オレは馬を使いつぶす勢いで鞭を振るっていた。
頭の中では母との思い出が泡のように次々と浮かんでは消える。
愛する人を守れない無力感がオレを襲っていた。
まだ間に合うかもしれない、後悔と諦念に押しつぶされそうな自分を叱咤してさらに馬を急がせる。
ぐちゃぐちゃに乱れたオレの心はモルト老というかすかな希望にのみ支えられていた。
修行場にはいつものように酒を飲んでいるモルト老がいた。
こちらに気づいた彼は使いつぶされた馬を見て血相を変えて近寄ってくる。
「バカ野郎!! 馬を大事にしねぇ奴は最低だとあれほど……」
「母がはめられました」
簡潔にして明快なオレの言葉と切羽詰まった態度はモルト老の怒りを覚ますのに十分だった。
彼は倒れこんだ馬に手を伸ばしながら静かに問いかける。
「詳しく聞かせろ」
オレは事情の全てと自分の思いの丈を話した。
父の裏切りと王妃の悪徳、そしてそれがいかに卑劣な所業かを。
自分がどれ程に母を愛し、助けたいかを。
オレは全てを話し終え、モルト老をすがるような目で見た。
この偉大な老人にも不可能ならもはや誰にも母を助けることは叶わない。
オレにとってモルト老はまさしく最後の希望だった。
彼はしばらく考え込んだ後、難しい顔つきで話し始めた。
「母の名誉を回復することは不可能ではない。が、時間がかかる……」
それではダメだった。オレは今、母の名誉を回復したいのだ。
「私は母がいわれなき罪に貶められることなど我慢なりません。
母もまたそれに耐えられないでしょう。
一刻も早く母の名誉を回復する方策はないでしょうか」
オレの口調はは懇願するような調子だった。
それが可能ならば何を差し出してもかまわない。
しかしオレの願いはモルト老の言葉によって退けられた。
「今すぐは無理だ」
モルト老の答えは予想していたものだった。
そう、魔法でも使わない限り不可能なことはわかっていた。
それでも諦めきれず更に言い募ろうとするオレをモルト老は手で制する。
「まぁ、聞け。お前の母はパリ追放になったにすぎん。
貴族はまず離縁はできないから恐らくオルレアン公領の適当などこかに住むことになるはずだ。
これはまず間違いあるまい。
お前は母の心が傷つくことを防ぎたいのだな?」
オレは勢いよく頷いた。
それこそがオレの望みだ。
「ならば話は簡単だ。母を説き伏せてしばらくの間ミラノに行けばいい。
口さがない連中にとやかく言われるだろうがそんな連中は無視して強行しろ。
奴らはお前が権力を握れば手のひらを返す。
そしてミラノだが、あそこはお前の爺さんガレアッツォの本拠地だ。
その支配力は絶対的だから少なくとも表だって非難されることはないだろう。
それに故郷でならどこよりも心穏やかに過ごせるはずだ。」
「しかし、それは逃げであって何の解決にもならないのでは?」
「そこさ。とりあえず母親を安全な場所に移してこっちで色々やればいいんだ。
事の原因は王妃が宮廷内の権力を握っていることにある以上その権威を失墜させれば色々と打つ手は見えてくる。
それにお前が成長してその影響力を増大させればその母親を悪く言える奴も減ってくるさ。
とにかくこれからの動き次第でやりようはいくらでも……!?」
顔をしかめたモルト老は瞬時に剣を抜くとオレを突き飛ばし、勢いよく振りぬいた。
そしてすぐに体勢を立て直したオレを怒鳴りつける。
「伏せてろ!!」
見ると次々と飛んでくる矢をモルト老が熟練の剣技で斬り払っていた。
その動きはとても老人のものではなく、あまりの早さに腕がみえない程だった。
「木を盾にして周囲を警戒しておけ!」
彼はそう命じるや否や周囲の自然を巧みに利用して射手に斬りかかって行った。
襲撃者は全部で15人程で中には鎧を着込んだ者もいる。
モルト老は恐ろしい雄たけびを発して真っ先に鎧姿の一人を渾身の力を込めて突き刺した。
彼の一撃はその剣を代償にして厚い鎧を貫き、襲撃者の一人の命を絶ち切る。
モルト老の真の恐ろしさは猪のような風貌から想像できるようにその力にあった。
倒れいく男の背から長大なバスターソードを奪うとそれを射手の集団めがけて投げつる。
回転しながら勢いよく飛んだそれは密集して動きの取れない射手達を巻き込んで彼らの命を刈り取った。
そして混乱した彼らに追い討ちをかけようと猪そのものの勢いでモルト老は突進する。
わずか10秒の早業。その短時間で既に4人の敵が葬られていた。
「す、すごい……」
それはどこか空想じみた光景だった。
モルト老の恐ろしい笑い声が響く中、次々と殺されていく刺客達。
彼らの姿はまるで自分から剣に刺さりに行っているようで、どこか予定調和じみた劇のような感覚すらオレに抱かせた。
初めて見たモルト老の実力はそれ程までに圧倒的だったのだ。
強さとはわかりやすい形で心に訴えてくる。
オレはモルト老の力に魅せられていた。
「!?」
第六感が働いたのか何かを感じたオレは大きく横に飛んだ。
次の瞬間そこに矢が突き刺さる。
慌てて飛んできた方向に目を向けると一人の男が剣を振りかぶって突っ込んでくるのが見えた。
結局、自分の命は自分で守ることになりそうだ。
剣を握りしめながら考える。
相手は大人でこちらは6歳児。
まともに斬りあっては力負けすることは確実だ。
手持ちの武器は二振りのナイフと剣一本。
しかもオレの剣は体格に合わせて少々長い短剣程度しかない。
となるとリーチの差は絶対的だ。
こういう大人と子供の勝負で子供が勝つためには相手が侮ってくれる必要があるが、標的である以上全力で殺しにかかってくるだろう。
さらに武器に毒を塗っている可能性があるために「肉を切らせて骨をたつ」という作戦も使えない。
残された道は……相手の意表をつき、小回りの利く小さな体を最大限に利用するしかない!!
