自分がかつてこの国の王妃だったなんて口にしたらきっと、「お疲れですのね」とか「ご公務がおつらいのですね」ときっと言われてしまうだろう。
大の仲良しの双子の又従兄弟たちだったら信じてくれるけど、きっとものすごい面白がって根堀り葉掘り聞かれるだろう。
……結論、この秘密は一生墓の下にまでもっていく。
身分的には別に今だって王妃とさほど遜色ないけれど、王妃は王妃でも彼女は今でも特別な尊崇を集める方なので、自分がその生まれ変わりだとか絶対に口が裂けても言えない。
旧ダーディニア王国の最後の王妃 アルティリエ=ルティアーヌ=ディア=ディシス=エルゼヴェルト=ダーティエ。
それが前世の私だ。
最後の王妃と呼ばれるのは、別に国が滅びたわけではない。
私の死後、王国だった国が帝国へと政体を変えたからだ。
正確に言えば、帝国を名乗ったのは私の孫の時代なのだけれど、本当は初代皇帝であるはずの孫が、初代皇帝は私の夫であったナディル陛下であると公式に定めたために、私が最後の王妃と呼ばれるようになった。
生前は名前から『光の王妃」とか、ナディル陛下の唯一の妃であったことから『幸福の王妃』などと影ながら呼ばれ面映い思いもしていたけれど、後の歴史書においては更に酷かった。
『女神の娘』だとか『麗しの聖王妃』『慈愛の国母』などと公式の歴史書の記述に頻出する美辞麗句に、何度も突っ込みたくなったほど。
享年は三十三歳。
ナディル一世妃 アルティリエ=ルティアーヌ=ディア=ディシス=エルゼヴェルト=ダーティエの公式の列伝の記述は、『まだ若く美しい盛りで亡くなった王妃をナディル一世は生涯にわたり愛し続けた。彼は最愛の妃へ贈るとして王妃の死後に建設した公共施設の全てに王妃の名を冠し、それらの孤児院や学校などは現在も帝立の施設として残されている』という記述で筆を置いている。
その為、政治的に特別な功績を残したというわけではなくともアルティリエ王妃の名は歴史のあちらこちらに出てくるし、何よりも、この国の皇族は皆、アルティリエ王妃の血筋である。
この国の国民でアルティリエ王妃を知らない人間はまずいないし、この国の女児に多い名は『アルティ』とか『ティリエ』などの王妃の御名を一部いただいたものだ。
そして、現在の私もまた、彼女の血を引く一人である。
妃殿下とそっくり同じ名前をつけられた、アルティリエ・ルティアーヌ=リチェール=ディア=エルゼヴェルト。
ダーディニア帝国(正式名称は、ダーディニア及び東部ラスティニア連合帝国)の五公家の一たるエルゼヴェルト公爵家の一員である。
私がアルティリエ王妃としての記憶を思い出したのは、五歳の時だった。
公務で外遊中だった両親と共に交通事故に遭い、両親に助けられて目覚めた病院で私は気づいた。
王妃としての最後の記憶もまた花に埋もれた部屋だったので、鏡の中の自分が幼い少女であることに気づくまで、何がなんだかよくわからなかったし、夢を見ているのだと判断した私を誰も責めないと思う。
迂闊なことを口走らないためにはじめは口を開かないで過ごした。この類の経験は二度目だったのでそれなりに肝も据わっていた。
両親が亡くなった幼児に対し、誰もが腫れ物をさわるような扱いだったので、多少のおかしなところは事故のショックのせいにされ、誰かに不審を感じられる前に私は自分の立ち位置を把握した。
一週間もすればだいたいの事情はわかったが、わかった瞬間には気絶したくなったものだった。
アルティリエ・ルティアーヌ=リチェール=ディア=エルゼヴェルトという幼児は、両親を亡くしたことで、この国有数の大貴族たるエルゼヴェルト公爵家の唯一の後継者となっていたからだ。
アルティリエの父は当時の皇帝陛下の末子である第四皇子ジェラール=オルドーヴァ=ディア=ラスティア=ダーディエで、母はエルゼヴェルト公爵家の後継者であるノーチェス子爵エフィニア=ユディエール=リチェール=リィス=エルゼヴェルト。
アルティリエは、その二人の間に生まれた唯一の子だったのだ。
それからの日々は、もう毎日が驚きの連続だったように思う。
成人前の少女……というよりか、むしろ幼女……でありながらも、エルゼヴェルト公爵家の唯一の後継という重責を負うことができたのは、己に王妃であった自覚と記憶とがあったからだ。そのせいで、自身の前世の死をしみじみかみしめる暇もなかった。
