<第7話>
永禄4年(1561年)
美濃を統一した信長はその本拠地を、尾張の清州城から美濃の岐阜城(稲葉山城より改名)に移す。
それと同時に既にあった尾張工廠より1/3の職人を引き抜き、岐阜の城下町に新たに岐阜工廠を建てた。
現在のフリントロック式小銃の月産は約12丁。
職人を2ヶ所に分けた事もあり生産が軌道に乗るのはもう少し後の事になるだろう。
また、信長は領地が尾張・美濃・伊勢・志摩にまで広がった事で本格的な商業政策に乗り出す。
以前から順次、治水工事には取り掛かってはいたが、これまではまだ大規模な道路の整備はしてこなかった。
それは万が一敵が侵攻してきた場合、それを利用されてしまうからである。
特に領国が尾張1国だけの時では、東から今川家、北からは斉藤家という具合に各所からの圧力が掛っている内は怖くてできなかったのだ。
しかし現在では東には松平家という防壁がある。
さらにこれよりは守勢では無く攻勢を中心とした戦略を採る為、織田家全領地で一斉に道路の整備が始まったのだ。
4ヶ国の各拠点及び各港を幅の広い道路で繋げ、物流を促進する。
元々この4ヶ国は中世日本においては比較的経済規模の大きな国々に当たる。
尾張・美濃共、交通の要所にあり、また美濃は斉藤道三の長年の卓越した商業政策により日本有数と言われるほどに経済を発展させてきた。
また尾張・伊勢には良港があり、さらに伊勢神宮等もある。
それに加え、道路の整備に合わせて関所を全廃し、また港も整備していく。
特に関所の撤廃は大きい。
例えば具体的な例であるがこの時期、京~大阪間にはなんと500以上もの関所があったと言われている。もちろん一個一個通る度にお金を支払わなければならないのだ。
これでは経済が発展する訳が無い。
この関所の撤廃は商人・一般民衆より拍手喝采を持って迎えられたのである。
こうした政策により織田家の領内においては右肩上がりに年々経済規模が大きくなっており、莫大な税収を織田家にもたらしていた。
さらに織田家の税収の大きな支えになっているのが、信長の指示によって増産されている木綿である。
木綿は衣類に最適な材質であり、現在需要に対して供給がまったく追い付いていない状況である為、織田家で生産されている木綿は生産する端から飛ぶように売れていたのだ。
その状況を受けて元から生産していた尾張ではさらに大規模に、また新たに美濃・伊勢でも生産が始まっている。
前記の道路・港湾整備と関所の全廃とを合わせて日本全国から商人・南蛮人が集まってきており、その整備された名古屋港・津港・鳥羽港などは急速な発展を遂げており、今や堺や博多に追い付き追い越せの勢いで日々邁進していた。
そもそも港というのは流通の要である。
当然の事ではあるが、港そのものに生産能力があるわけでは無い。
直結する経済圏から物資を吸い上げ、それを違う経済圏に輸出する、又は違う経済圏から物資を入れ、それを直結する経済圏に吐き出す。
それが貿易という経済活動である。
この時代にある堺港を例に挙げていうと、堺港と直結する経済圏というのは畿内経済圏の事だ。
畿内各地から物資を集め、それを他の経済圏に持って行く事で利益を上げる。逆もあり他の経済圏から物資を持ってきて畿内経済圏で売って利益を上げる。
もちろんこれはある1側面の話しでありもっと複雑な話しはあるが、原始的な貿易の原理はこれである(特に陸路の交通手段が馬車までのような貧弱な時代での話)
織田家が整備した港が発展したのも簡単な理由である。
各港とも尾張・美濃・伊勢等の大きな経済圏をもっており、元々からある程度の流通、ある程度の規模の港は勿論あった。
それが織田家という一つの勢力によって統一された事により、簡単に言えば動き易くなったのである。
道路の整備、関所の全廃などもそれを強力に後押しした。
特に往路の安全・自由になったというのは大きな要因である。
さらには木綿という所謂、人気商品があった事と織田家が鉄を渇望した事。
結果、今までは陸路堺港まで輸送していたような物も織田家の各港を経由するようになった。条件がほぼ同じであれば、ようは堺と織田家の港、どっちが近いかだけである。
こうして織田家の各港は年々その規模を大きくし、発展を続けていた。
