<第26話>
普段はのどかな山野が喧噪に包まれる。
三河の国、長篠設楽原に織田、武田の両軍合わせて約6万の兵士達がひしめき合う。
「御屋形様、織田軍の数は想像以上でござるな」
「それに物凄い数の鉄砲でございます。西と北に兵を割いておいて、まだこれだけの兵を東に出せる織田家の国力恐るべし」
着陣した織田軍を眺めながら武田家本陣で馬場信春と山県昌景が武田信玄に話しかけた。
信玄は床机椅子に腰掛け、眼下に広がる織田の陣を睨む。
すでに両軍は連吾川という小川を挟んで東西に対峙している。
「如何致しましょうか? 早速、某(それがし)が一突きして参りましょうか?」
「やめよ。動いてはならぬ」
同じく本陣にいた原昌胤(はら まさたね)が攻撃を進言してくるが信玄はそれを退ける。
そんな事は無意味であるし、何より何故か嫌な予感がしていたからだ。
「(織田の兵の数が多すぎる。本願寺顕如め…、あれほど大言壮語しておきながら約束の一つも守れぬのか)」
信玄はおもわず内心にて愚痴を洩らす。
圧倒的な織田軍の数を前に、信長包囲網という存在がちゃんと機能しているのかさえ思わず疑ってしまう。
もしや自分だけが貧乏籤を引かされているのではないか? そんな考えが頭に思い浮かんでは消えた。
だが文句ばかりを考えている訳にもいかない。これからの戦術を考える。
そもそも信玄は一気に京まで上洛できるとは思っていない。
まず今回の出兵での目的は織田家の同盟国である徳川家の屈伏だ。
上洛の第一段階として徳川家を屈伏させ、三河・遠江を版図に収める事を戦略目標としている。
そしてそこを新たな拠点に名古屋、岐阜と言う具合に段階をおって進めて行くつもりであった。
またこの西上作戦には他にもいくつかの理由がある。
まずこのまま織田家を放置しておいたら武田家の手に負えぬぐらいの強大な勢力になってしまう可能性があるからというのが一つ。
ちなみにこれについては既に遅きに失した感があるが、だからと言って放って置く訳にはいかない。
後になればなるほど、相手にしなければならない戦力が増えてしまうからだ。
少なくとも早い段階で一撃を入れておかなければならない。
そして二つめが自身の健康問題である。
ここ最近に来て急速に病状が悪化して来ているのだ。おそらく自分はもはや長くは無いと自覚している。
それゆえ自身の生きている内に出来るだけの事をしておきたいという思いが信玄にはあった。
信玄は今の状況を考えて何が最善かをもう一度考えてみる。
撤退はありえない。先程の理由の通りに、後になればなるほど両家の戦力差は圧倒的なまでに広がってしまう。
少なくともなんらかの成果が必要である。でなければ武田家に待っているのはジリ貧だけだ。
ならば戦うか? だが戦力は織田家の方が圧倒的に上である。少なくとも真正面から何の策も無しにぶつかるなど御免蒙る。
そもそも必ずしも戦う必要があるだろうか?
我々は徳川家を屈伏させる事ができればそれで勝利である。戦場での勝利はその為の一つの手段でしかない。
まあ勝てるのならそれが最善ではあろうが、無理をしてまで決戦をしなければならない理由も無いのだ。
逆に織田家は徳川家の救援に来ており、向こうは徳川家を救う事ができなければ我等に勝ててもそれだけで戦略的な敗北である。
であれば武田家にとってのこの戦いにおける最善はどのような展開であろうか?
『この地において織田と戦う事無く織田家がなんらかの理由により撤退』
これが最善である。
織田家はこれ程の軍勢を整えてきたのだ。これが撤退などと言う事になれば世間は武田の勝利と捉えるであろう。
そして我々は徳川家を屈伏させ三河・遠江を版図に収めそこを拠点に新たな攻撃を仕掛ける。
ここでさらに信玄は思考を展開させてみる。
戦わずして織田家を撤退させる事が可能か否か?
