<第30話>
長篠の決戦より年が変わり、1573年。
元号が永禄から天正へと変わったこの年に、全国各地の織田軍の動きは、守勢から攻勢へと一斉に切り替わっていた。
まずは北方の、対朝倉家への備えとして置かれていた柴田勝家隊である。
信長より攻撃開始を命じられた柴田隊は関を切ったような勢いで朝倉領・越前の国に対して侵攻を開始。今までは守るだけしか許されず、その間に溜めに貯めた欝憤(うっぷん)を全て吐き出さんと、猛烈な勢いで朝倉軍に対して襲いかかったのである。
対する朝倉軍はそれに対応出来なかった。現在の朝倉家の当主は朝倉義景。元々この義景という男は放蕩の限りを尽し、一切の政務を顧みない男である。当然、軍務をも放棄し、唯々居城である一乗谷城に籠り、城下の民草の事を一切顧みずに日々、酒色に溺れるのみであった。
それ故、木ノ芽峠城に籠る織田軍を攻める朝倉軍の士気は奮わず、誰も彼もが積極的な攻勢を望まず、結果この地にてただ無意味な膠着状態が続いたのである。
そこにきて、この寝耳に水の突然の織田軍の大攻勢だ。
朝倉軍にとっては幾つもの悪い点が重なってしまったのである。
まず朝倉軍の士気そのものが極めて低かった事。
この木ノ芽峠城を一番最初に突破できなかった朝倉軍は、その後この城に対して積極的な攻勢は行わず、2回の信長包囲網時の出兵を通じてずっと単なる小競り合いに終始し、無意味な長対陣を行っていたのだ。故に目に見える成果は何も上がっていなかったのである。
これは実際に動員される兵達からすれば相手に勝って領土を奪えない、恩賞が期待できない戦である事を意味した。
この木ノ芽峠城は単なる防御拠点であり、近くに略奪をできるような村落も無い。それに元々は自国領である。あまり無茶な真似はできない。
それ故、彼らにとってこの戦は、ただ金が掛かるだけの無意味な戦いであり、それらが原因で士気低下の悪循環が起こったのである。
それに加えて長い間織田軍から反撃が無いとの事実。当主・朝倉義景の無責任ぶり。さらには敵対する相手が自勢力よりも数段規模の大きい強大な織田家という事もあり、織田軍の反撃が始まったころには誰も戦いたがらない、ただ城を攻める振りだけしていれば義理は果たしているとの意識が朝倉軍の兵士達全体に出来上がってしまったのである。
彼らは悪い意味でこの状況になれてしまい、また今度もいつも通りにだらだらと攻めて、またいつものように何事もなく撤退する物だと、勝手に思い込んでしまったのだ。
これは戦史の古今を問わず、膠着状態に陥った戦場で良くおこる士気の低下である。そのような状況下においては指揮官の力量、兵士達の質などが試された。
だが今回の朝倉軍にはそのどちらもが欠如していたのである。
それらの幾つもの悪い条件が重なった結果、木ノ芽峠城の前面に布陣していた朝倉軍は突然始まった織田・柴田隊の反撃にまったく対応が出来ず、敗北を喫したのだ。
いくら朝倉軍の指揮官達が必死に防戦を指示しようが兵達はそれに応じず、それ所か我先にと逃げ出したのである。
それは次々と朝倉軍各隊に連鎖し、この地にあった朝倉軍はたった一度の戦いで崩壊。各軍は散り散りとなってしまったのである。勿論、中には奮戦する者達もいたが、逆に織田に調略され裏切る諸将も出て、その奮戦に兵達がついてこず、結局は局地的な奮戦の後に次々と討ち死にしていった。
そしてそこからはまさしく呆気無い幕切れとなってしまう。たった一度の敗北で元より無かった朝倉義景の求心力は完全に消滅し、後はまさしく総崩れとなったのである。
急速に越前の名門・朝倉家の崩壊が始まる。義景は配下の国人衆達のことごとくから見限られ、敗北の後に軍の立てなおしを図ろうとする義景の元に参集してくる者はほぼ皆無であった。
急な織田軍の進撃に義景は結局の所、居城・一乗谷城すらも放棄し、流浪のすえ、最期は一門衆筆頭の朝倉景鏡に裏切られ自刃。
攻撃開始より僅か一月で名門朝倉家は滅びたのである。
続いて四国方面、三好家への攻撃だ。
こちらはこの年に新しく新設された方面軍で、指揮官には前田利家が抜擢され、堺の町を策源地に行動を開始。織田水軍の支援を受けて既に淡路島へと上陸を終え、その地にいた三好勢力を順次駆逐して廻ったのである。
