<第28話>
<武田軍本陣>
「こ、これは!?」
信玄は目の前で起こった光景に眼を疑う。
自慢の先鋒隊が、戦国最強の武田軍の先駆け隊が瞬く間に叩き潰されたのだ。
その織田軍の前面に広がる、戦場となった地のその光景はまさに凄惨の一言である。
信玄のその生涯の内で一度も見たことのないような惨劇が広がっていた。
「すぐに先鋒集を引かせよ! 少なくとも鉄砲の届かない距離にだ! 最初の地点の陣地は失ってもかまわん! 一気に大きく引かせよ! とにかく急げ!」
現在の状況・戦況は尋常にあらず。それはすでに屍となった将兵達がまさしくその身で証明していた。
信玄はすぐに前線にいる部隊に大きな距離の撤退の命令を下す。
その決断は流石と言える迅速な判断である。
だが状況はそれすらも許さなかったのだ。
なんと織田軍が前進を始めたのである。
「ば、馬鹿な!? 織田が攻めるだと!?」
その織田軍の行動に信玄は勿論、本陣に詰めていた者達全員が驚いた。
そして彼らは無意識の内の先入観で、一つの勘違いをしていた事に気付く。
彼らは織田の方から攻めてくる事はないだろうと勝手に考えていたのである。
この戦の決着は、武田が攻め抜くか、織田が守りぬくかのどちらかだと勝手に思っていたのだ。
誰も織田が攻めてくるとは想像だにしていなかった。
だがそのありえないと思っていた事態が今、目の前で起こっている。
「くそっ、しまった! 主導権を完全に織田に持っていかれたわ!」
信玄はここに来て気づく。
自軍がすでに織田信長の術中に完全に嵌った事を。
既に対応が全て後手後手に回ってしまっている。そしてこのまま攻められては混乱した武田軍は為す術も無く混戦に巻き込まれてしまう。
その後は戦略も戦術も関係の無い泥沼の消耗戦だ。
そうなれば数の少ない劣勢の武田軍は、数の多い織田軍に磨り潰されてしまう。
「信長め! 自軍の前面に柵を築かなんだは、この為かっ! 端っから攻める気でおったか!? 武田を攻め勝つ気でおったのか!? あの大鉄砲や爆発する玉で我等の機先を制し、無理やり主導権を奪うこの状態を狙っておったのか!? やられた! してやられたわっ!」
信玄はこの窮地の打開策を必死に考える。
だが何も浮かんでこない。それがさらに焦りを生む。
そんな信玄が悩み続けている、その時である。
「御屋形様! 御屋形様ー!」
突然、左翼先鋒集の大将・山県昌景が馬の背にもたれ掛かるようにして本陣に駆け込んで来た。
「おお、昌景、無事であったか? ん、なんじゃ!? 怪我をしておるではないか!? 誰か、早よう手当致せ!」
信玄はすぐに床机椅子から立ち上がり昌景を迎えるが、その昌景は馬の背から滑り落ちるようにして地面に蹲る。
皆はその状態を見て昌景が怪我をしている事に気付いた。
信玄の言葉を受けてすぐに医師達が昌景に駆け寄る。
「御屋形様…、申し訳ございません! 拙者が攻撃を進言したばかりにこのような事態に…!」
「阿呆ぅ! どのような進言であれ、それを採用したのはこのワシじゃ。たわけた事を申すな。それよりも先鋒集達の様子はどうじゃ」
「良くありません。我が部隊も大打撃を受けました。この期に及んでは最悪の事態に至る前に、撤退も視野に入れるべきかと…」
昌景はなんとこの緒戦の段階で、早くも撤退の判断を信玄に求めてきた。
だがしかし、その思いは実は信玄も共有する思いだったのである。
すでにこの時点で武田家の旗色は極めて悪い。
例えるなら、織田という獣を狩るはずだった狩人・武田軍のその両手に、逆に織田という猛獣が喰らい付いて来たのだ。