現在では輸入も安定しており、鉄についても十分な量が織田家に供給されている。
信長は内政に並行するように外政や人材発掘にも力を入れていた。
外交についてはまずは東の美濃と国境を接する武田家。
武田家については事あるごとに贈物を送り、極力友好的な関係を保てるように努力している。
現在ではまずは友好国といっていいような状態であり、武田家が上洛を目指すような状態になるまでは攻めてくるような事はないだろう。
続いて北近江の浅井家。
浅井家とは、史実通り同盟を結んだ。
但し、お市の方の輿入れを前提とした婚姻同盟では無く、通常の同盟である。
これの詳細については後に記述する。
それ以外の畿内の諸大名については攻撃対象になる為、こちらからは特に何も働きかけていなかった。
ついでに記載するが、史実であったような上洛しての足利義輝への謁見なども行ってはいない。
信長はこの足利将軍家についてはある腹案があり、こちらからの接触は一切行っていないのである。
続いて同時に行っている人材の掘り起こしだ。
すでに伊勢、近江等で藤堂高虎・田中吉政などの後に勇名をはせる者たちを他家に仕官する前に召し抱える事に成功している。
また本日も遠方、遠江の国より新規に召抱える者との謁見が行われていた。
「信長様におかれましては、我が非才の身にかかわらず、此の度、お取立て頂きまして誠にありがとう御座います。」
言上と共に信長に平伏する者の名は井伊直虎。
後の世に徳川四天王の内の一人、井伊の赤備えの勇名で知られる井伊直政の伯母である。
直虎という男名であるが、れっきとした女性だ。
この井伊直虎の生涯はまさに波乱万丈だと言えるだろう。
まずはこの女性の史実での歩みを御説明させて頂く。
井伊直虎は今川家に仕えるに井伊谷城領主、井伊本家の娘である。
しかし井伊家当主である父・井伊直盛に男子が産まれず、親戚筋である井伊直満の子・井伊直親を当主とする為の縁組みとして幼くしてその直親と許婚となった。
幼名は次郎法師。まさしくその為に名付けられた名前である。
しかし、天文13年(1544年)にまず第一の悲劇が起こった。
許婚・直親の父親・井伊直満が小野道高(政直)という人物の讒言により、今川義元の命令によって自害させられたのである。
もちろんこれは小野道高の謀略であり、井伊直満は潔白の身であった。
その事件の余波を受け、直虎の許婚であった井伊直親は信濃に逃亡。
弘治元年(1555年)に今川家に帰参を許されるまでは信濃にいたのである。
しかしその帰参する間に井伊直親は事もあろうか、この逃亡期間中に世話になった者の娘を正室に迎え、婚儀を済ませてしまっていたのだ。
それゆえ直虎との婚約は破棄される。
史実ではこの後、井伊直虎は生涯未婚であった。
さらなる第二の悲劇は桶狭間の戦いで起こる。
今川家の総力を上げて行ったこの戦いに当然、今川家家臣であった父・井伊直盛も出陣。
しかしその桶狭間での大敗により、その時本陣にいた井伊直盛は討ち死に。
そして井伊本家に他に男子がいなかった為、その跡目を元許婚であった井伊直親が受け継いだのである。
しかし悲劇はまだ終わらない。
今度は小野道高の子・小野道好によって再度、主君・今川氏真に讒言を行われたのだ。その結果、氏真の命令を受けた朝比奈泰朝の手によって井伊直親は斬首されたのである。
これも同じく井伊直親は潔白であった。
今回も小野道好の謀略である。
また、直虎の曽祖父の井伊直平が今川家・引間城城主の飯尾連竜の妻、お田鶴の方に毒茶を呑まされ、同じく謀殺された。
つまりは井伊一族は、その一族のことごとくを主であるはずの今川家の手によって殺されたのである。
跡を継ぐべき井伊直親の息子・虎松(後の井伊直政)は、この時まだ産まれたばかりであった為、井伊家当主には一族に唯一残った井伊直虎が女性の身ではあったが就任した。
虎松(井伊直政)はその直虎の養子となり次代の当主となるという扱いである。
しかしその後、所領である井伊谷城すらも小野道好に横領され井伊家は一旦、滅亡。
井伊家の面々は今川家の追手に命を狙われ、逃亡生活を送る事となったのだ。
その後、井伊家は天正3年(1575年)に井伊直政が徳川家に召抱えられ、御家再興を果たすまで延々と不遇を強いられたのである。
