私にわかっていることはそう多くはなく、それらの隙間を推理というには恥ずかしいような想像で補っているのが現状だ。
(それも穴だらけで)
そもそも証拠なんてないし、もう犯人探しをしているというわけでもない。
「かけなさい」
陛下はそう言って、あまり広くない左側の通路を挟み、斜め後ろの席に座って私のほうに身体を向ける。
私は自分の席に座ったまま、陛下のほうを向いた。
隣同士にも前後にもせずに通路をはさんでいるのは、貴婦人への心遣いだ。
幼い私に対しても、陛下はちゃんと既婚の貴婦人としての扱いを忘れない。
(シオン猊下の頭にはそんなこと欠片もなかったなぁ、たぶん)
リリアのことで頭がいっぱいだったのか、私が幼すぎてまったくそんな対象に思えていなかったのか……たぶん両方だろう。
「さて、何から話そうか……ずっと、こんな日が来るだろうと思っていたが、実際にそうなってみると何だか不思議な感じがするものだ」
陛下は、とても機嫌が良いように見えた。躁鬱の激しい方なのだが、声のトーンから考えると、今は、やや躁状態にあるように見える。
「予測なさっていらっしゃったのですか?」
「いや、予測ではない。強いて言うならば希望というべきだろう。余は、そろそろ終りにしたいと思っていた」
不自然な朗らかさで、陛下は言う。
「ただ、幕を引くのがそなただとは思っていなかった。今のそなたであれば納得するが、かつてのそなたには不可能であったから……それができるのは、王太子だけだろうと思っていた」
「なぜですか?」
確かに、かつての私には不可能であるというのは全面的に賛同する。
「ユーリアは私の意に添わぬことはしないし、師団長は気づいてもいなかった。アリエノールは……あれは、見てみぬふりをするだろし、大司教は逃げ出したからな」
他の人間では、陛下に意見することができない、ということなのだろう。たぶん。
「王太子は……あれは、国を守るためならば私を殺せる男だ」
私はたぶんそうだろうと思っていたけれど、同意を示すことはしなかった。何が咎められるかわからない。
それに、ナディル殿下は私にはとても優しい人なのだ。
「だから、あれが私に引導を渡し、国王になるその日を待っていたのだ」
陛下が、柔らかな笑みを浮かべる。
この方が、そんな表情をするのを私は見たことがなかった。
「殿下は、そんなことを望んでおられません。王太子になりたいとすら思っておられなかった……」
「そうなのかもしれない。……だが、人は変わるものだよ、ティーエ」
「でも、殿下ご自身の幸福は玉座にはありませんから」
少しだけむっとしたので、きっぱりと言い切った。
「……おやおや。では、あれの幸せはどこにあるのだね」
ここで、私の隣ですと言えればたいしたものなんだけど、そんなこと言えるはずがない。
「…………図書室です」
ぷっと陛下が吹いた。
「確かにそうかもしれぬな。何しろあれは幼い頃から本の虫だった……あれについた家庭教師たちは、あれは学者として歴史に名を残すであろうと全員が口を揃えて言っていた。それでいいと、私もユーリアも思っていたのだよ」
「……それこそが、殿下の夢でした」
殿下は、歴史がお好きだ。
ご自身の研究テーマは「喪われた文明の遺跡」と「アルセイ・ネイ」について。
あの一人諜報部員なリリアですら知らないようなのだけれど、殿下はネイについてかなり詳しい。
ダーディニアがネイと縁が深いこともあったが、何よりも、殿下の心をとらえたのは、統一帝国以前の現在よりも遙かに進んでいた「喪われた文明」についてだという。最近の研究では、ネイは、その失われた文明の継承者だったのではないかと考えられているようだ。
ダーディニアの王宮は、そのネイが設計・建築指揮したものであると同時に、喪われた文明の技術を使って建築された世にも希な建物だし、国内には、ネイの事跡が数多く残っていることから研究もしやすい。
ネイの研究をしている者にとって、このダーディニアは聖地なのだという。
殿下は大学を卒業されるまで、大学の王宮調査チームの責任者としてその建築技術の研究をしていたそうだ。
その手の話をされる殿下はとても雄弁だ。普段とはまったく違う方向にだけれど。
お話もおもしろかったが、いきいきとした表情で目を輝かせていた。
そんな殿下と一緒にいられるのが、私は何よりも嬉しかった。
