9歳の収穫祭 4
目が覚めると、そこは慣れ親しんだ寝床ではなかった。
自分の寝床と良く似た乾燥した草木の匂いだったが、匂いからイメージする居場所の雰囲気が、ここは自分の寝床ではないと感覚的に告げていた。
上半身を起こして、寝起きでボンヤリとする思考でなぜここにいるかを思考する。
数秒して昨夜何が行なわれたのかを思い出すと、起こしていた上半身を見た。
あの瞬間、体に焼きついたような感覚を覚えたはずの体に描かれていた紋様は見る影も無く消えていた。
おかしいな?と思いつつも胸の辺りを撫でていると、コルミ婆ちゃんが部屋に入ってきて「おはよう」と言われる。
彼女に朝の挨拶を返すと、朝餉が出来ているので来なさいとのことなので彼女に着いてゆくと、昨夜は部屋の隅に寄せられていたテーブルが部屋の中央に戻されており、椅子に座ったホラット達がテーブルに着いて座っていた。
彼女達にも朝の挨拶をし、促された椅子に座って朝御飯をごちそうになる。
そうして朝御飯を食べたわけなのだが、彼女達の雰囲気が普段に見られるものではなかった。
ホラットやコルミ婆ちゃんリブシンさんは、モソモソと朝御飯を食べてはいるが暗い表情だ。
カルト嬢は、彼女達の様子が気になるのかチラチラと両親達の様子を盗み見しながら、こちらもモソモソと食事をしていた。
私としても彼女達の様子からみるに、嫌な予感を感じさせずにはいられない。
例えば『忌み子』として殺される可能性等も考慮にいれてはみたが、それならば拘束するなりして行動の自由を奪われているはずである。
いや、太らせてから食べる気なのか?とか、イタリアンマフィアは殺す前に贈り物をする等の拉致も無い思考をしながら朝御飯を食べた。
食事を終えると、先に食事を終えて屈伸運動等をして体を伸ばしていた私に、ホラットから今から帰ってもいいが彼女もついてくるという話しをされた。
本日はまだ収穫祭2日目である。
本来ならば陽気に過ごすべき日は、表情が暗いホラットを見るに、家族達にあまり良い報告が成されるとは思えなかった。
朝露を含んだ風が気持ち寒いなか家に帰ると、玄関を開けたところで中から飛び出したウォルフとウィフに押し倒された。
全身で喜びを表すかのごとく、倒れた私に圧し掛かりながら顔をとはいわずベロベロと親愛の情を示すように舐めまわすウォルフとウィフを撫でて落ち着かせ、家に入ると両親や祖父母は安堵のため息をついた。
平手でペシペシと私の頭や上半身を撫でるように叩く両親に辟易しながら、とりあえず体に特に異常はない等を告げる。
ちなみに体を叩くのは一種の祓いである。体についた悪いものを叩き(祓い)落とす等の意味を持ち、家に帰ってきたらとりあえず行なわれるものだ。それが迷信か否かは置いておいて、実際に埃を払ったり土汚れなどを落とすことを考えると、そういったものを媒介とする病気等を抑制する程度の効果はあるのかもしれない。
それはさておき、安堵した表情をしていた両親や祖父母は、私の後から間を置いて入ってきたホラットを見て、その表情を硬く強張らせた。
玄関をくぐって入ってきたホラットの表情は神妙なものであり、これから告げる何かをとても言いにくそうにしているのは見るだけでもわかる。
私にも聞かされていないその何かは、確実に私の生活になんらかの影響を及ぼすものだろうと思われる。さて、いったいどんなことになるのだろうか?苦笑いをしつつ成り行きに任せることしかできないことを不甲斐無く思う。
普段和やかに食事や会話が行なわれているその部屋は、空気がとても重く感じられるほどに静かだった。
それぞれテーブルについた家族達と同じように私も座ろうとしたのであるが、ウォルフとウィフに下穿きのズボンを咥えられて身動きすることもできず、仕方がないので部屋の隅でウォルフに蹲らせてそれを背もたれにして座り込む。ノエルは部屋の中から心配そうに覗いていたので、大丈夫だと手を振った。
脇の下から頭を覗かせたウォルフの頭を腕で抱えるようにして顎下を撫でてやると、満足したように『フンッ』と鼻息を立てた。
ウィフは胡坐をかいた私の足の上に頭を乗せて横になり、私の顔を下から睨め上げながらその尻尾をゆらゆらと揺らめかせていた。目の中央から額辺りを親指でグリグリと頭に向けて撫で上げてやると、目を閉じてされるがままに任せているウィフの尻尾がパタパタと音を立てて振られているのを見て、嬉しいのか?と思いながら、彼女の両耳の間の頭の肉をグニグニと掌で揉むように撫でる。
