16
翌日、朝起きたら、居間には献上品が積まれていた。
本当に山だった。
「……今日はこれで一日終わるね」
「そうですね」
私とリリアの溜息をよそに侍女達はああでもない、こうでもないと楽しげだ。
荷解きをしながら一つ一つをチェックするのは、ショッピングの後、家でワクワクしながら袋を開けるのとちょっと似てる。
ここまで来ると、引越し荷物の片付けみたいでちょと何だけど……。
「服地から開けましょう」
「えー、小物からですよ、小物!細かいの先にやらないと絶対に後で面倒になりますから」
うん、ジュリア、それは正しい。
でも、私はもうすでに面倒になってるよ。
今回は服飾品が多いので侍女達はちょっと興奮気味。
私はもう、この『空の瞳』の続きだけで大満足なんですけど……。
「妃殿下、この飾り紐の模様、すごい凝ってます」
「綺麗ね。たくさんあるの?」
「30巻くらいあるみたいです」
飾り紐っていうのは細い組紐だ。鮮やかな色合いで模様が織り込まれていて模様にはたくさんの種類がある。
髪を飾ったり、服の飾りに使ったり、贈り物のリボンにつかったり、後、本のしおりがわりにつかったりと用途はさまざま。
模様が細かいほど高価とされていて、私に献上されたもののように小花模様になっていたり、市松模様になっていたりするものは特別だ。
「……ならば、好きなものをニ巻ずつ取っていいわ。後は書斎の小箪笥にしまっておいて」
「「「ありがとうございます」」」
この子達も自由に外に出られる立場ではないから、何かもらうたびに少しづつ分けてあげることにしている。リリアがあげすぎだといわない程度に。この加減が難しい。
外に出られないとはいっても、私と違い王宮内であれば比較的自由にすごせるらしく、時には本宮の食堂に食事に行って、そこで仕入れたいろいろな話を聞かせてくれる。
いつか、侍女ぶりっこして職員の食堂に行ってみたいというのも私の野望の一つだ。……リリアには内緒だけど。
「妃殿下、ご覧下さい、この織の見事なこと」
「……ほんと、きれいね」
アリスに見せられた布は、縦糸と横糸の色を違えているせいで不思議な色合いになっている。
「これはノルックの作品ですわ」
「さすが、エルゼヴェルト」
ミレディが感嘆の溜息をつく。
「どうして?」
「ノルックは今一番流行の工房です。この間、王妃殿下のご注文をお断りになったそうですよ。本宮勤めの子に聞いたんですけど」
「………………断るんだ」
びっくり。
「正確に言えば、断ったのではなく、三年先まで予約がうまっているのでそれ以降でもよければ、と言ったそうなんです」
リリアが解説してくれる。
「すごいね」
普通、王妃殿下から注文が来たら、他をさしおいてもまず受けそうなものだけど。
「ノルックの工房は職人の集団ですから……でも、ノルックの工房がここまで名をあげたのは、エルゼヴェルト公爵家の庇護があったからです」
「そうなの?」
「はい。妃殿下に申し上げるのも今更ですけど、エルゼヴェルトは芸術の庇護者として有名ですから……」
武のアラハン、美のエルゼヴェルト、知のグラーシェス、商のフェルディスと世間では言われているそうだ。
最近は、少しづつ、リリア以外の子達とも話すようになっていて、リリアからは聞かないような話を聞いたりする。アリスからは実家のある北部の冬の厳しさを、ジュリアからは王都の貴族の生活ぶりを、ミレディからは牧場の話を聞いた。最初は驚いていた彼女達も、今では私が話すことにすっかり慣れつつある。
「この縦糸の蒼色は王太子殿下と妃殿下にしか使えないんですよ。王太子殿下の禁色なんです」
「きんじき?」
「はい。そ王家の銀が『ディア』を名乗る王族しか使ってはいけないように、国王陛下と王太子殿下には禁色が定められています。ご本人以外は妃である方しか使えない色です」
「……国王陛下の禁色って?」
「陛下が正装の際にお召しになる上衣の色……翡翠青と呼ばれるあの青色ですわ」
「……王宮の尖塔の旗の色や国旗の色?」
「そうです」
納得。そういえば、各公爵家にも決まった色があったっけ。
「これで、正装用にガウンを仕立てられる?」
「公式のでございますか?」
「そう。使うレース類をすべてエルゼヴェルトの水色で。デザインはまかせます」
「……畏まりました」
ドレスは正式の場合ガウンと言う。ドレスと呼ぶ場合は私的なものという意味合いが強い。
リリアはちょっと考えてうなづいた。
事情が事情であったので、これまで私と実家とのつながりは皆無に等しかった。が、ここにきて少しづつ歩みよる気配がある。
