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No.8512の一覧
[0] 日出ずる国の興隆 第六天魔王再生記 <仮想戦記>[Ika](2010/03/19 22:49)
[1] 第1話[Ika](2009/10/26 02:15)
[2] 第2話[Ika](2009/10/26 02:21)
[3] 第3話[Ika](2009/09/20 17:54)
[4] 第4話[Ika](2009/09/21 00:24)
[5] 第5話[Ika](2009/09/27 15:48)
[6] 第6話[Ika](2009/10/03 01:03)
[7] 第7話[Ika](2009/10/10 02:52)
[8] 第8話[Ika](2009/10/15 02:22)
[9] 第9話[Ika](2009/11/03 23:38)
[10] 第10話[Ika](2009/11/09 01:36)
[11] 第11話[Ika](2009/11/15 17:37)
[12] 第12話[Ika](2009/12/06 19:17)
[13] 第13話[Ika](2009/10/26 02:05)
[14] 第14話[Ika](2009/11/01 17:19)
[15] 第15話[Ika](2010/01/27 02:52)
[16] 第16話[Ika](2010/03/24 02:33)
[17] 第17話[Ika](2009/07/06 03:14)
[18] 第18話[Ika](2009/07/19 21:44)
[19] 第19話[Ika](2009/07/19 21:39)
[20] 第20話[Ika](2009/08/10 01:09)
[21] 第21話[Ika](2009/08/16 17:55)
[22] 第22話[Ika](2009/08/23 19:18)
[23] 第23話[Ika](2009/08/23 19:16)
[24] 第24話[Ika](2009/09/21 17:09)
[25] 第25話[Ika](2009/10/15 02:11)
[26] 第26話[Ika](2009/10/10 02:44)
[27] 第27話[Ika](2009/10/11 19:23)
[28] 第28話[Ika](2009/10/18 19:21)
[29] 第29話[Ika](2010/01/17 20:08)
[30] 第30話[Ika](2010/01/12 02:27)
[31] 第31話[Ika](2010/03/19 22:12)
[32] 第32話[Ika](2010/03/28 22:36)
[33] 第33話[Ika](2010/05/23 15:07)
[34] 第34話[Ika](2010/07/11 17:21)
[35] 第35話[Ika](2010/09/27 19:30)
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[8512] 第33話
Name: Ika◆b42da0e3 ID:233c190d 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/05/23 15:07







 <第33話>



 百地丹波により突然もたらされたその極めつけの凶報は、その場にいる全ての者に途轍もない衝撃を与えた。

 「た、たわけぃ! 家康殿が我等を裏切るものかっ!? 何かの間違いであろうが!?」

 「詳細は判りませぬが、三つ葉葵の旗印の軍勢が動いておるのは事実にございまする! 急ぎお引きを!」

 森可成(もりよしなり)の、まるで嘘だと言ってくれとも言わんばかりのその怒号の如き叫び声に、息も絶え絶えな百地丹波が答える。
 その報せに信長のみならず、その場にいた者達全てが多いに戸惑った。
 徳川家が何故? 今のこの情勢で、それはありえぬ…。皆がその疑問を頭に思い浮かべ、そして狼狽する。
 しかし、逸早く浮つく心を抑え、皆に指示を飛ばしたのは、既に精神年齢は老境の域に達しようという信長であった。信長は皆を落ち着ける為に咆哮する。

 「落ち付けぃ! 事の詮議は後にせよ! すぐにこの場より退くぞ! 重き荷はこの場に全て打ち捨てよ! 我等これより岐阜まで一気に駆け戻る! 急ぎ支度すべし!」

 いきなりの徳川勢襲来の報に狼狽していた者達は、その自らの大将である信長のその姿、その毅然とした対応に落ち着きを取り戻す。
 すぐに指示された事を実行に移す為に駆けだして行く。一気に騒がしくなった陣中において、信長はさらなる指示を下す。

