『のぅトウガ、寒い、とても寒いのじゃ。強く、強く抱きしめて欲しい……』
『ああ俺のアテンザ、かわいそうに。ほら、もっと近くに来てごらん』
『船が難破するとはな、これが海というものか。おおトウガよ、妾は恐ろしい』
『大丈夫、俺がついてるよ。それに君の為なら、たとえどんな困難が立ち塞がっても乗り越えてみせるし、世界中のどこにいようと見つけてみせるさ。……濡れた服は体温を奪ってしまうね。さぁ、そんな物は脱いで、肌を合わせて暖めあおう』
『ああっ、ダメ、そんなっ。わ、妾は……』
『何を言うんだ。二人の関係が恋人以上なのは確定的に明らか、何も問題はないじゃないか』
『だって、だってぇ、あぁ、あああ~、らめぇ~~~』
『まずはその口の中から暖めてあげるよ――』
『――トウガ? どうしたのじゃ、暖めてくれるんじゃろ?』
『ユナ、実は俺さ、結婚することにしたんだ』
『……ぇ? え? えっ!?』
『一応式も挙げるつもりだから「友達」として来てくれよ』
『っっ! なっ、何を言っとるっ! そなたの恋人で、妻で、隣にいるのは妾で――――その、横にいる、女は、……誰?』
『何言ってんだ、お前も会ったことあるだろ? 俺の「彼女」』
『かの……じょ? え、え あれ。 おかしいおか しいではな いか。そ んなの間違――』
『自分の口で言うと照れが混『ああそうか、そやつに洗脳されてしまったのじゃな。安心せい、そなたの公私にわたるパートナーである妾が悪い女から助け出してやる。トウガの花嫁を騙るという愚か極めし所業、許せぬ、断じて許せぬ。貫いて、切り裂いて、凍らせて、砕いて、すり潰して、燃やして、灰にして――。ああ、どうすればそのメス豚の存在を塵一つ残さず抹消出来るのか。トウガ、妾ガンバるから、終わったらほめて、ほめて、撫でて。トウガは何もしなくていいから、妾ガンバっちゃうから。えへへ、うフ フ、アは、あははHA HAは あハははHAハ アハハハハハ アハ』
「夢か」
うつらうつらと眠り掛けていた少女は目を覚ました。側にはトウガが毛布に丸まって横になっており、馬車の中で彼を見ているうちに彼女の意識も落ちてしまっていたようだ。
「……そなたが取る選択肢に文句をつけるつもりなどない、が……」
眠るトウガの髪を撫でながらユナは小声で語りかける。そうしてそのままゆっくり四つん這いになると、彼の顔を直視しながら真上から覗き込んだ。垂れ落ちる長い髪がトウガの頬をくすぐりそれから逃れようと彼の頭がわずかに動き、逆さまではあるがちょうどユナの顔と真正面に向き合う形となった。
「…………妾以外と共にある選択を許容するなど出来ようはずもないのだ。そなたを必ず妾に振り向かせてみせる――――必ずだ」
その言葉はまさに告白。相手が眠っているとは言え、なんとも真っ直ぐでド直球な告白であった。
ただその言葉は重く、そこからにじみ出る「何か」が感じ取れてしまう事には少々問題があると言わざるを得ないのかもしれない。肝心のトウガにユナの言葉が聞こえていないこの状況ではその「何か」を推察することも難しいが、聞かれていないからこその行動でもあり、明らかな威圧感を放つそれを彼女がトウガに見せる事などそうありはしないだろう。
並んで立つに相応しいかと考えるような繊細なハートと、病的とも言えるような強烈な独占欲をかいま見せる女心。二面性の一言でまとめていいものかは分からないが、それぞれが間違いなくハーフデーモンたるユナの一部分なのである。
トウガに覆い被さりその顔を眺めていたユナだったが、しばらくすると体をどけて元の位置に座り直した。そして乱れた髪を軽く整えてから外を眺め、もう陽が暮れようとしていることに気が付く。
「もう夕方、いや夜が近いか。夕飯の支度をすべきかな……。ふふ、トウガよ、今日もうまいと言わせてやろう。待っちょるがよいぞ」
また彼の髪に触れながら微笑を浮かべ、ユナは少女らしい想いを胸に馬車から降りようとするのであった。
「俺達は交易商だ。これでも一応ベテランのつもりなんだが……、今日は情けないところを見せてしまったな、助かった」
「お礼の言葉は誰よりもトウガ君に掛けてあげて」
夜に備え大きめの焚き火が作られ、それを囲むようにレシャンとゴードン達獣人一行は座り込み、各々がゆっくりとした時間を過ごしていた。
ゴードンはクチバシで葉巻をくわえ、鼻腔部から煙を立てている。風下に座って周りに気を使いながら、被害状況を紙にまとめ確認する喫煙中のペンギンの姿はなかなかシュールなものに見えるかもしれない。
