<第2話>
現在尾張の国は織田信光死去の報と、それに伴う信長の行動に騒然となっていた。
信光の死後、謀反を起こした家臣を討ち信光の敵討ちを達成した信長はその遺児達を保護。
残された10万石もの信光の所領は信長が吸収する形となった。
さらに信長はその謀反を裏で操っていたとして織田信行とその一派を犯人として大々的に発表。
そしてその直後に信長から信行の元へ、とある書状が送られてくる。
その内容は簡単に記すと下記の通りであった。
『此度の織田信行の織田信光謀殺のはかりごと、全て露見しておる。
信光を斬った者が全て白状した。
信行の此度の行い、織田家当主として絶対に許すわけにはいかぬ。
よって織田家当主・織田信長の名において、織田信行に対して切腹を申しつけるもの也』
その情報はまたたくまに尾張中を駆け巡った。
もちろん信行はすぐさま自身の身の潔白を主張し、謀略を否定した。しかし全て判ってやっている信長にそれが聞き入れられる訳もなかった。
信長は信行からの釈明の使者を追い返し、信行に対して再度切腹を命じる。
だが信行側も 「はい。判りました」 と、馬鹿正直に切腹を受け入れる筈も無く、信長に対する為にすぐさま軍勢を整え始めた。
それに同調し、信行派の武将である柴田勝家、林秀貞とその弟の林通具等も出陣の用意を整える。
しかしである、織田信行に織田信光への謀殺疑惑がある為、また準備期間があまりにも短い為、兵の集まりが悪く、それに信長の方に寝返ってしまった国人衆もおり史実に比べて集まった兵数はかなり減ってしまっていた。
同じくそんな状態で集められた兵士達の士気は当然ながら奮わず、戦う前から信行軍は重大な不安要素を抱える羽目になってしまったのである。
しかし織田信行は窮地に置かれており、対策を行っている余裕すらなかった。残された道は勝利して生き残るか座したまま死ぬかのどちらかだけである。
信行にとっては、もはやいくら不安を抱えていようが前に進むしか道は残されていなかったのだ。
むしろそのような状態で戦わざるをえない状態に信行を追い込んだ信長の謀略を流石と言うべきであろう。
そして信長より書状が送られてから丁度7日後、尾張国内での覇権を賭けた織田信長対織田信行の戦いが始まる。
この尾張での戦(いくさ)での双方の兵力は下記の通りである。
<織田信長方>
総兵力:2500(内鉄砲300 但し従来型の火縄銃)
総大将:織田信長
参加武将:丹羽長秀、木下藤吉郎、滝川一益、前田利家、佐々成政、森可成、河尻秀隆、佐久間信盛
<織田信行方>
総兵力:3000(鉄砲は無し)
総大将:織田信行
参加武将:織田信安、柴田勝家、林秀貞、林通具
「よしっ、情報通りじゃ! きたぞ、皆の者! 抜かるで無いぞ!」
信長は僅かに見える、こちらに無警戒で行軍してくる信行方の先鋒衆の姿を見て勝利を確信した。
信行方は現状、烏合の衆であり唯一怖いのは精強で鳴る柴田勝家隊ぐらいのものである。
さらに大将の信行が戦のなんたるかをまだ理解できていない。ようはまだ若すぎる上に経験が絶対的に足りていないのだ。
それを唯一補佐できる可能性がある信行側の将といえば柴田勝家ぐらいであるが、信行軍にとって勝家は指揮官として前線から絶対に引きはがせない存在である。
ゆえに信行は自力でこの軍を統率しなければならない。
林秀貞、林通具の兄弟は明らかに役不足だ。
さらに言えば準備不足の信行軍は万全の状態では無いのである。だが、信長には一切容赦する心は無い。何年も尾張国内で骨肉の争いをするつもりは無いのだ。
この一度の戦いで全ての決着を付けるべく采配を振りおろす。
「鉄砲隊、放てーー!」
信長の号令を受けて攻撃態勢を取っていた鉄砲隊が相次いで発砲し始める。
辺りに鉄砲を撃つ大音声が何度も響き渡った。
「ぐわっ!」
「ぎゃっ!」
「ひぃ、奇襲じゃ! に、逃げろ!」
信長軍の鉄砲隊300が相次いで発砲。信行軍の先鋒衆の兵士達がその銃弾の雨を受け、たちまちバタバタともんどりうって倒れていく。
その様子を前に士気高揚の為、信長が全軍に対して大声で激励を発する。
「よし! 見たか者ども! 敵先鋒衆、総崩れぞ! この戦、我々の勝利だ! 一気に勝負を決める! 者ども! この信長に続けぃ!」
