「ごきげんよう、ナディア様」
「ごきげんよう、レナーテ」
第二王女ナディア=ミレーユにとって、目の前の年上の従妹は誰よりも仲が良い従妹であると同時に気の抜けない相手でもある。
(レナーテは、デキるから……)
ナディアは己があまり出来の良い子ではないことを理解している。
王女として生まれたから些細なことで皆が褒めたたえてくれるが、ナディア自身は平凡な娘にすぎない。
それに対し、母の実家であるアルハン公爵家の令嬢であるレナーテは、幼い頃から才女として有名だった。
礼儀作法をはじめとし、ナディアが苦手な学問にも優れ、貴族令嬢の嗜みである刺繍の上手としても知られている。ハープなどの楽器の演奏はさほど得意とはしていないと言いながらも素晴らしく弾きこなすし、芸術方面の知識にも優れている。
十五歳の時にナディアにとっても共通の従弟である当時のアルハン公爵の嫡子と婚姻を結んだものの、夫となった相手を一月足らずで亡くした。その直後に当時のアルハン公爵であった祖父が亡くなってレナーテの父が公爵となったので、居残ったのか出戻ったのかよくわからない形で今もアルハンの姓を名乗っている。
一月足らずの婚姻をレナーテの父親はなかったことにした為に、彼女はアルハン公爵令嬢と呼ばれている。二十歳を過ぎて結婚していないことも、彼女の場合は瑕疵とはならなず、むしろ、その才を惜しまれていると言われているほど。
現在のところ、公爵家の家督はレナーテの兄であるレオンが継ぐということになっているのだけれど、公爵はレナーテに婿をとるかもしれないと昔から噂されている。
(それもこれも、レオンの出来が悪いと言われているせいね)
すでに三十近いアルハン公爵家の嫡男は、昔からあまり評判が良くない。
ナディアにしてみればとても優しい従弟で大好きなのだが、世間の評価は低い。
彼の価値は、王太子ナディルの学友だったことだけだと言われているくらいだ。それも、たった半年で返された。
(別におかしなことをするとか、ものすごいバカだとかっていうわけじゃないけれど、レオンの不運は、レナーテが妹だったことよね)
何でも人並み以上にできるレナーテが幼い頃から最も近くにいたこと……レオンの不幸はそれに尽きる。
(私だってしょっちゅう比べられるし、ものすごく嫌なのに、兄妹だなんて最悪だわ)
レオンはレナーテより五歳も年上で、しかも男で、更には同母の兄妹なのだ。ナディアどころではない比べられ方をずっとしてきただろう。
(でも、レオンは優しいままだ)
ぐれたり、ひねくれたりしなかったし、身を持ち崩すこともなかった。
それだけでもすごい、とナディアは思っている。
彼女の双子の弟であるエオルは、出来の良すぎる異母兄達に比べられてすっかりひねくれているから猶更だ。
(私はアリエノールお姉さまと比べられることがあまりなかったから……それに、レナーテと比べられるほうがずっと嫌だった)
たぶんそれは外見がよく似ているせいだろう。アルハン公爵家に特有の燃えるような赤髪ときつくみられる顔立ち……ややおっとりした風のある母よりも、ナディアの顔立ちはずっときつい。
(見た目が似ているのに、中身はまったく違うって言われ続けてきたのよね……)
ナディアは、自分の性格がひねくれた半分くらいはそのせいだと思っている。
「こちら、献上品の目録ですわ。どうぞおおさめくださいませ」
受け取った目録を侍女が捧げる銀のトレイの上にのせる。
「いつもありがとう。公爵に……伯父上によろしく言っておいてください」
「もったいないお言葉でございます。父もよろこぶことでしょう」
レナーテは、つややかな赤髪を赤毛を結い上げて白い真珠で飾っていた。これだけ大きな真円の真珠は、南の海を領するアルハン公爵家でなくば手に入らないだろう。
