昼餐会は何事もなく、無事に終わりました。────そう。私の胃に物理的な大ダメージを与えた以外は!
最初はだいぶ緊張していたけれど、習うより慣れろというようなもので、案外なんでもなかった。もしかしたら、私は案外図太いのかもしれない。
「……おなかいっぱい」
「……姫さま……お残しになればよろしかったのです」
「おいしいってわかってるものを残すなんて無理だよ!」
「姫さま、姫さまの胃はそれほど大きくないのですから……」
リリアがしょうがない子を見る目で私を見ている。
「わかっています。わかっていますけど!……だって、おいしかったんですもん……」
お皿に盛られたものを残すことに罪悪感を覚えるのは、麻耶の感覚が強いせいだろう。
私が残したものは無駄にはならないとわかっているけれど、でも、やっぱり残すことに抵抗を覚えるのだ。
(それにさ、まずくて食べられないっていうんじゃなくて、むしろすごーくおいしいんだから)
それに、今日のメニューはすべて、料理長やラーダ子爵と苦心したその成果だったのだ。残せるはずがない。
「リリア」
「はい」
アリスがいれてくれた胃をなだめるためのお茶を飲みながら、私は真顔になってリリアの方を見た。
夜会がはじまるまで謁見やら会議やらが目白押しのナディル殿下と違い、私は部屋で休むよう言われている。しばらくは時間の余裕があるので、
「……それで? なんで私の皿が大盛だったの?」
大盛りといっても、それは私にとっては、ということだ。
育ちざかりではあるのだけれど、残念なことに私の胃はそれほど大きくはなくて、量は食べられない。
だから、私に給仕されるものはいつでもだいたい殿下の召し上がる半分の量なのだ……お菓子以外は。
(なのに、普通に一人前来たからね)
「……残念ながら、わかりません」
リリアが溜息をつきながら首を横に振る。
「わかっている範囲で申し上げますと、間違えたのは給仕係です。……妃殿下へお運びするはずのものは、すべて保管に回されていました」
「保管? それはどういうもの?」
「王宮で王族のために用意される食事は必ず一食以上余分に作り、保管されます。保管期間は二日間。これは、万が一毒物が盛られた場合の調査用です」
「そう。今日の昼餐会の給仕の指示をしていたのは誰?」
「エリニアです」
「えりにあ?」
「エリニア=ネルケ。後宮の下級女官で平民です」
「保証人は?」
そう尋ねたのは、王宮にただの平民は勤められないからだ。
「ナスティア子爵です。ナスティア子爵は、法務院に勤務しており、エリニアはその妾腹の娘になります」
貴族の保証を受けられる平民だけが、王宮に勤めることができる。けれど、貴族はそう簡単に平民の保証人になどならないものだ。
(でも、それが自分の子供なら話は別)
「そう」
そして、実は保証人がいても平民は正しくは侍女や女官にはなれない。
リリアは下級女官と言ったけれど、本来、そんな役職はない。女官は女官でしかなく、下級とか上級という区別はないのだ。
けれど、平民でありながらその能力を認められて、特別に本来は平民には任せることのない仕事をすることになった時、その人は女官相応と言われる地位を与えられる。それを通常の女官と区別するために下級女官と呼んでいる。
エリニアの場合はそれに該当しているのだ。
「では、ナスティア子爵は、私に何か思うことがあるの? それとも、エリニア自身があるの? それを調べて教えてくれる」
「……はい」
やや間があった。もしかしたら、リリアの知己なのかもしれない。
「……妃殿下は、エリニアが故意にしたとお考えなのですか?」
表情が少し硬い。
「あのね、カトラリーも私のものではなかったの。……どちらか一つであれば、間違いということもあると思うけれど、両方とも間違いというのはおかしいと思うのよ」
私の手は小さい。そして、あまり力もない。だから通常のカトラリーは重いのだ。最初の頃は普通のものを使っていたけれど、殿下と朝食をとるようになってから、殿下の配慮で専用のカトラリーを使うようになっていた。
(平民でありながら下級女官になるほどの能力のある人が、単純な間違いを重ねるとは思えない)
「……はい」
リリアがうなづく。無表情な中にもちょっと躊躇っているような……あるいは納得いっていないような様子がうかがえる。
(リリアは、殿下に比べれば全然わかりやすいです)
殿下のポーカーフェイスっぷりはリリアを数倍上回る。
「リリア、その顔だと誤解してると思うのだけれど、私はエリニア=ネルケが悪意でそれをしたとは言っていないわ」
「妃殿下?」
「私用のお料理に何か不備があったから、通常のものにしたのかもしれないわ。……同じようにカトラリーが使えないような何かがあったのかもしれない。私は、別に彼女を罰したいわけじゃないわ。……ただ、どうしてなのかが知りたいだけなの」