そしてその猛獣は喰らい付いたその両手を放さない。
もしこれで織田軍が大砲・鉄砲を撃つだけで攻撃に転じなければ幾つかは打つ手はあったのだ。
その場合は武田軍は、戦場では人命よりもよっぽど貴重な時間という存在と、そして戦術を展開できる空間(織田軍との距離)を手に入れる事が出来たのである。
しかし織田軍がすぐさま攻めに転じた事でその機は完全に失われた。
武田軍としては、何としても動揺した軍を立て直す為の時間と、織田の新兵器に対抗する為の戦術を展開する為の空間が欲しい。
このままでは先程の例え通り、喰らい付かれた両手を最後まで放してくれないまま振り回し続けられ、最後にはそのままその両手を喰い千切られ喉笛を喰い破られるか、無様な出血死に至るかのどちらかである。
何とかして、どのような事をしてでも、その両手を織田の顎(あぎと)から解放させ、一旦態勢を整える為の猶予(時間と距離)が欲しいのだ。
「悔しいが織田信長にしてやられた…! 見てみよ、我が軍の様子を! 織田のあの攻撃に兵達の動揺が治まらん! あの攻撃は唯の攻撃では無い! あれは真正面から攻め込んだ我等に対する奇襲攻撃よ! 真正面から攻め込んだはずの我が軍をあの新兵器で無理やり精神的な奇襲にされたのよ…!
完全にしてやられた…! 完全に主導権を持っていかれたわ…! このままでは後は無様に振り回されるだけよ…!」
信玄は昌景にそう弱音を洩らす。
それに齎される情報は凶報ばかりだ。
突撃した先鋒隊の内、右翼の馬場隊は大打撃を受けながらも、運良く指令部が無事であった為なんとか組織的な抵抗を続けている。
左翼の山県隊は同じく大打撃を受けながらも、中陣よりの秋山隊の後詰めを受けてなんとか素早く撤退し、今は後方で再編成中だ。
しかし問題は中央部隊である。
中央の部隊はなんと真田信綱・昌輝兄弟が既に討ち死に。同じく原昌胤も乱戦の中で行方知れずとなっていたのだ。
それ故、統率する将を失ったこの3隊は大混乱に陥りすでに壊滅状態である。
中陣の者達がその穴を埋めるように次々と戦列に加わってはいるが、織田の攻撃の前に為す術が無い。
その間にも織田の攻勢はさらにその苛烈さを増している。
織田軍は最初の陣形のままに前進を続けていた。
最前列に銃兵と大砲が順番に並び、盛大に撃ち続けながら前進してくる。
その様子はまさに鉄の壁、鉄の奔流であった。
その銃兵達は新式のフリントロック式銃を装備している為、その戦列の間隔は隣の者と肩がつくほどの近距離であり、それが密集しながら前進する。
またその前進方法も今までに見た事のない独特な物であった。
銃兵達は何列にも別れており、そして最前列が発砲するとその者達はその場で再装填を始め、その間に次列が5~10歩前に出て発砲。さらにその次列もその場で再装填する間に3列がさらに5~10歩、前にでて発砲。
それが4列、5列と延々続く。
そしてその繰り返しの間に最前列が再装填を済ませてさらに攻撃という塩梅で、その繰り返しにて弾幕を途切らせ無いように前進している。
その移動は大砲の移動に合わせている事から比較的遅い物ではあるが、それゆえ武田軍からしたらとんでもなく分厚くて危険な壁が向かってくるような圧迫感に気圧されるのだ。
また特筆されるべき点としては、その物量であろう。
織田がこの戦場に持ち込んだ鉄砲の数は実に五千丁。全軍のほぼ11%に達する程の割合である。
さらに大砲が前線に配備された五十門にプラスして、それ以外の所に配備されたのが二十五門の計七十五門。
そしてそれを支える多数の弾薬だ。
