……リ…………助けて…………
翌、明け方。
薄明かりが島全体に降り注いでいる。
俺は碧の賢帝とジェネラスニールを納めた二本の鞘を腰にさげ、部屋を出た。
さすがにこの時間に起きている人はいないのか、船の廊下は物音ひとつせず静謐な雰囲気に包まれていた。
「ん?」
ふと、ある部屋のドアがわずかに開いていることに気づく。
俺は何の気なしに、その隙間から部屋の様子を伺う。
「……すぅ…………すぅ…………」
部屋の主が穏やかな寝息を立てて眠っていた。
熟睡しているのか、俺が部屋の前に立っていても気づく気配はない。
俺はそっとドアを開け、中に入る。
数える程度にしか入ったことのない部屋だが、不思議と俺にとっては落ち着く空間だった。
整頓された机、掃除の行き届いている床、わずかに埃の積もった窓枠。
「これは……?」
机の引き出しからはみ出している紙片。
確か以前、作文の宿題を出したときに俺がみんなに渡した提出用の紙だったはずだ。
そういえば、アリーゼは新しい紙が欲しいって言ってきてたっけ。もらっていた紙は破けたとか言ってような。
その後、スバルやパナシェ、マルルゥと一緒に俺に作文を提出していた。
内容は確か、軍学校に入って立派な婿を見つけて父を安心させたい。そんな感じだったはずだ。良家の娘ってのも楽じゃねぇなと思ったもんだ。
「………」
アリーゼは未だ寝息を繰り返すのみで来訪者に気づいた様子はまるでない。
……うむ。ならば仕方あるまい!
何が仕方ないのか自分でも謎だが、俺は音を立てぬように引き出しを開け紙を取り出した。
アリーゼは、以前作文について恥ずかしいから誰にも見せないと言っていた。
だがしかし! 俺は先生なのでそういったものでも泣く泣く監督せねばならぬ責任があるのだ!
「さって~、なに書いたんかな?」
ふんふんと鼻歌でも鳴らしたくなるくらいの満面の笑みで俺は作文に目を通す。
あのアリーゼさんが慌てて隠すってのがどんなものなのか興味はありまくりだ。
………。
俺は最初から最後まで読み終え、もう一度最初から読み始める。
内容はたわいもない、それこそスバルたちと変わらない子供らしいものだった。
初めはマルティーニの屋敷でのこと、そしてこの島での出来事が書かれ、それだけだった。
最後に、その後のこととして将来の夢が書かれているが、それはひどく簡潔で、しかし何度も書き直した跡があり、だからこそ強く願っていることが俺には伝わってきた。
『できることなら、この島でみんなと暮らしていきたい。みんなで協力して仲良く暮らしていきたい。
カイルさんやジャキーニさん達は船に乗って島を離れてしまうでしょう。
アズリアさん達も軍に戻ってしまうでしょう。
でもきっと、ときどきは島に戻ってきて、みんな揃って宴を開いたりできると思います。そのとき、私は島のみんなと一緒にお出迎えをします。とても楽しい時間になると思います。
そうして、私はいつまでもこの島で暮らしていきたいです。
大好きな先生と先生と一緒に。』
二度、三度と読み返す。
マルティーニの屋敷のことはもちろん、この島の出来事でも俺の知らないことがいくつも書かれていた。
最初は影でそんなことがあったのかー、なんて思っていたがそれは勘違いだった。
アリーゼはアティがいたころの島と俺がいるころの島のこと、両方を書いていた。
先生と喧嘩したことも、宴会で騒いだことも、イスアドラの温海に行ったことも、アティの時も経験したことだったのか、律儀に両方でのことが書かれている。
アティに物語の創作について褒められたこと、俺との戦闘訓練で大変だったことなど、どれもたわいもないことだった。
「はは……」
弱々しい笑いが漏れる。
ずっと、アリーゼの本当の先生はアティだけだと思っていた。
なれてもせいぜい二番目。それは当然で、仕方がないとすら思っていなかった。
アリーゼの言動から俺とは別の先生の存在に気づいた時から、あきらめていた。
アリーゼが俺を先生と呼んで認めてくれるなら、それで十分だと思っていた。
アティについて知り、ゲンジのじーさんの話を聞いてからは更に顕著になっていたはずだった。
「現金な野郎だぜ、俺は……」
袖で顔を拭う。
俺は傍らに置かれていたペンを取り、作文の書かれた紙に一筆し引き出しに戻した。
変わらずに寝息を立てているアリーゼ。
俺は一度だけアリーゼの髪をそっと撫でた。
「……ん……ぅ…………すぅ………………」
アリーゼは僅かに身じろぎをして、再び寝入った。
すやすやと眠るアリーゼを見ていると、胸が熱くなる。
この熱が強く強く訴える。守りたい、と。
それと同時に脳裏には別の言葉が浮かぶ。守りたいという感覚。それは、俺の本心なのか、それとも――。
俺は首を振り、はっと笑い飛ばして部屋を出る。
なんでもいい。やることは変わらねぇし、決意も固まった。
「行ってくるぜ」
返答のない挨拶をして、俺はドアを閉めた。
船長室で時間を潰していると、カイルが入ってきた。
「よぅ」
「おぅ」
短い挨拶。
カイルは俺の正面に座り、他の面々がくるのを二人で待つ。
「碧の賢帝は直ったのか?」
「おかげさまでな。無限回廊の方はどうだった?」
「すげぇところだったぜ。最初は雑魚ばかりだと思ってたら、進めば進むほど強くなっていってあっという間に正面突破ができなくなった。短い時間だったが鍛えられたはずだ」
「そいつぁ期待するぜ」
「任せろ。
……なぁレックス。お前はどうしてアリーゼを戦いから外したんだ?」
「あ? ロクに戦える状態じゃねぇってのは説明しただろ」
アリーゼがこの世界とよく似た世界から召喚されてきたのか、それともこの世界自体の時間を巻き戻ってきたのか。
そのどちらかだろうと俺は見当をつけているが、説明するのも面倒そうなので皆には記憶が混乱して本来の力を出せなくなっていると説明していた。
「それならアリーゼを治すなりして戦えるようにすればいいだろ。
けど、お前は様子見だけでアリーゼの状態を改善させることはなかった。
それはどうしてだ?」
「どうしてって……」
「以前のお前なら、碧の賢帝をアリーゼに持たせて使えるかどうかくらいは確認したはずだ。
それは試したのか?」
……そういやアリーゼが碧の賢帝を使えるかは試してなかったな。
今のアリーゼの記憶では抜剣者はアティってことになってるはずだし、欠損した状態の魔剣を握らせる気にはなれなかったし。
「お前は無茶をする奴だ。
だが、それができると思えば他人にも無茶を要求する。
それが今回のアリーゼに関しては、ひどく過保護だと思ってな」
「過保護て」
「惚れたか?」
「ぶほッ!? ……ッ!? げほっ、ごほっ……ッぉぉぁぉぉぉ……」
思わず噴出して喉が詰まり咳き込む。仕舞いに同様して変な声が出た。
「ちょっと先生!? それホントなの!?」
「……驚きました。少し年が離れすぎていると思うのですが」
「アタシとしては愛に年は関係ないと思ってるわよ。心さえこもっているなら変な色眼鏡で見たりしないわぁ。うふふふふ」
「てめぇら何決め付けてやがるんだ、っつーかどこからわいて出てきやがったぁ!?」
いつの間にか集合していた三人が、船長室の開けっ放しになっているドアを指差す。律儀な方々ですね!
