<第25話>
『武田家西進開始』
その報が徳川家から齎されるのと前後し、織田家の周囲でも様々な戦火が巻き起こった。
西の摂津の国では石山本願寺衆及び雑賀衆が再度挙兵。北では越前の朝倉家が同じく再度挙兵。
織田家への攻撃を始める。
但し今まで挙兵に同調していた三好家は今回の挙兵には参加しなかったようである。その為の力をすでに無くしていたのだ。
これらは明らかに計画的に組織された武力蜂起である。
「武田信玄、とうとう動きおったか」
京での御馬揃えを無事終えた信長は各方面に伝令を走らせた。
事前に準備しながら敵対勢力を一つ一つ潰す事に成功してきた為、今の織田家には兵力の余裕がある。
具体的に言えば史実では東、北、西部方面に加えてさらに京都・伊勢方面の合計5ヶ所に戦線を抱えている状態であった物が、その内二つ、京都・伊勢方面についてはすでに殲滅済みだ。
だが油断はできない。ここからである。これより先にこそ強大な宿敵達が犇めいているのだ。
そしてここからは天下布武の最終段階。
織田家天下統一の為の死闘の始まりであり、それと同時に今までの支配者達の終わりの始まりだ。
だがその時である。
一人の伝令が息を切らしながら慌てた様子で信長の前に走りこんで来て叫ぶ。
「う、上様! い、一大事に御座いまする! 毛利が、毛利家が挙兵致しました!」
「なんじゃと! どういう事じゃ!? 何故毛利が動く!?」
その報告に驚愕し、思わず立ち上がってしまい聞き返す信長。
自分が考えていた以上に挙兵が早すぎる上にその理由が判らない。少なくとも毛利家とは友好的とは言えずとも中立的な関係ではあったはずであるからだ。
諜報からもそのような情報は一切上がってきていない。
まさしく寝耳に水である。
「詳細は未だ判りませぬが毛利家は足利義昭公を旗印に挙兵! 陸兵は未だ動いておらぬ様子ですが、水軍が援軍と物資と共に石山本願寺に向かっておるとの報告で御座います!」
「くそっ! 足利義昭か! 忌々しい! じゃがまあ良い。毛利家とも、いつかは戦わなければならない相手じゃ。それが早まっただけの事。是非も無し。受けて立とうぞ」
信長は一旦浮き立った心を落ち付け、どかりと元の場所に座る。
こうなってしまった以上は事前に考えていた戦略通りには進まない。戦略の練り直しを迫られる。
「半兵衛、東の武田の動きはどうじゃ?」
信長は武田家の正確な情報を聞く為に諜報活動を任せている竹中半兵衛に質問をする。
「はっ! 隊を二つに分け三河と遠江の二方面より徳川領に侵攻中です」
「信玄の率いる本隊は何処じゃ」
「信濃よりまっすぐ三河に向かう道程です。すでに進路に当たる奥三河の山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)が武田に調略され、武田軍はその者達を道案内とし進撃中に御座います。数は2万2千」
「ほう、遠江ではないのか?」
「はっ! 間違いなく三河方面に御座います。おそらく我等織田と徳川との間を分断するのと同時に我等と当たる前に徳川と戦って戦力を消耗するのを嫌ったのかと思われます」
「遠江方面の指揮官は?」
「武田勝頼に御座います。他にも一条信龍・保科正俊・小山田信茂等を組下に、同じくこちらも調略した天野景貫を道案内に南下中です。数は8千」
そこまで聞いて信長は少し考え込む。
主力が三河という事は標的は徳川家では無く織田家であると思われる。
すなわち短期決戦。織田家と一戦し、これに勝利した上で織田・徳川間の連絡を完全に断ってしまえば徳川家は戦わずして武田家に降らざるをえなくなる。
それゆえ第一の標的はおそらく徳川の居城・浜松城では無く三河の岡崎城。
そう考えれば武田家の戦略がなんとなく浮かび上がってくる。
まず第一に戦わずしての徳川家の無力化。
戦力が圧倒的な状態での戦である。下手な刺激をしなければ家康も積極的には動かないであろう。
おそらく徳川方は籠城。遠江方面の武田勝頼隊は家康が出てきた時の足止め役だ。
