7歳の秋 2後編
ギムリの歩く早さは、私と比べて幾分早い。
小走りで彼の後ろをチョコチョコと歩く、ほとんど競歩並みの早さで歩いているが、それでもたまに少しジョギングするように移動しなくては、置いていかれてしまう。
究極的には一緒に戻らなくても構わないのではあろうが、気分の問題なので彼と一緒に家に戻っている途中である。
足裏から規則的に脳に響く振動に、若干気持ちが良くなってきたころ、我が家が見えてきた。
走って玄関先に先回りし、ギムリが来るのを待って玄関の木戸を開けて彼を迎え入れる。後は大人の話し合いだろうし、私は横で聞いていよう。
「おはよう!」と、ギムリの馬鹿でかい声が我が家の今に響き渡った。
姉のノエルは、母に髪を梳いてもらっていた。祖父は節くれだった手で子狼を撫でるようににして、威嚇してくる子狼で遊んでいた。
「おーうギムリ、久しぶりじゃな」
「爺さん、昨日広場で俺に酒を浴びせたじじいのセリフかよ」
「はて?モルソイの盆暗息子を蹴倒した記憶はあるが、そうじゃったかのう?」
「わははは」と笑う、祖父とギムリ 私は微妙な気持ちで見守るのみである。
開いている椅子にどっかりと座ったギムリは
「それで、こんな朝早くからどんな用事だ?」
「うむ、それなんじゃがな。まず、これを見てくれ」
話しながら子狼を平手でペシペシと苛めていた祖父が立ち上がると、ギムリはソレを見て首をかしげた
「うん?ホワイトウルフだな、北方の雪山あたりが生息区だったはずだがなんでまたここに?」
「うむ、昨日ノルが林で・・・(うんぬんかんぬん)」
「ほー、珍しいな。大方、群れのボス交代でもあったのだろうよ。その時妊娠している固体は群れから追い出されることもあるらしい。それが流れ流れてこの地までってところか?子狼らがここらまで移動してこれるはずがないから、こちらに来てから産んだんだろうな」
「ふむ。まあそれは置いておいて、この亡骸なんじゃがな。このままにしておいても腐るだけだし、毛皮だけでも取っておこうかという話になってのう」
いつのまにそんな話になっていたのだろうか?
「おー、そういうことか。いいぜ、ちゃっちゃとやっちまおう」
そういってギムリは、親狼の亡骸に近寄ると、むんずと尻尾を掴んで外に歩いていく。
私と祖父はそれについていった。
ギムリは、どこからかナイフを取り出すと腹から首に掛けて浅く切れ目をいれた。
そこを取っ掛かりに、ビリッビリッと引き裂く音とともに皮を剥いでゆく。
それは熟練の腕のなせる業であったとも言える。私は、目の前でその工程をぼんやりと見ていた。
「ホワイトウルフは、北の民の間では冬の到来を知らせる神の僕といわれてるんだぜ」
「尻尾は幸運のお守りと言われている、持っておくといいことあるかもな」
そう言いながら、毛皮を剥ぐ手は衰えない。
語ってくる彼に相鎚の返事を返しながら見ていると、そのうち毛皮は剥ぎ終わった。
「こんなもんだな、とりあえず毛皮は洗って日干しにしておくといい。あとはこっちの肉の処理だな。爺さん、縄かなにかないか?」
「そうじゃな、ノル倉庫に麻縄があったじゃろ。もってきなさい」
縄を受け取ったギムリは剥ぎ終わった亡骸にそれを手早く巻きつけると、庭先に生えているノボセリの木に結わえた。
ノボセリの木は、年間を通して青々とした葉をつける不思議植物である。
花も実も見たことが無いが、その葉は柔らかく食用にもならなくもない。ただしあまりおいしくはない。
草食動物はこれを食べるのであるが、苗木なら兎も角大きく育ってしまうと、葉に背が届かず食べられなくなってしまう。小さな頃は葉を食べられるのでゆっくり育ち、ある程度成長が進むと勢い良く大樹に成長してゆく。
それを伐採して木材とするのだが、人里で管理されるノボセリの木は、葉を食べる敵がいないおかげで最初からガッツリ成長する。
今、亡骸が結わえられたノボセリの木は高さが約6mほどあるが、これは私がが生まれた頃に苗木を埋めたという話を聞いたことがある。
ギムリが枝にぶら下がった亡骸の胸に先ほど使ったナイフを突き立て、股間まで一気に引き裂くと、
亡骸の下に置いてあった桶に内臓が零れるように落ちた。
内臓から、特有の匂いがする。血で赤い臓物や、灰色ピンクな腸を見ているとなんともいえず込み上げるものがある。
髪を梳り終えた姉も私の横で見ていたが、内臓が見えると家の中に戻っていった。
然もあらん。なかなかに刺激的な光景である。
ギムリが亡骸の胸の奥に両手をつっこみ、プツリと何かを切るとそれまで垂れ下がっていた内臓の頂点は支えを失って桶の中におさまった。
「うし、終わりだ。内臓も洗えば食えるぞ」
そういうとギムリは私と祖父をみて、ニッカリと笑った。
顔に、汗を腕でぬぐったときの血がついて少々恐ろしい風貌になっていたので、微妙に怖かった。
「そんで、その子狼らはどうするんだ?」
腕や顔についた血糊をきれいに拭き終えたギムリが、居間の椅子に座りながら聞いてきた
「ふむ、どうしたらいいかの」
「そうだな、西の民族には狩りに狼を使うって所もあるから、そのように育ててもいいかもしれんが、どちらにせよ手探りになるだろうしなあ。俺も、流石に狼の育て方なんて聞いたこともないし。いっそ、今のうちに捨てるなり殺すなりしても構わないと思うけどよ」
と、物騒な会話をしている祖父とギムリの横で私は子狼の今後について考えていた。
せっかく拾った命なのだから殺すには偲びない。かといって子狼の使い道に思い当たるところも少ない。
うまく仕込めば、牧羊犬のように使えないこともないのか?とか、狩猟犬とかにも使えるのかな?とか、まあなんらかに使えるようにはなるだろうと、なんとか殺さない方向にもっていこうと口を開こうとしたところ、先に吼えたのはわが姉だった。
「もう!おじいちゃんもギムリさんもこんなに可愛い子狼さんを殺しちゃおうなんていっちゃだめ!」
私が、子狼の命を救うために考えていた論理的な思考からくる活用方法ではなく、ハートに響く一言である。
流石姉!日々理不尽な命令や独特の思考回路で私を翻弄するだけのことはあった
「しかしのう」とか「だがなあ」とか、ノエルに言い聞かせようとする祖父とギムリはタジタジだった。
10歳の少女がほんのり涙目で訴えかけるその光景は、どことなく罪悪感を刺激するのだ。
結局、すったもんだの末に子狼2匹は、我が家で飼うことになったのである。
・・・二日酔いでぐったりしている父の意見も聞かずに。