度重なる畿内での敗北により国力を消耗している三好家は、この攻撃を支え切れずに早々に淡路島を放棄。これを失陥。
四国方面軍はこの後、そう時を置かずに阿波の国への上陸が予定されている。
次に西方、中国地方の覇者・毛利家だ。
中国地方で戦っているのは山陽方面に羽柴秀吉、山陰方面に明智光秀の二人の方面軍指揮官である。
毛利家が参戦した折には各所にて激戦が繰り返され、毛利家の強大な戦力の前に両者ともかなりの劣勢に立たされた。
山陽方面では織田の調略の甲斐無く、西播磨の大名・小寺政職(こでらまさもと)が毛利側に立って参戦。そこに毛利家からの援軍も入り、羽柴隊は播磨の国中央部で毛利・小寺連合軍と一進一退の激戦を繰り広げたのである。
山陰方面の明智隊はさらなる苦境に立たされていた。何故なら毛利家の主力はこちらに集中されていたからである。明智隊は激戦の上、因幡の国の大部分を喪失。後退を繰り返し、危機的状況に陥っていたのだ。
その状況が変わったのは、武田軍に勝利を収めた事によって東方に張り付けていた軍が反転し、続々と西方に参入してきてからの事である。
援軍を受け、戦力を整えた山陰・山陽両方面の織田軍は反撃を開始。
山陽地方の羽柴隊は小寺政職配下の小寺(黒田)孝高とその一族を調略し、一気に反撃を開始。これを撃破し小寺政職は毛利領に向かって落ちて行った。
山陰地方の明智隊も旧尼子戦力の残党達をその支配下に収めて反撃を開始。因幡の国を奪還し、現在は伯耆の国との国境で毛利軍と睨み合っている状態である。
最後に大阪の石山本願寺だ。
ここは佐久間信盛が担当する戦線であるが、こちらは他の戦線と違い、いまだ目立った動きは無い。陸側には幾つもの砦を築き、本願寺勢の補給を断った上で包囲している状態がずっと続いている。しかしながら西に広がる海はガラ空きであり、そこから毛利水軍が幾度も入城し、戦力・物資の補給を行っていた。
それに対する織田軍の行動が始まり、新たなる戦いが起こったのはここ、大阪湾である。
<大阪湾沖 海上>
普段は多数の船が行き交うこの海に、現在は多数の軍船のみが浮かぶ。普段の喧噪が無くなり、ただ静かに軍船が隊列を組む。
これは石山本願寺を海上からも包囲し、完全な封鎖状態に置こうとの織田水軍の軍事行動なのだ。
その数、大小合わせて四百五十隻。織田水軍のほぼ全艦である。
それらが西側、つまり東にある陸面、石山本願寺側では無く、逆の瀬戸内海側を向き戦列を並べ浮かんでいた。
彼らは待っていたのだ。瀬戸内海を制する最強毛利水軍を。
この織田軍の陸海による石山本願寺完全包囲の報はすぐに毛利家の知る所となった。毛利家にこの情報を知らせに来た本願寺よりの使者は、悲鳴まじりに当主輝元に毛利水軍の出動を懇願。これに毛利家当主輝元が応じ、ここに大阪湾木津川口の海戦の幕が切って落とされたのである。
「来たな…」
旗艦・尾張丸の船上にて今回の戦の織田水軍総指揮官、九鬼嘉隆が一人呟いた。
西の水面を陸の高台より監視していた監視所より狼煙が上がる。その直後に水平線の彼方より一つ、また一つと黒い点のような船影が浮かび上がって来た。織田軍の海上包囲網打破の為に出撃して来た毛利水軍、合計五百隻の大艦隊である。より正確に言うと、毛利家に臣従している瀬戸内の村上水軍他の連合体だ。
その毛利水軍の編成は大型の安宅船を中心に、小型の関舟、小早船等、全て従来通りの和船で構成されている。昔ながらの、定石道理と言ってもよい艦隊編成だ。
毛利(村上)水軍は伝統的に小回りの効く小早船を好み、その機動力を生かしての弓での攻撃や焙烙玉での攻撃を得意としている。今回も小早船を先頭に猛烈な勢いで水面を飛ぶように進み、織田軍に向かって一心不乱に突き進んで来ていた。
対する織田軍はそれとは逆に大型船を先頭に、戦列を組む。さらに織田軍には今回の為に用意した秘密兵器があったのである。その新兵器が今まさに最前列に出ようとしていた。
「聞けぃ、者共! 敵が来たぞ! よりにもよって我等に喧嘩を売って来た愚か物共じゃ! 笑うてやれ! 武力も持たぬ商人や民百姓から金品を略奪するしか能の無い瀬戸内の海賊風情が我等に喧嘩を売ってきたのじゃ! 笑止千万! 者共、許せるか!? 彼奴らの思い上がりが! その傲慢が!
