※注意 前回に引き続き、伊勢長島の一向一揆衆との戦いのシーンがあります。ご注意下さい。
<第19話>
「うおぉぉぉおぉぉ! 仏敵信長を殺せい!」
「南無阿弥陀佛! 南無阿弥陀佛!」
降伏が認められず、行き場を失ってしまった一向一揆衆達が一斉に突撃に移る。なんとか織田軍の包囲網を突破し、脱出せんとの行動である。
だが衰弱しきっており、骨と皮のみになった餓死寸前の彼らにそれを成功させるだけの力はもはや残っていなかった。
「鉄砲隊、放て!」 「大筒隊、撃てぃ!」
ババババババババン! ドドドドドドン!
バババババババババババン!
ババババババババン!
ドドドドドン!
準備万端、その攻撃を待ち構えていた織田軍の水陸両方の野戦陣地防衛線より、想像を絶するほどの火力が一向一揆衆達に叩きつけられる。
この時の事を予想し、包囲当初よりじっくり練られてきたこの防衛線は、相互支援を万全にし、また兵達もよく訓練されていた事から考えうる最大効率で一向一揆衆達に死を叩きつけた。
「ぎゃっ!」「ひぃぃ!」「た、助け…!」
その火線に絡めとられた者達がバタバタと撃ち倒されていく。
数少ない、僅かに残った一向一揆衆達の船もすぐに大砲に大穴を開けられ、鉄砲に穴だらけにされ、焙烙玉を投げ込まれ、ズブズブと沈んでいく。
彼らの攻勢は長くは持たなかった。
中には織田軍防御陣地に運良く到達した者達もいたが、その先にあった槍衾に絡めとられ全てを討ち取られていく。
攻撃は半刻ほどで終了した。
それ以上の戦闘を継続するだけの体力を、もはや彼らは持っていなかったのだ。
皆、無秩序に散り散りに逃げ散ってしまう。
ある者は砦に向かって、ある者は僅かな奇跡を信じて包囲を抜けようと織田軍防衛線のある方向に向かって、バラバラに逃げ始める。
そしてそれを待ち構えていた織田軍が行動を開始する。
「彼奴ら全員、砦に押し込めよ! 全てを焼き払う!」
信長の号令一下、一向一揆衆の立て篭もる各砦に向けて織田軍の総攻撃が始まる。
そこに行くまでの各所にいた、ただ蹲り、飢えの為にすでに動けない命乞いをするだけの一向一揆衆達を、戦闘員・非戦闘員、兵士・女子供の区別なく、全て撫で斬りにしながら織田軍は各砦に殺到する
すぐに各砦は完全に柵によって封鎖され、その周りにありとあらゆる可燃物が渦高く積み上げられていく。
そして四方より一斉に火が放たれる。
その炎は天高く全てを焦がさんという程、高く、高く、立ち昇っていく業火となった。
「ぎゃーーー! 熱い! 熱い!」
「助け…、助けて! 死にたくない!」
「南無阿弥陀佛! 南無阿弥陀佛! 南無阿弥陀佛!」
「信長め! 信長めぇぇぇ! 恨んでくれる! 憎んでくれるわ! 」
破壊の炎は砦内にいた全ての人・物を飲み込んで燃え盛る。
今日この日に、この地でこの炎に飲み込まれて逝った人の数は、戦闘員、非戦闘員、老若男女を問わず、その数約2万にのぼった。
そしてこの所業はすぐに日本全国の津々浦々に伝わる事となる。
先の比叡山焼き打ちと合わさり、織田家の悪行と共に、織田家への大きな恐怖を全国の大名達に刻み込む事となった。
伊勢長島の一向一揆衆達を地獄の業火の中に叩きこんだ織田軍将兵はすぐに信長の元に集める。
信長はすでに頭を切り替え、すでに次の戦術を思考していた。すでにその頭に伊勢長島の一向一揆衆達の事は無く、考えるのは次の敵の事であった。
「これで伊勢長島の一向一揆衆達はしまいじゃな。皆の者、良う働いてくれた。だが戦いはこれで終わりでは無い。摂津の情勢がまた悪化しておる。すぐさま摂津に戻るぞ。全軍支度をせよ」
織田軍全軍は休息も僅かに西に向かって反転。
摂津に向かって進軍する。
「急げい! 休むは完全に勝てし後ぞ!」
整備された道路を猛進し、短時間で織田家は摂津に戻ってくる。
この戦略機動、そしてそれを忠実に実行する統率された軍隊。それが織田軍の最大の特徴である。
<摂津の国 石山本願寺>
石山本願寺法主・顕如は各地より届けられる、その一気に悪化してしまった周囲の情勢に驚愕する。
「なんやて!? 伊勢長島が全滅やて!?」
「はっ! 各砦共、織田軍の兵糧攻めにやられ、飢えにより動ける者はおらず、一斉に火をかけられ全滅との由にございます!」
「皆殺しか!? 信長め、分別の無い童や無いやろうに! これが一大名のする所業か!?」
石山本願寺法主 本願寺顕如のその言葉に下間頼廉(しもつま らいれん)が答える。
この情報は石山本願寺にとっては危機的な情報だ。
包囲網の一端、北の朝倉家が現状なんの役にもたっていない今、織田家所領のど真ん中にあった伊勢長島の一向一揆が消滅した事により、全ての織田軍がこの摂津に集まってくる事が可能となってしまったのだ。
「あかん……。あかんで……。このままやとまずいわ……。頼廉、東の武田はまだ動かへんのか?」
「はい。信玄殿は駿河で足止めを受けており、いまだ動く気配はありません」
この石山本願寺は堅城であり、例え織田軍が大軍で攻めてこようとも簡単には落ちはしないだろう。5年ぐらい持ち堪えてみせる自信はある。
だが石山本願寺単独で織田家に勝てるとも思えない。
顕如は戦略を練り直す必要性を実感する。
「(どないしたらええ……。どないにか織田軍を分散でけへんか?