この世界では井伊直虎が当主に就任した時点で信長の命令によって間者が井伊家に接触。
織田家に召抱えられたという訳である。
元々、所領を小野道好に奪われていたので井伊家にとっても渡りに船であった。故(ゆえ)に話しはすぐに纏まった。
井伊家には美濃において代替え地が与えられた。
所領を小野道好に奪われ、まさしく塗炭の苦しみを味合わされていた井伊家の者達にとって、その織田信長の厚遇はまさに地獄で仏にあったような物である。
井伊家の者達は皆、涙を流して喜び、その受けた恩を返さんと今日ここまでやって来ていたのだ。
信長が井伊直虎に会うのは今日が初めてである。
信長にとって今回の井伊家召抱えの目的は、まず一つに将来有名をはせる井伊直政を召抱える事だ。
徳川家随一の忠臣であり、あの毛利家の小早川隆景が「天下を獲れる器量を持っている」と評したほどの名将である。
ただ本人はそんな物に驕らず、その死の直後まで一途に徳川家への忠義を貫き通した忠臣だ。
そんな良将である井伊直政を今の内に織田家に吸収し、活用しようというのが一の理由。
二つ目の理由が徳川家の弱体化である。
別に徳川家と戦うつもりは無いが、このまま放置していたらまず間違いなく徳川家に召抱えられるだろう。
徳川家内で特に家康の信任が厚く、数少ない外交が行える将であった直政がいなくなれば徳川家は難渋するであろうとのちょっとした意地悪であった。
「美しい」 それが井伊直虎を見て信長が最初に思った感想である。
直虎の歳は今年で25歳。女装束では無く男装束で信長の前で平伏していた。
凛とした雰囲気を持ち、艶やかな長い黒髪を現代でいうポニーテール風に結っている、容姿端麗な美人であった。
その美貌は流石、直政の伯母であると思わせる物である。
(注 井伊直政は容姿端麗な事で有名で、衆道にまったく興味が無かった家康が生涯で唯一愛した男性であったといわれている)
そのような美貌と凛とした雰囲気を持つ直虎に、信長は思わず見惚れていまう。
「うむっ、いや、何、今川家の無体な扱いに我慢できなかっただけよ。以後は我が織田家でよう働いてくれ」
「はい! ありがたき幸せに御座います!」
「それはそうと直虎よ。亡き直親の子供はまだまだ幼いと聞く。何かと大変であろう。ワシにも幼い子がおる。一緒に我が室に手伝わせようぞ」
「はっ!? いや、しかしそこまで御面倒をおかけする訳には……」
「なに、気にするな。我が家臣の子は我が子も同然よ。誰か、誰かある! 帰蝶達を呼んでまいれ!」
信長はそう言うとすぐに近従に命じて妻子達を呼ぶ。
ひたすら恐縮する直虎を前に、少し時間を置いて目的の人物達がやってきた。
「はじめまして直虎様。信長様正室の帰蝶です。よろしくお願いいたしますね」
「はじめまして、信長様側室の市です。よろしくお願い致します。」
「き、きみょうです! は、はじめまして!」
入室してきたのはまず信長正室の帰蝶(濃姫 以後帰蝶で統一)
それに信長の側室である市姫。そう、本来では浅井長政の正室であった市はこの世界では信長の側室となっていたのだ。
帰蝶は豊満で女性としての魅力に溢れる艶やかな女性。
市姫はこの時代の女性にしては背が高くスレンダーである。現代風に言うとモデル体型のすらりとした魅力的な女性だ。
ちなみに市は信長の従兄妹であり、妹では無い。
(注 市の産まれについては諸説あり、信長の妹であるというのが一番有力であるが、この物語では従兄妹説とします)
そして最後に信長嫡男の奇妙丸(後の信忠 現在4歳)
ちなみに奇妙丸の生母は市姫だ。
この信長一家の家族中は極めて良好である。
現代人的な思考を持った信長は戦国時代の冷淡な家族関係(子育ては全部人任せ等)に 「害にしかならない」 と判断を下し、積極的に子育てに参加しているのだ。
食事等も家族全員で取ったり、一緒に寝たりしており、実に細やかな気配りを行っている。
まあ、単にただの子煩悩と言われればその通りなのではあるが。実際に巷では信長は子煩悩大将などと呼ばれていた。
「おう、奇妙、よう挨拶できたな。偉いぞ。偉いぞ」
「えへへ。」
信長はちゃんと挨拶のできた奇妙丸をヒザに乗せ、抱きかかえ頭を撫でながら褒めてやる。それに嬉しそうに満面の笑顔を見せる奇妙丸。
直虎はそんな光景を面食らった様に、しかし眩しそうにただ眺めてている。
