9歳の秋 収穫祭 3
いまだ太陽光を浴びていればやや暑いと感じる秋であるが、夜になれば太陽で温められた熱をやさしく奪う涼やかな風が吹き、やや肌寒い
そしてそれとは別の意味で私の心象は肌寒いものとなっていた。
広場の中央でベチベチと布ではたかれるのが終わって現在。私が居る場所はピエフ宅である
夜になっても終わらない、むしろ夜になってからがヒートアップしてゆく収穫祭の喧騒が、家の中にいても遠くに聞こえる楽しい時間のはずなのに、私は今3人の女性に囲まれて地面に座っている。
普段テーブル等が置かれて彼女達の団欒の場となっていると思われるその部屋は、現在ほとんどの物が隅に寄せられ、部屋の中央の土間に軽く掘られた土間があり、そこで燃やされる焚き火の灯りのみが私が部屋を見渡すことが出来る光源であった。
私の目の前に焚き火があり、それを挟んで向こう側にホラットがいる。右後方にコルミ婆ちゃんがいて、左後方にカルト嬢がいて、ホラットの夫であるリブシンさんは、他の部屋の中からこちらの様子を眺めている。
リブシンさんは、おしの人である。産まれつき話すことが出来ないが、話を聞くことは可能で、彼と話をすると様々な話に合わせて肯定や否定を体を使って表現するのを見るのが面白い。
喋ることができないのでとても物静かな人なのであるが、何かを伝えようとするときに見せるジェスチャーを使った会話方法が、時に熱く激しく感じられることもあるので、決して大人しいという印象を受けない不思議な人物である。ちなみにホラットさんとは目で会話するらしい。
普段は優しげな感情を目に湛えた彼なのであるが、今の彼の表情は一言でいうなれば『緊張』であった。
何が起こっているのか全く分からない状況で、彼女達に拉致されて家の中に連れ込まれ、目の前には火が焚かれた上に彼女達が私を囲むように立ち、そしてその部屋には決して入らないようにしながらリブシンさんが見詰めている。
ここまで状況証拠があれば、何が行なわれようとしているのか大体の所を察することが可能かもしれないが、否定しようにも材料が無い。
ずばり悪魔祓いである。除霊と置き換えても良いかもしれない
収穫祭の広場に立ち込めるアルコール臭で酔っ払っていた私も、さすがにドン引きで酔いは醒めてしまっていた。
私が外見的には幼いせいか、何も説明らしい説明も無く儀式のようなものがはじまった。
焚き火の向こう側に座ったホラットが、先ほど私を叩きながら言っていた言葉をつむぎ始める。それはある意味祝詞のようなものなのだとは思うが、ブツブツと呟く彼女の声は小さく、その全貌を窺い知ることは出来ない。それよりも気になるのは、私の後方に控えていたカルト嬢とコルミ婆ちゃんが、何らかの液体を私の首筋から背中に書いていることのほうが気にかかる。
塗るというより書いているというのは、私の首筋の頚動脈辺りから始まり、肩甲骨あたりまでヌルリとした指先で塗りつけられている何かの感触を感じるからである。
緊張と興奮で神経過敏になりつつある肌から、塗りつけられたそれが揮発する際に奪われた熱量の違いによって、私の背中に描かれていく記号のようなものを感じ取ることが出来た。
背中に書かれた円のような記号に首元から伸びた線が繋がっているような感じである。
その円からカニの足のように線が延び、私の正面側にも線が延びる。まるで蜘蛛が私の背中に張り付いているような感覚といえば良いのだろうか?