「殿に遅れをとるは配下としての名折れぞ! 皆の者、信長様に続け! 功名は目前にあり!」
「うおおおおおおおおおおお!!」
信長は自ら先陣を切り、敵陣に突き進んで行く。
その行動に士気を大いに高めた信長軍が信行軍に向かって突撃して行く。
後に続くは信長自らが鍛え上げた側近馬廻り衆。その中には前田利家、佐々成政、森可成、河尻秀隆等の剛の者達が多数いる。
思わぬ奇襲を受け浮足立った信行軍に、その突撃を止められるものはいなかった。
名も無い雑兵達が算を乱し、次々に武器や甲冑を捨て逃げ始める。
この戦いで先手を打ち、最後まで主導権を握ったのは信長軍であった。
子供の頃より尾張国内を駆け巡り、その地理に詳しい信長は、忍びや地元の民の情報により信行軍の動向を事前に察知。信行軍の進路に先回りする事に成功し、伏兵として全軍を配置したのである。
信行軍が軍勢を整える7日という時間を、信長はこの為に使ったのだ。
それに加えて総大将である織田信行が諜報や物見の重要性を上手く理解していなかった為、またそれを理解できる程の経験をしていなかったのが致命的だったのである。
信長の目から見ればほぼ無防備の状態で行動していた信行軍は格好の獲物であった。
そして見事に罠にかかってしまった信行軍先鋒衆は鉄砲隊に撃ちすえられ大混乱に陥り、我先に逃げ出して行く。
「こ、これは何としたことか!?」
いきなり響き渡った鉄砲の大音声に混乱する信行軍本陣。そこで一人右往左往する織田信行。
しばらくすると一人の先鋒集からの伝令の騎馬武者が、信行軍本陣に駆け込んで来た。
「信行様! い、一大事! 一大事にござる! 先鋒衆が敵の伏兵に襲われております!」
「なんじゃと!? くそっ、先鋒衆の奴らは役立たずの集まりか!? い、如何すれば!? 秀貞、どうしたら良いか!?」
伝令の報告を受け、信行は思わず毒づく。そしてすぐ傍にいた林秀貞に助言を求める。
経験の無さが露呈し、この窮地に自分一人では何をどうすれば良いのかも判らないのだ。
秀貞もそれは理解している。すぐにそれに対抗する為の策を考え答えた。
「見捨てる訳にもいきますまい。取り急ぎ救援の軍を送るべきかと」
「うむっ! それもそうじゃの! 秀貞、誰を送れば良いか!?」
「ここは我が軍の中で一番精強で戦場の経験も長い柴田勝家殿が適任ではないでしょうか」
「あい判った! よかろう! そのように急ぎ手配せよ!」
「ははっ。承知致しました」
林秀貞の助言を受けた信行の命により、柴田勝家隊が伏兵に襲われている先鋒衆の援護に入る。
勝家はその持ち前の優秀な統率能力でなんとか奇襲を受けた先鋒衆を助け出す事に成功するが、自軍も少なくない損害を受けると共に先鋒衆の混乱に巻き込まれて身動きが取れなくなってしまう。
その間に信長本隊は側面から、信行の前に陣取っている林隊に向かって残った全部隊で持って突撃を開始。
信長みずから先陣に立っての突撃に、信長軍の士気は天を衝かんばかりに高まり信行軍の隊列を切り崩しながら前へ前へと突き進んで行く。
先鋒衆への伏撃から混乱も収まらない状態で受けたこの信長の電光石火の突撃に、信行軍はまったく対応出来なかった。
将も兵士達も為すすべも無く、ただうろたえるばかりであった。
「おう、貴様は林通具! 織田信長、推参! もはや逃げる事はかなわぬぞ! 覚悟いたせぃ!」
「ひ、ひぃ! の、信長!」
そのような中、一隊を率いる林通具も突き進んで来た信長に捕捉され襲いかかられる。
信長が猛烈な勢いで雑兵達を蹴散らしながら騎馬を進める。目標は指揮官である林通具だ。通具をその攻撃圏内に収めた信長は裂帛の気迫と共に通具に槍を突き入れる。
「せいっ! おおりゃぁぁぁぁぁああぁぁ!!」
「ぐはっ!」
通具はその信長の繰り出す豪槍の前にまったく太刀打ちできなかった。
僅か一合目で手槍を弾き飛ばされ、続いて突き入れられた二突き目で、その穂先が通具の胸板に吸い込まれて行ったのである。
たまらず通具は落馬。それにすぐさま信長の馬廻り衆が飛びかかって馬乗りとなり、その首級を掻き毟った。
それを眺めながら信長は大声を張り上げ、咆哮する。
「敵将、林通具! 討ち取ったぁ!!」
おおおおおおおぅぅぅぅぅう!!