判らせてやろうぞ! 我等は今まで彼奴らが食い物にしてきた無力な商人や民百姓共とは違うのだと言う事を! その事を彼奴らの身に刻み込んでやろうぞ! 誰がこの日本の海の支配者であるのか! 誰がこの日本の海の秩序を担って行くのか! 問おう、それはあの目の前にいる海賊風情か!? 否! 我等である! 我等こそがこの海を守り、その秩序を担って行く者達なのだ!」
「おおう!」
九鬼嘉隆が気炎を揚げ、それに兵達が応えて雄叫びを上げた。皆の士気は十分である。今日のこの日の為に日々訓練を積み、備えてきたのだ。皆、まんじりともせずにただ静かに敵船との会敵を待つ。
「行くぞ、者共! 訓練通りにすれば必ず勝てる! 各員、段取り通りに動け!」
頃会いや良し、と嘉隆は勢い良く采配を振り下す。それを契機に一斉に織田水軍の陣太鼓や法螺貝の音が辺りに響き渡った。
その合図に呼応して、織田水軍の中から一際大きな軍船が前に出てくる。
その軍船は他の物と違う異様な雰囲気を放っている船であった。他の船が総じて木製の船体であると一目で判る物であるのに対し、この一際大きな船は太陽の光を反射し、全体的に黒く鈍く光っている。それもそのはず、この船は織田水軍の新兵器、船体全体に薄く鉄板が張られた <鉄甲船> であった。その鉄甲船、全部で五隻が織田水軍の先頭に立ち毛利水軍に向かって出せる全力の速度で持って突き進む。
そして織田水軍、毛利水軍、双方の距離がどんどんと詰まって行く。
「ああっ? なんじゃありゃ?」
毛利水軍の総指揮官、肌を嘉隆と同じように赤銅色に日焼けさせた鬚面の男、村上武吉は織田水軍の先頭に立って突き進んでくる一際大きくて異様な船を見て一人呟く。
今までに見た事の無い船だ。その異様な様子に武吉の心中に何かざわつくような嫌な予感がよぎったが、今は戦時とそれを心の奥底に沈める。下手な迷いや恐れは自軍の敗北や配下の者の死に繋がると、この百戦錬磨の将は熟知しているのだ。
武吉はその臆してしまいそうになる気持ちを振り払い、采配を振り下ろす。
「よーし! 殺るぞ、てめえら! 織田のにわか水軍に我等、村上水軍の恐ろしさを刻みこんでやれぃ!」
「おおおおう!」
こちらも軍太鼓や法螺貝の音を響き渡らせ、櫂を握る漕ぎ手達が力の限りに漕ぎはじめる。毛利水軍の軍船はさらに速力を上げ、織田水軍に向かって突き進む。
織田・毛利水軍双方共、横に大きく広がり、そのままお互いに向かって突き進んでいく。そしてこの戦場に置いて先に先手を打ったのは毛利水軍の方であった。
「はんっ! 素人共めっ! 織田のにわか水軍は船戦(ふないくさ)の操船の何たるかも知らんと見える! こうも容易く順潮に乗れるとは! てめえら! このいくさ、頂いたぞ!」
村上武吉は喜色満面の様子で咆哮する。それもその筈、自身の率いる毛利水軍が完全に潮の流れに乗ったからだ。
逆に織田水軍は潮の流れに逆らって進む逆潮の状態である。
古来より海戦において潮の流れを制した方が勝者になるのは、言わずと知れた常識だ。古来よりこの日本の海戦の勝敗は、この潮の流れに左右されてきたと言っても過言では無い。
順潮であれば漕ぎ手が櫂を漕ぐ力のその上に、さらに潮の流れその物の力を得て、さらなる速度・機動性が得られる。逆に常に潮の流れに逆らって進む逆潮状態であらば、前に進むだけでも一苦労だ。
どちらが有利かは言うまでも無い。
それをこうも易々と取れるとは。武吉は先程とはうって変わって、勝ち戦の予感に心躍らせる。現に織田水軍のスピードは毛利水軍と比べて半分以下しか出ていない。