そしてその間に武田家本隊が三河を完全に抑えるか、援軍に出てきた織田家と一戦し勝利を得るかのどちらかが狙いであろう。
織田家との連絡が分断された状態で 「武田が勝利した、織田の援軍はもう来ないぞ」 という事にでもなれば徳川家の配下国人衆達は大いに動揺しよう。
同じく抵抗無く三河を占領されても同様である。
そうなってしまえば家康がどうにか家中の動揺を治めようとしても無理だ。三河時代からの譜代衆はついて来ようとも、国人衆達は生き残る為に皆、武田についてしまう。
そしてそうなってしまえば結果は唯一つ。徳川家の屈伏である。
信長はそのような状態になっても家康が織田家に義理を尽くして味方でいてくれるとは思わないし、信じない。
家康には徳川家の当主として家中の家臣達を守り、繁栄させる義務がある。
弱い方について家を滅ぼすのは愚か者でしか無い。
万が一、そのような状態になれば家康は迷うこと無く織田家を裏切り武田につくであろう。
君主としてそれは当然の判断である。弱い方が悪いのだ。
信長はそこまで考えた上で続いて織田家が今取りうる最善の戦略は、と考える。
報告を受ける前までは、徳川家には悪いが史実通り持久戦でもって武田家が撤退するまでの時間稼ぎに徹するつもりであった。
だが西から毛利が来るという事になれば悠長な事は言っていられないのではないのか?
むしろ武田家が積極的に来るのであればむしろこれこそ千載一遇の好機なのではないか?
信長はそうも考える。
「半兵衛、毛利家の動きについてじゃが動いているのは何故水軍だけなのじゃ? 何か事情でもあるのか?」
「はっきりとは判りませぬが、おそらく此度の挙兵、毛利家の総意では無いのかもしれませぬ。誰かが暴走し、廻りがそれに引き摺られているのでは?」
「なるほど。戦略以前での問題、準備不足か」
奇襲を行う場合、第一撃でどれだけ相手に打撃を与えられるかが求められる。その上で相手の予想もしなかった所で痛撃を与え、主導権を握る。
最初の一撃に関してだけで言えば攻撃側が圧倒的に有利なのだ。
攻撃側は時期に戦場を自由に選べ、そして主導権を握れるからである。
そして戦場ではこの主導権という物が想像以上に重要なのだ。
今回の毛利家も織田と戦うのであれば事前に入念な準備をし、開戦と同時に水陸同時に大軍勢で一大攻勢をかけるべき所なのだ。
逆に言えばその準備の予兆がまったく無かったので織田の諜報網にも引っかからなかったとも言える。
この時点で毛利家は大きな失策を犯したと言えよう。
自ら大きなチャンスをみすみす逃してしまったのだ。
そしてこの半兵衛の予想は正解だったのである。今回の石山本願寺への救援は毛利家の総意では無く、足利義昭に唆された当主・毛利輝元の独断で行われた事だったのだ。
その事で毛利家は少なくない混乱状態にあり、初動が大きく遅れているのである。
だがそれもしばしの間だ。本気を出した毛利家がすぐにでも強大な戦力でもって織田領に向かって突き進んでくるであろう。
<安芸の国 吉田郡山城>
「元春兄ぃ! これはどういう事でござるか!?」
小早川隆景が血相を変えて飛び込んで来る。
毛利家配下の水軍衆が摂津に向かって出撃したとの情報を得たからであった。
しかもその情報を水軍衆を統率する立場の自分が知らなかったのである。一体全体、今何が起こっているのか判らない。
「騒ぐな、隆景。ワシも今それを聞いておる所よ」
部屋に飛び込んできた隆景を吉川元春が嗜(たしな)める。
その部屋にはすでに幾人もの人が集まっていた。
主君・毛利輝元に兄・吉川元春、そして毛利家の重臣達、それに足利義昭、そして一人の僧。
隆景はその見た事の無い僧の事をうろんげに眺める。
その視線に気付いたのか僧が隆景に話しかけて来た。
「お初に御目にかかる。拙僧は本願寺顕如にございます。よろしゅうに」
「ほ、本願寺顕如殿!? 本願寺の法主殿が何故ここに!?」
隆景はその語られた名に驚愕する。
そして此度の事のあらましをある程度察した。
