一人の少年が室内で訴えていた。
勝気そうな顔をした少年だ。太い眉が意思の強さを伺わせ、自然と逆立っている髪が見る者に活発な印象を抱かせる。
大人顔負けの体格でありながら、目にはある時期特有のきらめきがある。
大人でもなく子供でもない、そんな曖昧な世代だけに見られる輝きだ。
そういった世代の者には一つの共通点がある。
自分ならばどんなものでも乗り越えられる、そういった思いだ。
それはなんの根拠もない自信に裏打ちされたものではあるが、その爆発力は侮れない。
時に大人達が仰天するような力を発揮する。
現にこの少年、カルマニョーラはシエナ遠征に参加して確かな戦果を挙げていた。
「なぁ、いい加減オレのこと認めてくれよ。
シエナじゃあ、それなりに働いただろ。正直オレのいた隊でオレと同じ位腕の立つ奴はいなかったはずだ」
カルマニョーラは農民出身である。
子供の頃から体が大きく、力も強かった彼は何をやっても人より上手くやれた。
早くから大人の手伝いに駆り出され、将来どれほど役に立つ働き手になるかと期待されるそんな少年。
だが、カルマニョーラはそんな大人からの期待が不満だった。
自分はこんな所で農民として終わる器ではない、そんな漠然とした思いがあったからだ。
その思いが確信へと変わったのは、偶然見に行った騎士の決闘を見たときだ。
この程度か。
まず浮かんだのはそんな落胆だった。
次に、自分は騎士といって偉ぶっている連中よりも強いという自信が生まれた。
やはり自分は農民で終わるような男ではない。
そう確信した彼は、夢を現実にすべく家を飛び出した。
後ろを顧みず、先立つ物も何一つ持たない。
ただ身を焦がす激情駆られるままに、幼いその身一つで社会の荒波へと飛び込んだのだ。
だが、世の中はカルマニョーラが考えていたよりはるかに冷たかった。
彼は栄達への入り口、傭兵となることさえできなかったのだ。
雇用者の立場で考えれば当然のことだろう。
如何にカルマニョーラが自身の強さを訴えたところで、彼は幼い子供だった。
誰であっても同じ給金を出すのならば、一定年齢を超えた者、出来れば経験豊富なものを雇いたい。
まして志願した先は破竹の勢いのミラノだ。
カルマニョーラが傭兵に憧れる童としか扱われなかったのも仕方なかった。
だが、そんな彼を拾い上げた者がいた。
それはファチーノだった。カルマニョーラは彼の下にいわば徒弟のような形で住み込むこととなった。
ファチーノのこの行動は彼にしては珍しく、完全な気まぐれからのもであった。
反りの合わないモルト老が育てたシャルルが意外に出来のよい少年であったことから、妙な対抗意識を燃やしたのかもしれない。
あるいは天気がよく、気分が高揚していたからかもしれない。
野心溢れるカルマニョーラの目に何かを感じたからかもしれない。
いずれにしろ、捨て猫を拾うも同然にファチーノはカルマニョーラを迎えたのだ。
しかし、生来面倒見がよく仕事に対して真面目な気質のファチーノは、才能ある少年の育成に対しても手は抜かなかった。
何くれと気を配り、己に比肩する一流の武将となるように養育してきた。
そうして約2年の月日が経ち、カルマニョーラは現在15歳となっている。
武人としてはファチーノから見てもそれなりのものに成長した。
そして、そのことをカルマニョーラも自覚している。
だからこそ、こうして正式に傭兵契約を結ぶことを求めるという行動に踏み切ったのだ。
「ほら、オレを見ろよ。背だってかなり伸びた。力も今じゃ敵なしだ。
もう立派に一人前の傭兵だろ?