思い出すだけで何だか目が潤んでくるのはたぶん気のせいではないのだが、十年たってみればそれなりに自分の中でも整理がついている。
ただ一人生き残った私を両家の祖父母は溺愛した。
通常の五歳児であったならばかなり困難だったであろう日々も、成人し三男一女の母としての人生経験済みだったために、何とか乗り越えることができた。
というか、中身が私でなければ、どうしようもないお嬢様になっていたような気がしなくもない。それくらい、周囲の人々は皆、私に甘かった。
「……は?え?」
それを目にした瞬間、口していたコーヒーがへんなトコロに入って、盛大にむせた。
「姫さま?」
綺麗にのされて皺一つなかった新聞を思わず握り締めてしまう。
「……………」
けれど、視線はその第一面から目をそらすことができなかった。
「姫さま、大丈夫ですか?」
専属侍女のリリアが首を傾げている。落ち着いているといわれることの多い私の狼狽の様子にいつもと違う異変の気配を感じたのだろう。
「……ええ。ちょっとむせただけ」
私は心の中でやや強引に態勢を立て直し、もう一度改めて新聞に目をやる。
その写真は、先日、公務で皇宮に参内した時のものだ。
「どうかなさいましたか?」
リリアが重ねて問うた。
今時、侍女なんて職業があることを驚く人がいるかもしれないが、ダーディニアにおいてはさほど珍しいことではない。
立憲君主制を国家政体としているダーディニアでは、貴族制度もそのまま維持されている。爵位のある家には今もあたりまえに執事や家令、侍女や従僕といった職業の人々がいるし、皇宮にもそういったスタッフがたくさんいる。
名目が昔ながらのものだからといってもその仕事内容は千差万別で、かなり変わった部分もある。
リリアの場合は、侍女といってもお手伝いさんや小間使い的なものではなく、私の秘書といったような性格が強いだろう。彼女の父が私の家庭教師だった縁で、去年、三年間の留学から帰国した後、私の専属侍女になった。
先頃25歳になったばかりなのだが、何事にも動じない性格とその肝の太さで、海千山千のおじ様たちと渡り合っていて、今ではリリアが来る前のことが思い出せない。
旧王国時代より筆頭公爵家であった我が家は、所領も多く、働いているスタッフも多い。だいたいは、何代にも渡り我が家に使えてくれている者ばかりである。
今は皇家や貴族といえどかつてのような特別な優遇制度はないし、税金だって普通にかかる。しいて言うならば、爵位に付随する所領とそこに存在する建築物に関しては、爵位相続者が所有する限りにおいて税金の類が一切掛からないということくらいだろうか。
三回の大戦を経て帝国の在りようも様変わりした。
旧ラスティニア王国の領土のうち、帝国に残ったのは東部だけ。三分の二は独立し、更には幾つかの自治領や大公領を経て、現在はラスタ共和国やダーハル連合国という国になっている。そんな中、かつてのそのままの家門を維持している家はそう多くはない。
中には、爵位はもっているがアパート暮らしの公務員という人もいると聞くし、一昨年結婚なさった第ニ皇子殿下……現ロディニア公爵殿下の妃となられたリディアーヌ妃は伯爵家の出身だが、代々学者のお家柄で、お住まいになっていたのは3LDKの公団住宅だったと聞く。一時期、公団住宅のプリンセスとかなり騒がれていた。
我が家も、先見の明のあったご先祖様と蓄財の才のあるお祖父様がいなければ、きっと名ばかりの貴族になっていただろう。
「うん。これがね……」
私は手にしていた新聞を広げてみせる。
デイリー・エンパイア……ゴシップ紙というほど下世話ではないものの、わりと柔らかい切り口で芸能ニュースや社交界のさまざまな話題をとりあげている新聞を手に取り、デカデカと一面に掲載されている写真を見せる。
私は毎朝、帝都新聞と帝国経済新聞とデイリー・エンパイアの三紙にさっと目を通しているが、社交界のニュースに関しては、この新聞が一番詳しく早い。
ただし、『噂』レベルのニュースもとりあげるので、そこは注意が必要だ。
デイリーエンパイアの主たるニュースは主に社交界に関すること……すなわち、皇族あるいは貴族関連のものだ。
これにはもちろん、皇帝陛下に関することも含まれている。
