8歳の夏 5
朝食も済み、朝から燦々と照る太陽光に今日も暑くなるだろうなぁと思いながら井戸から水を汲んで顔を洗っていると、台車を引いてモルドさん他鍛冶師達全員が来た。
「おーう!貰ってくぜー!」と、モルドさんは私に言うと、残りの皆にレンガを積み込むよう指示をすると私の方に近寄ってくる。
「おはよう坊主」と、言うと
井戸を見て変な顔をした。
「なあ坊主、おまえさんが最初にこれを掘ったと聞いたんだが、なんで掘ろうと思ったんだ?」と、聞いてきた
モルド爺さん達は、私が掘り終えた頃は鉱石採掘に赴いていたので、井戸が掘られるようになった経過等は知らなかったらしく、鉱石を掘り終えて久しくディアリスに戻ったら、水を汲みにいく必要が無くなる井戸を掘るための穴がチラホラと掘られていることにコレはなんだ?と疑問を覚え、そこで聞いて初めて井戸を掘るという話を聞き、さらに最初に掘ったのが私ということも聞いて、レンガを貰いに来るついでにその話を聞いてみようと思ったということらしい。
返答に困った。勿論、井戸を掘るために掘ったのだが、井戸を掘るという概念はディアリスには無かった。
かといって、掘れば水が出るなんていう発想は、誰から教えられたものでもなく前世の知識からのものであり『私は前世の記憶があるのです』なんて言っても、ディアリスより進んだ技術の話をしたところで、信じる信じない以前に再現が不可能なものばかりであることもあるし、何故ディアリスよりも進んだ知識があるのか?とか、進んだ時代のテクノロジーを、何故進んでいない技術の時代の私が知っているのか?といった疑問を抱かれたら、答えるすべを持たないので、それを言うのは脳内議員満場一致で却下である。
未来が前世という前代未聞の事態の上に、前世って何さ?という疑問にも答え難い話だ。どう考えても頭おかしいんじゃないか?と、思われるだけなのがオチになることは考えなくても分かる事態に陥るのは、馬鹿でも分かる理屈だろうと思う。
そこで私は
「水って、地面に染み込むから、掘れば水が溜まってる所があるはずだと思ったの」
と、子供らしい回答を述べてお茶を濁す。
未だ8歳児だからこそできる力業である。子供の発想は時としてすごいという話に持っていければ、変な子供だと思われる程度で済むだろうという魂胆だ。
例え技術革新が行なえる程度の知識を持っていたとしても、圧倒的に足りない人的資源という現状において、何か大業な事を為すのは不可能なことが多いと認識しているのもあるので、知識を伝えるという行為はできるだけしないことにしている。
もとより変な子として大多数に認識されていると認識している私は、さらに変な子という認識がつく程度ならもはやなんら痛痒に感じないのである。
・・・ちょっと心は寂しいが。
モルド爺と話をしていて分かったことは、工房の近くにも井戸が欲しいという事と、ディアリスでも12箇所ほど穴が掘られたが、今のところ井戸として使えるようになった穴は4つしかないということ。ついては、水が出る場所が私に分からないか?という話だった。
できれば協力してあげたいのは山々なのだが、その方法がダウジングである。
木の枝もって、適当に歩いて、ここを掘れ!
なんて言ったところで、私自身それが本当にでるかどうかも分からないという有様。
万が一水が出たとしても、ダウジングを指して何をしているか?と聞かれても、これまた返答に困ること請け合いなので「わからない」と、すっとぼけておいた。
どうせならコルミ婆ちゃんやカルトのようなピエフに占ってもらえばどうか?と、言っておく程度である。
勿論、ピエフだからといって水が出る場所を占うことが可能かどうかなんて私は知らない。まさしく丸投げである。できないといわれても私は知ったこっちゃないのだ。
後は、レンガを積んで整形していく際に、レンガの間に粘土を緩衝材兼接着剤として使ったらいいかもしれないという話を、それとなくモルド爺さんと話をしていると、レンガを積み終わった4人がモルド爺に終わった旨を呼びかける。
「なんにしても、井戸があると便利だよな」等とブツブツ呟きながら、彼らと引き返していくモルド爺を眺めた。
台車をえっちらおっちらと引いている4名を先導して帰っていく彼らが、目の届かなくなってきたので、顔を洗っていた最中の私は水の入った桶を移動させようとして持ったときに
「あ・・・」と、重大なことに気がついた。
すなわち、窯を作ろうと作成しておいたレンガが全て失われたという事である。
陰干ししていて、火を入れていない分はまだ残っているが、どちらにせよ雀の涙程度の量であるし、レンガを作るにしても、井戸掘りで余った土から奪ってきた粘土も、最初に集めたときから見れば半分以下の量に減っていた。
取り落とした水桶からバシャーと水がこぼれ、私の近くにいたウォルフとウィフの足が水に漬かって「ヒャウン」と鳴いた。
呆然としていた私は彼らの声に我に帰り、どちらにせよある分だけ作って、足りなければ後の事は後で考えようということにして、その日からレンガ作りにさらに精を出す日々が始まったのであった。