半人半馬の種族、ケントランであるマデリーンも脚を折り畳み座っているが、その側では子供達が彼女に頭を預け横になっていた。明らかに血の繋がりは見られないのだが、それは十分に親子と言っていい関係を示しているだろう。
「遠くからそちらの事が見えたときに、彼は『行くか、避けるか』じゃなく『自分が離れても問題無いか』って言ってきたの。よその荒事に自分が行くのは決定事項、そして他人にそれを無理強いはしない」
「そいつは……助けられた身としては何とも素晴らしい話だ」
「冒険者をするには珍しい真っ直ぐさよね。もっとも、それが実力的に可能だからって勘定は出来てるみたいだけど。そこらへんの知恵が回らないような子じゃないわ」
ゴードンはわずかに驚いた顔の下で皮肉っぽく茶化そうかと思ったが、トウガとのわずかなやり取りを思い出して止めておいた。あいつの行動原理が何だったのか……、そんな思考も今の自分の立場では少々礼を欠いていると言える。
助けられたのは事実なのだ。例えそこに自己満足やヒーロー願望があったとして何の問題がある? 肥え太った者が口にする潔癖な善の在り方よりも、思惑付きの救済活動の方がよほど意味があるではないか。孤児院の子供達は権力者の地盤固めの為だとしても、晩の食卓に新たなおかずが一品増えるのであれば、むしろその慈善活動を大いに喜ぶものなのだ。
闘いの中で感じた「美味い酒でもを飲ませてやりたい」という素直な感謝の気持ち、今はそれと救われたという事実をただ認めるだけで十分だろう。
「あんた達が今日、あの時間にたまたまここを通り掛かったって事にも感謝してるのさ」
「ふふ、ならそう受け取っておきましょう」
「――ずいぶん仲が良いようだがアンタらは家族なのか? メンツや人数からはいまいち構成が分からんが」
「ユナちゃんは私の姪でトウガ君は旅の護衛に雇った冒険者、なんだけどユナちゃんの方は家族になりたがってるわね~」
「あっらら、面白そうな話をするじゃない。へぇーあんな綺麗な娘がねぇ」
突然、今まで聞き役に回っていたマデリーンが口をはさんで来た。世界や時代、ついでに種族が変わっても女性がこの手の話に興味を示すのは同じらしい。子供が寄り添って寝ているので場所を動いてはいないが、彼女の声は響きがよく距離も近かったので会話に支障は無かった。
「どっちかって言うと、普通あの坊やが惚れてるって話になると思うんだけど。主に容姿的に考えて」
「ちょっと否定し難いけど、まぁ色々あったのよ。トウガ君からの印象も悪くないはず……思えばまだ会ってから一月経ってないのよね。それでユナちゃんが彼にゾッコンになったのは……十日目ぐらいなんだったっけ?」
「あらま、見た目によらず情熱的だこと。むしろ男を手玉に取りそうなぐらいなのに」
「それはその、性格的な……そう、性格なのよ、うん」
街の道具屋に交易商、生来の性格に加え職業柄物怖じしない彼女達は歳が近いこともあってか、昼頃から今の時間までですっかり軽口で話せるまでの仲になっていた。
そしてその軽い口調のまま危うく姪が一人の男にこだわる訳を言ってしまいそうになったのだが、それはなんとか止める事に成功する。さすがにユナの出生などにまで話は及ばないだろうが、変に話が盛り上がると後で当人達が会話に混ざった時に、お互いの認識に少々のズレが生じる可能性がある。それが尾を引き、万が一二人の不仲に繋がろうものなら冗談では済まないのだ。
そもそも自分の姪とはいえ、人のプライバシーの事をこうも話すのはどうかと思えて来る。レシャンも普通とは言い難い今回の旅によって疲れやストレスが少しずつでも溜まってきているのかもしれない。
考え過ぎと言われるかもしれないが、気をつけておいたほうが良い事柄なのも確かだった。
「なかなか賑やかじゃな。それに良い匂いも漂ってきておるわ」
レシャン達がとりとめのない話を続けているうちに、馬車の中にいたユナがひょっこりと顔を出してきた。今までの話の流れを思い返して、あまりトウガとの仲についての話題は振るべきではないかなと考えながらレシャンは姪の声に答える。
「大鍋で食事の用意をしているのよ。私達にも振る舞ってもらえるらしいし、ユナちゃんも頂きましょう?」