「大きな声出すとアリーゼが起きるぞ」
ニヤニヤするカイルに俺は慌ててドアを閉める。
ぐぬぬぬぬ、この俺がからかわれるとは。
「……そういえばファリエルから、昨日は先生とアリーゼがずーっと一緒にいたって聞いたよ」
「あらあらあらあらあら」
若干引き気味のソノラに、ますます調子に乗るスカーレル。
スカーレルに無意味にぽんぽん肩を叩かれまくる。
うわぁ、超鬱陶しいっす。
その様子を見ていたソノラが、俺を汚物でも見るかのように遠巻きに見る。
「そのときはなぜか、アリーゼに『レックスお兄ちゃん』って言わせてたらしいよ」
「言わせてねーし!! 『レックスくん』だし!!!」
何わけのわからん属性を俺に付与させようとしてんだこのアマ! マジでぶっ飛ばしますよ!?
「いやいや、先生よぉ。ちょいと待ってくれ。
レックスくんも大概おかしくねぇか? お前らは同い年の子どもか?」
「うぐっ!?」
そ、そりゃあ俺だっておかしいと思ってたんだよ?
でもさぁ、微妙な精神状態のアリーゼにはどう接したらいいか俺だってよくわからなかったんだよ!
変に機嫌損ねてアティのこと突っ込まれても答えらんないでしょ? ってカイル達にアティのこと言ってないから説明できないし、しても今の状況じゃわけわからん苦しい言い訳にしか聞こえないぃぃぃぃ!?
うわあああああああ、だれか俺の心労わかってよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?
「くそ! こんなことになるなら最初からレックスお兄ちゃんって呼ばせておけばよかった!!」
「……マジで引くよ先生……遠い世界の住人になっちゃったんだね……」
「スカーレルぅぅぅぅうううう!!! てめぇ人の背後取って何わけのわからん声真似してやがんだあああああああ!!!
言っていい冗談と悪い冗談があるぞてめええええええええええええええええええええええ!!!!!」
「ねぇ、アニキは大丈夫? 実は先生みたいな趣味があったりしない?」
「そう怯えるなよソノラ。大丈夫、俺はノーマルだ。俺『は』な」
「よかったぁ」
心底安堵した表情を浮かべるソノラに、よしよしと乱暴に頭をなでるカイル。美しい兄妹愛である。これが俺を犠牲にした上に成り立っていなければ拍手くらいしてやったよこの野郎!
そして、沈黙していたヤードが申し訳なさそうに手を挙げて爆弾を落とした。
「実は私、先ほどレックスさんがアリーゼの部屋から出てきたのを見て……」
「すんません勘弁してくださいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃ」
この後、集いの泉で皆が集まった際、再度からかわれたわけだが……もういいよ。勝手にしてくれ……。
遺跡深部、識幹の間。
「最深部へ向けての探索準備、すべて完了いたしました」
「ご苦労でした。追って指示を待ちなさい」
ヘイゼルの報告にツェリーヌは頷く。
「さすがは始祖たちの築き上げた施設だけのことはあるな。
構造が複雑で、中枢を掌握するのにも苦労させられるわ……」
油断ない表情でオルドレイクが歩を進める。
「あなた……傷のほうは大丈夫ですか?」
「問題ない」
オルドレイクは変わらぬ調子で進軍するが、その胸中は穏やかではない。
(……魔剣を利用して遺跡の掌握をすることは今は危険だ。不確定要素をこれ以上増やすわけにはいかん。
私が直接この手を下すしかあるまい。奴らよりも先に、な)
オルドレイクの手にしている魔剣、紅の暴君に今は傷跡はない。ウィゼルの鍛冶師としての腕とオルドレイク自身の魔力で修復は完了している。
しかし、魔剣が破壊されることでのダメージは決して無視できるものではない。
碧の賢帝は砕け、二本の封印の剣が揃わぬものとなった今、遺跡の掌握には慎重を期し臨むべきだとオルドレイクは考えていた。
焦る必要はない。だが、悠長にことを構えているわけにも行かない。
先の戦いでの傷は癒えたが、オルドレイクの心には今も刻まれている。
島のはぐれ召喚獣たちの連携攻撃、アリーゼの魔剣の力すべてを解放したかのような圧倒的な召喚術、弟子であった者の底力。そして――、
(あの男。レックスという男。折れた魔剣で、この私に刃向かい紅の暴君に傷をつけた……)
