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No.8422の一覧
[0] 百年戦争史・シャルルマーニュ伝[サザエ](2009/07/20 01:47)
[1] プロローグ[サザエ](2009/06/07 03:41)
[2] 師匠[サザエ](2009/06/07 03:42)
[3] 王族[サザエ](2009/10/25 20:47)
[4] 外伝1.シャルル危機一髪[サザエ](2009/05/04 21:06)
[5] 追放[サザエ](2009/06/07 03:43)
[6] ブルゴーニュの陰謀[サザエ](2009/06/07 03:43)
[7] 初めての諸々[サザエ](2009/06/07 03:44)
[8] 説得[サザエ](2009/06/07 03:45)
[9] 大都市ミラノ[サザエ](2009/06/07 03:46)
[10] 出会い、そして内政①[サザエ](2009/06/07 11:44)
[11] 蠢き始めた獅子[サザエ](2009/06/07 04:07)
[12] 外伝2. 母の思い[サザエ](2009/06/07 04:12)
[13] シャルルの軍[サザエ](2009/10/25 20:48)
[14] 内政②通信革命と傭兵の集い[サザエ](2009/06/21 22:40)
[15] イングランド政変[サザエ](2009/06/13 21:56)
[16] 交渉準備[サザエ](2009/06/28 12:58)
[17] 会談・大貴族ブルゴーニュ公[サザエ](2009/10/25 20:48)
[18] 祭りの後の地団駄[サザエ](2009/07/13 02:24)
[19] ギヨーム恋愛教室[サザエ](2009/07/06 14:55)
[20] 少年リッシュモン・英雄の原点[サザエ](2009/07/19 03:49)
[21] 婚約と社交会[サザエ](2009/07/20 01:39)
[22] 外伝3.薔薇の少女イザベラ[サザエ](2009/07/20 01:47)
[23] 外伝4.その頃イタリア・カルマニョーラ[サザエ](2009/10/13 00:22)
[24] ミラノ帰還~リッシュモン編~[サザエ](2009/09/06 21:44)
[25] ミラノ帰還~ガレアッツォ・イザベラ編~[サザエ](2009/11/25 04:21)
[26] フィレンツェの事情・戦争の開幕[サザエ](2009/11/25 04:21)
[27] ボローニャ攻略戦[サザエ](2009/09/26 03:23)
[28] 戦後処理[サザエ](2009/10/09 16:51)
[29] フィレンツェ戦前夜[サザエ](2009/10/13 00:22)
[30] 急転する世界[サザエ](2009/11/25 04:22)
[31] 事変後の世界[サザエ](2009/10/19 09:32)
[32] 謀・その大家と初心者[サザエ](2009/10/25 20:46)
[33] 外伝5.軍師~謀・その陰と陽~[サザエ](2009/11/07 22:19)
[34] 大乱の幕開け[サザエ](2009/11/07 22:18)
[35] 皇帝廃位[サザエ](2009/11/19 14:07)
[36] シャティヨンの戦い[サザエ](2009/11/25 11:12)
[37] 外伝6.屍が蘇った日[サザエ](2009/11/30 21:36)
[38] 戦火の後に[サザエ](2009/12/25 17:37)
[39] ブルグント王国復興の宴[サザエ](2009/12/11 18:57)
[40] 塗り換わった勢力図[サザエ](2009/12/16 18:39)
[41] 同盟締結[サザエ](2009/12/22 00:05)
[42] 外伝7.最期の望み[サザエ](2009/12/25 17:40)
[43] 黒い年末[サザエ](2010/05/30 17:44)
[44] 外伝8.エンファントの日常[サザエ](2010/01/12 18:12)
[45] 派閥の贄[サザエ](2010/01/24 00:18)
[46] 嵐の前[サザエ](2010/01/31 21:20)
[47] 陽炎の軍[サザエ](2010/02/15 22:04)
[48] 揺れる王国(加筆)[サザエ](2010/05/30 17:45)
[49] 闇夜の開戦[サザエ](2010/05/30 17:49)
[50] 決戦前夜[サザエ](2010/07/11 05:01)
[51] 決戦は遥か[サザエ](2010/08/28 19:43)
[52] 雛は歩き出す[サザエ](2010/11/19 17:57)
[53] 騎士の道[サザエ](2010/12/09 21:40)
[54] 作中登場人物・史実バージョン[サザエ](2009/09/26 03:27)
[55] 年表(暫定版)[サザエ](2010/02/17 18:17)
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[8422] シャティヨンの戦い
Name: サザエ◆d857c520 ID:14833451 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/11/25 11:12
ループレヒトは貴種である。
長い歴史を有するヨーロッパ有数の名家、ヴィッテルスバッハ家に生まれ、完璧な教育を受け、輝かしい足跡を辿って来た。
誰もが羨む地位、誰もが羨む権力、誰もが羨む財力。
それらは全て当たり前のようにループレヒトの手に在るものであったし、そうであることを疑うなど考えもしないようなものであった。
そんなループレヒトにとって皇帝の座は悲願だった。
至尊の地位は自分にこそ相応しい。
ヴェンツェル如き青ビョウタンに傅くなど到底許容できない。
ループレヒトは長年そう思い続けていたし、自分の物である筈の冠が他人の頭上にあることに対して並々ならぬ憤りを感じていた。
世の不条理を嘆き続けてきたのだ。