「おお、それはぜひに。妾もトウガにつられつい眠ってしまってな、起きたはいいが腹の虫がしくしくと鳴きそうでかなわん。じゃが、の……どこかの寝坊助が起きた時に頭をシャキッとさせてやりたい、なので食材に少し手を出したいのだが……構わぬか、叔母上?」
ポイント稼ぎ、健気に尽くす、トウガとユナの関係を軽く聞いただけだとそんな感想が出てきそうな話である。本当は何と言うかもっとこう……ドロドロ?っとした……淀んだ想いが付属していたりするのだが、そういったものを隠すのにユナは慣れていた。
ジャイアント・スコーピオンにとどめを刺したときも光景も「優れた攻撃魔法の使い手」という印象が強く、特に悪いイメージを持たれた訳ではない。
「ならそいつはウチのを使いなよ。ウチには大飯食らいが多い分、たっぷり用意があるからね。じゃんじゃん使っとくれ!」
「そうだな、あれだけの働きにはちっとささやか過ぎるが、それでも何も返せないんじゃプライマの名がすたる。好きなだけ使ってくれて構わんよ」
「ありがたい、ご好意に甘えるとしよう。ところで……プライマとは何の名前なんじゃろか、聞いてもよろしいか?」
「おっと、まだ嬢ちゃんには正式な名乗りを上げてなかったか。俺はこのウルミの《父》であるゴードン・プライマ、こっちが《母》のマデリーン・プライマだ、よろしく頼む」
「ウルミ? それに家名持ち……貴族なのか?」
「ユナちゃんは知らなかったかしら? それじゃあ久々に座学のお勉強といきましょう」
ウルミ、それは人間の感覚で言うなら「家族」のことである。だが在り方をもう少し掘り下げて例えるなら「群れ」と言った方が正解だろうか。彼らは血の繋がりを重視しない。もちろん我が子を愛さない訳ではないが、同時に種族の違う捨て子であろうとも自らのウルミの一員になったのなら、それはもう愛しき自分の家族なのである。
そういったウルミの特徴から彼らは家族というにはかなり多様な種族で構成されている。ウルミによっては人間がメンバーにいるという場合もあり、それはさして驚く事ではない。
そしてそれら兄弟姉妹達をまとめる男衆の顔役を《父》、女衆の顔役を《母》と呼ぶのだ。何だかんだで大半が力を尊ぶ獣人である以上、優れた戦闘能力を持つ者でないと成り難い立場ではあるが、ウルミの持つもう一つの特徴ゆえに決断力などリーダーシップも大きく要求されるのが普通だった。
トップが力だけでは問題があるウルミの特徴とは、ウルミが「家族」「群れ」、そして何より「一つの小さな国」でもあるという事だ。
人間他多くの種族が縦社会を形成する中、獣人は横の繋がりを重視する文化を持っている。人間が言うそれとは多少違うが、問題等に対しては極めて広く浅い議会制度で街や国の方針を決めるのが慣例となっていた。
日本人的な感覚だとハッキリとした身分差を作る王制よりも心地良く聞こえるかもしれないが、実のところこれはこれで大きな問題も抱えていたりする。何と言っても遅いのだ、その行動、その決定、その通達、全てが王制の統率されたそれらに比べて稚拙過ぎると言ってもいい。低い文明レベルや議会そのものを正しく理解する教育機関が足りない場合、現代におけるワンマン企業のような早さを持つ集団に遅れを取りがちになってしまうのも当然だった。
早さは速さに、そして速さは強さに変わる。王制も時代と噛み合った合理性から成り立つものなのだ。おかげで獣人は歴史上に残るような戦での大勝がほとんど存在していない。その分住民が逃げる場合、判断はウルミごとに行うので虐殺の記録などもほぼ無かったりするのだが……。
代替わりが起こる事、《父》や《母》がメンバーの最年長である必要は無い事なども含めて、結局のところこれらは役職の一つだと思った方がいいだろう。
この世界の人間社会では、家名持ちは貴族以上の地位を持つ者や有力な商人ぐらいに限定されるので、どちらかと言えば自分達の在り方の方がマイノリティ――少数派であることを理解している獣人達は、尋ねられた時の為にウルミの説明などに多少は慣れているものなのだと言う。
「新しくウルミを作ろうって奴が出た時は……まぁこれ以上はちっと蛇足になるか」
レシャンだけではなくプライマというこのウルミの《父》と《母》である二人も加わって、ユナに「ウルミについての即席講座」が行われていた。トウガのような凡骨と違い、座学で超優秀生徒と呼べるユナは一を聞いて十を理解するほどの能力を見せており、ゴードンとマデリーンはそんな少女に感心しつつ説明を続けていた。