歯軋りをし、オルドレイクは痛みの伴わない痛みを感じた。
「先に進むぞ……。無駄な時間をかけるのは最小限にしたいものだからな」
「そう言うなって」
その声に、オルドレイクは素早く首を向ける。
「おっさん、もう少しゆっくりしていけや」
「おっさん、もう少しゆっくりしていけや」
「貴様ら……!」
赤マフラーの女、ヘイゼルが後方から現れた俺達を警戒し、素早く黒ずくめ達が陣形を形作る。
即座に一触即発の空気が生まれる中、ぼそりと呟くカイルの声が風に乗った。
「俺の台詞取られちまったよ。……ロリコン先生に」
「ぶはっ!」
背後で噴出す音がした。
必死に笑うまいと堪える努力と、それが叶わず無理矢理笑い声をかみ殺してダダ漏れる奇怪な声があちらこちらで上がる。
あっという間に場は、ぷっくくく、だの、いーっひっひっひ、だの悪魔顔負けの忍び笑いで満たされた。
「ひ~……ふ、ふふっふっふ…………やはり……遺跡の、確保を……べひっ……優先したわけね……く、くっ」
意外と笑い上戸だったのか、アルディラが緩む口元を必死に制御する。
融機人さんとは思えない感情の乱れっぷりだった。少し前のシリアスな空気は完全に吹き飛んでいた。
カイルは自分で言っておいて頬をひくひくさせまくり、その隣にいるソノラはやっぱり俺を汚物を見る目でドン引きしている。
ヤッファは腹をかかえて膝をついてうずくまっている。
ヤードとスカーレルは顔を背け口に手を当て、その隙間から何度も、ぶふふぅと息を漏らしている。
ミスミさまとアズリアは悪びれずに離れた場所で普通にあはははははははははと涙流しながら俺を指さして爆笑している。
マルルゥやクノンはこの状況がよくわかっていないのか、?マークを乱舞させていた。
つか、アズリアさん、あんたそんなキャラでしたっけ。
いやもうどうでもいいんですけどね……。
「ここが、貴様らの……ぶふぅッ…………は……ひゃかば……ぷくくぅ……ッ…………墓場……ダ……ヒ~ッ!」
もはや我慢の臨界点を超え涙目になりつつある鬼の忍。
忍ぶ気ないなら忍者なんてやめろやキュウマ。
「ここから先にはいかせません」
周囲が笑いの混沌の只中に落ちているのを完全に無視し真顔で言うファリエルと、気合と鋼の意思できりっとした表情をキープするフレイズ。
ファリエルは俺を馬鹿にしないでくれるんだなぁと感動する。
だがしかし、先ほど集いの泉で集まってから開催されたレックス先生大イジリ大会から、ずっと真顔のままなのはなんとかなりませぬか?
はっきり言って怖ぇ。正直びびる。なんか妙な迫力があるんですよ今のファリエルさんには。
「………」
俺は無言で振り向き、カイルに顔を向ける。
カイルは俺と目が合う前に素早く顔をそらし、頭の後ろで手を組み口笛を吹く。
激しくベタな誤魔化し方だった。ていうか誤魔化すつもりねぇだろてめぇ……。
「恐怖のあまり、精神に異常でもきたしましたか?」
ツェリーヌに思いっきり憐憫の表情を向けられる島の者達ご一行。
「ほっといてください……」
コホン、とひとつ咳払いし強引に話を戻す。
「にしても、遺跡の確保を優先するとはな。俺はてっきり、まずは邪魔な俺達を潰しに来ると思ってたんだがなぁ。オルドレイクのおっさんよぉ」
強引に話を戻して軽く挑発してやると、オルドレイクは眉間に皺をつくり前へと出てくる。
ちなみに周囲のかみ殺した笑い声は止んでいる。若干聞こえる気もするが、面倒なので俺は聞こえないことにした。
最終決戦とも言える戦いの前になんという緊張感のなさ、といった突っ込みをする奴はいねぇのか? いねぇのか。
……いいやもう、とっとと話を進めっぞ!
「遺跡さえ手にしちまえば、敵はいないだろうなぁ。
ってーことはなにか? あんたら無色の派閥さん方は、俺達が怖いのかな? 正面から戦うのを恐れちまうくらいによ」
「弱い犬ほど、よく吼える」
「さっすが。無敵の魔剣、紅の暴君の使い手は言うことが違うねぇ。
んで、ご大層な口をきいて、尻尾を巻いて逃げちゃいますか? やっぱり遺跡の確保に走りますか?
……だったらしょうがねぇ。追っかけて、追っかけて追っかけて追っかけて。逃げる獲物を残らず狩ってやるよ」
俺は獰猛に笑う。
瞬間、周囲から何かが切れる音がした。
「なんという口をきくのですか!?