北の朝倉は……、あかん。あいつら全然役にたてへん。もうちょっと気張るかと思うたんやけどな。
三好三人衆も役にたてへんし斎藤龍興はそれに輪をかけて役立たずや。
紀伊の国から雑賀衆達に攻めさせてもう一つの戦線を作るか…? あかん。どっちにしろ紀伊やとこの摂津から近すぎるわ。
それやとただの兵力の分散。逆にこっちが各個撃破されてまう。
やっぱり東の武田家が動かん事には……。
あかん。思いつかへん。手詰まりやわ)」
思案しても良い作戦が思い浮かばない。
そして顕如は一つの決断を下す。
「頼廉、京の帝の所に使者を送るんや。今回は残念やけどここで終いや。織田家と講和する。帝に講和を仲介してもらうんや。信長も帝の意思やったら無視せえへんやろ」
優秀な戦術家である顕如は、武田家が動かない今、これ以上の抗戦は損害を広げてしまうだけであると判断。
一旦停戦する事を決断する。
「くやしいけどな、今回は織田家を甘く見すぎてたわ。これ以上はあかん。無意味や。今は雌伏の時やで。頼廉、なんとか講和に持ち込むんや」
「はっ! 承知致しました!」
こうして戦況不利となった石山本願寺は内裏に働きかけ、正親町天皇からの仲介を得る形での講和を目指し動き始める。
だがその間にも信長本隊の合流した織田軍の猛攻が始まる。
顕如は戦力の保全の為、一向衆・雑賀衆兵士達を石山城にまで撤退させる。
実質、三好・斉藤連合軍を見捨てたのだ。
信長も強大な石山本願寺との戦いは避け、野田城・福島城に籠る三好・斉藤連合軍にその攻撃の矛を向けた。
その信長本隊の合流した織田軍の攻撃は猛烈な勢いで、敗戦濃厚となった三好・斉藤連合軍からは内通し、裏切る者達が出てくる。
たちまち斎藤龍興、それに三好三人衆の一人、岩成友通(いわなりともみち)が討ち死にするという敗北を喫する。
落城寸前にまで追い詰められ、野田城・福島城の防衛側が降伏を考えていた時にようやく待ちにまった報告が届く。
信長の元に正親町天皇からの使者が訪れたのだ。
使者は本願寺側からの講和に意思を伝える。
信長もすぐにはどうこうできない石山本願寺を相手に消耗戦を戦うのを 「いまは得策にあらず」 と判断し、また帝の仲介もありその講和に応じる。
こうしてこの講和をもって、第一次信長包囲網は崩壊する。
但し講和条件は織田家に有利な物となった。
石山本願寺は元の寺領のまま原状復帰。占領していた地は全て放棄。
雑賀衆等の傭兵集団は石山本願寺を出て紀伊に退出。
三好・斉藤連合軍は野田城・福島城を織田家に明け渡し阿波に撤退。
伊勢長島の寺領はそのまま織田家の所領となる。
朝倉家とも講和が結ばれ、木ノ芽峠以東に撤退・原状復帰。
以上の条件により、近畿は一旦、平和を取り戻す。
たが当然の事であるが、石山本願寺が本心から屈伏した訳では無い。
あくまで次の戦争のための講和である。これより後、本願寺は武田家の上洛の為の準備を整える事に尽力する。
しかし、この講和により得られる時間という物は織田家にとって途轍もない貴重な物である。
この時間を使い、信長はさらなる戦略を推し進めていく。
<参考までに>
史実での第一次信長包囲網参加勢力
『京都方面』
足利義昭
比叡山
『北部』
浅井長政
朝倉義景
『西部』
石山本願寺
雑賀衆
三好義継
三好三人衆
斎藤龍興
『内部』
松永久秀
六角義賢
伊勢長島一向一揆衆
『東部』
武田信玄
この物語での第一次信長包囲網参加勢力
『京都方面』
比叡山 ←滅亡
『北部』
足利義昭 ←講和 原状復帰
朝倉義景 ←講和 原状復帰
『西部』
石山本願寺 ←講和 原状復帰
雑賀衆 ←講和 原状復帰
三好三人衆 ←講和 大打撃を受け撤退
斎藤龍興 ←滅亡
『内部』
伊勢長島一向一揆 ←滅亡
<後書き>
第一次信長包囲網は武田が来る前に包囲網側がギブアップし、休戦という形になりました。
ちなみに本願寺顕如が関西弁なのはヤンマ○で連載中のセ○ゴクを呼んでる影響だったりします。
<それとお知らせ>
来週末にもう一話更新してからまた前のように少しお休みさせて頂きます。
次々回の更新は8月の中頃~末になると思います。