「おはようアリーゼ」
「おはようございます、アルディラさん」
島を巡回するアリーゼに、アルディラが声をかける。
「異常はない?」
「はい。……平和そのものです」
そうして二人は互いに笑い、手を挙げてそれぞれの方向へ歩き出す。
いつものやり取りで、ここまでが二人の一種の挨拶のようなものだった。
無色の派閥を撃退し、暴走した遺跡の意志ディエルゴを打倒して数年。
アリーゼは抜剣者として島を外敵から護る守護者となっていた。
(とは言うものの、時折訪れるはぐれ召喚獣の密猟者を捕まえるくらいしかしていませんが)
無論それはそれで、戦うことを苦手とする島の召喚獣にとっては脅威であることは間違いない。
だが、その程度の相手であれば元々の島の護人、アルディラ、ヤッファ、キュウマ、ファリエルがいれば事足りる。
時折、自分はこの島いるべきなのだろうかと思ってしまうことがある。
(なんて、変に物思いにふけってしまっても仕方がないですね)
気を取り直して、今日の授業の反省でもしよう。
自分は軍学校を卒業して、先生となるために島に戻ってきたのだ。
そして今日は先生として、単独で授業を行った記念すべき日なのだ。
そう……記念…………。
「う……ぅぅぅああああ~~~」
突如、アリーゼが頭を抱えて唸りだす。
それもそのはず、アリーゼの行った授業はほとんど途中で打ち切りのようなものだったのだ。
少し目を離した隙に、子供達が喧嘩をしだしてそれを諌めると、その後は別の子供がぐずりだし、それは別の子供に連鎖して結局時間になったためあえなく授業を終わりにしたというものだった。
「本当に…………さんざんな授業でした……」
思わずため息を吐いてしまう。
信じて授業を任せてくれたアティに申し訳が立たなかった。
アリーゼはアティに授業の様子を報告するのに、かなりの勇気を要した。
(でも……先生…………笑っていました)
アティはアリーゼの話をすべて聞き終えてから意見し、解決策を共に考えた。
そして最後に、次がんばりましょう! と笑顔で肩を叩いた。
(まだまだ、私は先生に教わってばかりですね)
先生みたいになりたい。
頭の中では、それはあまり意味のない目標だというのは理解している。自分は決して他人にはなれないのだ。
それでもアリーゼの心中では、アティのようになりたいという憧れは消えなかった。
ふと、アリーゼは足を止める。
ぼぅっと考え事をしていたせいもあるが、また、という気持ちもあった。
(今日も、結局来てしまいましたね……)
この場所で目を瞑ると、自然とあの日のことが思い出される。
(お別れの言葉も言えませんでした)
出会いと、そして別れの場所。始まりと終わりが交差した、何の変哲もない砂浜。
あの日レックスが消えて、それ以降アリーゼは……誰もがレックスの姿を見ていない。
まるで、レックスなどいなかったかのように思えてしまう。
「………」
空を見上げる。
雲ひとつなく、澄み切った青空に太陽が輝いている。
眩しさに目を細めて、アリーゼは過去を幻視する。
過去。
過去……。
――――嫌ッ!