「……神は矢張り見ておられるのだ」


眼前の軍勢を眺めながらループレヒトはひとりごちた。


「在るべき物は在るべき者の手に。それが世の理なのだ」


古の勇者、神話の英雄が馳せ参じたかのような光景に感激を抑えきれない。
総勢4万の大軍勢。
大都市の住民を越える程の圧倒的な兵が自分に従っているのだ。
これぞ皇帝の威光というものであろう。
今日のループレヒトはまさに幸福の絶頂にあった。
彼等の頂点に立つ自分の姿もまた皇帝足るに相応しい。
黄金をあしらった美々しい鎧に宝石で彩られた剣。
この日のためにヴェネツィアに特注した武具はこの晴れがましい日をこの上ないものにしてくれている。
この偉容、己は軍神アレクサンダーの生まれ変わりなのではないか。
そう確信してしまう程に彼は浮かれていた。
最もそう思っているのは本人だけであったが……。
実際のループレヒトは、けばけばしい具足と本人の地味な容貌が全く合っておらず、それどころか却ってその貧相さを際立たせていたし、
鍛え上げられているというには程遠い身体つきと仰々しい装いは見る者に頼りなさを感じさせるという演出効果しかもたらさなかった。
似合っていると思い込んでいる顎鬚も縮れてひょろひょろになっており、見っとも無さしか感じられない。
だが、そんな姿もループレヒトの目を通せばこの上なく立派なものに変わってしまうのだった。


「陛下、そろそろ出陣の刻限です」


馬廻である親衛隊員ルビーンの耳打ちによって現実に立ち返ったループレヒトは仰々しく頷いた。
承認の仕草を受けて、伝令兵が各隊に出立を告げるべく駆け出す。


「出陣ぞ。世界に我が威光を知らしめるのだ」


口上と共に馬を走らせたループレヒトの人生は何所までも開けているように思えた。













帝国軍はアルプス山脈を越え、ミラノの咽喉下へと一気に突き進む作戦を取った。
そのためにはスイスを通過しなければならなかったが、その段取りは全てヴェネツィアが付け、八州同盟も皇帝の行軍を黙認していた。
行く道は数ある峠の中から後にグラン・サン・ベルナール峠と呼ばれることになるものを選んだ。
古来より多くの商人、巡礼者、軍隊が利用してきた道である。
そこはハンニバルのアルプス越えもこの峠を使ったたものであると伝わる行路の定番であった。
スイスのマルティニーとイタリアのアオスタを結ぶその峠を越えると、トリノとミラノの中間に抜けることができる。
そうすると都市の付近に4万の軍勢が突如現れるという事態になるのだ。
ミラノにとっては完璧な奇襲となるだろう。
もちろん定番の行路だけに待ち伏せされる可能性もあったが、ヴェネツィアと共同で情報封鎖を掛けているミラノの情報収集能力は落ちている。
ループレヒトの予想では、ミラノは今頃皇帝廃位の真偽を確認している最中である筈だった。
これ程の重大事である。
情報の錯綜によって並大抵の者は右往左往して混乱してしまうし、多少心得のある者も軽挙妄動を避けるために慎重になる。
行動は萎縮し、対応するために態勢を移行しようとして中途半端な状態が生まれるだろう。
それに乗じて本拠地を突けば如何な強敵とて陥落する。
そして、それはミラノ公とて同じ筈だった。