「よっしゃ! 攻撃準備じゃ! このままの勢いを殺さずに織田水軍の戦列をぶち抜くぞ! 焙烙玉にも火を点けろ!」
毛利水軍の作戦は至極単純。中央突破である。織田水軍は戦列を組んでるとはいえ、船と船との間にはかなりの距離が空いているのだ。
これはどの船でも言える事であるが、水上に浮かぶ船と船との間には距離が必要である。距離を開けずに航行した場合、その二艦の間と周辺に、お互いに引きあうような形の潮流が生じてしまい、その結果知らず知らずの内に両艦が接近してしまい、衝突してしまうからだ。それ以外にも高い波、複雑な潮流等と諸々の理由があるが、海上において船と船が至近距離で並ぶという行動は危険極まりないのである。
毛利水軍の狙いはその隙間隙間に各隊を突っ込ませて機動力を生かして織田水軍を翻弄し各個撃破。そのまま織田の戦列を貫き、結果、大混乱に陥った織田軍に向かって再度反転。そして殲滅。
特に目新しい戦術という訳では無いが、今までに何度も使われて手慣れた、一番確実で効率的な戦術である。この得意の機動力を最大限活かした十八番の戦術を持って毛利水軍は織田水軍の殲滅を目指す。
そして両軍の激突が始まった。
双方の攻撃は同時に始まる。毛利水軍は戦列の前に出た織田水軍の鉄甲船五隻に向かって弓矢・鉄砲・焙烙玉の攻撃が行われ、逆に織田水軍からは満を持しての大砲・鉄砲の攻撃が始まった。だがその両者の攻撃はまったく正反対の結果を両者にもたらしたのである。
「な、なんじゃと!? 馬鹿な!? 何故、攻撃が跳ね返される! 何が起こったんじゃ!?」
村上武吉は目の前の光景が信じられずに、我が目を疑う。
毛利水軍の各船より放たれた弓矢・鉄砲・焙烙玉が、狙いを違わず突出した形の織田軍の鉄甲船五隻に浴びせられる。その命中率の高さ、練度は流石、戦国随一毛利水軍だ。だがその攻撃ついては誰も予想だにしていなかった結果が彼らをまっていたのである。
なんと、確かに命中している筈のそれらが、カンカンキンキンと甲高い金属音を鳴り響かせ、全て跳ね返されているのだ。火矢も船体に突き刺さらずにそのまま海に落ちていく。
織田水軍の新兵器、鉄甲船がその望まれた性能を違える事無く発揮した瞬間である。
まずここでこの織田家が実戦投入した鉄甲船について御説明させて頂く。
鉄甲船とはその名の通り、船体に薄い鉄板を纏わせた装甲艦の事だ。その装甲は鉄砲や弓矢の貫通を許さず、焙烙玉によって飛び散る破片も防ぎ、延焼もおこさせない。燃えぬ船を造れ、との信長の言葉通りに現状日本にある水軍の全ての攻撃を封殺できるだけの能力を持っている。
しかしである、この船は言わば奇形児だ。
守備力にのみ特化させた、この日本でのみ有効な軍船である。例えばの話しだ、この鉄甲船と大砲を装備した船とが戦えば、赤子の手を捻るかの如く、容易く鉄甲船は敗退するであろう。
むしろその自身の重い自重分、鉄甲船は大砲の砲弾を受けたらそのままズブズブと沈んで行きかねない。
何故なら大砲を受けてもなお無事にすむ厚い装甲を船体に施すなど物理的に不可能であるからだ。そのような船は技術上及び物理的な問題により、内燃機関か蒸気機関の発明後に可能となる類いの存在である。
欧州において、この装甲艦という種類の船は出来なかったのでは無い。大砲を装備した船がある欧州では無駄だから造らなかっただけなのだ。
完全にこの現在の日本の状況に合わせて、その為だけに造られた特化型の軍船。日本の現在の状況下においてのみ、その実力を出しうる奇形児。それがこの装甲艦・鉄甲船なのだ。