理由があったのか、不備があったのか……純粋に間違いだったとしても構わないし、嫌がらせだったとしてもそれはそれ。私は単に因果関係を知りたいだけなのだ。
「妃殿下……」
「別に嫌がらせだとしても、これくらいで処分したりはしないわ」
嫌がらせだとしても随分とささやかなものだし、被害は私のおなかが物理的にいっぱいになったくらいだ。咎めるほどのことはない。
嫌がらせというのなら、かつてのほうがよほどひどい嫌がらせが多かったと思う。
(……話に聞いただけで、覚えていないのだけど)
とりあえず今のところ、生命を脅かされるようなことはないのだから、さほど気にしなくてもいいだろう。
リリアは安堵した表情で一礼し、退出しようとする。
「あ、待って。他の人のことも聞いちゃいたい」
「他の方、ですか?」
もちろん、昼餐会の前に四公爵のおおまかなプロフィールは頭にいれてある。
でも、幾つか聞きたいというか確認したい点があるのだ。
「そう。面倒くさいお父様は置いておくとして……まずは、グラーシェス公爵。前もって聞いていた通りの厳しい方っぽいけど、奥様には甘いのね?」
グラーシェス公爵の第一印象は、痩せぎすで狷介。一言でいうならば、子供が一目で怖いと思うような
「はい。公爵妃はエレーヌ=セフィラ様とおっしゃいます。ご存知の通り、エレーヌ様はエルゼヴェルトのお生まれで、グラーシェス公爵にとっては二度目の奥様になります。公爵は十二歳の時に七歳年上の奥様を迎えて、十五歳でその最初の奥様を亡くした後、三十を過ぎてから再婚なさいました。エレーヌ様は当時十五歳。……ちょうど、殿下と妃殿下と同じような年齢差でございますね。婚姻前は側女があったといいますが、婚姻後はエレーヌ様お一人を守っておられるそうです」
「政略結婚ではなかったの?」
「政略結婚でございますが、年齢差がおありのせいで、公爵はエレーヌ様の保護者のようなお気持ちでいらっしゃるようです。常に庇護する騎士としてあられ、エルゼヴェルト公爵令嬢として箱入りに育ったエレーヌ妃を守っておられます」
たぶん、婚姻して五十年近くたつはずだ。今の私には五十年後なんて考えられないほど遠い先だけど、その仲睦まじさは羨ましい。
(……ただ、あの方、ちょっと夢見がちっぽい感じがしたよね)
とても上品なマダムといった雰囲気があるグラーシェス公爵妃だったけれど、ちょっと空気読まないとこあるなぁと感じたのは、たぶん気のせいではない。
「フェルディス公爵夫妻は、あんまり強い印象がないのだけれど……」
「フェルディス公爵は、公爵の位につかれてまだ三年ほどです。北公と同年代の御父上の後を継がれたのですが、先代のフェルディス公は随分と強烈な性格をなさっておりましたが、ご子息はまったく似なかったと言われております」
(ああ、うん。わかる。ずっと押さえつけられていたんだね)
でも、だからといって彼が印象の薄い穏やかなだけの人と思うのはたぶん間違いだ。
(商のフェルディスを継いだ方がそれではやっていけないはずだもの)
「奥様はどちらの方なの?」
「アルハンです。アルハンの赤毛を受け継いではおられませんが、亡くなられた先代公爵と同母の妹姫にあたります」
「アルハン公爵は食べることがお好きなようだったわ」
「はい。……といっても、味にとてもうるさいという方ではありません。生粋の軍人であらせられますので、王太子殿下ではありませんけれど、携帯糧食が続いても文句を言わない御方です」
私はミレディに手伝ってもらいながらガウンを脱いで、部屋着に着替える。
「奥様は亡くなられてどのくらいたつの?」
「七年ほどになるでしょうか……王族の血筋の姫君でした」
「ご令嬢はその方のお子様なの?」
「はい。お世継ぎのレオン様と本日ご一緒にいらしていたレナーテ様は公爵妃所生のお子様方です」
「ご令嬢も、食べることがお好きなようね」
「アルハンの一族はわりあいそういう傾向にあります。武人が多いせいかもしれません」
そういえば、食べることが身体を作ることだというのが、アルハン公爵家の家訓の一つだとナディル殿下からお伺いしたことがある。
「ご子息の方は知らないけれど、軍人なの?」
「いえ。……レオン様は、軍にはお勤めではありません。アルハンに生まれながら文官気質の強い御方で、よく廃嫡の噂が出ます」
「どうして?」
それから、マーゴに促されるままにベッドへとのぼる。
この年齢で昼寝なんて!って思うんだけど、奨められるのだから仕方ない。
「レナーテ様の評判が高すぎるせいで、悪目立ちしているようなところもありますが」
「ふーん」
リリアが上掛けをめくって、寝ろとばかりに場所を作る。
「それでは、妃殿下。二時間ほどお眠りくださいませ」
「……うん」
あんまり眠くないけど、と思いながらも目をつむる。
もしかしたら、自分が思っている以上に疲れていたのかもしれない。
視界が閉ざされて三分としないうちに、私は深い眠りに落ちた。