ガウンは光沢のある淡いクリーム色で、同色のレースが重ねられている。同布で作られた靴の刺繍はおそらく自分で刺したものだろう。赤やオレンジや白の薔薇が足先に美しく花開いていた。
「……で、昼餐会はどうだったの?」
レナーテの訪問が、昼餐会の後、夜会までの時間つぶしなのだとわかっているナディアは、今一番の関心事に水を向けた。
もちろん、夜会にはナディアも参加する。
(ルティの初めての夜会ですもの……緊張していたら、私が助けてあげなければ)
ナディアは、王太子妃たるアルティリエとはとても仲良くしている。
あちらがどう思っているかはわからないけれど、ナディアはアルティリエを一番の友達だと思っているのだ。
そのアルティリエの初めての夜会である。しっかりもののアルティリエのことだから大丈夫だと思うが、何かあったときはできるだけ自分がフォローするという心づもりをしているのだ。
(とりあえず、レナーテと今日のガウンの色がかぶらなくてよかった)
赤い髪に似合うガウンの色はそれほど多くない。
よく似ている自分たちが同じ色のガウンを着たら、間違いなく自分はただの引き立て役だ。年の差だけの違いとはいえぬほど、自分たちの体形には差異がある。
「とっても、とっても、素晴らしかったですわ」
よほど感動したのだろう。レナーテは手を祈りの形に握り、目を輝かせている。
「……昼餐会だったわよね?」
その感動が何によるものかよくわからなかったナディアは首を傾げた。
「ええ。……あんなにもおいしいお料理をいただいたのは初めてです」
うっとりとため息をつく。
「お料理?」
「はい。最初の食前酒から始まり、最後のデザートに至るまで、それはもう計算されつくされた素晴らしいお料理でした……まるで音楽のようでしたの」
「音楽?……お料理が?」
「はい。計算されつくされた味のハーモニー……料理の数々に込められたテーマも素晴らしかった……」
ほぉと漏らされた吐息は、どこか甘さが滲んでいる。
「レナーテの言っている意味はよくわからないけれど、おに…王太子殿下の宮のお菓子はすごくおいしいのよ。ルティが……アルティリエ妃殿下がとてもお料理に造詣が深いから」
「ええ。デザートにいただいたプディングがそれはそれはおいしくて……。あの濃厚でありながら優しい甘さ……口の中でとろける舌ざわり……それからわずかに甘いブランデーの味を感じるほろ苦さ……あれはもしや神のデザートなのではありますまいか」
「……ちょっと大げさじゃないかしら。確かにプディングは最高だと思うけど」
アルティリエと二人でナディアのスクラップカードコレクションを見ながら、三つも食べて夕食が入らなかった日のことを思い出した。
「ナディア様は、プディングを召し上がったことが?」
「勿論。ル……アルティリエ妃殿下のお招きで、王太子妃宮ではよくお茶をしたし、後宮にお移りになってからも二人でお茶会をしているの」
ちょっとだけ自慢げな響きで言ってしまったが、レナーテはナディアが思う以上にそれに食いついた。
「なんて、羨ましい」
「え?」
「私、これまで誰かを羨ましいと思ったことは一度もございませんでしたが、今、初めてナディア様を羨ましく思います」
(これ、もしかして私、貶されているのかしら?)
「こうなったら、私も奥の手を使って後宮に入るべきですね」
「え?」
「私、ずっと父から打診されておりまして」
「何を?」
「後宮への出仕をです」
「出仕って……それって……」
あと一月足らずで即位する王太子ナディルの妃の座は一つしか埋まっていない。
そして、アルハン公爵令嬢であるレナーテは正妃になる資格がある。
「ナディア様はご存知ありませんでした? 妃殿下と婚姻前の王太子殿下の最も有力な婚約者候補は私でしたのよ」
レナーテは、少し恥ずかしそうに笑った。