織田家ではこの軍船を拠点防御及び強襲蹂躙用に使う予定である。そして日本統一後か敵艦に大砲が装備された時点で既に解体される事が決定されている徒花(あだばな)。まさしく対毛利家用と言っても過言では無い船なのだ。
そしてそれはこの状態において十二分にその性能を発揮する。
被害担当艦として前に大きく出たこの船に毛利水軍の攻撃は集中。そしてその攻撃に見事、耐え抜いた。逆に織田水軍から成された攻撃は毛利水軍の船をどんどん叩いて行く。
放たれた大砲の砲弾は一撃で船体を打ち砕き、毛利水軍の船をただの漂流物へと変える。小型の小早船などは至近距離に砲弾を受けただけで転覆してしまう。続いて行われた織田水軍の鉄砲による斉射により、さらに被害は拡大した。防御力のある大型船ならまだしも、ほぼ身体を露出させている中・小型船ではバタバタと兵達が撃ち倒されていく。
そして最後の止めに焙烙玉による攻撃だ。それを受け、次々と船が炎上して行く。
毛利水軍の出鼻は完全に打ち砕かれた。そしてそれは同時に途轍も無い危機に瀕した事を表している。
「くそったれぃ! 何じゃ、ありゃあ! 攻撃が効かんなんて反則じゃろうが!?」
村上武吉は自軍先陣にいた船の惨状を見、悲鳴のような叫び声をあげた。そして武吉は決断を迫られる。このまま突撃を継続するか、それとも反転するかだ。
但し、船という物は早々すぐには止まれない。順潮でさらにスピードに乗っている状態であらば尚更(なおさら)である。何もしなくても潮の流れの力によって前に前にへと進んで行くのだ。
転進するのであれば潮の流れに逆らう必要がある。
問題はそれだけでは無い。敵の目前で停止、その後反転し行先を変えろというのか? そんな事をすれば敵に格好の的を用意してやるような物だ。それこそ愚の骨頂である。
「奴ら、この事まで考えてわざと逆潮にいたんじゃねえだろうな?」
ふと、武吉の脳裏にそのような考えが浮かぶ。織田の水軍がそれらも全て踏まえた上でこの状況を狙って作ったというのであらば、この現在の状況は最悪である。
海戦の常識である、有利になれる筈の順潮を取った側が逆に不利になってしまうなどと誰が思うであろうか? だが武吉のその思いと反して、状況は刻一刻と悪化していく。
潮の流れに乗って猛烈な勢いで突き進んで来た毛利水軍が、織田水軍の鉄甲船とそして圧倒的な火力の壁に、まるで岩に当たる白波が如く、当たっては砕けていく。
もはや一刻の猶予も無い、悠長な事はしていられない状況だ。武吉は決断を下す。
「てめえら! 艦隊を二つに分けんぞ! 前半分はこのまま織田水軍に対する突撃を続けぃ! ここで尻むけて逃げたら沈められるだけじゃ! 生き残りたければ、死ぬ気で突っ込め! 後ろ半分は反転! 織田の戦列側面を掠めるように廻り込み、前列の突撃の援護を行う! 急ぎ合図せい!」
「おう!」
武吉の命令に答え、廻りの兵士達が新たな命令を伝えようと、一斉に陣太鼓や法螺貝の音が響き渡った。
新たに出された武吉の命令は、進路変更の難しい範囲にいる者達はそのまま突撃続行という物である。この状態に至っては、この前の部分の部隊は進むも地獄、退くも地獄だ。しかれども生き残る目がまだあるのは後ろでは無く、むしろ前である。このまま進み、織田水軍の戦列を抜けてこの状況の打破を目指すのだ。
逆にまだ織田水軍との距離があり、反転する余裕がある後ろ半分は現在の進路から外れ、動きの遅い織田水軍の側面に廻り攻撃、突入部隊の援護をするという物である。
その命令を受け、毛利水軍はゆっくりと動き出す。無線などの連絡手段が無いこの時代だ。不確実な音や旗信号で伝えられるその動きは極めてゆっくりした物で、さらに少なくない混乱をもたらすが、全軍に伝わって行く。