 「可成! 丹波!」

 「はっ!」
 「ははっ!」

 信長のその呼び声に、すぐ傍らに居た二人がすぐさま答える。

 「可成、主(ぬし)に殿(しんがり)を命ずる! お主の命、ワシが貰い受けた!」

 「…ッ!? ははぁっ! 武人としての、これ以上無き名誉也! しかと受け賜りました! 必ずや成し遂げて御覧に見せまする!」

 「嫡男である可隆(よしたか)は我等と同道させよ! 共に岐阜まで退かせようぞ!」

 「否! 御気遣いは無用に願いまする! 拙者にはまだ長可(ながよし)、蘭丸を始め、多くの男子がおりまする! 可隆は森家嫡男として、共にこの場にて戦い抜く所存!」

 「……で、あるか! 見事也! なれば後は頼んだぞ、可成!」

 「なんの、これしき。信長様はただ我等に死せよ、と御命じ下さいませ。それだけで死ぬるには十分で御座る。信長様。我等、武運拙く死した時は、長可を筆頭とした我が森家の事、よろしく御願い申し上げまする」

 「委細承知。後の事は全て任せよ」

 信長は森可成に時間稼ぎの為の殿(しんがり)の任を命ずる。その途轍も無い危険な任務に、なんら恐れる事無く可成は嬉嬉として応じた。
 信長の、嫡男可隆は共に逃がそうとの心遣いも謝辞し、すでに戦い死ぬ覚悟を固めている。
 しかし、危急の折、それに元は鷹狩りの為にこの場に来ているのだ。皆、それほど重武装という程では無い。
 狩衣姿がほとんどであり、具足を近従に持たせているのは位の高い者ぐらいである。勢子達も比較的軽装だ。完全に武装しているのは護衛役の者達ぐらいである。
 そのような状況下でありながらも、可成はすぐに防戦の為の準備をさせ始めた。森家の者達を中心に、勢子達の中から戦える者達を選び出し、退く者達の不要になる武器具足などを受け取り武装させた総数五百名。それが戦力の全てだ。
 それ以外の者は信長に同道させて撤退させる。

 「続いて丹波! お主は急ぎ別路で退き、情報収集を行え! 此度の顛末、状況! 一体何が起こったのか!? 家康が我等に歯向うとは如何しても思えん! 情報を掻き集めよ!」

 「畏まりました!」

 次に信長は百地丹波に、今回の事の詳細を調べるように命令を下す。現状で言えば、未だ織田信長は今回の件について、何一つ正確な情報を持っていない。
 誰が攻めて来ているのか?  その数は? 何故攻めたのか、その理由は? 徳川家康の真意は? 本当に徳川家が織田家との同盟を破棄し、攻めてきたのか? もしかしたら他に黒幕が存在するのであろうか?
 それらの情報を最優先で掻き集めねばならないのだ。
 そしてその必要な指示を全て出し終えた信長は、行動を開始する。

 「者共、続けい! 後ろは一切、気にするな! 必ず殿(しんがり)の森勢が敵勢を喰い止める故、唯々一心不乱に岐阜城まで駆け抜けよ! 余に続けぃ!」

 「応おう!」

 信長はその指示を下すやいなや、自ら先頭にたって物凄い勢いで馬を走らせ始めた。それに馬廻り衆や小姓達が必死で付いて行く。
 そして後に残る可成は殿(しんがり)の任を全うする為に、今出来る限りの精一杯の準備を整える為に、同じく行動を開始する。

 「よし、これより出来得る限りの準備を致すぞ! まずは物見を出せぃ! 向かってくる軍勢の情報を少しでも多く掻き集めるのじゃ! それ以外の者は道路の封鎖、陣地造りを行う! この道路を通しさえしなければ、彼奴らはけして信長様の後は追えぬ! さすれば我等の任務は達成である! すぐさまかかれぃ!」

 その指示に従い、皆がすぐさま行動を開始した。
 遺言めいた言葉を信長に残した可成ではあるが、むざむざと死ぬつもりは無い。危険極まりない今回の任務ではあるが、生存を完全に諦めた訳でも無い。死は覚悟しているが、あわよくば勝利して生きて帰るつもりでもあるのだ。その為に出来得る限りの手は打っておくのである。