だいたいオレと同じ歳でオレより弱そうな奴が雇われているじゃねぇか」
ミラノ軍を束ねる傭兵隊長ファチーノ=カーネは声を枯らして訴えるカルマニョーラを敢えて無視していた。
関心のない振りをして本を読み続ける。
その態度がカルマニョーラを更に苛立たせることも承知の上だった。
この時代において本は貴重で高価な物だ。
それを手にしているだけでもこの傭兵隊長がどれ程の報酬を貰っているかが伺える。
そして、その事を知っているカルマニョーラの目には読書をするファチーノの姿が全てを手に入れた未来の自分のように映るのだ。
実際、ファチーノはそこらの田舎貴族より金持ちであった。
だが、彼とて決して楽に現在の地位を築いたわけではない。
今の自分に決して満足しない。
武を極めたならば知恵も極める、というように現状に甘んじることなく己に更なる修練を課し続ける姿勢。
その貪欲をもってガレアッツォの腹心にまで上り詰めたのだ。
そんなファチーノの目には、今のカルマニョーラが慢心しているように見えた。
そこでこのような態度を取ってカルマニョーラの様子を観察しているのだ。
「本なんて読んでないで少しはオレの話を聞けよ」
そう言ってカルマニョーラは机に手を叩き付ける。
その表情からは、何もかも思い通りにならないもどかしさが感じられた。
そういった感情はファチーノもかつて経験したものだ。
それは誰もがかかる、はしかのようなもの。
だが、才能のある者にとっては最も危惧すべき落とし穴だった。。
周囲よりも飛び抜けていることから生じる驕り、肥大化した自信。
そういった病気をどう治療するかによってカルマニョーラの器が、将来が決まる。
扱いには慎重を要した。
観察の結果、ファチーノはカルマニョーラが見事にその病にかかっていることが分かった。
井の中の蛙大海を知らず。
商人であれば教訓となる経験は傭兵にとっては命取りとなる。
人の生は一回限り、戦場で己の未熟を知ったときは己の最期でもあるのだ。
一兵士として生涯を終えるのであればファチーノも契約させただろう。
だが、ファチーノはカルマニョーラをそのような小粒にする気はなかった。
「貸し与えた書物は読んだのか?」
本から顔をあげてポツリと、何気ない挨拶をするようま調子で言葉を投げ掛ける。
だが、カルマニョーラには無視しがたい響きを伴っているように聞こえただろう。
後ろめたい者はあらゆる物事に意味を見出すものだ。
案の定カルマニョーラは一瞬ひるんだようだ。
それに追い討ちをかけるように更に言葉を重ねる。
「そんなことより、オレの……」
「読んだのか」
「傭兵契約を……」
「読んだのか」
「認めて……」
「読んでいないんだな」
「くれよ!!」
室内に沈黙が満ちる。
互いに相手を見据え、目を逸らさない。
特にカルマニョーラからは並々ならぬ気合が伺えた。
その視線は力に満ち、ファチーノを貫かんばかりだ。
その年齢からは想像もできないほどの威圧感だが、ファチーノの鉄面皮を崩すにはいたらない。
「書物なんてどうでもいいだろ。オレは傭兵だ。腕っ節と度胸、それさえあれば十分じゃねぇか。
戦場でものをいうのは力だろ。
ああ、オレはあんたの言いつけを守らなかったさ。最初の10ページくらいで投げ出したよ。
だが、それが何だってんだ。
オレは学者になりたいんじゃない。傭兵に、戦士になって自分の身一つで成り上がりたいんだ。
確かにあんたは凄い。部下からの信頼もピカ一だ。
だが、みんなが信頼しているのはあんたの持つ知識じゃねえだろ。
何よりあんたが強いから、誰よりも強いから皆が従っているんじゃないか」
「……」
「だからオレは戦場で自分の強さを見せ付けた。皆の信頼を勝ち取るためにだ。
誰より働いたし、誰より手柄を立てたさ。
でも誰もオレのことを認めない。
理由は一つさ。契約もされてないただの小僧だからだ。あんたの従僕に過ぎないからだ。
それだけで誰もオレのことを一人前として扱ってくれないんだ。
だから頼むよ。傭兵契約を結ばさせてくれ」
ファチーノとてカルマニョーラの気持ちが分からないわけではない。
認められたい、そういう思いは少年期特有のものでカルマニョーラがそのために焦燥感に駆られるのも当然だ。
だが、彼は一つ勘違いをしている。