「!?」
アリーゼが目を見開く。
いつの間にか見慣れていた天井。
アリーゼは荒い呼吸を繰り返し、ようやく落ち着いた。
「………」
船内の部屋の窓から光が差し込む。日は間もなく上りきろうとしていた。
レックスが消えた翌日。
「アリーゼ!」
「……先生」
船の廊下をぼぅっと歩いていたところ、アティが走ってきて抱きつかれる。
いきなり抱きつかれたことに驚くが、アティはお構いなしだった。
「アリーゼ……」
「先生……やっと会えましたね」
「はい。助けてくれてありがとう、アリーゼ」
「いいんです。……先生がそうやって笑っていてくれれば、私は……それで……それだけで…………」
理解していたことではあるが、アティの温かさを感じてアリーゼはようやく自分たちがアティを取り戻したことを実感していった。
アティは仲間や島を守るため抜剣を繰り返し、最後にはオルドレイクたちを皆殺しにして、ついには剣に自分の意思が飲み込まれてしまっていた。破壊衝動ですべてを壊す前に、アティはわずかに残った自我で遺跡の最奥へと進み自らを封印する。たった一人ですべてを背負い込み、自分を犠牲とすることで皆を救っていた。
「もう、いなくならないで下さいね。先生。何があっても……私、絶対に嫌ですから……」
アリーゼがそう言うと、アティはアリーゼの身体を強く強く抱きしめた。
アリーゼは一人島を歩く。
アティは未だ目覚めたばかりで体調が安定していないため、大事を取って船内で休んでいた。
(島を回ってみましたが……)
レックスが消えたことはすでに知れ渡っており、事実レックスの姿をだれも見ていない。
自分一人だけであれば、幻ではなかったのかと思えるが、もう一人消えゆくレックスを見た者がおり、それを確認するためアリーゼは霊界集落を訪れた。
「アリーゼ……」
霊界集落の護人。さまよえる幽霊の少女、ファリエル。
「ファリエルさんも、先生がいなくなるのを……消えていくのを見たんですよね」
アリーゼの問いに頷くファリエル。
「レックスは、もともといない存在だった。それはアリーゼが一番よくわかってるでしょう」
「……はい」
巻き戻った世界には、アティがいなくてその代わりとなるようにレックスがいた。
どうしてそんなことになっていたのか、アリーゼはアティのことで頭がいっぱいでレックスが存在する理由にまで考えが及ばず、そしてレックス個人を認めたら今度はレックスが存在する理由を気にすることもなかった。他の仲間と同じように、そこにいるのが当たり前だと思っていた。
「あの人は、アティの魂を分化して喚び出した存在だったんだと思う。二人の魂の根底に流れる輝きは同じものだったから。
そして、召喚の誓約が果たされれば元通りになる。アティがいて、レックスのいない、元の通りに」
「………」
とつとつと語るファリエルに、アリーゼは地を見る。
いくつもの戦いを経てようやく手に入れたと思っていた島の平穏。
何も犠牲にすることなく乗り越えられるのだとアリーゼは信じていたのだ。
「始めから決まっていたってことなんですか。先生がいなくなることは……」
「たぶん最初はレックスも知らなかったんだよ。自分がこの先どうなるかなんて。
だけどきっと、魔剣を手にしてオルドレイクと戦ったときには、おおよそは理解していたと思う。……そのころのあの人の魂は、普通の人と違っていて、少し不安定な状態だったから。でも私はそれを気のせいだと思って……碧の賢帝を自力で修復しているせいだと思い込もうとして……あの人の強がりを信じ込もうとしていたの。アティの欠けた魂を見るまでは」
「ファリエルさん……」
「魂が分たれたままで入れば、二人とも存在を保てずにいずれ消えてしまうわ。どうすればよかったかなんて今考えてもわからないけど、仕方のないことかもしれないけど……それでも話して欲しかったよね。