「流石は毛利水軍じゃ…。未だ崩れんどころか、反撃すらよこして来おる。驚くべき底力よ」
「誠に仰る通りですな。一筋縄ではいきませぬ」
尾張丸の艦上において、九鬼嘉隆は毛利水軍のその奮闘振りに感嘆の言葉を洩らす。その言葉に隣にいた副指揮官の織田信澄が同意の意を返した。
この織田信澄という人物は信長にその能力を認められ、織田水軍の指揮官の一人として抜擢された人物であり、信長に殺された信長の実弟・織田信行の子供である。信行が自刃した時点で赤ん坊であった為、助命され信長の元で養育されていたのだ。
しかしそのような経歴に関わらず、史実においても信長にその才を愛され、破格の待遇を受けていた人物である。この世界でも水軍の指揮官として大成する事が期待されている人物だ。
「毛利水軍の後ろ半分が我等の左翼に迂回しておりまする。こちらも対応して部隊の一部を派遣し、迎撃致しますか?」
「不要じゃ。こちらは逆潮。追ったとしても、追いつかぬは道理。無駄な事はするな。陣列を崩すでないぞ」
「成る程。仰る通りです」
「今、一番大事なのは目の前の敵を殲滅する事也。左翼の物にはただ耐えよ、と伝えぃ。まずはこの捉えた前半分を徹底的に叩く」
「了解致しました。そのように伝えまする」
信澄の問いかけに嘉隆が答える。
この時点で、最初はお互いに横に長い長方形のような隊列で真正面からぶつかりあった両軍の軍船は、織田水軍はその形のままひたすら逆潮の中、前進中。毛利水軍は長方形の前半分はそのまま織田軍の陣列に向かって突撃。後ろ半分は織田軍から見て左翼側に向かって移動。お互いの正面と、そして織田軍左翼部分で戦闘が行われている状態だ。
正面部分では織田側が圧倒的有利、側面ではやや毛利側が優勢、といった塩梅である。
そして正面から織田水軍とぶつかった毛利水軍の部隊は途轍もない苦境に陥っていた。彼らの得意とする戦法が全て封殺され、損害ばかりが膨らんで行く。最前列では鉄甲船に全ての攻撃を無効にされ、そこを突破しても、待っているのは同じく地獄である。それは例えるなら火力の網だ。
鉄甲船以外は従来通りの木造船なので、攻撃は勿論効く。効くのだが、こちらが一発撃つ間に敵は五発や十発撃ってくるような状態である。それも周囲、全方向全てから飛んでくるような状態だ。大砲の途轍もない破壊力が船を砕き、打ち沈め、鉄砲隊の斉射が兵達を薙ぎ倒す。
そのような中、彼らに出来るのは少しでも早くこの死地を抜ける為に全速で船を漕ぐだけだ。
「嘉隆殿、もう少しで毛利の陣列を抜けまする!」
「よしっ、すぐに反転するぞ! 信澄、次は左翼に残った部隊を叩く! 他の船にも後れを取るなと伝えよ!」
そして戦闘開始から約一刻(二時間)後、正面で戦っていた両軍の艦隊はようやくお互いの戦列をすり抜ける。
その姿はまったくの対照的な姿であった。
織田水軍は損傷艦はあれども今だ意気軒昂。高い戦意を保ち、再度毛利水軍に襲いかかろうとの動きを示している。
対する毛利水軍は無傷な船は無いのでは、と思わせる程に痛めつけられていた。最初に突撃した時と比べて、半分ぐらいの数しか残っていない。そのいなくなった半分はと言えば、沈んだり、櫂を破壊され漂流していたり、火が付き燃え盛っていたりと各々無残な状態を晒している。
だがそれでも今だ至る所で轟音や怒号、雄叫び等が響き渡っていた。未だ戦は終わっていないのである。織田水軍は再度反転し、攻撃の手を緩めない。
この戦局に至って、毛利水軍指揮官・村上武吉は決断を迫られた。つまり撤退か、まだかろうじてある、しかしほとんど残されていないであろう逆転の目を信じて徹底抗戦するか、である。