カルマニョーラが所属していた隊の傭兵は彼を認めていなかったのではない。
15歳ともなれば立派な大人だ。
おまけに腕が立つとなれば、そこは実力主義の傭兵達だ。
立派な戦力として計算する。
今回その事情が異なったのは、ただ彼等は知っていたためだ。
カルマニョーラがファチーノの身内同然の弟子で将来を嘱望されている男だということを。
要するにカルマニョーラは傭兵流に可愛がられたのだろう。
だが少年にそういった分かりにくい愛情表現は伝わらず、額面通りの言葉だけを受け取ってしまったのだ。
ファチーノは溜息をついてカルマニョーラに語りかけた。
「力はいずれ衰える。だが知恵は衰えることはない。むしろ経験という糧を得ることで更に研ぎ澄まされていく。
豪勇で知られた若造がベテランの老兵に手玉に取られる、そういった例は珍しいことではない。
御前が傭兵として成り上がりたいのであれば書物を読むことは必ず役に立つ。
書物は知識だけでなく先人の経験も教えてくれる。あらゆる人生の哲学が詰まっている。
だが、口で言ったところで理解はできまい。しようともしないだろう。」
「あぁ。確かにそういう話はよく聞くが、信じられないな。
どうせ油断しただけだろう。オレならそんなへまはしない。現にシエナじゃあ、そういった手合いは何人も殺した。
なぁ、もういいだろ?オレは、オレと同じ歳でオレより弱い奴が雇われているのにオレが雇われないのがもう我慢ならないんだ」
だからオレを一人前として認めろ、契約をしろ、カルマニョーラの目はそう言っている。
確かにカルマニョーラの強さは本物だ。
彼の言うことも納得できる。
だが、ファチーノはそれを認めることはしなかった。
「増長が過ぎる」
そう言ってファチーノは立ち上がった。
付いて来い、と仕草で示し歩き出す。
カルマニョーラはそれに無言で付き従った。
彼は元々ファチーノの説得に骨が折れることは予想していた。
恐らくこれから向かった先で何らかの試練を課されるのだろうことも。
カルマニョーラにとってファチーノの試練はチャンスだ。
それを乗り越えさえすればファチーノも訴えを認めざる得ないことになる。
むしろ好都合だ、そう思っているカルマニョーラは基本的に前向きで自信家な少年だった。
■
辿り着いた先は錬兵場だった。
そこはシャルルが自分の軍のために作ったもので、かなりの広さがある。
ここには通常、傭兵達が近付くことはない。
シャルルの軍があからさまに優遇されていることへのやっかみ、年端もいかない子供達しかいないことへの侮蔑を感じているからだ。
酒の席で冗談を言いながら馬鹿にする、傭兵達にとってこの錬兵場はそういった対象だった。
もちろんカルマニョーラもシャルルの軍のことを馬鹿にしていた。
貴族の道楽で集められた者達が使いものになるはずがない、お遊戯のようなぬるい事をやっているのだろう、それが傭兵達の認識だったからだ。
だが、目の前の光景はその考えとは全く異なっていた。
「何してんだ、ありゃあ……?」
それは初めて目にする訓練だった。
幼い子供達がその背丈の倍程の棒を持ってひたすら案山子を打ち据えている。
その表情は真剣そのものだ。そして、それが余計に訓練の異様さを引き立てていた。
抵抗できない者を幼子が甚振る図、思わずそう錯覚しそうなその光景。
それは豪胆さが自慢のカルマニョーラをして背筋を冷たくさせるものだった。。
「人はその性として人を傷つけることに対しての忌避感を持つ。
戦場において、それを取り除くことができるか否かが最後に生死を分ける、そうシャルル殿下が主張し、実践された訓練法だ。
適用されているのは歩兵だけではない。向こうをみてみろ」
ファチーノが指差した先ではカルマニョーラと同じ歳ほどの者達が弓の鍛錬をしていた。
その無駄のない動作、放たれる矢の精密さから相当の訓練を受けてきたことが伺える。
だが、それだけだ。そこまではカルマニョーラの見知ったものである。
異様なのはその的だった。
的は歩兵や騎兵の型をしており、所々にマーキングが施されている。
その部位は鎧の隙間や急所となる位置ばかりだ。
これもまた遠目からは実際に人間を的にしているように見える。
「シャルルって野郎、頭がいかれてるんじゃねぇか……」
思わずそう言ったカルマニョーラにファチーノの言葉が掛かる。