「このままミラノを落とす。
 そして、危機を救われたフィレンツェに歓呼の声で迎え入れられながら通過するのだ。
 降伏兵を吸収しながら、残存勢力を駆り立て、ローマへと進軍しよう。
 そうだな、教皇への手土産にナポリを攻めてやってもいい」


決して不可能なことではない。
ミラノはガレアッツォによる独裁、ワンマン体制だ。
その頭がいなくなれば結束は乱れ、バラバラになってしまうのは容易に想像される。
それらを各個撃破すればいい。
そうすれば北イタリアの雄の力がそっくりそのまま自軍に加わることになるのだ。
その兵力は一気に倍となることだろう。


「これぞ皇帝の親征。
これぞ皇帝の威光。
 これにて我が施政は磐石なものとなるのだ」


北部及び中部イタリアの併呑。
ループレヒトの求める成果としてこれ以上のものはない。
新皇帝の名と共にその輝かしい戦果は久遠のものとして語り継がれるだろう。
ループレヒトは己の栄華を夢想し、その身を震わせた。
この険しい道を越えた向こうに栄光の未来が待っている、そんな気がしたループレヒトは更に行軍を急がせるよう指示を出す。


「もっと急ぐのだ。これでは遅すぎるぞ」


叱責を受けたルビーンは恐る恐る諫言した。


「しかし、陛下。あまり御急ぎになられますと隊列を乱すことになります。
 それに兵士が疲弊し、士気が低下してしまう恐れがあるかと……」


心中ではこの馬鹿が、と怒鳴りつけたいのを堪えているのだろう―これが部下や同僚なら彼は間違いなくそうしていた―握り締められたその手が憤懣で震えている。
それでも何とかして主君を思いとどまらせるべくルビーンは頭を捻った。
しかし、どう頑張っても目の前の主の意を翻させる知恵は浮かんでこない。
浮かれ、舞い上がっている人物を冷静にさせるというのは難しいものだ。
ましてそれが皇帝とあっては殴りつけて正気付かせるわけにもいかず、ルビーンはほとほと困り果てた。
そうやって間誤付いている部下を見たループレヒトの癇癪は爆発した。


「何をしている。
 皇帝が急げ、と命じているのだ。
 疾く実行するが貴様の勤めであろう」


叱責を受け、またそれに対する有効な抗弁も思い浮かばなかったルビーンはその言葉に従うほか無かった。
慌てて辞去を告げ、伝令兵に指示を出すべく走り出す。
ループレヒトはその様子を満足気に眺めながら鼻を鳴らした。


「もっと親衛隊の教育を徹底せねばな。
 まったく、皇帝の仕事は多過ぎる。これは戦後忙しくなるぞ」


愚痴めいたことを嬉しげに語るその様子からは敗北への不安など微塵も感じられなかった。
満願成就を目前に控え、限界まで膨れ上がった自尊心と虚栄心がループレヒトから分別というものを奪ってしまったのだ。
ループレヒトは進む。
高らかに、嬉しげに、急ぎ足で。
すぐ傍に開いている地獄の穴に気付くこともなく……。