絶対に可能性が無いとは言えない。織田の領内で同盟国である徳川家を見捨てるもやむなしという程の何かが起こればあるいは、といった塩梅であろう。
可能性はかなり低いであろうが。
「(一先ずは現状維持。敵陣の情報を集めながら敵将の調略。それと同時に織田の領内への離反工作にもさらに力を入れる。これぐらいであろうな。瓢箪から駒が出ないとも限らない)」
信玄はそこまで考えて一旦思考を停止させた。
そしてそれらの策を実行させる為、配下の将達に指示を出して行く。
一先ずの所、武田軍はこのまま対陣する事を決定する。
<三河茶臼山 織田軍本陣>
「戦わずして織田家を撤退させる事が最善…。武田信玄であればそう考えておるであろうな」
織田信長が本陣にて眼下に広がる両軍を睨みながら呟く。
「そうはさせぬぞ、信玄よ。絶対に逃がさぬわ。国力の差が戦力の絶対的な差である事を判らせてやる」
両軍が対陣し始めてからすでに10日もの時間がたっていた。
その間、両軍は表面上は静かな物であったがその実、裏側では熾烈な駆け引きが行われている。
だがしかし戦線は今の所、膠着状態だ。
どちらも相手に先に手を出して欲しがっていた。そして両軍共有効な手が打てぬまま時間だけが過ぎていく。
そしてそのまま何も無く過ぎていくかと思われていたその時である。
戦場では無い地においてまずは一つ目の動きが始まった。
<武田軍本陣>
息を荒げた、焦った様子の伝令が本陣に転がり込むように駆け込んで来て叫ぶ。
「一大事! 織田軍が美濃より信濃に乱入! 信濃の各城が救援を求めてきております!」
「なんじゃと!!」
武田本陣に信濃からの急報がもたらされ、本陣に詰めていた者達が騒ぎだす。
さらに報せはそれだけでは終わらない。悪い報せはさらに続く。
「駿河よりも救援を乞う使者が参りました! 織田の水軍が駿河に来襲! 海岸線の村々が襲われております!」
「落ち付けぃ! 詳しい報告を致せ」
信玄が浮つく者達を一喝する。その言葉に皆は一応の平静を取り戻す。
そして報告を持って来た者が状況を話しだす。
「まず信濃方面の織田軍で御座いますが、森可成を大将とする織田軍1万が侵入! 各村々・城下町にて焼き働きを行っております!」
「駿河方面ですが、こちらは九鬼嘉隆を大将とする織田水軍約300隻が来襲! こちらも駿河の海に面した各村々を荒らしまわっております!」
「我等の水軍は如何したのじゃ!?」
「残念ながら壊滅致しました!」
そのような中でも馬場信春が落ち着いた様子で進言してくる。
「御屋形様、敵の数が少なすぎます。おそらくはただの陽動かと」
「であろうな。じゃが拙いな。兵達にはそれが判らぬ。それにしても我等が正面にこれだけの戦力を集めながらさらに別動隊か」
ここに来て、史実と違い信濃から美濃への侵攻をしていない事を逆手にとられた形だ。
もちろん武田家は当然の事であるが、この西上作戦に先駆けて各地の防衛体制も整えている。
特に美濃・信濃国境は織田家との国境である事もあり、重点的に城の防備を整え、すぐには陥落しないよう援軍及び物資を入れてある。
だがそれも1万の軍を迎え撃てるような規模では無い。籠城して持ちこたえるのが精一杯だ。
しかし逆にいえば1万ぐらいの兵であれば持ち堪えられる事のできる防備にはなっている。
駿河の方は少し不味いかもしれないが、ただ村々が焼かれ荒らされているだけだ。
冷たい言い方かもしれないが、ただそれだけである。
はっきり言ってしまえば、今すぐにどうこうしなければならないような状況では無い。
無いのではあるが、ただその理論が民衆・国人衆達に理解できるかというとそれはまた別の話しだ。
特に現在進行形で蹂躙され続けている地域に所領を持つ者達からすれば冗談では無い話しである。
現にこの報せが来てからすでに一部の信濃・駿河国人衆達に動揺が拡がっていた。
