あれから30分ほどたったがいまだに吐き気は治まらない。
しかし、いい加減出る物も出尽くし吐くこともできない。
なんとも奇妙な二律背反にオレは苦しめられていた。
そんなオレを死体の後始末を終えたモルト老が容赦なく叱責する。
「情けねぇなぁ、小僧。
オラ、シャキッとしやがれ!! これから忙しくなるんだ」
そう言って乱暴にオレの背中を叩き活を入れる。
オレもまた精神力を総動員して体を整えた。
「いいか、これまでのことをまとめるぞ」
そのモルト老の言葉に頷き、二人だけの戦略会議が始める。
「暗殺を指示したのは無怖公ジャンのようだ。二人とも同じ名前を吐いたからまず間違いあるまい」
無怖公ジャン。確かブルゴーニュ公の子息のはずだ。
となると懸念すべきことが一つある。
「ブルゴーニュ公は関わっているのでしょうか?」
それ如何によって今後の対応は大きく変わってくる。
公の力は強大だ。もし関与しているならこちらも腹を括らざるを得ない。
しかしモルト老はオレの懸念を一蹴した。
「いや、やっこさんはこういう手は好かなかったはずだ。
それに世間で言われているほど豪胆公はお前達を敵視していない。
あれでけっこう一族を重視する奴だからな」
オレは何気なくもたらされた意外な情報に驚き、同時に安堵した。
少なくとも豪胆公は敵ではない、このことを後々になってきっと生きてくるはずだ。
「と、なるとジャン殿の独断専行でしょうか?」
「そんなところだろう。だが、首謀者がジャンってのが厄介だ」
「何故ですか?彼も私と同じく次期継承者の立場である以上その力も知れているのでは?」
オレの意見にモルト老はゆっくりと首を振った。
「成人しているんだ。ある程度の裁量権はある。
それにジャンとは面識こそないが話には聞いている。
奴は事がうまくいかないと意地になって執拗に仕掛けるタイプらしい。
成功すると思っていた計画の場合は特に、な。
そしてまだ幼いお前ではそれを防ぎきれまい」
ここでもオレの年齢がネックになっている。
この日ほど早く大人になりたいと感じた日はなかった。
しかし、人は現在の力をやりくりして生きる他ない。
「では、どうすればいいのです?」
モルト老はオレの目をジッと見つめる。
「いいか、オレの言うことをよーく聞け」
そう言って言葉を切ったあと、オレに策をさずけた。
翌日、オレは再び父の部屋の前に来ていた。
正直、気は進まない。
しかし、モルト老の策には理があり成功すればオレは助かる。
説得するためのアドバイスももらった。
オレは大きく息を吸ってドアをノックした。
「失礼します。シャルルです」
「……入れ」
つい昨日喧嘩を売ったも同然の相手におもねるなんて妙な気分だった。
(いいか、ガキのお前はどうしたって親の庇護がいる。とりあえず親父を敵にはするな)
モルト老の言葉を思い出し、反発する心を自制する。
「何の用だ?ヴァランティーヌのことなら聞かぬぞ」
父の声音は予想通り冷たいものだった。
当然だろう。オレの行動はこの時代においては埒外のことだったのだから。
「その件に関しては謝罪いたします。
何分、ただ一人の母のことゆえ取り乱しました。
全ては私の未熟。駄々をこねるような言動をしてしまい申し訳ありませんでした」
オレの180°違う態度に不審そうな顔をした父は続きを促した。
「もうよい。それで?」
言葉とは裏腹にその目はまだオレを疑っている。
本当に目は口ほどに物を言う人だ……。
「母が追放となったことは悲しいことですが仕方ありません。
ですが父上、母の追放先についてはいかがお考えですか?」
いかにも母思いの子供らしい質問に気を緩めたのか、父はその表情を柔らかくする。
しかしこれだけでは駄目だ。
オレが自身を飾る最高の装飾であることを改めて父に認識させなければならない。
「そのことならオルレアン公領内のどこかにしようと考えている。そうだな……ブロワ辺りになるだろう」
ドンピシャだ。ここまではモルト老の読み通り。
後はオレの腕次第だ。
「その件ですが、どうでしょう?母を一時的に故郷であるミラノに置くことにいたしませんか?」
「なぜだ?」
オレの言葉がさぞ意外だったのだろう。
訝しげに理由を尋ねる父にオレは精一杯母を案ずる子の気持ちを訴える。
「母も心身共にお疲れでしょうから故郷で静養してもらいたいというのが一点。それに……」
少しの間を置いて徐に口を開く。ここからが本番だ。
「今回の件で祖父であるミラノ公との同盟に齟齬をきたすのは確実です。
ローマ皇族でもある彼との関係を切ることは些か問題があると思います」
そこまで言ってオレは父の目を見つめその言葉を待った。
これでオレに政治的感覚もあることを示せたはずだ。
腕を組んだまま暫く考え込んでいた父はやがてその言葉を肯定する。
「確かにその通りだ。しかし、私がヴァランティーヌを庇いきれなかった以上それも仕方あるまい」
ここだ。父は明らかにミラノ公との同盟に未練がある。
「私もミラノに行かせてはもらえないでしょうか?
母をミラノに帰し、父が心から母の身を思っていることをミラノ公に伝えると共に関係修復の一助となりたく思います。
それにミラノの相続権は私にもあります。
将来継承する可能性がある以上訪れることに意義はあるはずです」
オレの言葉に父は迷っているようだった。
この提案の肝は父に損がないことにある。
もしもオレがミラノ公に気に入られれば儲けもの、というレベルの話にすぎない。
拒否する理由は少ないはずだ。
しかしまだ弱いか……。
オレはモルト老の指示に従うことにした。
(お前の親父ルイは良くも悪くも凡人だ。妻を利用して陥れたことに多少の引け目を感じている。奴の罪悪感をあおれ)
これが最後の一手だ。
「付け加えるならば母の追放が知れ渡って以来、私に対する暗殺未遂などの数が増加しています。
罪状が反逆罪である以上歪んだ正義感に突き動かされた者が母を襲わないとも限りません。
そうである以上ある程度ほとぼりが冷めるまでは安全な地へ送ることが賢明だと思います」
ジャンに直接的な襲撃をされたことは隠さねばならない。
父がここぞとばかりにそれを追及し両陣営の確執が深まることは想像に難くないからだ。
むっつりと黙りこみ考え込んでいた父はようやく結論をだしたようだ。
「よかろう。
確かにお前はミラノに行ったことがない。
いい機会だ。母と供に行ってくるといい。
その間にこちらでヴァランティーヌに関してのイメージアップはやっておく」
オレは賭けに勝った。
思わずほくそ笑みそうになるのを我慢しながら父に丁重に礼を言って退室する。
「まずは第一段階クリア、か」
これでしばらくは命の危険にさらされることはない。
オレはそのことに安堵しつつモルト老に報告に行くことにした。
こうしてオレは運命の地、ミラノに行くことになる。
その旅にはオレ付き従者の一人としてモルト老も忍び込んでいた。
ちょっとミラノ行きがこじつけっぽかったかと反省しています。
しかし現在の実力ではこれが限界でした……。
楽しんでいただけたら幸いです。
またアドバイスなどがありましたら是非お願いします