ループレヒトが妄念によって目を眩ませていたその頃、ミラノ公国軍は逆奇襲の準備を終え、敵軍の到来を待ち構えていた。
モンジョヴェとシャティヨンの間に潜み、敵の斥候を始末しつつその牙を研ぎ澄ます。
この辺りはアオスタからシャティヨンまで真っ直ぐだった道が曲がりくね始めたところで、坂になっているため退却をすることも容易ではない。
道も狭く、大軍にであればある程身動きをとれなくなるという危険地帯であった。
そこにフィレンツェ包囲のため動けないファチーノに代わり、モルト老からの推薦を受けたガッタメラータが4000の兵を率いて駆けつけたのだ。
腕に自信のある志願兵のみで構成された精鋭の奇襲部隊である。
その中にはカルマニョーラの姿もあり、彼等は肥え太って鈍重となった羊を狩るべく闘志を滾らせていた。
腕木通信によって帝国の政変を知ったガレアッツォの対応の早さ、その成果がこの奇襲である。
信頼するラングからの情報ということもあって、ガレアッツォはすぐさま身軽な特殊部隊を作り上げた。
人数は集められない。
不測の事態に備えて各拠点には一定数以上の兵力を駐屯させておく必要があったからだ。
昨日の敵が味方となるように、今日の味方が明日の敵となる。
そういった戦乱の倣いを熟知しているガレアッツォにとって、もはや当座の同盟関係などは勘定に入らない。
ヴェネツィアも神聖ローマ帝国も仮想敵国として対処する。
そういう決定をガレアッツォは即座に下したのだ。
実際、ヴェネツィアはともかく帝国は敵に回る可能性が高かった。
皇帝位に就くためには、新皇帝のローマ遠征が不可欠であることは誰もが知っている常識であるからだ。
そして、そのための進軍ルートは二つ。
アルプスを迂回してヴェネツィア方面からイタリア半島に入るか、アルプスを越えて来るか、である。
前者ならボローニャに集結させた軍で対処すればよいし、一気に首都を落とされて滅ぶようなことはない。
後者なら逆に待ち構えて、少数によるゲリラ戦を行えば撃退できる。
冷静に下したガレアッツォの読みが的中したのだ。


「来たぜ野郎共、獲物がよ」


岩陰から敵軍の接近を覗き見たガッタメラータは獰猛に笑った。
そう、獲物だ。
敵はアルプスという険しい地形を大軍でのろのろと進軍している。
それも見た所、長旅で随分疲弊しきっていた。
兵士達にとって帝国軍は純金の山そのものであった。
ガッタメラータが都合よく奇襲の準備を行えたのには勿論理由がある。
彼は近隣に住む猟師を金で掻き集めたのだ。
人間よりも遥かに敏感な獣を相手取っている猟師達は、山中で気配を殺す術も敵を発見する眼もハイレベルで兼ね備えていた。
更に、彼等は道なき道を踏破して最短ルートで互いに情報を伝え合うことができる。
彼等山のエキスパートの助力によって、ガッタメラータは帝国の進軍ルートと奇襲に最適な場所を知ることを可能にしたのであった。


「見ろよ、野郎共。奴等のあのへたり具合をよ。
 足が生まれたての小鹿みてぇに震えてやがる。
 間違いねぇぜ。
 奴等は行軍で疲れ切っている。きっと碌な抵抗もできねぇに違いねぇ」


事実、帝国軍はループレヒトの命令のせいでその疲労を倍にしていた。
その様子を見たミラノ軍の間に弛緩した空気が流れる。
楽な獲物だ、と侮ったのだ。
それを敏感に感じ取ったガッタメラータは即座に制止した。


「気を抜くんじゃねぇ!!
 折角の儲けを不意にする気か。
 いいか、雑魚には目もくれるな。指揮官は殺せ。
 今回に限っては生け捕りも無しだ。
 狙うは馬鹿みてぇに着飾った皇帝陛下唯一人。
 100人の貴族よりずっと価値のある獲物だ。抜かるんじゃねぇぞ」

  
厳しい声で命じる。
言うことをきかない者は斬り捨てる、そういった威圧をこめたガッタメラータの視線に兵士達の気も引き締まった。


「よ~し、それでいい。
 それじゃ、行くぜ野郎共。弓を引け!!」


ガッタメラータの掛け声、密やかでありながよく通るその声と共に兵士達は弓を構えた。


「まだだ。まだ、放つな。
 よ~く、狙え。
 五人一組になって指揮官格の奴一人を狙うんだ。いいな。
 それと皇帝は狙うな、いいな。
 よし、待てよ。待て。辛抱しろよ」


じりじりとした緊張感が兵士の間を漂う。
少しの刺激で暴発しかねないそれをガッタメラータは懸命に押し留めた。
力は蓄えた分、我慢した分だけ強くなる。
一息に解放する瞬間、最も効果的に爆発させる瞬間を見極めるのだ。


「……今だ。放て―――――!!」


4000の兵士が一斉に矢を射る。
空高く飛び上がったミラノ軍の牙は風を切り裂き、天を穿って、標的へと殺到した。
完全なる奇襲。
予想だにしない一撃が敵指揮官達の体に突き刺さる。
一瞬にして生じた指揮権の空白。
それによって収集不可能になった混乱に乗じるようにガッタメラータは次なる命令を下した。