勝手に一人で考えて一人で決めて、一人でいなくなって。残された人のことなんて、きっと考えてないんだよレックスは。馬鹿だよ。ホント、馬鹿だよ……馬鹿…………レックスの……馬鹿ぁ……」
ファリエルの瞳から涙がこぼれる。アリーゼに話すでもなく、ファリエルは言葉を紡ぎ続けた。
ファリエルと別れた後、アリーゼはメイメイの店へ向かった。
しかし、店があったはずの場所は空き地となっており、赤い独特の雰囲気のする建物は影も形もなかった。
その様子に、アリーゼは驚くでもなく妙に納得できてしまった。
(メイメイさんは、きっとこの島からいなくなったんだ……)
元の時間の島、そして巻き戻ったあとの島でもメイメイはいつの間にか現れたと聞いていた。
いつの間にか現れたのなら、いつの間にか消えていてもおかしくない。
(そんな不思議な人だから、もしかしたらって思ったんだけどな)
剥き出しの地面を見ていると、アリーゼは感情が薄くなっていくように感じた。
アリーゼは自分の部屋に戻り、無意識に思考を巡らせる。
ファリエルの語っていたことが事実であれば、レックスはアティが召喚している。
アティなら、レックスを召喚できる。
代償は、術者の魂。
(そんな召喚術、聞いたこともありませんが……)
抜剣者となった自分であれば、可能かもしれない。
魔剣を通して共界線へと接続し、無限とも言える理を紐解けばいずれ答えは見つかるだろう。
しかし、もしも自分がアティと同じことを実行しても、その結果召喚される者はレックスではない別の誰かだ。代償となる魂が異なるのだから当然のことだろう。
つまり、これは二者択一。
アティとレックス、どちらかの者しか存在できないということ。
考えれば考えるほど、どうしようもない、仕方のないことのように思えてくる。
「キュピー…………」
「……教官殿……ぐぅ……」
机の上で眠る、キユピーとヴァルゼルド。
未だ消耗の激しいキユピーと、慣れない身体に疲労しているヴァルゼルドには休息が必要だった。
寄り添う両者はまるで仲のいい兄弟のようだ。
(……ヴァルゼルドさん)
機械兵士であるにも関わらず魂が存在しており、なおかつ強い願いを抱いていたからこそレックスの召喚に応じることができた者。
それほど想う召喚主がいなくなれば、果たして喚び出された者はどうなるのだろうか。
(そんなの……そんなの……ッ…………?)
ふと、机の引き出しが少しだけ開いていることに気がつく。
(キユピーかヴァルゼルドさんが動かしたのでしょうか?)
アリーゼは何の気なしに引き出しを閉めようとすると、一枚の紙が目に入った。
いつか、レックスから出された課題の作文の用紙。何度も何度も書き直し続けている、自分の望んだもの。
アリーゼは用紙を手に取り見返す。
記された内容は、この島で過ごしたこと。アティとレックスと過ごした出来事。
そして未来の望みとして、先生達と共にこの島で暮らすこと。
ちっぽけな、しかしもう二度と手に入らないものだった。
(…………ぁ)
アリーゼは作文を最後まで読み返し、その横に一筆自分とは異なる字が記載されていることに気づく。
たった一言。なんでもないことのように、一言だけ。
しかし、その一言にアリーゼはいても立ってもいられなくなる。
「……ッ!」
アリーゼは用紙を手にしたまま部屋を飛び出した。
砂浜にて。
「はぁはぁ……はぁはぁ…………」
アリーゼは全速力で走ってきたため、呼吸が乱れたままだった。
(本当に……)
肩で息をしながら、アリーゼは右手に掴んだ紙を強く握り締める。
(本当に、先生が先生に召喚されているのなら……)
サモナイト石を左手に取る。
(あの人が、この言葉を書いたのであれば……)
アリーゼは顔をあげ呼吸を落ち着かせる。
(これが……きっと、あの人をこの世界に繋いでくれる!)
