「くあぁっ……」
眠気覚ましのブラックコーヒーを一気に呷り、顎が外れんじゃないかと危惧するぐらいに大口を開けて欠伸を吐き出す。
反射的に口元に寄せた手に滲んで来た涙を拭き取らせ、再び視線を目の前の鍋に戻す。
鍋の中では水がグツグツと忙しなく泡を立てて湯立ち、ついさっき投入された素麺を柔らかく解そうと頑張っている。
換気扇を全開に回し溢れ出る湯気を外へと逃がすが、当然逃がしきれるわけも無く水分が顔にひり付く。
クーラーを点けているため締め切っている擦りガラスの窓から、日の光が絶えず部屋の中へと入ってきている。
そしてこの眠気。つまるところ朝だ。
いつもなら寝てる時間だが、今日はそうも言ってられない。
今日は大学の課題の調べ物のために少し離れた所にある大型の図書館へと行くつもりだからだ。
俺は面倒臭がりの出不精だが、面倒事を後回しにするようなことはしない。だって、その後さらに面倒臭くなるから。
「今日逃げたら明日はもっと大きな勇気が必要になるぞ」と、誰か言っていたけど名言だと思う。速くやって速く終わらすのが賢い面倒臭がりだ。
俺の心の平穏のためにも、夏休みを目前に控えて面倒事を残すのは御免だ。
茹でた素麺を居間へと運び、朝また俺と同衾していた罪により布団巻きにされていた女の子を開放する。
「ぷぁ、暑かったにゃ」
「次やったら今度はその状態で外に放置するからな」
「熱中症で死ねと申すか」
「申す申す」
箸など諸々も一緒に用意して朝食に入る。のりスタ面白いよのりスタ、子供の頃ドンファン滅茶苦茶好きだったよドンファン。
のりスタが見終わったのでチャンネルをグルグルと回して適当にCMがやっているのに止める。
いきなり恥ずかしいCMが流れた。
「こんなの流されたら気まずくなるだろ。常識的に考えて」
「貴方と……合体したい」
「合体事故発生」
「オレサマ、オマエ、マルカジリ」
あのCM作った奴は家族でテレビを見ることを考えてないな。というか、よく規制に引っかからなかったよな。
サイレンのCMとは違った危険性があるぞ。
食い終わった食器の洗い物は家事係の女の子に任せて俺は大学用のカバンからレポートと筆記用具を取り出し、別の小型のカバンに収める。
ふいに外が気になり居間の窓を開けて顔を出す。
一瞬で閉めた。
見上げた窓から見える空は青々としており、昨日の雨が嘘のように晴れていた。詰まる所、蒸し暑い。
夏の季節で一番厄介なことと言えば梅雨だ。ただでさえ湿気の高い日本の夏に、さらなるブーストを掛けてくれる雨は邪魔者以外の何者でもない。
雨上がりの天気など考えたくも無い。肌にひり付く水分、流れ出る汗を吸収してベタつくシャツ、これだけで日本人は理解してくれるだろう。
聞くところに寄れば、アメリカなどは湿気が少なくて日陰に入るとけっこう涼しいとか。
一気に出掛ける意欲が無くなり、家でダラダラするという思考がチラつく。
だがこうして居て事態が好転することなんて人生で一度も経験したことが無いと理解しているので、甘い考えを振り払い出掛ける準備を再開する。
「どこどこ。どこ行くの?」
着替えを済ましてカバンを持ち上げていざ出掛けようと自分を励ましていると、洗い物を済ませた女の子が俺のエプロンで手を拭きながら寄ってくる。
今日は何も無いことを伝えているので出掛けようとする俺を不思議に思ったんだろう。
「図書館。大学の課題で調べもんがあるんだよ」
「わたしも行きたい。……いい?」
「ヒント。家事しとけ居候」
「それはもうヒントじゃない。―――この家狭い。毎日掃除洗濯しても効率悪い。1日ぐらいしなくてもいい」
「……それは、一理あるな」
女の子の言葉に促される形で見渡すと、以前とは見違えるように整理整頓された部屋が目に入った。
試しにガッチャピンことムクたんが置かれている棚に指を滑らせて見てもホコリは指に付かない。さっき使っていた換気扇も、よく見ればピカピカに磨かれていた。
気付かなかったが、女の子の掃除スキルは俺をとっくに超えていたらしい。
「綺麗だな」
「もっと褒めるべき」
「頭を撫でてやろう」
「わーい」
「よしよし」
「にゃーん」
素直に感嘆の声を上げる。褒められて嬉しいのか女の子ニマニマとして笑みを俺に向けている。
