食後ののんびりタイムは、空が茜色に成るまで続いていた。
あのような会話があった後では、さぞかし微妙な空気が漂う空間になっていたのではないかと思いきや、意外にもそれは平時のものと変わっていない。
あの後、ユナは自らの策が成功したと感じると、一転して「今これ以上の進展は望むまい」と普段通りの佇まいに戻り、トウガの方も自身が悪く思われている訳ではないのは理解し、「ここでがっつかないのがイイ男」と計算高い(なんて本人は思ってる)態度を取る事にしたのだ。
まぁ要するに……両者とも慎重と言うかムッツリスケベと言うか、ともかく先程までの事は気にしない顔でお茶の時間を楽しんだのである。
その日はそのまま体を休める事に努め特に何をするでもなかったが、翌日からは町を出る為の準備に少々忙しい日が続くことになる。
トウガはまず余裕の出来た資金を元に装備を一新させた。以前とそれほど変わらない感じだが、見た目を考え全体的にいくらかグレードアップさせてある。そして手甲部分のみ例外で、一回り以上重く太く大きい特注のガントレットに変更してあった。もちろん出来るだけ組み付きに支障が出ないよう、掌部などに細かい注文付きだ。
これはユナとの戦闘で、本気で立ち向かっても危うい存在の事を十分に思い知ったからだ。少なくとも、金さえあれば上がる攻撃力に気を使うのは当然と言えよう。それに手の先から肘辺りまで覆う、トウガの体躯には明らかに大きいそれは「これでボコります、これで守ります」と主張しており、意外に「戦士の見た目」としてはアリと言える物でもあった。
なお手甲とは違い、脚甲はそれほど前のと変化は無い。優れた現代の運動靴に慣れた彼からすれば、こちらで手に入る靴などはやはり歩きやすいとは言い難いし、脚甲によるキックの威力と機動性の確保はトレードオフのような関係にあり、自分の闘いにおける機動性の重要度を考えたら、あまり変化させようもないという結論になったからである。
元々トウガはキックよりパンチが得意、というかキックが上手くない(股関節が柔らかくないので脚がそこまで上がらず、当てるつもりのハイキックなどが外れた時などは簡単に転びそうになる)のでそんなに大きな問題では無いのだが。
そして同時にトウガが行ったのは冒険者としてのルーキーからの脱却、つまりファイターにクラスアップする事だった。とは言え、それに特に難しい試練があった訳でもない。
具体的には今までの依頼達成の実績に、さらに多少の戦闘が絡む物を加え冒険者ギルドに認めさせればいいという程度。だがそもそも彼が初めて倒したモンスターであるリザードマン等が、本来中級者手前レベルの冒険者が相手取るモノ。つまりギルドがルーキーに示したような依頼に出る敵で、トウガに危険を及ぼせられる存在はいないという事である。
それらを無事こなした後は書類の更新と認識プレートの上書き、なんだか初めて『猫が寝込んだ』亭にきた時の微妙な肩透かし感を思い出すトウガであったが、あまり気にしてもしょうがない。ともかく、それにより晴れて「冒険者トウガ」はファイターという(とりあえず)一人前の冒険者になったのであった。
一方、ユナとレシャンの女性陣二人は引越し準備の荷物整理に追われていた。トウガのそれと比べて、明らかに忙しさの度合いが大きいと言っていいだろう。
雑貨屋に近い魔法道具屋という商売柄、はっきり言って荷物が多過ぎるので、場所を取る物や希少価値が無いものは閉店セールとばかりにドンドン売り払っていく必要がある。その選別に加え始めは考慮していた家財道具の持ち出しも、お気に入りの品以外は置いて行かねばならない様になり、二人して大いに悩んでいたりもした。
また輸送手段としては馬車を使う手筈なのだが、追っ手も無く(さらには出来るだけ行き先を知られず)町を出る為にレシャンの考えで商隊などに便乗せず、馬車は自分達で購入することにしている。だが安物でもさすがに馬車はかなりの高値になるので、大きさや台数を小規模にせざるをえずそれが荷物整理の手間を増やしていたのであった。