アリーゼは目を閉じる。
自分の身体に巡る魔力を感じ取りながら、徐々に集中させていく。
誓約の儀式。
アリーゼは紫色のサモナイト石を手に、一気に魔力を放出させた。
「召喚!」
――――ぽんっ、と。
小石がアリーゼの頭に当たった。
「………ッ」
歯を食いしばって、アリーゼは黒色のサモナイト石を手に取る。
「召喚!」
小石が頭に当たる。
赤色のサモナイト石を手に取り、
「召喚!」
小石が頭に当たる。
緑色のサモナイト石を手にして、
「召喚!!」
小石が頭に当たった。
「………」
紫、黒、赤、緑。
リィンバウムを取り巻く四世界、霊界サプレス、機界ロレイラル、鬼妖界シルターン、幻獣界メイトルパ。それらに通じるすべてのサモナイト石を使用した誓約の儀式に効果はなかった。
そうして、アリーゼは白色のサモナイト石を手に取る。
白色のサモナイト石は、どこにあるともわからないとされている、名もなき世界からの召喚を可能とするものだった。
他の世界と異なり、名もなき世界については召喚士の間でも詳しいことはほとんど判明していない。ただ、召喚に応じるものがあるということだけがわかっていた。
(だからこそ、あの人を召喚するなら、一番可能性は高いはず……)
自然、アリーゼは息が荒くなっていく。
鼓動が早まる。いつの間にか手が湿り、頬に汗が流れる。
アリーゼは右手に持っていた紙をサモナイト石を持つ左手に持ち替えた。
(誓約の儀式に、魔力量の大きさは関係ないはずですが……)
頭では理解しているが、アリーゼは全力で儀式を執行することにした。なんのことはない、単なる気の持ちようだった。
アリーゼは真上にに右手を伸ばし、
――――抜剣。
虚空より生まれた魔剣を手に取る。
瞬間、身体中に活力が溢れ圧倒的な魔力が体内を駆け巡るのを感じる。
「先生」
目を閉じ、左手を掲げ、莫大な魔力をサモナイト石に集中させていく。
(……先生、か)
知らずこぼした呟きに、アリーゼは小さく笑った。
レックスと最初に出会ったとき、どれだけ困惑して落胆して絶望して邪険にしていたのか。
それがいつの間にか、アリーゼの中でアティと同じくらいに大切な存在となっていった。
アティと異なり、似ていて、別の者で、同じ輝きの魂を持つ者。
(必ず、成功させてみせます……)
白色のサモナイト石がアリーゼの魔力に反応して激しく輝く。
通常ではありえないほどの魔力を集中させ、アリーゼは誓約の儀式を執行した。
「召喚!!!」
――――――――ぽんっ、と。
小石が頭に当たった。
……どういうつもりだよ。
「う~ん? どういうつもりって?」
俺をこんな場所に連れてきて、こんなものを見せて。それで一体あんたはどうしたいっていうんだよ。
「さて、どうしたいっていうのはないかなぁ。私は決める側じゃなくて、提示する側だから。
私は何も選ばないわ~、にゃはははははは」
ちっ。
俺は想像のみで舌打ちする。
魂の残りかす、精神の残骸でしかない俺はかろうじて意識のみを維持していた。
自分のいる空間がどこなのか判然としない。見覚えがない。どころか、リィンバウムですらないかもしれない。いつの間にか俺は薄暗い何もない場所にいた。
俺の前には、アリーゼが誓約の儀式を行う様が映し出されており、その傍らにいるのは不思議の押し売り的存在なメイメイさん。
そして、
「私は、選んだよ」
微笑を浮かべる赤毛の女。
俺を喚び出した召喚師であり、アリーゼの家庭教師。
「あとはレックス次第だよ」
俺だってとっくに選んでる。
現状維持。それが非の打ち所のない正解だ。
「そうかな。私はそう思えないよ」
そりゃあんたが馬鹿だからだ。
馬鹿でも分かる。あんたは更に輪をかけて馬鹿ってことになるな。
「馬鹿って言うほうが馬鹿なんですよ」
じゃあ今馬鹿って言ったあんたはやっぱり馬鹿ってことになるな。
「つまり、二人ともお馬鹿さんってことよね~にゃはははははは」
……おい。
酔っ払いに馬鹿呼ばわりされるとか……屈辱を通り越して憤死しそうになるな。
俺に身体があれば怒りでぶるぶる震えているところだろう。
だいたい、今のアティには魔剣がない。アリーゼが所持していることもそうだが、未だ消耗の激しいアティに魔剣が扱えるとも思えない。
魔剣がなければ、そもそも魂を糧とする召喚術が使えるはずがないんだ。
ただの人間に、元々なかったものを召喚するなんていうデタラメなことができるわけがない。
「確かに今の私に魔剣を扱う力はありません。
でも、今はできるできないの話はしていません。やるか、やらないかです」
ふん、仮定の話に興味はない。
「そうやって、自分の気持ちから目を逸らし続けるんですか?」
……この野郎。
「道理に合わないからって、すべてのことに納得できるわけはありません。
少なくとも、私には無理でした……」
アティが苦々しい表情で笑う。
魔剣の力を最大限引き出して世界の時間を遡行させた者だからこその言葉だった。
「あの娘が、あんなに悲しそうな顔で暮らしているのを放ってなんておけませんでした。もしもそれが正しいのだとしたら、私は間違った答えを選びます。そしてそれは、今度だって同じです。
……その結果あなたが、あなたでなくなるのだとしても」
な……!?