宣言通りに女の子の頭に手を乗せてワシャワシャと頭を撫でると、女の子は諸手を挙げて喜んでいた。
「心残りは貴方のエログッズを見つけられなかったこと」
「……無いぞ?」
「ベッドの下。布団の裏。押入れの奥。ラノベ漫画DVD部屋の中のどこにも無かった。貴方、隠すの上手」
「まずそんなの一度も買った覚えない」
「嘘だッ!!」
猛然と否定されるが持ってないものは持ってない。あんな無駄の塊のような物に金を払う意味が解らない。
身振り手振り口振りで俺がそういう類の物を一切所持してないのを順を追って確認させていく。最終的に屋根裏まで調べさせられたのは予想外だったけど。
途中で自分が何をやっているのか気付いた女の子が羞恥で顔がほんのりと赤くなっていたのが面白かった。
終わる頃には出発予定時間を少し回ってしまっていた。
まぁその話は置いとくとして。―――たしかに今日ぐらい掃除しなくても良さそうなので、女の子に同行に許可出す。
女の子の準備が終わる間に俺はベランダから缶コーヒーのブラックを持って来てチビチビと飲む。
すぐさま女の子は着替えを済まして戻ってくる。以前俺が選んだ青いワンピースだ。
「―――案外、出来るもんだな」
「でもお尻少し痛い」
「大丈夫。慣れたら快感に変わってくる」
「や、やっぱり抜いて」
「嫌だね」
「そんな。鬼、悪魔」
「そんなこと言っていいと思ってんの? 決定権は俺にあるんだぞ。もっと深く押し込んでもいいんだぞ」
「あぁっ……そんなグイグイしないで、壊れちゃう」
「まぁ冗談もこれくらいにしてそろそろ行くか。あっちーし」
「そだね。あっちーし」
自転車の前カゴに女の子を乗せたままの自転車で出発した。試せば出来るもんだ。
途中予想通りと言うかなんというか、警察に見つかって怒られた。
自転車を漕いで30分弱、都内某所の大型の図書館に到着する。ズラァーと並べられた自転車の端に俺のも並べて図書館へと入る。
よく利いた冷房が気持ちいい。夏のいいところは冷風が気持ちいいことだな。
「大きいですね。広いですね。こういうのワクワクしますね」
「俺は何回か来てるからそんなワクワクしない。……ってか手離せ、地味に暑い」
「貴方が迷子になったら心配」
「年齢を考えろよデコすけ野郎」
「カップヌードルのCM?」
「惜しい」
中にある自販機でつめたーい飲み物を飲んで掻いた汗が乾いたのを確認した後に女の子と別行動を取る。
女の子はフラフラと長門のように歩いてどこかへ消え、俺は目的の本達がどこにあるのか備え付けの端末で調べる。調べ物のために、さらに調べるとはこれいかに。
しかし図書館の本って寄付なのか知らないけど、たまに変な物も置かれてたりするんだよな。
目を向けてみれば当時ブームだったエヴァンゲリオンの本が棚を埋め尽くしてたりする。
目的の物を見つけ、該当する箇所を読んではレポートに書き込んでいく。
こういう時パソコンがあれば楽なんだけど、以前パソコンの文章をソックリそのまま書いた奴が注意を受けていたことがあったのでやらない。
冷房のお陰もあり驚くほどレポートに集中出来る。
気付けば対面のテーブルに女の子が居た。エヴァの本を読んでいた。流石に退屈だっただろうか。
最後の文字を書き終えた頃には2時間ほど経過しており、お腹も大分空いていた。
目の前で腕を枕にして眠る女の子を起こして帰宅する。今度はちゃんと(?)後ろに乗せて帰った。
「よく寝た」
「寝るなら最初から家で寝とけよ。ヨダレ垂らさない限り文句言わないから」
「ヨダレ……」
「ってか手握るな暑い。ついでに2人乗りの時も肩に手を置くな、暑いから」
「どこに手を置けと」
「自分で考えなさい」
「……」
結果、腰に腕を巻きつけてきた。接触面がより大きくなったのは嫌がらせか。
家に帰ると即行でクーラーの冷房をONにする。……出掛けてる時は窓開けとかないとヤバいな。
大分汗を掻いたので簡単にシャワーを浴びることにして、先に女の子に行かせる。
その間に俺は昼飯の準備だ。レシピ本で余らせた素麺を加工する方法を探す。結構便利、レシピ本。
持って来たブラックコーヒーを飲みつつページを捲る。
結局この本には素麺の話がそんなに載っていなかったため、味付けが変わっただけのシンプルな物になった。
どうして夏はこうも素麺の在庫は増えるんだろうか。伯母さんの仕送りにも入ってたし。
