声で口にする。
ツンデレなる言葉は理解不能だったが、ヴァルゼルドもソノラの否定的意見に賛成だった。
部外者であるヴァルゼルドから見ても、あれはウィル達の言う善人とは程遠いと感ずる。

イスラ・レヴィノスは悪辣者。

ヴァルゼルドはあれをそう定義している。
戦場でまみえればまずトリガーを引くのを躊躇わない。ヴァルゼルドがイスラ・レヴィノスに抱いているのは恐らく人で言う所の殺意だ。
あの暴走寸前までなった当時の記録は色褪せないだけに、怒りというバグも継続している。
むしろ、自身も重傷を負わされたというのに、何故ウィルがそうまでしてあれを庇うのか理解出来なかった。

「僕が本気にするな、って言っても信じられないよね、それじゃあ……」

「…………」

嗚咽が治まってきたソノラはウィルの問いに答えない。
ただ、俯いた顔、髪で見えない目元から伝ってくる月明かりを反射した涙適が、如実に彼の言葉を肯定しているようだった。

「……徹底的に嫌われたいんじゃないかなぁ、あいつは」

「……?」

ウィルの呟いた言葉にソノラは顔を上げる。
ちら、と彼女の顔を見やってから、ウィルは視線を前にやって己の考えを口にした。

「イスラにはソノラ達に後ろめたいことがあった、だから今まで嫌われるような真似してきた。加えて、あいつはアズリア達にも後ろめたいことがあった、だから今日あんな真似して徹底的に嫌われようとした」

「…………どうして、それで嫌われようとするの?」

「悲しまれるより憎まれた方が良かったから……かなぁ?」

どこかすっとぼけた言い方をウィルはする。
考察に自信がないというより、根拠を説明する術がないからそんな上辺を演じていると、第三者の位置で見ているヴァルゼルドはそう感じた。

「あそこまでして……?」

「それだけイスラも必死なんじゃないのかな」

さらっとウィルは言っているが、彼自身がそう思い込んでいるのだとしたらヴァルゼルドは複雑になってしまう。
その論だとイスラの嫌われようとした過程で、ウィルは胸を突き刺されたことになる。
なるほど効果は覿面かもしれない。しかしそれを許容出来るとなると話は別問題、ウィルの神経の作りを疑ってしまう。
ましてやその論が真実とは限らないのだ。確たる証拠があればまた別かもしれないが。
普通はソノラのように参ってしまう。彼女の反応が当然の帰結だった。
ヴァルゼルドはウィルの判断に納得がいかなかった。

「ウィルを、それで本当になんとも思ってないの……?」

「僕は基本女性の味方だから」

納得してしまった。

「……あたしは、信じられないよ。イスラのなにが本当って信じていいのか、わかんないよっ……」

「……」

両膝を囲む手が、柔肌の二の腕へ指を食い込ませる。
ウィルは何を考えているのか解らないポーカーフェイスでソノラの横顔を見つめ、また視線を前に戻した。

「当然だろ、ソノラは何もイスラのこと知らないんだから」

ぴたっ、とソノラの動きが止まった。

「イスラにも言われたんでしょ? 何も解る訳がないって。それ、合ってるよ。ソノラは何でイスラが無色の派閥にいるのか知らないし、それよりも前にどうして帝国軍に所属していたのかも知らないじゃないか」

「……ぁ」

「他人のことなんて、その人の考えてることなんて全部理解出来る筈ないんだ。でも、事情を知ることは出来るよ。それを知りもしないで信じられない信じられないって言うのは、うん、やっぱり当たり前のことだよ」

隣を見つめるソノラの瞳が大きく見開かれる。
ウィルはすぐ近くにある双眸と視線を絡ませて、言ってやった。

「知ってあげなよ、イスラのこと。あの大嘘つきが何を隠してるのか……確かめてやれ」

落ち込むのはまだ早い、と静かに言葉を添える。
ソノラの瞳がゆっくりと潤み出し、目尻に滴がたまった。

「…………イスラ、言ってたんだっ。解った風な口を利いた方が腹立つ、って……」

「何だ、知ってもらいたそうじゃないか、あいつも」

堰を切ったように涙が肌をこぼれていく。
ソノラはくしゃっと顔を歪め、再び小さな嗚咽を喉から漏らし始めた。

「できるかなぁ……? あたし、イスラのことっ……知ってあげることができるかなぁ……っ?」

「安心しろ、僕も手伝ってやる」

いい笑みでウィルは、しゅたっ、と親指を上げる。
とうとう揺れていた瞳の水面が氾濫し、ぽろぽろと落涙を止められくなったソノラは、引き寄せられるようにウィルへ抱き付いた。
「?! ぎゃ、ぎゃあーっ!?」と体重を支えきれない小さな体は、そのまま折り重なって一緒に倒れ込んだ。
衝撃で浮いたテンガロンハットがひらひらと宙を舞う。