「あなたの懸念していること、それは私があなたを召喚することで再び私の存在が希薄になること。私が今までのように状態になることを善しとしない……レックスは、そう考えているんですよね」
アティは自らの魂を分化させて俺を召喚したことで、精神を大きく消耗しその結果ディエルゴの支配を完全に受けることとなった。
すでにディエルゴが消滅しているので今度は意識を乗っ取られるなんてことはないが、アティが精神を消耗することに変わりはない。おそらくは再び意識を失い続け目覚めることはないだろう。
「でも、それだけじゃない。
私があなたを召喚したときにした約束……『アリーゼを守ること』。それが誓約であったのか否か、その如何によって、あなたはあなたでなくなってしまうかもしれない」
………。
図星を指されると、無性にため息をつきたくなるな。
アリーゼを守ること。
それを俺は誓約に従っていただけなのか、それとも俺の心に基づいて行っていたのか。一体どちらだったのか俺にはわからなかった。
もしもアティの課した約束が誓約となっていた場合、再度同様の誓約を行わなければ、それはもはや今までのレックスとは異なる存在だろう。そして逆の場合も同様だ。自らの意思で行っていたことが、誓約に縛られ続けることとなる。
たかがそれだけ、と言えるほど、このことは俺にとって軽いものではなくなってしまっていた。
「正直に言って、私はあなたに誓約を課したのかどうか、わからないの。あの時、私は剣に意識を完全に奪われないようにすることで精一杯だったから……ごめんなさい」
……はっ。
そこまでわかってるなら、もういいだろ。
そうだよ。
俺は怖ぇんだよ。
俺が俺でなくなるかもしれないこと。
俺でなくなった俺を見て……あいつがどう思うのか。そう考えると、無性に怖くてしょうがねぇんだよ! 不安で仕方ねぇんだよ!
あんたの心配をしているように見えて、結局のところ俺は俺のことがかわいいだけだ!! そんな奴のために、あんたが無茶することはねぇだろ!! だからあいつの傍にいてやれよ!! あんた先生なんだろ!!!
「………」
………。
「やっと、本当のこと、教えてくれたね」
……こんな糞みてぇなこと、吐き出させるんじゃねぇよ。鬼か、てめぇは。
「だって、とても大事なことだったから。
でも私ね、これからするレックスの召喚に誓約を課すつもりは最初からなかったんだよ」
は?
……あんた、一体何言って、
「私はあなたが来てからこの島であったこと、ずっと見てきたから。
だから大丈夫」
アティがぐっと両手を握り俺を見る。
なんの根拠もない言葉なのに、無性に心が揺り動かされる。
「もしも……たとえ、誓約から始まったことだとしても」
無性に、信じてみたくなる。
「レックスはレックスだよ」
アティが魔力を集中させる。
合わせて、なにか心を揺さぶるようなものが巡っているのが感じられた。
それでも、あきらかに魔力の絶対量が足りない。
本来あるはずのないものを喚び出した、最初に俺を喚び出した時の膨大な魔力には到底及ばない。
……アティ、もういい。あんたの気持ちはよくわかったからよ。
やっぱりあんたは、最高の先生だよ。
「お礼を言うのはまだ早いですよ」
馬鹿野郎、俺はあんたを犠牲にしてまで喚び出されるようなご立派な奴じゃねぇよ。
だいたい召喚する上で絶対的に魔力が足りていないだろう。
ここまでやってくれたなら、本当に十分だよ。だからこれ以上無理すんな。
「……ぷ……くっ。あははは」
何笑ってんだ……無茶しすぎて頭のネジ飛んだか?