それに相手の武器は刺突剣。
ならば的の小さいこの体は有利に働くはずだった。
オレはそこまで考えたあと相手に向かって剣を大上段に振りかぶって全力で走った。
刺客は一瞬驚いた顔をしたがすぐに表情を引き締め、走りながら剣を構える。
互いの距離が近づく。
その瞬間オレは剣を相手の足もとに向けて投げつけ、自分もスライディングをした。
重荷を捨て去ったことによって動きに緩急をつけたオレはギリギリで突きを避ける。
さらに通り抜けざまに懐からナイフを取り出し、膝裏に突き刺すと同時に全速力で離脱した。
今更ながら冷汗が流れてくる。
まさに薄氷の上を歩くような賭けだった。
成功したのは運以外のなにものでもない。
しかし、まだ安心するには早い。
相手の息の根を止めるまで決して油断するな、モルト老が繰り返し教えたことだ。
オレは懐からもう1つのナイフを取り出すと慎重に相手の背後に回り込み、それを投げた。
そして、それが首筋に刺さったことを確認して初めて大きく息をつく。
向こうからは2人の刺客を捕えて引きずってくるモルト老が見える。
どうやら助かったようだ……。
「おい、誰に頼まれた」
モルト老は捕らえた刺客のうち、より軽傷な方に向かって尋ねた。
当然ながら口を割る気配はない。
「誰に頼まれたかって聞いてんだよ」
「知らんな。我々は単なる雇われだ。さっさと殺せ」
「雇われねぇ……」
モルト老は笑いながらそう呟くとオレの方を向いた。
「知ってるか?戦士には二種類ある。
兵士タイプと傭兵タイプだ。
傭兵タイプの剣は戦場で培ったもんだ。
自由気ままで臨機応変。人の数だけ流派がある。
一方、兵士タイプはその逆だ。
兵士ってもんはまず型を習得してそれから実践を積み自分なりの技を身に着けていく。
だが、根底にあるのは同じだ。見るやつが見れば一発で分かる」
そこまで言って捕虜を殴り飛ばした。
「てめぇの動きからはよく知った型が見えるんだよ!! 」
看破された兵士は顔を青ざめつつもさらに口をつぐむ。
「だんまりか。……ところで何で二人捕まえたと思う?情報を聞き出すには一人で十分なのに」
確かにそれはオレも疑問に感じていた。
その疑問は次のモルト老の言葉で氷解する。
「おい、小僧。これから拷問についてのレクチャーだ。滅多にできるもんじゃんねぇからよく見とけ」
それから2時間、辺り一帯に悲痛な叫びが響き渡り、結局、兵士は口を割った。
しかし、その重要な情報はしばらくオレの耳に届くことはないだろう。
オレはスプラッタすぎる映像によって嘔吐にいそしむことになったからだ。
唯一のケガの功名は初めての殺人の罪悪感を遥かに上回るショックによって麻痺させられたことくらいだった。
母を守る方策でしたが無理やり過ぎだったでしょうか?
母追放に関しては歴史的事実なのですがシャルルとガレアッツォを本格的に
絡ませるために利用させてもらいました。
今回の話は受け入れられない方もいらっしゃると思います。
とりあえずこれからイタリア方面に行く方針なのですがそれに対するご意見が
ありましたらお待ちしております。
では、ご精読感謝します。