エンファントは俗に言うエリート集団だ。
確かにその出自は定かでなく、一般的に見ても卑しい。
だが、高度な教育を受け、将来シャルルの近衛兵となることを約束された彼等は、十分にエリートと呼ばれるに足る集団である。
そのことは彼等自身、深く自覚していた。
筆頭イーヴを始めとする団員全てが、高い意識とシャルルへの激烈な忠誠心の下に統一され、一個の生命として行動する。
エンファントは結成以来4年にも及ぶ厳しい訓練によって、自らをそれ程の軍集団にまで昇華させていた。
・・・・・・表面上は。
その皮を一枚剥ぎ取れば、そこにいるのは思春期の少年達。
身に付けた技術を除けばそこ等で悪戯に興じる悪ガキと変わりはない。
そう、一歩踏み込んでみれば彼等の間でこんな会話が飛び交うのを目撃することも当然のことなのだ。
「なぁ・・・・・・」
夕方、集団訓練が終わった後。
鍛錬場に残り各々が自主鍛錬に明け暮れる、そんな時間帯に一人の少年が口を開いた。
彼の名はミラン。
お調子者でエンファントのムードメイカー的存在の少年である。
ミランは先日開かれたジョヴァンニの結婚式に参列した者の一人であった。
ある程度以上見目が良く、行儀作法まで修めている。
先の宴は、その条件に合致した極僅かな者のみが特別に参加を許された。
その中に含まれるということはエンファント内でもトップクラスにいる証左である。
ミランはそんな少年だった。
「なんだ」
改まった様子で喋りだしたミランに周囲の者も何事かと振り向いた。
ちょうどいつも休息を入れる時間ということもあって、誰もが皆その手を休める。
イーヴ、ロイ、ダンテス。
エンファントの中核を担う面々だ。
彼等を代表してミランに応じたのはダンテスであった。
悪ふざけの多いミランに付き合うのはいつも彼の役割だった。
「あのさ、オレこの前のパーティーに出て思ったんだけどさ・・・・・・」
神妙な顔付きで話し始めたミランは急に相好を崩して叫んだ。
「ソフィア様って無茶苦茶かわいかったよな!!」
手を握り締めてそう力説した。
「百合のような顔(かんばせ)。折れそうに細い腰。
可憐っていうのはああいう娘を言うんだろうな~。
くそっ、あの子がジョヴァンニなんかのものになっちまうなんて世界の損失だぜ。
神の試練、ここに極まれりっていうかさ~。
せめてシャルル様に嫁いでくれたんなら納得がいくのによ」
口から飛び出たのは、そんな不敬極まる発言であった。
また始まったよ、という視線がミランに注がれる。
それにも関らずソフィアの素晴らしさを捲くし立てる彼をイーヴが咎めた。
「口に気を付けろ、ミラン。
一応でも様を付けねばシャルル様に累が及ぶ」
「分かってるさ。うっかりしてたんだ」
「それに・・・・・・シャルル様にはイザベラ様という許婚がおられるだろう。そのような発言は失礼極まりない」
静かな、しかし断固たる口調でイーヴはミランを叱り付けた。
エンファント内にジョヴァンニへの反感があるのは事実である。
何せジョヴァンニは敬愛する主、シャルルの障害となる人物だ。
悪感情を持たないわけがない。
しかし、それとその感情を露わにするのとは別問題である。
イーヴはそう言ってミランを注意したのだが、ダンテスはそう受け取らなかった。
「なんだ、イーヴ。イザベラ様を蔑ろにされて怒ったか?」
にやにやと、そう表現するに相応しい人の悪い笑みを浮かべながらダンテスは茶化した。
それを聞いたイーヴの黒い肌が薄っすらと濃くなる。
それは彼が赤くなっている証拠だった。
「別にそんなつもりはない。ただ不敬だと思ったから注意したまでだ」
生真面目な彼らしい返答。
しかし、付き合いの深いダンテスはイーヴの変化を見逃さなかった。
ミランもだ。
「おやおや、イーヴさん。早口になってらっしゃるよ」
「それに口調がどもりがちだぜ。これは動揺してる証拠だ。なぁ、ロイ」