「第二射、放て!
 続いて第三射。矢が尽きるまで射ちまくれ――――」


次々と放たれるミラノ軍の矢が敵兵の命を狩らんと襲い掛かる。
帝国の兵士達は盾を構えようにも、その兵力が邪魔をして叶わない。
身動きも取れず哀れな的と化した兵士は、その命を無残にも噛み砕かれていく。


「射て。射って、射って、射ちまくれ――――」


ガッタメラータの檄が谷間に木霊し、反響した音が帝国軍にその位地を悟らせず、その兵力を何倍にも大きく見せる。
帝国軍の中には自身に倍する兵に襲われているという錯覚起こす者すらいた。
その動揺を逃さん、とガッタメラータは突撃を命じる。


「よし、射ちかた止め。
 総員、突撃だ! 腰抜け共の首を狩りに行くぞ」


その言葉を合図に待ってました、とばかりに猟犬達が飛び出した。


『おぉぉおおぉぉおおおおおおぉぉおお!!』


腹の底から声を出し、敵を威嚇する。
屠殺場と化した渓谷にバーバリアンの雄叫びが響き渡った。
狂戦士の集団の中から一際大柄な影が抜きん出て、大剣を以って一番乗りを果たす。
黒影は全身を使い体で巻き込むように武器を振り回すと、次々と敵兵を薙ぎ倒し、先陣を切り開いていった。


「皆、オレに続け」


影の主、カルマニョーラの呼びかけに応えるように次々とミラノ軍の兵士が続く。
彼等は錐で貫くように敵集団に喰い込むと、その傷口をどんどん広げていった。
業火の如き勢いに抗することも出来ず、帝国軍は瓦解していく。
それを収めるべき者達は屍を曝し、味方によって無残に踏み荒らされ、残された者も事態を把握しきれずにいた。
奇襲を受けたぞ。
何所からだ? 被害は如何ほど受けた?
撤退すべきか? 交戦すべきか?
指揮系統をズタズタにされた結果、それぞれがそれぞれの意思で対応を余儀なくされたが故の混乱であった。






奇襲を受けたとき、ループレヒトは隊列の中央にて馬を走らせていた。
彼は絶対者の余裕をその身に纏い、顔にはだらしない笑みを張り付かせていた。
もうすぐミラノに着く。
ループレヒトが思う栄光の日々の始まりはもうすぐ傍まで来ていた。
故に、突如襲い掛かった凶弾が何を意味しているのかループレヒトには分からなかった。


「……ぇえ?」


貴族らしくないそんな言葉が口から漏れていることを他人事のように感じながら弧を描く軌跡を見つめる。


「陛下!!」


周囲の兵の悲鳴が耳に響き、衝撃と共にループレヒトは馬上から押し出された。
親衛隊員に抱えられながら盾に守られてやっとループレヒトの思考は浮上した。


「何者だ?」


分かりきった質問である。


「恐らくミラノによる奇襲かと」


そんな質問をしてしまった自分と分かりきった答えを返す部下に怒りが湧き、ループレヒトは相手を叱り付けた。


「そんなことは分かっておる!」


混乱している己を自覚し、そのことがますます苛立ちを募らせる。
それは恐怖の裏返しだ。
ループレヒトはあまりの感情の落差に正常な精神を奪われていた。


「何をしておる。4万の兵ぞ。寡兵など相手にならぬ筈だ」


不甲斐ない、そう怒鳴り散らすも状況は変わらない。


「恐れながら陛下、一時撤退なされませ」


馬廻のルビーンは退却を進言した。
たとえ無礼と叱責をうけようとも、大将を討たれ壊滅するよりはマシである。


「何を言っている。此方は4万、大軍ぞ。すぐに押し返せる」
 

ループレヒトは退却など認められなかった。
それは栄光という珠に傷が付くような気がした。
しかし、ルビーンにとっては皇帝の感傷など些細なことである。


「退くも勇気です。この場は損害を最小に抑えることこそが最善。どうか御決断を」


叩頭せんばかりに退却を願う。
だが、ループレヒトは受け入れようとしなかった。


「何を言う。どうせ纏まった軍の奇襲では無い。
 恐らくこれは最寄の街に駐屯している兵が独自の判断で行っていること。
 目的は我等を一時撤退させての時間稼ぎであろう。
 ミラノ公が軍を集結させるために、という忠義の策よ。
 ここで撤退しては相手の思う壺ではないか」


