「……あなたは、誰ですか」
「は?」
「私を知っているんですか? この島の方ですか? カイルさん達のお客さんですか?」
「ええと……」
なんだ、こりゃ。
記憶喪失? だが、その割にはこの島のことやカイル達のことは覚えてるみたいだし。
「あー、その、一応客、みたいなもの、なんかな?
つか、アリーゼ、その一応確認なんだが、ふざけてるわけじゃないよな?」
悪い冗談にしては脈絡ねーし、何よりアリーゼの表情が純度100%でマジだ。
マジの初対面の人に対しているような警戒感と微妙な距離感。
とても演技とは思えん。
……原因としたら、あれか。碧の賢帝か。あれが折れたせいなのか?
「ふざけるって何をですか?」
「いや、すまなかった」
コホンとひとつ咳払いをする。
「俺はレックス。この島で先生をやっている。さらに言うと、アリーゼ、君の家庭教師でもある」
「……?」
何言ってるのこの人? 的な目を向けられる。
ふと、俺はある可能性に思い当たる。
昨日の、俺が意識を失っていたときに幻視したもの、思考したこと。
何を馬鹿な、とも思ったことだが、アリーゼの様子と合わせるとその馬鹿な状況に合致してしまいそうになる。
「なぁ……」
「この島の先生は、私の先生は、アティ先生ですよ」
俺が尋ねる前に、アリーゼはきょとんとした顔で言った。
ぱたん、と後ろ手に扉を閉める。
ソノラがアリーゼの食事を持ってきたため、代わりに俺は部屋を出た。
「………」
すぐに俺は歩き出すが、頭がうまく回らないでいる。
無性に笑いたいような、叫びたいような、とにかく気持ちが落ち着かない。
ソノラが入ってきたとき、アリーゼの対応は自然だった。
親しい人に対する態度。純粋な好意と和らぐ表情。
互いが時間をかけて育まれた厚い信頼によるものだった。
おそらく、カイルやスカーレル、ヤード、いや島の住民に対してもアリーゼの態度は変わらないだろう。
変わるのはきっと、俺だけだ。
なぜか、俺はそうなることを自然と理解することができた。
別人のようなアリーゼ。
俺のことを知らず、みんなことだけは知っているアリーゼ。
なによりも、ああも自然にアティの名前を出すアリーゼ。
「なんでか、俺はそいつを知ってるしな……」
ウィゼルの攻撃に倒れたときに見た夢のようなもの。
あの赤髪の女が、なぜかアティだと俺は知っていた。
いつ知ったのか、どこで見たのかということはまるでわからないのに。
わからない……本当に?
俺が忘れてしまっているだけなんじゃないか?
今の、アリーゼのように。
「アティ先生、か」
その名を口にすると、頭の隅にわずかな痛みが走る。
やはり、俺は何かを忘れてしまっているのか?
………。
………………。
………………………………。
………………………………………………………………………………ふ。
「なるほど。まるで思い出せん」
だいたい今はそんな悠長によくわからん記憶を掘り起こしてられる状況じゃねぇんだ。
無色の派閥っつー生き死にの瀬戸際を演じなきゃいけねぇ相手がいるときに、のんきに記憶探しやってる場合じゃねぇ。
もちろん、わかるに越したことはないが、優先順位としては最上位じゃない。それなら後でゆっくり取り組めばいい。
まずは目下の問題に取り組むべきだ。
俺は強引に自分を納得させ、目的地へと歩を進めた。
「あら、いらっしゃい先生~」
扉を開けるとそこには赤ら顔をした妙齢の女性。
あいも変わらず昼間っから酒かっ食らって、いい感じに酔っ払っているメイメイさんだった。
もちろん杯はしっかり装備中である。
「なぁメイメイさん、前に話してたあれって今でも有効なのか? 無限廊下だっけ?」
「廊下を無限にしてどうすんのよ~。無限回廊~~。なになに、入る気になっちゃった?」
メイメイさんが目を輝かせて身体を乗り出してくる。
結構前、メイメイさんの店に来たときに、強くなりたいなら無限回廊! って焚きつけられたのを俺は華麗にスルーしていた。
だってなんか、安さ一番! みたいなノリで信用できんかったし。だいたい胡散臭さ大爆発だったしな、この店の存在自体が。いや、それは今もだけどさ。もう慣れただけなんだけどさ
「なっちゃったわけですよ。
今すぐってわけじゃないんだが、今日明日には使わせてもらいたいんだができそう?」
「あら~~、こっちはいつでもオールオッケーよ~~~ん。
私に言ってくれれば、ばひゅーんと連れてってあげるから。んっんっん、ぷはー。にゃはははははははははは」
上機嫌で酒を煽って一息してから爆笑。メイメイさんワールド全開だ。
にしても……酒臭ッ!