「なんだかレックスを見ているとおかしくて我慢できなくなってしまいました」
……お前それ失礼すぎねぇか。
「人のふり見て我がふり直せ、ですね。
……だから、私は救ってみせます。あなたも、アリーゼも、そしてもちろん、私自身も。
私はもう、自分の大切なすべてをあきらめたりなんてしません!」
アティが祈るように両手を合わせ、目を閉じた。
瞬間、周囲に爆発的に魔力が荒れ狂う。
……馬鹿な? ……こんな膨大な魔力、魔剣を抜剣でもしていない限り在るわけが……!
呆然とする俺に、アティが額に汗を垂らしながら魔力を制御し続ける。
と、目を開けて俺にウインクをしてから視線を外す。
反射的に視線を追うと、俺は映し出されていることに気づく。
抜剣した少女が、誓約の儀式を執行しようとしているのを。
サモナイト石を持たずに、最大限まで魔力を放出させているのを。
「…………ません」
映し出されたアリーゼが、アティと同じように額に汗を垂らしながら言う。
「あきらめ……ません」
……アリーゼ…………。
「私と一緒に行くって言ってくれました……」
握り締められた作文の紙片。
制御しきれずに溢れ出た魔力が少しずつ紙をバラバラにしていく。
「私はあなたを……うそつきになんて……させてあげません……!」
際限なく溢れかえるような魔力を発し続ける。
「絶対に私の望みを、わがままを…………叶えます!!!」
握り締められていた紙はすべて消えていく。俺もだ、と書いた紙が消えていく。
瞬間、焼けるような熱さを感じた。身体がないはずなのに、頭の奥が、胸の奥が、焼けるように熱い。
「レックス」
アティが俺に向かって手を伸ばす。
……この手をとったら、俺は……アティは……、
「レックス」
……アリーゼは…………。
「レックス」
俺は……。
「クソったれ!!!」
叫んで、俺はアティの手を握る。
そうして、二人の声が重なった。
『――――――召喚』
エピローグ 楽園の在処
夜、まるで昨日をやり直すように広場には仲間達が集まっていた。
皆には今までの諸々の事情を説明すると、説教されたり、ぶんなぐられたり、爆笑されたりした。
なかなかにひどい扱いだが、結局のところ俺は歓迎されているらしい……と思うけど微妙に自信なくなってくるな。いくらなんでも笑いすぎだろ、こいつら。
そして、毎度恒例の宴会が始まり、今は宴もたけなわ、最高潮の盛り上がりで騒ぎまくっていた。
俺は喧騒から離れた場所で足を投げ出して座っていると、目の前に杯が差し出された。果実のジュースが入っている。
「おお、ありがとな」
俺が受け取ると、アリーゼは、どういたしまして、と言って俺の左隣に座った。
「みんな、すごかったですね」
「すごかったっていうか……すごかったな」
俺がげんなりして言うと、アリーゼが笑った。
「仕方ないですよ。私もびっくりしましたし」
「そりゃそう思うのは無理ねぇかもしれねぇけどよぉ……」
結局のところ。
俺はアティとアリーゼによって召喚された。
されたのだが……元のままというわけにはいかなかった。
俺をそのまま召喚すれば、アティに負担がかかりすぎて、また意識を失ったままになってしまうからだ。
そんなわけで、喚び出された俺は…………、
「最初はだれかと思っちゃいました。まさか、召喚に失敗してしまったのかなって」
「いや……まぁね…………」
アリーゼが勘違いするのも無理はない。
召喚された俺の身体は当初より随分サイズダウンしていた。端的に言えば子どもになっていた。見た目の年のころではアリーゼと同じくらいだろうか。
「ちび!! ちびレックスだ!!! あははははははははは!!!」
「ぷぷぷーーーーあはははあははははは。先生かわいすぎ!! すっごい生意気そう!!」