 そして森勢は道路を封鎖する形で、尾張・小牧山に布陣し、向かって来る、恐らく徳川勢であろう正体不明の軍勢を待ち構える準備を整えた。
















 <尾張・三河国境 徳川軍>


 「お待ち下さいませ! 若、どうか、どうかお考え直しを!」

 立派な甲冑を着こみ、軍の先頭を走る若武者に対して、追い縋るように馬を走らせる壮年の男、平岩親吉(ひらいわちかよし)が懇願するかの如く、何度も何度も声を掛ける。
 しかしそれに対する若武者、徳川信康の対応は極めて素っ気無い物であった。信康はその平岩親吉の言葉を切って捨てる。

 「五月蠅いわっ! 付いて来たくなくば、すぐさま踵(きびす)を返し、取って返せぃ! 戦えぬ臆病者は不要じゃ!」

 「否! 若の傅役(もりやく)として、若が道を誤れば、それを正すのが拙者の勤め! 退けませぬ! 止めませぬ! 何卒、このような暴挙は思い留まって下さいませ!」

 「何が暴挙じゃ! これは非道を繰り返す信長への、言わば正義の鉄鎚! 即ち義戦也! その正義を理解出来ぬ者は不要である! 我に付いてこれる者だけが付いて来れば良し!」





 事の起こりは今日の朝の事であった。三河各地の徳川家の諸将は、岡崎城城主である徳川家嫡男・徳川信康の命令によって岡崎城に集められたのである。
 集められた者達は皆、不安そうに、あるいは訝(いぶか)しむ様子で、口々に小声で話し合いながら信康の事を待つ。
 その場はなんとも物騒な雰囲気に包まれていた。それもその筈、彼らは一様に具足甲冑に身を包んだ軍装だったのである。
 彼らは本日早朝、信康からの突然の命令を受け取った。曰く、危急の件にて、軍装にて急ぎ登城せよ、とである。命令を受けた彼らは取る物も取り敢えず、命令された通りに急ぎ登城。そして集まった、同様に完全武装した同僚達とこうして口々に話し合っていたのだ。
 『一体何事か?』
 それが彼らの共通した思いである。
 徳川家にとって、ここ三河の国は、言うなれば後方の地だ。甲斐・信濃・駿河と国境を面している最前線の地である遠江の国と違い、織田家と同盟を結んでいる現状においてここ三河の国はほぼ安全地帯。それ故、このような命令が出されたのは、あの武田信玄の西上作戦以来、初めての事である。
 もしかして誰ぞが攻めて来おったのか? いや、遠江で何か変事でも? もしかしたら浜松に居られる家康様の御身に何事かが? と、皆が想像できる範囲内でああでも無い、こうでも無いと、浮足立ち不安げにそれぞれが近くに居る者達と話しあう。
 彼らに今できる事と言えば、唯々呼び出した張本人である信康を待つ事のみである。

 そしてそれからしばらくして、ようやく信康が皆の前に姿を表した。
 その信康はというと、皆の前に立つと開口一番、とんでもない事を言い放ったのである。すなわち 「正義の為、大儀の為、不義を為す織田信長を討つ」 と。

 その言葉に集まった者達は唯々、唖然・呆然となる。
 一体全体、この若殿は何を言い出すのだ? と皆その意味を理解できない。

 当然ながら織田家は徳川家の同盟国である。それは当主である徳川家康が決めた事であるし、また現在の徳川家を取り巻く情勢を考えればそれは至極当然と言える。
 勿論、徳川家家中に織田家に対する不満が無い訳では無い。隣国の織田家が行う革新的な商業政策に、徳川家領内から少なくない数の商人・領民が流出し、打撃を受けているし、信康の言う織田の非道と言われるように比叡山や一向衆達に対する殲滅作戦にも反発はある。年々強大化する織田家に対する恐怖もあるのだ。
 だがしかしである、織田家には常日頃から様々な援助を受けているし、武田家に攻められた時はとんでもない数の援軍を送ってくれるだけに留まらず、長篠の決戦ではあの武田家を完膚なきまでに叩き潰したのだ。徳川家にとっては、唯一の、そして心強い同盟国である。多少の不満はあれど、逆にその強さを信頼もしている。
 その織田家に対して一体何故?
 皆は混乱した頭で必死に考えるが信康の言っている事がまったく欠片も理解できない。

