<第3話>
<美濃 稲葉山城>
ある日、斉藤道三の元に尾張の娘婿である織田信長から一通の書状が届いた。
『斉藤義龍に謀反の兆しあり。注意されたし』
その手紙の内容に道三はしばし熟考する。なにせいきなりすぎる。何か目的でも有るのであろうか?
たしかに自分と義龍の仲は年々不仲になっている。
義龍の実父が実は道三では無く、道三によって美濃を追われた美濃守護・土岐頼芸だという噂はかなり前から美濃中に流れており、自分にもそれが嘘か誠かは判らない。
生母である深芳野が自分の側室になった時にはすでに土岐頼芸の子(義龍の事)を身籠っていたというのはその当時から言われていた事だ。
また美濃統一の為に、その噂を利用して旧土岐家臣達を吸収してきたのも事実である。
その為に義龍に家督を譲り当主にしていたのだ。
まあ、それはあくまで名義上で実権は自分が持ってはいるが。
だが、実際に最近は義龍を持て余し廃嫡を考えているのも事実だ。
確実に血の繋がっている喜平次や孫四郎(義龍の兄弟。弟にあたる)の方に跡を継がせたいと思っている。
それに美濃を統一した今となっては旧土岐家臣の力は絶対に必要という程の物では無くなってきているし、これ以上力を持たれても困る。
逆にむしろなんらかの方法でその力を削るべきでは無いのか?
斉藤道三は、この件についてはもう一度、じっくりと考え直す必要がありそうだと気づく。
「(ワシにとって一番良いのは穏便な方法で義龍を廃嫡する事だ。だが下手をすれば内乱になる可能性がある。
内乱になった場合はどうだ?
ワシと義龍、どっちに兵が集まる?下手したら義龍に負ける可能性もある。
これは思った以上にワシの置かれた状況は危ないな……。こんな事を今まで見逃してきたとは……、ワシも年老いたか?
何か理由を付けて義龍を廃嫡できないか? 義龍は病弱な所があり国主の執務等はできない等の理由はどうだろうか?)」
道三は様々な対応を考えていく。
強硬策は取れない。
名目上であろうとも今の斉藤家当主は義龍だ。自分では無い。それに強硬策を取れば内乱は必至だ。
それに現状では旧土岐派の家臣は、義龍に付いてしまうだろう。
ひとまず自身の周辺勢力の引き締め。それに義龍側の者への調略を開始しよう。
最悪、内乱覚悟で義龍を処断する事も視野に入れる。
だが、道三は義龍を甘く見すぎていた。油断していたと言っても良い。
義龍に味方しようという者は道三の考えていた以上に多かったのだ。
道三の策動はすぐに義龍の知る所となり、義龍に先手を打たれる事になってしまったのである。
信長の便りより1週間後、衝撃の報せが道三の元に飛び込んで来た。
「道三様、一大事で御座います! 義龍様御謀反! 喜平次様、孫四郎様を討ち、稲葉山城を占拠!」
「しまった! 先手を打たれたか!!」
道三はその飛び込んできた報告に驚愕すると共に後悔の念に襲われる。
「(やはりワシは年老いたわ! 昔のワシなら悠長に待ってなどいなかった……!
殺らなければ殺られる。
そして弱肉強食。
それこそが戦国の習い。
それを身を持って知っているはずのワシがこんな失態を!
これでは今までワシが討ち取ってきた無能共と同じでは無いか!
麒麟も老いれば駄馬に劣るというというのはこの事かっ……!)」
道三は自身の衰えという物を改めて実感する。
状況判断の甘さ、そして体力低下による行動の遅さ。それらは若い頃には到底考えられなかったような事だ。
昔の若い時の自分であれば危機を察せば待ってなどいなかった。
先頭に立って相手に突っ込んで行くぐらいの覚悟や気概があった。それがいまやどうであろうか。
見る影も無くなっているでは無いか。
いつの間に自分はこんなに老いさらばえてしまったのであろうか?
