ブルゴーニュ公との会談当日、オレは部屋の中で一人、相手の到着を待っていた。
場所はベリー公の屋敷。
事前協議で取り決められた場所だ。
これはオレの方から強く打診したものだった。
ベリー公の協力を取り付けた以上、それを最大限活用せねばならない。
その為に会談場所をベリー公が直接ブルゴーニュ公へと働きかけられる様にこの屋敷にしたのだ。
ブルゴーニュ公はベリー公が今回の件に関して何の利害関係を持たないこと、仲介役に相応しい人物であることからこれを受け入れた。
しかし、無条件で承諾されたわけではない。
会談をオレと二人だけで行うこと、それを交換条件として突きつけてきたのだ。
オレは悩んだ。
予定ではベリー公にも後見人として同席してもらい、二対一の状況を作ることで優位に立つ筈だった。
この提案を呑めばそれは不可能となる。
ブルゴーニュ公ほどの実力者と単独対決は避けたい、それがオレの偽らざる本音だった。
だが、オレは結局この提案を受け入れた。
後見人を伴わねば会談できぬ者に誰かの後見となり、これを養育する器量があるのかと問われたからだ。
オレには頷くしか選択肢はなかった。
「まず、ここまでは一進一退。いやベリー公の分こちらが有利、か……。
あとはオレがブルゴーニュ公に太刀打ちできるか否か、だな」
オレがそう独白し、心を落ち着かせているとブルゴーニュ公到着の知らせが届いた。
いよいよ本番だ。
この二週間、やれるだけのことはやった。
その全てを、いやオレの人生そのものをぶつけてやる。
「ブルゴーニュ公フィリップ様、御入室です」
その言葉と共にブルゴーニュ公は入ってきた。
既視感を感じた。
それはガレアッツォと相対したときのような、あるいはモルト老と相対したときのような感覚。
それでいてその二つがない交ぜになったような感覚。
武人でありながら政治家。
それは相反する要素を併せ持つ当代屈指の傑物、ブルゴーニュ公が放つ威風だった。
「妙な気分だな。孫と変わらぬ幼子と交渉など……」
第一声がそれだった。
嘗められてる。
オレがあれほど相手を警戒し、成功に導くため苦心したこの会談、それに臨む態度がそれか……。
「まぁ、よい。ブルゴーニュ公フィリップだ」
「オルレアン公が長子、シャルルです」
会談は険悪な雰囲気で始まった。
ブルゴーニュ公は尊大な態度で腕を組み、傲然として口火をきった。
「さて、ブルターニュ公の弟リッシュモンを養育するのは誰かであるが……。話し合う必要などあるまい」
「どういう意味ですか? 」
オレの言葉にブルゴーニュ公は答える。
その様子はいかにも面倒くさげで、決まりきったことをわざわざ言うことへの不快感すらにじませていた。
「そのままの意味だ。
養育する者よりも幼い保護者など聞いたことも無い。
はっきり言おう。御主では力不足だ」
あからさまな挑発、露骨過ぎる嘲り。
オレとしてもここまで努力し、練磨してきた己に対して自負がある。
そのまま言わせてはおかない。
「確かに私はリッシュモン殿よりも年下ではあります。
しかし、曲りなりにも私は彼の後見人であり、この交渉の全権を担う者です。
それは父オルレアン公から認められています。
恐れながら力不足は口が過ぎるのではありませんか」
ブルゴーニュ公の威圧感が強まる。
ここまでは前哨戦といったところか。
「大人ぶる態度は自分が子供であると主張しているも同然だぞ。
まぁ、よい。では、御主は保護者としてどのような教育を施せるというのかな?