皇帝陛下のご予定や前日のご公務の様子などについてはほぼ毎日見開き二面分を費やしているし、皇族の中には、コラムを執筆している者もいる。
このニュースで最も多く関心を集めているのはおそらく貴族の冠婚葬祭───特に婚姻関係の記事だろう。中でも、ここ数年、まるで月間連載のように毎月騒がれているのは皇太子殿下の結婚相手についてだ。話題になる相手は毎回違う。皇太子殿下ご婚約決定か?!いうコピーはもう誰もが見飽きているものだった。
殿下が三十歳を越えてからは報道もかなり加熱していて、そのマスコミの過熱報道っぷりがニュースになることもあるほどだ。これは何もデイリーエンパイアだけの話ではない。
大変そうだなぁと傍観するだけの立場だったのだが、どうやら私も当事者の一人になってしまったらしい。
自分の写真がそのコピーとともに新聞の一面を飾っているのを見るというのは、そうそうにできない経験だと思う。
「イマイチですね。姫様は左斜め三十度からのお顔が一番かわいらしいですのに」
写真を目にしたリリアは残念そうに溜息をつく。
「そんな突っ込みいらないです」
「腕が悪いですわ、このカメラマン」
嘆かわしいというように首を横に振ったリリアに私は小さく苦笑して言う。
「だから、それはいいんだってば。そうじゃなくて、私はいつレイエス殿下と婚約するような話がでるほど親しくなったのかなぁって思ったの」
亡くなった父が当代陛下の末の弟であった為に、皇太子殿下と私は従兄弟同士になる。
帝室法により皇帝から三代の子孫はディア(殿下)の称号を許される皇族で、私もその一員なのでそれなりに殿下とも面識はある。
皇族にはさまざまな公務があり、未成年であればだいたいは免除されるものの、新年参賀や春先の建国記念祭、秋の皇帝陛下の公式誕生日の三つは必ず参加することになっているから、年に三回は必ず顔を合わせる機会があるのだ。
更に、私は十歳の時にエルゼヴェルト公爵であった祖母から爵位を継承したから、その他の公務の機会もあって皇宮に参内することも多い。
でも、だからといって個人的に親しくお話ができるか?といえば、ちょっと疑問だ。
当代陛下のお子様は三人いらっしゃって、三人ともが皇子なのだけれど、どの方ともそれほど親しいとは言えない。
「親しくないんですか?」
「ないです」
はっきりきっぱりとそう言い切れてしまうくらい、私には親しくさせていただいた記憶がない。
「皇太子殿下と個人的なお話をなさったことは?」
「それなりにあるけれど、特にこれといって特別な話をした記憶がないから」
「そうなんですか?」
「ええ。……それに、殿下と私では年齢が違いすぎるわ」
皇太子であられるレイエス殿下は34歳。私はあと半年で16歳になるところ。正直言って倍以上年齢が離れている。
それに、生きていれば私のお父様とお母様は36歳なのだ。殿下は、結婚相手というよりお父様といっていい年齢である。第二皇子であるロディニア公爵が32歳。一番末のクリストファー殿下でさえ29歳だ。
私の意識としては彼らは従兄弟というよりは親戚の叔父さんとか、そういう感じだ。
「そんなものですか?」
「そんなものよ。それに、話題もないし」
私の最大の趣味はお菓子作りだけれど……これは、パティシエだった過去の記憶のせいだ……皇太子殿下は甘いものをまったく召し上がらない方だ。そういえば、殿下と同席したお茶会で、あまりにも話題がなかったので、出されているプチ・フールを食べ続けたせいで1.2キロ太ったことがある。それから十日間、夕食後のウォーキングの距離は倍となり、夢もみないほどよく眠れた。あれはかなりきついので、それ以来、どんなにおいしそうでもちゃんと手が止まるようになった。
逆に皇太子殿下のご趣味は、スポーツだ。
観戦もお好きだけれど、ご自身でなさるのもお好きで、特にお好きなのはヨットと乗馬。ヨットは国際なレースに出場なさったこともあるし、乗馬も国内最高峰のレースに何度か出たことのある腕前だという。もっとも、これは全部デイリー・エンパイアの記事による知識だ。
正直にいえば、私はあまり丈夫な性質ではないし、運動神経がそれほど良いわけでもないので、スポーツ観戦はともかく自分でするほうはあまり好きではない。
たしなみとして乗馬はするけれど、それは狩猟の際に足手まといにならない程度で、スポーツとしての乗馬にはまったく興味がない。だいたい、スポーツ全般にそれほど興味がないのだ。