「あら、センセ。うらやましいわぁ。若さを取り戻せるなんて……あはははははははははははははは!!」
おかげで、カイルやソノラ、スカーレルに事情を説明したときは、いきなり指さされて爆笑されまくった。
他の連中も我慢しきれずに噴き出したり、無意味に微笑ましいものでも見るようにされて、大変居た堪れない気持ちになったもんだぜ。
「にしたって、あんなに笑うこたねぇよな……」
思わずため息を吐いてしまう。
宴会が始まってからは、俺に酒を持ってきては、さんざんおちょくりまくってジュースを渡してくる奴多すぎワロタ状態。いい加減にしやがれと俺が切れるのも無理ないってもんだぜ。
そんなわけで、ちょっと喧騒から離れた場所でまったりしていた次第。
「ふふふ」
「うわ、アリーゼもかよ。もう勘弁してくれ」
「キュピピー」
キユピーがアリーゼの肩から飛んで、俺の頭に乗る。
……慰めているつもりなのか、おちょくっとんのか判断に困るな。
「そういやキユピーは無事回復したんだな」
「はい。だれかさんとは違って、素直に私の召喚に応じてくれました」
「………」
「勝手にいなくなって、どうなってしまったのか、二度と会えないんじゃないかって心配するようなこともありませんでしたしね」
思わず顔が引きつる。
……アリーゼさん。気のせいか、なんか今日は毒吐いてないっすか。
ニコニコ笑ってるのに、怒ってるっていうか、微妙に不機嫌なような。
今日はアティ(とちびレックス)の帰還を祝う日だよ? めでたいんよ?
思わず俺は右隣に座るミニマム機械兵士に視線を送る。
俺、ピンチ。お前、タスケロ。
視線の意味を悟ったのか、ヴァルゼルドはこくりと頷き、
「アリーゼ殿、教官殿を責めるのはその辺りに……」
「そんなことしてません」
ヴァルゼルドの言葉を遮って、普通の調子で言う。
「これは、じゃれているだけです」
「それ典型的ないじめっ子理論じゃねぇか……」
思わず小声で抗議してしまう。
ダメだ、なんか知らんがアリーゼさんはご立腹らしいですよ?
おっかしいなぁ……召喚されたときはアティ共々抱きつかれて嬉しそうにしていたんだが。
まぁ、今日くらいはしょうがねぇか。甘んじていじめられ役を受け入れるとするさ。
気を取り直すように小さくため息を吐いて、俺はアリーゼに聞いた。
「ところで、いつなんだ」
「いつ?」
「島を出るのが、だよ」
「……あ、えっと……カイルさんたちが二、三日後には船で出発するらしいので、それに乗せて貰うことになっているんです」
「そっか」
そうしたら、しばらくはこの島ともお別れだな。
……ただ、俺やアティは当然文無しなわけで。
マルティーニさんにとっては、娘が沈没した船に戻ってて生死不明状態なわけだから、アリーゼの無事を知らせるため、一度マルティーニ邸を訪れないとあかんわけです。
そして、俺達も軍学校の試験を受けるまでの滞在費の工面的な意味でマルティーニさんに会わなければならない。文無しは辛いぜ。まぁ、どうせ交渉するのはアティだからいっか。
「教官殿、自分は……」
「お前はその機体の整備があるだろ。俺が戻るまでにしっかり適応しておけよ」
「……了解しました」
若干不満そうではあるが、ヴァルゼルドは渋々納得したようだ。
そのうちヴァルゼルドが今の機体に慣れてくれば、島を出ることも可能になるだろう。そのときは、こいつを連れて旅をするのも悪くない。
「軍学校」
ぽつりと、アリーゼが呟いた。
「学校がどうした?」
「一緒に……行きませんか?」
「え、やだよ」
「………………」
「ひィッ!?」
「キュピピピー!?」
思わず即答したら超すごい形相で睨まれた。キユピーなんてめっちゃびびって飛び立って行きましたよ。
