初めて見たミラノの繁栄は想像以上だった。
はるか昔ローマ帝国よりもさらに古くから続く街。
幾度もの破壊と再生を経験し、その度に更なる発展を遂げ繁栄し続けてきた街。
ロンバルディア同盟の一角として神聖ローマ皇帝と対立しこれを退けた街。
北部イタリアの雄ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティが支配するミラノはそんな街だった。
長きに渡る戦争によって疲弊したフランスと違い、イタリアは地中海貿易によって莫大な富を築いている。
オレの乏しい知識ではその富を原動力としてルネサンスが起こったと記憶している。
ルネサンス。それは中世的キリスト世界からの脱却によって西洋世界の在り様を大きく変えた時代の転換点。
オレはその時代のうねりを今まさに肌で感じていた。
「すごい熱気だな……」
ミラノには異国の商人も多数訪れていた。
彼らの中には確実に異教徒がいる。
しかし、ここではそんなことは些細なことのように誰もかれもが取引に熱中している。
その光景がどこか現代の日本に似ていてオレはふいに泣き出したくなるような郷愁にかられた。
「すごいでしょ? ミラノは?」
母はどこか誇らしげにオレに笑いかけた。
やはり父に見捨てられたことがショックだったのか出立当初の母はどこか元気がなかった。
オレは非常に気をもんだがそれも故郷が近づくにつれて解決した。
影のあった表情は豊かになり声にも張りが出てきた。
そして今ようやく笑顔を見せたのだ。
それは久しぶりに見た作り物ではない母の本当の笑顔だった。
馬車の向かった先には多くの人が待っていた。
その中で一際目立つ大柄の男が両手を広げて歓迎を示す。
「久しいなヴァランティーヌよ。よく来た」
ジャン・ガレアッツォの印象は大きい、という一点に尽きた。
腕も背も顔も体を構成する全ての要素ががっしりと大きく、そして鍛え上げられている。
ただそこにいるだけで周囲に圧力を発するような人物だった。
垂れ目気味の顔は整えられた顎鬚によって威厳に満ちており、全てを征する王者の貫禄を備えている。
カエサルの再来を名乗るだけのことはあった。
ガレアッツォはその大きな体で包み込むように母を抱きしめると優しく声をかけた。
「お前が謀反を起こすような人間ではないこと、ワシが一番よく知っておる。
かわいいヴァランティーヌよ。もう安心おし。ワシが全てから守ってあげるから」
父親の言葉に糸が切れたように母が泣き崩れる。
母が泣くのを初めて見たオレはいささか驚いた。
やはりまだどこか無理をしていたのだろう。
母は故郷に戻って初めてようやく気を抜くことが出来たのだ。
その光景はオレの選択の正しさを証明するものだった。
暫くの間ガレアッツォは母の背中を撫でていたが不意にオレに対して目を向けた。
その視線は母への好々爺然としたものとは異なりこちらの全てを見透かし、値踏みする君主のものだ。
どうやら後継者候補には考えてもらえているらしい。
「お初にお目にかかります、御爺様。シャルル・ド・ヴァロワにございます」
自己紹介とともに礼をする。
軽く見られるわけにはいかない。
「ふむ……。ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティだ」
名を告げると同時に圧力がぐっと増した。
モルト老とはまた異質の押しつぶさんばかりの覇気。
それは支配する多くの者達の命を背負う君主の覇気だった。
試されている!!
そう直感して相手の目をにらみ返す。
気力が秒単位で削られ冷汗がじっとりと背をぬらすが、眼だけはそらさない。
じわじわと時間だけが過ぎる。
そうしてオレが何時間も対峙しているような錯覚を覚え始め、崩れ落ちそうになったところでふっと圧力は消えた。
見上げるとガレアッツォが笑っていた。
「よく来たシャルル。お前もここでは安心して暮らすといい」
とりあえず及第点はもらえたようだ。
大きく息を吸ったオレは第二段階のクリアに安堵した。
夜中ガレアッツォの執務室の窓を叩く音がした。
三回、一回、三回、五回、二回。一定の間隔を開けて窓が鳴る。
ガレアッツォは呟くように次々と言葉を発した。
「Aurelius」
「Ogni istante di tempo è una puntura di spillo dell'eternità」
「Aristotole」
「Le impossibilità probabili saranno preferite a possibilità improbabili.」
「Caesar」
「Il dado è gettato.」
返ってきた言葉が全て正しいことを確認すると窓と鉄格子を開け、旧友を迎える。
「久しいな。今はなんと名乗っとるんだ?」
「Une personne morteだ」
モルト老の返答にガレアッツォは苦笑した。
「相変わらず不吉な名を選ぶ」
二人の出会いは二十年も前にさかのぼる。
二十年前、仕えていた主の死を切っ掛けにモルト老は全てのしがらみを捨てて放浪の旅に出た。
旅は全ヨーロッパから小アジアにも及び、その途中でミラノにも訪れたのだ。
そのときモルト老と若き日のガレアッツォは出会った。
互いに衆に抜きん出る人物、二人は意気投合して年齢を超えた友情を結んだ。