そうこうしているうちに、家族とホラットの会話は始まった
「・・・ノル君に印がつきました」
彼女がそう言うと、テーブルについていたそれぞれの椅子が軋むような音とともに視線が私に集中するのを感じた。
「ホラットさん、印って何?」注がれる視線と、印というものがなんであるか知らないので聞き返す
「・・・印というのはね、精霊があなたにつけたもののこと。
印をつけられた者、あるいは物は、精霊に愛される。
ただ、愛されることが幸せであるか?と言われると私にもそうだと言い切ることができないの。
私もあなたについたそれを見るのは初めてのこと、でも伝承で聞く限り精霊に印をつけられた人間は、数多の精霊を引き寄せ、その身に精霊を取り込み、狂うと言われている。
印をつけられた人間は、そのほとんどが1年もしないうちに死んでしまう」
あまりの状況に、盛大に頬が引きつるのを自覚した
「ひきつけた精霊は、愛した者が死した後もその土地に残り、土地の繁栄を支えてくれるようになる・・・」
「つまりうちの子に生贄となれとでも言うつもりか!」
椅子を蹴倒して立ち上がった父が怒声をあげた
『ひぅっ』と部屋の中からノエルの息を飲む音が聞こえ、怒声に反応したのかウォルフとウィフの耳が立ち上がり、緊張状態に入ったことがわかる。
「いえ、そんなことは!」と、ホラットは立ち上がって反論しようとするのだが
「でも、私たちピエフでもわからないのです・・・」
そう言いながら、力なく椅子に腰を下ろした
「ノル君には印こそついてはいませんでしたが、2年ほど前から精霊が憑いていました」
俯きながらホラットがそう告白すると、家族達の目が再び私に集中する
「私たちピエフは、ノル君が精霊に憑かれているのは知っていましたが、その精霊が生まれたててそれほど強いものではないのと、ノル君に何かをしようという意図は感じなかったので見守っていました。
他にも、精霊になるほどではない力の弱い幼精も、ノル君の周りにはいつしか居つくようになり、精霊に愛されやすい子なのだろうと思っていたのですが、昨日ノル君に憑こうとした精霊は別格で、ディアリスを含む土地一帯を守護している精霊でした」
「私が昨日の夕方、ノル君を見たときにはすでにその精霊に憑かれていました。
すぐにその精霊にノル君から離れてもらえば、大丈夫だろうと思っていたのですが、ノル君に最初に憑いていた精霊とその精霊は争っていました。争っている精霊と話をすることが出来ません。それもノル君の体の中でそれが行なわれていたのです。
緊急事態ですので、ノル君の体に精霊の出入り口になる印を書き込み、ノル君の体から強制的に2柱の精霊をはじき出す事にしました。
そうしてノル君の体からでた土地の精霊は、最初から憑いていた精霊とにらみ合った後に、ノル君に印をつけて去っていきました・・・」
「精霊自体は、良いものとも悪いものとも言い切ることが出来ません。
現に、2年ほど前からノル君に憑いていた精霊の所為でノル君になんらかの害を起こしたなんていうことはありません。
ただ、今回印がつけられてしまった。
印は何をとは言わず様々な精霊を引き寄せます。
私たちピエフは、印を擬似的に描くことで精霊を招きよせ、体に入ってもらい願いを祈願するのですが、それが済めば速やかに出てもらい印を消します。
引き寄せられた精霊がノル君になんらかの害を及ぼさないとは、私たちでも分からないのです。ましてや、土地を守護するほど力の強い精霊がノル君に憑いたとき、ノル君がどうなってしまうのか想像することも出来ないのです・・・」
なんという超展開であろうか?ある意味時限爆弾を抱えているようなものなのだろう。
見えないものに恐れを抱くというものは人間の普遍的な考えだろうとは思うのだが、我が身に降りかかるとなるとどうしたらよいのだろうか?
これは恐ろしい。考察が出来るからこそ恐ろしい。しかし逆に言えば怖くない。それが訪れていないので怖くない。
精霊が私を殺すイメージが浮かばないので怖くはないのだが、見えないものがいつのまにか私を殺すかもしれないのが恐ろしい。
例えば、私の精神の数値が1とした場合、精霊の精神の数値がそこに加えられる。
そして精神に負荷がかかり、耐え切れなくなって私という人格が死ぬ。とした場合
しかし精神に負荷がかかるというのが分からない。内面的な私という人格を構成する部分に、精霊がどう働きかけたら私が死ぬのだろうか?