父である人がその事実を政治的に利用しようともかまわない。
それが目的でない事を私は知っている。彼はそれを無視することはできない。
でも、利用できるとかできないとか、そういうのは結局付け足しだった。
―――――――――――贖罪。
彼は一度は捨てた娘に贖いを求めていた。
赦されることがないことをわかっているのに。
瞳を合わせた一瞬で、私は彼のそれを知り、彼は私が知ったことを知ったのだ。
「……お疲れになりましたか?」
「……ちょっとだけ」
私は紅茶のカップを受け取る。はちみつを垂らしたハーブティ。後味がさっぱりしている。
献上品チェックは、途中、簡単な昼食を挟んで夕方近くまで続いた。
それだけ、数が多かったという事だ。
手織りが主であるこちらでは布は高価なものなので一財産だ。
「そういえば、アクセサリーとかなかったね?」
「そういった装飾品を本格的に着用するのは、花冠の儀以降になります。妃殿下は次のお誕生日で花冠[の儀を行いますから、それ以降はきっとすごいですよ」
花冠[の儀というのは貴族の女の子の通過儀礼の一つ。貴族男性だと、これが帯剣[の儀となる。
基本的にこれは男女ともに13歳~16歳の誕生日に行われる。
この儀式が終わると貴族の子女は一人前とみなされるようになるの。
本来は父であるエルゼヴェルト公爵の手によって行われるものだが、私の場合は既に婚姻しているので夫であるナディル王太子が行うのだという。
「そうなんだ」
「妃殿下には、亡き母君と祖母君から受け継いだ宝飾品がたくさんあります。エフィニア王女のお母上は美貌で知られたリーフィッドの公女で、リーフィッドはそういった細工物で有名な国なんです」
だから、私の相続した品の中には大陸中に知られたような逸品が幾つかあるそうだ。
「管理は王太子殿下がなさっております。なまじこちらに置いておくことでそれを狙う賊が入るのは望ましくありませんから」
「なるほど」
「エフィニア様やアマリナ王妃のティアラもございますが、妃殿下が花冠[の儀で使うティアラは、当然、王太子殿下がリーフィッドに注文済です」
「生花の花冠[じゃないの?」
「それは貴族の娘の場合です。妃殿下はディアでらっしゃいますから、花冠[の儀のティアラは銀で作ったものになります」
「へえ……。でも、13歳ってちょっと早くない?」
儀式が許される年齢ぎりぎりだ。
「妃殿下の場合、正式な結婚の儀を早く執り行いたいと誰もが思っておりますから、仕方がないですわ」
王太子殿下のご意向もありますから、というリリアの言葉に私もうなづく。
私達は、ナディル殿下の意向に逆らう事はできない。いや、逆らう何かがあるわけでもないんだけど。
命を狙われているらしいことをのぞけば、私は恵まれているのだ。経済的にも、その他の意味でも。
その大半が、王太子妃であるということに起因している。
まあ、私はエルゼヴェルトの暫定相続人であるから、何がなんでもすべて従わなきゃいけないっていうわけでもないけれど。
「姫さま、こちらの果実酒やハチミツなんかは厨房に届けてきますね」
アリスたちは、お菓子は好きだが、その原材料にはあまり興味がないらしい。
「待った。それ、残して」
「え?」
「それと、そっちの小部屋を作業部屋にして欲しいの」
「妃殿下?」
リリアが首を傾げる。
隣には日常的にはあまり使っていないけれど、来客があれば必要になるかもしれない椅子などを置いてある小部屋がある。
「大きいテーブルは残していいから、絵とか椅子だけどこか別の場所にやって、あと絨毯も外してしまって」
「妃殿下、何を?」
「せっかくだから、お菓子作る時の作業部屋作ろうと思って……いつもそうじが大変でしょ。気をつけてるけどどうしたって粉は舞うし……絨毯のない場所があればいいなって思ってたの」
王太子妃宮には台所がちゃんとあったそうだけど、以前、やはり毒殺未遂事件だか何だかがあって閉鎖され、潰してしまったらしい。
せめて作業場だけでもあったら、だいぶ楽だなって思ってた。ちょっとした食品庫も兼ねて。
シロップ漬けとか酢漬けとか作れるし……庭にベリーがなってるところがあるってシュターゼン伯爵が教えてくれたの。ジャムだって作りたい。
「ねえ、リリア。また今度、お菓子焼いてもいいでしょう?伯爵たちや皆に差し入れしたいわ、ついでに王太子殿下にも」
私はにっこりと笑う。王太子殿下って言っておけば、リリアは反対しないだろうという読みがある。