「いや、だって俺話しただろ? 俺にはアティの知識が多少はあるから、今更軍学校なんか行ったってしょうがねぇんだって!」
「でも、身体能力は落ちたって言ってましたよね。だったら身体を鍛え直すためにも……」
「いやぁ……それ目的だけで軍学校行くのもどうかなぁ……」
内心冷や汗を流しながら俺はアリーゼの誘いを断る方便を探す。
俺がすべての記憶を取り戻す前、アティの記憶を改竄して自分の記憶と混同していた時のことを思い出す。
冗談じゃねぇ、あんな規律やら上下関係の厳しいとこ、俺に耐えられるわけがねぇよ。
朝起きてから夜寝るまで。
ほぼ一日のスケジュールが完全に決められており、自由時間は名ばかりで出された課題を必死に取り組まなくては授業にはついて行けず、体術・教養の双方が伴わなければ即放校行き。休日もあるにはあるが、試験が近づいていればそれに追われるハメになる。一応学生とはいえ軍人扱いとなるため、普通に働く人より若干少ない額の給料は支給されるが、そんな程度じゃ俺には割に合わなすぎる。
いくら知識面で多少猶予があるとはいえ、あんなガチガチに束縛されるとこなんて好んで行きたいわけがねぇ。
アリーゼなら、富裕層の集まる幹部候補クラスに配属されるだろうから、そこまで理の伴わないひどいもんでもねぇだろうけど。ちなみに、幹部候補クラスに行く者は出自を問われることから、俺は絶対に行くことができない。
「それに俺は、こいつの護衛獣みたいなもんだし」
俺は眠るアティの頭を軽く叩く。
アティは、足を投げ出して座っている俺の右腿を枕に絶賛爆睡中だった。
時折、もう食べられませんよ~、などというベタすぎる寝言が聞こえたりしていた。
食うだけ食って、ちょっと酒飲んだらあっさり寝込みやがりましたよ、この召喚師さまは。
アティって俺よりよっぽどガキだ……。
「仮にも自分の召喚主、マスターを長期間放置するわけにもいかんだろ」
「それは……そうですけど…………むー」
アリーゼは納得しきれないのか、半眼で俺を睨む。
……別に、本気で俺を入校させようとしているわけではないだろうに。一体なにがそんなご不満なんだ、この娘さんは。
「……もういいです。知りません!」
言って、アリーゼが杯をぐいっと一気に煽る。
まるでヤケ酒でもしているようだ……って本当に酒臭くねぇ? っていうか酒だろそれ!?
「馬鹿」
杯を置いて、アリーゼが立ち上がって喧騒の中心へと走っていく。
若干ふらふらしていて、足どりは微妙に頼りない。
「おお、アリーゼも来いよ!」
近くに来たアリーゼに、カイルが手招きする。
いつの間にか、何人が火を囲んで思い思いに踊っていた。
カイルのタコが如き踊り。
対称的に華麗に舞うスカーレル。
シルターン独特のミスミの踊りに、ぎこちなく合わせるキュウマ。
ファリエルとマルルゥ、キユピーが空を舞い、スバルを始め子供達がめちゃくちゃにぐるぐる回る。さりげなくクノンも回っている。
踊る者も、見る者も、みな一様にして楽しげだ。
アリーゼは踊る者の輪に入り、魔剣を抜剣した。
白く染まったアリーゼは華麗に剣舞をしてみせ、めずらしく興が乗ったのかアズリアが合わせていた。
二人の動きに皆が無責任に騒ぎ立てる。口笛吹いたり咆哮上げたり、もう盛り上がればなんでもあり状態だ。
「………」
踊るアリーゼを見て、一瞬記憶が蘇る。
俺にとっての、この島での一番最初の記憶。
華麗に戦い舞う、真っ白な少女。
ひょっとしたら、俺はあの時から……。
ぼぅっと見ながら思い出に浸っていたら、いつの間にか当の本人が目の前にいた。
「……レックスくん」
真っ白な少女は、僅かに頬を赤く染めて、にっこり笑って言った。
――――おかえりなさい。
~ END ~