無色の派閥の大幹部、オルドレイク・セルボルトに対する数々の侮辱、到底看過することなど出来ません!!」
『ッ!!!』
ツェリーヌを初め、周囲の無色の下っ端連中がこめかみに青筋浮かべまくって俺を射殺さんと眼つけてくる。
オルドレイクは憎悪に顔をゆがめ、紅の暴君に手を掛ける。
「己の矮小さを理解しておらぬようだな」
「ほぅ、ならぜひご教授いただきたいねぇ」
「よかろう。矯正してやる!」
オルドレイクが魔剣を抜き放ち白く染まる。同時に沸き起こる圧倒的な魔力の奔流。
……ちっ、紅の暴君はきっちり修復されてやがるか。
ヒビ入ったままならラッキーくらいに思ってたんだがな。
「やれるもんならやってみろよ、おっさん!!」
俺も碧の賢帝を抜き構える。
淡い碧を放つ刀身は、つい先日に半ばから折れて粉々になっていたとは思えない輝きを放っている。
「ほぅ……」
ウィゼルが碧の賢帝を見て感嘆の息を漏らす。
「魔剣を修復するとは……」
「お互い様ってねぇ。条件は同じだぜ」
「ふ。面白いことを言う。
お前は魔剣の力を十分に引き出せるというのか?」
俺が碧の賢帝を手にしても何の変化もしないことを指しているのだろう。
それを聞いた瞬間、俺はウィゼルへの恐怖が和らいだ。
……くくく。とんでもねぇ剣豪爺だと思ってたけどよ。
案外かわいいとこもあるじゃねぇか。
「そんなん知るかよ。戦うのは俺だ。魔剣は振るわれるだけさ」
「………」
「オルドレイクをぶっ倒したら、次はてめぇだ。慌てず待ってろよ」
ウィゼルに言い捨てて、俺はオルドレイクへと正眼の構えを取る。
思いっきり息を吸い込み、下っ腹に力を入れ叫ぶ。
「やるぞてめぇらああああぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああ!!!」
「応ッ!!!!!」
裂帛と共に俺達は散開し、正面から無色の派閥へと戦いを挑んだ。
俺は中段に構えたままのオルドレイクに対して、一気に接近する。
オルドレイクが大振りの一撃を放つが、そんなものが当たるわけがない。
俺はさらに踏み込み、近づくことでそれをかわす。それこそ、剣の間合いを超えて近接する。
オルドレイクの動揺する気配。
腕を伸ばしたら届く程度の間合い、これでは互いにロクに剣を振るうことはできない。
「おらァァァ!!」
俺は右手を碧の賢帝から放し、こぶしを握り渾身の一撃をオルドレイクの顔面へと繰り出す。
オルドレイクはかろうじて後退し顔をひねることで回避するが、俺はさらに前蹴りを放ちオルドレイクの鳩尾をとらえる。
「ぐぉッ!?」
単なる蹴りだが、急所を的確に捉えた一撃。
痛みに一瞬動きが止まるオルドレイクへ、すかさず突きを放つ。
「ちぃッ!!」
オルドレイクは俺の突きを横移動で躱し、大きく後ろへ跳び間合いを取った。
数度の呼吸でオルドレイクは息を整える。
……くそ、あんだけ思くそ蹴ってやったけど、やっぱりダメージはほとんどねぇか。
おっさんが剣を気にしまくるのを逆手に取ってみたわけだが、攻防を制してもこれじゃあ埒があかねぇ。
連続で打撃を入れまくれば多少は効くだろうが、やはり最後には剣による一撃がどうしても必要になるか。
オルドレイクも俺の意図に気づいたのだろう。
余裕の表情で不遜な態度を取り戻す。
「……この私を倒す、だと。魔剣を使いこなせぬ貴様にそれが可能だと思うか?
否、今の攻防がその答えだ。それでも虚勢と意地だけで戦うつもりか?」
「………」
「くくく。絶望のあまり声も出せんか」
「アホかてめーは」
「なに?」
「意地以外の何で戦うっつーんだよ」
俺は上段に構え、限界まで気を高める。
一撃だ。防がれようともすべてを叩き潰す一撃で終わらせる。
碧の賢帝が俺の意志に呼応して、その輝きを増す。
魔力とも違う、得体の知れない力が魔剣から発される。
「な……!?」
オルドレイクがその力にたじろぎ、僅かに後ずさる。
「意地以外に命を張る理由なんてねぇよ」
極限まで溜めた気合を武器に、俺はオルドレイクめがけて疾った。
起床すると、船内にはだれもいなかった。
この島に来てこんなに静かな船内は初めてだった。
カイルをはじめ海賊達はいつも騒がしいし、だれかを訪ねて島の人やジャキーニたちが来ればそれは倍増する。
いつしかアリーゼは、そんな騒がしい船を自分の帰る場所と自然に思うようになっていた。
「みんな、どこへ行ったんだろう……」
口に出して、アリーゼは改めておかしなことだと認識する。
違う。
この世界はきっと違う。
自分が安穏と暮らし、大変さや苦しさはあっても、必ずなんとかなると何の保証もなく無自覚に信じられた世界ではない。
(昨日の島の様子、とても静かだった。何かに怯えるように誰も外に出ていなかった)
集落からは隠し切れない緊張感があふれ出し、共に歩いていたレックスからも表面上はのんびりとしていても時折焦燥感がにじみ出ていた。
きっとただ事ではない。
そう結論付けると、アリーゼはすぐに船を出て、あてもなく歩き出す。
「そういえば……」
世界が違うと言えば、一人だけ自分の記憶にはない人物がいる。
「レックスくんは、どういう人なんだろう」
思えば最初から変な人だった。
当然のように自分に話しかけ、当然のようにカイルたちと接する。
最初は海賊の仲間かと思っていたが、そういうわけではなさそうで、ヤードのように客人という扱いが一番近いのだろうか。
島のみんなとではファリエルと話していたのしか見ていないが、とても親しそうだった。二人で島を回ったときには、迷いもせず的確に地理を把握していた。ある程度の期間、この島で生活していることは間違いなかった。
レックスと二人で歩いていて話しが途切れても気まずい雰囲気にもならない。
年が離れているはずなのに、不思議と仲の良い友人のようにアリーゼには思えた。
(なんだか……先生みたいに親しみやすくて……)
脳裏に浮かぶ言葉を引っ込める。
どうしてか、それを言うのは憚られる。
無意識の内に無理矢理納得していたアティの不在。
漠然とした不安は、意識をした瞬間に明確な形をとる。
(不在……?)