他にも長くこの地に住んでいたので交友関係もそれなりにありその挨拶や、ギルドとの卸売り契約の解除等やることがトウガの比ではない。ある程度手伝える事は彼も協力しつつ、部屋や店を空にする努力が行われていった。
「金属補強した小型リュックが1500、携帯キャンプ道具が500~……ってこりゃホント小さい。あと油にランタン、使い捨てじゃない丈夫な水入れ用の皮袋、応急道具セットで20の200の200の500だから……合計で2920ダラーか。これで十分って言えますかね?」
「んー欲を言えばロープとか毛布もあれば良いけど、さすがに一人で全部持つにはかさばるわよね。携帯食は今用意してもあれだし……うん、問題ないと思うわ」
商品をドンドンさばいていくなかで、トウガは「冒険者ならこれぐらいは……」と言えそうな物を買い揃えることも考えた。すぐに必要になるとは思えないが、あまりにも自分の私物が少ないのが何となく嫌になったのが主な原因だったりする。
「ナイフはあんまりスペース取らないな。着替えは丸めて~っと。……石鹸も欲しくなってきたような……」
「小さな見た目の割りには入るものよのぅ。補強しておる点はともかく、サイズは小型のでよかったのか?」
「補強済みのって、畳んで小さくしたり出来ないだろ? 重さは気にならないけど、体積がでかいのはやっぱ邪魔になりそうだし。それにこういうのはむしろ小さいのが好きなんだよ」
そのまま「グリーンダヨー」など呟いたりしながら、鼻歌混じりに彼は機嫌良く答える。少年が秘密基地を漫画や雑貨で飾るように、リュックという限られたスペースを自分の物で埋めていく作業をトウガはとても楽しんでいた。加えて言えば「自室」や「我が家」が無いからこそ、『自分でまとめた自分だけの物』が在るのは嬉しく思えるのだろう。
道具の購入にせよ店の手伝いにせよここのところ、トウガはこの店に居る頻度が随分上がっているのだが、それに合わせるかのように冒険者達の間で広がりつつある噂があった。
安売り中なので冒険者の出入りが多いのは当然だが、これまでもここは「妖艶な美しさの少女が商う店」としてそれなりに有名だった。それが最近になって急に店仕舞いセールを行うと同時に、今まで陰を落とし気味だったその危うい美貌が太陽もかくやという明るさを放ち始めている。何かがあったに違いないと言う声が冒険者達の間で上がるのは当然とも言えた。
「どっかの貴族が求婚したとか?」「身分で選ぶとは思えないな。もっと身近な男かもしれんぞ」「だとしたら怪しいのは……」
実は今までも交際を申し込んでくる男達はいたのだが、ユナがそれらに応えた事は全く無かった。もしあと数日トウガが店内にいるのを見られていたとしたら、野次馬が多い冒険者達の好奇心によっておそらく彼が関係アリとピックアップされていただろう。
しかしトウガがそれを問い詰められるような事は、結局無かったのである。何故なら――――3人が旅立つ用意が、その前に整ったのだから。
――――――――
もう闇が深い夜遅く、あまり掃除が行き届いているとは言えないがそれでも立派な聖堂にて祈りを捧げる人々がいた。その格好は一目で上質な服を着ていると分かる者が殆どだ。
「――本日はこれにて解散するとしよう。何か急ぎ考えねばならん議題はあったかね?」
「いえ、特には。それにしても律義なものですね。週に一度は祈りに来るのでしょう? 失礼な物言いでしょうが、らしくないと言うか何と言うか……」
「神を、信仰を拠り所とする民は多い。執政者であるわしがそれを共にして彼等からの心証を良く出来るなら、わしは自分を曲げる事など気にはせんよ」
ティモシー・ガディーグリン。この街を治める者達の中で、事実上の頂点に立つ男である。頭は禿げ上がり下腹も出てしまっているがその眼光は鋭く、決して暗愚な人物ではないことが見て取れた。
「上に立つにはそういった事も必要なのでしょうか?」
「さてな、人にも場所にもやり方の向き不向きがあるものだ。君はまだ若い、自分に合った方法を焦らず学びながら見つけて欲しい。ただ、わし自身はこの行いを小賢しいと思っておるよ」