日常生活だって、文字通りの箱入り娘である私と、次の皇帝である殿下とではまったく異なるだろう。
殿下は、休日は好きなヨットか乗馬を楽しまれるようだが、私は、自分のキッチンで試作品を作るか、あるいは我が家の図書室や図書館で昔の料理レシピの研究をしていたい。果樹園や農園や温室に行くのもいい。新鮮な野菜や果物はお菓子に欠かせない。
「姫さまは、どちらかというとインドア派ですものね」
「そう。家にいるのが好きなの」
果樹園も農園も温室も帝都の邸の敷地内である。
外出には運転手がいるし、護衛がつくし、付き添いと従僕も必須だ。私一人の外出のために総勢十人程度が必要となる。これはもうほぼお決まりのルールだ。でも、その仰々しさがあまり好きではない。
しかもそれだけ仰々しくしたとしても自由にどこにでも行かれるわけではない。
お忍びであれば、動員する護衛は倍になることがわかっていれば、早々にわがままも言えない。
王妃であった頃はもっと籠の鳥であったのに今の方が耐え難く思うのは、陛下がいらっしゃらないからだ。
(ナディルさまが、いない)
私に籠の鳥であることを感じさせなかった陛下がそばに居ない。
ただそれだけで、私の世界は色が褪せる。
私はもうかつての私ではないのに、記憶があるがために想わずにはいられない。
「私の世界が狭いのはわかっているけれど、仕方がないわ」
仰々しいお供つきの外出をするくらいなら家にいるほうがいいと思ってしまう。さすがに自邸の中では護衛はつかない。
私が私になって以来、邸や別邸を含めた公爵家の縁の場所と所領、そして皇宮くらいしか行ったことがない気がする。
「それに、春からは大学にも行くし、成人もするのだから、公務にもいろいろ幅が出てくるわ。外国へ行くことはないと思うけれど……ちょっとずつ、自由になる幅だって広がってくるはずだから」
私が今の私となるきっかけとなった五歳のときの交通事故は、ダーハル連邦での公務の際に起こったものだったから、成人したとしても私が外国へ行くことはまずないんじゃないかと思う。
「渡航禁止なんですか?」
「別に明確に禁止されているわけじゃないけど、パパとママがダーハルで交通事故にあったから、私も同じ様なことがあったら困ると思われているの」
「姫様が学校に通ったことがないのもそのせいですか?」
「それもあるけど……通ったことがないわけじゃないのよ。一度だけあるのよ。一般の人と同じ七歳で帝都の聖ルティアーヌ学院に、一週間だけ」
「一週間だけ?」
「学校で怪我したの。足の骨折で全治二ヶ月。……ほら、何たって私はエルゼヴェルトの相続人で皇族でしょう。先生方がそりゃあ気をつかってくれたのだけれど、予期せぬ事故ってのはどこでもあるのよ」
「事故っていっても校内ですよね?」
「そうよ……ちょうど、聖ルティアーヌでは貴族ではない子供を受けいれる試みをはじめていたの。私が入学する二年前からかな。で、生粋の貴族だと七歳になるまでの間にそれなりに教育されて身分っていうのが何となくわかっているのだけれど、一般の子にはわかっていない子もいたの。聖ルティアーヌに入るくらいだからそれなりの教育を受けている子が多かったらしいんだけど、何人かそうじゃない子達がいてね。で、何の因果か、目をつけられたのよ、そういう子に」
「目をつけられたというと?」
「気に入られたの。で、私を思い通りにしようとしたわけ。具体的には自分と一緒に遊べとかそういうことね。でも、私は彼らの態度を好まなかったし、自分勝手にできないことがたくさんあったから断ったの。そうしたら、癇癪をおこしたその子供に階段から突き落とされたのよ」
リリアが額に手を当てて、ありえないと首を横に振る。
「落ちるって思ったところまでしか覚えていないんだけどね。まあ、目が覚めたときには、退学決定で、家庭教師が五人ばかり決まってたわ」
既に引退したり、大学を定年退職したというお年を召した方ばかりだったけれど、それぞれの分野で一流の先生方ばかり。正直、七歳児には過ぎた教師陣でした。
「学校については詳しくは知らないし、私はあんまり気にしなかったのだけれど、大問題になっちゃったみたいで」
「それは当然だと思いますよ」