『…………』

盛大な泣き声が飛び散っていく。
ヴァルゼルドはこれはどうするべきかと沈黙とともに思案。空気を読んでこのまま待機しているか、自力で脱出不可能であろう主人を助けに向かうか。
発汗機能があれば間違いなく稼働させていただろう状況で、しばしの間立ち通した。

やがて、号泣が静かにすすり泣く音に変わる頃。
サンドイッチ状態になっているのかテコの「ブミュウ……!?」という潰れた声が聞こえ、ヴァルゼルドが意を決して足を進めた。

仰向けに転がる少年の体とそれに横抱きの格好でくっつく少女の体。
月の光で縁取られるその場にヴァルゼルドはゆっくり歩み寄り、それから上から覗き込むようにして静かに話しかけた。

『マ、マスター、先輩……』

「……お前がいてくれて良かった」

「ミュブゥー……!!」

空笑いするウィル。
彼とソノラの胸の辺りに挟まっているテコは緩衝材のように体の形を変形させ、小さな手をばたばたと振っていった。

「どうしても離れない。なんとか出来る?」

『や、やってみます……』

泣き疲れすぅすぅ寝息を立てているソノラを、ウィルはちょいちょいと指差す。
護衛獣は主人を映す鏡。女性に気を使うこと何となく察しているヴァルゼルドは、ソノラが目を覚まさないよう注意して引き剥がしにかかった。
三分後、それは徒労に終わることになった。

「うん、まぁ、分かってたよ、分かってた……」

『ス、スイマセン……』

「フミュグー!」

テコから抗議の声が上がるがどうしようもない。
肩身狭い思いでヴァルゼルドは頭を若干垂らしながらその場で直立した。

『……マスター、一つ尋ねても構いませんか?』

「あに?」

場の空気に堪えられなくなったという訳ではないが。
ヴァルゼルドは先程から考えていたことを音声に出力した。

『マスターは、本当にイスラ・レヴィノスを許すのでありますか?』

例えどんな理由があっても、イスラの行ってきた所業の数々は消えない。
集落に火を放ち、ウィルに凶刃を閃かせ、今日絶対の敵となって島の住人達と帝国軍を殺戮しにきた。
これから先も何かしら危害を加えてくるだろう。中には取り返しのつかない事態にまで発展するものもあるかもしれない。
それでも貴方はあれを許すのですか、とヴァルゼルドは何に変えても守り抜きたい主へ静かに問うた。

「…………何も知らなかったら、きっとそんなこと欠片も思わなかったんだろうけどなぁ」

どこか透いた苦笑を浮かべ、ウィルは独り言のように呟いた。

『何か、知っているのですか……?』

「お前がいない時に色々あったんだよ。……ま、正直鵜呑みにしていいのか僕自身も迷ってるけど」

自分がいない間、ということはまだスクラップ場に鎮座していた頃だろうか。

『いつ頃の話でありますか?』

「ずっと前だよ。ほんと、ずっと前……」

ヴァルゼルドを見ていた深緑の目が更にその上、星が散りばめられている夜空の方へ向かう。
ウィルの言い方に少し疑問を覚えたが、取り分け問い質そうとはしなかった。
ずっと前と言ったのだから、ウィルにとってそれは遠い日の出来事ということになっているのだろう。
空を見上げる姿勢で心情をどこかに馳せているようなウィルを、ヴァルゼルドは黙って見下ろした。



「何やってんだ、お前等……」

と、時間がある程度経過した頃。
アジトの方角から船に上がってきたカイルが、呆れたような声をヴァルゼルド達に放り投げた。

『海尉殿……』

「おおっ、いい所に! あんたのとこの妹さんを寝床へ持っててやってくれ!」

「別に構わねえけどよ……」

どうしてこうなった、と訝しげにカイルは顎を動かす。
しかしウィル達の体勢をよく見た所でおおっ? と顔をして、次には意地の悪そうな笑みを作った。

「何だよ、人の妹をたぶらかしてやがったのか?」

「つうより僕が逆に押し倒されたな」

「かーっ、情けねえっ。そこは先制打喰らわす所だろうがよ」

「僕に蜂の巣になれってのか」

「それくらいの覚悟踏んでねぇと、俺の妹はやれねえなぁ」

ニヤと笑うカイルにウィルは左足をスイングして靴を飛ばす。
ひょいと軽く往なしたカイルは屈みこんで妹の剥離作業に取り掛かった。
ウィルの服をがっしり掴んでいる細い両手にチョップを二発、指が緩んだ瞬間ばばっと取り上げ、多少強引にその小さな体を引き剥がした。
おお~、とウィルとヴァルゼルドの間で感嘆の声が漏れる。ころりと転がり床に弾んだテコはゼェゼェと喘いだ。