その言葉に強烈な違和感を抱くと同時に、アリーゼは、はっと息を呑む。
「出てきて!」
すぐさま魔力を集中させ、召喚する。
「キューピピー」
「キユピー!」
呼びかけに応え、召喚された護衛獣を抱きしめる。
この島に来てから、ずっと共にいた友達。こんなに長い間一緒にいなかったことなどなかった。
「ごめんね、キユピー」
「キュピ、キュピピピピ!」
腕の中にいるキユピーが暴れる。
忘れてしまっていたことについて怒っているのかとアリーゼは思い、もう一度ごめんねと謝るが、それでもキユピーはおさまらずにアリーゼの腕を抜ける。
「きゃ!?」
「キュピー、キュピピー! キュピピピピピ!!」
キユピーは今まで聞いたことのない声を発して、あさっての方へ飛んでいく。
「キユピー!?」
あっという間に姿が小さくなっていく護衛獣をアリーゼは慌てて追いかけた。
「うるぁぁぁっぁあああああああああああああ!!!」
俺は碧の賢帝を叩きつけるようにオルドレイクの頭上へと振り下ろす。
「!?」
オルドレイクは俺の渾身の一撃を、身をひねってかわす。
碧の賢帝は勢い余って床を叩き亀裂を走らせる。
俺はすぐさま引っこ抜き、強引に横切りをする。
しかしオルドレイクは勢いのない一撃を完全に見切り僅かに身をそらせてやり過ごし、
「ナックルボルト!!」
機界の召喚獣、ナックルボルトを召喚した。
巨大な体躯の両手から高速のミサイルが、超々短距離から発射される。
げぇっ!?
思ったときには爆発、俺の身体は大きく吹き飛ばされた。
地を転がり何回転もしてようやく仰向けになって止まる。
「くくく、ははははははは!! どうした、剣を手にしたところで貴様はやはりその程度なのだ。器が伴わなければ、いかに強大な武器を手にしようと宝の持ち腐れだ!!」
オルドレイクが哄笑し、倒れている俺を見下す。
膨大な魔力と召喚術の中でも高威力を誇るナックルボルトのダブルインパクト。
召喚術に覚えがある者が受けても、その身は粉々にされるだろう。
「いってーなてめぇ……」
「貴様……!?」
俺が身を起こすと、オルドレイクは目を見開く。
「なんだその反応は。まさか今ので俺をやれるとでも思ったのか? どんだけおめでてーんだよてめぇは」
「馬鹿な……立ち上がることなど……馬鹿な…………」
俺は服の埃を払って、余裕の表情で剣を構える。
「くぅ……!!」
慌てて構えるオルドレイク。
……動揺しまくってんなおっさん。
俺はニヤリと不敵な笑みを無理矢理浮かべる。
無論、オルドレイクの召喚術が効いてないわけがない。っつか、めっちゃくちゃ痛ぇ。ぶっちゃけもう2、3発食らったら昇天してもおかしくないレベル。
ダブルインパクトが直撃する直前、咄嗟に碧の賢帝を盾にして術の威力を軽減させたからこそ、どうにか立っていられる。
それを勝手にオルドレイクが自分の召喚術が効いていないと勘違いをしているだけだ。
……まぁ、そう仕向けてはいるんだけどさ。
俺は今になってようやく魔剣の特性というものに気づいた。
碧の賢帝も紅の暴君も、おそらく使い手の魔力以上にその精神に反応する。
つまり、ハッタリがそのまま力になる。
ただ、厄介なことに俺の意志では剣の威力を上げることはできても、自身の能力自体を上げることはできない。
おそらくオルドレイクや以前のアリーゼであれば身体能力を上げることは可能だろう。
気づかれてはならない。
今ですら、オルドレイクと俺の力の差は歴然としている。
それでも一方的に蹂躙されずに戦いになっているのは、オルドレイクが直接剣を合わせるのを避けているせいだ。
一度破壊された魔剣がトラウマになっているんだろう。元はあれだって、皆がよってたかってオルドレイクをボコボコにして消耗させ、たまたま俺の一撃が紅の暴君の臨界を突破させただけだ。
魔剣が圧倒的な力を有するのは事実だが、それだけだ。
あまりにも強大すぎる力のせいで、オルドレイクはそれを絶対の力と勘違いしている。
そして、その力を受けて表面上は平気な顔してる俺は、さしずめ化け物か何かに見えていることだろう。
「どうしたおっさん、そろそろ準備運動は十分だろ?
いい加減本気の戦いをしようや」
俺は再び上段に構え、隙なく近づいていく。
「今度は外さねぇぞ」
「……!!」
オルドレイクには迷いが残っている。
俺の碧の賢帝での攻撃を魔剣で受けるか、あくまでかわし続けて打撃や召喚術で戦うか。
俺とて、弱体化しているオルドレイクからの攻撃であっても何度も受けるわけにはいかない。
なにより俺の魔剣による攻撃を受けたオルドレイクに致命傷が与えられなければ、奴は勝手に自信を回復し俺はなぶり殺しにされるだろう。
やるなら何者を砕く一撃で。あるいは連撃で一気に押し切るしかない。
……こちらも覚悟を決めるべきか。
俺自身の力のみで立ち向かうか、それとも――――いや、ダメだ。
自分に嘘はつけない。失敗した時点で俺は秘めてきた希望を打ち砕かれて、戦う気力が鈍ってしまうだろう。
その先は単なる自滅だ。今は賭けに出る状況ではない。
なるだけ奴を恐怖させ、動揺させ、最高威力の攻撃をぶつける。
それだけを意識して俺は気を練っていく。
近づく俺に対し、オルドレイクが詠唱を開始した。
キユピーが真っ直ぐ飛行する。
風雷の郷を抜け、ラトリクスを抜けていく。
(まさか……遺跡の方へ……?)
アリーゼは息を切らせながら走る。全力でなければキユピーの姿を見失ってしまう。
やがて、喚起の門を抜けると帝国兵が散っていることに気づいた。
「おまえは!?」
ひときわ大きな体格をした男、アズリアから兵の指揮を任されたギャレオがアリーゼを見て声を上げる。
「どうしてこの場に……待て! 隊長からお前を通すなと言われぐおおおぉぉぉぉ!?」
問答無用でキユピーがギャレオの股間に体当たりをぶちかます。
南無。
ギャレオは泡を吹いて気絶した。
「ひィッ!?」
ギャレオの傍に控えていた帝国兵が思わず恐怖に身をすくませた。
本能的に自分の股間に手を当て、急所を死守する。
「あ、あわわわ……」
倒れるギャレオにアリーゼは慌てるが、キユピーは無視して遺跡の方へと飛んでいた。
「キユピー待って!