「うむ、大体は把握したと思う。つまりこうして焚き火を囲む彼らは、全てゴードン殿とマデリーン殿の子供達というわけか」
まだまだ庇護が必要な幼児から普通に所帯を持っていそうな大人まで、その全てが二人の子供……。
「もちろん《子》だから絶対に立場が下ってわけじゃないよ。アタシ達んとこにはいないけど、知恵袋って感じの爺ちゃん婆ちゃんなんかが《子》にいたら、若い《親》がその言葉を頼りにするってことも普通にあるからね」
「でも小さな子供を含めて見ると、人間の家族とさして変わりはしないのねぇ。その子達、すごく安心した顔で横になってるじゃない」
「そいつは当然だ。見ての通り血縁どころか種族も違うが、だからこそ見て分かるぐらいに俺達は身内同士の和を貴ぶ。俺はそんな自分達の気質を、ちぃっとぐらいは誇ってもいいんじゃないかと思ってるんだよ」
穏やかな口調で己の家族の事を語る彼らはあからさまではないものの、ユナの目には嬉しそうな、そして優しい暖かな感情を抱いているように見えた。
それは美しく、羨ましく、そして妬ましく……。
(血縁を超える、互いの関係だけで成り立つ……家族)
――――――――
「ぉ……ぉお……お? ……ぁぁ、寝てたんか」
馬車の外から聞こえる賑やかな声、空きっ腹には堪らない美味そうな匂い。眠っていたトウガはそれらに起こされると、モソモソと寝床から這い出てきた。
結局彼は昼から夜近くまでという陽が高い時間のほとんどを寝ていた事になるのだが、当然それには理由がある。
あの激闘の後、レシャンも合流してからお互いの素性をほどほどに説明すると、まずは早急に怪我人の治療を始める必要があった。死者こそ出なかったものの重傷者もおり、疲弊した獣人一行ではレシャンを含めても癒し手が足りないと分かった時、トウガは自ら治療の協力を申し出たのだ。
あれ程の戦闘力を見せておきながら魔法まで使えるのかと驚かれるが、それを否定すると彼はレシャンに自分の肩に手を置きながら魔法を使うように頼んだ。レシャンも理屈では分からないが以前見せた魔力の増幅を行うのだと理解すると、頷いてトウガに触れながら特に怪我が酷い一人に治療魔法を唱える。
ゴードン達が見守る中、電撃に焼かれ全身火傷を負っていたその獣人は、瀕死だったのが嘘のように奇跡の回復を見せた。意識こそすぐに戻りはしなかったが彼の緩やかな呼吸は家族達を喜ばせ、トウガは続けざまに他の怪我が深そうな者を探すが……それはユナによって強引に止められてしまう。ユナは彼の顔から重度の疲労を見て取っていたのだ。
トウガを無理矢理脇に座らせると、彼女は見入っていた周りに声を掛け被害の後処理等にも意識を向けさせた。そして自身も、覚えたてと言うべきか見よう見真似で叔母が使った魔法を行使して治療を手伝うのだった。
火急の問題が一段落ついた頃、トウガは何とか自分の足で馬車に向かうとそのまま眠ってしまい、ユナも彼にあれ以上無理をさせない為に治療行為に励んでいたので思いの外疲れが溜まり、眠るトウガを見守りながら意識が落ちてしまっていた。元々彼らは部外者であり、その助けに感謝の念を抱かざるを得ない獣人達はトウガとユナの休息を邪魔しないように考え、そのまま起こされること無く時間が経ったというわけだ。
(ブースター、どうにも使い辛ぇなぁ……)
トウガは数時間前のことを思い出す。
己に備わった魔力ブースターの能力を使う時、大きな疲労感に襲われるのは分かっていた。現在の彼は『エリア』の魔法具を所有しており、自身が考えうるいくつかのパターン(腕輪の着脱、時間帯の違いなど)で増幅効果や疲労加減の実験をしてみたことがあるのだ。
だがその結果は全て同じで「強化された魔法が多大な疲労を代償に発動する」というものであった。むしろあまり疲れることの無いブーストを抑えた魔法の使用が出来ない事実に気付くありさまだったりする。
今回またこれを使うべき事態になったので、慣れなどを考慮して多少は疲労度が軽くならないかと期待もしたのだが……結果は以前と全く変化なしといったところである。
「いかん、意外に使いどころに困る気がしてきた」
トウガが何故この力に頭を悩ませるのか? もちろん効果的に運用出来たなら実に強力だから、というのもあるが、何より「そういえば……」と思い出した一つの出来事があるからだ。
それはユナと全力で闘った時の事。彼女に組み付き関節を取ろうとしたトウガに対して、ユナは氷球の魔法でもって迎撃を試みた。しかしその時は特に気になりはしなかったが、今にして思えば「明らかに接触していたのにブースト能力が発動しなかった」事例があったことになるのだ。