「そう言えば、どこ行ってたの?」

「ラトリクスとかメイメイの所とか、まぁ色々だ。クノンに連行されちまってな、せっかくだから他の集落にも寄っていったのさ」

武器も壊れちまったからな、とカイルは溜息をつく。
近況を語る様子は無色との交戦が尾を引いてしまっていることを暗に告げていた。

「ていうか、ウィル、てめえあの大砲はどういうことだ。あんなの聞いてなかったぞ」

「敵は騙すからには味方から」

「ほう、本音は?」

「露見すると撤去されそうだったから言わなかった」

「死ねえッ!」

ぶんっ、と先程の靴を投げるカイルだったがウィルはひょいと軽く往なす。
壁に当たって転がったそれを取って履き、すたっと軽く立ち上がった。

「ったく。実際あれに救われたようなもんだから責めれる筈ねえが……お前知ってたのか、あいつ等が島に来るのを?」

「イスラがどっかに電波を飛ばしかけてたのは目撃した」

飄々と語るウィルにカイルは「先言っとけよ…」と頭を抱える。
ヴァルゼルドも今回のミッションはやけに具体的な指示であったことを思い出したが、確かな裏付けがあったのかと納得した。

「そう言われても目撃したのは結構前だよ。帝国軍抱えてる状態で別の外敵にも気を付けろって言われても、注意が散漫するだけだったよ、きっと」

「そうだろうけどよ……」

「結界っていう代物があったらしいから、別に気にかけることでもないかなってそう思ってたんだ。昨日までは」

そう言われるとカイルも返す言葉がないようだった。眉の形を崩して閉口する。
パナシェの話もあって念には念を入れた、と語り終えるウィル。ヴァルゼルドにも理路整然とした話のように聞こえた。
自分の改造計画に何か今回のことを見越した感があったと感じるのも事実だったが、しかしあれはアルディラの暴走の一言だ。
姿形変わった自分を見たウィルの引き攣った顔は忘れられないし、護衛獣になった日に「マッドには気を付けろ」と念入りに警告されもしていた。
主人が上手く利用したというだけの話なのだろう。

「……さっき聞いたけど、無色の派閥、根絶やしに出来なかったんだって?」

「根絶やしって……いやまぁ、その通りだけどな。やる気そがれたってのもあるが、あの僧侶みたいな女とジジイが半端じゃなかったな」

「……畜生」

ぼそっ、とウィルが何事かを吐きこぼした。小さ過ぎてよく聞き取れなかったが。
今日で殲滅する気だったのに、ていうか強くなり過ぎだろ、デッドアンドリバースなんて聞いてねーぞ、と何やら怪しい言葉が続く。
ヴァルゼルドには半分も意味は解らなかった。

「そもそも人員増え過ぎなんだよ自重しろよ自重……」

「……オイ、訳わかんねえこと言ってんな。何もなかったらもう寝とけ。疲れとっとかねえと、明日何が起きるかわかんねえぞ」

ぶつぶつ言っていたウィルだったが、その言葉に「むっ」と何かを思い出したように顔を上げる。

「ヴァルゼルド、この辺りに人の反応ある?」

『いえ、先程からそれらしい熱源は感知出来ませんが』

「……? じゃあ、あっちの浜辺の方は? アレとかアレとかアレがいない?」

『アレ、とはよく解りませんが……本機がここから一望出来る距離には誰も見当たりません』

「…………あれ??」

首を傾げるウィル。
ヴァルゼルドも彼が何を気にしているのか分からない。

「何だ、気にかかることでもあるのか?」

「……カイル、アレ……帝国軍の女隊長どっかで見た?」

「はぁ? あいつ等はお前が全員病院送りにしただろうが。アズリアの奴も先生と一緒にクノンの手伝いしてやがったぞ」

「…………」

カイルの言葉にウィルはきょとんとした顔を作った。
珍しく間抜けな表情をしていたかと思うと、二三度瞬きをして「……あぁ」と口を僅かに綻ばせた。

「そっか、そっか……」

「そっか、じゃねーよ。俺達まで巻き込みやがって。殺す気かっ」

ヘッドロックをかけてくるカイルにウィルは「いでででっ」と言うが、腕に埋もれている顔は笑っていた。
ヴァルゼルドの知らない所で、ウィルは何かを喜んでいるようだった。