胸の中央にも小さく円が書かれ、それが蜘蛛の前足と感じられる二本の線が繋がれる。
それを描いているカルト嬢とコルミ婆ちゃんの目は真剣で、くすぐったい等の文句を言える雰囲気ではない。むしろくすぐったい所か、妙な記号らしきものを描かれる得体も知れない奇妙な雰囲気やら感覚やらに文句を言いたいわけだが。
妙な状況に軽口を飛ばす気持ちにもなれず神妙に事の経緯を窺っていると、俯きながらブツブツと何かを呟いていたホラットが顔を上げた。
「・・・さて、ノル君。説明をするからそのまま聞いてね、簡単に言うとあなたには現在精霊が憑いているの。本来は何か悪いことをする精霊とかではなく、この辺りの土地に古くから居て様々なものを見ているだけの存在なのだけど、時たま何かに憑いたりする。それは悪いことではないのだけれど、今回憑いた精霊はなんというか・・・とても強いの。その精霊は、場合によってはそこにずっと憑いたままということもあれば、気に入らなければすぐに出て行くこともある。だけど、人間に憑いた場合は違う。その精霊はいつしか貴方の心を侵食する。ここまではわかる?」
「えーと・・・、つまり良くも悪くも無い精霊さんが僕に憑いちゃった。このまま放置しておくと僕は死んでしまう。そんな感じ?」
「そう、そうなのだけど、それ以前にあなたはその精霊が憑く前に別の精霊に憑かれていた。あなたに以前から憑いている精霊は、新たに産まれた精霊で、あなたに悪さをしようとしているわけではなく守ってくれていたので放置していたのだけれども、今回あなたに憑いた精霊と以前からの精霊が争っているの」
・・・超常現象の世界である。今も昔も霊感のようなものは無い私は、幽霊を見たことも無ければ感じたこともないわけだが、ホラットの真剣な表情で語る様に頭ごなしに否定するのも躊躇われる。
勿論、前世の世界観においても科学的に幽霊は存在すると完全に証明されているわけではないのではあるが、否定するにしても材料は無く、私の小さな世界観において精霊が存在するかどうかを判定するような何かを私が持っているわけでもない。
私は神を信じてはいないが、言外に居ないと言い切ることも出来ない。精霊信仰を否定するつもりもないし、なにかを信じることが悪いことだとも思わない。それに、得体の知れない何かが存在するということを否定するということは、なんというべきか『夢が無い』と思う。
いいじゃないか、幽霊が存在したって。私には見えないけど
前世の世界の古い話には、神と会話をしたとかドラゴンを討伐したとか様々な不思議な話が山盛りである。
それが本当のことなのか空想の話であるかを、ありえないと断じることは簡単であるが、もしもそれが本当のことであったのならば、世界は不思議に満ちていると思うことが出来る。それを証明することは不可能であるが、無いと言い切れない世界というものは、ある意味で素晴らしいと思うのだ。世界は不思議(ファンタジー)に溢れている。素晴らしい
まぁ自分に渦が降りかからなければの話であるが
「えーと・・・それで、前から憑いているという精霊が僕を守ってくれていたとして、後から憑いてしまった精霊が居ると僕を殺してしまう・・・と、それで精霊が喧嘩中ということでいいのかな?」
「そう、これからすることは、あなたに憑いている精霊を2つともあなたから切り離すこと。そこから先は、状況に寄る。前からあなたに憑いていた精霊が勝てば何も問題は無い、そのままあなたにまた憑いて貰えば、なにかと色々守ってくれると思う。後から憑いた精霊が勝ってしまえば、あなたには憑かないようにあなたの体に精霊が寄り付けないようにする」
「あと誤解しないで欲しいのだけど後から憑いた精霊は、本来土地を見守ってきた精霊だから悪い精霊ではないの。豊作とかを祈願したりする精霊なのだけれど、聞いてくれることもあれば聞いてくれない事もある。私たちはお願いをする立場だから、伝えることは出来るけど返事を聞くことはなかなか出来ないけどね。私たちピエフは、その精霊を自分に降ろして願いや感謝を伝えるのだけど、すぐに出てもらうからそれほど問題は無いの。だけど今回は、精霊が争っているから話を聞いて貰えない。1つの精霊だけなら、語りかけて出てもらうことが出来たかもしれないけど、そのままだと危ないから2つとも強制的にあなたの体から追い出すしか方法が無い。わかった?」
「状況はなんとなく判ったけど・・・、なんでこんなことになったんだろ」
呆然と呟くと、ホラットはクスクスと笑いながら
「元々あなたは精霊に好かれているのよ。あなた自身には憑いていないけれど、あなたの周りには精霊やそれに準じたものがいつも楽しそうに付き従っているわよ?今は精霊の喧嘩を恐れて近くには見えないけれどね」
「そうなんだ・・・ちなみにどんなのがいるの?」
「まず地の精霊、あなたの足の周りでピョンピョン跳ねていたりするわね。次に水の幼精、精霊というほど強くは無いけれど、産まれたばかりみたいなのが常に1つ居たわ。これがいると水には困らないようなご利益があると思う。灯火の幼精はいつもあなたが火を起こすのを近くで待っている。水と火の幼精はあなたが切欠で産まれたものよ、2つとも普通はそれに準じた場所に宿ることが多いのだけれど、あなたに付いて回っているっていうことはよっぽどそういうものに愛されているのね、羨ましいわ」
「うーん・・・羨ましいといわれても困るよ」