それに少し遅れて、未だ赤ん坊である虎松(後の井伊直政 現在1歳)が連れられてくる。
「わあ、かわいい子ですね」
「本当ですね。それに小さい頃の奇妙にそっくりです」
その可愛い赤ん坊に早速、帰蝶と市が反応し抱きかかえる。
「帰蝶に市よ。奇妙と一緒に虎松の面倒を見てやってくれぬか?」
「ええ。こんな可愛い子なら大歓迎です。おまかせ下さい」
こうして虎松は信忠と一緒に育てられる事となった。
正直な所、最初直虎は虎松が織田家に人質に取られたのだと思ったのである。
それは別にこの時代では珍しい事では無かったし、新参者の身だ。それも仕方ないとは思った。
だがそれもすぐに勘違いだと気づく。
信長の妻達は本当に親身に虎松の面倒を見てくれるし、自分が虎松をどこに連れていくのも自由だ。
それに信長自身が自分の子供である奇妙丸と同等に虎松を扱ってくれている。
直虎は今、本当に織田家に来てよかったと心の底から感謝していた。
直虎は思う。
思えば織田家に主を変えるという決断は、大変な困難とそして苦痛を伴う決断であった、と。
一族のことごとくを殺された旧主・今川家にそのまま忠誠を尽くすという選択肢はもはや無い。
しかし先祖伝来の土地を小野道好に奪われたとて、そこから離れるという選択肢はまさしく苦渋の決断だったのである。
それに織田家に対して思う所が無かったかと言うとそれは嘘になる。
なにせ桶狭間の戦いで当主であった父・井伊直盛を織田家に討ち取られているのだ。
だが、それは武士の習い。それに攻め込んだのは今川家の方である。
いまさら言ってもしょうがない事だ。
さらに信長様は討ち取った首を晒さずに返還するという好意を示してくれたのである。
ならば我等はこれ以上恨むのもやめようと思った。
そして実際に織田家にきてみれば信長様は想像以上というか、常識外れな程、自分達によ良くしてくれる。
それに奇妙丸様や虎松を可愛がる信長様は、今まで自分が会った事のある粗野な男達と本当に同じ男という生き物なのかと疑う程、違っていた。
思えば、自分は産まれてすぐに、今は亡き井伊直親の許婚となった。
だがあろう事かその直親は他の者と婚儀を挙げたのだ。婚約を破棄された自分のなんと惨めな事であったか。
この時に自分は生涯、男と結婚などせずに純潔なまま死んでゆこうと誓った。
だが今自分はその誓いに反して、信長様に強く惹かれているのにはっきりと気づいている。
信長様に虎(最近は虎と御呼び下さる)と呼ばれるたびに心の臓が跳ね上がる。
信長様が触れて下さると頬が燃えるように熱くなるのが自覚できる。
信長様が虎松を可愛がってくれるその時の笑顔に、身体が締め付けられる程疼いてしまう。
信長様のその優しさにふれるたびに何度も何度も惚れ直す。
だが信長様は我が主君。結局は諦めないといけない恋心なのであろう。
ただただこの思いを我が胸に静かに収め、信長様の御為に全力で忠勤をはたそうと思う。
そういう思いを直虎は静かに心に深く沈めていく。
しかし結局の所、そのような直虎の思いは帰蝶や市にはバレバレだったのである。
その傍から見たら物凄い判り易いその直虎の秘めた思いの為に、ここ最近で実に仲良くなっていた帰蝶に市が動いた。
帰蝶に市の暗躍があり、色々な紆余曲折を経て半年後、直虎は信長の二人目の側室に上がる事となるのである。
<後書き>
市姫は信長の側室に。さらには井伊直虎も同じく。
市は元から考えてました。ただもう一人ぐらいほしいなと思っていた所、様々な事を調べている内に井伊直虎という人物にぶち当たりました。
こんな人物がいたのだと驚きました。
井伊直政の事はある程度知ってはいましたが、井伊家がこんな悲劇の家だったとは。
ぜひ、この物語りでは幸せになって頂きたいものだと思い、結局このような形になりました。
後、物語の展開上、信長の子供の生年が少しずれております。御了承下さい。
PS:男しかでていなかったこの物語ではじめての女性登場。しかし書いていて理解した事が一つ。
作者に萌えとかそういう類の物は書けそうにありません。なのでこの三人についてはあまり登場機会は無いと思います。
いつか力量が上がり、外伝的な物が書ければとは思いますが…。
また次話からはいつも通りになると思います。