「嫌な所を突かれましたな…」
「ああ、このままでは戦わずに負けてしまう恐れも出てこようぞ」
馬場信春の言葉に信玄がそう答える。
別に戦力を対徳川に集中させた方針が間違いだった訳ではない。戦力の分散は悪手中の悪手だ。戦力の集中は間違ってはいない。
史実の二方面攻撃はその時の織田家にそれに対応するだけの戦力が無い事を見抜いた上での戦術である。
それに報告はそれだけでは無いのだ。
実はそれ以外にも諜報からの報告にも頭を悩ませている最中なのである。
「信春、昌景、この内応の書状は本物だと思うか?」
信玄は10通以上の書状を馬場信房・山県昌景の前に並べながら問い掛ける。
それらは織田軍の各将、国人衆や領主達からの武田家へ内応したいという旨の書状であった。
実は武田軍がこの地に布陣した直後からこの内応の書状がいくつも届けられていたのである。当然その中には武田の方から内応の誘いをかけた者達もいる、いるのだが…。
「十中八九、偽りで御座いましょう。我が軍はまだそこまで優位に立っている訳では御座いません。それに我らが内応の誘いをかけた者達も、裏切るという決断が早すぎるように感じます」
「しかし、全てが本当に偽りで御座いましょうか? 本物であれば千載一遇の好機に御座いますぞ」
信春の否定的な言葉に、その隣で話しを聞いていた秋山信友(虎繁 以後名は信友に統一)が信玄に進言してくる。
その秋山信友の言葉にさらに頭を抱える信玄。
信友の気持ちも判る。これが本当の事であれば勝利は武田家の物である。
だがその 『○○であってほしい』 という希望的観測は戦場にあっては致命傷に為りかねない危険な行為だ。
かといってあまりに慎重すぎても勝機を逃す。
故に信玄は思う。その確信が欲しい、それを裏付ける確たる情報が欲しい、と。
「忍びも物見の者も、やはり誰も戻らぬか?」
「残念ながら…。織田の防諜、それに物見の数、どれも尋常ではありませぬ。異様でござる」
信玄の問い掛けに内藤昌豊(昌秀 以後名は昌豊に統一)が答えた。
歴戦の将である内藤昌豊にそう言わしめる程、今、目の前に陣を布いている織田家の防諜・索敵は鉄壁の構えを誇っていたのである。
織田家の索敵は以前に書いた斥候制度により数時間に一度行われている為、付け入る隙がまったく無い。その為、武田家は別動隊による攻撃、それに夜襲等の策を早々に諦めざるを得ない程であった。
防諜態勢についても大量の忍びを配し、竹中半兵衛の指揮する織田軍のそれはまさに鉄壁である。
それゆえ、信玄は動くに動けない状態なのだ。
「(やりにくい。なんだ、このやりにくさは…。今まで戦って来た敵の誰とも違う。この嫌な感覚はなんだ?)」
信玄は自身の生涯で初めて受ける異様なその織田軍の印象に言い用の無い違和感を覚える。
言葉に言い表せない不快感と言うか、嫌な予感を胸に覚えているのだ。
なにせ目の前に広がる織田軍の陣備えからして異様である。
織田軍は着陣から少しずつ柵などを作っていた。それは別に良い。当然の戦備えである。
だがその場所が問題なのだ。
織田軍のその柵は織田軍の横腹を守るように側面にのみ作られているのである。
最も大事な正面には作っていないのだ。今も織田軍正面はガラ空きである。
まるで攻めて来いと言わんばかりの様相であった。
ある物と言えば何の為に使うのか判らない、少し小高い丘のような傾斜を作ったぐらいである。
織田信長が何をしたいのかがまったく判らない。
その理解できないという事実が不気味さを煽り、信玄の心に迷いを生じさせる。
信玄は考える。
織田信長はそんなに自軍の鉄砲隊に自信を持っているのであろうか、と。
鉄砲は確かに強力な兵器である。それは自分も認めているし、武田家でも鉄砲隊の整備には力を入れている。
しかし武田軍の突撃を止められる程の威力を持っているのだろうか?