思考は脳で行なわれる。しかしそれは様々な経験の蓄えと、ニューロンを介した電気信号で行なわれる。という考えもある
では精霊が干渉するのは私の脳の電気信号のやり取りを阻害するとでもいうのだろうか?物理的な意味で
しかし精霊が私を守ってくれるように、物質的な恩恵。つまり脳を持たない彼らが、私を守ろうと思考するという矛盾。ならば精霊は脳を介さずに思考するということであり、つまり脳が無くても思考は出来る。という答えが出る。しかし、科学的に考えた場合これはおかしい。
よくわからないので世界は不思議が一杯であると思うことにする。そう考えた所で、その不思議が私を殺すかもしれないのではないか!?と頭を抱えた
思考の螺旋地獄に陥っていると、母が
「それで・・・これからノルはこれからどうしたらいいの?」と、ホラットに問いかけた
ホラットはそれを聞くと、眉をひそめ言いにくそうに言った
「ノル君は、この家から出てもらわなくてはいけません」
思わずギョっとしてホラットを見る。
両親や祖父母は、何を言われたのかを吟味した上でホラットに口を開こうとしたとき、叫び声をあげたのはノエルだった
「なんで!?なんでノルがうちを出ないといけないのっ!」
部屋から飛び出してきたノエルは、声を荒げてホラットに掴みかかろうとする。それを父が押さえ込み、ホラットに掴みかかることができなかったノエルは、父が両手で抱え込んで拘束し、持ち上げて玄関から出て行った。
外でノエルに何かを言い含めようとする父の声と、ぐずるノエルの声が聞こえてきたが
「誰にもどうにもならないことだってあるんだ!」と、叫んだ父の声の後に『ゴツッ』という音が聞こえると、外は静かになった。もちろん部屋の中も静寂に包まれている
ウォルフとウィフに半ば拘束されているので見に行くことは出来ないが、ゆっくりと戸を開けて入ってきた父の額は赤く腫れ上がっていた。
どうにもならない感情を、その表情に浮かばせながらも父は座っていた椅子を置きなおし、そこに座る。
むしろ父の、父親らしい側面を見たことのほうが私としては驚きであった。あの酔っ払いで陽気な父が!である
「それで、どうしてノルがこの家を出なくてはならない」
父が妙にドスの効いた声でホラットに問いかけた
「精霊が、あなたたちに目をつけないようにです。
精霊が誰の何を好むのか?ということはあまりよくわかっていない事ですが、私たちピエフのように血筋的に精霊と関わりあう家からは、精霊に愛される者が産まれる可能性がとても高いと聞いています。
そしてノル君の血縁であるあなたたちも、精霊に目をつけられて印を刻まれてしまう可能性が無いとは言い切れません。それに、土地の精霊の力はとても強い。
今後ノル君の元に訪れようとする精霊を、家族の誰かが目撃する可能性が高くなる。
そして、精霊を見ることが出来るということは、意図的であれ無意識であれ精霊との間で道ができるということに繋がります。
道が出来た者は、それだけ精霊に目をつけられる可能性が高くなるのです」
なんとなく言いたいことはわかる。理解は出来る。つまり私は、時限爆弾を抱えた上に病気を媒介するかもしれない存在になってしまっているらしい。
その病気は絶対に移るとは言わないが、移らないとも言い切れない。そして、可能性があるならば隔離する必要がある。そういうことなのだろう
なるほど。と、納得したところで、正面に影が差したので見上げると、その両目からフツフツと涙をこぼす母がいた。
ゆっくりと体を屈めた母が、何も言わずに私を抱きすくめる。
流れる涙が肩口を濡らし、嗚咽しながら泣き続ける母の背をゆっくりと平手で叩いてあやす。
祖父はなんとも言いがたい表情で私の頭を撫ぜると、どうにもならない感情をどうしたらよいか分からずに混乱しているように見える父を連れて玄関から出て行った。
祖母はテーブルに座ったまま両手を組んで俯き、ハラハラと落ちる涙が衣服を濡らすのも構わず、座っている場所とテーブルの高さの角度からか俯いているホラットの表情は見ることができなかったが、しかし下から見える彼女の固く結ばれた両の手が、力みすぎなのかフルフルと震えているのが見えた。
なんともはや、私の自立が成人前に決まってしまった。と、前向きに考えればよいのだろうか?
下手すると1年生きられるかどうかわからないとのことではあるが
話は唐突に別方向に!?いえいえ簡単に主人公は死にませんよ?主人公だし(ちょw