 「若、何故そのような事を言われるのですか? あまりに突然の事すぎて、まったく得心がいきませぬ。織田様は我等の同盟国。何故その織田様と敵対せねばならぬのですか?」

 皆の疑問を代弁するかの如く、信康の傅役である平岩親吉が信康に問い掛けた。
 しかしその問い掛けに、信康では無くその側にいた信康側近衆であり、奥三河一帯の代官職を務める大賀弥四郎(おおがやしろう)という利発そうな、しかし何処か他人を軽んじるような雰囲気を持った男が答えを返す。

 「これは徳川家嫡男、徳川信康様が素晴らしき義心よりの御決断で御座る! これに異を唱えるは、武士の心根を持たぬ卑怯者だと言ってもよろしいでしょうぞ!」

 「黙れぃ! 貴様如きには聞いておらぬわ! 引っ込んでおれ! 若! 勿論今おっしゃっている事は家康様の認可を受けた上での事で御座いましょうな!?」

 親吉は戯けた事を話す弥四郎の言葉を一喝し切って捨てると、信康ににじり寄って事の次第を問い詰める。
 自身の発言を歯牙にも掛けられなかった、一種無視されたような形となった弥四郎と言えば、その屈辱に顔を歪めていた。
 だが親吉にはそんな事を気にしていられる余裕すら無かった。いくら信康が徳川家嫡男とは言え、こんな重大事を唯一人で決められる訳も無い。下手をすれば家を滅ぼす結果にもなりかねない重大事だ。それなのに大賀弥四郎の言葉から推察するに、如何も信康の独断という雰囲気である。
 徳川家の重臣としても、また信康の傅役としても、到底看過できぬ事態だ。
 しかし、何かの冗談だと言ってくれ、と願う親吉の内心の思いと反し、信康から返ってきた返答は親吉をさらに打ちのめす物であったのである。

 「親吉、此度のこの決断は私の独断である。父上などの指示などは必要ない。信長という逆心者に媚び諂う(こびへつらう)卑怯者になどついてはいけぬわ…。あきらかに間違った方向に進もうとする家の行く先を正すも嫡男としての勤め也。徳川家の正義を天下に示す為に私は立たざるを得ぬ、やらざるを得ぬのだ」

 「馬鹿な!? なんたる言い様ですかっ!?」
 
 その信康の言葉に親吉は愕然とした。元より親子間の仲は良くなかった家康と信康であったが、ここまでに悪化していたのか? と改めて驚愕させられた親吉。
 勿論、ここまで誰にも知られずに両者の仲が悪化したのには訳がある。裏でそうなるように糸を引いていた者達がいるのだ。それがこの大賀弥四郎、そして家康の正室・築山御前、そしてさらに大賀弥四郎に入れ知恵をし、裏から操った武田家の稀代の謀将、真田昌幸だったのである。

 全ては一年前に真田昌幸が大賀弥四郎に接触した事から始まった。
 この大賀弥四郎という人物、確かに優秀ではあったのだが、それ以上に我が強く、さらには自身の権勢・権力欲が極めて強く、自信が重く用いられない今の現状に大きな不満を持っていたのである。ちなみに客観的に見ればこの思いはただの逆恨みであり、むしろ奥三河一帯の代官職を任される程に厚く用いられたのであるが、それでも自身の身の丈を弁えずさらに多くを望む人物だったのだ。
 その鬱屈とした大賀弥四郎の気持ちに付け込み、昌幸が扇動したのである。あなたはこのような所で終わるような器では無い、と。
 弥四郎はその昌幸の扇動にすぐさま飛びついた。そして二人で今回の謀略を組み上げたのである。

 二人が目を付けたのは、この徳川家に元からあった、とある一つの亀裂であった。すなわち当主家康とその正室・築山御前、嫡男信康との不仲という名の亀裂である。
 まず家康と正室・築山御前との関係であるが、これは完全に冷え切っており、すでに完全に断絶していると言っても良い状態だ。
 元は家康が今川家の人質時代に押しつけられた嫁であり、また築山御前の方も所詮人質、と家康を軽く見ていたのである。当然の結果として両者の仲が上手く行く訳は無く、徳川家が今川家から独立した後には完全に別居状態となり、永禄13年(1570年)になるまでは岡崎城に入る事すら許されず、その郊外において事実上の幽閉状態にあったのだ。
 彼女は今川義元を討ち取った織田信長を憎悪しており、また今川家から離反した今の徳川家も憎々しく思っていたのである。さらに常日頃からその思いを誰に憚る事も無く公言するような女性だったのだ。