当然の事であるが、武田軍は鉄砲という強力な兵器に対する対策は既に採ってある。
信玄は織田家の鉄砲の数を確認するとすぐに大量の竹束を用意させたのだ。
それで完全にとは言えないが、ある程度の攻撃は防げるはずである。
竹束を全面に押し立て、至近距離にまで進んでしまえば、後は接近戦・乱戦に持ち込める。そうなれば鉄砲隊の優位は消し飛ぶ。
そしてその後は自軍が主導権を握れるはずだ。
しかしそんな簡単な事が理解できない織田信長ではない筈である。
信玄は織田信長という人物を極めて高く評価している。その極めて合理的な戦略はどこか自分に通じる物があると常々思っていた。
それゆえ今の状態がまったく理解できない。
「(何かある筈なのだ。今は判らない何かが…)」
この思いが信玄の心に深く巣食い、信玄の長年の戦場で磨いてきた直感の部分を酷く疼かせる。
身体の奥の何かが自分に訴えかけてくる 『何かおかしい、何かの策がある、危険だ』 と。
その何かが判るまでは動けない。動きたくない。動くのは危険すぎる。
信長はけして 『さあ、正々堂々と戦おう』 というような積もりで正面を開けている訳では無い筈だ。
信長はそんな愚将では無い。
だがそのような信玄の思いとは裏腹に、何も判らないまま時間だけが過ぎて行く。
それに酷い焦りを覚える。
この戦場のみで言えば、時は織田の味方だ。時間が経てば経つ程、追いつめられるのは武田家の方である。
織田は必要とあれば何年でもこのまま軍を維持しこの地に置いておけるほどの国力がある。
しかし武田には無理だ。
兵站ももちろんの事であるが、兵達を農地に返さなければならない。さらには武田の領内を荒らしている織田家別動隊の存在もある。
そして織田は戦に勝てずとも武田軍をこの地から撤退させる事ができれば勝利なのだ。
先に書いたように織田は徳川を救援できれば勝ち。武田は徳川を屈伏させる事ができれば勝ち。
この戦場での勝敗はその為の判り易い手段の一つでしか無いのである。そして徳川家の屈伏はこの戦場に織田軍が居る限りは不可能である。
故に武田は何としても勝たねばならない。でなければ未来は残されていない。
例えこの戦で衝突を回避し戦力の保全を目的に撤退したとしても、この機を逃せば後はジリ貧が待っているだけだ。年を追うごとに織田と武田の国力の差はどんどん拡がっていく事だろう。
それに武田軍の将兵達は大分焦れてきている。口には出さないが皆、攻撃を望んでいるのだ。
そしてそれは信玄も同様であった。ここ最近、日に日に体調が悪化し、とうとう血を吐いたのである。
『もはや自分は長くない…』 信玄はそれを実感していた。
其れゆえ信玄は焦る。
自分が居なくなったら武田は織田に勝てない。其れゆえ今なのだ。この機しかない、と。
そしてそれは突然もたらされた。
ほぼ同じ時期に二つの情報が信玄の元に届けられたのである。
一つは前々から内応の書状を送っていた将からであった。
自分が織田の陣に火を放ち、それと同時に本陣を攻めるから武田にもそれに同調し攻めて欲しいという書状。
そしてもう一つが信長の直筆の書状であった。この書状は織田信長が徳川家康へと送った書状である。
この書状を持った織田の忍びがその途上に、武田家の阻止網に引っ掛かってしまったのだ。その忍び自体は取り逃がしてしまったが、その時に落としていった物がこの書状である。
信長の直筆に間違い無く、信長の花押も押されていた。
間違い無く本物である。
そしてその書状には簡単に纏めるとこう書かれていたのだ。
『現在織田軍は長篠設楽原で武田軍と対陣中である。
だが武田軍の勢いは凄まじく、織田の手に負えそうも無い。
我が織田家中の中にも、証拠は無いが武田に内応している者達が大勢おるようだ。
そのような状態ゆえ、我が織田の方から武田軍に攻め込むような余裕は無い。
今は空城の計を使い陣の全面を空けており、それに警戒した武田家が動かない状態である。
だがそれもいつかは気付かれるだろう。
今の織田が武田と戦っても勝算は無い。自慢の鉄砲隊への対策も採られてしまっているからだ。
それゆえ、なんとか武田家とは戦わずにすませたい。
そこで家康殿には武田の後背を脅かし、補給路を断ち切り圧力をかけて欲しい。
そうすれば武田家は戦わずに撤退するであろう。
この後に及んでは、家康殿だけが最後の頼みである。
どうか宜しく頼む』
その奪った書状の内容を受け、武田軍ではすぐに軍議が開かれた。
「これぞ好機! 信長の心底、見えました! 断固攻めるべきにござる!」
「織田信長、恐るるに足らず!」
「空城の計とは!? 我等を馬鹿にするのも程がありまする! 策を見破った今、何も恐れる事はございませぬ! 織田信長、殲滅すべし!」
軍議に集まった諸将が口々に攻撃を進言してくる。
進言してくる者達は全員勝利を確信し、その先にある武功を求め猛り狂っていた。
「またれよ、皆の衆。この書状の内容が偽りであるとの可能性もある。もう一度思案すべきだ」
「然り。どうも違和感を感じる。我等を戦わせようとする罠かもしれぬぬぞ」
それに対して馬場信春と内藤昌豊が反論する。
彼らは逆にこの自軍に都合の良すぎる展開に警戒感を募らせていた。
それに彼らは思う。
仮にも畿内を統一している織田はそんなに弱いのか? 我が武田家はそこまで強いのか? 何故、今この絶妙な時期にこの書状が我等が手に来たのか?