味方の将兵達が大きな雄叫びでそれに応じる。
林通具が討ち取られると林隊はすぐに総崩れとなった。信長軍はそれを蹴散らし蹂躙しながら、さらに前へ前へと、信行本陣へと向かって突き進んで行く。
信長軍は前に進めば進むほど織田軍の士気は天を突かんばかりに上がって行き、その逆に信行軍の士気はもはや崩壊寸前である。
そして戦闘開始後僅か半刻で信長軍が信行軍本陣に雪崩込むと、信行軍は総崩れとなった。
織田信安も前田利家に討ち取られてしまう。
追い詰められた総大将の信行は、僅かな馬回りに守られ末森城に向って必死に落ちて行ったのである。
そして戦場に最後まで取り残されたのは、先鋒衆を救出してそれを建てなおしている間にいつの間にか戦の勝敗が決まってしまった柴田隊500名のみであった。
柴田勝家は現在の状況に激怒していた。
自軍が無様に罠にかかってしまった先鋒衆を助け出している間に、信行軍本隊が僅か一刻で潰走してしまったのである。
そのあまりにも早い無様な潰走ぶりに自隊は退却する機を逃してしまった。
総大将の信行と林隊の不甲斐無さに歯噛みする。
自軍は現在500名のみで信長軍に相対していた。
林隊および信行軍本隊を打ち破った信長本隊も合流し、自軍は既に半包囲状態に置かれている。
状況は絶望的だ。
「あのたわけ共めが! 不甲斐無さすぎるわ!」
信長軍は柴田隊の全面一杯に布陣を完了し、命令さえあれば後は柴田隊を容易く踏みにじれる態勢を整えていた。
これらの信長軍が総攻撃に移れば、自軍は30分程で壊滅するだろう。
勝家自身が生き残ろうと思えば道はただ一つ。柴田隊全軍を捨石としてこの場に見捨てて捨て置き、自分は僅かな側近騎馬衆だけを連れて全力で逃げるという方法だけだ。
しかしそれもこの後に及んではあまりにも遅すぎる決断であり、成功率は十中一・二あるかと言った所であろう。
正直な所、あまり望みは無い。
それに自身の自尊心がそれを許さない。勝家は悔しさのあまり采配を地面に叩きつけ、地団太を踏む。
その時であった。
信長軍より一人の武者が馬に乗って進み出てくる。
その人物を眺め、それが誰なのかを確認すると勝家は驚愕した。
「の、信長様!?」
まさか総大将が一人進み出てくるとは…! 勝家はその信長の豪胆さに呆れると同時にその堂々とした武者振りに僅かな好感を覚える。
「勝家! 柴田勝家はおるか! 信長じゃ! 姿を見せい!」
自分の事を呼んでいる信長。
敵方の総大将が、それも圧倒的有利にある側の総大将が一人で進み出てきているのだ。ここで自分が出ねば侍としての沽券に係わる。
勝家も信長に習い、単騎で馬を進めた。
「勝家はここにございます。お久しぶりです、信長様」
「うむっ、故あって敵味方に分かれた身同士で、しかも戦場でこんな言葉はおかしいかもしれぬが、息災でなによりじゃな。勝家」
勝家は続く信長の言葉を静かに待つ。
「もう勝敗はついた。これ以上の戦いは無意味であろう。此度の敵対、全て許し本領も安堵するゆえ、もう一度この信長に仕えよ」
「背いた私を許すと申されまするか」
「柴田勝家といえば織田家随一の猛将であり、柴田隊といえば織田家随一の精鋭。
それをこんなくだらない戦で失うは織田家の痛恨の極み。もしワシに敵対した事を悔いているのならこれよりの戦働きでその過ちを雪げばよい。
勝家よ。織田家随一の柴田家の力、もう一度ワシに貸してくれぬか?」
その信長の言葉に驚愕する柴田勝家。
完全に勝者の側にある信長の方から出た、寛大すぎると言える程の無罪放免の言葉。
続く言葉は柴田家の事を高く評価してくれる物だ。誰だっておだて上げられれば嬉しくなる。
勝家自身に尾張随一の武勇との自負があるだけにそれは一入(ひとしお)である。
さらにこの戦で見せた信長の器量。
<自軍の進路に伏兵を配させたその知略。
みずから先頭に立って全軍を奮い立たせたその勇気と豪胆さ。
また自ら林通具を討ち取ってみせたその武勇
そして自身を許すといったその器の広さ>
勝家は自身が信長という人の器を見誤っていたのだと気づく。