冷麺なので暖めなおす心配も無く、風呂から出てきた女の子に待てをして俺もシャワーを浴びる。
下着類を変えるとどれだけ服が肌に張り付いていたか実感させられる。後、風呂上りのクーラーの気持ちよさは異常。
その後ちゃんと待てていた女の子と一緒に素麺を食って、後は各々の自由時間だ。
俺はマックスコーヒー飲みながらラノベを読み、女の子は俺に許可を取って適当なDVDを観ている。
流石に3ヶ月も一緒に過ごせば互いの沈黙も苦にはならない。
「ねぇ……」
「ん」
「エロい物ないって、やっぱり本当?」
「あんだけ探させといてまだ怪しむか」
「男の人、そういうの持ってるって聞いたから。お父さんも持ってた」
「……無いものは無いな。まずそんな後ろめたいもんがあったら、お前に掃除させない」
「ベクタートラップでなんとか。はいだらー!」
「アヌビスなんて誰がわかるんだよ。ちなみにADAは俺の嫁」
「セルヴィス可哀想です」
「空気だからしょうがない」
時間は10時になり、女の子はいつも通りに布団を敷いて寝た。
「その前に布団を敷こう。な?」
「黙れ」
女の子が寝たのを確認して、俺はテレビにイヤホンを繋ぎ深夜アニメとDVDを交代で観る。それとマックスコーヒー2本目も欠かさない。
その間も漫画やラノベは手から離さない。充電タイムだ。いくら一緒に過ごそうと、精神が消耗するのは変わらない。
そんな1人の楽しい時間を過ごしていれば時間の流れも速くなり、すぐに時計は夜中の2時を示していた。
これ以上は流石に生命活動にも支障が出そうなので、いつも素直に寝ることにしている。病気になったら元も子もない。
歯ブラシと洗顔を済ませてベッドにつく。延長された電気の紐を引っ張って消灯して横になる。
とまぁいつもならここで寝れるはずなんだけど……流石にコーヒーを飲みすぎたか眠くない。
体感時間的にちょっとヤバいと思えるぐらいに時間が経つ。必死に目を瞑って眠気を誘発させようとするがうまくいかない。
焦りは禁物、いつの間にか寝れるはずと自分を落ち着かせる。
その時だった。
モゾモゾと布が擦れる音がした。俺は薄目を開けて音のしたほうを見た。
闇になれた目は、暗い視界の中でもすぐにその姿を捉えることが出来た。
群青色に感じる視界内でその赤い目だけが浮いていた。
敷かれた布団の上に立ち尽くす女の子の意図は読めず、トイレか何かだと当たりをつけていたが、それは違っていた。
まるで引かれる様に、音を立てないようにすり足で女の子は俺の方へと近づいてきた。
俺を見下ろす位置までやってきた女の子は腰を屈め、寝ている俺と同じ高さに目線を持って来る。
反射的に俺は瞼を閉じてしまい、外部の情報が一切わからなくなってしまう。
胸の鼓動は変わらないが、微妙に恐怖の気持ちが滲み出てくるのを感じる。
ふいに、唇に何かが触れた。
「っん……」
吸われた。すぐに何かは離れ、自分の唇に濡れた感触が残った。
濡れた部分が冷房で冷やされて乾く前に、再度何かがまた触れた。
「……っん、ちゅ」
女の子の喘ぎを押し殺したような声。そこで既に理解した。これが女の子の唇だと。
「ちゅ……ちゅ、ちゅぅ。んっちゅ……はむっ……」
啄ばむ様に何度も何度も女の子は俺に口付けてくる。
女の子の髪のような物が頬に当たるが、すぐにその感触は無くなる。
その後すぐに女の子は俺の頬に手を当てて若干角度を変えてくる。そしてまた唇を吸われた。
「んっ、はぁ……―――わたしだけ、なのかな。わたしがおかしいのかな。欲しくなるのは、わたしだけなのかな」
一際大きく口を吸われた後、女の子は誰に言うわけでもなく1人呟いていた。
今日が初めてじゃないらしい。
「こういうことしてるってバレたら嫌われる、かな。……でも、我慢出来ない。ちゅぅっ……」
存分に口を吸った後、女の子は俺の隣に体を滑らせて俺の腕を抱いた。
女の子の息が首筋に掛かってくすぐったい。
「気付いてください。わたしの気持ちに気付いてください。でも、気付かないでください」
それっきり女の子は口を開けなかった。寝たのだろう。
俺は思った。
どうでもいいや。
と。
△▽
一物抱えてるのは女の子だけじゃないのかも。あと作者はXXX的なものを書いた経験がありません。