自分の次の世代を継ぐであろう若者の質問に、どこか遠い目をしながら彼は答えた。自分の行為を小賢しいと評しているが、それは逆に「自分はこんな小手先の策を使わなければならない」という憂いを口にしているのかもしれない。
ふと、何かに気付いたかのようにティモシーが入り口の方を振り向く。
「……一つだけ統治する者全てに言える事があったな」
「?」
「万人を納得させるなど出来やせん。だから何かを取り何かを捨てる、そしてその選択に悩むのは人である以上当然だ。しかしそれは、そのように統治者が分けただけだというのを忘れてはいかんのだ」
自分にも言い聞かせているのだろうか。その言葉は重く、若者はたんなる考えの一つと軽視は出来なかった。
「9を豊かにするために1を蔑ろにする、それはこちらの都合で行う。無論それに罪悪感を持てなどとは言わん、そんな事を気にして政(まつりごと)など出来なんしな。だが堕ちるべくして堕ちた奴等とは違い我らによって1にされただけの者は、何の前触れも無くこちらに鋭い牙を向けてくると常に思っておくべきだ」
若者は徐々にだが空気が重苦しくなるの感じた。尊敬する先達の言葉からではない。ティモシーが目を向ける、そのドアの先だ。――何とも言えない気配が、戦いの経験などろくに無い若い執政者にも感じられるほど大きくなっていったのだ。
「足蹴にされている彼等を当然と思い始めた時、崩壊はあっさりと起こる。弁にせよ力にせよ、対策は取っておく必要があるのだよ」
「お久しゅうに、ガディーグリン殿。他の皆様方も、中には初めましてと言うべき御仁もおられるかな?」
聖堂の入り口、両開きのドアがゆっくりと開かれ少女が現れた。
時間も場所もあまり相応しいとは言えない深い藍色のドレスを着て、後頭部には黒いリボンが添えられている。夜に溶け込みそうな格好でありながらそれとは逆に髪は白く、月明かりを反射し光り輝くかのようだった。
身構える程だった大きな気配は少女の出現とともに急速に消え去っている。少女が微笑を浮かべながら僅かに頭を下げると、場違いさも加え奇妙ながらも不思議な美しさが生まれ、若者を始めそこに居るほとんどの目を釘付けにした。
「久しぶりだね、お嬢さん。こんな夜更けに何の用かな」
そんな中、ティモシーはトップとしての胆力ゆえか急な来訪者にも先程までと変わらぬ態度で尋ねた。
「うむ、永らくこの街で過ごしてきたがこの度引っ越すことになっての。その報せと退職届を出すために参上した」
「……カースを破ったのか。わしが掛けた訳では無いしあれから随分経つが、そう容易く如何にか出来るとは思っていなかったんだがね」
彼女が着ているドレスは首元があらわになっており、顔には出さなかったが呪いの印が無い事に対する彼の驚きは相当なものがあった。
「フフ、それは間違っておらぬよ。妾の力では未だにどうにもならん。だが、……友が出来た。――妾を、真に受け止めてくれる存在がな」
話しながら何かを思い出したのか、少女が再び微笑む。今度の笑みはティモシーでも一瞬気を取られるほどのものだったが、同時にそれどころではない危機感も覚える。
「っ! まさか、同種のっ!!」
「そうであればあるいは良かったのかもしれんがのぅ……。だが何にせよ、我が力と共に立てる実力の持ち主なのは確実よ。そう、妾とあの者はまさに番い(つがい)と呼ぶに相応しい」
「……その退職届をわしが受理するとでも?」
「ガディーグリン殿の度量の広さは大した物じゃ、今までのこちらの勤務態度を鑑みて寛大な采配が下るのは確実かと。ああそうそう、退職金は特に要求せぬよ。我が家の家財道具やら何やらを、全て持って行くなり売り払うなりさせてもらったんでな、それで十分。スッカラカンになった家の管理はそちらにお頼みしよう」
好き勝手言ってくれる。しかし目を細め嬉しそうに話す彼女は、それを当然と思うだけの自信も溢れさせていた。
不味いかもしれない。少女自身が単独で呪いを打ち破ったとは思い難い。なのに解呪に成功したという事は、彼女が言う通りデーモンに類する何かが助力した可能性が高いだろう。
仮にそうだとしたらそれは単独か? それとも複数か? 何より――――本当に出て行くだけで済ませるつもりなのか?