急に振られたロイはリーダーに気遣いながらも、年上の二人の意地の悪い顔を見て躊躇いがちに同意した。
「えぇ、まあ。イーヴさんはそんな癖がありますよね」
こうなった二人に逆らえば自分に累が及ぶ。
経験談からくる防衛意識は、信頼するリーダーをあっさりと見捨てさせた。
「ほら、ロイもこう言ってるぜ。あのロイがだ」
ミランが得たりとばかりに騒げば、ダンテスもまたここぞとばかりにイーヴに詰め寄った。
「認めちゃいな、イーヴさんよ。イザベラ様を差し置いてソフィア様を嫁さんに、なんて言ったから怒ったってさ」
そうすれば楽になるよ、そう言って笑う二人をイーヴは心底忌々しげに睨んだ。
しかし、そんな苦し紛れの視線などダンテスやミランにとっては心地よいだけだ。
イーヴは覚悟を決めた。
一時の恥などモルト老の剣戟に向かうのに比ぶれば如何ほどのものであろう。
「あぁ、そうだよ。敬愛する方が蔑ろにされたからムッときたよ。これで満足か!!」
そして、返す刀で相手に同等の痛痒を与えんとする。
「そういう御前はどうなんだ?」
そうダンテスに問うた。
自分がやられて嫌なことは相手も嫌なんだよ。
脳裏にモルト老のそんな声が聞こえた。
ありがとう御座います、老師。あなたの教えの御蔭で今日も相手に切り返すことが出来ました。
イーヴは心の中でモルト老への感謝の念を奉げたが、状況が悪かった。
あるいは違っていたというべきか。
「勿論、イザベラ様を敬愛してるさ」
ダンテスは胸を張りそう宣言したのだ。
「あの美しさ。
薔薇に例えられる華やかな御顔は、最近富に磨きがかかってきたし、身体つきも実に素晴らしい。
こう・・・・・・、出る所は出て、引っ込む所は引っ込んでいるってやつ?
正直言わせてもらえば堪らないね。
そんじょそこらの女性では太刀打ちできない高貴な美、っていうのを感じるよ」
ダンテスは飄々とそう語った。
何ら痛痒を感じていない、堂々とした語り口はいっそ清々しい。
「何をしてるのかな、ロイ?」
ダンテスが目を向けた先には、射手らしく風向きの変化を読んで逃げだそうとするロイの姿があった。
このままでは巻き添えを喰う。
そう判断したロイの直感は極めて正しかったが、あいにくダンテスの方が上手であった。
その長い腕と怪力で以って小柄なロイを引き寄せると、この上ない程にこやかに尋ねる。
「で、ロイ君は誰がいいのかな?」
「君だけ逃げられるなんて考えが甘いぜ。きりきり吐いてもらおうか」
締め上げるダンテス、にじり寄るミラン。
目元を光らせたロイは、エンファントの良心へと救いを求めた。
「・・・・・・ロイ。御前は誰なんだ?」
しかし、現実は無情である。
救いを求める手をばっさりと切り捨てたイーヴの目には冷たい光がはっきりと浮かんでいた。
さっきはよくも見捨ててくれたな。
そんな科白をまざまざと伝えてくるイーヴの眼光にロイは全てを諦めた。
「ぼくは、その・・・・・・。ヴァランティーヌ様がいいかな~と」
消え入りそうな声でロイはそう呟いた。
「お、御前。年上趣味か!?」
「いくら何でも上過ぎるだろう」
「予想外だ」
三人は口々に驚きの声をあげる。
その顔は心なしか引き攣っているようだった。
明らかに引いた三人の反応を見て、ロイは慌てたように腕を振った。
「いや、別にそういうわけではないんですよ。
ただヴァランティーヌ様を見てると国に残した母を思い出すというか。
安心するというか。
温かくなるというか。
ほら、分かるでしょう。
こう・・・・・・、甘えたくなる感じが」
「いや、分からねぇよ」
「分かりたくもないぜ」
「理解不能だ」
「ひどいです!!」
ロイは周囲のあんまりな反応に叫んだ。
なんたる無理解。
憤然として己の正当性を主張する。
「皆さんだってヴァランティーヌ様を慕う心はおありでしょう?