それらは論理的な何かでは無かった。数多の戦場を潜り抜けて来た歴戦の将だけが持ちうる何かが訴えてくるのだ。
そしてそれは未だに一度も発言せずに考え続ける信玄も同様である。
だがそれらはあくまでも感のような物であり、しっかりと他者に対して説明できるような物では無かった。
それゆえ軍議は主戦派が主導権を握り優勢であり、気炎を上げている。
「馬場殿、内藤殿、それはあまりにも消極的ではなかろうか? 今この時に攻めずしていつ攻めるのでござるか?」
主戦派の一人である原昌胤が馬場信春と内藤昌豊に対して反論してくる。
信春達もそれに対して反論はできないでいた。
その原昌胤の言葉の後に山県昌景も発言してくる。
「ワシは原殿の言にも一理あると思う。確かに今攻めねばいつ攻めるのであろうか?
例えば今の機を見過ごし様子を見たとしてその後、我等に織田を攻める好機は訪れるのか?
ワシもこの状況はおかしいと思う。もしかしたら罠かもしれん。
だが罠があるのだとしても、それを食い破れば良いではないか?
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
ただ、ワシも何やら嫌の予感がせんでも無い。だからこうすれば如何か?
まず一つ、内応している者が火を掛けると言って来ておるが、その者が実際に火を掛ける事に成功した場合のみ攻撃開始。
もう一つが先陣の者達に十分以上の竹束を持たせ、鉄砲への防御態勢を完璧にする事。
これで如何でござろうか?」
もちろん山県昌景も歴戦の将である。
現状について少しおかしいとは思っているが、ただ自分の率いる赤備えであえば例えどれだけの鉄砲があろうとも蹂躙して見せる。そう判断しているのだ。
そしてその発言の責任も取る。つまりはもっとも危険な先陣を自分が突っ走り、罠があればそれを自軍が踏み潰し後に続く者達の突破口を開いてみせると。
その山県昌景の言葉に皆が考え込む。
武田信玄や馬場信春、内藤昌豊も現在の状況を危険だとは思っていても、さりとて何か代案があるのかと言われれば、正直な所、何も無い。
普通に考えればここは攻めるべきである。
それに昌景の言葉通りに例え今の機を見過ごして様子を見たとして、好機がまた訪れてくれるであろうか?
もしかしたら織田がさらに防備を厚くしてしまうかもしれない。
もしかしたら徳川が我等の補給路を断ってしまうかもしれない。
もしかしたら今、織田の別動隊に襲われている信濃・駿河衆達の中から領地に帰ってしまう者が出てくるかもしれない。
そしてなにより今のこの好機を逃してしまえば、我等は後世の世の人に 『絶好の機を逃した臆病者達』 として語り継がれてしまうかもしれない。
それだけは御免蒙る。我等は戦国最強の武田軍団なのだ。
勝利とは危機の先にある。
今の我等であれば例え何か罠があろうともそれを食い破って、その先の信長の喉元を抉るだけの力がある。
そう、例えば織田が我等の想像も出来ないような新兵器や戦術を用意していないかぎりは………。
「昌景の言にも一理ある」
信玄が一言呟くように声を出す。続いて信玄は馬場信春、内藤昌豊の意見も聞く為に二人に質問をする
「信春、昌豊、お主らはどう思う」
「はっ、昌景の言、一理あります。確かにこの機を見過ごしたとて、その後どうするんだと言われれば反論はできませぬ」
「危険だけを語るのでは無く、むしろどう勝つのかを考えるべきなのかもしれませぬ」
ここに来て信春と昌豊も先程の昌景の条件付きでの攻撃であれば良いのでは無いかと考え直し、その意見に同調する。
そしてその思いは武田信玄も同様であった。
「よかろう。皆の者、我等は戦国最強の武田軍ぞ。織田家が例え2倍の兵力を持とうとも負けぬ。織田がどれほどの防備を誇ろうと攻めて攻めて攻め抜く」
「ははっ!」
信玄は内心の嫌な予感を押し殺し、焦りに負ける形で開戦と決した。
もし、信玄の病状が悪化していなければ、もしかしたら違う決定もあったかもしれない。
だが決断はなされたのである。
こうして織田と武田の長篠設楽原の地での決戦の幕が切って落とされた。
<後書き>
戦いの場面まで行きませんでした。
次回、激突です。