本願寺法主・本願寺顕如と言えば超が付くほどの重要人物である。それが自分に知られずにこの吉田郡山城まで来ていたのだ。
そんな事ができるのはこの毛利家家中でもたった一人だけである。
すなわち毛利家当主・毛利輝元その人だ。
そしてその事が示すのはただ一つの事実。すなわち輝元が誰にも相談せず、補佐役である二人の叔父にすら相談せずに今回の出兵を指揮したのだと。
隆景はこれからの毛利家の行く先を思い、ただ今は亡き父・毛利元就に心中で詫びる。
<美濃 岐阜城>
信長は情報全てを鑑み(かんが)みた上で、一つの決断を下す。
「よし! まずは東の武田家を叩く! 西は今までに練り上げてきた防衛線で十分だ! 毛利家への対応も幸いまだ時間がある! 兵を岐阜に集めるぞ!」
織田家では史実において方面軍という優秀な武将に一地域を完全に任せてしまう制度を使用していた。
そしてそれはこの世界でも同様である。ある程度支配地域が広がった前年よりこの制度を実施していた。
具体的に書くと北の対朝倉越前方面軍に柴田勝家。
石山本願寺・雑賀方面軍に佐久間信盛。
山陰方面に明智光秀。
山陽方面に羽柴秀吉である。
これは織田信長の人材活用の妙とも言える制度だと言えるのではないであろうか。
何から何まで君主(信長)が事細かく指示して、それをやらせるのでは無く完全に信頼して任せてしまうのだ。
すなわち信長は○○しろという命令のみを出し、事前にできる権限を決めその範囲内での行動は指揮官に任せる。
そしてそれをやれる能力がある者であればどのような身分の者であろうと高くもちいるのだ。
ある意味、実に合理的だと言える。
責任者は責任を持って任務に当たり、成功すれば報償をもらい失敗すれば罰せられる。
自分の手に負えぬ状態が起これば上に相談し、その場合は組織全体でその事態の解決に当たる。
必要なのは家柄でも人脈でも無く、ただ能力・実績・結果のみである。
そして自分で判断・決断する指揮官はあらゆる意味で成長して行き、その成長は織田家にとって大きなプラスになる。
話しを戻す。
信長の決断により織田家の軍が順次動きだす。
守備を4方面の方面軍指揮官達に任せ、信長は主力でもって武田家との決戦に向かう事になった。徳川家を武田側に行かせる訳にはいかないからだ。
もちろんこれは大きな賭けである。
負ければすぐに徳川家は武田家に寝返るだろう。それに天下統一も10年は遅れる可能性がある。
だが逆に勝てば当分の間、東方においては織田家に対抗できる勢力は無くなるのだ。天下統一も10年は早まる事であろう。
前の世界では、信長包囲網に苦しめられ武田家と真正面からぶつかるだけの戦力の抽出ができなかった故、徹底的に時間稼ぎに徹したのだ。
どのような汚名を被ろうとも、臆病者と罵られようとも、勝てる準備が整うまではけして武田家とは戦わなかった。
だが今回は違う。準備は万端である。戦力にも余裕がある。
そして武田家に勝つという事は信長包囲網軍の精神の柱を圧し折る事と同義語なのだ。
その利点は測り知れない。十分に危険を冒すだけの価値のある戦である。
こうして信長率いる織田軍主力、4万5千は岐阜城より三河に向かって出陣。
武田信玄との決戦にむけて動きだす。
そして永禄15年(1572年) 11月。
織田・武田両軍は三河の地にて対陣する。
武田信玄は調略し、寝返らせた奥三河・山家三方衆の一人、菅沼満直の居城・長篠城を拠点に軍を西に進めて陣を張った。
そう、決戦の地は長篠設楽原である。
<後書き>
織田・武田家の決戦です。次回は武田軍視点です。
もちろん史実のような展開で済ませるような真似はしません。これも色々と以前から考えており、作者が書きたかった場面の一つなので頑張ります。
後、作者はこういう武田家との決戦場を長篠にするというような、ちょっと皮肉を利かせたシャレが好きなのです。
ちなみに以前浅井家が滅んだ戦いを金ケ崎の戦いにしたのも同じ理由であります。
そうきたか、と少しでもニヤリとして頂けたら幸いであります。