すでに迂回できなかった、真正面から織田水軍と戦った部隊は半壊状態。その部隊の船の中からは逃げ出す者達も出始めていた。残った部隊も戦闘能力が残っているとは思えない状態である。
これ以上の損害は許容できない。被害が大きすぎる。毛利家に命じられてここまで来たが、これ以上は無理だ。本願寺の為にそこまでやってやる義理もないし、これ以上の犠牲を出すつもりも無い。そしてここに来て武吉は決断を下した。すなわち撤退である。
「くそう! 無念だが、今回はここまでだ! 野郎共! 退くぞ! 撤退だ!」
そして大阪湾に、毛利水軍僚艦に撤退を知らせる為の法螺貝の、悲しげな音が響き渡る。その合図を受けて毛利水軍の船は船首を一斉に西に向けた。自力で動けない船は全て置いて行く事となる。
石山本願寺に入れる筈であった、重荷となる補給物資・武器弾薬などが次々と海中に投棄されていく。少しでも船体を軽くして船足を出す為だ。
その動きはすぐに織田水軍にも伝わる。
「嘉隆殿! 敵はどうやら抗戦を断念した模様! 追い討ちに移りましょうぞ!」
「ようやく諦めたか…。ここまで罠に嵌めて戦い、なおこれだけの奮戦を見せるとは…。恐るべき毛利水軍、流石なる名将、村上武吉よ」
九鬼嘉隆はようやく撤退に移った毛利水軍の様子を眺めて、深々と安堵の吐息を洩らした。そしてこれだけの奮戦振りを示した毛利水軍のその底力に称賛を送る。
元々、今回の戦いは対等の条件では無い。織田家は今回のこの戦の為にあらゆる手段を考え、そして長年をかけて準備して来たのだ。
それは先の長篠の決戦の時の如く、相手の想像していない、予想だにしていない手段・兵器を使い、相手より一段高い戦術・兵器で持って勝つ。はっきり言ってしまえば一度限りの奇策である。たった一度だけ許される後出しジャンケンだ。
例えるなら何時も通りにポーカーで勝負しにきた毛利水軍に、これからは丁半博打で勝負するから、と勝手に、しかも勝負が始まってから変更してしまうような物である。
彼らからすれば、なんて卑怯な、正々堂々と戦え、と言った心境であろう。
今回の戦で言えば、まずは何をおいても鉄甲船である。これは今までの常識とされていた攻撃の全てに耐性を持つという、まさに反則そのもののような存在だ。
毛利水軍は今回の戦で、とうとうこの船を一隻も撃破できなかったのである。まさしく文字通り、最強の鬼札。
続いて、織田水軍の動き。今回の織田水軍は徹底して逆潮を選び、そしてその場に布陣した。これまでの海戦の常識からして見れば全くの愚行の筈の行動である。これまでの海戦とは潮の読み合いであり、そして順潮に乗り、敵よりも機動力を得た側が勝者となる。それが常識だ。
だがここで信長が思考をずらしたのである。
信長曰く、今までの戦いが順潮の取り合い、機動力の戦いであるならば、我等はそれに付き合わなければ良い。我等はそれ以外の方法で以て勝とうぞ。順潮に乗った方が勝つというのであらば、それはすなわち敵は必ず順潮に乗ってくるという事だ。なんと、敵の動きが判るではないか。そして敵の動きが判るのであらば容易く罠にもかけれようぞ。
例えば、これを海戦では無く、陸の戦と考えて見ぃ。敵を船と思うな、精強な騎馬隊と思ってみよ。我が軍を船と思うな、砦となせ。
敵が勝てると思い、猛烈な勢いで突っ込んでくる。我等はその先に馬防柵を築き、土塁・空堀を拵(こしら)え、そして鉄砲大砲の火力で持ってそれを薙ぎ倒す。それで勝てるではないか? 機動力では無く、火力によって勝つ。それが我等が尤も得意なる方法であろう?