ループレヒトの推測はあながち的外れでもなかった。
そもそもこの山越え自体がミラノ公が状況を把握しきっていない、という前提の下に成り立つもの。
そして、この時代の情報伝達手段が人力であることを考えればこの前提を立てることも間違っているとはいえない。
それ故ループレヒトの反論には力が篭もっていた。
しかし、状況はそのように悠長な議論を許してはくれない。
風切り音と共にループレヒトの頬を掠めた矢が敵の接近を報せたのだ。


「――ヒッ!?」


情けなくも悲鳴を上げたループレヒトは失態に羞恥で顔を染めた。
そして、気付かぬ振りをして頭を垂れ続ける親衛隊に先程とは真逆の意見を言う。


「撤退だ。撤退するぞ」


それは恐怖ゆえの決断であった。
だが、どんな感情に起因したものであろうと意見を聞き入れられたのだ。
大将を捕えられては戦は終わる。
ルビーンを含めた親衛隊の間にほっとした空気が流れた。


「よし、周りの兵を集めつつ撤退する。
 伝令兵には臨時の指揮任命権を与える。即座に散って混乱を収め、撤退を進めろ」


ループレヒトに代わってルビーンが指示を出す。
親衛隊長を押しのけての指示は越権行為も甚だしいが、事態が事態である。
ルビーンはこの後、如何なる処罰も受ける覚悟で命令を発した。
そして、全ての指示を終えるとループレヒトに騎乗を促す。


「参りましょう、陛下」


ループレヒトはそれに無言で頷くと、馬に鞭を打って逃げ出した。
これは退却ではない。戦略的撤退である。
誰に言うでもなく自分の心にそう言い訳をするものの、その実態は誰よりも己の心が痛感していた。
ループレヒトは死の恐怖を感じ、そこから遠ざかりたかったのだ。






馬を走らせるループレヒトの周囲には50騎程の護衛しかいなかった。
そもそもループレヒトが走らせているのは帝国中から選りすぐった駿馬である。
それに付いて来れるのは同じく駿馬に乗っている親衛隊員しかいないのは道理であった。
また、帝国軍の殆んどは雇われの傭兵で構成されていたという事情もある。
彼等に組織だった撤退を期待する方が無理な話だった。
傭兵は何よりも自分が大事だからだ。
下手をしたら皇帝を敵に差し出し、恩賞に預かろうという不心得者も出かねない、傭兵とはそんな存在なのだ。
ループレヒトは疲労で息切れしながら何故このようなことになっているのかと自問していた。
輝ける未来が待っていたのではないのか。
それがこの様は何だ。
神は自分に更なる試練を与えようというのか!?
そう理不尽を嘆いた。
ループレヒトは野心家である。
領土の拡大、権威の増強。
そういったことに腐心し続けてきた。
欲していた皇帝の地位はその終着点である。
しかし、ループレヒトは心底それらが欲しくて動いてきたたわけではなかった。
かといって一部貴族に見られるような惰性による行動でもない。
ループレヒトにとってこれらの行いは死からの逃避なのだ。
自分の力が増せば増すほど、死という逃れざるものから遠ざかっている気がする。
安心できるのだ。
この衝動は強烈であった。
ループレヒトが旨い話に乗りやすいのも、危険に過剰に反応してしまうのも、この衝動によるもの。
死から距離を取れる、それを感じ取っただけでループレヒトの思考は正常に機能しなくなってしまうのだった。
そして、それ故にループレヒトの精神は脆かった。
その起点を逃避という後ろ向きな情動に置いている者に強靭な精神など望むべくもない。
尊大な態度も神に縋ろうとする心も全てはループレヒトの防衛衝動。
逃避の表れであった。
そして今、ループレヒトはかつて無い程の死の恐怖を味わっている。
彼は逃れられぬ死神の冷たい顎を感じていた。
全力で逃げているのに、遠ざかっている筈なのに背筋が震えるような感触はますます強まるばかりだ。
もっと、もっと速度を上げなくては。
衝動に突き動かされるままにループレヒトは鞭を振るった。