……ギャレオさん、ごめんなさい!!」
アリーゼは謝ることしかできず、キユピーの背中を追った。
後ろから「副隊長ぉぉぉぉぉぉぉ!!!」だの「氷嚢を!!! 氷嚢を持ってこぉぉぉぉぉい!!!」だの怒号が聞こえてきたが、アリーゼは振り切るように全力で走った。
馬鹿が!!
俺は上段の構えのまま一気に気を練り上げる。
オルドレイクは熱に浮かされたように、冷静さを失った状態で詠唱を続ける。
おっさん、そいつぁ悪手だろ!
気を練り上げると、今度は魔力を碧の賢帝に込めていく。
オルドレイクが召喚術を放つ直前にダッシュで間合いを詰めて、すべてを叩き込む。
どんな達人でも召喚をする直前に生じる隙はなくしようがない。
一対一で、来るとわかっている召喚術なんぞ、狙ってくださいって言ってるようなもんだぜ!!
意思をすべて破壊に回す。
叩き潰す。ぶち壊す。ぶっとばす。
呼応するように碧の賢帝が輝きを増していく。
オルドレイクが詠唱を完成させ、召喚の言葉と共に魔力を放出させる。
「消えろおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
「くたばれええええええええええええええええええええ!!!」
俺は地を爆発させオルドレイクへと飛び込み、あらん限りの力で頭上から振り下ろした碧の賢帝で一撃を与えて吹き飛ばす。
同時に身体を襲う連続の斬撃。
召喚獣、鬼神将ゴウセツによる真・鬼神斬。
無防備な身体に受けた召喚術による斬撃に、俺はなす術もなくその場に崩れ落ちる。
……まさかゴウセツが来るとはな。
野郎に迷いがなければ肉塊にされてたかもしれんな。
単独で召喚する中では最強の威力を発揮する真・鬼神斬。
加えてオルドレイクの魔力を考えればその力は押して知るべしだ。
俺は剣を杖変わりにしてどうにか立ち上がって、オルドレイクの姿を探す。
確かに碧の賢帝でオルドレイクを捕らえたはずだ。手ごたえは十分に感じられた。
感じられたのだが……。
「………」
オルドレイクはうつ伏せに倒れていた。
紅の暴君はその手から離れ傍らにある。
よく見るとオルドレイクの肩が僅かに揺れていた。
「………」
ゆっくりと、オルドレイクは立ち上がる。
その瞳は狂気の色に輝き、何物をも見ていないように思えた。
「くくくくくくくく……ふははははははははははははははははははははは!!!!!」
とうとうトチ狂いやがったか、というわけじゃないですかね。
オルドレイクは紅の暴君を手に取り、悠然とした歩調で向かってくる。
その姿は一見して隙だらけ。
裏表の意味なしに徹頭徹尾隙だらけだった。
召喚術を行使する僅かな硬直時を狙う必要などなく、今なら何発でも攻撃を入れられるだろう。
だが、それにどんな意味があるというのか。
……糞が。
俺は、賭けに負けた。
俺の意志では奴の意志を折ることは出来なかった。
オルドレイクからは何者をも圧倒する純然たる力が溢れている。
紅の暴君からはまさしく魔剣と呼ぶに相応しい、禍々しくも燃え滾る狂気が発せられている。
もやはこいつにどんな攻撃をしようと、ただ跳ね返されて徒労に終わるだろう。
……だからどうした?
「負けねぇよ……負けられねぇ」
碧の賢帝が淡く輝く。
「聖母プラーマ」
召喚に応じて、ゴウセツにやられた俺の傷を癒していく。
俺は碧の賢帝を正眼に構え、オルドレイクに対峙する。
「ふん……解せんな」
俺の行動を見てオルドレイクの瞳から狂気の色が薄れ、代わりに興の色が濃くなる。
「そこまでして、お前はなぜ刃向かおうとする?
馬鹿正直に痛みと向き合わなくとも、形だけでも恭順の意を示せば生きながらえることは可能であろうに?」
何言ってやがんだこのタコは。
「何にもねぇんだよ……」
「なに?」
「俺には何にもねぇんだよ。何もかもなくなったんだ。
この島で触れられたんだよ、色んなもんをよ。
てめぇの意思、てめぇの意地、そいつを捨てたらまた何にもなくなっちまうだろうが」
「………」
「大事な奴らがいる。護りたいと思う場所がある。この程度の戦いなんてチャラにしてくれるくらいのな。
だったらやるしかねぇだろ!」
……なぁ、アティ。
アリーゼは俺達とは違ったんだな。
お前は剣の暴走で思うままに力を振るって目の前の憎い敵すべてを虐殺した。
きっと俺も同じ状況になれば同じことをしたんだろう。
「オルドレイク。てめぇもアリーゼを見ただろ?
あいつは、てめぇらなんぞを殺すことよりも護ることを優先したんだよ。すげーだろ? 傷つけることよりも、憎むことよりも、いざとなったら真っ先に救うことしか考えてなかったんだ。魔剣が砕けるほどに無理をしてまでな。
筋金入りの馬鹿野郎だよ。ホント、馬鹿だよ」
魔剣は精神の剣。その通りだ。
アリーゼの感情の断片が、この剣には秘められている。
「あいつにとってこの島のことがどれだけ大事か、俺には剣を通して直に伝わってくるんだ。
いや、剣なんて通さなくてもわかるに決まってる。
その心は剣が砕けて一緒に砕けちまったけどよ……それでもアリーゼは護りたかったんだろうよ」
「………」
「まったくもって損な生き方だ。苦労ばっかり背負い込んじまう馬鹿野郎だ。呆れちまうよ。俺には絶対真似できねぇよ。
……そんな大馬鹿野郎を放っておけるかよ! これ以上、あの笑顔を壊させるかよ!!」
碧の賢帝が輝く。同時にぴしりと頭の中で音が響く。
「てめぇらごときに!! 踏みにじらせてたまるかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
覇気と共に、俺はオルドレイクに突っ込み連撃を放つ。
上から、左右から、下から、斜線上にあらゆる角度から剣を振るい、オルドレイクはそのすべてに対応してみせた。
魔剣同士がぶつかり合い、遺跡が鳴動をする。
俺の全力の斬撃にオルドレイクは狂気を再燃させ哄笑する。
「くくくくくく、はーっはっはっはっは!! なるほど。つまりはくだらぬ感傷というわけか!!!」
「ぐぁ!?」
一瞬の隙をつき、オルドレイクの振るう刃が俺の防御を崩し、完全に身体が泳いでしまう。
しまっ……!?