「……誰も、死ななかったんだよな」

「死ぬ所だったって言ってんだろう」

どごっ、と拳骨かまされるがウィルは笑みを絶やさない。
頭の帽子を深く下げ、自分の顔半分を覆い尽くすようにした。
「居ない筈だ」と小さくこぼして、ウィルは船外に歩を進め始める。

「おい、ウィル。どこ行くつもりだ」

「先生の所。あと、帝国軍。謝罪がてらちょっと知りたいこと聞いてくる」

「明日でいいじゃねえか」

「今日聞きたい気分なんだ」

機嫌良く答えるとウィルはすぐに船から陸に続く階段を下っていった。
取り残されたヴァルゼルドとテコは互いに顔を見合わせ、たっと小走りにウィルの後を追う。
テコを先に行かせ、ヴァルゼルドも階段に進もうと船縁に手をかけた、その時。



『──────』



視線の先に、赤毛の青年がいた。


『…………』

赤を基調とした服に包まれていた。
平均よりやや高い身長の体は細身のような印象を受ける。
が、姿勢と歩行のバランスから筋質が鍛えられていることがよく分かった。
一定の歩幅を刻む様は軽くなだらかで、何故か、ヴァルゼルドのよく知る人物と背中がだぶって見えた。

階下、自分と同じようにテコも固まっている。
視線の行く先は無論赤毛の青年のもとだ。
そして、ようやくヴァルゼルドは気付く。ウィルがいない。
青年と入れ替わるようにして彼の姿が消えてしまった。先へ行ってしまったのだろうか。
いや、そうじゃない。あの青年は誰だ。
何故誰とも知らない人物を警戒しないでほったらかすような状況を維持している。
でも、それもしょうがない。
だって、似ているのだ。あの人に。あの方に。あの主に。
自分が契りを交わした、あの少年に────

「……っ」

すぐ後ろ、息を呑む気配がした。
テコと一緒に振り返るとカイルもまた目を見開いている。
彼も瞳に自分達と同じものを映しているのか、何かを此方と確認するように顔を見合わせた。

「おーい、テコ、ヴァルゼルド。行くよ」

『!!』

響いてきた声に視線を戻す。
そこには、振り返りヴァルゼルド達を仰いでいるウィルの姿があった。
森に進路をとっている少年はヴァルゼルド達に付いてこいと促してくる。
青年の姿は、さっぱりと消えていた。

『……マスター?』

「うん?」

「……お、おい、ウィル。今、誰か居なかったか?」

「誰かって、誰? 無職みたいの?」

「い、いや、そうじゃねえんだが……」

「僕のレーダーには反応がないぞ」

「夢でも見たんじゃないの」と本当に知らなそうに告げるウィルに、狐につままれたような顔をしたカイルは、やがて苦笑して頭をばりばりとかいた。
俺も疲れてるみたいだな、と笑う彼は「気を付けろよ」と最後に声をかけソノラとともに船内へ入っていった。

「みゅ、みゅう……?」

『…………』

……センサーの故障?
過去のメモリが視覚野に映像を投影してしまったのかとヴァルゼルドは考える。
しかし、自分は元よりVAR-Xe-LDの記録を洗い浚い探っても、さっきの青年のような特徴をもった人間は一件もヒットしない。
純粋な疑問だけが反芻される。

「おぉーい。ちょっと急がないと駄目かもしれないから、早くー」

『「!」』

そう言って歩き出そうとするウィルに、テコもヴァルゼルドも動きを再開させる。
いつまでも経っても弾き出されない解答にこれ以上時間をかけても無駄、ウィルに迷惑をかけてしまうとヴァルゼルドはそう判断する。
足音立てて追ってくる自分達を確認して、ウィルも前を向き足を動かし始めた。

聞けばいいとヴァルゼルドは思う。
一笑に付すような話だが、ウィルに聞いて、それこそ笑い飛ばしてもらえばもう気にならなくなるだろう。
機械の身でありながら感じてしまった言い様のない感覚……不安も姿を消す筈だ。


『…………っ』


だが、ヴァルゼルドは聞けなかった。
今も遠ざかっていくウィルの背中が。
青年のものと重なる小さな背中が、どこかへ消えてしまうような気がして。

今は聞くことも何もかも放り出し。
居なくなってしまわないように、その背中をテコとともに必死に追いかけた。


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