御主もまだ様々なことを学んでいる途上であるというのに」
搦め手できたか。だが、その問いは想定済みだ。
「私には優秀な師が数多くおります。
その質はブルゴーニュ公が用意される方々に決して劣るものではないと確信しております。
教養の点は何の問題もありません。
これでも私はリベラルアーツを習得しておりますので」
ブルゴーニュ公は一瞬引くとみせてさらに攻勢をかける。
「なるほど。幼いとはいえ素晴らしい教養を備えているわけか。
確かに教育する器量はあるようだ。
だが、御主は日頃からミラノにいるというではないか。
はたして保護者としての役目を十分に果たせるものかな?」
その問いもまた想定済みだ。
「今回リッシュモン他、兄弟達がパリに連れて来られたは何の為でしょうか。
イングランドに近きブルターニュ、そこに居る彼等の母に近き者から引き離すことこそが目的のはず。
ミラノはその目的に反しましょうか。
また、ミラノ公は私の祖父。
そして私はその後継者の一人です。いわばミラノは我が領地も同じ。
ミラノで育てることに何の不都合がありましょうや」
ここからはオレの番だ。さっきまでの借りは返させてもらう。
「私の方こそお尋ねいたします。
国内が二つに割れ、互いに争い反目している原因の一つにブルゴーニュ公の強大さにあることは周知の事実。
急速な領土拡大、莫大な財力に諸侯が恐れを抱いていることも事実です。
この上更にリッシュモン殿の保護者となれば国内の亀裂を決定的なものとしてしまうのでは?」
ブルゴーニュ公はオレの言葉に笑みを浮かべる。
飢えた狼のような危険な笑みだ。
「そこに抗いがたい程の差があれば却って国は纏まるのではないかな」
鋭くなる眼光。
オレもそれに負けじと睨み返す。
「窮鼠が猫に挑むは生き残るためにございます。
そしてこのフランスに坐して屈服する軟弱な貴族はおりますまい」
オレがそう言ったあと、不意にブルゴーニュ公からの圧力が消えた。
それなのにオレは先程よりも恐怖している。
抜き身の刀を突きつけられる、まさにそのような感覚だった。
「……よいのか?」
暫くしてブルゴーニュ公が何か言葉を発した。それは聞き取れない程に低く、小さな声だった。
「は?今なんと?」
強まる恐怖に逃げ出したくなる気持ちを抑えて尋ねる。
「よいのか、そう申しておるのだ」
ブルゴーニュ公が呟くように発した言葉。
その声は墓場から吹き付ける風のように不吉で、シベリアにいるように冷たかった。
嫌な汗が背中を濡らし、咽喉がカラカラに渇く。
「……何がよいのでしょうか?」
「…………」
意を決して尋ねるも沈黙しか返ってこない。
その沈黙が叫びたくなるほど苦しい。
まだ罵倒されているほうがマシだった。
オレは遂に耐え切れなくなり、何か場を繋げる言葉を発しようとする。
しかしブルゴーニュ公はそれすら許さず、オレの言葉に被せる様に呟いた。
「手綱を手放してもよいのか?」
その言葉の真意がはじめはわからなかった。
「――――!!」
だが、気付いたときは震えずにいられなかった。
まさかここまで露骨に脅迫してくるとは……。
ブルゴーニュ公は要するにこう言っているのだ。
万一オレが引かなかった場合、ジャン無怖公が暗殺を仕掛けてくるだろう。
ブルゴーニュ公はそれを止めないでいいのか、そう聞いている。
いや、むしろブルゴーニュ公本人が刺客を放ってくるかもしれない。
オレが死んだならば、当然リッシュモンはブルゴーニュ公国で育てられることとなるのだから。
会談を二人っきりにしたのはこの為だったのか。
「どうなんだ。何か言ったらどうだ?」
ブルゴーニュ公はさっきまで沈黙していたことが嘘のように饒舌だ。
歯軋りしつつ、この脅迫への対抗策を考える。
ミラノまで辿り着きさえすれば問題ない。
いかにブルゴーニュ公といえどガレアッツォの膝元まで刺客を送り込むことはできないだろう。
ならば、道中が最も危険だ。
あいにく今回の旅にモルト老は付いて来ていない。
彼にはミラノで軍を訓練する段取りを頼んだからだ。
彼さえいれば百万の軍に守られているように安心できるものを……。
「さぁ、返事をしたまえ。それともこれで会談は終わりかね?」
どうやら腹を括らなければならないらしい。
人生には命を賭けて勝負しなければならない時というのがある。
オレはそれが少し早かった、それだけだ。
オレとブルゴーニュ公国とは今後、長い付き合いになる。
これはその最初の決戦なのだ。
それが脅しに屈する等という形で決着すれば相手に侮られ、調子づかれるのは必至だ。
刺客さえ送れば震えて意に従う、そう認識されても困る。
示さなくてはならない。
オレは敵に回すには手強い者だ、と。一筋縄ではいかない者だ、と。
「どうぞ。お好きになさればよろしかろう。
では、リッシュモン殿は私の下で養育する。そう決まったと思ってよろしいですね」
そう言って睨み返す。
やってみろ、タダではすまさない、そういった決意を視線に込める。
オレの視線とブルゴーニュ公の視線がぶつかり合う。
どちらも一歩も引かず、じりじりと時間だけが過ぎていく。
「ふん、その年でなかなか豪胆なことだ。
もういい。力を抜いて睨むのを止めろ。会談はここで終わりだ」
ブルゴーニュ公はやけにあっさりと引いた。
言ってはなんだがオレの決意の視線など海千山千のブルゴーニュ公にとって何てことも無い筈だ。
今度は何を考えてるのか、まだ油断はできない。
「そう不審気にこっちを見るな。
何もする気はない。刺客も送らんし、送らせん。
この決着は会談前から決まっていたことだ。兄ベリー公と取引が為されていたからな」
ベリー公との取引、その言葉を聞いて警戒心を緩める。
あの人はオレのためにそこまでしてくれたのか。
「兄に目を付けたのはなかなか良かった。
しかもその年でここまでの胆力を備えているとはな。麒麟児との噂も頷ける」
「なぜ、ベリー公との取引に応じたのですか?