「すごいのよ?何もいわなくてもいつもあなたを助けようとしているわね。最後は風と大地の精霊ね、これがあなたに憑いていたもの。これはあの子達のお母さんね、ウィフちゃんと姿かたちが似ているわ。多分死んでしまった後にあの子達の面倒を見てくれているあなたを助けようとして、そのまま精霊になったものだと思うわ。あなたがカバンにつけている白い尻尾のアクセサリーあるでしょ?あれがその精霊の住処よ」
「そうなのか・・・まぁ見えないし問題も無いならいいけども。・・・いや、まさにいま問題が起こっているしなんともいえないのか?」
そう言うと困ったように顔を傾げたホラットは
「まぁ、そういうこともある・・・かな?どちらにしても、争っている精霊は悪いものじゃないっていうことを覚えておいてほしいわ。ただ、後から憑いてしまった精霊は、人が長い時間降ろすには強すぎるのよ。むしろそんな精霊を2つも抱え込んでいる状態で、今も冷静なノル君のほうが不思議よ?さっきすごい笑っていたみたいだけど、あれは精霊が憑いた影響でなってしまったものだと思うし、あのまま死んでしまうこともあったかもしれないのだから」
「怖いこと言わないでほしいな、さっきもあれはあれで笑い死ぬかと思ったし」そう苦笑しながら言うと
「まあなんにせよ、本当にどうにもならん状況じゃったら婆がなんとでもしてやるわ」と、コルミ婆ちゃんが言った後でカカと笑った
「それじゃあ始めるけれど、ノル君はそこから動かないでね。何があってもそこからは動いちゃ駄目。恐らく何か目に見えると思うけど、それでも動いちゃ駄目よ?」
ホラットがそう言うと、コルミ婆ちゃんが立ち上がり私の背中に手をつける。ふと後ろを振り向くと、カルトは部屋の隅で座り込みこちらの様子を窺っていた。
焚き火を挟んで正面に見えるホラットは、手を組んでブツブツと何かを呟き始めた。
背中に当たるコルミの手は、長年を生きてきた証というべきかしわがれ、カサついた掌であると感じるのであるが、それを差し置いたとしてもすごく熱かった。
人が発する熱量ではないと思うほどである。
簡単に説明するならば、お灸の熱さである。熱いけれど我慢できないほどではないそんな熱さを背中に感じながら事の推移を眺める。
やがてコルミもホラットと同じように何かを呟き始め、その声は聞き取れるような声量ではないにも関わらず、意味を汲み取れない言葉の羅列がなぜか頭に響くような不思議な事が起きていた。
長くも短くも無いその言葉が、繰り返すごとに頭の中を駆け巡り、いつしか意味不明な言葉の羅列をひとつの小節として頭の中で組み立てられてゆく。
呟く何かの全容を、意味はわからずとも頭の中で理解したと思ったときに、突然コルミ婆ちゃんが私の背中から掌を離し、その数瞬後唐突に背中に叩きつけられた。
『バシーン』と叩かれた背中はとても大きく響いたが、痛みを感じることは無かった。
そんなことよりも、今まさに私の胸辺りから何かが飛び出したモノ。それが目の前に現れたことのほうが衝撃であった。
ホラットはコルミ婆ちゃんが手を叩きつけるとスクっと立ち上がり、正面の壁際まで後ずさりするとそのまま座りながら今まさに私から出てきたものを見詰めている。
コルミ婆ちゃんは、背中を叩いた後に気配が後方に下がっていくのを感じた。
見ていないのに感じる。そんな不思議な感覚。
目の前に現れたのは白銀の狼と私の身長ほどの大きさの真っ黒な鶴のような鳥。2匹は焚き火を挟んでにらみ合うように立っている。
それを目にしているのに、なぜか周りの状況が頭に入り込むように分かる。
後方壁際で緊張しているのか強張った顔でこちらを見詰めているカルト。その横に座っているコルミ婆ちゃん。正面壁際で座って様子を眺めているホラットと、繋がっている部屋の向こうで恐れ多いものを見ないように目を閉じているリブシンさん。
彼女達の感情すらなぜか感じることが出来る状況に混乱しながらも、私は目の前に唐突に現れた2匹を見詰めている。
ふと、黒い鳥が翼を広げてバサリと振った。物質としては存在していないと感じることが出来るのに、振られた翼からは風が起こったかのように焚き火の炎が煽られる。
振った拍子にその翼から1本の羽根が抜け落ち、それが風に煽られるように私の座っている所に漂ってきたが、それが私の体に当たると思った瞬間に闇に溶けるように消える。
一瞬気がそちらに逸れた瞬間に、鳥が私を見たのを感じた。
それは一瞬のことだったが、鳥と何かが繋がった様な奇妙な感覚。その途端に、唐突に私の体に描かれた記号が燃え上がった。
熱くは無い。それは一瞬だった、マグネシウムを燃やすような瞬間的な炎。
私の胸からはじける様に燃え上がったそれは、一瞬ですべての描かれた記号の部分を燃やしつくし、まるで刺青を入れたかのように黒く炭化するかのように私の体に描かれる。
ホラット達が呻くように声を上げるのを聞きながら、鳥は満足したかのように闇に溶けて消え去った。
何が起こったのか理解できなかったが、ふと気がつくと白銀の狼は私の目の前でお座りをしていた。
確かにウィフに似ているが、貫禄が違う。
美しく輝くような白銀の毛に手を伸ばす、するとそこには無いはずなのに手触りを感じることが出来るような不思議な感覚。
『ガウ』と、口を開けてもいないのに彼女の声が聞こえた気がした。
そのまま彼女は鼻頭を私の胸によせて匂いを嗅ぎ、胸に描かれている円に触れたと思った瞬間に、風に溶けるように、そしてそれが私の中に入り込んでくるように消えた。
疲れたので後日談は次回!(ちょw
時間が無いわけではない、モチベーションがあがらなかったのだ!w