鉄砲の弾薬が総数五十万発。一丁あたり百発/丁である。
大砲の砲弾も七千五百発用意してきたのだ。こちらも一門あたり百発/門である。
今回の戦で特筆されるべきはその兵器は勿論の所であるが、さらにはこの物量なのだ。
織田軍は武田軍と対峙してからの時間を全て使って、兵器弾薬物資をせっせ、せっせとこの戦場に運び込んでいたのである。
けして無為に過ごしていた訳では無い。
そして世界で初めての、この鉄の雨に…、物量に…、武田軍は破れ去ろうとしていた…。
武田軍各隊は織田軍の撃ち出すその鉄砲の弾丸に、大砲の砲弾に、無慈悲に薙ぎ倒されて行く。
勇敢な武田軍将兵がいくら突撃しようとも、その圧倒的な弾幕に撃ち止められてしまう。
近づきすぎた者には大砲からの球弾だけではなく葡萄球が撃ち出される。その攻撃を受けた武田軍将兵はまさに悲惨の一言だ。
直径3cm程の無数の鉄球の雨が武田軍部隊に突き刺さり、次々に兵士達をミンチに変えていく。
そこにはいかなる武勇も、武士の誇りも、身分の貴賎も、何も関係など無い。
ただ統計確率的に運の悪い者達から弾丸を受けて死んでいく。
この時、文字通り戦争という物の意味が変わったのだ。
本陣にいる信玄達の元にさらなる凶報が舞い込んだ。
なんと左翼において秋山信友が、中央において内藤昌豊が、それぞれ討ち死にしたとの報である。
「やむを得ん…。撤退じゃ…」
その報告を受け、信玄は撤退を決断した。
「無念じゃ…! 大切な将兵を数多失ってしまった! これからの撤退戦で犠牲はさらに増えようぞ! 無念じゃ! 無念じゃっ…!」
「御屋形様! 後悔は戦の後でいくらでもできましょうぞ! 今は一兵でも多くの将兵を無事に国に帰す為に全力を尽くすべきに御座いますぞ!」
信玄はあまりの悔しさに、後悔の念に、手に持っていた采配を圧し折って地面に叩きつけた。
そのような状態の信玄を昌景が慰める。
「例え我等が討ち死にしようとも、御屋形様さえ無事ならば武田は何度でもやり直せます! 上田原での敗北の時も! 砥石城での敗北の時も! 我等はその後に復讐を果たし敵を撃ち滅ぼしてきたではございませんか! 例え我等がここで死のうとも、御屋形様さえ御無事であるならば大丈夫でござる! 今すぐに撤退を! 殿(しんがり)は拙者と馬場の隊にお任せ下され!」
殿の任に昌景は名乗りを上げる。
昌景はもはやこの戦の戦端を切った者としての責任を負って死ぬ気であった。一兵でも多くの武田軍将兵を生かして帰す為の楯となる覚悟である。
「…すまぬ。頼むぞ」
信玄は少し躊躇ったが、結局の所はその任務を昌景に託した。
この難局に、他の将ではその任を全うできないとの判断である。
そしてこの時より武田の地獄の撤退戦が始まった。
撤退時の戦術というのは、ほぼ何処の大名でも方法は同じである。
それは至極簡単。殿(しんがり)という部隊が敵を抑えている間に他の者が逃げるというものだ。当然その任務は途轍もなく危険な物である。
ある意味では殿(しんがり)とは捨石であると言ってもいい。
織田軍は武田軍が撤退を始めたのを悟り、さらに攻勢を強めてきていた。
すでに槍隊、騎馬隊も前線に突入し、崩れた武田軍の部隊を蹂躙している。すでに戦局は掃討戦の様相を呈していた。
「信春、すまんが我等が殿じゃ。勝手に決めてもうた。すまん」
「なに、かまわん。最後の奉公には丁度良いわ」
部隊の再編成を終えた昌景は馬場信春の陣にまで来ていた。これよりの殿の為の作戦を決める為である。
信春は昌景に作戦の思案はないか問い掛けた。