一つでも例外があるなら考察する意義は十分あるし、そもそも自分の体の事でもある。気になるのも当然と言えよう。
付け加えるなら、己にとって最強の武器と言ってもいい左手首に装着している身体能力上昇と防御力上昇の腕輪。これも常時付けっぱなしで問題無かったり、意識しないと付けてる事すら忘れかねない馴染みっぷりだったりと不思議な点がいくつか見受けられる。まぁこちらは問題点があるわけではないので困りはしないが、それでも理由が分からないと安心し難いという思いもあった。
「……結局どういう事なのよ」
ブーストは一回発動で足がふらつくレベル、二回発動すればそのままベッドに直行という程のものだ。現状のままだと些細な魔法のアイテムも気楽に扱えないばかりか、思わぬ形で疲労に見舞われピンチに陥る可能性もある。
加減が利かない事や自分もあまり全容を把握出来ていない事実(最も恐るべきはブースト能力が消えてしまう可能性)をかえりみて、トウガは今の自身のアイデンティティーがとても薄い氷の膜の上に存在しているような感覚になっていくのだった。
ひとしきり悩み続けていたトウガの鼻がピクリと動く。激しい戦闘や昼食を抜かしていたせいで、体が栄養摂取を早く早くと急かしているようだ。
「とりあえずご飯ー」
考えてもどうにもならないことは一時放置、トウガは匂いの元へと足を向かわせようとした。彼はこういった意識の切り替えが比較的早い、ある意味健全な精神の持ち主のようである。
よっこいしょ、などと言いながら彼が馬車を出ると、少し離れたところに大きめの焚き火を囲む集団が目に入る。トウガが頭に付いているかもしれない寝癖を片手で撫で付けながら近付くと、それを見つけた子供の一人が声を張り上げた。
「あー、きたーっ」
言われた対象であるトウガが「何が?」と思う間も無く、焚き火の側にいたみんなが一斉に彼に目を向けた。一瞬ビクッっと身を引いてしまうが、その目は単なる好奇のものではなくトウガを歓迎する暖かい感情が込められているようだ。そしてそのうちの何人かが駆け寄ると、彼に礼を言いながらぜひにと宴の席に招いて来る。
?マークを2,3個ほど頭に浮かべているトウガは、子供に腕を引っ張られるままユナの隣に設けられていた席に腰を下ろした。
「やっと起きたか、大将。主役がいないんじゃ盛り上がりに欠けちまっていけねぇな」
「……たいしょ?」
「アンタのことだよ。みんな、アンタと一緒に飲んで食べて騒ぎたかったのさ。もちろんアタシもね」
ゴードンとマデリーンの声を受け、彼は昼間の事を振り返る。
(ああ、そっか。俺が助けて…………)
多くの命を救えたことは喜ぶべき事実だろう。だがそれは自分の実力ではない借り物の力によって成し得たものなのではないのか?
先程まで考えていた自身の薄っぺらな実情の事が再び頭をかすめ、トウガの顔がわずかに歪み掛ける。
「そなたが護ったのじゃ。他の誰でも、何かでもない。この場の語らいが主の尽力無しに存在するものか。――だから、もう少しぐらい嬉しそうな顔をしても良いのではないか?」
しかしそれも一瞬のことだった。
ユナがトウガに伝える。無双の力でも、ここにいないどこかの英雄様でもない。彼らを救う決め手になったのはトウガという一個人、その助けようとする意志なのだと。
確かに無理を押し通す怪力がなければ厳しい戦いになっていたことだろう。もしかしたら助け自体しなかったかもしれない。それでも、この異質な能力は所詮「道具」に過ぎないのだ。それだけで何が行われようか。
決定して、実行したのは間違いなくトウガ自身なのである。
ユナの言葉はトウガの心中を正確に把握して出たものではないが、それでも彼を気遣い労わろうとする気持ちが深く籠められているのは間違いなかった。「トウガの事をよく視ている」、端的に言えばそう評するのが適当であろうか。その洞察力はトウガという対象だからこそ発揮出来ているのかもしれないが……なんともまぁほんの少しのことに気が回るものである。
周りから見れば何気無い一言でトウガの心は理解する。今、この場はみんなで喜びを分かち合う為のもので、そして自分は望まれてここにいるのだ。
大した事はしていない? 阿呆かっ! 命を護っておきながらそれを過小評価するなど、救われた相手を馬鹿にしているのではないのか!?