ブルゴーニュ公ならば押し切ろうと思えば押し切れたでしょうに」
それが疑問だった。
冷静になって振り返ってみれば、この会談は所々に違和感があった。
最初の挑発やブルゴーニュ公の言動。
圧迫面接を受けた、そんな印象があるのだ。
「途中で御主の言った通りだ。
ブルゴーニュ公国でリッシュモンを育てることになればワシの力が強くなり過ぎる。
今でもそうなのだからな。
御主が何の力も意思も無いガキなればそうしていた。
ワシの力をどこまでも高め、諸侯を押さえつけて力で国を纏めるつもりだった。
だが、それは諸刃の剣だ。
ワシはもう59歳。まだまだ若い者には負けんが年だ。いつ死ぬかわからん。
そうなれば息子に強大過ぎる力を遺してしまう。それはマズイ。フランス王国が滅亡しかねん」
それはブルゴーニュ公の内心の吐露だった。
あまりにも開けっぴろげに語られたそれだが、その内容は重い。
他人においそれと話すことではなかった。
「私にそのようなことまで話して宜しいのですか?」
オレがそう言うと、ブルゴーニュ公はオレの目をじっと見据えた。
「よいか、自身の立場を自覚せよ。
王太子がおらず、国王があのように錯乱している今、御主が王になる可能性も無い訳ではない。
そうでなくても御主はいずれ国の柱石を担う。そういう立場にいるのだ。
ワシの息子も御主の父も、いや全ての貴族が自分の利益の為のみに生きている。国への、王への忠誠心を失ってな。
よいか、10年先を想像してみよ。
仮にワシも兄も死に、王太子が産まれるもまだ幼い、そういった状況となったならばこの国を支える人間は御主しかいないのだ。
自覚せよ。御主は望む望まないに関わらず、国を背負うという使命があるのだ」
オレは驚愕した。
まさか自分がブルゴーニュ公に期待されているとは思わなかった。
「それはブルゴーニュ公の子を敵に回しても、ですか?」
ブルゴーニュ公は大きく頷いた。
そこには重責を担い、国を憂い続けた一人の男がいた。
「ワシの子を敵に回しても、だ。ワシはこの国を愛している。決して滅ぼしたくない。
兄と共に守ったこの国がイングランドに蹂躙されるを見過ごせすことはできん。
だが、もはやワシ一人の力ではどうしようもない。若い力が必要なのだ。
ヘンリー4世は必ずフランスに牙を向く。御主が盾となり矛となって国を守れ。
それがワシが今回譲歩する条件だ」
オレはブルゴーニュ公に深く頭を下げた。
きっとこの人はずっと悩み続けてきたのだろう。
麻のように乱れる国、それを憂いている一方で自分がその原因となっていることに。
家のため、子孫のためと努力した結果が周囲を巻き込んで肥大化し、いつしか己の手を離れ暴走してしまったことに。
オレとしてもイングランドは避けることのできない敵だ。
今後、百年戦争はますます激しさを増す。
それは英雄リッシュモンがまだ子供であることからも明らかだ。
次期オルレアン公である以上オレはそれから逃れることはできそうにない。
ブルゴーニュ公が言う様に望む望まないに関わらず、だ。
いずれにせよ今回の交渉でリッシュモンを傍に置くことができた。
力を増し、財を蓄え、人材を育成する。
今はそれだけを考えていれば良い。それが将来につながるのだから。
ブルゴーニュ公との会談とリッシュモン獲得でした。
やはり今のシャルルではまだまだブルゴーニュ公に太刀打ちできない、そう思ってこんな話にしました。
一応、5話との流れから無理は無いようにしたつもりではあります。
ですが、自分でもご都合主義かな~、と思ってはいます(汗)
ご批判覚悟です。それではご意見、ご感想お待ちしています。