騎士道、それは騎士が従うべきものとされている行動規範のことだ。
この時代、軍は主に貴族出身の騎士と傭兵達によって構成されていた。
彼等は戦士であるという点では同じ存在である。
だが、世間の認識は全く異なっていた。
それは騎士には強さだけではなく、道徳心も求めらることに由来していた。
元々、騎士の称号はその資格ありとみなされた者全てに与えられるものであった。
だが、その存在は武具を自費で賄わねばならないことから必然的に金持ちに限定されるようになっていく。
このことから騎士階級が一つの身分とみなされるようになり、世襲のものへ、支配階級へとなっていったのだ。
そして、騎士道精神の形成には十字軍が密接に関わっていた。
十字軍とは西欧全体が異教徒という共通の敵に対して結束した、中世を象徴する出来事だ。
この活動には多くの騎士達が参加している。
中世において、親の遺産は長子が相続するのが普通であった。
次男、三男は己の生きる糧を己の力で切り開かねばならない。
それゆえ、多くの青年が十字軍に己の未来を賭けたのだ。
この活動は各国騎士の相互接触、キリスト教諸騎士団の結成を通して、騎士文化の形成と展開を促した。
同時に、その活動のキリスト教的性格から、騎士が備えるべきものとして徳目が加えられるようになる。
奉仕、敬虔、謙譲、弱者保護といった精神だ。
やがて、騎士の世襲化が進み、支配階級の末端をなす貴族的な身分として固定されてくると宮廷文化への精通も求めらるようになった。
こうして現在の騎士道精神が形作られていったのだ。
すなわち、武勇と勇気、気高さと美しさ、教会への擁護と信仰心、誠実さと寛容さ、気品ある振る舞いと宮廷文化への習熟、
清貧さと気前のよさ、そして、弱者の保護と婦人への崇拝。
これらを以って騎士道とされたのだ。
勿論このような理想論を遵守できる者などほとんどいない。
現実にはしばしば逆の行動、裏切りや略奪、残虐な行為が行われていた。
しかし、だからこそ騎士道精神の体現者は尊いものとされ、周囲の尊敬を得たのだ。
だが、オレからすれば騎士文化は厄介な物もまた生み出していた。
そして、今それによって未曾有の苦しみを味わっているのだ。
「よいですか、シャルル様。一端の男であるのならば女性を賛美するのは当然のこと。
それは貴族、平民、匹夫に至るまで誰もが致すことです。
だが、騎士である以上それだけでは不足。あまりに不足!!」
オレの前で熱く語る男の名はギヨーム・ド・エノー。
先日のジョルト大会でランスに貴婦人への誓いの印を施していた者だ。
彼は強かった。
あの試合だけではなく、全ての試合で圧倒的強さを見せつけ優勝の栄冠を得たのだ。
その姿と観衆の惜しみない賞賛を今でも覚えている。
その強さ、人を惹き付ける行動、華やかな装いはまさに人々が抱く騎士像そのものだった。
そんな彼を父がオレの教育係に抜擢したのだ。
「高貴な貴婦人への献身、自らの命すら犠牲にした奉仕の心、それこそがまことの愛なのです。
それは見返りを求めぬ茨の道。
報われぬ恋は騎士の心を鑢で削るように徐々に蝕んでいくでしょう。
それでよいのです。その試練を乗り越えてこそ真の騎士。
そうした恋を通じて騎士は精神を鍛え、人格を洗練させ、立派な者となれるのです」
ジョルト大会のオレの様子から、父はオレの騎士文化への理解が不十分だと感じたらしい。
婦人に対する徳目については特に。
彼はそんなオレに、宮廷風恋愛について教えるため父によって遣わされたのだ。
宮廷風恋愛とはギヨームが語るように高貴な貴婦人へ無償の愛を捧げるものだ。
こう言えば聞こえはいいが、要するに不倫のことである。
まさかフランスが600年も前から不倫は文化だ、を地でいく国とは思ってもみなかった。
そう、文化だ。
不倫は立派な騎士文化と認知されているのだ。
「もちろん彼女達はやんごとなき方々。
接するにも然るべき態度といったものが必要とされます。
宮廷の習慣や礼儀作法についていまさらシャルル様に語る必要はないでしょう。
しかし、良き雰囲気をわがものとして女性を賛美することに関してはまだまだ改善の余地があります。
この騎士ギヨーム・ド・エノーが僭越ながらそれを伝授いたしましょう」
心底余計なお世話だ。
だいたい王族であるオレにそのような作法は不要ではないのか。
私生児を大量にこさえた結果、相続問題で禍根を残したりするなんて愚行でしかない。
そもそも不倫が法で規制されている現代的価値観に慣れたオレは、宮廷風恋愛なんて詭弁にすぎないと感じている。
どう言いつくろうと良い行動ではないだろう。
だが、ギヨームの面子を潰すわけにもいかない。
彼には何の悪気もなく、与えられた栄誉を精一杯つとめようとしているだけなのだから。
恨むべきは父なのだ!!