それを初めて聞いた時、嘉隆は内心でその考えを嘲笑った。何を馬鹿な事を、なんて素人考えな、海戦とはそんなに容易い物では無い、と。至極簡単に勝てると言い放つ信長に反感を覚えた物である。
だがしかしである、信長は長年をかけてそれを本当にしてしまったのだ。それに嘉隆は驚愕すると共に途轍も無い感動を覚えたのである。
そしてその瞬間、確かに嘉隆は見た。新しい海戦の形を。確かに嘉隆は聞いたのである。信長がこれまでの常識という物を打ち砕いた瞬間の音が。
そして今回の海戦はその通りの展開となった。
徹底して逆潮にて待ち構える織田軍に、毛利水軍は喜々として順潮に乗って襲いかかって来たのである。今までの常識通りに。
そしてそこは織田軍がまさにここに攻めてきて欲しいと思う所であった。結果、彼らは織田の火力網に真正面から突っ込む事になり、壊滅したのである。
それは例えるなら戦国最強の騎馬軍団が、格下の弱い筈の軍に猛烈に襲い掛かり、そしてその突撃が馬防柵に阻まれ、土塁・空堀に封じられ、そしてそこを鉄砲によって打ち倒されたが如し。
そう、通説で言い伝えられる長篠の戦いそのもののような情景である。
毛利水軍は織田の鉄甲船の防御力に出鼻を挫かれ、そして大砲・鉄砲の火力網に捕らえられバタバタと沈められた。これが陸の戦であらば、後ろの者は突撃を止め退く事もできようが、海戦であらばそうはいかない。船は簡単には止まれないのだ。速力が出でいればなおさらである。
結果、止まれない毛利水軍の前半分は自ら織田の殺し間、死地に入り、そして打ちのめされた。毛利水軍があくまで機動力の勝負をしようとしたのに対して、織田軍は徹頭徹尾それに応じず、火力の勝負にのみ徹したのである。
そして勝負の結果は件(くだん)の如し。
織田軍は最初から最後まで毛利家の用意した勝負の机には付かず、あくまで織田が用意した机での勝負を彼らにさせたのだ。
「これが本当の意味での戦略か。まさしく初めから勝てる戦、勝てる戦に当然の如くに勝つ。それを本当に成してしまった。これで日本の海戦の形は変わろう。今までの戦術は全て無と帰し、これよりは火力が全てを征する、新しい常識。それを今、創ったのだ」
九鬼嘉隆は感動に身を打ち震わせながら、万感の思いを込めた言葉を洩らす。それは信長への称賛でもある。嘉隆にとってすでに信長はただの主君ではなかった。忠誠という言葉すらも足らない。嘉隆が信長に向ける気持ちを言葉にするなら崇拝、それが一番近い言葉であろう。
その万感の思いと共に嘉隆は采配を振り下す。
「毛利水軍は撤退を始めた! これよりは追い討ち也! 全軍進めぃ!」
「おおう!!」
「殲滅せよ! 踏み潰せ、全てを! 信長様の覇道の邪魔をする者は誰であろうと許さん! 焼き、嬲(なぶ)り、そして滅せよ!」
「おおぉぉぉおおおうううぅぅ!!」
嘉隆の激励に皆が雄叫びにて答える。
その後、織田水軍の追撃は日没まで、約二十里に渡って続き、毛利水軍を叩き続けた。毛利水軍は這々の体(ほうほうのてい)でただ逃げる事しかできなかった。
こうして僅か一日で、大阪湾木津川口の戦いは終了したのである。
この海戦に参加した毛利水軍、五百隻の内、この大阪湾の藻屑となったのが約百二十隻。損傷が酷く、本拠地の瀬戸内に帰還するまでに放棄された船が約五十隻。帰還したが修理不能として結局の所、放棄されたのが三十隻。それ以外の船も損傷を受け、人的被害も甚大である。
だがなによりもの打撃は、これで石山本願寺への補給路が完全に断たれた事だ。もはや陸海共に完全に包囲され、石山本願寺は陸の孤島と成り果てたのである。
これより後、畿内の情勢は急速に動き出す。
<後書き>
対毛利水軍の巻です。
ちなみに鉄甲船の部分は作者の勝手な独自の解釈です。事実と異なる部分があるかもしれません。
現在の織田家の所領
尾張56万石 美濃55万石 伊勢52万石 志摩2万石 伊賀10万石 近江75万石 大和38万石 山城22万石 摂津28万石 和泉14万石 河内30万石
若狭8万石 越前63万石 丹波25万石 丹後12万石 但馬10万石 因幡11万石 播磨48万石 淡路3万石
総石高:562万石
(但し、実際にはまだ支配の及んでいない寺社領・公家領等も含まれており、あくまで目安です)