9歳の春 4
何度か粘土を採掘に行ったが、なんとかレンガ作りも完了し、あとは陰干ししてある分に火を入れれば完成するかと思われる。
モルド爺さんにはレンガは使うから勝手に持っていかないで欲しいとの旨を述べ、レンガの価値はディアリスに広まってはいないので勝手に持っていく輩もいないと思われる。
火を入れる作業は、一気にやってしまおうと言う事をファーガスと話し、レンガを囲い状に陰干しが終了したレンガを使用して組み上げ、1週間もすれば残りの陰干しが完了していないものも組み上げることができるだろうとファーガスと話をしていたその日の午後、私は長とコルミ婆ちゃんに捕まってお茶を作らされていた。
試行錯誤を繰り返したおかげか麦茶を作る腕が向上し、味、香り、色等が麦茶であると言い切れるほどのものが出来るようになっていた。
大麦自体は、シアリィに使われたりパンを作ったり等で大量に栽培されているわけだが、麦茶を作るために何度も貰うわけにはいかない。麦茶は所謂嗜好品であり、そのために大麦を何度も親に無心するのは躊躇われた。そこでどこから大麦が出ているかと言えば、長とコルミ婆ちゃんから貰っているのである。
もちろんシアリィも嗜好品ではあるが、ディアリスの民が認めている上に酒好きの民全体で協力して作り上げているものだ。ぽっと出の一部の人が愛飲しているだけの麦茶とは、必要とされる価値が違うので仕方が無い。一部の人というのは、私、長、コルミ婆ちゃんくらいのものである。ファーガス他何人かも飲んでいるが、私に付き合っているから飲んでいるだけなので、わざわざ所望してくるわけではないので割愛とする。
集会所の脇にもはや当然のように置かれている石組みの竈に火をつけると、カバンからミケーネに作ってもらった小型のフライパンを取り出し、そこに長から受け取った大麦をザラザラと入れて焙煎にかかった。
この小型のフライパンは、ミケーネに作って欲しいと頼んだ一品である。
これの形を説明するのに、1時間ほどのディスカッションを行い、作っているミケーネの後ろからああだこうだと激を飛ばしながら完成させたものだ。鉄を熱しながら「底は平たく!」とか「取っ手は熱くなるから長めに!」等の注文をつけながら、必死で槌を振るうミケーネは、汗だくになりながらも私の注文に忠実に作ってくれていた。
取っ手に皮を巻いて熱が直接私の手に感じないように作られたそれは、丼物を作るときの小さいフライパンに似ている。
小型で扱いやすく、私でも扱いやすい重さで、カバンにいれて持ち運べる利便性。良いものである。
他にも木工細工用にノミを3種類、レンガ積み用の左官風レンガ鏝と壁面に柔らかい粘土を塗りつけるのに便利そうな塗り鏝も作ってもらい、その使用方法が分からずに首を傾げながら作ってくれたミケーネとテグサには感謝している。もちろん泥をならす為の木製の鏝のようなものは存在しているが、鉄製のそれは存在していなかった。
鍛冶職人になっても、10年近くは下積みで槌を振るえないだったはずだったから という理由で、逆に彼らにも感謝されているので、私と彼らの関係は特に問題もなく「欲しいものがあったら言ってくれ」と言ってくれる彼らには頭が下がる思いではあるが、等価交換のようなものだということで割り切って、これからも彼らの好意に縋ってしまおうという腹黒い思考ももちろんあるわけではあるが。
実際の所、使える鉄の量が増えたといっても、今まで作っていた鉄製品の必要量が増えたというわけでもない。
十分な鉄の量に比べて、鉄製品を作る早さは従来とそう変わるものではないし、逆に言えば小難しいものはモルド、キープ、ダルセンの3名で作成しているので、ミケーネとテグサは作るものが少ないという事もあるし、私が作成依頼するものは何をするために使うものであるといった方向性を提示して作ってもらうわけではないので、未知のものを作るという行為に挑むといった内容が、彼らの向上心を刺激して、新しいものを作り出すといった冒険心を加速するといいなあと思っている次第である。
長やコルミ婆さんは、フライパンを見たときに「それは何だ?」と聞いてきたのだが、焙煎用に作ってもらったと答えると目を丸くしていた。
恐らく、それなりに貴重な鉄を使って焙煎するだけの為に作られたそれに対してのコメントのし様が無かったのではないかと思われる。
物の価値というものは、個人が決めるものでは有るが、それとは別に大衆的な価値というものもある。
フライパンの価値は私だけが知っている、そしてその価値を広める意義はあるのか?できることならばその価値には彼らで気がついてほしい。と思うのは我侭であろうか?
フライパンが各家庭にあれば、炒め物という食べ物のジャンルが広がる。食べるという行為は、人の三大欲と言われる 食欲 性欲 睡眠欲 の中の一つであり、豊かな食生活は豊かな精神にも結びつくと私は思っている。
私がフライパンの存在をディアリスに広めるのは、割と簡単な事だろうと思っているが、前世の知識を持つ私だけが知る技術や知恵のようなものを、ディアリスの彼らに押し付けることにはならないだろうか?もちろんそれは利便性に富み、教えれば彼らの生活空間の向上といった結果を得られることになるだろう。
しかし、それが便利なものであるからという理由で、私の価値感を彼らに押し付けることはしたくないのである。
「人は考える葦である」と言ったのは誰だっただろうか?