「殿下の夢は、大学で研究者になること……そして、許されるのならば、隣に私の母に居て欲しいと夢見たことがある、と」
陛下は、小さく息を呑まれた。
それは、私がはじめて見る、陛下の動揺だった。
どこか飄々としていて浮世離れしたところのある陛下は、何かに驚くということがあまりない。
「……それは、無理な話だな」
ほろ苦い、笑み。
私は丁寧に言葉を選んで更に切り込む。
「……エルゼヴェルト公爵には長年連れ添った女性が居て、既に子供が何人もいました。それは当時、大変な醜聞だったと聞きました。王女が嫁ぐ相手としてふさわしくないのではという声があったとも」
「ああ、そうだ……だが、妾がいたことが問題だったのではない。あれほどの大貴族なれば側妾の一人や二人居たところで何ほどのことでもない。だが、あれは、王女と婚姻を結ぶのに別れるそぶりすら見せず、平気で妾に敷地内の離れ屋敷を与えた」
それは王家に対する侮辱だ、と吐き捨てるその声音に、冷ややかな……憎しみが入り混じる。
(憎悪……)
瞳の底に燃える青白い炎。
それは決して消えることなく胸を焦がし続ける業火だ。
(陛下は、忘れておられない)
ナディル殿下にあったのは、怒りだった。
もう母が亡くなって十二年がたつというのに、尚も残る怒り……それが、私と話すことで少しづつ風化していく気がする、と殿下はおっしゃった。私はそれが嬉しかった。殿下の役にたてているような気がした。
だが、陛下のこれは決して褪せぬ憎しみだ。
私という存在は、それを和らげる助けにはならないのだ。
尽きせぬ憎しみ……ぞくり、と背筋が小さく慄いた。
それは、角度を変えれば私にも向けられるものだ。
「では、それなのになぜ婚約をそのままお認めになったのですか?」
私にいろいろな話を聞かせてくれたシュターゼン伯爵は、私見ですが、という注釈つきで、婚約は当然破棄になるだろうと思っていたと言っていた。その為に、伯爵は陛下に、ナディル殿下が母に好意をもっていることをそれとなく告げたとも言っていた。
『私は、姫にエルゼヴェルトに嫁いでほしくなかったのです。自分では何もできないから、殿下にかこつけて裏から働きかけた……結果は、思っていたのとは逆に作用しましたが』と、苦笑というには苦すぎる表情で彼は言った。
(そう。逆に作用した)
ナディル殿下はご存じないから別のことで伯爵が家庭教師をやめさせられたと思っているようだが、私は、伯爵が殿下の好意をこの方に告げたことが理由だったと予測している。
「認めたことなど一度もない」
憎々しげな声音。その表情が思いっきり歪む。
でも、当然だった。
王女の降嫁に際し、たとえ建前であったとしても身辺整理をするのは当たり前だった。なのに、公爵はそれを怠ったのだ。しかも同じ敷地に側妾を住まわせるなどルール違反もいいところだ。
それを、陛下が許せるはずがない。
(それは、エルゼヴェルトの驕りだ)
当時、降嫁に反対する者はとても多かったのだという。
しかも、母はおかしな噂すらでるほど陛下にこの上なく溺愛されていた。
誰がみても不実とわかる男の元に嫁がせるくらいなら、陛下のお手元でのんびりと暮らす方がずっと幸せだっただろう。
それに、母はまだ成人したばかりだった。公爵と違って婚姻を急ぐ理由はまったくなかったのだ。
「……できなかったのだよ。どうしても」
喉の奥から搾り出すように、陛下はその言葉を紡ぎ出す。
「ずっと、不思議でした。母を誰よりも大切に思ってくださっている陛下が、なぜ、みすみすわかっていた不幸に母を追いやったのが」
「わかっていた不幸と言うのか?」
「男の人は、十五も年が離れていて、しかも、すでに長年連れ添った妻同然の愛人のいる男の元で、まだ成人したばかりの少女が幸せになれると本気で考えられるものなのでしょうか?」
私の問いに陛下は、ひどく苦々しい表情になる。
それは、何よりも雄弁な答えだった。
「殿下のような方ならまだしも、話で聞いただけで公爵のなさりようは酷いと思います」
十五違いは私も同じこと。なので、何となくフォローじみたことを口にしてしまう。
「……幸せになれるということを疑わなかったのは、何も知らなかったエフィニアだけだ」
疲れたような声音。
実年齢よりも若くみられることの多い陛下だったが、今は、ひどく年をとってみえた。
(ここにもある矛盾)