きりっとしてりゃ、なんとも言えぬ色気漂う格好も相舞って世の男を手玉に取るなんて楽勝だろうに。
ホント、もったいない人だよねこの人。
あんまり目の保養にもならんので、俺は並べられた武具防具の確認をする。
少しでも戦力の足しになるなら、この際金に糸目はつけんで強化せねば。
……むぅ、ジェネラスニールか。多少召喚術の効果は下がるが、俺には大したデメリットはないし。ガンガン物理上げて行くか。
「ねぇ、先生」
「んー」
「剣、見てるの?」
「あぁ。……メイメイさん、これ頼むわ」
「いいけど。それ先生に必要なの?」
何言ってんだよメイメイさん。
そう、返事をしようとして、俺は言葉を飲み込む。
メイメイさんは目を細くして、無機物の宝石でも品定めするように俺の目を捉えていた。
つい今しがたの泥酔状態など幻だったのではないか、誤認識していたのではないかと自分を疑いそうになる。
「あなたには、もっと相応しいものがあるんじゃないの?」
「……なんだよ、それは」
俺の言葉には応えず、メイメイさんは脇に置いてあった酒瓶を傾け手酌する。
杯に入れられた酒をゆらゆらと揺らしながら、その瞳は杯を越えて遥か遠方に向けられていた。
「今はあなたしか、いないのよ」
「………」
俺は無言のまま立ち尽くす。
メイメイさんの言葉に、なんと答えればいいのか、思考に激しいノイズが走ったように考えが上手くまとまらない。
「………」
「………」
無言の空間は数秒だったのか数分だったのか。
自分ではよくわからないまま、気づくとメイメイさんはジェネラスニールを手に取って俺に差し出していた。
「持っていきなさい。お代は結構よ」
その声は、冷酷さと優しさが混在した、不可思議なものに聞こえた。
ひとり、どこへともなく歩く。
腰の剣がひどく重く感じる。
まるで、この剣を振るうに相応しくないのだと訴えられているかのようだった。
……ちっ。
わかってるさ。わかってるとも。
奴らに、オルドレイクに対抗するためには、こんな剣じゃ役者が不足してることくらい。
アリーゼはあの状態じゃ、戦うのは難しいだろう。
よしんば戦えたとしてもな……。
先刻のアリーゼの様子を思い出す。
あの時はアリーゼの言動に衝撃を受けていて、そこまで頭が回らなかったが、思い返せば以前のアリーゼと比べて今のアリーゼの力は大きく減退してしまっていた。
魔力はもとより、戦いに対する覚悟の質がまったく違う。アリーゼからの圧力というか、覇気がほとんど感じられなかった。
無論力を使いすぎて衰弱しているから、と言えるのかもしれないが、それを差し引いてもあまりに微弱なものだった。
はっきり言って、ちょっと勇敢な魔力が高い歳相応の少女だと言える。剣を使わずとも敵を圧倒する強さを誇ったアリーゼとは似ても似つかない。
そういった意味でも、今のアリーゼと俺の知っているアリーゼはまったく異なっていた。
「アリーゼがダメなら……俺しかいない、のか」
そもそもなぜ、俺は剣が振るえたのか。
あの剣の主はアリーゼじゃなかったのか。
主以外にも扱える剣なのか? そんなはずはない。
もしも誰もが使用可能であれば、以前のアルディラが使わない理由がない。
確か前にヤードから聞いた話では、適格者以外が剣を使おうとすると力が暴走し暴風雨が発生して制御できるものではないということだったはずだ。
だったら、俺は適格者なのか?
しかし、それならなぜ剣を手にした俺の身体には何の変化も生じなかったんだ?