己の常識が全て正しいと思うな、と。
「理には適っている。理論上は、な。
殺人を是とするのは戦場だけだ。そんな環境に慣れた者が初めて戦場に立たされたとき役に立つかどうか疑わしい。
それを避けるための訓練、だそうだ。いかなる時も躊躇することはなく、最も効率よく敵兵を葬ることができる。指揮官が理想とするものだ」
「だからって、年端もいかないガキにやらせる訓練じゃねぇだろ」
「死ぬよりはマシだ」
確かにシャルルという人物は兵士にとって必要な要素を最も効率よく身につけさせている。
戦争に感情の入る余地など無い。
名誉、武勇譚、誇りといった貴族の謳うものなど存在しないのだ。
そこに在るのは、互いの生を削り合うという残酷な真実のみ。
カルマニョーラはこの光景からシャルルの戦争観を感じ取っていた。
「こんなの夢見がちな貴族連中の考えることじゃねぇ」
「そうだ。我々傭兵の考え方だ。シャルル殿下はモルト老から徹底的に鍛えられている。
武芸だけでなく戦術、思考法までな。傭兵流に染め上げられているんだ。もっとも、少々突き抜けてはいるが」
モルト。その名はシエナ遠征においてカルマニョーラに刻み込まれたものだ。
ファチーノの代わりに指揮官となった老人。
カルマニョーラの目に小汚い浮浪者のように映ったその老人は、騎兵を率いてシエナ軍を思うままに蹂躙した。
自軍を己の手足のように操り、敵軍を策略をもって己の指揮下の如く誘導する。
古参の兵もその力に感服していたものだ。
「この訓練の総監督もまたモルト老だ。
まぁ、そんなことは御前には関係ないがな。付いて来い」
ファチーノは錬兵場の更に奥に進んでいく。
行く先々で何かを尋ねていることから誰かを探しているようだった。
「あぁ、ダントン殿。少々宜しいか」
そうして辿り着いた先は、歩兵の訓練場だった。
ファチーノはそこの責任者である監督官に用があるらしかった。
その間暇なカルマニョーラはファチーノが話している男をしげしげと観察した。
壮年にさしかかろうかという年齢の男だ。
戦いを生業とする者だ。本来であればその武技は円熟の域に達し、最も稼げる時であろう。
何故こんな所で子供相手に監督官をしているか、その全てを男の片足が物語っていた。
義足である。行動の自由を奪われた以上、傭兵として生きることはできないのだ。
面構えを見れば、さぞかし強い男だったろうに惜しいことを。
そう思っていたとき、カルマニョーラは一つの事実に気が付いた。
ここまで来る間に見かけた監督官達は皆、手強そうな者達ばかりだった。
そして、その全てが老人であったり障害を負っていることで傭兵としては働けない者ばかりであった。
傭兵としては役には立たない彼等は、教師としてなら立派に働けるのではなかろうか。
カルマニョーラがそうして考えているうちにファチーノの話は終わったらしい。
己の下に戻って来るファチーノにカルマニョーラは話しかけた。
「一体何を話してたんだ?」
ファチーノはそれに事も無げに答えた。
そのあまりにも唐突な内容に反して、実に軽い口調で。
「なに、大したことじゃない。この中で一番強い奴と御前を戦わせてくれって頼んだだけだ」
「なっ!? オレとこいつらとか!?」
「そうだ」
「冗談じゃねぇ。どんだけ訓練しているか知らねぇが、オレは実際にシエナで戦ったんだ。
身分は違うが、実質的にはプロの傭兵も同然だぞ。
こんな奴等相手にまともに戦えるか。馬鹿馬鹿しい」
カルマニョーラはそう言って拒絶した。
確かにシャルルの軍は相当の訓練を受けているのだろう。
これまで見てきた様子から、軟弱な箱入り集団というイメージは拭い去られた。
だが、それでも自分の相手になるかどうかは別問題だ。
ファチーノの言葉はまるでカルマニョーラの力を侮ってのもののように感じられた。
「やってられるかよ。そんな下らない事のためにわざわざこんな所まで来たのか?」
「心配するな。得物は棒だ。斬られて死ぬ心配はない」
ファチーノの言葉はカルマニョーラを怒らせるのには十分だった。
地を這うような低い声で抗議する。
「……何が言いたいんだ。まさか、オレが負けるとでも言うのか」
「いつも言っていたはずだ。相手を侮るな、油断は死を招く、とな。今の御前はどうだ?