陛下は、私の母たるエフィニアを愛していた。
そして、エフィニアの子だからこそ私に執着し、それが今の私への行き過ぎた厚遇につながっている。
だが、ならばなぜ、母の悲劇を止めなかったのだろう。
わかっていなかったとは思えない。
そして、止めることができなかったとも思わない。
誰よりも愛する妹王女の不幸を、この方が何することなく見逃したのが不思議だった。
「いろいろなお話を、聞いたのです……私が直接お話を聞けた方は数えるほどでしたし、その当時を直接知っていた者は更に少なかった。皆、誰かの又聞きにすぎませんでした。
それでも、少なくない人数の者が母の降嫁が取り消されなかったことを不思議に思っていた……結果論かもしれません。
でも、こんなにも母を……エフィニアを大切に思っておられる陛下が、不幸になることが目に見えてわかっていた公爵との婚姻をそのままお認めになった理由がわかりませんでした」
母の話をしてくれた時のナディル殿下の声が、耳の奥で蘇る。
『私は、陛下が彼女の結婚をとりやめるだろうと思っていた。……異母とはいえ、あれほどまでに溺愛している妹を、他の女にかまけている男にお許しになるとは思ってもいなかった』のだと。
だから、婚姻の為、王宮から花嫁行列が出て行ったその瞬間でさえも、形だけのもので彼女はすぐに戻ってくるのだと、心のどこかで思っていたのだ、と。
「ナディル殿下は、私の母が初恋だったのかもしれない、とおっしゃっていました。そして、自惚れかもしれないが、たぶん、嫌われてはいなかったと」
陛下は私の言葉に天を仰ぐかのような様子で嘆息を漏らす。
「殿下と母はさほど年齢も離れていません。血筋的にも年齢的にも釣り合いは悪くなく、さまざまな条件的にも、公爵とよりも相応しいように思えます」
そうなっていたら、今ここに私は絶対にいないのだけれど。
「それに、疑問に思ったのはそれだけではありませんでした。……自身の不行状があったとしても婚約破棄されることはないのだと、なぜ公爵は知っていたのでしょう?何が公爵をそれほどまでに増長させていたのかが不思議です」
誰もが婚約破棄されても当然だと思っていたのにも関わらず、当の本人だけはまったくそんなつもりはなく、むしろ、事態を悪化させていたように思える。
母が父に嫁いだのは、先代公爵の喪が明けた15歳の時。
私の祖父である先代公爵がいた時点では、父もそれほど目立つようなことはしていなかったのだが、祖父公爵が亡くなって二月ほどで、上の子供たちを本城にひきとり、更には母との結婚を控えた時期にルシエラと下の子供たちを敷地内の別邸に住まわせた。
ダーディニアの国法上、ルシエラの子供達には相続権がない。が、公爵の子息としての教育を受けさせてやることはできるのだ。
だがそれは、側妾を置くことに関してわりと寛容なところのあるダーディニアであっても外聞のよくないことだった。
「エフィニア本人が乗り気だった。年上の、大人の男に見える婚約者に、エフィニアは憧れていた。……そもそも、エフィニアの婚約は父王が定めたことだ。しかも、エルゼヴェルトは『王妃の家』。王家とは不可分だ」
『王妃の家』……それは、そもそもが初代エルゼヴェルト公爵が建国王の王妃の弟であり、以降、三代続けて第一王妃を輩出したことに由来している。
四公爵家の第一位。その格は、「エルゼヴェルトを妻にも母にも持たぬ王はない」と言われるほどで、いろいろな意味で別格なのだ。
「だから、陛下には止めることができなかったと?」
「……ああ……私には、どうあっても止めることができなかった。私は認めたわけではない……諦めたのだ」
苦しげだった。ご自分のお子様達には関心がないとおっしゃる一方で、私の母、エフィニアのことになるとこんなにも苦しまれる。
「それは、なぜですか?」
理由があるのだ。不幸になるとわかっていてもエフィニアと公爵を結婚させなければいけなかった理由が。
「………………」
陛下はうなだれるように床を見、口を開こうとしない。
(まあ、すんなりお答えいただけるとは思っていなかったけど……)
「では……」
私はもう一度深呼吸をした。ぎゅっと拳を握り締める。
こういう場合は、まったく違う質問を投げかけるほうがよいだろう。
迂遠ではあるけれど、少しづつ確信に切り込んでいければ良い。
(ただ、これを口にするには覚悟がいる)