だがこのままむざむざと義龍に討ち取られるのは自身の沽券に係わる。
道三は老いた身に気合いを入れ直し、義龍との戦の為に集められるだけの兵を集め始める。
尾張の信長よりの使者として丹羽長秀が道三の元に来訪したのはそんな危急の折であった。
「織田信長が家臣、丹羽長秀に御座います」
道三の前まで通された丹羽長秀が道三の前まで歩み寄り平伏する。
長秀は若くして織田家の家老の地位にある新進気鋭の若者だ。
「道三じゃ、して長秀とやら、この危急の折に何用かな? 恥ずかしながら今取りこみ中でな、歓迎の宴もできぬ。許して下されや」
「お気になさらないで下さい。こちらが我が主、織田信長より道三様への書状に御座います。御覧下さいませ」
道三は長秀より渡された書状を開き読み始める。
『御油断召されましたな、親爺殿。
この戦、我が尾張勢が後詰め致す。
親爺殿は東美濃においでなされ。
此度の後詰めの報酬、美濃一国でよろしゅうござる』
その書状を読み、その内容を吟味した道三はおもわず苦笑する。
なんとも常識外れで無礼な書状では無いか。
だがこんな書状もあの信長からだと思えば妙な覇気と共に小気味良さすら感じる。
「長秀殿はこの書状の中味はご存じかな?」
「はい。恐れながら此度の戦、現状のままでは道三様に勝ち目は御座いません。道三様におかれましては、東美濃を所領に持久戦を、との信長様の御言葉です」
長秀のその言葉を受け現状を考える道三。
たしかにこの戦、このまま戦えば道三側に勝ち目はないだろう。
義龍についた者達の総兵力:13000名。それに引き替え道三側は僅か5000名である。
完全に主導権を持っていかれた形だ。ほとんどの者が勝つのは義龍側だと判断し、向こうについてしまった。
軍の勢いという物も義龍側にある。
道三は逆に長秀に問い掛ける。
「持久戦というたが期間はどれぐらいを思案している」
「およそ2~3年」
「なんだと!! それまでこの道三に生き恥を晒せというのか!?」
長秀の返答に道三はおもわず激昂して声を荒げてしまう。
道三は過酷な下剋上を潜り抜けてきた戦国大名である。商人から身を起こし、一代で今の地位を築いてきたのた。
その美濃太守としての自尊心が、自力で伸し上がってきたその誇りが、その案を否定したがる。
そんな見っとも無い状態など御免蒙る。そんな状態に陥る位なら華々しく討ち死にした方がマシだ。
だからこそのこの激昂である。
その道三の様子にも慌てる事無く、長秀は話し掛けて来る。
「あえて信長様よりの言葉をそのままお伝えさせて頂きます。
『 道三の親父殿、信長の為に、天下の為に、今はあえて生き恥を晒して下され。
この信長、天下統一の為、どうしても美濃一国、頂戴仕りたい。
いや、美濃だけにあらず、これよりの天下の仕置きの一切、この信長にお任せあれ。
耄碌されるのはまだ少しだけ早う御座いますぞ。道三の親父殿、老兵は死なず、ただ去るのみで御座いますれば』 」
その言葉に道三は一瞬、呆けたような顔をした。その後、壊れたように大声で笑いだす。
「くくっ、ふあっはっはっはっはっはっはっはっはっは! あのうつけ者め! 好き勝手言うてくれるわ!」
道三は思う。
この道三にも、世に何か残したいと思う自己顕示欲は人一倍ある。でなければ商人から1代で身を起こし、美濃太守とまでなった、生きてきた意味がないでは無いか?
だがそんな自分も、はや齢(よわい)63。身体も頭脳も見るも無残に老いさらばえてしまっている。
新たに何かをなせるような年では無い。
どうやら自分はここまで。美濃一国で終わる器であったようだ。
つまり我が天命はもはや潰えたのだ。
であらば、もはやジタバタしてもしようがない。
若い者に道を譲り、またそれを導くのもおのれの勤めでは無いか?
それに信長の言葉、老兵は死なず、ただ去るのみというのもおもしろい。
ある意味世の真理のような言葉では無いか。
「義龍に引導(いんどう)を渡される前に信長殿に引導を渡されたか……。のう光秀よ、世の中何が起こるか判らんのぅ」
「誠に」
道三は自分が可愛がっている家臣である明智光秀に話しをふる。光秀も苦笑しながらも、楽しそうに返す。
「よかろう、長秀! これを信長殿に渡してくれ! 美濃一国の譲り状じゃ!」
「ありがたき幸せ」
長秀は道三がその場で急いでしたためた譲り状を押し戴く。
「長秀、信長殿がワシに持久戦を求める理由は東の今川家か?」
「御意」
「もし信長殿が今川に負ける事あらば、ワシの好きにさせてもらうぞ」
「承知致しました」
「ならばよい。この美濃は任せい。信長殿の手が空くまでワシが支えておこう」
「ありがたき幸せにございます。しからば拙者は尾張に急いで戻ります。援軍8000名はすでに尾張・美濃国境にて待機しておりますので2日で到着致します」
「うむっ、こちらもすぐ動く」
こうして斉藤道三と斉藤(土岐)義龍の決戦は史実と大分変った形で始まった。
道三はいち早く纏め上げた自軍を尾張側の東美濃まで下がらせ、尾張からは織田信長の援軍8000名が進発。
結果、義龍軍に捕捉される前に織田軍との合流を済ませた。
これで兵力は13000名。両軍はほぼ互角である。
そして戦が始まるが、結果から言えば決着はつかなかった。
織田軍は元より決戦の意図は無く、ほぼ守勢を保ち防御に徹する戦法に終始していたのである。
そして織田・道三連合軍は義龍軍の攻撃をことごとく弾き返し、義龍軍に出血を強いて行く。
義龍の最大の失策は謀反の初期段階で道三を討ち取れなかった事である。
美濃には道三の勇名・名声が鳴り響いており、それは日を追うごとに義龍に圧し掛かってきていた。
さらには道三は善政を敷き民衆には好かれている人物であった為、人心の動揺も頭の痛い問題として同じく義龍に重く圧し掛かってきている。
それに続き戦線が膠着状態に陥いってしまうと勝ち馬に乗った気でいた義龍軍の国人衆の中にも動揺する者が出てきたのだ。
結果、義龍軍はさらに身動きが取りにくくなってしまったのである。
そしてその後も決着は付かず、何度かの小競り合いを経て時季は農繁期に入り義龍軍・信長軍共に撤退。
美濃の国はそのまま、東美濃20万石は斉藤道三が、西部美濃35万石は義龍が支配した状態で、両勢力は膠着状態に陥る事となった。
<後書き>
道三生存でのIFルートとなります。