通常、かどうかは知らないが、アリーゼやオルドレイクが抜剣したときのように、身体全体が白く包まれ圧倒的な力を発揮するものじゃないんだろうか。
剣による攻撃自体は強力だったかもしれないが、剣を手にしたときに俺の魔力や身体能力に大きな変化があったとは感じられなかった。
「……ふぅ」
一体何を考えてるんだろうな、俺は。
この先に行き着く結論は変わらないだろうに。
俺は、どうしてこんなにも剣の使用を躊躇っているんだ。
どうしてこんなにも、剣を使うことへの理由を探してしまっているんだ……。
「どうした、若造」
いつの間にかゲンジのじーさんの庵まで来ていたらしい。
どんだけぼーっとしてたんだろう。
「ん、これから、どうするかなって。
無色の連中は追っ払えたけど、一時的なもんだし。
頼みの綱の剣は砕けちまって……」
「それで、お前はそんな辛気臭い面をしているわけか」
「……へへ」
ゲンジの爺さんはデフォルトの仏頂面で遠慮無用だった。それが妙に心地いい。
「学校は休校にして正解だったようじゃな。その面を見せられる子供はたまったものではない」
おっしゃる通りで。
「アリーゼのことは聞いた。様子はどうじゃ?」
「とりあえず、元気だよ」
俺の返事に嘆息する爺さん。
「とりあえず、ときたか」
仕方ねぇだろ。ほかに言い方がないんだからよ。
「お前は、それであの子の教師を名乗る資格があるつもりか」
「………」
資格、か。
俺が彼女の教師を名乗ること。そんなもん、最初からあったのかすら怪しい。
アリーゼが以前の先生とやらに絶大な信頼を置いていたことはわかっていたが、本当の部分では理解していなかった。
はっきりとアティ先生という形で認識した今、俺がアリーゼの教師を名乗る資格が、意味があるのか。
「即答せんか馬鹿者。
お前が自信をなくせば、あの子はまた道を見失うぞ」
本当にそうか?
今のアリーゼに、俺は必要なのか? とてもそうは思えねぇよ。
彼女の教師は、俺じゃなくて……、
「レックス。人は、ただひとりに教わるものではない」
「……?」
いきなり何の話だと思ったが、爺さんの言葉に俺は無意識に顔をあげた。
「人との関わりで、だれもが多くの人に教わり、教えていく。
その関係に大小はあるが、常に変化をし続けている」
「………」
「そして、それを他人と比較し囚われることほど馬鹿なことはない。
同一の関係などなく、その関係自体が捉え方次第で幾重にも異なっていくのだからな」
……爺さん。
あんたひょっとして、ずっと前から……。
「ワシの目は節穴ではないぞ」
「……そうっすね」
脱帽だ。
あんたは、ちゃんと気づいてたんだな。
アリーゼが、どこを見ていたのか。
「レックス。お前はあの子のただひとりの教師ではないが、あの子にとってお前はただひとりなのだ」
そんなもん、当たり前じゃねぇか。
「……ッ」
当たり前の言葉なのに、俺の中には万の気力が溢れてくる。
……俺は、一体なにやってたんだ。何をびびってたんだ。馬鹿馬鹿しい。ああちくしょう糞ったれ!
「ありがとな、校長!」
俺は手を挙げて礼を言い、踵を返して走り出す。
歩いてなんていられねぇ。無駄にした時間を取りもどさねぇとな!