「当時はまだ、お祖母さまが元気でいらしたのだけれど、お祖母さまは元より、皇太后となられていた祖母様に伯父様……陛下のお怒りまでかったのね。子供同士のこととはいえ、下手をしたら生命にも関わることだからって。親ごさんは商売をしていたけれどお店を手離して、一家で他国に移住したって聞いたわ」
「もしかして、それはプロペスター家のお話ですか?」
「そうかもしれない。ごめんなさい。その子の名前を覚えてないの」
「……そうですか」
リリアは複雑な表情をしたが、記憶力には限りがあるし嫌なことは忘れるに限る。恨みがましくいつまでも覚えていられないのだ。
まあ、そんな事情だからして、私が学校に通わないことは速やかに決定され、以降、この年になるまでずっと家庭教師達と学んできた。
それでも、やはり学校にあこがれる気持ちというのはある。
前世ではもちろん学校に通ったことなどなかったのだけれど、ナディル様から大学時代のお話を伺って羨ましく思っていたのでその憧れは結構強いかもしれない。
帝国の大学教育は、周辺諸国ともかなり違っている。
帝国で大学というのは、ただ一つ。帝都アル・グレアにおける特別教育機関だけをさす。
入学するのは難しく、卒業するのは更に難しい。
必須習得科目は歴史と法学。大学で一年次を修了しただけで、この国では初級公務員になれるし、卒業すれば弁護士資格と上級公務員資格が無条件で与えられる。
皇族はこの大学に入学し、一年次を修了することが求められる。
それが、 国民の規範となるべき貴族の、その頂点たる皇族の最低限の必須教養とされているのだ。
(元々、わが国において学校教育はそれほど盛んではない)
初等教育と中等教育の過程は義務教育なのだが、学校で学習することは義務ではない。
家庭教師に教わってもかまわないし、私塾でもかまわない。親や兄弟に教わってもいい。もちろん学校もあるが、その学校も公立もあれば私立もあるし、それぞれの学校ごとに力をいれていることが違っていて、さまざまな選択肢がある。
ようは、年に四回ある統一テストで必要単位を取得し、上にあがる条件を満たせばいい。
例の事件以来、私はずっと家庭教師につい、すでに高等教育過程まで修了している。大学の入学許可試験にも合格済だ。合格したのは去年だったのだけれど、前回の轍をふまぬように大学側にもいろいろと準備することがあって、入学は今年になった。
私は、この春からようやくアル・グレアの右岸にある帝都大学に通うことができるのだ。
「リリアも大学は帝都大学だったのよね?」
「はい」
「……ごめんね。せっかく卒業したのに逆戻りで」
「いえいえ。問題ありません」
私が大学に行くのだから、当然、リリアも行く。というのは、未婚の貴族女性の外出には付き添いがつくのがルールだ。それはたとえ大学であっても変わらない。
「大丈夫ですよ。付き添いがいる生徒は姫さまだけではありませんから」
「何人くらいいるの?」
リリアの言葉に少しだけほっとした。今年から同じように通う皇族がいるのは知っているけれど、やはり気になる。目立つことは仕方がないとはいえ、悪目立ちするのは避けたいのだ。
「付き添いのいる女生徒は姫様以外にも十人以上いらっしゃいますし、大学院にもいらっしゃいます。男性ならば、爵位を持つ生徒も珍しくありませんし……貴族の子女の数は、帝国のどの大学よりも多いと思いますよ」
「そうなの」
「まあ、姫様が最も高位であることは間違いありませんが」
「それは仕方ないと思うわ」
私はエルゼヴェルト公爵で皇族でリチェールだから序列が特殊だ。
儀式の時はだいたいが、国王陛下と皇太子殿下の間になる。
もしかしたら、この新聞記事の遠因はそこにあるかもしれない。よく一緒に並んでいるからといっても別に仲が良いわけではないのに。
(陛下は……ナディル様は生まれ変わっているのかしら)
生まれ変わりなんていうものがそう何度もあるようなものなのかわからない。
そして、私のようにこんなふうに記憶が蘇ることはあまりないことなのだろうとおもう。
(私のことを覚えていなくてもいい)
覚えていなくても、この世界にいてくれさえすれば、今度は私からナディル様を追いかけるから。
私は小さくきゅっと手を握り締めた。
2015.11.14up
※昔、エイプリールフールのお遊びにしようと思って書いていた現代編のファイルがでてきたのであげておきます。
※これはIFなので別に続編ではありません。