「あの織田軍には足止めすらも至難の業じゃ。如何する?」
「我が部隊が織田の部隊を少しの間だけじゃが、足止めする。その間に一旦全軍を後に下げて要害の地を見つけて布陣してくれ。それで少しづつ時を稼いでいくしかあるまい」
「突撃する気か、あれに」
「見ていて気づいたのじゃが、あの大鉄砲と爆発する球の攻撃は敵が密集している事が前提のようじゃ。特に大鉄砲。あれは威力は途轍もないが一発撃てば次に撃つまでに時間がかかる。
よって、ここは敢えて部隊はバラバラにして突撃されるつもりじゃ。そうすれば大鉄砲、爆発する球に狙われても被害は最低限。
鉄砲はなんとか竹束でふせげようぞ。
その後なんとか乱戦に持ち込む。後は死ぬまで暴れ続けるだけよ」
驚くべき事に、ここにきて昌景はその織田の戦い方の本質を、この短期間で本能的に察知していたのだ。
そしてその弱点を突く策をたてる。
但しまさにこの作戦は片道切符だ。
部隊がバラバラに突撃されるという事は突撃の指示を出してからの指令を放棄するという事である。
この時代の戦闘部隊がほぼ例外なく密集陣を作っているのには当然ながら理由がある。密集していないと指揮官の命令が届かなく統制が利かなくなるからだ。
そしてそれはかなり先の時代になって、無線器などの通信機器が発明されるまでは変わらない。
そのような中での、この作戦はまさに決死!
端から戦場での統率を放棄し、事前に出された作戦を完遂する事のみを目的にする。
つまり、なんとしても敵陣に突入し、一人でも多くの敵兵を殺し時間を稼げ。
ただそれのみである。
作戦としてはまさに外道。価値は無いに等しい、下の下の策だ。
突入した者は絶対に死ぬ。ただ個々人の武勇のみを頼る策はまさに下策。
しかしこの局面で、ただ時間稼ぎのみを目的とする場合には有効。
まさしく山県昌景、一世一代の苦肉の策である。
「そこまで覚悟いたしたか…。相判った。後は任せよ。その間に御屋形様が逃げる時間を稼げる体制を必ず整える」
信春はその昌景の言葉に深く頷いた。そしてその昌景の覚悟を悟る。
将として、そのような命令はまさしく屈辱の極み。
突入する兵士達に生き残る目は無い。
例え立て続けに物凄い奇跡が起こってこの戦況が引っ繰り返ったとしても、指揮系統から逸脱したその兵達はそれが判らず、知る事ができずに、ただ死ぬだけである。
一旦織田軍に突入してしまえば、その後の命令は聞こえなくなるからだ。
そのような状態に大切な兵達を送らねばならない昌景の心中は如何様な物か!?
信春にはその昌景の絶望が、慟哭が、自分に対する怒りが、まさに聞こえてくるようであった。
「必ずやり遂げる! 後は頼んだそ、信春!!」
昌景は信春に全てを託し、自軍の陣に向けて駆け出す。
信春もそれに声をかけない。ここまでの覚悟を決めた漢にウダウダと未練がましくするのは逆に非礼である。
昌景はその仕事を必ず遣り遂げるだろう。
そして昌景から後を任された自分はその心を継ぎ、自分のすべき、遣り遂げなければならない仕事を必ず遣り遂げる。
それこそが昌景の覚悟に報いる唯一の方法なのだ。
信春はその思いを胸に自軍の再編成を急ぐ。
そして、武田軍随一の精鋭、赤備え隊の最後の突撃が始まった。
それに従う兵達は再編成された赤備えに加えて他の壊滅した部隊の残兵も吸収し、数は一千。
「よいか、者共! これは武田家に対する最後の御奉公なり! ここが我等の死に場所と心得よ! 命尽きるまでただ織田を攻めよ!」
昌景が兵達に与えた命令は極単純な物だった。
すなわち、5~10人単位で陣を作らずに各々突撃。本陣が撤退するまでの時間を稼げ。