口にするために勇気をふりしぼる。
脳裏の片隅をいろいろな人の顔が思い浮かんだ。
「……なぜ、陛下は私を狙うのでしょう?」
(言ってしまった……)
陛下が、はじかれたように顔をあげた。
その目が驚愕に見開かれている。
内心では、自分で言い出した事ながら、そこまで驚きを露にする陛下に私も驚いている。
けれど、そのまま畳み掛けるように、問いを重ねた。
「なぜ、私は大切に慈しまれる一方で、生命を狙われるのでしょう?」
そう口にしたら、心細いような、ひどく泣きたいような気分になった。
(殿下……)
殿下にお会いしたかった。
あの少しぶっきらぼうな口調で、いつものように名前を呼んで欲しかった。
何も言わなくてもいい。ただ、そこにいてほしかった。
(もう、なかったことにはできない)
言葉には、言霊というものがあるという。
口にした瞬間にその言葉に魂が宿ると言われるように、その問いもまた口に出した瞬間から力持つ問いとなる。
「陛下は、なぜ、私を憎んでおられるのでしょうか?」
それは、夜の静寂の中に思いのほか大きく響いた。
くっくっくと押し殺した笑いが漏れる。
陛下が笑っていた。あるいは、嗤っていたのかもしれない。
肩を小刻みに震わせ、喉の奥で声を押し殺している。
そして、顔をあげた。
「すごいな、ティーエ。本当にすごい。それは、自分で気がついたのだろう?王太子が君にそんなこと話すわけがない」
その瞳が、どこか危うい光を宿している。
熱を帯びた眼差しは、陛下をまるで別人に見せる。
(こんな方だったのだろうか?)
心底おかしげに笑っていた。
なんだか、見るたびにこの方は別人であるように思える。
「ああ、確かにそなたは別人だ」
私の人形姫ではない、とうたうようにつぶやく。
人形姫、というその言葉に、もう心は波立たない。
「なぜ、気がついたのだね?」
席を立った陛下が、いつのまにか私の目の前に立っていた。
あわてて立ち上がろうとした私の肩に手をやり、そのまま席へと押し戻す。覆いかぶさるように上から覗き込まれて、反射的に身をひいた。
でも、ひききることができなくて、驚くほどの近さでその瞳を覗き込む。
「私は、君に気づかれるようなヘマを、いつしたのかな?」
銀を帯びた蒼氷色の瞳は、私を映しているのに、私を見ていない。
そして……。
(こんなにもわらっているのに)
ひどく虚ろだった。その空洞が見えるような気がした。
「先ほど申し上げました。……もう、随分と前だと」
声が震えずに答えられたことに内心安堵する。
「ああ、あれはここにもかかるのか」
ハハハハハ、と、陛下は高笑いし、私から離れる。
その笑声はどこか物悲しさを帯び、天井高くに吸い込まれていった。
私は笑わなかったし、笑えるような気がしなかった。
「なぜ、なのですか?」
否定してもらえなかったことに、胸が痛む。
できることならば、私を疑うのかい?と、笑い飛ばして欲しかった。
ううん。否定してもらえるのならば、何を言ってるんだ、と怒られても構わなかった。
けれど、陛下は笑みを浮かべるだけだ。
「私が湖に落とされたのは、陛下の思し召し、だったのですね」
何度も重ねられる身の危険。本当に生命の危機を覚えたのは数えるほどだったが、目覚めてから二ヶ月たらずで、すでに何度おかしなことがあったことか。
「思し召し、か……君は、いったいどこまで知っているんだろうね?ティーエ」
それは私にもよくわからない。わが身の危うさが、私にはよく理解できていないのだ。
「……私が知っていることなど、そう多くはありません」
「でも、君は実に言葉の使い方が的確だ」
素晴らしい!と、陛下は大げさに手を広げる。
どこか仕組まれたような、何だか操り人形みたいな動作だった。
「……ありがとうございます」
何をどう口にしていいかわからなかった。
予想はしていた。
でも、予想と、事実を目の当たりにするのとではまったく違う。。
だって、陛下は私の最大の庇護者なのだ。そんな人が実は黒幕なのだと、それを我が目で見ることは想像しているのよりもずっとキツイことだった。
「私は、君がなんで私なのだと思ったかにとても興味があるよ。だって、私は嘘偽りなく君を愛しているし、一度だって君を哀しませるようなことも、君を痛めつけるようなこともしたことがない。多少、行き過ぎるところもあったかもしれないが、常に君を大切に守ってきたはずだ。なのに、なぜ、私だと思ったのだろう?」