当時、ガレアッツォは父の領土の全てをようやく継承し領土拡大に乗り出そうというとしていた。
そんな彼にとって旅をしてきたモルト老の話は重要な情報を多く含んでいたのだ。
それ以来二人はモルト老が旅人の利点を活かして各地の情報を伝え、ガレアッツォが路銀を融通するというもちつもたれつの関係を築いていた。
「それで、今日はどんな話を持ってきてくれたんだ?」
酒を出しながらガレアッツォは楽しそうに尋ねた。
モルト老の旅は広範囲に及んだので話を聞くだけでも十分に楽しめる。
その中には思いもよらぬ貴重な情報が含まれていることもままあり、その意味でもガレアッツォは楽しみにしているのだ。
「いや、今回は何も無しだ。ここしばらく一つ所に留まってたんでな」
ガレアッツォは意外な言葉に驚いた。
彼と会ってからそんな言葉を聞いたのは初めてだったのだ。
「実に珍しいこともあるものだ。一体なにがお前を引き止めたんだ?」
興味を覚えたガレアッツォはからかう様に尋ねた。
「お前の孫ン所だよ。まぁ弟子ってところだ」
その答えにガレアッツォは驚愕した。
彼が弟子をとったこともそうだが、よりにもよってそれが自分の孫であることに。
そして何より自分の孫が乱暴であるだろう彼の訓練に付き合いきれることにだ。
「ふむ……。アレはどうなんだ?」
モルト老は楽しげに酒をあおった。
「悪くはねぇな。少なくとも覚えはいい方だ。
これから次第だがそこそこの人物にはなれるはずだ」
予想以上の高評価だ。どうやら相当入れ込んでいるらしい。
「羨ましい奴だ」
そう呟くとガレアッツォもまた酒をあおる。
しばらく無言で飲んでいたが唐突にモルト老が口を開いた。
「近々戦をやるんだろ?」
極秘のはずのことを突かれ、ガレアッツォは溜息をついた。
「どうしてわかった?」
「気配だ。戦を控えた街は独特の気配がするからな」
こともなげに答えられる。
どうやら隠しても無駄のようだ。
「そうだ。今年はシエナを攻めるつもりでいる。凱旋したら次はボローニャだ」
その言葉を聞いたモルト老は身を乗り出して尋ねた。
「手伝ってやろうか?」
意図の読めない申し出に眉をひそめる。
「何が目的だ?」
彼とは長い付き合いであるがこのような提案は初めてだった。
不審気なガレアッツォをよそにモルト老は茶目っ気たっぷりに言葉を続ける。
「な~に、ちょっとした頼みごとを聞いてくれればいい」
ガレアッツォは顎を突き出し先を促した。
「シェナに遠征する間、ちょっことだけオレの弟子に好きなことをやらせて欲しいのよ。
あとはそうだな……。ボローニャ遠征であいつを同行させるかな。
戦場の空気を感じるには手頃な戦だろう」
モルト老の提案にガレアッツォは呆気にとられた。
しばらく言葉も出なかったが、呻くように言葉を絞り出す。
「本当に入れ込んでいるのだな……。しかし何故だ?」
モルト老は苦笑しつつ説明した。
「実際のところ修行が手詰まりなんだよ。
知識に関してはある程度教えたし武術に関してはもうちょい成長しなきゃどうしようもねぇ。
だから政治のおままごとをさせようかと思ってな。
あいつもそろそろ今まで詰め込んだことを活かしたいと思う時期だ。
だが今まで残念ながらその機会がなかった。
そこでミラノ公であるお前さ。
どうせしばらくはミラノにいるんだ。
ある程度の金を与えて色々試させればいい経験になるだろうさ。
お前の所の行政官はなかなか優秀だから無茶ことは止めてくれるしな」
ガレアッツォは暫らく考え込んでいた。
昼に見た孫の姿、幼いながらも自分の威圧に耐えてみせた以上凡愚ではない。
麒麟児との噂もこいつがここまで肩入れするのならば真実であろう。
6歳児に裁量権を与えるのは躊躇われるが自分の部下ならばそれも御せる。
ガレアッツォの心は決まった。
「よかろう。たったそれだけでお前と長期契約を結べると考えれば安いものだ。
しかしそれだけの頼みをきくんだ。精一杯こき使わせてもらうからな」
モルト老を最大限に活用すれば征服事業もより進む。
彼の指揮官としての力を考えれば多少の金など安いものだ。
シェナ、ボローニャは落ちたも同然。
そのあとはいよいよ念願のフィレンツェだ。
新たに加わった戦力を計算し戦略を練ることに没頭するガレアッツォを見ながらモルト老も薄く笑った。
彼のたてた計画ではシャルルには敵の多いフランスよりミラノ公国に暫く滞在し、そこで様々な基盤を築いてもらうつもりだった。
確かにオルレアン公領は魅力的だが公爵はまだ若く今回の事件で声望も落ちている。
その点ガレアッツォは年だし何より力があった。
一刻も早く確固たる地位を得なければならないシャルルがどちらで己をアピールした方がいいかは明白だ。
彼の征服に力を貸すのもそれを継承できるならば結果的にシャルルの利益につながる。
(さて、第三段階も終了だ。あとはお前次第だぜ、シャルル )
弟子のために友を利用するモルト老と己の覇権のために友を利用するミラノ公。
二人の関係はどこまでも、もちつもたれつだった。
やっとシャルルに内政をやらせることができそうです。
やはり過去に転生した人物が最大限活躍するのは内政パートでしょうから
早くここまでもってきたくてしょうがありませんでした。
しかし急ぎすぎて展開に無理が生じていないかが心配です……。
ご意見、ご感想をお待ちしています。