「やれやれ」
ゲンジはレックスの去っていく後ろ姿を見て、ため息を吐いた。
本当は、レックスの辛気臭い顔を見た瞬間から怒鳴り散らして発奮させるつもりだった。
しかし不思議と、ゲンジはそうすることに強い躊躇いを覚えて実行できなかったのだ。
「ワシも老成したものだ。
……まるで生徒に諭すようにしてしまうとはな」
ゲンジはもう一度ため息を吐く。
居間に置いたままにしている茶はすっかりと冷めてしまっているだろう。
入れ直すため、ゲンジは庵へと戻っていった。
俺は足を止めずに各集落を駆け回った。
集落の住人を見つけたら、護人に、戦うみんなに、集いの泉へ集まってくれるよう伝言を頼んだ。
その後は船へ戻り、海賊連中にも集まるよう伝える。
そして俺は自室にいた。
砕けた魔剣、碧の賢帝を手に取る。
途端、俺の頭に鈍い痛みが生まれるが、決して耐えられないものではなかった。
むしろその痛みを通じて、曇っていた頭の片隅が澄み渡っていくように感じられる。
……忘れられた記憶、か。
剣を手にしていると、それが確かに存在していたことを強く感じた。
なぜ、俺は忘れているのか。
どうして、アリーゼの不自然な言動や状況を強く追求しようとしなかったのか。
……無意識に、俺自身が思い出すことを拒否していたってことなんかな。
剣を手にしているだけで、俺は動悸が激しくなってきて汗が浮かんでくる。剣を持つ手が震えるのを抑えられない。
それは剣によるものではない。俺が、なくした記憶に触れるきっかけとなる魔剣に怯えているだけだ。
……まるで、あのときと同じだな。
父さんと母さんが殺されて、すべてのことに怯えて自分の殻に閉じこもっていたあの頃。
村のみんなのおかげで、長い時間をかけてようやく自分を取り戻すことができた。
「俺は、ちっとも変わってねぇな」
苦笑し目を閉じて、そいつの顔を思い出す。
殻にこもった俺の傍にいてくれたあいつ。
呆れるくらい自然体で、同情も気負いもなく、俺が立ち上がるのを辛抱強く待っていてくれた。
何年も前のことで、もはや俺の想像している通りの顔だったのか、声だったのかを確信することはできない。
それでも、俺は脳裏に生まれたそいつに向かって心中で語りかける。
……あの時みたいに、俺に力を貸してくれ。お前の勇気を俺に分けてくれ。
俺の痛い妄想だとはわかっているが、それでもそいつは笑って頷いた。
相変わらず無防備で無邪気で、涙が出そうになるくらい安心する笑顔だった。
「ありがとな、アスリ」
故人となった親友に礼を言って、俺は目を開ける。
震えは、止まっていた。
「ふぅ」
俺は一息吐いて、魔力を集中させる。
剣の内部に神経を繋ぐように感覚を鋭敏にし、剣の構造を把握することに没入していく。
俺が剣に対して念じると、剣は碧の輝きを僅かに強め呼応するようにひび割れた部分が修復していく。
………………修復されたひびは、目を凝らしてようやくわかる僅かなものだった。
「っぷはぁ!!!」
俺は剣を手放して何度も肩で息をする。
直るよう念じた瞬間、魔剣は俺から大量の魔力を強制的に吸い上げていった。
……なんだってんだよ、このとてつもない疲労感は。
やっぱ無茶か?
精神の剣なんだから、その気になりゃ元に戻るんじゃねって思ったわけなんだが。
剣を見ると本当に僅かだが、亀裂が減ってるように見える。
……減ってるよな? 俺の気のせいじゃないよな?
「いやいや、弱気になってる場合じゃねぇだろ」
俺は首を振って、再度剣を手に取り念じる。
瞬時にとてつもない疲労感に襲われるが、今度は覚悟ができていた。
「……ッ!!」
飛びそうになる意識をどうにか気力だけで保つ。
体内から魔力が急激に流れ出ていき、反対に頭の中に覚えのない光景が送り込まれてくる。
剣は僅かに輝きを強め、ひび割れた部分が消えていくのを確信してから俺は剣を手放した。
「…………でぁぁぁぁぁぁ」
消耗した身体から自然とうめき声が出る。
まるで徹夜明け状態だ。超だるい。横のベッドにダイブしたい衝動に駆られまくる。
……でもみんな集まってるだろうしなぁ。
これからの話のためにも、剣を修復できる可能性を確認するため試みたわけだが、まさかこんなことになるとは。
なんて愚痴っても仕方ねぇか。
「……うしっ」
俺は両手で頬を張って、部屋を出た。
集いの泉にて。
すでに皆は集まっていた。
カイル、ソノラ、スカーレル、ヤードの海賊一家。
アルディラ、キュウマ、ファリエル、ヤッファの護人たち。
クノン、ミスミさま、フレイズ、マルルゥの島の者たち。
そして、
「遅いぞ、レックス」
「悪い悪い」
腕を組んでキッと厳しい視線を送ってくるアズリア。
いやぁ、それにしても随分集まったもんだな。こうしてみるとなかなか壮観ですよ。
「詳しい事情を把握していないのだけれど、これだけの人数を集めた理由を聞かせてもらえる?」
「そりゃもちろん、無色の連中をぶっつぶすためだよ」
俺はアルディラを始め、みんなをぐるりと見回した。
「そのために、頼みがある」