戦う前から相手を格下と決め付けているじゃないか。それが油断でなくてなんだと言うんだ?」
「これは情報から導きだした妥当な判断ってやつだ。油断じゃない」
「ならば、それを証明しろ。御前が判断したように圧勝することが出来たなら、何でも思う通りにしてやる」
安い挑発だということは分かっていた。
それもあのファチーノの挑発だ。その先にどんな罠があるか知れない。
今のカルマニョーラではとても太刀打ちできない、そう踏んだ相手を用意してある可能性もある。
だが、敢えてのる。
ファチーノの思惑も、現在の自分への評価も凌駕してこそカルマニョーラという存在を認めさせることができるのだ。
「これが終わったら一人前と認めて契約してくれよ」
ファチーノが頷くのを確認して、前に進み出た。
向かった先には対戦相手がいる。
夢の階がいる。
カルマニョーラは自分の心が沸き立つのを感じていた。
半径10メートル程の円、そこが闘争の場だった。
周囲は見物人で溢れている。
そこにはシャルルの軍に所属する者全てが集められていた。
見取り稽古という言葉があるように、格上の者達の戦いから学び取ることは多い。
それも自分達の中で最も強い者の戦いだ。
少年達の目には学習への意欲だけでなく、純粋な興味があった。
監督官の方はすっかり観戦態勢をとっている。
元々が傭兵だった者達である。彼等はこういった騒ぎが大好きだった。
既に酒を片手に賭け事も行われている。
そして、その中心にいるカルマニョーラは今まさにコロッセウムに立つ剣闘士の気分を味わっていた。
見世物になっているという事実はあまり気持ちのいいものではないが、同時に観衆の熱気に当てられて込み上げてくるものも感じる。
周囲全てが自分に注目している。
その事実ははカルマニョーラの自己顕示欲を程よく満たしてくれていた。
「両者、中央へ」
審判を買って出た老監督官の声に従って進み出る。
相手はカルマニョーラと同じ歳ほどの少年だった。
黒い男だ。
ちぢれた髪も肌も夜よりなお黒い。
噂で聞いたことはあったが、まさか本当にこのような者がいるとは思わなかった。
その背は大柄なカルマニョーラよりもさらに大きい。手足も異様に長い。
一方でひょろひょろに痩せて、力強さとは程遠いように見える。
カルマニョーラが初めて相手にするタイプだった。
「カルマニョーラだ。まぁ、宜しく頼む」
そう言って睨みつけると、相手も負けじと睨み返して来る。
どうやら気骨はあるようだ。
「イーヴだ」
低く、かすれた声だった。
素っ気ないようでいて、決して無礼な態度に見えないのが不思議だった。
静かに闘志に燃える目にカルマニョーラは好感を持つ。
「怪我はさせないように手加減してやるから、まぁ安心しろよ」
「私は自分の最善を尽くすだけだ。だから、怪我をさせないという約束はできない」
「おいおい。オレに勝つ気か? 戦場に出たこともない坊ちゃんなんだろ?」
「負けるつもりで勝負をする者はいない」
挑発にのるでもなく、言葉を無視するでもない。
真面目で堅実なタイプ、カルマニョーラはそうイーヴを分析した。
戦いにおいても不用意な隙を見せてはくれないだろう。
手強い性格だが、そういった手合いは予想外の事態に弱いことが多い。
わずかな情報からでも相手を分析し、勝率を上げる。
いつでも戦術を組み立てる。だが、決してそれに囚われない。臨機応変に戦う。
全てファチーノから教わったものだ。
――悪いが、完勝させてもらう。
気合を入れて棒を構えた。
「準備はいいな。―――はじめ!!」
審判の声が発し終わらないうちに、カルマニョーラは相手目掛けて駆け出す。
そして最速、最小限の動きでイーヴの中心、鳩尾めがけて突きを放った。
並みの相手ならば反応すら出来ない一撃。
それにどう対処するかで実力を測ろうという目論見だった。
――まともに当たれば勝負は終わり。かわせたところでこの速攻、体勢は崩れる。
受け止める、という選択肢は最初から除外していた。
力では勝っているという自信がある。
そうであるならば、イーヴの取る行動は回避しかない。
己の有利に働くよう計算された一撃だった。
そして、予想通りイーヴはカルマニョーラの攻撃を身をひねることで回避した。
カルマニョーラはすかさず体を切り替え、体当たりに持ち込もうとする。
全て計算通りの展開だった。
頭の中に倒れたイーヴの咽喉下に棒を突きつけて降伏を促すまでの流れが浮かぶ。
だが、カルマニョーラの予定は狂った。慌てて行動を修正する。
既に体勢を整えたイーヴが棒を振りかぶり攻撃体勢に入ってたのだ。
――!?