ただそれだけである。
しかしその無茶な命令に精強な武田軍将兵は応じた。織田軍の攻撃に心を折られ、逃げ出す将兵達も多い中、ここに集まった彼らは全ての恐怖を心の底に沈め、自らを叱咤激励し、この決死の突撃に応じたのだ。まさしく彼らこそが勇者と呼ぶに相応しい強者達である。
そして最後の死力を振り絞った雄叫びと共に、他の者達を逃がす為の最後の突撃が始まった。
その突撃は無謀といえば無謀であった。
昌景の号令と共に、全員が一斉に突撃。それに対して織田軍より容赦の無い攻撃が加えられる。
大砲、焙烙玉、そして銃撃。それらは人の力で切り払えるとかそういう次元の威力では無い。
確かに兵達を分散させた事により、その被害を抑える事には成功している。しかし完全では無いのだ。
しかも最初の頃に比べて竹束も十分な数を揃える事は不可能だったのである。
バタバタと兵達は撃ち倒されていく。
しかしそれでも彼らは今回は動きを止めなかった。廻りで戦友が撃ち倒され、薙ぎ倒され様が、その全てを無視して突撃を続けた。
そしてその約半数が織田の陣列に突撃する事に成功したのである。
それは少数とはいえ、少なからぬ混乱を織田軍にもたらした。
だが結局は統率の執られていない少数部隊。しかも軍の数は元から織田の方が上なのである。
混乱を抑えた織田軍がその少数の部隊の側面・後方に部隊を送って反撃しだすともう持ち堪える事は出来なかった。
次々と包囲され、順番に揉み潰されていく。
「皆の者、すまぬ! だが良うやってくれた!」
昌景は無慈悲に蹂躙されて行く自軍の部隊を横眼に確認しながらも戦場を駆け抜ける。
すでに昌景の廻りの馬廻り衆達もほとんど討ち死にし、いまや数える程だ。
そしてその昌景の突撃を遮るように三つ柏の紋を掲げた一つの部隊がその進路に立ち塞がる。
「行けぃ! 全員突撃じゃ!」
昌景は前方を塞いだその部隊に、突っ走ってきた勢いそのままに突っ込んで行く。
物凄い勢いで両隊はぶつかり、鉄と鉄の擦れ合う音、肉の潰される音、そして断末魔の叫びと戦場の喧噪が周囲に響き渡った。
「山県昌景殿と御見受けいたす! 拙者、織田信忠様が与力・島左近! 悪いがその御首(みしるし)、頂戴仕る!」
昌景の率いる小部隊はその進路を塞いだ部隊と衝突し、乱戦となる。
そしてその乱戦の中、その織田軍部隊の指揮官・島左近が昌景の前に立ち塞がった。
「ありがたや! 我が最期の敵となるは高名な貴公でござるか! 敵に不足無し! いざ、参るぞ!」
昌景はその自分の前に立ち塞がった島左近の挑戦を受け、馬を進める。
そして双方の馬が駆け寄り、一騎打ちが始まった。
二人共、名の知れた猛将である。
どちらも一歩も引かずの槍の打ち合いとなった。
しかし終極はすぐに訪れた。元から前提条件が違いすぎたのである。
双方、無傷の状態であればどちらが勝ったかは判らない。
しかし片方の島左近は無傷の上、体力・気力ともに万全の態勢。
それにひきかえ、山県昌景は長時間の戦に疲れ切った上に銃撃で負った肩と脇腹の傷もあったのだ。
すぐに昌景は左近の繰り出す豪槍を受け切れなくなる。突き入れられるその豪槍の衝撃に、肩と脇腹の鉄砲傷が開きその激痛に耐えられなくなってきていたのだ。
そして打ち合い始めてから十合目、左近の振るった槍に昌景は手槍を弾き飛ばされてしまったのだ。
その隙をついて左近の槍が突き入れられる。その槍は昌景の胸板を貫いた。
「ぐふっ!」
昌景の口から血が、後から後から溢れだす。それは突き入れられた槍が重要な臓器を破壊した証拠である。