己が成した事に対する正当な賞賛を素直に受け取れないなど愚か者と同じである。それは謙虚という言葉とは明らかな別物なのだ。
周囲のある種わくわくするような顔を改めて確認して、トウガの顔がほころんだ。
「どもっ! ど~も~!」
そうして宴の幕はより大きな形で再び上がるのであった。
大学コンパのような軽い出だしは、彼の心の弾みようを実に分かりやすく示している。褒められ称えられれば嬉しくなるのは人の子として当然の事であり、小さな場であろうと主役になれるならその振る舞いが大きくなるのも特別おかしな話ではない。
きゃいきゃいと騒ぐ子供、トウガと笑いあう同世代の獣人の若者、またも世間話に華を咲かせるレシャンとマデリーン、軽い一品を作ろうと見せてもらった食材を物色するユナ。
客人に振る舞う酒を選びながら賑わいの輪を眺め、ゴードンは小さく呟いた。
「こんな時こそ極上の酒ってのは出来上がる。所持してるだけじゃ意味がない。いつ、どこで、誰と飲み交わしたか。それに華を添えたことで初めて『良い酒だった』事実が出来上がるってもんよ」
どうやら彼が決めた秘蔵の一本は今夜、極上の一杯になるようだ。
――――――――
翌朝、トウガは体をバキバキ言わせながら起床した。彼は焚き火の近くで荷物を枕に横になっていたのだが、他にも同じように雑魚寝している者が何人かはいるようである。
そのまま起きずにまた横になっても良かっただろうが、生憎昨日の昼から夕方まで寝ていた体はそれを許してはくれないようだ。立ち上がって大きく背伸びをすると、彼は自分達の馬車に向かい保冷の水がめに溜めてある水で軽く顔を洗った。馬車ではユナとレシャンが寝入っているようだが、無論用も無いのにその邪魔はしようなどと考えることはない。
冷えた水でスッキリしてさてこれからどうするかとトウガはしばし思案する。
「みんな起きるまでまだ時間あるだろ……散歩でも行こ」
これまで平原の街道を進んできたトウガ達一行だったが、目を横にやれば川や湖、丘陵などがあり決して面白みの無い同じ景色が続いているわけではない。時間が取れるならテレビの中でしか見たこと無いような広大な風景を、一人でじっくり観賞するのも良いかもしれないとトウガは思っていた。
三人だけだと外敵への警戒等で馬車から離れがたい(そもそもトウガは雇われた護衛である)ので、そんな観光チックな考えは仕舞っていたのだが、今はそれを気にする必要もないのだ。
宴の席でのトウガ達とゴードン、マデリーンとの話の中に、今回の救援に対する謝礼の事があった。
トウガが払った労力、その成果、ともに礼の一つや二つで済ませるには少々無理がある話だ。これらを善意の一言で終わらせていたら冒険者などという職業は必要ない――と、まぁ一般的にはこう見るべきなのだろう。実際、トウガも報酬が出るなら嬉しい限りだ。
しかし、被害にあったばかりであり、しかも小さな子供も多いゴードン達からこの状況で報酬を貰うというのは、彼からしてみれば心苦しい気持ちがあるのも事実だった。自身に汚点は無いのに後ろめたい、このような場合どうすればいいのか?
――答えは簡単、『見栄を張れば良い』のである。
周りに強欲な奴だと思われたくない、お金は欲しいが切羽詰まっているわけではない。天秤が揺れ動いておりまだ傾き切っていないなら、張れるだけの見栄を張ってしまえばそれで問題無しだ。
ゴードンもそんな人の機微を汲めない人物ではない。トウガの「報酬はいらない」という申し出をそのまま受け入れると、代わりに旅の雑務を請け負うという提案をしてきたのだ。
たった三人のトウガ達にしてみれば食事の準備や就寝時の見張りをしなくていいのは、むしろ少々のお金よりもずっと価値があると言えるだろう。もし見張りが敵を発見したなら総員で動くべきだが、それでも神経を常時張り巡らす必要がないのはかなりの利点だ。ゴードン一行の持つ「数の力」はトウガ達には出せない強みなのである。
進む道先が同じであるということも分かり利害の一致を確認すると、トウガは渋い声とは全然似合っていないゴードンの可愛らしい手と握手をしてこの話を終わらせたのだった。
少し離れたところに見回りに立つ者や朝早くから馬車の車軸等を直している者がいたので、挨拶をしてから散歩に出る事を告げる。一人で行動するというのを子供が言い出したなら昨日の今日だけに即止められただろうが、相手がトウガだったので特に心配せずに了解されたようだった。
「さてと……」
当ても無くしばらくトコトコと歩き、やがてトウガは観賞に価する景色を見る方法として周りを見渡せる高い場所に行く事を思いつく。よってなだらかな丘を見つけるととりあえずその上を目指してみようと考えた。