頭を狙った一撃を危ういところでかわす。
追撃してくる棒をかろうじて受け流すと力任せに吹き飛ばした。
イーヴは力に逆らわず、距離をとる。
その武技はまさに柔のものであった。
――なんてバランス感覚だ……。
カルマニョーラを驚嘆させたのはイーヴの脚に備わったしなやかな筋肉だった。
天性のバネとしか言いようがない。
それによって極めて安定した重心と素早い移動を可能にしている。
少々のことではその体を崩すことはできないだろう。
――オレと正反対のタイプ、か?
力のカルマニョーラに速さのイーヴ。
そういう図式であるように思われた。
しかし、その思考もイーヴの攻撃をまともに受けて一変した。
――重い!!
確かに腕力ではカルマニョーラに分がある。
それをイーヴは長い手による遠心力と速度で補っていた。
結果としてカルマニョーラと遜色ない一撃を獲得しているのだ。
受ける手が痺れる、それ程の威力。
だが、活路はある。
クロスレンジならばかえってイーヴの長い手は邪魔になり、思うような攻撃は出来ない。
一方、カルマニョーラはその腕力を十二分に活かすことが出来るだろう。
そこまで思考して、行動に移した。
「せあっ!!」
裂帛の気合と共に懐にもぐりこむ。
イーヴもカルマニョーラの行動は読んでいる。
己の得意な間合いを保つべくその脚力、速度を活かし、最良の一撃を放つ。
カルマニョーラはその一撃に自らの全力を叩き付けた。
狙いは握り手の近く、剣でいうところの柄のすぐ上付近だ。
――ここを強く叩けば直接手に衝撃がいく。隙ができるはずだ。
一種の賭けだった。
それさえも読まれていたら敗北は確定する。
敗北を覚悟しつつも己を信じて突き進んだカルマニョーラの賭けは成功した。
決死の攻撃はその意図する所に吸い込まれていく。
「おぉぉ!!」
「……!!」
互いに渾身の力を込める。気合が自然と口から迸っていた。
獅子の咆哮に観衆の誰もが息を飲む。
ぶつかり合う木の棒。
その衝撃に二人の腕が軋む。
そして、木の棒もまた軋んでいた。
いかに訓練用に選ばれた物とはいえ、両者の渾身の一撃に耐えられるはずもなかったのだ。
棒は炸薬が破裂するような甲高い音とともに弾け飛ぶ。
カルマニョーラとイーヴは得物が無くなったことを悟ると示し合わせたかのように飛びのいて間合いを取った。
「ブラボー……」
カルマニョーラの口から我知らず賞賛の言葉がこぼれた。
純粋に力を信奉してきたカルマニョーラにとって最も分かりやすいものとは力である。
力にはその人物の努力、才能、頭の回転、ひいては人生が表れる。そうカルマニョーラは考えていた。
だからこそ己と互角以上の力を見せたイーヴに対して、素直に敬意を表したのだ。
「いや、大した腕だ!! かなり危なかった。何度もひやっとさせられたぜ。
ブラボー、そうブラボーだ! この言葉しか浮かばねぇ。イーヴ、あんたは凄い奴だ」
「君も強い」
「あたぼうよ、これでも自信があったんだ。そのオレと互角ってことはイーヴもかなり強いってことさ」
カルマニョーラはそう言って無邪気な笑顔を浮かべると、乱暴にイーヴを抱きしめた。
同年代で自分のライバルたる者などいなかった。
自分より強い者はファチーノや彼に長年付き従ってきたベテランの傭兵ばかり。
目標にはなっても互いに鎬を削る関係とはなりえない。
そんなカルマニョーラにとってイーヴは長年探し求めた恋人に等しかった。
「もう一回やろう! こんなに楽しいのは初めてだ!!」
「あぁ、やろう。私も楽しかった」
そう言って二人は笑いあう。
展開に付いていけず呆然とする観客や賭け金を独り占めした胴元と殴りあう監督官達を置き去りにして笑いあう。