あんなに良くしてくださったじゃありませんか。
生まれの卑しい僕達に優しくしてくれる貴族なんてそういないことは、僕達自身が一番身に沁みていることでしょう」
確かにエンファントに対する風当たりは相当強いものだった。
戦争は貴族の領分。
彼等はその不文律を破り、犯したのだ。
シャルルがどれ程心を砕こうともその事実に変わりはない。
反発が起こることは必然であった。
「ヴァランティーヌ様だけは他の人と違いました。
優しくしてくれました。
甘いお菓子をくれました。
本当に良くしてくれたじゃないですか」
イーヴ達の頭に温かい記憶が蘇ってきた。
モルト老を始めとする老傭兵団のつらい扱き。
倒れる限界を見極められた早朝ランニング。
素振り5000回。
常に死を意識させられる掛かり稽古。
地獄の責め苦に等しい日々だった。
頭を痛ませるだけの座学がどれだけ嬉しかったことか。
勿論訓練である以上、本当に死ぬことはない。
しかし、一皮剥けるためと称して死の臨界に触れさせられることは日常茶飯事であった。
そんな筈は無い。いや、でもまさか!?
そう思わされるだけの恐怖がモルト老の訓練にはあったのだ。
そんな日々の中で、ヴァランティーヌという存在がどれ程の癒しになったことか。
「泥に塗れて倒れこんでいたあの日。
僕はまさに女神を見た思いでした。
皆さんはそう思わなかったのですか?」
ロイにしては珍しく強い口調で非難する。
恩知らず。薄情者。
そういったロイの主張は傍から見れば正当なものに映った。
非難された側の三人を除けば。
彼等の顔には、はっきりと困惑の色が浮かんでいた。
「そうは言っても・・・・・・なぁ」
「ああ」
魂の言葉に対する周囲のあまりに薄い反応にロイは更に眉を顰める。
「なんですか。僕の言っていることは間違っていますか」
顔を見合わせた三人を代表してダンテスが口を開いた。
「ロイ、御前の言っていることは間違っちゃいねぇよ。
オレ達がつらい訓練を耐えれたのはヴァランティーヌ様の御心遣いのお蔭。
それを認めるのは吝かではないさ」
「そうでしょう」
ダンテスの肯定にロイは得たりと頷いた。
「・・・・・・けどよ、同じ場所にイザベラ様もいただろ」
訓練場に気まずい、じとっとした空気が満ちる。
「そりゃあ、ヴァランティーヌ様にも感謝してるよ。
だけどオレ達位の年だったら普通年齢も近いイザベラ様に憧れるだろ」
「そうでなくても年が近い方に目がいくのは普通だと思うぜ」
「語るに落ちたな」
反攻に転じた三人の前に、ロイの勢いはみるみるうちに失速していった。
「大体おかしいと思ったんだ。御前がヴァランティーヌ様を見る目が妙に熱っぽいからよ」
「いや、オレはかなり前から疑っていたぜ」
「信じたくはなかった」
それぞれ好き放題に言いたいことを言うと、三人は無言でロイを見詰めた。
眼の奥にはありありと好奇の光が宿っている。
これから自分に降りかかる未来をロイははっきりと察した。
絶対からかい尽くされる。
そう判断した彼の判断は素早かった。
「そんな、僕の純粋な心を邪推するなんて。みんなの・・・・・・バカ――――!!」
そう叫ぶとロイは一目散に逃げ出す。
電光石火の逃走は誰もが予想だにしない、完全に虚を付いた見事なものだった。
「あっ、待て。ロイ!!」
獲物を逃がした先輩達の声を遥か後方に置き去りにして、ロイは見付かりにくい林へと逃げ込んだ。
十分に距離を取った上で、木によじ登って周囲を見渡す。
そして、追跡されていないことを確認するとようやく幹にもたれて溜息を吐いた。
「まさか、こんなことで僕の嗜好がバレるなんてな~。失敗したよ」
そうぼやいたロイは、経験豊富な教官の間で既に自分の年上趣味が事実として広まっていることを知らなかった。
そんな抜けた所のある彼の名はロイ。
エンファント随一の射手にして、後に銃による狙撃手の先駆けとなる男。
そして、輝くような金髪と少女と見紛えんばかりの容姿を最大限に活用してマダムキラーの名を欲しい侭にし、ヨーロッパ社交界で恐れられることとなる男である。
------後書き------
部屋に篭もるとついつい書いてしまう。
いけないと思いながらも・・・・・・作者は誰しもそんな経験があるのでは?
というわけで、非常に短いですが外伝です。
日常の一コマを膨らませるのに挑戦したわけですが、意外に難しかったです。
短編であんなにたくさん書けるプロはやはり凄いな、と思いました。
テンポよくまろやかな話を目指したのですが、どうだったでしょうか?
こういった話はあまり書いてこなかったのでアドバイスを頂ければ嬉しいです。
それでは、御意見、御感想、御批判をお待ちしています。