「終わりだ!!」
紅の暴君が目の前に迫る。避けられない。召喚術を発動する間もない。
「終わるかよ!!」
俺は必死で碧の賢帝をかざす。
同時に紅の暴君からの圧力が碧の賢帝にかかり、全身が吹き飛びそうになる。
「感傷に流されたまま永遠の眠りにつくがいい!!!」
狂乱の笑みを浮かべるオルドレイク。
圧力がさらに増し、碧の賢帝を持つ俺の手が勝手に震える。
ぴしりぴしりと頭の奥で連続で音が発され、俺は徐々にオルドレイクに圧され……、
「キュピピピー!!!」
「ごぁああ!?」
突如オルドレイクが横合いから来た光る何かに吹き飛ばされ地面と平行移動をし、壁に激突した。
「……え?」
俺は何が起こったのかわからずにいると、光る何かはオルドレイクを吹き飛ばした勢いのまま、周囲の無色の兵達の元へと突っ込み次々と無差別に吹き飛ばしまくっていく。
無色たちは「ぎゃああああ!?」だの「ぐぇ……」だの断末魔を発して強制退場していく。
うおぉぉ、すげぇ無双状態。
つか、あの体当たりしてるのってキユピーじゃねぇか!?
「うをっ!?」
「なにごとじゃ!?」
「キユピー!?」
カイルやミスミさま、アルディラたち島の皆が、高速で体当たりをぶちかましまくるキユピーを見送る。
何人もの無色兵が宙を舞っていくのを、俺たちは呆然と見つめていた。
……なんつー無茶苦茶な。
いきなり乱入したキユピーに思わず滝汗でもたらしそうになっていると、背後で恐怖に染まった声が聞こえた。
「う……あぁ…………ッ!」
「な!?」
階下でアリーゼが3人の紅き手袋の暗殺者に囲まれていた。
アリーゼは懸命に戦おうとしているが、実力差を肌で感じているのかロクに戦闘態勢も取れずにいる。
好機と悟ったのか、暗殺者たちはアリーゼとの間合いを詰めていく。
くそ! 間に合え!!
俺は即座にアリーゼの元へ向かってダッシュを発動させる。
段差部分をそのまま通過し俺の身体は宙を舞う。
不安定な体勢のまま俺は魔力を集中させ召喚術を放つ。
「シャインセイバー!!」
打ち砕け光将の剣。
暗殺者たちの頭上に生まれた輝剣は狙い違わずその身を貫いた。
「んがっ!?」
着地こそ足からしたものの、俺は勢いを殺しきれず満足に受身もとれずに地を転がる。
……ちっ!
すぐさま立ち上がり暗殺者たちの姿を確認する。
暗殺者たちはシャインセイバーで倒れはしないものの、こちらに警戒して間合いを取っていた。
「レックスくん……!?」
「ブラックラック!!」
アリーゼの呼びかけには答えず、俺は再度召喚術を発動させる。
3人のうちの2人に直撃させて倒すと、残る暗殺者には接近して蹴りを入れ昏倒させた。
っぶねーな、まったく……焦ったぜ。
周囲に敵がいないことを確認すると、俺はアリーゼに向き合う。
「なんでこんなところに来るんだよ!? 戻れ!!」
「でも……」
「でもじゃねぇよ! 奴らの力がわかるだろ! 今のアリーゼじゃ歯がたたねぇんだよ! 足手まといにしかならねぇ!!」
「だってキユピーが……キユピー!?」
アリーゼがふらふらと浮遊して戻ってきたキユピーを抱きとめる。
何人もの敵にぶちかましを入れたキユピーの身体はボロボロだった。
「聖母プラーマ!」
俺はすぐさま召喚術によりその傷を癒すが、徐々にキユピーの身体が透けていく。
キユピーがアリーゼの腕からすり抜けると、目の前でアリーゼくらいの背の天使へと変化した。
「キユピー……!?」
驚きの声を上げるアリーゼに、キユピーがゆっくりと目を開けて、微笑んだ。
「アリーゼ……」
「キユピー……なの?」
アリーゼの呼びかけに頷くキユピー。
「おもいは……きえない……」
「え……?」
「こころ……くだけてなんか……いないよ……」
半透明だったキユピーの姿が、さらにその存在を希薄にしていく。
「あなたのこころはくだけていない。だから、あなたがたいせつにしているもの……おもいだして……」
キユピーはアリーゼの身体を抱きしめその姿を重ねると、次の瞬間キユピーはまったく見えなくなった。
アリーゼは数秒間呆然として、はっと意識を取り戻して俺の腕をぎゅっと強く掴んだ。
「先生、キユピーが!! キユピーが消えて!? どうして……!?」
「落ち着けアリーゼ! 力を消耗しすぎて、この世界でその身を保てなくなっただけだ」
「本当に!? キユピーは無事なんですか!?」
「護衛獣ならその存在が感じられるだろう。召喚石を通じて意識を集中させてみろ」
アリーゼは慌ててキユピーの召喚石を取り出して両手で包む。
アリーゼの魔力に反応するように、召喚石からぽぅっと淡い光が灯った。
「あ……」
「キユピーはサプレスの住人だからな。
……にしても姿を保てなくなるほど力を使うなんてな。無茶しすぎだぜ」
「よかった……」
アリーゼが安堵して召喚石を胸に抱く。
っていうか、キユピーの正体が天使だったことに驚愕だ。タケシーみたいな分類だとばっかり思ってたし。しかも女だったんかい。
それ知ってたらちっとは扱い考えたのになぁ。
「先生」
「なんだ?」
あれ、……先生?