 徳川家にとってのさらなる悲劇、誤算はそのような人物達と嫡男信康が同じ所にいた事であったのである。
 信康は父親である家康とはほとんどの時間を別に過ごし、逆に常に廻りに居たのは母親である築山御前であり、三河の諸将だったのだ。
 これについては家康が後に嘆いている。曰く、健やかに育ってくれさえすればよいと思い自由に任せておったら、親を親とも思わぬ風に育ってしまった、と。

 常に傍らで母親が洩らす父・家康への不満・憎しみ、織田信長への憎悪。それらを聞きながら育った信康は反織田家、父親嫌いへと育ってしまったのである。
 ここらへんの事情は武田家の嫡男、武田義信と似ているかもしれない。夫婦間の不仲は子供へと伝達してしまう物なのだ。

 そしてこの部分を真田昌幸に付け込まれたのである。
 大賀弥四郎を抱き込み、築山御前に対しては減敬という唐人医師を送り込み、その者に築山御前を誑し込ませ、結果意のままに操る事に成功した昌幸は信康へと狙いを絞った。
 そして彼らは揃って信康に日々呟く。織田家の非道を。徳川家にとって今川家がどんなに大事な存在かを。さらには今の家康の方針に対する非難を。
 勿論これらの主張は極めて一方的で公正な視点を欠いた物ではあったのだが、繰り返し聞かされるそれらの情報を信康は信じたのである。否、洗脳されたと言い換えてもよいであろう。

 とにかくも、信康は若い内にありがちな潔癖的な正義感で持って、「自分が何とかしなければ」 と思いこんだ。その結果がこの騒動だったのである。
 徳川家にとっては、最悪にさらに最悪な事が重なった悲劇と言うべきか、はたまた真田昌幸の知略恐るべし、とでも言うべきであろうか……。少なくとも、信康を築山御前から引き離せていれば、若しくはどこかの段階で家康が信康の事を気にかけ、気付く事が出来ていたら、このような事にはならなかったであろうに……。

 だが、どちらにしろもう遅く、後の祭りである。悲劇の幕は上がってしまったのだ。







 信康は皆の前で声を張り上げる

 「織田信長の数々の所業、目に余る物、これ有り! 足利将軍家を蔑ろにし、あろう事かその領地を横領せし事、不届き千万也! また他国に侵略を繰り返し私利私欲の為に戦を繰り返し、幾多もの罪無き民を殺生し、尚且つ比叡山を焼き打ちにし、一向衆を殺戮しておる! これらの罪、断じて許せる物にあらず! 故に私は大義の為、正義の為、ここに立つ事を宣言する物也!」

 信康は自身の考える正義の主張を伝えようと大声で叫ぶ。しかし残念ながらそれに共感や賛同という反応は返ってこなかった。
 突然そんな事を聞かされた者達の反応と言えば一様にただ一つ、困惑のみである。

 この場に集まった三河の諸将達にとって、信康の主張はどうでも良い事の塊であった。
 まず足利将軍家の事であるが、それこそそんな事は徳川家にとってはなんの関係の無い話しである。彼らの中では室町幕府などとうの昔に滅んでいるのだ。
 次に他国への侵略云々であるが、それもこの戦国の世にあっては、いまさらな話しである。信康の主張は建前としては考える事はあっても、実際問題としては何の意味も無い考えなのだ。
 それを馬鹿正直に堂々と主張されても…。
 それが彼らの共通する思いであった。信康様は狂うたか? そうもすら思ってしまう。

 これまで織田家とは長年の同盟の契りあり、様々な交流や多大な援助も受けており、織田家に対する感情はけして悪くないのだ。特に史実であったような度重なる援軍要請が無い事や、逆に武田家侵攻の折、援軍を出してもらって助けられた事もあり、その好意という感情は一入(ひとしお)である。
 それ故、皆はただ沈黙するばかりであり、誰もその信康の言葉に応えようという者はいない。