大した距離ではなかったが丘の上に辿り着つくと軽く息を吐き、そこから見える風景を前に彼は小さくつぶやいた。
「…………グレート、だぜ」
緑、山、そして点在し景色に彩りを加える様々な自然の産物。
知識で知ってはいる。テレビやネットで見たことはある。だが「感じた」のは初めてだった。雄大、広大、そう形容すべき眼前の代物は紛れも無く本物。聞くと見るとでは大違いとはまさにこの事か。
今までは余裕があまりなかったせいだろうか、これに近い光景を見ても特に何かを感じたりはしなかったのに……。圧倒的な自然、そしてその上に広がる澄み切った空に吸い込まれるような感覚を抱き、トウガの体が軽く震える。恐怖心、なのだろうか。ソレを振り払うように急に腕を振り回すと、彼は気分を変える為に体を動かそうとその場で逆立ちになり、そのままの体勢で移動を始めた。
「よっ、ほっとっ」
筋トレの一環と言えば聞こえは良いが、本人からすれば片足を上げ飛び跳ねている程度のものである。常人でも、風呂の中でなら両腕だけで体を支えられるのは周知のことだ。そして水の浮力以上の強力なパワーアシストを持つトウガなら特に驚くべきことではない――が、傍から見たら場所的にその謎な姿には驚かれるものかもしれない……。
しばらく異様な散歩を続けたトウガは近くに直径2m程の岩を見つけ腕を止めた。そして足を下ろし普通に立つと、その岩を前に軽い口調で独り言を口にする。
「れっつ、打岩ちゃれんじ~」
打岩とは彼が知る漫画の中での、中国拳法の鍛錬の一つだ。巨大な岩を己の拳足のみを使い真球に近付けるという、一種の芸術とも言えるものだが――
「フン」ドガッ「ハッ」バガッ「セイ」ズガッ
「あい」ドゴッ「きゃん」バゴッ「ふらーい」ズゴッ
「死ねー」ドギャッ「シネー」バギャッ「チネー」ズギャッ
全然ダメ、ダメのダメダメである。部屋の天井から垂れている蛍光灯のスイッチにパンチをしてみれば分かりやすいのだが、姿勢等を相当注意をしていてもパンチを正確に同じところに打つというのは、それだけで言葉で表すよりもとんでもなく難しいことなのだ。しかも場所によってはキックも必要なのでその場合はさらに難易度が上がってしまう。
「これ絶対彫刻技術もいるだろ」
結局出来上がったのはいくらか削られ一回り小さくなった……やっぱりただの岩だった。
自分の作品に呆れてしまうトウガだが、同時に拳を見てわずかに笑みも浮かべている。
「まだまだ強くなる余地があるってことだよな」
新たな道連れも増えたトウガの旅路。先に何が待つのかなど想像も出来ないが、とりあえず目指すべき指針は決まっていた。
まずは納得のいく生活基盤の確保、そしてブースト能力の詳細を探ること。強くなりたいのは今も変わらないが、それを支える根本が不確かなままでは強くなれるとも思えやしない。
それにもっと知り合いやコネを作るべきかなとも彼は思っている。依頼を受ける、情報を得る等には地道な人脈作成が最も有用な手段だろうという考えだった。
「それに大きな街に行きゃあ、ね」
トウガにはある意味目下最大の問題が存在していた。それはまぁその何と言うか……男なら誰しもぶつかる問題、ぶっちゃけ性欲の発散についてである。
ハッキリ言って現状最も身近な同世代がユナというのは非っ常~にきつい。文字通りその悪魔の肢体は妖艶な色香を持っており、トウガはある程度意識して自分を律する必要があったのだ。
アプローチしちゃえば?と思わなくも無いだろうが、それに失敗して気まずくなり一緒にいられないと考えてしまった時のことを想像すると、その後のあまりの一人ぼっちっぷりに眩暈を覚えるほどで恐ろしいとすら言えた。この世界に自分を呼んだステイシアと離れた後に味わったあの異様な虚無感、アレを思い出せばユナとの関係は今のままで十分とするのも無理はないのかもしれない。
付け加えるとマデリーンも思ったことなのだが、客観的に見てトウガとユナはイマイチ釣り合いが取れているとは言い難い。そこだけを考慮した場合、トウガが尻込みするのはむしろ納得しやすいと言えちゃったりなんかしちゃったり……。まぁそれだけだと、ただ男として情けないだけなんですがねっ。
「ユナんときの報酬で金はある。そういうのに詳しそうな知り合いの一人でも出来れば……」
冒険者としてのスタートを切ったあの街、ガディーグリンには大きな歓楽街がなかった。無論探せばソレ系の店もあるのだろうが、治安の良い日本の風俗ですら興味はあれど行ったことの無いトウガからすればあまりに怪しい場所には行き辛いのも当然である。ステイシアに呼ばれたばかりの頃、近隣の風俗店を聞こうかなどとも考えたが、今思えば半分夢の世界のような気持ちで危機感とか一切無かったんだろうなぁと過去の自分を振り返るトウガだった。