「陛下、もう少し速度を御落とし下さい。このままでは馬が潰れてしまいます」


ループレヒトの乗馬は険しい道を無理矢理走らされたことでかなり消耗していた。
今にも泡を吹いて倒れそうなその様子を危惧したルビーンはループレヒトに忠告をする。
しかし、視野の狭まったループレヒトにはその忠言を聞く余裕は無かった。


「陛下、どうか速度を―――!?」


ルビーンが再度忠告しようとしたとき、それは来た。
ループレヒトはそれが来ることを誰よりも早く感じ取る。
そして、先程から自分を脅かしていた感覚の主が現れたということを悟ったのだ。
次々と飛来する矢が馬を射抜いていく。
崩れ落ちる馬から飛び降りながらルビーンは自分達が敵の網に掛かったちう事実に歯噛みした。
逃走手段から奪うというこの手口。
相手は自分達の動きを完全に読んでいた、いや自分達が掌で踊らされたのだ。
木陰から続々とミラノ兵が出てくる。
30人程であろうか。
彼等が何れも一騎当千の強者であることは一目で感じられた。
その先等に立つ獅子のように獰猛な笑みを浮かべた男が桁違いなことも。


「お迎えにあがりましたぜ、皇帝陛下。
 覚悟を決めてミラノまで来てもらいましょう」


男はガッタメラータであった。
彼は慇懃無礼なその態度を裏付けるような強烈な剣気を全身から発している。
あの男は危険だ。他の兵を合わせたよりもずっと。
ルビーンはガッタメラータを見た瞬間にそれを直感した。


「御下がり下さい、陛下」


そう言って槍を構える。
刺し違えてでもこの男だけは、そんな気概を込めたルビーンはガッタメラータを睨み付けた。
このとき、ルビーンは己の命を捨てた。


「いい眼だ。じっくり戦り合いたくなる、覚悟を決めた者だけが持つそんな眼をしている。本当に残念だ」
 

心底悔しそうに嘆いたガッタメラータも剣を構える。


「悪ぃけどあまり長く付き合ってはやれねぇんだわ」


叫ぶようにそう言うとガッタメラータは一気に間合いを詰めて行った。
ルビーンはその突進に合わせる様に槍を突き出す。
絶妙のタイミングで為されたその一突きは裂帛の気合と共に空を切った。
身を伏せるようにしたガッタメラータに交わされたのだ。
それを悟ったルビーンは薙ぎ払い、距離を置こうと試みる。
しかし、ガッタメラータは万力のような腕力によって槍を掴むことでそれを防ぐと、逆手による突きを鎧の隙間、脇に向かって繰り出した。
体が開いている所を狙った必殺の一撃。
その軌跡を他人事のように見ながらルビーンはその人生の幕を閉じた。


「いい突きだったぜ」


飛び散る血を拭いもせず相手を賞賛したガッタメラータは周囲を見回し、護衛を粗方片付けたことを確認すると、放心したように座り込むループレヒトに近寄った。
ループレヒトは震えていた。
その様子に呆れながら嘆息すると、ガッタメラータは皇帝の肩に手を回して引きずり起こした。


「さぁ、行きましょうや」


こうしてループレヒトは死の顎に捕まった。
項垂れるその姿からは諦めすら漂っている。
死を具現した様なガッタメラータを前にして抗う気力も無くなったのだ。






こうして後にシャティヨンの戦いと呼ばれる奇襲戦は終わった。
ミラノ軍が僅か4000で帝国軍4万を壊滅に追いやったこの戦はミラノ公国躍進の始まりと言われている。
死傷者はミラノ側600に対して帝国が1万以上。
更に皇帝という最高の戦利品を手にするというミラノにとっては大勝利であった。
次なる時代の波がまた押し寄せてきている。
斜陽の神聖ローマに皇帝捕虜という大打撃。
この事件がまた一歩時代を押し進めることになるのだった。





------後書き------
祝20万PV&感想数200突破!
えぇ~、一人で喜んで済みません。節目ですし、祝わせてもらいました。
ここまでこれたのも皆様方、読者一人一人のおかげです。
本当にありがとう御座いました<( _ _ )>
まだ少年時代で完結まで何話かかるのかというノロイ小説ではありますが、これからも宜しくお願いします。
それでは、御意見、御感想、御批判をお待ちしています。



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