そんな彼等をファチーノは満足気に眺めていた。
「計画通りって顔ですぜ、旦那」
ダントンが話し掛けてきてもファチーノは顔がにやけるのを止めなかった。
この傭兵隊長にしては珍しく人前で喜びを隠せないでいるのだ。
「まさに計画通りさ。カルマニョーラは図体はでかいが頭の方はガキのままだ。ライバルという餌を与えたら夢中になるのは分かりきっていた」
「勉強の方も?」
「分かるか?」
「そりゃあ、ね。あれは根っからの武人。暴れることしか興味ない面をしてますからね」
「あいつは興味のあることは信じられないくらい覚えがいい。その反面、興味を抱かなければ見向きもしない。正直困っていた」
「イーヴは勉学でも一番ですからな。それに面倒見もいい」
そう言って意味ありげに笑いかけるダントンを余所にファチーノの笑顔はますます明るくなる。
「オレが育てた以上ただの傭兵で終わらせるわけにはいかん。
ライバルから受ける影響は大きい。単純なあいつはイーヴに負けたくない一心で変わっていくだろう」
「狙い通りに、ですな?」
「あぁ、狙い通りにだ」
そういって笑っている大人達の頭の中には更にもう一つの考えがうずまいていた。
この軍隊の状況を考えると、シャルルはガレアッツォから私兵を持つことを許されているに等しい。
その上、政治の一角にも参加を許している。
自らの叔父すらも打ち倒した彼が己の孫だからといって甘い顔をするはずがない。
ガレアッツォは用心深い男だ。
たとえ子であろうと反乱する可能性があることを考えれば、シャルルの扱いは破格といっていい。
更に次男のフィリッポがシャルルに心酔しているといっていい状態だ。
こういった事を統合すると一つの推測が見えてくる。
すなわち、ガレアッツォは後継者にシャルルを考えているのではないか、ということだ。
ファチーノはそうなった場合に備えてカルマニョーラをイーヴに接近させた。
シャルルの行動を見れば、彼が傭兵を主体としない軍を目指していることが分かる。
彼が後継者となった場合、間違いなく傭兵の規模は縮小するだろう。
それを見越してファチーノは行動した。
シャルルの軍最強の者に近しいということはシャルルに近しいということに等しい。
実力主義のシャルルに抜擢される可能性もある。
万一、長男のジョバンニが跡を継いでもカルマニョーラの身分は自分の部下だ。害は及ばない。
どちらに転んでもカルマニョーラにとって吉となる。
今回のファチーノの行動はそういった一石二鳥を狙ったものだったのだ。
そして、ダントンもファチーノのそういった思惑を読んでいた。
先程から笑っているのも普段の冷徹な仮面の下に隠された親心を感じて、にやにやと笑っていたのだ。
ファチーノが自分でどう思っているか知らないが、随分と過保護なことだ。
そういったからかい半分のダントンの笑いに気付かずにファチーノはカルマニョーラを見つめている。
その様子から考えれば、ファチーノは確かに過保護なのかもしれなかった。
「うるせぇなぁ。何の騒ぎだ?」
笑い声の五月蝿さに、喧騒に気付かず木陰で寝ていたモルト老も起き出す。
シャルルが不在でもミラノの時は流れ続けていた。
随分間隔が空いてしまいました。
個人的事情のためで、本当に申し訳なく思っています。
やはりブランクがあると書くのに梃子摺りますね……。
久しぶりの戦闘シーンでしたがどうでしたでしょうか?
上手く緊迫感が伝わっていれば非常に嬉しいです。
また、少し会話の書き方を変えてみました。御意見をいただけたら幸いです。
今回も外伝ですが、次回は本編を書く予定です。
それでは、御意見、御批判、御感想をお待ちしています。