教えてくれないか、と陛下は笑みを浮かべる。
その笑みは優しかったし、慈しみに満ちていて、決して見せ掛けだけのようには見えない。
だが、その一方で私を狙うのもまた、陛下なのだ。
(矛盾する感情……愛情と憎悪が共に並び立つ)
「君は、私が犯人だといわなかったし、私が殺せと命じたとも言わなかったね」
「……はい」
陛下が実行犯であるなどとは思ったことがない。
高位王族というのはほとんど一人になることができないようにできているし、物理的には自由であっても、その実、常に拘束状態にあるようなものだから、秘密裏に何かを行うことはほとんど不可能だ。
そして、陛下は私を「殺せ」と命じることはできなかっただろう。
(陛下は『国王』であられ、私がエルゼヴェルトの推定相続人である為に……)
なぜ、そこまでエルゼヴェルトが特別なのかは、表面上は、四公爵家の筆頭であるからという理由しか知られていない。
けれど、それだけではないのだ。
(それだけの理由では、足りない)
私は目の前の陛下に、改まった気持ちで視線を向ける。
(答えは、この方がしっておられる)
「その通りだよ。私は君を傷つけるようなことは何一つしていない。私は、誰よりも君を愛していると自認しているのだ」
どこか得意げにすら見える表情。
最高に機嫌が良いように見えるその様子。
「私が殺せと命じたことがないということを知っているのに、君は私が生命を狙っているというのだね」
「……生命を狙っている、というほどではないのかもしれません。ただ、結果としてそうなってもいいと思っておられたのだと思います」
アルティリエはいつそれを知ったのだろう。
そして、どれほど恐ろしかっただろう。
国王陛下に生命を狙われるということの意味がわからぬほどアルティリエは幼くなかった。
(アルティリエは、聡明な子供だった……)
ある意味、その聡明さが彼女を殺したとも言えるのかもしれない。
きっと気づかなければ、彼女は彼女のままでいられたのだ。
でも、彼女は気づいてしまった。
(ナディル殿下にふさわしくありたいと、学び続けていた為に)
その皮肉に胸が痛む。
何も知らない子供でいられれば、絶望することなどなかったのだ。
「なぜだい?」
誰にも言えずに一人で抱え込み、どれだけ心細かったことだろう。
でも、どうしても誰かに相談することはできなかったに違いない。
(相談した相手に災いが降り懸かることを恐れたから)
もしかしたら、これまでに亡くなった人の中に、アルティリエが相談した人がいるのかもしれない。
(たとえば、家庭教師だった教授とか……乳母とか……)
そうだとすれば、教授は病死だったけれど、アルティリエは自分のせいだと思ったかもしれない。
乳母については、彼女をかばったという事実もあり、もっと直接的に自分のせいで殺されたと思ったかもしれない。
(殿下には……)
きっと、言えなかった。
殿下にこそ一番頼りたかっただろう……。
でも、あなたの父親が犯人なのだと告発することが、アルティリエにはできなかった。
「それは、陛下しかご存知ないことだと思います」
少なくとも、私は知らない。
「ああ、そうだね。……うん、そうだ」
くすくすと、おかしげにわらう。
ならば、とその唇が笑みを形作った。
「……ならば、なかなか良い分析の褒美に教えてあげよう」
口元にその笑みを貼り付けたまま、陛下は続ける。
「……私は、賭けをしようと思ったのだよ」
「賭け?」
今、この場ででるにはあまりにもそぐわない単語に、私は首を傾げた。
「そう。賭け、というのがわからないのなら、遊戯と言い換えてもかまわない」
陛下はごく穏やかな口調で話を続ける。
なぜか、背筋がゾクリとした。
「……陛下?」
何かが頭の奥で警鐘を鳴らしている。
それは聞いてはいけない類のものだ。
「遊戯の相手は、王太子。そして、景品は君だよ、ティーエ。君が持つ、この国だ」
ぐらりと目の前が揺らいだような気がした。
***************
2013.09.26 更新
誤字脱字チェックありがとうございます。
それと、コメントもありがとうございます。
返信まったくなくて申し訳ないですが、全部読ませていていただいています。
その一言が書くための燃料になってます。