どこからか毒電波をキャッチした就寝中のユナさんが寝言で一言。
「ぬ……ぅぅ、トウガァ。妾の、あの報酬で女を買うなんぞ……ぅぅうぅ、滅殺ぅぅ……」
女の情念とは恐ろしい。トウガがわざわざユナとの関係を律している事を彼女が知ろうものなら、恐らく一瞬にして彼は喰べられてしまうことでしょう。
「んぉ?」
誰かに見られているような気がしたトウガはキョロキョロと周りを目をやった。わずかに悪寒も感じて、思わずその拳を握り込みそうになってしまう。
「おはようございます。散歩ですか?」
「おっと、お前かよ。ぇー、ジャンゴだったか? おはようさん」
トウガが周囲を気にしだしたのを見て出てきたのか少年が現れた。全身黒い毛に覆われた狼の顔を持つ男の子、ジャンゴだ。
相変わらず一見すると服を着たモンスターにしか見えない姿をしていたが、身長、声、口調などが彼が少年であることを分からせてくれている。
「散歩……うん、散歩だな。そういやお前さん、一人で来たの? 誰かに止められたりは?」
「実は抜け出してきちゃいました。そんなに離れてないし、大丈夫ですよ」
昨夜も少し思ったことだが、外見に反してジャンゴは随分丁寧な口調でしゃべるようだ。目上の者に対する礼儀作法もそれなりに教え込まれているように感じられる。ただ、黙って一行から離れた点などは、生意気盛りな男児でもあるという証拠なのかもしれない。
トウガがそんな取り留めの無い事を考えていると、少年はトウガが作成?した岩のオブジェに近付き手を伸ばした。
「……すごいですね。岩石を素手で破壊するなんて」
破壊したつもりはないのだがまぁそこにツッコミしてもしょうがない。
人に見せるにはあんまりな出来の作品に改めて息をはくトウガ。だがそれと同時に、彼の目には岩を撫でながら口を開いたジャンゴが何か言いたい事を黙っているように映るのが気になっていた。
ジャンゴが話題を選んでいるなどという話ではない。むしろトウガの前にこうしてやってきた事そのものに、何か少年の意図があるようにも思えてくるのだ。
「相談事か? 家族に言い辛い内容なら、とりあえず目の前のお兄さんに愚痴ってみるのはどうだ?」
「えっ!? ぁ、……分かりますか? 僕ってこういう顔だから、ウルミの中でも分かりにくいって言われるのに」
「んん、ぶっちゃけると勘だよ。まぁそういう読み取りとか別段得意でも何でもないけど、一応年上だしな」
半分以上適当に聞いてみたことが当たり、口では否定しながらも得意げに答えるトウガ。ジャンゴの方も相手から聞かれたことで決心がついたようで、力無くぶらりと垂らしていた手をギュッと握りしめ本題を切り出した。
「あの、そちらからすれば迷惑な話でしょうけどっ、お願いします! 僕と、手合わせしてくれませんかっ」
「……ぉー、もちろん訳は話してくれるんだろ? そうでなきゃ、俺のマッスルボデーが火を噴いちゃうんだぜ」
少年は牙を食いしばり、目に力を走らせながら叫んだ。
「……強く、強くなりたいんですっ!」
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ま た こ の パ タ ー ン か、いや肉体言語でお話しようとしてるからむしろ良いのか?
今回は自己顕示欲、金銭欲、名誉欲、性欲など「欲」がいっぱい出ています。ライトノベルやネットSSの主人公は正負の方向問わずそれらが振り切れている事が多いようで、「みんなのおかげだよ。俺の力じゃない」や「助けるのは当然だろ? 何で不思議がるんだよ」とか「分かった、やってやるよ。じゃ一億円な」などがちらほら出てきます。
もはやこれらは様式美かなとも思いますが、作者としてはせっかく個性を出しやすいファクターをテンプレで済ませるのはすごく勿体無く感じるので、それらについてけっこう言及しちゃっています。長ったらしかったらごめんなさい。
(なお一億円パターンは半分ギャグのようにも捉えられますが、古くはゴルゴ13やブラックジャックなどからあり、しかもアレらは理由がつくことで主人公の造形を魅力的に掘り下げている点が実に良いと思います)
それと題名に少し付け足しをしました。筋肉とヤンデレが7:3ぐらいにはなってきているようなので、窓口を広げたくなった次第です。セコくてすいません。
多分そのうち「トウガどけいっ! そやつ殺せないっ!!」とか出ます、恐らく、きっと。