「良いですか、詩的な言葉遣いは極めて重要です。
直接的な表現で賛美してもしらけるだけ。
詩的に、美しくかつ雄弁に女性の美徳を讃えることが慣わしなのです。
それでは、そうですな……まずは簡単に花に例えましょうか」
オレが脳内で父を断罪し続けている間に話は進んでいたようだ。
何やら実地訓練にまで到っている。
「花、であるか、ギョーム殿」
オレの言葉に彼は大きく頷いた。
いたって真面目なようだ。
「花で御座います、シャルル様。
いささか陳腐すぎますが、まずは定番のものから練習することが良いでしょう」
彼はそう言うとさあ、と促してくる。
その眼はどこまでも純粋で無駄に澄んでいる。100%善意のみしかない。
くそ……やるしかないのか!?
「そ、そナたはまルでば、バ、薔薇のヨうだ。そなたのウツくしさを……」
喋れば喋るほど恥かしい。
こんな辱めを受けたのは初めてだった。
清水の舞台から飛び降りる、真剣にそんな思い出しゃべっているのだ。
しかしオレの決死の思いをギョームは無情にも打ち砕く。
「シャルル様、それでは駄目です!!
もっと堂々と、身振りを交えて心から感動しているように言わねば。
それにあまりに率直すぎます。
手など細やかな部位も褒めて、気持ちをもっと積極的に伝えなくてはばりません。
さぁ、もう一度です。道はまだまだ長いですぞ」
好き放題言いやがって。
そんな真似できるわけないだろう。
「ではギョーム殿、お手本を見せて頂きたい。なにぶん初めてのことゆえな」
後になって振り返ればオレはこのとき気が動転していたのだろう。
稽古の時間は決まっている。
ギョームに喋らせておけば自分が喋らねばならない時間は短くなる、そう考えたのだ。
よくよく考えてみれば、この特訓はオレが言葉遣いを完璧に習得するまで続くというのに……。
だが、このときのオレにとって、目の前の恥辱から逃げることだけが全てだった。
はっきり言おう。このときのオレは頭が死んでいた。
オレの言葉にギョームもそれもそうですな、と同意した。
そして片膝を突き、左手を胸に、右手を宙に向かって何かを求めるように伸ばす。
その表情は美を目にした限りない喜びと、それを手に入れられない僅かな悲しみを絶妙に表現している。
一瞬でよくこんなことが出来るもんだ。
「おお、いと尊き御方よ。その麗しき御手を私めに差し出していただくことこそ我が喜び。
その美しさは白魚のごとく、たおやかさは白百合のごとし。
願わくば我に笑顔を向けたまえ。それは太陽の如く我が心を照らさん。汝なくば……」
ギョームの貴婦人を讃える様は確かに立派なものだった。
歯が浮くどころか抜け落ちそうなセリフを堂々と言えるだけでも大したものだ。
最初は彼の低い美声もあってオペラを観賞している気分だった。
それが10分続き、20分たっても止まないというのでなければオレは心地よく聞いていられたであろう。
30分過ぎてもいっこうに終わる気配が無い今、オレの気分は二日酔いの朝のようだ。
まるで催眠術にかけられたように頭がクラクラしている。
さらに時間がたつと、何故だろうか。
段々ギヨームがこの世で最も素晴らしい騎士のように感じられ、目の前には一人の美しい貴婦人が見える気がしてきた。
しかもオレはそれを当然のことのように受け入れているのだ。
そして、時間の概念があやふやに感じ出した頃やっとギヨームの愛の見本劇は終わった。
「初めてですのでこのくらいにしておきましょう。さぁ、私が今言った通りに真似てください」
オレは自ら片膝を突いて胸に手を当てる。
このとき、オレは絶対に正気ではなかった。
普段ならば口が裂けても言わない言葉を嬉々として言っていたのだから。
「もっと感情を込めて」
「抑揚をつけるのです。それ一つで相手への伝わり方が違います」
「まだまだ。もう一度です」
「その部分は囁くように言うのです。ムードを大切に」
その後ギョームの熱く厳しい指導は予定を繰り上げて四時間続いたそうだ。
オレには全く記憶にはない。
だが、気障な言葉への忌避感が薄れているというのはそういうことなのだろう。
そして、今日もまたギョームが来る……。
この日、オレの恨み帳簿父の項に新たなページが加わったのだった。
臭いセリフが今回最大の難物でした。
あのような事を素面で言える人は尊敬してしまいます。
騎士について書かせてもらいました。
ギヨームの扱いは今回はこの様になっております。
お気に入りの方がいらしましたらこの場を借りてお詫びしておきます。
次回はいよいよリッシュモンとの対面と出来れば宮廷模様を書きたいと考えています。
それでは御意見、御感想、御批判をお待ちしております。