葦というものは風に弱く、すぐに曲がったり倒れたりしてしまう。木のように風に立ち向かうことも出来ない。だが、強い風が何度も吹けば木でも折れたり倒されたりしてしまうだろう。しかし葦は、風に曲げられても倒れても、風が止めば徐々に元の状態に戻っていく。逆境の中にあっても、何度でも立ち上がる様を人に例えたものとして、考えることが出来る。
その中で「考える」つまり知恵や精神性を指すものであろうと推測したものとして、その知恵を学ぶのは誰かに教えてもらう物ではなく、自ら身に着けるべき物として私は認識しているのだ。
教えてもらうというのも、自ら知恵を身に着ける手段の一つではあるのだから、話は矛盾しない。
ただ、私が教えるということは無いようにしたいのだ。
彼らがフライパンが便利なものであると認識することを私が広めるのではなく、基点としてあるだけにしておき、それの価値を私が決めるのではなく彼らが決めた上で必要であると認識して、初めてフライパンというモノに価値が付く。その後に、彼ら自身が鍛冶職人に依頼する等して手に入れれば良い。
私は好きなように生きようと思っているが、それに付随して出来上がったものを価値があるものとして広めたりはしていない。
レンガだけでも、様々な活用法はすぐにでも浮かぶ。
家の建材、竈、窯を作る材料にもなるし、巨大な建築物を作るのにも使えるかもしれない。
しかしディアリスの民は、レンガにどれほどの価値をつけることができるのだろうか?
今、レンガの価値を知っているものは私と鍛冶職人達くらいのものだろう。しかし鍛冶職人の彼らでさえ、レンガを使った何かを作るという発想が、生活観の向上という発想に至っていない。
私がレンガを使えばこういうことができるよ。と、教えるのは簡単だ。口頭で何が出来るか適当に話して見ればよい。
しかしそれはしたくないのだ。
裏事情的には、それを教えたとして「それを何故知っているのか?」といった質問をできるだけ回避したいという私の考えと、説明するの面倒くさいという思いが8割以上占めている。先に示したものはそれに対するイイワケである。勿論、示したイイワケの部分に私の本音が含まれているのも本当だが。
実際前世の記憶についてどう説明したらいいのか私には検討もつかない。
今の技術レベルとは比較にならない程進んだ未来の知識を、なぜ過去であるはずの今の私が前世として記憶を持ちえているのか?因果が逆転しているにも程がある。
未来の技術を過去に持ってくるなんていう荒唐無稽な話を、誰にどう説明したら理解してくれるのか誰か教えて欲しいものである。私ですら、これは夢なのではないかと今ですら思うことがあるというのに、だ。
現実とは小説よりも奇也どころの話ではない。
できあがった麦茶をすすりながらそんな事を考えていると
「ノルは時折難しい顔をして考え込むことがあるのう、若いうちからそんな顔をしておると将来眉間に皺が寄るぞ?」
「長の眉間を見てみなさい、何も考えていないからきれいなもんじゃろ」
と、私に話しかけてきた。
「若いうちは何も考えずに駆け回っておればよいわ、難しいことを考えるのはワシを含めて大人でなんとかするしのう」
「ゼンよ、あんたはもう少し色々考えること多いじゃろ、ノル坊やのように眉間に皺をよせてもっと考えんか?」
「なあに、ワシも後10年生きてるかどうかも怪しいしな、後のことは若いもんに考えさせればよい、じゃからワシはこうして子供を可愛がっておけば、それはディアリスの為になるんじゃよ」
「それは詭弁というんじゃよ、そういえば若いものといえば、次の長はどうするんじゃ?そろそろ誰か送っておかなくてはまずいんじゃないかの」
「しかしなあ、誰を据えるかといわれてもあんまり年とっておると、すぐにまた交代してしまうわけじゃが・・・・」
「うーん、最近の若いのに賢いのはおらんしのう」
「イグルドなら送らなくてもいいから、そのまま据えても問題ない・・・のか?」
「ふむ、今度の収穫祭で長の選考の議題でもあげてみたらどうじゃ?」
「うむ、そろそろやっておくべきじゃな。ところでノル、お茶が無くなった」
「ああ、私にもくれんかね?」
いそいそと彼らにお茶を汲みながら、話題変更にも程がある上に子供に聞かせる話ではないだろうというツッコミを入れるべきか止めとくべきか悩む。
私が口を挟む余韻すらない話っぷりに、長もコルミ婆ちゃんもあと10年どころか20年は生きるのではないか?と、思った
そんな春の日の午後
なんかうまくいえないけど、主人公の内面的な思いを文章化してみようと思ったので書いてみた。
一日でまとめきれなかったw
むしろもっと書いていたのだが、ダラダラと延ばすよりはということで結構な量を消したわけだが、これで皆様が理解してくれるのかドキドキw
モノの価値のお話
レンガを作っているノルだが、そのレンガの価値をディアリスの民が分かっていないというお話。
これは実際は陶器を作った後にやろうと思ったのだが、主人公の相対的な価値を高めないという作者のドS的な愛を表現したお話と見ても間違いではない。
もちろんディアリスの民も、その価値を考えることが出来る人はいるので、そのうち主人公は色々大変な事になっていくであろう。という意味での牽制の文であることも加味した上で、今後の展開を見守って欲しい次第です。