どう考えても問題無く進むとは思えない事態に、彼は何を優先すべきか考える。そしてしばし思い悩んだのち――
「あい分かった、その話受け入れよう。ただ最後に一つだけ頼まれてくれんか?」
そう言いながら懐に手を入れいくつかの人形を取り出し、それを周りにばら撒き2,3言呟いた。すると人形がムクムクと大きくなり、オートマータの兵士となってティモシー達を守るように立ち塞がる。さらには聖堂の奥からも何体か現れ、その数は十数体にもなっていた。
「君のおかげで揃える事が出来た無機の戦士達だ。だがまだ十分な性能テストが出来ていなくてね。よかったらその相手をしてくれると助かる」
かなりの威圧行動ではあるが、あくまで彼が選んだのは交渉だった。
本当にこのまま出て行くだけなら兵をけしかけるつもりは無いが、もし後ろに悪魔の群れが潜んでいて報復を考えているなら、この場でたった一体でもその数を減らさなければならない。
そもそも話を続ける中で出来るだけ真意を推し量るつもりでも、相手は人にとって悪そのものだというデーモンの娘だ。まずこちらも力が有ることを見せねば、侮られその意を全く表面に出さないだろうと考えたからこその威圧である。
そして生物としての基本スペックが人間と全く違う悪魔ならば、こちらの小さな小細工など気にせず「衝突回避」か「徹底抗戦」のどちらかになるとティモシーは読んでいた。
「ふっふ、ふふふフフ、ふはっ、ふははハハはハハハっ!」
そんな彼の考えを裏切るように、少女はおかしな笑い声を上げる。
彼女が現れる前にドアの先から感じたあの巨大な気配が、笑い出した其処からまた滲み出してさっきまで惚けていた者達を震え上がらせた。
しまった、これは読み違えてしまったかっ!? 彼がそう思うのは無理もなかったが、この後どう繋ぐべきかをそのまま必死に考えるのはあまりにも無駄な努力と言わざるを得なかった。
何かを迎える様に両手を掲げ、ゆっくりだがくるくると回るその姿から読み取れる物など在りはしない。見開かれた目は彼女のステキな心境を表している。
「堪らぬ、堪らぬぞっ! この状況っ、シチュエーションッッ!」
だって彼女は――
「猛々しい暴力に囲まれた姫っ、まさに大ピンチっ! 絶体絶命っっ!!」
――恋する少女、今が旬の超乙女だったのだから。
「アアッ、ヌレテシマイソウッッ! おいでませっ、おいでませっ!! 妾のもとにっ、妾のナイト様っっ!!!」
『エ イ ヤ ァ ー ッ ッ ッ !!!』
開け放たれているドア、その上に位置している大きなステンドグラスを盛大に蹴破ってそれは現れた。
ドラム缶をブッ飛ばすのがとっても似合いそうな飛び蹴りの形のまま、彼女と十数もの人形兵の間に降り立った「それ」。地面に着いたときに取った膝立ちの姿勢から、同時に伏せられていた顔がゆっくり持ち上げられる。
そこにつけられていたのは仮面だ。そう、後ろに立つ可憐な少女、ユナが裏仕事の時に被っていたあの仮面である。
『俺ガ相手ニナロウ。何体デモ掛カッテ来イ』
飛び散るステンドグラスの破片が光を乱反射し、妖姫が望んだであろう騎士とのステージを創っていた。
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ハイ、武神流のアレです。さして長く描写した所でもないのに、妙に楽しかったです。見事に空気をブッ壊してくれるw
途中野宿セットを揃えてるような部分がありましたが、あれは作者がTRPGのキャラメイクをする時に小道具までいっぱい買うのが好きなせいです。TRPGに限らずリュックにどう荷物を詰め込むかなど、如何にして限られたスペースをコンパクトに、魅力的にするか想像するのが楽しいと言うか何と言うか。買う訳も無いキャンピングカーのサイトを眺めたりも……。
次はまた大規模な戦闘です。作者はボクシングが好きで基本技含め結構ひいきしちゃってますが(しかも股が微妙に硬いという久々のアマチュア素人設定のせいでキックが……)、皆さんはどんな格闘技が好みだったりするんでしょうか? 何となく漫画とかで近代合理主義タイプの格闘技が、東洋&中国系格闘技にボロクソにされ過ぎなのは哀しいです……。