 「どうした、皆の衆! 信康様のこの義挙に賛同できぬと言われるか!? 誰も彼もが武士としての魂すら持ち合わせておらぬのか!?」

 そのような場の雰囲気を見、大賀弥四郎が煽るように声を張り上げる。
 しかしそれは結果として逆に反感を受けるだけであった。

 「馬鹿を申すな! そのような事でみだりに兵を動かせるか!? 国政を何と心得るか!」

 「家康様の御命令であらばまだしも、これは明らかな越権行為で御座る! いくら嫡男の身分とは申せ、言うて良い事と、悪い事が御座いまするぞ!」

 関を切ったかの如く、皆が口々に反論を叫ぶ。
 だがそれらの状況にも信康は動じず、静かに話し始める。

 「ついて来たくない者は付いて来ずともよい。私の考えに賛同する者だけで良し。真に義心をその心の内に宿す者達のみで良いのだ。私の決意は何ら変わらぬ。此の後に及んでの問答は無用也。真の武士(もののふ)のみ我に続けぃ!」

 信康はそう言い放つ。そしてその言葉が終わると同時に、その言をそのまま行動に移し、部屋を出て行こうとする。
 それに慌てたのが平岩親吉を始めとした諸将だ。
 なんたる事を、この暴挙を止めねば御家が滅ぶ! その思いを胸に、信康を止める為に慌てて動き出す。

 「なんたる軽挙妄動か!? お待ち為されぃ! なりませぬ、なりませぬぞ! 徳川の御家を潰す御積もりか!?」

 「信康様を止めよ! この際、力尽くでも良い! 責任はこの石川数正が取る! 何としてでも止めよ! 取り押さえよ!」

 信康の後をまず平岩親吉が、そのすぐ後に石川数正が、必死に追いすがる。それに近従達や、呆然とどうすれば良いのか、と唯戸惑うばかりであった諸将達も続く。
 だが部屋を出てすぐの所で、それを邪魔する者達が現れた。信康とそれを追う者達の間に突然、十人程の具足姿の武士達が割って入ったのである。

 「無礼者共が! 何の真似じゃ! 下がれぃ!」

 「信康様の義挙に賛同する者だけが、この場より離れ信康様の後に続かれよ。それ以外の方はこの場に留まって頂く」

 親吉がその邪魔をする者達を厳しく一喝するが、彼らはそれにまったく動じずに序に刀を抜き放ち、信康が通り過ぎた後の通路を塞いでしまう。
 その相手の様子に、平岩親吉や石川数正の後に続いて来た者達も同じく刀を抜き放つ。

 「見た事の無い顔ばかりじゃ! 貴様ら、三河の者では無いな! さらに臭(くさ)い、独特の気配が匂うわっ! 武士では無し! もしや忍か!」

 抜いた刀を相手に向けつつ、親吉が鋭く誰何(すいか)する。しかし、それでも彼らは唯々無言のまま、微動だにしない。
 その様子を見た石川数正は同じく刀を相手に向けながら、親吉に話しかけた。

 「拙いな…。親吉、若の近従・側近として付けられた者達の中に忍びの者はおったか?」

 「おらぬ筈じゃ。もしおれば傅役のワシにも知らされておる筈。それに我が家の忍びは全て家康様の直卒也。さらに活動しているのは対武田・対北条家相手の筈。後背地の三河におる筈も無し…」

 「ならば他国より侵入した者共という可能性が高いな…。武田か、北条か、はたまた足利義昭か…。どちらにしても、あの愚か者めが! 敵国の謀略にまんまと引っ掛かったという訳か!」