「………………………妃殿下、その場合は、王太子殿下に差し入れをしたいとおっしゃって下さいませ。主客が転倒しております」
王太子殿下が優先に決まってるじゃないですか!と文句を言われてしまった。
「はーい」
そうか、王太子殿下をついでにしたらいけないのか。気をつけよう。
「騎士達に手伝いを頼んで、妃殿下のおっしゃるようになさい」
リリアが皆に言いつける。
「「「はい」」」
三人は乗り気な顔でうなづく。絨毯の掃除は大変だもんね。
「妃殿下」
「はい?」
改まった口調で呼ばれた。……何もしてないよね?私。
最近、容赦ないんだよ、リリア。
覚えていないせいで時々とんでもないことする私が悪いんだけど。
「……妃殿下は、王太子殿下のことをどう思われてますか?」
「どういう意味?」
「お好きですか?ということです」
「好き嫌いを言うほど知らないわ。……でも、別に積極的に嫌いじゃない。恐かったけど」
うん。案外いい人かな~とか思ってるよ。
以外にかわいいとこあるかなって。
……底知れないところがあって、それがひっかかるけど。
「怖くても嫌いではないんですか?」
「うん」
怖いのはわからないから。
彼の空っぽの笑みとあの眼差しの理由を。
私は、彼をほとんど知らない。
「……どうして、そんなことを?」
「いえ。妃殿下にはできれば王太子殿下と良好な関係を築いていただきたいと思っておりますので……」
「それは勿論だわ。夫婦だし」
離婚とか認められないと思うのよ。基本的に。
だったら、関係が良好の方がいいにきまってる。
それに、思いっきり打算的で申し訳ないのだけど、私がここで安全に暮らせているのは王太子殿下のおかげなのだ。彼の庇護下にあるからこその安全であり、日常生活だ。これを失うわけにはいかない。
「積極的に殿下と共に過ごす機会を設けていただきたいのです」
「……なぜ?」
「平たく言ってしまえば、王太子殿下のお心を掴んでくださいということです。それが妃殿下の安全確率をあげるので」
「………………今以上に?」
今だって充分守られてると思う。
「義務と積極的な意志との間には違いがあると思いませんか?」
「確かに」
それはそうだ。
「それに王太子殿下と仲良くなることでデメリットはないと思うんです」
「うん」
なんでもメリット・デメリットで考えるのは世知辛いけど、リリアの言う事はよくわかる。
「あと、こう言うと何ですけど……何かの動きがあるかもしれません」
リリアは後半を声を潜めて囁く。
「こちらに戻って、これといったことは何もおこっておりません。……そもそも、これまでも宮内では、姫さまの身を直接傷つけるようなことは何もできていなんです」
「……そうなんだ」
「まあ、他にもいろいろな理由はあります。けれど、結局のところは妃殿下に幸せになってほしいと私は考えておりますので」
「しあわせ……?」
「はい。妃殿下は、別の男性を選ぶ事ができませんから……」
そうだね。
政治的な理由でやむをえない限り、離婚はないだろうし。
「……そうはいっても、できることは少ないよね」
子供だから、せまるってわけにもいかないしね。
「今の妃殿下に夜這いは無理ですし、王太子殿下はお酒に強いから酔わせてどうこうでもきませんし……」
「ムリ、ムリ、絶対ムリ」
リリアさん、恐い事考えないで下さい。それ、私には無理だから。年齢的な問題とかじゃなく、スキル的に。
「王太子殿下は迫られた時は、シラけた顔で痴態を見るような表情でご覧になるか、あの絶対零度の眼差しで一刀両断するか、にこやかな笑みを浮かべて対応しながら冷たいお言葉で切り捨てます」
「……どれもいや」
そもそも、手練手管とか女の武器の使い方とか………………私にはそんな能力のもちあわせがないよ。
「………私に出来る事って言ったら、一つだけでしょう」
そう。一つだけ。
「お料理、ですか?」
「うん。まずは、毎日、おやつの差し入れでもしようかと」
うれしいな、リリア公認で毎日おやつが作れるぞ。
「……王太子殿下の為ですからね。護衛のためでも、侍女のためでも、ましてやご自身のためでもありませんからね」
「わかってます」
根にもってるなぁ、リリア。
こうして、極秘の『王太子殿下の餌付け作戦』……リリアに作戦名は絶対に口にしないよう念押された……は、スタートしたのだ。
2009.05.25 初出
2009.06.10 手直し
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ミッションスタート。やっとここまで来ました。やった。