「思い出したのか、アリーゼ!?」
俺ははじかれたようにアリーゼの目を見る。
……って、え、なにその顔。なんでそんな不機嫌なのアリーゼさん? なんか睨まれてるように見えるんですけど、気のせいですかね?
「碧の賢帝を貸してください」
「え、いや。でもよ……」
「いいから貸してください!」
アリーゼは俺から無理矢理に碧の賢帝をぶん取り、例のごとく白を纏う。
……げ。
「う~~~……」
碧の賢帝を握ると、なぜかアリーゼは表情を険しくして目に涙を浮かべ、俺に向かって威嚇の声でも上げるようにうなり始めた。
「ちょ、アリーゼ……?」
「なんでこんなことしてたんですか。どうして先生がオルドレイクと戦ってたんですか!」
「いやだって……なんか俺、碧の賢帝使えたから……」
「碧の賢帝は砕けてしまったじゃないですか!」
「直したんだよ。直れってやってたら直った……んです……」
「それでまた壊してどうするんですか! 剣が砕けたらどういうことになるか、私を見てわかっているんでしょう!」
「いや、今はそれ壊れてないし……」
「表面上も中身もボロボロです! どれだけの無茶をしたらこんな風になってしまうのか想像できませんよ!」
え、と思って碧の賢帝を見ると刀身にはいくつものヒビが入っている。
おぉう、一体いつの間に……オルドレイクと打ち合ってるときかね。
でも俺はアリーゼみたいに剣砕いたりはしてないよ……。
「だいたい先生はいつもいつも私に心配をかけるんです! 私の前でどれだけ気を失っているか数えたことはありますか!? あ、その顔はぜんぜんわかっていない顔ですね。いいでしょう、教えてあげます。私が帝国軍に捕まったとき、私が碧の賢帝を通して遺跡に囚われたとき、それに私を庇ったときなんて死にかけましたよね!? 私のせいで先生が死んだりしたら私どうしたらいいんですか! どうしてそんな心配ばかりかけさせるんですか! たまには私の立場になってみてください! 先生も心配する立場になればいいんです! そうです今度は私が無茶しましょうか? ああ、いいですねそうしましょう、もっとも私は先生みたいに強くはないですから簡単に死んだりするかもしれませんね。そのときはちゃんと責任取ってくださいね。できないなんて言わせませんよ。私はいつもいつもいつも先生が倒れるたびに傷つくたびにたくさん心配してきたんですから!!」
ぜーはーと大きく息をするアリーゼ。
言いたいことを言いまくってすっきりするかと思いきや、まだまだ言い足りないのか俺を真っ直ぐに睨み続けている。
とりあえず、訂正だけはしておくか。
「悪いがアリーゼ。ひとつ言っておくことがある」
「なんですか……」
「ウィゼルの攻撃を庇って、アリーゼが俺を回復してくれた後もまた気絶したぞ」
「馬鹿ですか貴方は!!!」
アリーゼのバックに雷鳴が轟く。比喩ではなく、怒りすぎて溢れた魔力でタケシーでも召喚したのだろう。
こちらの様子を伺っていた暗殺者や無色の召喚師たちが、その高威力具合にビビりまくっていた。
「いやぁ、でもどれも不可抗力なもんだし、しょうがねぇだろ?」
「ああもう!!! どうして!!!! なんで平気な顔してそんなことさらっと言うんですか……ッ!!」
今度はペンタ君を召喚してズガンズガンとそこら中で大爆発を引き起こしている。
最終兵器と化したアリーゼさんから間合いを取りまくる無色たちがちょっぴりうらやましい。
「……はぁ。もういいです」
やがてアリーゼは周囲に当り散らしまくってすっきりしたのか、怒りを収めてくれた。
ふぃ~、あまりの無差別攻撃具合にちょっぴり死を覚悟したぜ……。
「先生はみなさんを助けてください。私はオルドレイクを倒します」
アリーゼの見据える先には、吹き飛ばされて壁に突っ込んだ後に這い出てきたのか、オルドレイクが階上より俺達を見下ろしている。
……あー、やっぱりダメージはなさそうか。化けモンだなありゃぁ。
「おいおい、勝算はあんのかよ。剣だってそんな状態で……」
「負けるわけがないです。私は一人で戦うんじゃありません。碧の賢帝を通して、みんなの、先生の想いを束ねて戦うんです。だから負けるわけありません」
「え、なにその感情論……」
「先生がそれを言いますか」
半眼で俺を見るアリーゼ。
ふぅ、とため息をついて、アリーゼは碧の賢帝を構える。
「……こんなに暖かい想いが護ってくれているのに、負けるわけないです」
アリーゼが小声で何かを言って、目を閉じる。
碧の賢帝がその輝きを増し真っ白になると同時、甲高い何かが割れる音がして、次の瞬間には光は収まり剣は元に戻っていた。
……ぉぉぅ、俺があんだけ苦労した修復を一瞬でかますとか。もはや笑うしかねぇ。
アリーゼの意志、アリーゼの魔力はもうわけわらかんくらいのシロモノだ。
確かに今の狂気に染まっているオルドレイクでも撃破できそうだな、こりゃ……うん?
よく見ると、魔剣は淡く輝いているが、その色は今までのように碧ではなく蒼に変化している。
気のせいか、今までの抜剣状態にあった冷たい張り詰めたような気配は薄れ、暖かな熱が感じられた。
「みんなの力になってください、先生。私は平気です」
アリーゼは目を開き、自信に満ち溢れた表情できっぱりと言い切る。
「だって、今の私は片手で龍も倒せますから!」
頬を染めて笑いながら冗談を言うアリーゼ。その身を躍らせ、オルドレイクへと突っ込んでいく。
俺はアリーゼの後ろ姿を見送りながら、「うん、倒せるだろうね」と素で思った。