 二人は僅かな情報源から、すぐさま事実を推測した。
 城中のこの奥深くの、軍議が行われる大広間まで入ってくる事が許されるのは、ほんの一握りの身分の者達だけである。それ故、護衛といった比較的身分の低い者と言えど、大抵の者とは顔見知りなのだ。なのに二人には、いや、それ以外の者達にとっても、今目の前で道を塞ぐ者達の顔を見た事が無い。
 さらには二人はこの者達より、何か不穏な雰囲気を感じた。それは理論的なものでは無い、唯の感である。
 しかしその推測は、驚くべき事に正鵠を得ていたのだ。実際、彼らは真田昌幸配下の武田家の忍びだったである。それを見抜いた二人は、流石は歴戦の将、とでも言うべき観察眼だ。
 この道を塞いだ忍び達の任務は、信康が織田軍に襲い掛かるまでの時間稼ぎの為の捨石。その任を彼らは愚直に果たす。

 「ここで時間を使ってはおられん! 親吉、この場はワシに任せよ! お主はその間に、この囲いを抜けだして若殿を追え! そして何としてでもその愚行を止めるのじゃ!」

 「おう、すまん! 承知した!」

 「徳川家の命運が掛かっておる! なんとしてでも諌めるのじゃ! 頼んだぞ!」

 数正はその言葉と共に、真っ先に忍び達の中に斬り込んで行く。数正配下の者達もすぐにそれに倣った。
 精強を誇る三河武士のつわもの達は何合も打ち合いながら、力尽くで彼らをぐいぐいと壁際まで押し込む。
 そして平岩親吉がそのできた隙間を走り抜けて行く。なんとかそれを邪魔しようと、忍び達が動こうとするが、目の前にいる者に抑え込まれてそれを果たせない。

 風のようにその場を走り抜け、突破した親吉はそのまま門を出るや、すぐさま自身の部隊を纏めて、信康の後を追い始める。
 しかし両者の間はこの一連のごたごたの間にも、かなり開いてしまっていた。
 足止めに加えて、元々準備していた信康の部隊と、不意の出撃となった平岩親吉の部隊、その差は歴然である。
 結局、親吉が信康に追い付いたのは、本当にぎりぎり、小牧山手前の所であった。

 「止まれー! 誰も動くで無いぞ! けして織田軍と戦火を交えてはならぬ!」

 追い付いた所で、信康の翻意を促そうとした親吉であったが、信康は何を言っても聞かない。
 そしてとうとう徳川軍は、小牧山に布陣する、森可成率いる織田殿(しんがり)部隊と対峙してしまったのだ。彼らもこの徳川軍に気付いて、すでに臨戦態勢である。
 その危機的状況に、なんとしてでもこの両軍を止めようと、親吉が一人声を張り上げていた。
 しかし信康はそんな親吉の努力も無視し、自身の考えのみを全てとし、愚行の引き金を引いてしまう。

 「親吉様! 若殿の部隊が動きだしました! 織田軍に真っ直ぐ向かっております!」

 「何と!? くそう! 軽挙妄動、ここに極まれり! 御家を滅ぼす気か!? 止めるぞ! 我が部隊を若の部隊と織田軍のと間に捩じ込んで両者の間の壁とし、その動きを止める! すぐに動けぃ!」

 「ははっ!」

 親吉の努力を嘲笑うかの如く、親吉が信康の元を少し離れたその隙に、信康が自身の部隊に突撃を命じたのだ。
 それを許さじ、とすぐに親吉の部隊が大きく前に出る。




 だがここでも親吉の努力を嘲笑うかの如く、両者の間に小さな齟齬が生まれ、それが悲劇へと繋がった。

 「鉄砲隊、放てー!」

 猛烈な勢いで信康軍と織田軍の間に割って入ろうとした親吉の部隊に、織田軍から鉄砲の斉射が加えられたのである。
 織田軍はその猛烈な勢いで突進してくる親吉の部隊を、自身への攻撃である、と誤認してしまったのだ。織田軍から見れば、目の前にいた徳川軍が二手に分かれて猛烈な勢いで突撃してきたように映ったのである。
 突如加えられたその織田軍の攻撃に、親吉の部隊は浮足立ってしまう。運悪く、その弾を受けてしまった者達がばたばたと薙ぎ倒された。
 その隙に、その傍らを信康の部隊がすり抜けて行く。

 そして次の瞬間には親吉の願い空しく、信康軍と織田軍の衝突、歴史に残る大事件、『小牧の戦い』の幕が、上がってしまったのである。







 <次話へ続く>











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