すぐさま馬を降り信長の前に跪く。
「申し訳ございませんでした! 此度の行い、勝家が間違っておりました! 柴田勝家、これより信長様に忠誠お誓い申し上げます!」
「うむ、その忠誠嬉しく思う。これより末森城に向かう。我が軍勢に合流せよ」
「ははっ、かしこまりました。これからはどうか我が柴田の戦振り、存分に御見聞くだされ」
こうして合戦に勝利した信長は柴田勝家の軍500を吸収し、信行の居城である末森城に向かって進軍を開始する。
<尾張 末森城>
信長が末森城に到着し、包囲してからすぐの事、末森城よりの使者として信長と信行の生母・土田御前が信長の元に来た。
史実の通り信行の助命嘆願の為である。
しかし信長はそれを拒絶。土田御前をそのまま近くの尼寺に押し込めてしまう。ここで信行を許してしまえば今までの戦いの意味が全て無意味となってしまうからだ。なんとしても信行にはここで死んでもらわねばならない。
信長とて信行を殺すのに葛藤が無かった訳では無い。なんせ実の弟である。
またそれは先の織田信光の件でも同様であった。
だがしかしだ、この信長という男は物事を客観的に捉え、実と名、メリットとデメリットを冷徹に見定め、その中から実とメリットを冷酷に、冷静に選び出せる人間である。
さらに言えばこの葛藤は信長の中では何十年も前に既に決着の付いた葛藤でもあったのだ。
故に生かしておいては天下統一・天下布武の妨げになってしまう信行は織田家の為に殺す。但し、その子孫は(無能でなければ)厚く報いよう。
それが信長の下した決断であった。
末森城に今度は信長よりの使者が入る。
『信行に再度、切腹申しつける。切腹するなら城内にいる信行以外の全ての者は助命する。』
信行に対して再度切腹が通告される。
もはや信行に打てる手は何もなかった。
今、末森城にいる守備兵は僅かな数である。元から末森城の守備に残っていたのは約二百名。
しかしその内より信行敗北の報せを受けて雑兵の中に逃げ出す者が続出し、現在八十名。
それに合わせて敗走してきた信行以下五十名。
総数僅か百三十名だけであった。対してそれを囲む信長軍は三千以上。
林秀貞以下、信行に合力した国人衆は自らの城に帰って出てこない。どこからか援軍が来るというような予定もその伝もない。
まさしく状況は絶望的であった。
そして最後の頼みの綱であった生母・土田御前の調停も失敗に終わり、打つ手は無くなってしまった。
こうして自身の完全な敗北を悟った信行は自刃。
末森城は開城した。
こうして織田家内紛はわずか一戦で終了したのである。
ほとんどの国人衆は助命されたが、史実と違う点が一点だけあった。
林秀貞のみ、その罪を許されず厳しく弾劾され、切腹を命じられたのである。
『一つ 林秀貞は信長の一番家老であり、名古屋城の居留守役を務めた事もある重臣の身でありながら、このたび逆心に及んだ事。
一つ 先の今川との戦に置いて、陣触れに応じず勝手に帰還した事。
上の罪、けっして許せる物にあらず。
故に林秀貞に切腹申しつけるものなり 』
こうして林秀貞も信行に続き自刃。その領地は没収。
ここに織田家筆頭家老・林家は途絶える事となった。
その後、信行との戦の事後処理が終わった信長は軍勢をそのまま岩倉城主・織田信賢攻めに向け、これを追放。
同じく謀反をくわだてていた斯波義銀も追放。
こうして信長は史実よりも数年早い尾張統一を達成したのである。
<追記・説明>
以下『林秀貞』の史実での立場
林秀貞は織田信長の一番の重臣の地位にある人物でした。
信長が嫡男として小さい時に那古野城が与えらますが、その時に織田信秀より一番家老としてつけられたのが林秀貞です。
ちなみに信長の傅役として有名な平手政秀は二番家老で、秀貞は政秀よりも高い地位にいました。
また秀貞は信長の元服でも介添え役を務め、まさしく信長の後見人的な立場でした。
まさしく信長の一番の家臣であり、織田家内でも宿老の地位にいました。
そんな重臣の身でありながら背いた事。
史実でもそれほどの活躍をしていない事から今回早々に退場して頂きました。