完全な致命傷だ。
昌景の身体はゆっくりと馬から滑り落ち、大の字になって地面に転がる。
その昌景に馬から降りた島左近が近付く。
「傷を負った身でありながら此度の御働き、誠に見事にござった。この左近、感服仕りました。せめてもの情け。最期は苦しまぬように、いざ、御介錯仕る」
左近は槍を傍らに置き、脇差しを抜いて昌景の首に添えた。
そしてその脇差しを横に引く時、昌景は静かに微笑んだのである。
武田軍随一の猛将、赤備えを率いた名将・山県昌景、ここに討ち死に。
享年四十四歳。
その首級は見事なほどの福顔であった。
結局の所、この山県昌景隊の突撃で稼げた時間は僅か半刻(一時間)程であった。
しかしその半刻こそが、何物よりも得難い貴重な時間だったのである。
その突撃は到底、織田軍の致命傷に成りえるような物ではなかった。
だがその突撃は例えるなら棘。どうしようも無く織田軍を悩ませる、その身にささった数多の棘となったのである。
そしてその棘を織田軍が一つ一つ抜いていくのにかかった時間が半刻という訳だ。
その間に信玄の本陣及び一門衆達は全力で信濃に向けて撤退。殿の馬場信春隊もそれを援護する為に隘路の要害の地に移動して布陣。
一応の態勢を整える事に成功したのである。
「昌景は自分の仕事をきっちりとやり遂げたか。流石、流石よの。後はこの老骨の仕事じゃ」
しかしその馬場信春隊もすでに完全包囲されていた。
四方八方から織田軍の攻撃が始まる。後はどれだけ時間を稼げるか、だ。
そしてその絶望的な抵抗は実に二刻に及んだのである。
そのせいで織田軍はとうとう信玄を取り逃がしてしまった。すなわち馬場信春、殿の任務完遂である。
そして信玄を取り逃がしてしまった織田軍の怒りは、全てこの馬場信春隊に向けられた。
馬場隊も良くその攻撃に耐える。実に二度の攻撃を弾き返し、支え続けたのだ。
その奮闘振りは織田軍将兵達に『流石、馬場美濃守。古今無双の御働き、他に比類なし』と称される程であったのである。
しかし三度目の総攻撃には耐えられなかった。
馬場隊は圧倒的な数の織田兵に蹂躙され、踏み潰される。
信春自身も力尽きる限り、自ら刀槍を振るい奮戦したが、所詮は多勢に無勢。織田の兵士達に囲まれ、最後は四方八方から突き入れられた槍に貫かれた。
そしてこの馬場信春の討ち死にを持って中央の覇者・織田信長と戦国最強・武田信玄の長篠設楽原での決戦は幕を下ろしたのである。
武田の被害は甚大であった。主だった武将の討ち死には下記の通り。
山県昌景 討ち死に
馬場信春 討ち死に
内藤昌豊 討ち死に
秋山信友 討ち死に
原昌胤 討ち死に
真田信綱 討ち死に
真田昌輝 討ち死に
甘利信康 討ち死に
他将兵三千が死に、それに倍する者達が負傷・行方不明となったのだ。
対する織田の被害は主たる将に討ち死にした者は無く、被害は八百程の兵が死に、千五百程の者が負傷・行方不明となっただけである。
まさしく武田の大敗であった。
特に武田軍にとっては中核となるべき将達の大勢が討ち死にした事は痛恨の極みである。
これにより武田家は継戦能力を喪失。信長包囲網から脱落した。
以後、武田は戦力の回復の為に奔走する事になったのである。
<後書き>
作者は武田家、好きですよ。こんな展開になっちゃいましたけど。
後、少しの間、お休みさせて頂きます。
多分、1~2ヶ月くらい。
その間に今までに投稿した物の修正はさせて頂きます。
いいかげん、効果音の所も修正しないと。
これからも頑張っていきますので、少しだけお待ち下さいませ。